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 1997年11月16日、マレーシア、ジョホールバル、ラルキンスタジアムで日本代表がフランス行きの切符を手にした。だがその試合をとても現地に行って見ていられるほど精神的にタフではなかった。実際、試合中も家中をうろうろして嫌がられた。最後に我らがレッズ、岡野選手のスライディングしてのシュートで決まった。その瞬間、絶対に見に行ってやる!そう決めた。アルゼンチン大会のマリオ・ケンペス選手からメキシコ大会ののディエゴ・マラドーナ等、きら星のスターの集うところ。たしかに今、クラブチームの方が強いかもしれないが、民族の誇りと名誉、そして、選手がよりよい職場を求めて戦う場所。4年に一度の祭典。しかも日本は初出場。自分としても1つの夢の実現のために行かねばならない。ところが...

 事前に旅行会社の人に日程が決まったら教えてくれって頼んであったのに忘れられていた。しかも受付に行くと1人ではほぼ無理だとか。料金も高くなる。しかたなく1人で行くことをあきらめた。ヨーロッパなら2度、1人フリーで行ったので自信はあったのに。

 幸い、困っていた自分を助けてくれる人物が現れた。栗原氏。彼は同じ社内の人。東南アジアをくまなく旅する人物だ。2人で出遅れた分をこのインターネットを駆使して取り戻しにかかる。

 栗原氏からIACE社で航空券無しのツアーを見つけたとの連絡。見てみるとNEW YORKだった。ドル払い。そのときの計算では日本の大手に頼むより大幅に安い。ただ、インターネットでの詐欺も多いのでちょっと心配だった。よくよく調べると日本にも代理店があることがわかった。試合はクロアチア戦。確かにアルゼンチン戦のほうが初戦だから価値はあると思うが、取れることが先決だ。クロアチアだってタレントぞろいだし。あとは航空券だけだ。

 飛行機が決まってから支払おうっていうのが失敗だった。5月末あたりから円が安くなり始める。飛行機がなかなか決まらない。安い会社はどうもほぼ満員のよう。ぎりぎりまで時間がかかる。結局、高い方のBA、英国航空に決まった。

 アルゼンチン戦の3日前、テレビでチケットが不足している騒動が映し出されていた。ここまで来ての騒ぎ。しゃれにならない。かなり心配であったが、栗原氏が確認のメールを出してくれた。無事、パリのデスクにあるとのこと。ここは信じて進むしかない。周りの人にも、「チケット、ほんとにあるの」と、聞かれた。本人達はあると信じているのでテレビも安心してみられるようになった。NYの遠藤さん、おさわがせいたしました。

 その後、また問題が持ち上がる。食事の問題だ。栗原氏は1日1回米を食べなければいけないという。こっちは3ヶ月間米無しでいられた実績があるし、別にそんなに米を食べたいとは思わない。世代の問題か?ここはフランス的個人主義でそれぞれ好きなようにやることにした。その上、あちらは観光する気はないとのこと。それぞれ昼は別行動をすることにした。前にヨーロッパにいたとき、日本人の男同士の2組が仲が悪くなっていくのを何組も見たことがあったので、その方がいいと思う。せっかくの旅行が台無しにならないために。

 職場に1週間のお休みをいただく。かなり強行突破だった。無事、失業せずに戻れそうである。ただ、今の仕事はつまらないので変えてもいいとは思うが。ただ、この不況のさなか、外に出ていくのは利口ではないはずだ。それに今回の旅行は借金していく。収入が途絶えてはいけない。

 16日の夜はなかなか寝られなかった。

つづく