21/Juin/1998

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 一昨日、昨日の疲れが多少あったようだ。栗原氏は冷たくも先に起きて(いつも早起き)さっさと朝食に行ってしまった。ドアが閉まる音を聞いてあわてて起きる。身支度をして急いで下にエレベータで降りた。(部屋は12階のため)そこにNYの人がエレベータを待っていた。栗原氏が先に行ったことを教えてくれた。ついつい慌てていたため、挨拶を簡単に済ませてしまった。あとでちゃんと「お気をつけて」とか言うべきだったと反省した。ともかく朝食の場所に行くと、栗原氏は半分以上食べ終わっていた。バイキング形式なので取りに行って帰ってくると、すでに彼は食事を終えていた。またもや先に戻られてしまった。

 部屋に戻ると、栗原氏は一昨日教えた店(日本人がやっているお土産屋)に行くという。確か今日は日曜日だよなぁ。ともかくチェックアウトのリミット、11時には戻るという。

 彼が行ってしまったあと、そんなに時間もないのでその辺でも散歩してくるかと出かけようとした。1階のロビーに行くとガイドさんがそれぞれチェックアウトに付き合うため、待っていた。連れの人はどうしたのですか、と聞かれたので、みやげを買いに行ったことを言う。日曜だからやってないかもよ。そうでしょうね。もう1人の人もいたので、そこでしばらく話をしていた。ボストンから来ているそうである。うらやましい。こちらが日本から来たことを伝えると、またびっくりされてしまう。そんなこんなで10時ぐらいに外に出ることにした。

 また当分来ることもないだろう。そう思いながらエッフェル塔の下に行く。すごい人だ。よく見るとアルゼンチンサポーター達が踊っていた。彼らはこれから試合だ。ほんと、アルゼンチンづいてる。しばらくそこで時間を過ごし、次にFOOTBALL PARCに行く。用のないし、金もないのでホテルに戻った。

 パッキングのやり直しをしていると、栗原氏は帰ってきた。やはり、休みだったそうだ。ともかく11時には出ないと。飛行機は14時40分。用意が出来たので1階に降りていった。

 ガイドさんは待っていた。他に2人。彼らはともかくORLY空港までは行くそうだ。チャックアウトする前に、バスがいいか、RER(高速地下鉄)で行くか聞いてみた。RERは危険で、ORLYにはバスでいった方がいいという。そこで他の2人も一緒になってバスでORLYに行くことにした。ありがとうガイドさん。良かったよ、Hotel Frantour Suffren。

 バスの発着場所、Denfert Rochereauに行く。ちょっとBus Stationの場所がちょっとわからず、地元の人に聞いてみた。あった。チケットを買ってしばらく待つ。そこでそこの職員の人が、日本は良かったよ、ってサッカーの話をしてきた。ところで何日パリにいるんだ?って質問。4日だって答えたら、周りにいるひとと集まって何か話をし始めた。きっと、日本人は働いてばかりで休みを取らないなどの悪口に決まってる。こっちだってそうしたいんだい!

 バスがORLYに向かい走り始める。そのまま高速に入っていき、そして空港へ。さすがに時間がないのでチェックインが混んでいた。栗原氏は荷物が少ないが、こっちは荷物が多くて、預けなければならない。しばらく待たされる。そこに係員がやってきて別でやるという。栗原さんが一緒に航空券の方を先に済ましていた。こっちは預ける荷物があることを伝えるとチャックインしてくれた。ありがたい。どうやら栗原氏を気に入ったのか?

 しばらく中でDFSなど見ていたりで時間つぶし。ここではやはり禁煙だ。タバコ吸いたいよ。

 またもBAは遅れた。よかった、乗り継ぎが次の日で。また1時間の旅。さようなら、パリ。今回は最高だったよ。またいつの日か。(当分無理だね、また。)

 HEATHROWに着いた。やっとこの地に戻って来れた。7年ちょっとかかったなぁ。地面にKissしたかったがやめて、ともかくタバコを吸う。(喫煙所あり)ここで最後のトラベラーズチェックをポンドに現金化する。ちらっと見ると小銭がエクスチェンジ出来る機械がある。さっそくもっていた1フランなどの小銭を変えた。でも、まだ足りない。ともかくUndergroundのPiccadilyLineでEarl's Courtに向かう。ここで1泊の宿をとることにする。

 栗原さんは1件ずつ宿のチェックをするという。こっちは荷物2つがあってあまり動きまわりたくない。そこでさすが先輩、荷物を俺がみている間、探し回ってくれた。2人で36ポンド。安い。部屋もそこそこだという。さっそく部屋にチェックイン。ここはインドの人がやっている。部屋に入って荷をとく。そのあいだに栗原氏は近所の探検に。彼が戻ってから、俺はどうしてもロンドンで見ておかなければならない場所があることを伝える。そう、Club Marquee(marquee'sroomへ)の跡地を見に。栗原氏も同行することになった。

 Piccadillyで降りてみる。変わったなぁ。7年の年月を感じた。「そごう」なんてあったっけ?ともかく、昔の記憶の通りに歩いてみた。あ、ここだ。悲しいことに今は演劇の劇場になっている。(marquee98へ)寂しいなぁ。

 SOHOを抜けてたりで昔の感覚で歩いてみる。そうこうする間にCarnaby st.についた。メタルファッションとか買ったっけなぁ、など思っていたら、栗原氏は昔日本(?)に「カーナビーズ」ってバンドがあったことを思い出したらしい。俺には全然わからないが。世代世代に思い入れがあるんだなぁ。日曜なので店はやっていない。でも、WINDOW-SHOPPINGには最適だった。サイケファッションやアフロヘアーなどあって、栗原氏は自分の若い頃を思い出していたようだ。

 REGENT ST.を歩いて、Leicester Squareに行く。あ〜これじゃお上りさんだ。そこではアフリカンドラムの演奏や南米の音楽(コンドルは飛んでいくのような曲とドラミングサウンド)をやっていた。日本じゃ高い金払わなきゃ見れないなぁ。しばらく聞いていく。次に中華街に。ここでは胡弓の演奏が聴けた。ワールドワイド!。NEWS STANDで'TIME OUT'を買った。そこのおやじが「日本は素晴らしかった。代わりにイングランドがクロアチアをたたく」*などと言っていた。

 Londonにいったら絶対にPUBに行こうって約束していたのに、栗原氏は行かないという。こっちは酒が飲めない。行ってクォーターパイント・ラガー1つじゃなぁ。

 宿に戻って、近くのインド料理屋でカレーのテイクアウトして部屋で食べる。テレビ観戦をすることに。次の日、イングランド対ルーマニアの試合がある。やたらに盛り上がっていた。'TIME OUT'を読む。なに〜、OZZ FESTが昨日あったのか。出てる面子がおいしすぎる。日本でやってくれないかなぁ。でも、日本じゃチケット代はかなりの高額だろうな。見たかったなぁ、現実は無理だったけど。

 つづく。

*実際には対戦できなかった。イングランドはベスト16どまり、かたやクロアチアは3位だった。おやじはきっとベッカムのレッドカード退場で怒り、PK負けで沈んだことでしょう。因縁のアルゼンチン相手だもんなぁ。