独り言

ブログを開設しましたので、今後独り言は 「Nobのブログ CWL通信」 に掲載します。

駐車取締り (2006年7月1日)

 昨年6月成立の改正道路交通法で決まった、駐車違反取締りへの「民間委託」と「行政制裁金制度(違反金)」の導入が先月から始まりました。
運転者が反則金を支払わない場合は、その車の使用者(書類上の持ち主)に違反金を請求するというものだ。違反金を納めない場合は車検が通らないという仕組みで強制力を強めています。一見画期的なシステムのように思えますが、違反者もズル賢いようで、反則金を払う出頭者が激減しているそうだ。なぜなら従来どおり運転者として出頭して反則金を支払えば同時に免許証の減点も付いてきます。それを放置して使用者としての違反金として支払えば額は同じでも反則としての減点にならないという制度の欠陥に目をつけたようです。こういう悪知恵を利用されないような対策も必要でしょう。

 民間業者といっても大半が警察関係OBの天下りだそうだ。機器の納入に関しても数々の不正が発覚しています。まあ新制度が発足すれば必ず利権に群がる者が現れるのが世の常ですね。
さらに民間宅配車は取締るけど、ゆうパックの宅配車は見逃すとか、大使館の公用車は治外法権で取締りできないとか・・・そういう種々の不公平は無くさなくてはなりません。
それらの問題点は追及していかなければなりませんが、建て前としての迷惑駐車や安全な街にするための駐車違反取締りはどんどんやってもらいたい。

 監視員もマスコミ報道で取締りの様子を見る限りは、リストラされたような中高年が殆どで、機器の操作も不慣れで非常に効率が悪いようですね。5分以内の処理でなければならないのに、2人がかりで20分以上経っても手間取って逃げられるシーンも多々ありました。もっと職のプロとして自覚を持って訓練してもらいたいものだ。

 自分は18歳で自動車の運転免許を取得して23年間無事故無違反です。1点や2点の軽微な違反も一度もありません。何事も“初心忘るべからず”でやってますから・・。駐車も必ずパーキングに入れます。買い物や遊戯施設も駐車場の無い店には車では行きません。何事もバカ正直な自分です。駐車に関しても今までは正直者がバカを見るという現状でした。正直者からすれば、容赦ない取締りは大変けっこうなことです。
実際に都市部では駐車のために幹線道路が大渋滞したり、バスが遅れたり、交通事故の原因になったりしています。

 運送業者や商品の納入業者などから悲鳴が上がっているそうだが、甘えたことを言ってはいけません。彼らの言い分は、一回の駐車は10分とか15分で一日中止めているわけではない・・つまり迷惑駐車とは区別してほしいというものです。でもそれは自分勝手な言い訳です。確かに自分はたった10分の駐車でも、その地域にとっては一日中駐車していることに変わりはありません。繁華街では一台の車が発車すると、1分も経たないうちに次の車が駐車します。わずかなスペースを見つけるために多くの車両が右往左往しているのが現状です。結果的に一日中一車線が塞がっているケースがよくあります。

 今回の制度で駐車場業界は喜んでいるようですね。コインパーキングを造る土地の争奪合戦になっている地域もあるようです。一つの法改正で悲鳴を上げるところもあれば 喜ぶところもあるわけですね。
この一ヶ月で渋滞が少なくなって走りやすくなった地域もあります。最初だけ警戒して、ほとぼりがさめた頃に元の状態に戻ることのないように、効率よく徹底した取締りを実行してもらいた。

 


クリスマス (2005年12月25日)

 12月の街はどこもクリスマスムードで一色だ。それが25日を過ぎると一斉にお正月モードへ突入する。デパートやスーパーの飾りつけもクリスマスツリーが一夜にして門松に変身するのが面白い。

 先日、新聞の投書欄に「省エネが叫ばれているのだから、灯りは最小限にして質素にすべきだ・・」との意見があった。それに対して、「夜間の電力は余っているから無駄な浪費ではない・・」とか「街から夜の電飾を消したら心が寂しくなる・・」という反論も寄せられた。自分としても華やかな電飾は大いにけっこうだと思っている。確かにこの時期の電力消費の大半は昼間の工場等の操業によるものが大半で、夜は余ってます。だから無駄な浪費だと目くじらを立てるほどのことでもないでしょう。土日祝日は一段と華やかになりますが、土日祝日は多くの工場が休みですから、街に繰り出す労働者の購買意欲をそそる意味でも良いことだと思う。
 それに灯りを消して質素にすると気分的にも寂しくなりますよね。仕事が終わると、さっさと帰宅しなければならない気分になります。この季節は身は寒いし、懐も寒いですけど、街の華やかな灯りを見ると、気分だけは豊かになります。街の灯りに誘われて、夜の街を散歩したり、ついでに食事したり買い物したり・・・様々な経済効果につなかるメリットがあります。だから自由経済の世の中では必然的に華やかさを追求することになります。

 学校や幼稚園などではクリスマス集会が行われます。これも昔、幼稚園の行事で、ある親が「信教の自由が侵された」と損害賠償訴訟を起こしたことがありました。判決は訴えを棄却で、理由は「宗教ではなく文化だ」というものでした。この裁判官はなかなかイイこといいますねえ。日本でクリスマスをキリスト教と結びつける人なんてそうはいませんよね。その親は仏教系の宗教に熱心だったようですが、仏教なら何事もおおらかな気持ちで寛容性を持ち合わせているはずなんですけどね。子供が楽しんでいるクリスマスをいちいち信教の自由がどうのなんて度量の狭いこと言う必要もないと思いますけどね。
 自分が保育園に通っていたときもクリスマス会がありました。その保育園はお寺が経営しており、園長はその寺の住職でした。色々と仏教的な講話をしていた記憶があります。昼食の時は、「御仏様 ご先祖様 世間の皆様方 ありがとうございます・・いただきます」と全員で唱えてました。それでもクリスマス会はやりましたし、園長がサンタクロースに扮してプレゼントを配りました。和尚さんがサンタクロースになるなんて妙に面白いですよね。子供の楽しみを考えれば、教育者として当然の行為でしょう。それを「仏に仕える身としてキリスト教の行事をするとはけしからん」なんて言う人はいませんよね。いるとしたら、その人の心が貧しいのでしょう。
 まあ自由主義の国ですから、色々な考えがあっていいわけですけど、世間の大多数が楽しんでいるものに目くじらを立てると嫌われますよね。夜のイルミネーションもクリスマス会もおおらかな気持ちで楽しみましょうよ。

 ところで、クリスマスといえばサンタクロースです。トナカイが引くソリに乗って空からやってきて、煙突から入ってくつしたの中にプレゼントと入れてくれるというものです。もちろん架空のことです(条件を満たして本国の協会で認定されたサンタクロースは大勢いますけど・・)。子供の頃は信じていたんじゃないかな?何歳頃まで信じるかは個人差があるけど、だいたい中学年でだいたいの子は真相がわかるようだ。高学年で信じている子はごく少数でしょう。
 それで、自分はどうかというと、もの心ついたときにはサンタなんていないということを知ってました。なにしろ母親が全部タネをばらしてしまってましたから・・。クリスマスにサンタクロースがケーキを配達してくれるというサービスを申し込んでおきながら、「サンタが来た!」と喜んでいる自分に対して、「今のはお店のお兄ちゃんがサンタに化けてるんだよ」なんて丁寧に教えてくれました。保育園で、「あしたサンタが来るんだって」というと、「それは園長先生が変装するんだよ」ってタネをバラすし・・。プレゼントについても寝ている間に親が枕元に置くということも教えてもらった。そういいいながら、キッチリ自分の枕元にプレゼントを置いてくれる優しい母であったのだが、そこは大阪人ですから、タネをバラさないと気がすまないのでしょう。
 ということで、サンタなんかいないということを知っていたから、自分もまたクラスのみんなにタネ明かしをしたので、自分の同級生は幼稚園の時には既に現実を知っていたわけです。だから最近は小学生で信じていたら、妙に可愛く思えます。
 


消えた職人気質 (2005年12月1日)

 
今年もあと1ヶ月となりました。本当に年をとると一年があっという間に感じます。
今年は大学院も卒業して少しは時間的余裕ができるかと思ったが、職場が2か所になったこともあり、なんだかんだで忙しい日々でした。
 それと、今年 待望?の40歳になりました。やっと気分的に大人になった感じです。
30歳までは、家に訪問者が来て自分が出ると必ず「お母さんいますか?」と言われました。「私が主人なんですけど・・」・・・「あっ そうなんですか・・」なんてやりとりが常でした。
私は身体はでかいのに顔が子供っぽく見えるらしいです。事実20代後半まで高校生で通用しましたし、大学時代は中学生と間違えられることもありました。大学4年の時、親父が労災事故で入院し、家族でお見舞いに行った際には、看護婦に「集中治療室は12歳以下の方は入室できないんですけど・・」とか言われました。12歳じゃなくて22歳だったんですけどね。まあ小学校時代から一度も髪型を変えたことがないのも要因だと思いますが。就職してからも どの職場に行っても年下に見られてました。老けて見えるよりは若く見られる方が気分的にはイイですけど・・。30代中ごろから次第におじさんらしく見えてきたかな。
定年まであと20年かぁ。今後も仕事には責任と誇りをもって従事したいと思います。

 ところで、世間では今年も憂鬱なニュースばかりでした。中国や韓国との外交関係も気になりますが、それは別の機会に述べるとして、今は連日、マンション等の構造計算書の偽造問題が報道されています。
 今までも手抜き工事や欠陥住宅はよく問題になってましたが、設計の基となる構造計算を建築士が偽造していたのだから世間の衝撃が大きい。設計者、検査会社、建築会社、販売会社・・・それぞれが見苦しい責任の擦り付け合いを展開しています。早々に倒産させて逃げた建築会社もいれば自殺した設計者もおり大混乱です。なにより一生の大きな買い物をした居住者が気の毒です。購入者には何の責任もないわけですから。

 責任の追及と補償問題は各機関が徹底的にやるとして、気になるのがプロ意識を持った人が皆無であったことです。それぞれ自分の職業に誇りは無いのでしょうか?日本人の誇りであった職人気質とかはどこへ行ったのでしょうか。
 今回の関係者は口をそろえて気がつかなかったとか巧妙で見抜けなかった、つまり自分に責任は無いと主張しています。自分の不正は棚に上げて、見抜けなかった方が悪いと主張する者もおります。確かにプロならば見抜けないということは有り得ないでしょう。見抜けなったのではなく、見抜くつもりもなかったのでしょう。検査なんて手抜きすれば楽ですし、検査しないんだから早く処理できて、建築主の評判も上がるという具合ですよね。業界全体が暗黙の了解で欠陥マンションを造っていたと思われます。

 とにかく設計者も施工者も販売者も自分が関わった仕事に誇りがないのが悲しいところです。末端の作業者でも、特に鉄筋工であれば経験から鉄筋の質と量、配置間隔の標準は分かるはずです。おかしいと思っても言われるままに作業してしまうのが今の現実でしょう。異を唱えれば仕事できなくなるわけですから。でも職人としての誇りが少しでもあれば不十分なものは造らないと思います。

 古い寺院や建築物の補修工事をすると、柱や梁に棟梁や大工の名前が刻んであることが多いようです。数百年経っても壊れない丈夫な建築物を造ったという誇りがあるからこそ後世に名を残すことができたのでしょう。そんな昔に建築基準法なんてありません。法律がなくても丈夫で長持ちする建築物を造ることが職人の誇りだったのでしょう。
 今の世の中は、名前を残すどころか、建て逃げしているのが実態でしょう。職人の誇りは消え、建築基準法という最低限のルールをいかに誤魔化して利益を上げるかということに熱心なようです。
 公務員も民間企業も個人も・・・倫理感の欠如は何とかならないものでしょうか?
 


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