独り言 バックナンバー

■平凡であることの幸せ (2005.1.1)
■間抜けな消防査察 (2004.12.16)
■プロ野球に思う (2004.11.20)
■オリンピック (2004.8.29)
■年金 (2004.6.20)
■自衛隊イラク派遣 (2004.2.8)
■牛丼が消える? (2004.2.1)
■成人式 (2004.1.15)
■住めば都 (2003.12.15)
■テレビと視聴率 (2003.11.4)
■18年ぶりの優勝 (2003.10.1)
■高校野球とプロ野球 (2003.8.25)
■増え続ける少年犯罪 (2003.7.29)
■2003プロ野球ペナントレース(2003.6.23)
■天寿を全うした我が家のお姫様(2003.5.8)
■統一地方選挙を終えて (2003.4.14)
■愚かな戦争 (2003.4.10) 




 


平凡であることの幸せ (2005年1月1日)
 
 
今年は私も大台(40歳)になる。遥か遠いと思っていた年齢に到達する。よく「30歳過ぎると40まではあっという間だ」という声を聞くのだが、まさしくそのとおりの感じだった。今までの人生を振り返ると、子供時代は引越し・転校が多かったこと、大学は2回行ったこと、何度か転職したことなど必ずしも順調とは言えないが、まあ世間で言う平凡な人生になると思います。普通に大学出て就職することを「平凡でくだらない人生」と思う人は多いかもしれません。でも私はそうは思いません。むしろ平凡であることの幸せを感じています。

 2002年9月に小泉首相が訪朝し拉致事件の実態が明らかになって国民が怒った時期に、ある人気女性作家(○○梓とか栗本○とか2つのペンネームがある)が無神経な発言をしました。「横田めぐみさんは日本より北朝鮮での生活のほうが長く、恋愛して結婚・出産と女性としての体験もしたのだから悲しいことばかりだったとは限らない・・・・拉致被害者の面ばかり強調するのは平和ボケした日本人の愚かさだ」とかいう主旨の暴言ともとれるコラムを自分のサイトで発表しました。蓮池さんにつては、「たぐいまれな経験をしたわけで、平凡に大学を出て平凡に就職してサラリーマンになることに比べたら悲劇的ではない。平凡なコースをたどることが無難で幸せとは思わない」と発言している。この発言の根幹には、“平凡な人生=くだらない人生”という歪んだ先入観があると思われます。人と違う視点に立つことが作家としての個性だと勘違いもしているようです。当然批判が集中しましたが、それらに対して読解力が無い、つまり読者がバカだという反論をしていました。まあ、そんなオバサン作家がどう思おうと関係ないわけですが、だから何が言いたいかというと、
その女性作家のように拉致被害者家族に無神経な発言をするのは少数派だと思いますけど、「平凡な人生=くだらない人生」という先入観がある人は結構いるのではないかと思います。

 日本のように言論の自由がある国はむしろ少ないのです。政府に批判的な意見を言っただけで投獄されたり銃殺刑にされる国だってあるのです。戦争や内乱で常に生命の危機に直面している人々もおります。貧しくて飢えに苦しんでいる人々も多くいます。世界には平凡に暮らすこともできない地域がたくさんあるのです。女性作家が言うような「平凡な人生を幸せと考えるのは平和ボケした愚かさだ」という理屈は成り立ちません。平和ボケしていないからこそ平凡に暮らせることのありがたさが解るのです。平凡な人生がくだらないと感じることこそ平和ボケなのです。

 そんな世界と比べてもしゃあないと思う人もいるかもしれません。
 現実の日本国内での生活を考えてみても、やはり平凡な幸せを感じます。作家が言うように普通に大学出て普通に就職してサラリーマンになることがそんなにくだらない人生なのでしょうか?私はそうは思いません。
 貧しくて高校や大学に行きたくても行けない人もいるのです。バブルが崩壊してリストラが進み、自己破産したりホームレスになる者も急増しています。病気や災害で苦しんでいる人たちもいます。一方で五体満足なのに薬物に走ったり、暴走族になって暴れまわる惨めな若者も多くいます。
 学校や社会に反発することが個性的だとする妙な考えをする者もおります。大多数と同じ道を歩むことを没個性で情けないとする論調もよくみかけます。人の迷惑かえりみず欲望のままに好き勝手な行動をすることが個性でしょうか?それより遊びたい時期を我慢して受験勉強に励む児童・生徒のほうがよほど根性があり立派だと思います。

 大学に入るにはそれなりの受験勉強をしなければなりません。私の場合も夜遅くまで勉強していると、いつも母が夜食を作ってくれました。宗教に無関心な我が家でも川崎大師に行って合格祈願のだるまを買ってきました。合格するとだるまに目を入れ、お祝いにレストランで食事をしました。二十歳になったときも家族で祝ってくれました。卒業して就職するときは、母からスーツをプレゼントされました。父からは腕時計を贈られました。平凡な暮らしでも家族内ではささやかな喜びや悲しみがあり、その継続なのです。今のところ幸い家族が大きな病気や事故に遭ったこともありません。小さいですが住みたい街に一戸建ての家も持ちました。世間一般でいうごく普通の生活をしているわけですが、普通に大学を出て普通に就職することがそんなにくだらない人生とは思いません。

 人と違う道を歩むことが素晴らしいとする考えは否定しません。だからといって大多数の人々と同じコースをたどることをくだらない人生とする考えには納得できません。労働人口の大多数はサラリーマンです。そのひとり一人が社会を構成する構成員となって国家を支えているのです。平凡な暮らしでも日々様々な出来事を体験します。私自身も平凡な暮らしができることこそが幸せなのだと感じています。

 私の母は子供の時戦争を体験しています。大阪から瀬戸内の島に疎開し、目の前で岡山大空襲を目撃したそうです。大阪の実家も空襲で跡形も無かったそうです。戦争で兄も亡くしています。ルソン島で病死(享年20歳)だったそうです。名誉の戦死は建て前で、南の島へ行かされた者の大半は餓死か病死でした。若者を紙切れ一枚で戦地に送り、後は「戦死しました」と言って空の骨壷が戻るだけです。母の母(私の祖母)は外では気丈に振る舞っても家では泣いていたそうです。私の母は平穏に暮らせるだけで幸せ、今が一番幸せだといつも言っています。何事もなく家族が平凡に暮らせる喜び・・・それは平和ボケしていないからこそ感じることができるのです。

 


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■間抜けな消防査察 (2004年12月16日)

 ディスカウントストアのドン・キホーテで火災があった。放火らしいが原因はともあれ予想どおりの出来事だった。法や常識の盲点を突く発想で住宅地に次々と出店し深夜営業が最大の売りである。周辺住民とのトラブルも絶えないようです。私は職業柄深夜族になってしまったので、午前0時を過ぎても買い物ができるので便利に利用しています。

 私は週に1〜2回行くのだが毎回気になる点があった。それは階段も通路も非常口も防火扉もいつも商品で埋め尽くされていることである。商品を置くという次元ではなく、防火扉を塞いで陳列棚が設置されていたりする。階段は平常時でも通るのが困難なほど商品が山積みされている。ジャングルをイメージしているらしく一箇所しかない出入り口はわざと狭くし、避難路も商品で塞がれている。マスコミでは天井までの圧縮陳列ばかり問題視してますけど、避難路を塞ぐ(査察時は片付ける)ことのほうが重大です。火事になると大変なことになると思っていました。店舗のご意見箱で何度か指摘したが、人の意見に耳を傾ける社風ではないことは十分承知していますから期待はしていませんでした。事実改善されたためしがありません。

 15年ほど前、長崎屋の火災で小学生の兄弟を含め多数の死者がでました。火事自体はワンフロアのみだったのですが、防火扉の前に商品を置いていた為に扉が閉まらず、そこから漏れた煙が逃げた最上階までまわって死亡したわけです。私はそれ以来あちこちの店に行って気がつくたびにご意見箱などで指摘していました。多くの店が階段、防火扉や防火シャッターのところに商品を陳列しているのが実情です。

 私は学生時代に電子部品工場やスーパーなどでアルバイトしていました。そこで何度も消防署の査察を体験しています。
 工場では前日に班長から「明日消防署の検査があるので帰りには周囲の物をすべて片付けておくように」と指示があります。「それじゃ査察の意味ねえじゃん・・」と思いました。当日の朝は班長が紙くずやウエス一枚もないように最終チェックします。そして事務部から消防官が工場へ行ったと内線連絡がきたら班長が「ハイ来るよ〜」と叫びます。従業員は平然と作業を装います(必要なものまで片付けているので能率的な作業はできない)。しばらくすると工場長に案内されて消防官がうなずきながら見て回ります。そのとき「バカじゃないのこの消防官は・・」と思っていたのは私だけではないでしょう。そして満足げに帰って行きます。そして事務部から無事引き揚げたとの連絡を受け班長が「ハイ帰ったよ〜」の合図とともに隠しておいた作業用の雑物を一斉に元の位置に戻して通常の作業に入るわけです。

 スーパーとなるともっと酷い。スーパーは客商売だから工場より査察の回数は多い。でも工場同様に事前に連絡が来る。事務所の予定表にしっかりと○日消防検査、○日保健所検査・・と書かれている。店の社員に聞いたら、事前に消防署から「何日に設備の検査に伺うのでよろしく」と連絡が来るらしい。要するに「その日は片付けておいてくださいね」と消防署が言っているわけです。抜き打ち査察もあるらしいのですが、その場合も事前に連絡があるという。「それじゃ抜き打ちじゃないじゃん」・・・と思うけど、連絡の際に査察・検査・調査という言葉を言わないだけらしい。「何日頃に伺いたいのですがその日店長はいらっしゃいますでしょうか?」というような連絡らしい。査察と言わなくても消防署から来るなら査察に決まってるじゃん・・と常識的には思うけど、そこは役人で目的を言ってないからあくまでも抜き打ちだという理屈です。なぜ連絡するのかというと、本当に抜き打ちで行って、責任者が不在だったら二度手間になるから店長や売り場責任者のスケジュールを事前確認するのが理由らしい。

 査察が大売出しの時期と重なると店内は商品を何処に隠すかで修羅場と化します。そして何とか一時的に整理整頓された店内を消防官が見て回ります。店員は何事も無かったかのように、消防官に「ご苦労様です」と声をかけながら仕事をするふりをします。当時アルバイトの立場からすると呆れるのを通り越して消防官が哀れに想いました。これで任務を遂行しているつもりなのでしょう。そしていつものように満足げに消防が帰ったら店員総出で隠した商品をもとの避難通路に陳列するのに大騒動だ。こんな実態を消防官も当然知っているはずである(知らないとしたら本当のバカ)。でもそこは役人らしく、そのときだけでもマニュアルどおりに避難路が確保されていればOKなのだ。バックルームや事務所などに陳列状態の商品が隠されていることも知っているはずだが、暗黙の了解なのか見ないことにしているようです。

 消防署員だって普段はスーパーに買い物に行くでしょう。その時避難路や防火扉が気にならないのでしょうかね。素人の私でも気になって投書箱で指摘しているというのに。いくら公務員でもプロ意識のカケラくらいは持っていてほしいのですが・・・。火事や災害現場で活躍する姿は目立ちますが、地味な未然防止の活動がより重要なのです。災害を未然に防ぐことの重要性は消防署員が一番知っているはずです。でもその使命を全うする気はないようです。書類上OKにしておけば後は店の問題で消防署には責任は無いということでしょう。厳しく指導して改善命令などを出したら報告書やら再査察やらで仕事が増えますからね。
 店側ももし火災になって客に犠牲者が出たら大変な責任問題になることは承知しています。でも自分の店は大丈夫と思ってますから。なにより毎日の生活がありますから売り上げの方が大事なのは事実でしょう。常に消防法の基準を満たしていたら商売になりませんから。そのあたりの兼ね合いをどうするかは店側(本社や本部)の意識しだいです。

 店舗火災が発生すると、必ず翌日から同類の店舗に対して一斉に臨時立ち入り検査が入るのは素人でも予想できます。だから火災直後は全国のディスカウントストアやスーパーでは査察が入る前に大慌てで商品を片付けます。そして査察が入り、他店では特に大きな問題はなかった・・・という結論になるわけです。火災の後の証拠隠滅完了後に査察しても意味が無いのです。一応緊急に対処しているという世間へのアピールが目的なのでしょう。店側もほとぼりが冷めればいつもの陳列に戻ります・・・この繰り返しですね。


 まあ私のスーパーでの査察経験は20年前の話しで長崎屋の惨事以前ですから今は状況が少し違うかもしれません。でも社会人になってからは学校勤務なんですが、学校の査察も論外です。だって夏休みの生徒も教職員もいない時期に実施されますから。普段は職員の駐車で消防車の進入も無理で避難路の確保などありません。消防署もそういう事情を知って暗黙の了解でわざと夏休み期間中に実施するのです。むろん書類上は毎回問題なしとなります。

 スーパーでは長崎屋以降は査察体制が少しは改善されるかも?という話はありましたがどうでしょうかね?。新宿歌舞伎町の雑居ビル火災以降は指導が厳しくなったらしいです。でも今回のドン・キホーテの件からして相変わらずですね。全く長崎屋の教訓が生かされてません。客に犠牲者が出なかったのは奇跡でしょう。でも若いアルバイト店員ら3名が亡くなりました。いったんは店外に出たにもかかわらず再び店内に戻ったそうです。逃げ遅れ客がいないかとか自分の持ち場が気になり責任感でなんとかしようと思ったのでしょう。19歳とか20歳・・私がスーパーでアルバイトしていた時と同じ年齢です。将来の夢もあったでしょうに。

 ドン・キホーテの場合は以前から殆どの店舗で消防法違反は指摘や指導を受けていたらしいです。でも会社の体質からすると、改善命令が出たところでそのときだけ適当に処置しておけばそれ以上のこともないし事故が無い限り告発などあり得ないということでしょう。事実そうですから。今回の件でも消防の記者会見で違反を指摘しても改善書の提出を求めるだけでその後の再査察はしたことがないそうです。要するに違反があっても、後日改善しましたという自己申告だけでOKなのです。完全な職務怠慢ですね。
 店側は火災後に全店を臨時休業にし安全点検だそうです。安全点検は建て前で、臨時査察やマスコミ取材が予想されますから、その前に違反箇所の商品を片付けるのが目的でしょう。事実、翌日近所の店の裏を通ったら、忙しそうに山積みのダンボール箱を移動していました。そのあとに意味の無い緊急査察が行われるわけです。一応全国に注目されているので、今回だけは細かく指摘はするのでしょうけど。


 
消防署の怠慢や形式だけの無意味な査察が続く限り、店側が意識改革することはないでしょう。今後も悲劇は繰り返されると思います。
 放火が一番悪いのは当然ですし、客の安全より売り上げを重視する店も問題ありますけど、消防署の間抜けな査察はなんとかならないのでしょうか。ついでに保健所の査察も同様に!
 ・・・と言いつつも明日にでも食料や雑貨の買出しにドン・キホーテに行こうと思います。たぶん店内は綺麗に整頓されていることでしょう。こんな私も懲りない面々の一人でしょうかね。
 店の買い物も今年の流行語である“自己責任”ということになりそうです。

追伸・・・
後日ドン・キホーテに行ったら予想どおり出入り口や階段の商品が片付けられていました。通路の商品も少なくなっていました。商品陳列エリアと通路の境には元々赤や黄色のテープが貼られていたようです。そのテープは今まで商品に隠れて見た事がありませんでした。立ち入り検査の時だけ片付けるのでしょう。テープを越境して商品棚を置いていた痕跡がクッキリ残っていました。常習的に違反していた証拠ですが、そこは消防署は問わないのでしょう。
 
ドンキホーテのHPでの主張もあきれました。マスコミの事実無根の中傷により被害を受けているとのことです。会社として、従来から法令を遵守し、お客様の安全を第一に考えてきたと言ってます。よく言うよね。いつ行っても避難路も階段も商品で埋め尽くされていたし、非常口も防火扉も棚で隠れていましたよ。ウソはいけません。常連客なら皆知ってますよ!
 と、なんだかんだ言っても私にとっては便利な店ですから今後も利用します。深夜営業とかは良いアイデアですので、もう少し社会の反感を買わないような真摯な態度とか協調性とかがあってもよいのではないでしょうか。

 


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■プロ野球に思う (2004年11月20日)

 今年のプロ野球はすったもんだがありましたね。近鉄とオリックスの合併話しから始まって読売オーナーの“たかが選手・・”といういつもの傲慢発言で選手とファンを敵に回しました。これをきっかけに来年は1リーグ10球団、数年後に1リーグ8球団に・・・というオーナー連中の陰謀でしたね。結局は古田選手会長の頑張りとそれを支持した選手とファンの勝利でした。

 何が何でも優勝しなければならなかったダイエーが妙なプレーオフで優勝を逃し、優勝したくなかった(オーナーが)西部が日本一になるというという皮肉な結果となりました。近鉄の消滅、楽天の新規参入、ダイエーが身売りという大変革の年となりました。あとは西部の買い手が見つからないだけです。

 私は子供の頃、阪神と同時に南海ホークスを応援していました。ダイエーに買収はショックでしたけど、福岡で人気が出るのならまあイイか・・という感じでした。東京へ戻ってからはロッテオリオンズを応援しました。こちらも千葉に移転でパリーグの観戦機会が少なくなり、少しずつ横浜大洋ホエールズを観戦することが多くなりました。そのころから逆指名だのフリーエージェントだの選手の主張と一部オーナーの利害が一致し、優秀な選手がセリーグ(特に読売)に集中し、プロ野球の魅力がなくなっていきました。

 読売と阪神以外はほとんど赤字だそうです。昔よりは観客動員は非常に増えたのに・・・。やはり放映権料と選手の年俸の高騰が大きな要因でしょうね。昔は、大阪球場は平日だと500人程度(発表は2千人)しか入りませんでした。川崎球場はもっと酷かった。川崎球場に行くと、いつも外野席の人数を数えます。十人前後ということがよくありました。内野応援席は300人前後で殆どが常連客(ファンクラブの無料入場)でした。ある日、雨の対日本ハム戦では数えたら80人ほどしかいなかった。その時の公式発表は確か700人だった。まあ、企業の接待用の年間席も集計しているのでしょうが、水増し発表してもこの程度の人気でした。それが今は、水増しはありますが、パリーグでもどの球団も100万人をはるかに超え、ダイエーは300万人突破です。なのにすべて赤字とはやはり仕組みがおかしいのでしょう。
 それにしてもいい加減に水増し発表はやめるべきです。特に東京ドームは酷いですよね。席は4万3千で立ち見を入れても4万5千人で満員です。なのに5万5千人(オープン当時は5万6千と発表してた)ですからね。理由はオープン当時の最大球場が甲子園の5万5千人でしたから、それより大きい印象を与えるためだそうです。観客席もグランドも甲子園より小さいのにね。

 今まで観戦したプロ野球で最も想い出に残っている試合があります。それは、1988年10月19日の川崎球場、ロッテ対近鉄最終戦ダブルヘッダーです。この試合で近鉄が2連勝すれば、奇跡の優勝となる試合でした。こんな状況は二度とないと思い、姉と二人で観戦に出かけました。川崎球場だといつもは試合開始時間に行くわけですけど、この日は混雑が予想されましたので早めに家を出ました。京浜川崎駅に到着した時異変に気づきました。いつもと人々の流れが逆なのです。いつもは駅に向かってくる人ばかりなのに、この日は川崎球場方面に行く人々で大混雑でした。駅から球場まで20分ほど歩くのですが、人の波が途切れることはありませんでした。ちょっと焦って、早足で球場に到着したときに驚きました。球場正面の駐車場にチケットを求める長蛇の列が何重にもあり、隣の競輪場まで人があふれています。ああ、ファンクラブで良かったと思いました。会員専用の入場口がありますから。長蛇の列を横目に会員専用窓口で無料招待券をもらってすぐに入場できました。球場に入ると、もうほぼ満員でした。なんとか3塁側上段に席を見つけて観戦することができました。まもなく満員札止めとなり、あふれた客が球場周辺のマンションや民家の屋根に上がって観戦するという異様な光景でした。
 「パ・リーグのいちばん長い日」として球史に残る激戦でしたので試合内容は古いファンなら知っていることと思います。第一試合は奇跡の勝利。第二試合は終盤で同点に追いつかれ時間切れ引き分けという辛い結果でした。あと一歩及びませんでしたが、これほど観客が盛り上った試合を見たのは初めてでした。

 ということで、時は流れて・・・ファンだった南海は身売し買収したダイエーも球団経営から身を引くことになり、ロッテは千葉に移転してチーム名も変わり、近鉄は消滅ですからね。想い出の川崎球場は解体され、アメフトの練習場になってますし。時代の流れとはいえ、なんだか切ない感じです。オリックス・バファローズだなんて名前でごまかそうとしてますけど、あれはバファローズじゃありませんから。
 そういえば、10.19の球史に残る熱戦をしてパリーグの優勝が決定したその日にオリックス(当時、オリエントリース)が阪急の買収を発表しましたからねえ。その無神経さにオリックスという会社は最初の心象が悪いです。ヤフーBBスタジアムという名称も私にとっては印象が悪いですし・・。いい加減に球団名に企業名を付けるのはやめてほしいですね。フランチャイズとして地域に根ざしたチームにすべきです。企業名が無いのは“横浜ベイスターズ”だけですから。
 とにかく2リーグ制維持で良かったです。楽天の球団経営に注目したいと思います。
 


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■オリンピック (2004年8月29日)

 アテネオリンピックが始まって早々に日本選手のメダルラッシュで盛り上がりました。日本ではこれまでで最高のメダル数を獲得しました。日本中が熱狂し寝不足の人も多かったようですね。特に日本のお家芸といわれていた柔道、体操、水泳の復活が目立ちました。私の場合は日本人だからといって特別日本を応援するわけではなく、世界のトップレベルの選手達の試合を観ることが楽しみなのです。でもテレビでは日本選手中心の放映しかしませんけど。まあ異常なほど高額な放映権料ですから視聴率が取れる場面しか放映しないのは仕方ないところですかね。でも、もっと世界中の国々の様子を観たかった。
 ガッカリしたのは野球ですね。あれだけ騒いで金メダル確実といわれていたのに。世界は甘くないですね。格下と思われていたオーストラリアに2回も負けてしまいました。でも日本球界でもお馴染みのオーストラリアのウィリアムス選手の活躍は素直に嬉しかったです。日本は国民全体が注目していたのに対し、オーストラリア国民は野球には全く関心がないというのが面白いですね。日本は精神面と作戦、それにプロ選手の派遣体制に課題が残りました。それは次につなげればよいのですが、「長嶋ジャパン」といわれるのには違和感がありました。現場にいないのに監督とは。病に倒れたのは気の毒でしたが、指揮をとることができない人物を監督として奉り続けるのはいかがなものかと。長嶋氏の3番のユニフォームや自筆の国旗に全選手が手をかざす場面は一種の宗教みたいです。周囲の人が異議を唱える雰囲気ではなかったのですから、本人が辞退すべきでしょう。長嶋氏のカリスマ性を利用して下手なドラマでも夢見たのでしょうか。実態は監督経験のない中畑氏が指揮を取ったわけです。よく頑張ったと思いますが、力不足は否めないでしょう。今回の敗因を分析して、次回こそ目標を達成してもらいたいと思います。

 残念なのは陸上競技では、相変わらずドーピング騒動が絶えないことです。全選手の事前事後の徹底した検査を強化すべきでしょう。特にハンマー投げのアヌシュ選手の態度は見苦しい限りです。スポーツマン以前に人間として問題があるでしょう。それと各競技の審判の技術の向上が進んでいないことです。前回は柔道の篠原選手が一本を決めながら審判が技を知らず、逆に相手にポイントを与えて負けてしまうというお粗末な判定がありました。今回は体操で低い得点に抗議する会場の人々のブーイングで点数を変更して上げてしまう前代未聞の行為がありました。ブーイングで妨害すれば得点がアップするという悪い前例をつくってしまいました。次回オリンピックは中国ですから、民衆が団結してブーイングの嵐が予想されます。

 あと、レスリングの笹本選手が気の毒でなりません。これは誤審ではなく、審判は正しくジャッジし、笹本選手の逆転勝利だったのですが、チェアマンが異議を唱え、相手選手にポイントを与えるという意味不明の判定を下しました。審判が明確にジャッジしたのに、何故ポイントが見えない位置にいたチャアマンが口出しするのでしょうか?しかも規則で抗議することができないのです。審判は絶対というのが理由なのですが、ならば選手が納得する公平な判断が下せる技術を身につけてほしいものです。気になるのは、不可解な判定は他にもいくつかありましたが、それが同じアメリカのチェアマンなんですよね。私もレスリング部員でしたから、普段の練習がどんなに地味で苦しいか知っております。頑張ってきた笹本選手のこの4年間をどうしてくれるのでしょうか。レスリングは欧米諸国ではメジャーなスポーツですが、日本ではマイナースポーツです。オリンピックの時しか一般国民に注目されません。日本では少ない競技人口にもかかわらず、今まで参加した12大会連続でメダルを取ってきました。今回の男子レスリングは不振でしたが、なんとかメダルの連続記録は守りました。そんな彼らの努力を台無しにしないように、公平で技術力のある審判団を望みます。明るい話題では、今大会から始まった女子レスリングで日本選手が全員メダルを獲得したことです。マスコミで取り上げられる場面も多くなり、それで少しでもレスリング人気につながることを期待します。

 次回は北京大会ですが、これが心配です。北朝鮮の脱北者や国内の少数民族に対する対応を見ればわかるように、中国は人権意識が低い国家です。オリンピックを開催するにはまだ成熟していないと思うのですが。それに異常なまでの反日教育をやってますから、日本の選手や応援団に危険が及ぶことが心配されます。先に行われたサッカーのアジアカップでは日本の国歌が流れたときの大ブーイング。あまりにも国際的な礼儀を知らない愚かな行為でした。そして試合に負けたら暴動を起こし、日本大使館の車を襲撃しました。日本の応援団は危険で競技場の外に出ることができず、2時間も待たされ、罵声を浴びせられながら帰っていきました。間違った教育を受けてきた中国国民が哀れにも思えました。それに対し、日本の応援団は我慢して係員の指示に従った大人の対応をしました。問題なのはそういった暴動を国内でテレビも新聞も一切報道しなかったことである。それどころか新聞では日本の勝利はインチキだという論調が占めていました。報道の自由がないことは恐ろしいことなのです。自由経済を取り入れながら、国家体制は従来のままというのは無理があるのは明白です。日本の小泉総理の言動がさらに拍車をかけていることは理解できますが、反発する矛先が間違っています。

 中国4千年の歴史といわれるように、かつての中国はアジアのリーダー的存在で周辺国は尊敬し貢物を持って交流を求めました。それが今では精神的に小人の国になってしまいました。先進工業国の援助や技術協力により中国は経済的には著しい発展をしているのですから、それに見合う国際的な倫理を身につけてほしいものです。それにいまだに日本の援助を受けていますが、オリンピックを開催するほどの経済力があるのですから、もう他国に援助する立場ではないのでしょうか。私も昔は、雄大な国として中国に憧れ、大学では中国哲文学を学び、中国語の専門学校にも通いました。色々あって今は中国政府に失望しています。2008年の開催は決定事項ですから仕方ありません。とにかく精神的にも大人の国になって、世界に誇れるオリンピックを開催するように望みます。

 
 

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■年金 (2004年6月20日)

 年金改革法案が強行採決されました。改革というより改悪であることは明白ですが。基本的には掛け金を上げて給付額を下げるというものです。現在の少子化と経済状況ではやむを得ない部分もあるでしょう。でも政府や役人が強調していた50%の給付水準確保だとか掛け金の固定とかはすべてウソでしたね。最も良いモデルケースでも需給開始数年後には40%台に低下します。現在30代の独身男性ですと29%だとか。しかもそれは希望的な出生率や経済成長率を基にした現実的でない数値で、もっと悪くなる可能性が高いでしょう。さっそく出生率1.29という都合の悪い数値が出ましたが、それは事前に知っていたにも関わらず、法案が通過するまで隠蔽していましたね。現在は国民の40%近くが未納だということはすでに破綻状態です。なのに本当のデータも開示せず、子供騙しの数値でごまかそうとする態度では未納者がさらに増えるでしょう。

 現在月額13300円の掛け金を13年連続値上げして13年後に16900円で固定するというのもごまかしでした。実際は賃金水準にしたがって掛け金も上昇します。13年後には2万円をはるかに超えるという数値が出ています。14年以降も値上がりし続けることも明らかになり、すぐに3万円を超えるという試算が出ています。なにを根拠に固定だと言ったのかというと、現在の賃金が永遠に上がらないと仮定しての話しだそうです。そんなありえない話しを前提にされてもねえ。総理も厚生労働大臣も経済状況に応じて掛け金も上昇するのは当然だと後になって開き直っています。小泉首相は当初100年安心の抜本改革だと自慢していましたが、すでにバレているウソを信じる国民がいるのでしょうか。

 年金制度を決める役人は有利な共済年金がありますし。国民に負担を押し付ける政治家には、おいしい議員年金がありますからね。批判がある議員年金は改善の方向でと言ってましたが、結局話題にも出さなかったそうです。国民年金の積立金は特殊法人がグリーンピアなど無駄な事業に使い放題ですし。グリーンピアは当時の厚生大臣の地元に建設し最初から赤字です。その後の建設地の多くも社会保険庁歴代長官の出身地だとか。その他年金関係の特殊法人の数は100余りあり、それぞれの特殊法人の幹部は国民に多大な損害を与えているにもかかわらず2千万円以上の報酬がいまだに支払われており、退職金も数千万円だとか。それらはすべて我々の年金を横取りしたものです。政治家の利権や天下り役人の飯の種に我々の年金資金が使われています。
また、社会保険庁の経費としても年金の積立金が流用されています。職員の宿舎、長官の交際費、幹部専用の高級公用車、職員の海外旅費、ゴルフ練習用具などに使い放題だそうです。大量の高級公用車は購入後、職員に格安で払い下げるようです。都心の一等地にある超豪華宿舎はタダ同然の家賃(相場の10分の1以下)で職員に提供されています。

 これらの体制をなんら改善することなく、国民だけに負担を強いる改悪を自民・公明が強行採決したのです。しかも野党の質問も打ち切って。その政治家どもの多くは国民年金を未納でした。年金改悪を強く推し進めていた公明党も神崎代表をはじめ3役そろって未納でしたね。それに対して党内の軽〜い処分で。いや処分とはいいませんね。実際は軽い注意程度の内容ですから。まあ公明党の場合は支持母体が宗教団体ですから国民の批判など関係ないのでしょう。年金のスペシャリストと称してテレビによく登場し、年金批判する者を見下した態度で屁理屈ならべていた熊代昭彦議員も未納でしたね。しかし、攻める側の野党議員も未納議員続出でうやむやになってしまいました。さらに批判していたマスコミ関係では有名なキャスターの多くが未納でした。

 とにかく面白いのは政治家もジャーナリストも他人を批判する前に、自分のことは何も考えないということですね。未納問題の発端は社会保険庁の国民年金のCMに出演したタレントの江角マキコが年金未加入であったことです。あのCMは不快でしたね。若者を集めて「年金もらえないなんて誰から聞いた?」「へ〜え、なんとなく・・」とバカにした態度のあと、「将来泣いてもいいわけ・・・年金は国民の義務・・・」と最後に脅す内容でした。役人の傲慢さがそのまま表れたCMでした。若者をたしなめる役のタレントが未加入だったのですからブラックジョークですかねえ。それに激しく怒っていた民主党の菅代表も未納期間があり大ひんしゅくでしたね。まあ菅さんの場合は完全な市役所のミスですから気の毒な面もありますが、他人を批判する前に自分のことを調べなかったのは落ち度でしょう。その菅代表を激しく非難していた田原総一朗も未納でした。まったくどいつもこいつもといったところであきれるより情けないですよね。きわめつけは小泉首相。こいつも未納ですが任意の時代がとか理屈いってますけど、それより勤務実態のない会社に厚生年金を払ってもらっていたというのが問題でしょう。これは形を変えた巧妙な不正献金ですね。それに対して「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです」とまた開き直ってしまいました。

 殆どすべての野党議員が年金記録を公表したのに、自民党の多くの議員はいまだに公表していません。個人情報だから公表する必要はない・・と言っていた福田官房長官も未納でしたね。公表しないのはやましいことがあるからと考えるのが普通でしょう。おそらく未納より勤務実態のない会社での厚生年金の加入がバレるのが怖いのでしょう。今後は年金の支払い状況を公表しない候補者には投票しないことです。

 人の噂も七十五日といわれるように、どんなに批判があろうと、どんな卑劣な手段を使おうと、法案を通してしまえばこっちのもの、国民もそのうち忘れるさ・・・というのが本音でしょう。本当に国民はバカにされていますが、事実そうですからね。どんなに怒っていても時間が経てば次の選挙でけしからんヤツらに投票するんですから。選挙の数ヶ月前に強行採決してしまえ・・直前はまずいから、その場合は先送りに・・・こういった感じで長年やってきて成功してますから。“この程度の国民にこの程度の議員”といわれるように、政治家を選んでいる国民が悪いのです。今度の参議院議員選挙を乗り切れば、しばらく国政選挙がありませんから。日本は民主主義国家ですから選挙で変えられるんですがねえ。自分達で選んでおいて文句をいう資格はないですね。

 私の場合は国民年金は20歳から払い続けています。20歳の時は学生でしたから収入がありません。だから母親が払っていました。学生や無職で収入がなくても払っている人がいるのに、政治家や独立したジャーナリストなど高収入な人に限って払ってません。それらの者は給付額の低い国民年金など全く関心がないのは当然でしょう。

 
また不可解なのは3号被保険者のいわゆるサラリーマンの妻です。それは年金を支払っていないのに夫が払ったことにするという制度です。理由は主婦の援助があってこそ夫の仕事が成り立っているからだそうです。だったらなぜ自営業者の妻には同じ権利がないのでしょうか? 一般的に自営業者の方がサラリーマンより経済的に苦しい場合が多いのに。奇妙な制度は廃止して全ての主婦(配偶者)も支払えばよいのです。無職の独身女性だって支払い義務があるわけですから。

 
国民年金だけで生活しなければならない者も多くいます。そんな大事な年金問題を、自分達だけ甘い汁を吸って、国民年金には関心の無い役人や政治家が勝手に決めてしまうのですから。もっと怒らないといけませんが、「決まったものはしゃあないなあ・・」というのがいままでの日本人の体質です。今度の選挙ではよく考えて投票していただきたいものです。

 
それにしても小泉首相の 「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです・・・」 というのは開き直る台詞としてはなかなかGOODですね。このフレーズはいろいろ応用できそうで個人的にはなかなか気に入りました。いつか使ってみようかな・・・と本気で思っている今日このごろです。

 



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■自衛隊イラク派遣 (2004年2月8日)

自衛隊本隊がやっとイラクに行きましたねえ。アメリカのイラク戦争を真っ先に支持した割には派遣するのはもたつきましたねえ。派遣か派兵かという言葉尻はどうでもよいわけで、要するに日本の軍隊が戦闘状態にある外国に行ったということです。
世論も賛成と反対に二分しているようです。賛成の理由はイラクのための国際貢献は必要とかアメリカとの友好関係が大事という意見が多いようです。反対の理由はテロが続発して危険だからとか憲法違反だからという意見などがあります。行く前は反対意見が多かったのに、先遣隊が破壊された小学校を訪問して子供の頭をナデナデする映像がニュースで流されると、イラク国民のためになるのなら国際貢献も必要・・・だから賛成という意見に変わる人が多かったようです。あんな子供だましみたいな映像でコロッと意見が変わる日本国民も浅はかですが。だいたい学校や病院を建設しに行くわけではありません。サマワという小さな地方都市で川の水を基地内で浄水してイラクの給水車に渡すだけの予定だそうです。水を配るのもイラク人の職員らしいです。そんなことでは何の役にも立ちません。現地で早急に必要なのは電力だそうです。電力が復旧すれば浄水場も稼動して水不足も解消するようですが。
本当に役に立ちたいのなら数万人規模の派遣が必要です。数百人派遣したところで何もできないでしょう。今回の自衛隊派遣はイラク国民のためではなく、イラク国土に日の丸をたてるのが最大の目的なのです。要するにブッシュ大統領に忠誠を誓うということに大きな意義(小泉政権の視点で)があるのです。

イラクの復興支援が必要なのは誰でもわかります。でも自衛隊派遣はそういう次元の話しではなく、自衛隊が行くことが憲法違反になることが問題なのです。どうしても自衛隊でなければならないというのなら、憲法を改正して堂々と行けばよろしい。憲法の解釈を都合のよい理屈に捻じ曲げて運用することが問題なのです。非戦闘地域の復興支援だから憲法上も問題がないという理屈だそうです。今のイラク国内で戦闘地域と非戦闘地域の区分など意味の無い理屈なのですが。

第9条を見れば、自衛隊の存在自体が憲法違反なのは小学生でも分かることです。憲法は国の根幹ですから遵守しなければなりません。憲法は国民が守るというより、権力者を規制するという役割りが大きいのです。なのに今の日本では憲法を権力者が自由自在に拡大解釈しているのです。その権力者(為政者)を選んでいるのは国民ですから、国民に最大の責任があります。
選挙で小泉政権を信任すれば、自衛隊がイラクに派遣されることはわかっていたはずです。日本は民主主義ですから、信任しておいて派遣には反対というのは可笑しな話しです。国民も選挙結果には責任を持ちましょう。これまでの言動で小泉首相は説明責任を果たさないというのは十分わかっているはずなのに国民は信任したのです。大儀の無い戦争を何の調査もせずに支持したのですから説明などできるはずもありません。アメリカがすることはすべて正しいといのが前提ですから。
国会答弁でも小泉首相は 「大量破壊兵器が見つからない・・・じゃあ、フセイン大統領が見つからないからといってフセイン大統領は存在しなかったというんですか?」・・・こんな屁理屈を繰り返してましたねえ。フセインは見つかっても大量破壊兵器は出てきませんねえ。すると今度は 「そもそも国連決議を無視して査察を受け入れなかったフセインが悪い」・・と開き直っています。それも違いますねえ。各国の努力によってフセイン大統領がやっと査察に協力し始めたんです。そのとたんにブッシュ大統領が査察を止めさせて先制攻撃をしたんです。国連を無視したのはブッシュ大統領の方ですね。そんな小泉首相の詭弁・屁理屈をいつまでも言わせている野党もだらしないですね。

日本国憲法は世界最古(改正されていない現有憲法という意味で)の憲法だそうです。侵略戦争をして敗戦した日本と同じような立場のドイツでは既に戦後50回以上も憲法改正しています。両国の違いは、ドイツは社会事情や国際情勢の変化に応じて常に改正を続けているのに対して、日本はその時々の状況で憲法を都合のよい方向に拡大解釈して騙し騙し運用しているということである。素晴らしい憲法を頑固に守っているのなら、世界最古といわれることに誇りを持てるのですが・・・。
憲法を守るなら自衛隊は廃止するのが筋です。自衛隊が必要なのであれば憲法を改正すべきです。日本では憲法改正を口にすることはタブーとする雰囲気があります。ちょっと改正を話題にすると、軍事大国化とか平和憲法を踏みにじるとかいう極論が出てきます。そういう人たちは自衛隊の存在をどう考えているのでしょうか。あれは軍隊じゃなくて警察だとでもいうのでしょうか。自衛隊だろうが日本国軍だろうが実際に軍隊なんだから呼び方はどうでもよいのです。半世紀たっていまだに曖昧な存在であることは異常でしょう。軍隊のない平和な社会が理想ですが、世界に不届き者国家が存在する以上は防衛も必要です。自国の防衛の為に軍隊を持つことは国際的に認められています。だから改正して日本国軍として防衛の任務につくべきです。もちろん他国を侵略しないことは永久に守らなければなりません。あとは十分に議論して、集団的自衛権と国際貢献をどのように行うか明確にすればよいのです。

ただ国際貢献というのがくせ者なのです。国際貢献しているつもりでも相手側から見れば侵略になるかもしれません。かつての日本がそうでしたから。大東亜共栄圏だの東洋平和だのアジアの解放だのという大儀で戦争してましたが、実態はただの侵略戦争でしたね。
イラクの復興支援といっても、独断で不必要な戦争を仕掛けた米国が事実上の統治をしています。イラク国民から見れば米国は侵略者です。大量破壊兵器という戦争の大儀もやはりウソでしたし。米国が統治しているところに派遣すれば米国と同類と見られても仕方ありません。
国際貢献は国連主導で行うべきです。もちろん国連が大国のエゴに牛耳られて、正常に機能していないのはわかります。でも一国の独断よりは国連決議に基づく方がまだましだと思います。いずれにしても相手国の立場を考慮しなければ国際貢献とはいえません。

それにしても自衛隊がオランダ軍に護衛されているシーンは国際的にも恥ずかしいことですね。オランダ軍はイラクの復興支援の為に派遣しているのであって、日本の自衛隊を守るためにいるのではありません。世界第二の経済大国の軍隊がよその国の軍隊に守ってもらうとは何という情けない光景でしょうか。非戦闘地域という建て前ですから攻撃はできないんですよね。でも自己防衛の為なら武器使用もできるんですよね。なのに自分の身も守れない軍隊って世界的にも珍しいのではないでしょうか。日本の自衛隊は世界でもトップクラスの装備と隊員数でありながら、このありさまでは有事の際に何の役にも立たないでしょう。
憲法改正してハッキリと位置付けをすべきです。憲法改正しないのなら現憲法をキッチリ守って自衛隊は廃止するのが筋です。まあ廃止は今の国際情勢では現実的ではないですね。とにかく中途半端やごまかしはダメです。

ブッシュ大統領はフセインを捕まえたんだから父親の仇討ちはできましたねえ。でもそのために罪の無い多くのイラク国民が犠牲になりました。イラク国民に米国に対するいっそうの憎しみを植え付けてしまいましたねえ。今後も新たなテロが続くことでしょう。
日本は平和国家として本当にイラク国民の為になる国際貢献をしてもらいたいです。イラクに早く平穏な日々が訪れることを願っております。

 



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■牛丼が消える? (2004年2月1日)

国内でBSEが発生して大騒ぎになりました。騒ぎに便乗して、雪印食品や日本ハムなどの大手企業が輸入肉を偽装して国の金を騙し取るという悪事をはたらき、食肉業界全体に不信感が漂いました。牛肉の全頭検査で何とか信頼回復してきました。そんな矢先、輸入先の米国でもBSEが発覚し、またまた騒動になってますね。輸入に頼っていた外食産業は深刻な事態になっているようです。大手チェーン店では牛丼をやめて、焼き鳥丼を導入するところも出てきました。そんな折、今度は鳥インフルエンザで鶏肉の輸入まで困難になってきました。

ということで、輸入牛肉の在庫が無くなり牛肉が食べられなくなるようですね。もちろん国産牛の牛丼ならありますが、国産牛肉は価格が高いですからねえ。牛丼の魅力はなんといっても、早い・安い・美味い ですから価格が高いと意味がないんですよね。高くて美味いのはあたりまえですから。だから牛丼専門店の吉野家はピンチになっていますね。私は吉野家の牛丼が大好きなんですよ。

牛丼屋は他にも“すき家”とか“松屋”とか色々ありますけど、それらは元々他のメニューもありましたからねえ。 すき家には時々カレーと牛皿を食べに行ってました。すき家のカレーは独特な味で結構牛皿と合うんですよ(個人的な好みの問題ですが)。 松*にはあのカエル事件以来行かないんです。食べ物商売ではいくら注意しても異物が混入することもあるでしょう。でも松*の場合はその後の対応が問題だったんですよね。誠意の無い対応で事件を穏便に済まそうとする姿勢が被害者の怒りを買ってネットで告発されたようですね。結局は企業側が顧問弁護士を前面に出して名誉毀損だの営業妨害で2千万の賠償だのと被害者に圧力をかけて、恐怖を感じた被害者が手を引いてしまったようですが。企業側としては一個人をひねりつぶしてやったつもりなのでしょうが、その対応は関係ない傍観者としても引いてしまいますね。カエル入りの牛メシを食べさせられて、事実を言ったら損害賠償で脅すなんて卑劣な企業とは関わりたくありませんので、松*には一生行かないと決めた次第です。大企業が個人を口封じして一件落着とするのは昔の話しです。今はネットの時代ですから対応を誤れば一部始終がたちまち全国へ知れてしまいますからねえ。事実を認めて誠意を持って謝罪すればなんてことなかったんですが。当時は東芝ビデオ事件とかがあったのに松*は学習能力がなかったんですかね。

吉野家は私が中学生の時に倒産しました。急激な店舗拡大で人材不足と効率優先による味の低下が原因だったようです。その後みごとに立ち直りましたから、倒産の原因を反省・研究して企業努力したのでしょう。いかに企業努力したかは興味はありません。私としては単に「早い・安い・美味い」が確立したからそれでイイんです。
高校時代は土曜日の放課後、友達と街に遊びに行く前によく吉野家で食べました。学生にとっては安いのが魅力ですから。
大学時代は昼食に学校近くの吉野家で食べることもよくありました。学食よりも安かったからです。最も想い出に残っているのは、4年次の教育実習の時、2週間毎日吉野家の牛丼を食べたことです。実習先は岡山市内の中学校でした。昼は給食ですが、夜は帰りが遅くなりますので、24時間営業の吉野家しか開いてなかったのです。当時コンビニは地方にはあまりありませんし、岡山って食堂も7時くらいには閉店してしまうんです。実習中はホテル住まいで、放課後翌日の授業の準備をして帰るのが10時過ぎでしたから。ホテルに帰ってから教材の作成やら研究で毎日徹夜でした。最後は5日連続徹夜でした。よく身体が持ちこたえたなあと自分でも感心しましたが、そのエネルギーの源は吉野家の牛丼でした。帰り道にある吉野家に立ち寄るとほっと一息つける思いでした。そこで“大盛りにたまご”というのが日課でした。毎日食べても飽きない味なのです。今でも吉野家の牛丼を食べると学生時代を思い出します。

そんな吉野家も何とかピンチを乗り切ろうとカレー丼、いくら丼、マーボー丼などの新メニューを導入したようです。でもメニューを増やせば効率は悪くなりコストもかかるから「早い」と「安い」が難しくなります。吉野家は牛丼専門がイイんです。吉野家で他の丼を食べようとは思いません。カレー丼やいくら丼なら他の店でも食べられますが、あの牛丼の味は吉野家じゃないと食べられないのですから。

米国が日本向けだけでも全頭検査すればとりあえず解決するのですが。今までの日本の態度は、米国がちょっと圧力かければすぐ妥協してしまいますからねえ。今度ばかりは農水省も妥協したら、日本の全頭検査の意味もなくなりますから、米国には毅然とした態度で交渉してほしいです。日本でBSEが発生した時、米国はすぐに日本の牛肉を輸入禁止にしました。輸入禁止措置は全頭検査を実施している現在も続いています。なのに自分のところで発生したら、ずさんな管理・検査体制も改善せず、日本に対して輸入禁止措置をヤメロというのはあまりに自分勝手な態度ですね。米国のワガママぶりはいまさら驚くことでもありませんが、いいなりになってきた日本にも責任があります。

BSEを気にしている国民がいる限りは少々オーバーな対応も仕方ないのでしょう。全頭検査の有効性は知りませんが、それで一応騒動が治まったのですから、精神的な効果はあったのでしょう。
とにかく国民も業者も納得する形で輸入再開するまで我慢するしかないようですね。今は駆け込みで牛丼食べに行く人が多いようです。でもそんなことしても意味ないですからねえ。吉野家を応援したい気持ちもありますが、消費者の立場としてはボランティアじゃありませんから、吉野家で牛丼以外のものを無理して食べようとは思いません。やっぱり吉野家は牛丼専門じゃないとねえ。我が青春の味“吉野家の牛丼”が復活することを願っております。吉野家さん、なんとか持ちこたえてくださいね。

 



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■成人式 (2004年1月15日)

先日の成人の日には全国各地で成人式が行われました。今年も予想通り、新成人の傍若無人な行為で式典が台無しにされた自治体が多かったようです。式典の最中にヤジを飛ばしたり、最前列で暴れまわったり、最後は壇上に上がってクラッカーを鳴らしたり垂れ幕を破ったり・・・会場外ではグループ同士が喧嘩したり道路を占拠して暴れ回る・・。そういったバカな成人を撮影しようとマスコミ各社が取材に行ったようだが、テレビカメラの前で期待通りのバカさを披露してくれた。マスコミ各社にお願いしたい。なぜモザイクで顔を隠すのか?成人になったのだから少年法の精神で保護する必要もあるまい。彼らもピースサインをしたりしてカメラに写ることを喜んでいるようだから、その素顔を全国に放映してほしいものだ。まあ、いくらモザイクをかけても地元の人々にはどこの誰だか分かるようで、それに告訴すると怒りの声明を出した市長のところへは暴れた者の一部が後日謝罪に行ったという。反省ならサルでもできる。ゴメンで済むなら警察はいらない。脅しではなく本当に告訴し、成人としての責任をとってもらうべきである。主催者や行政が毅然とした態度をとらないから、同じことが毎年繰り返されるのである。何をやっても“おとがめなし”では若者自身の今後のためにならない。

ニュースでコメンテーターが「ごく一部の成人が・・」と言っているが、はたしてそうだろうか。確かに壇上で暴れるのは一部であるが、それを見て笑ったり拍手をしている出席者が多いこと。一生に一度の成人式を台無しにされたと怒る成人の声は殆んど聞こえてこない。それどころか自分たちも友人との私語や会場内同士の携帯電話で、妨害目的のヤジに負けないくらい騒がしい。
なんでこんな者たちのために貴重な税金を使って祝ってやらなければならないのか。成人式など止めればよい。意味がないのなら成人の日自体を無くしてもよいだろう。

各自治体はいかに新成人に大人しく出席してもらうかに必死のようだ。若者に人気の芸能人を呼んだり、ゲーム大会を開催したり・・・しかし幼児の“お楽しみ会”じゃないんだから、何故そんなことしてまで成人のご機嫌をとらなければならないのか。政治家や行政の長の僅か30分程度の祝辞を聞くことが我慢できないらしい。幼稚園の子だって30分くらいは大人しく人の話しは聴くだろうに。
浦安市では毎年、新成人をディズニーラントに招待している。新成人のインタビューでは「浦安市民で幸せです・・」と言った声ばかりだ。子供じゃあるまいし、こんなこと企画する浦安市もどうかしているが、招待されて喜んでいる新成人も情けない。自分たちが幼児扱いされていることに気がついていないようである。

ちょうど今朝の朝日新聞の「声欄」に成人式に関する女子大生の投書があった。「工夫で防ごう成人式の騒動」と題して、自分が出席した成人式は素晴らしかったと書かれている。何が素晴らしいのかと読んでみると・・・クイズ、漫才、中学時代の校歌斉唱などなど、参加者が退屈しないプログラムになっていたとのこと。企画したのも同年代の友人で、地域の特性を生かした良いアイデアだと締めくくっている。自慢げに投書しているようだが、これも子供会のお楽しみ集会と勘違いしている典型ですね。成人の日に自分たちが幼児扱いされることに何の疑問も持たず素晴らしいと感じる感性に言葉もない。退屈するしないの問題ではなかろうに。成人に日に30分程度の祝辞を大人しく聞くことができないから、自分たちで考えたお楽しみ集会をする傾向が今後も増えるのでしょうね。

一昔前なら、“親の顔が見たい”という表現がよく聞かれたが、最近は親の顔を見たいとも思わない。見たところで子供と同じようなモノだから。躾されてない者が親や教師になっている時代だから、幼稚な成人が増えるのも仕方ないのでしょう。昔なら「お宅のバカ息子が・・」と言われて親が恥をかいたが、今は親も恥知らずですからどうしようもないですね。
学校でも自由や平等や個性を勘違いした教育が主流になり、国民の質の低下が加速しているようです。そういえば、以前「2分の1成人式」というのを拝見したことがある。これは小学4年生時に10歳を記念して学校行事として行われるもので、全国でも実施している小学校が結構あるらしい。校長先生のお話しの後、児童が将来の夢とかを発表するもので、厳粛に行儀よく行われていた。それが中学、高校、大学と教育を受けた結果、10歳の時よりはるかにバカな人間になってしまうのですね。


私が成人の日を迎えたのはもう18年前。私の世代も「最近の若者は・・」と言われ“新人類”という流行語まで生れたが、今ほど酷くはなかった。今は「最近の若者は・・」と言う方の世代になってしまったようで、それだけ歳をとったのでしょうね。
成人の日を想い出しても、私は成人式には出席しなかったし、記念品も貰っていない。私自身は昔から形式には拘らないし、かといって信念を持って式典に出席するしないを決意したわけでもない。祝ってくれるのなら祝ってもらうし、記念品をくれれば受け取りたいという性格です。出席しなかったのは、単にまともな会場が用意されていなかったからです。横浜市は当時すでに300万都市であり、新成人の数は数万人でした。それに対して2千人ほどしか収容できない会場しかなかったのです。午前と午後の2回あったようですが、とても足りる数ではありません。一応、市から招待状は来たが、「満員の際は入場できません」と書かれていた。実際に参加した多くの人は会場外で友人と雑談して帰っただけだという。大都市では行政が一人一人を大事に祝うということは物理的に困難なのでしょう。その点、田舎では大事にされます。100人の新成人に対して千人とか二千人の会場がありますから、無駄な公共事業の恩恵を受けることができます。記念品も手提げ袋いっぱい貰えます。

私は成人式には出席しませんでしたが、その代わりに家族がささやかなご馳走で祝ってくれました。どんな盛大な式典よりも有難いと想いました。そして成人になったなによりのプレゼントは選挙権です。まず3ヶ月後に横浜市長選挙がありました。初めて投票所で一票を投じ、成人の仲間入りをしたことを実感しました。この喜びは今でも覚えており、それ以来選挙は一度も棄権したことはありません。
  


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■住めば都 (2003年12月15日)

今月で横浜に住んで20年になります。それまで十数回引越しましたが長くて5年、短くて半年でした。我が家族は飽きっぽい性格なのでしょう。新天地に来て2〜3か月もすると次は何処に行く・・・?なんて相談してましたから。私と姉、そして母も基本的に都会が好きで、父は田舎が好きです。父は商船の船乗りで一緒に生活しませんから、家族で好きな所に住んでいたわけです。

そんな私も一度だけ田舎に住んだことがあります。岡山県の里庄町です。隣の笠岡市に親戚が居るというのが理由だったのですが、ここは田舎好きの父が休暇中に探した所です。人口8千人の小さな町ですが工業地帯を結ぶ国道が縦断していることで財政的には豊かな町です。
田圃を走り回ったり、池でフナを釣ったり、山でクワガタを採ったり・・・子供同士はそれなりに楽しく遊んでいたわけですが。近所づき合いはよそ者には難しいのです。地域の中に派閥があったり、妙な噂がすぐに広まったり・・・。
ある日、夏休みの宿題の作文で同級生の女の子が東京に遊びに行った思い出を読み上げたことがあった。「東京は空気が汚く、ゴミゴミして一日も住めない・・私は東京より緑豊かな里庄の方がいい・・」という内容だった。東京から来た自分にとっては、好きだった街を否定されて胸にグサリときた。でも彼女にとっては生まれ育った郷土を愛する気持ちを素直に表したのでしょう。みんなそれぞれ住み慣れた場所が落ち着くのでしょうから。

里庄では恐怖の思い出もあります。小学校4年生だった1975年秋頃、夕食時に窓のカーテンの隙間から激しい閃光が飛び込んできたのです。何事かと思い窓から外を眺めると・・・空全体が爆発したような光で青白く輝き、不気味に街の風景を照らしていたのです。ちょうど“ノストラダムスの大予言”が流行していた時期ですので地球の最期かあるいは水爆でも投下されたのかと全身に恐怖が走りました。数分するとその輝きが薄くなり山の向こうに消えて行きました。いったい何だったんだろうと疑問に思いながら食卓についた瞬間“ドカ〜ン”という大音響とともに地面が揺れ家中の窓ガラスがビシビシと鳴りました。何事なんだろう?水島か福山のコンビナートが爆発したのかも・・・と色々思いながらその夜は終わりました。翌日の新聞やニュースで原因がわかりました。どうやら笠岡沖の瀬戸内海に隕石が落下したらしいのです。その後、研究者らが探したようですが見つかりませんでした。衝突の際に砕け散ったのか塊のまま海底にめり込んでいるのか分かりませんが、どれくらいの大きさだったのか是非見てみたいものです。

たまには田舎暮らしも良いものですが、いま一つ馴染めませんでした。5年生になり、里庄での生活は一つの想い出として心に残し、また都会へと引越しました。

関西中心に都市部を転々とした後、高校2年で東京に戻りました。通学を第一に考えた場所は京浜蒲田駅のすぐ近くでした。京浜急行沿いの小さな家で周囲の環境は最悪です。南側がビルで日が全く当らない。1〜2分おきに電車が通り踏切の警報機は鳴りっぱなし・・振動と騒音でテレビの声も聞こえない。終電が通るのが午前1時すぎ、その後は始発まで保線作業が行われ、それがまたうるさい。そんな環境でも家に帰ると落ち着くのです。逆に静かな環境だと落ち着いて眠れないくらいに慣れました。住宅環境は最悪でも都会にはそれを上回る“便利さ”という魅力を感じていました。環境と便利さのどちらを優先するかは人それぞれでしょうが、遊び盛りの高校生にとっては都会の魅力の方がはるかに上回っていました。

私の家族ように気が向いた時に好きな所に住むというのは珍しい例でしょうね。ほとんどの人は引越しといえば、転勤などの家庭の事情でやむなくでしょうから。その場合、その土地に不満があっても我慢するしかないのです。そのような転勤族の人たちからも“住めば都”という言葉がよく聞かれます。慣れというか諦めというか・・・妥協せざるを得ないのだと思います。住んでみれば“まあ悪くもない”といった感じなのでしょうか。

子供にとっては引越しで一番問題になるのは転校でしょう。今までの友達と別れるのが辛い、新しい友達ができるか、クラスに溶け込めるか、いじめられはしないか・・・色々と不安になります。私の場合は転校も繰り返すと要領が判ってきて快感になりました。自分の過去を誰も知らないから人生をリセットして一からスタートできる気分になるのです。

住んでいる時は嫌なところとか不便な部分が目立ちますが、離れてみてその街の良い所が見えてくるものです。色々な街に住んでみて、どこも一長一短があるのは当然でしょう。全体的に言えるのは地方に行くほど学校の建物が立派なのです。学校以外にも地域交流会館だの青年文化会館だの青少年福祉センターだの・・・とにかく色々な名前を付けた箱物が多いこと、利用者は殆んどいないのに。道路にしても車が少ない地域まで立派な道路が完備されています。
一方、都会の学校は児童の急増期に突貫工事で建てられたような味気ない長方形の校舎。建設が追いつかずプレハブ校舎で授業したこともあった。市民がサークル活動しようと思ってもスペース確保が一苦労です。どこの施設も予約でいっぱいで抽選もなかなか当らない。通行量が多い道路も狭くて慢性渋滞・・・。
都会で吸い上げた税金を地方にバラ撒いてムダ使いしている実態がよく分かります。ムダな公共事業を止めろというと、すぐ地方の切捨てだとか、発展のための投資だという理屈を言う者がいる。道路や橋、建物を建てて見かけだけ東京のようにするのが発展だと勘違いしている地方自治体が多いようです。地元土建業者との持たれ合いの慣習もあるのでしょうが、見直す勇気はないのでしょうかね。地方にはそれぞれ違った良さがあります。政治家は全国どこも同じような街にしたいのでしょうか。


横浜に来てからもう20年、すっかり落ち着きました。私は社会人になったし父は定年退職したし、今までのように自由に引っ越すことができないのが理由ですが。
横浜といっても中心部から山の方の郊外ですから、来た当時は周囲に雑木林が多く残っていました。今はすっかり宅地開発されて典型的なベットタウンとなりました。田舎ではありませんが、都会といった雰囲気もなく、これといった特徴が無い街です。すべてが満足というわけではありませんが、慣れれば“まあイイか”といった感じです。これが住めば都という感覚でしょうかね。
 


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■テレビと視聴率 (2003年11月4日)

テレビ番組の質の低下が叫ばれるようになったのは今に始まったことではないが、最近の低俗ぶりは目に余るものがある。
先日、日本テレビ関係者が視聴率調査対象世帯を探偵社を使って割り出し金品で買収していたことが発覚した。フジテレビではバラエティ番組でダイエーの王監督の顔を便器に入れるコントを放映した。朝日放送では日本シリーズ独占中継を中断し延々とCMを流し続けそのまま尻切れドンボで終了した。どれも番組制作者のプロ意識の欠如であろう。

視聴率の買収は、視聴率競争が激しくなるなかで自分が制作した番組に自信が無いけど成績は上げたいという想いから安易に不正な手段を使用したのであろう。個人がやったことという発表だが、探偵社の調査費用だけでも500万円以上はかかっているらしい。とても個人で出せる金額ではない。日本テレビは知らなかったとしても、番組制作費の一部が流用されていた可能性が高い。日本テレビでは委員会を設置して調査するとのことなので自浄作用があることを期待したい。

フジテレビの件は、バラエティ番組は視聴者の需要があるのだからある程度の低俗さも結構だと思う。下品でも下ネタでもイイが、そういったことでしか笑いが取れない芸人もプロとして情けない。低俗な番組でも笑えるものと笑えないものがある。フジテレビのバラエティでは人権を侮辱することで笑いをとろうとする愚かさに番組関係者が誰も気がつかなかったというお粗末さだ。生放送ではないのだから何段階ものチェックを受けているはずで、それぞれの責任者が問題だと思わなかったのだろうか。プロデューサーをはじめディレクター、カメラマン等の制作スタッフ、演じる芸人・・・誰ひとり人権を意識するものがいなかったということだろう。視聴者も同様だったようだ。こういった人権侵害のバラエティを見て笑っている視聴者が多かったのだろう。事実番組放映直後にはさほどの苦情もなかったらしい。後日、番組内容を知った人々(番組自体は見ていない)から抗議が殺到したという。あまりの抗議の多さにテロップでお詫びの予定を番組冒頭にアナウンサーが15秒間謝罪した。だが番組自体は通常どおり続けるという認識の低さだった。翌週には乳児用の粉ミルクをぶち撒くというコントでまた抗議の電話が殺到した。フジテレビの体質と反省のカケラも無いことがよくわかった。低俗な番組は、それを見る視聴者もそれに応じた感覚しかないから、視聴者の程度に合わせればそこそこの視聴率はとれるのであろう。優良番組は視聴率がとりにくく、ふざけた番組ほど視聴率が高い傾向にあるのは事実ですが。はたしてそれでよいのだろうか。テレビは文化を供給するという社会的使命もあると思うのだか、最近はプロ意識を持った番組制作者はいないのでしょうかね。

朝日放送の日本シリーズ中継を中断した件は、残りのCM数を考慮せず後の番組を優先して延長時間を決定したため20分間延々とCMが流され、画面が戻ることなく次の番組が始まってしまった。これは単なる責任者の判断ミスだったようだ。その日はNHKのBS中継がないテレビ朝日系列の独占中継だったため、視聴者の怒りは収まらず電話も繋がらないほど抗議が殺到した。電話は繋がらないホームページはアクセスできない・・・だから流れたCMの企業(スポンサー)にも抗議が殺到したという。スポンサーとしては放送の不手際まで予期できないでしょうから気の毒な面もありますが、スポンサーになるからには番組内容の良し悪しによって企業イメージも変わるというリスクがあることをもっと考えるべきでしょう。

日テレ、フジ、朝日の一例をあげたが他局も決して誉められたものではない。TBSでは某殺人宗教集団に便宜を図り、弁護士一家殺害の一因にもなって非難されたことは記憶に新しい。その時、同局の番組で筑紫*也氏は「TBSは死んだ・・」と発言したが、ほとぼりがさめれば何事もなかったかのように現在もニュースキャスターを続けているし・・。NHKにしてもドキュメンタリーと称して度を越えた演出で“やらせ”と非難されることもしばしばだ。やらせといえばテレビ朝日も有名だし・・・。いずれにしても「個人が」とか「一部の部局」とか「下請けの制作会社が・・」といった言い訳は通用しない。プロ意識の欠如が不祥事を招くことにもなるようです。


最近特に気になるのがCMの入れ方だ。クイズ番組にしてもドキュメンタリーにしても結論が出る直前にお決まりのCM。そしてCMが終わればまた最初から同じVTRを流す・・・CMの間にチャンネルを変えさせないための古典的手段だが最近は特に酷い。なんだか視聴者として小バカにされたような感じがする。防衛手段としてはビデオに録画して同じ場面やCMを早送りにすればよい。そうしてみると1時間番組でも中身は30分にも満たない場合が多い。民放ではCMが入るのは当然だが、CMを入れるタイミングによっては逆効果だということに番組関係者は気づかないのだろうか。

現在はBSにCS、ケーブルテレビやスカイパーフェクTV等視聴者が視聴料を支払えば好きな分野の番組が楽しめる。視聴料を払えば、映画もドラマも途中でCMが入ることはない。今後さらに有料チャンネルの視聴者が増えてくるでしょう。だから民放各社も生き残りをかけて必死なのでしょうが、危機感があるなら視聴率競争するのではなく番組の中身で勝負してほしい。スポンサーも視聴率でのみ判断しないで、金を出すからには番組内容にも誇りを持ってほしいものだ。
 


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■18年ぶりの優勝  (2003年10月1日)

今年は阪神タイガースが歴史的な独走優勝をはたした。阪神ファンの私にとっては楽しい日々であった。実際に観戦に行った結果は、横浜スタジアム1勝3敗、神宮1勝4敗1分の合計2勝7敗1分とここ数年では最低の観戦結果であった。甲子園では大変な勝率であったが、内弁慶ぶりは相変わらずだったようです。まあ開幕早々の独走であったため、勝っても負けても楽しい気分で観戦できたので良かったのです。
あとは日本シリーズがありますが、私はあまり興味がありません。やはり140試合もあるペナントレースを勝ち抜くことのほうが価値があると考えます。日本シリーズはおまけのようなものとして楽しめばよいと思います。でも日本では日本シリーズのほうが重要視される傾向にあるようです。

ところで阪神ファンといえばマナーの悪さでも有名ですね。前回1985年に優勝した後の数年間は特に酷かったようです。グランドにメガホンやゴミを投げ入れて試合を中断させたり、球場内外で暴れたりと・・・阪神ファンとして恥ずかしいかぎりでした。しかし、今回の優勝ではかなり観戦マナーは良くなったように思います。負け試合でもグランドにメガホンが投げ入れられることは殆んどなくなりましたし、横浜で禁止されているジェット風船も横浜での最後の試合では良識あるファンの努力でなくなりましたし。今年はマナー違反がある度に星野監督がファンのマナーに対しても厳しい発言がありましたのでそれも効果があったのでしょう。今後は“監督に怒られたから”というのではなく、ファン自ら観戦マナー日本一を目指してもらいたいです。

リーグ優勝した時の関西の騒ぎぶりは相変わらずでしたね。道頓堀では5千人以上がドブ川に飛び込んだとか・・・行政側も一応自粛を呼びかけておきながら、事前に川を掃除したり・・・優勝時には丁寧に川の両岸に梯子をかけていました。これでは飛び込んでくださいといわんばかりですね。ハシケでも浮かべて物理的に飛び込めないようにしておけば済むことなのに。今回は死者まで出ました。まあ怪我しようが死のうが自己責任ですからどうでもイイですけど。
海外でまで騒ぐのはやめてもらいたいですね。ニューヨークや北京、ヨーロッパ各国で六甲おろしで行進なんかしてましたけど・・・日本人としてチョット恥ずかしいですね。ヤンキースが優勝したからといって東京で在日米国人が騒いだりしないでしょう。ましてやヨーロッパでは野球なんか全く関心がありませんから。セーヌ川にハッピ着て飛び込んでいるバカもおりましたし。
本当のファンはそんなことしませんが、優勝に便乗するにわかファンの方が目立ってしまうのが悲しいところです。

ファンであるならば、スポーツ選手はグランドでのプレーを応援すべきですね。試合後出口で待ち構えたり、移動する駅や空港、滞在するホテルまで押しかける者がおります。そのような者はファンではありません。選手にとっては大変な迷惑でしょう。サッカーのベッカム選手に対してもそうですが、グランド外でキャーキャー騒いだって選手は嬉しくないでしょう。

日本の野球応援の光景は特殊ですね。トランペットにあわせての一糸乱れぬ大合唱・・・
阪神の迫力ある応援が素晴らしいとか、応援をやりたくて球場に足を運ぶファンが多いのは事実のようです。でも個人的には応援団は好きではありません。私はゆっくりとプロの野球を観戦したいのです。私設応援団なるものが全観客を仕切って応援を強制するような今の状態はやめてもらいたいです。応援団も笛も太鼓もトランペットもいりません。アメリカのようにチャンスになれば自然に盛り上がり、怠慢プレーをすればブーイングが起こる、良いプレーには相手選手でも拍手をする・・・そのような環境で野球観戦を楽しみたいものです。だいたい最初から最後まで立ち上がって応援されると座って観れないですし、立ったとしても子供や背の低い老人は観えません。それに太鼓やトランペットでドンチャカやられると投球がキャッチャーミットに収まる音や打球音が全く聞こえません。野球選手の技術はかなり米国に追いついたようですが、観客の観戦や応援の仕方はまだまだ発展途上のようです。

それから今年はチケットの入手が非常に困難でした。人気チームが好調なのである程度は仕方がないとは思いますが。前回優勝した時には前売り券など買わなくても当日少し早めに行けば観戦できました。それが今回は数ヶ月前の前売り開始と同時にすべて完売状態でした。私はもう学生ではありませんので発売日に徹夜して並ぶようなことはできません。せいぜいネットの先行予約で抽選に当るのを期待するだけでした。今年は東京ドームに限っては一度も当りませんでした。
前回優勝と異なるのは個人でも利用できるインターネットの普及でしょうね。ダフ屋や金券ショップは昔からありましたから。発売と同時にネットオークションには阪神戦チケットが大量に出品されていました。それに目立ったのがチケットぴあの予約番号の売買です。一人で数百の予約番号が出品されていました。金儲けのために一部の者がチケットを独占し、ファンが定価の数倍の価格で買うというのは好ましいことではありません。チケット販売に関しては金儲けに利用されないような方法を考えてもらいたいものです。


とにかく18年ぶりの優勝は嬉しかったです。頑張った監督・コーチ・選手たちに感謝します。
でも現在私が大阪に住んでいないのが残念です。大阪から関東に移り住んだ阪神ファンとしては関西の盛り上がりがうらやましいです。関東では優勝記念グッズを買おうと思っても新宿の京王百貨店まで行かなくてはなりません。関東で唯一本格的な阪神応援セールをやっている京王百貨店には感謝します。私も家族で優勝セールに行ってきました。タイガースショップは長蛇の列で入場制限がされるほど盛況でした。
新宿は遠かったですけど、優勝で気持ちが豊かになりましたので帰りはチョット奮発して小田急のロマンスカーに乗って帰りました。これも阪神優勝の経済効果でしょうかね?

 


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■高校野球とプロ野球  (2003年8月25日)

今年も甲子園で高校野球が幕を閉じた。各都道府県代表が競い合うというところが日本人の故郷意識と結びついたのが人気の一つでしょうか。地方予選では30校程度の参加のところもあれば、我が神奈川のように毎年200校前後が参加するところもある。不公平ではないかという指摘もあるようだが、選挙ではないのだから参加校数に応じて定数を決めたのでは故郷意識が薄れてしまうだろう。

PL学園に代表されるような甲子園の常連校は都市部では圧倒的に私学が有利である。優秀な監督・コーチを揃え、全国から優秀な選手をスカウトし、専用の宿舎・グランドを持ち予算も豊富だから野球に専念できる。一方で、今年出場した東京都立雪谷高校は公立だから選手を特待生で招くことはできず、狭いグランドは他の運動部と共用、夕方には定時制が始まるからそれまでにグランドを片付けなければならなず、実質1時間半ほどしか練習できないという。私学が多い東京の激戦区を都立高校が勝ち抜いたのは快挙であった。甲子園に出場した都立としては3校目らしい。甲子園で都立校初の一勝が目標だったようだが、皮肉にも第一回戦でPL学園と当たってしまった。なんという運命かと思った人も多かったであろうが、これも高校野球ならではのことだろう。

私の通っていた高校も甲子園ではそこそこ名の知れた学校でした。私が高校2年の時、自分の高校が夏の甲子園に出場した。出場が決まった瞬間から校内では大騒ぎで、夏休み中のスケジュールはすべて野球部優先に変更された。全校生徒が甲子園に応援に行った。私は他のスポーツ部に所属していたので野球部ばかりチヤホヤするのは正直面白くはなかった。当時の我が部の予算は年間5万円だった。これでは消耗品の補充程度にしかならなかった。大会出場に旅費も自分持ち、合宿はもちろん自費。一方で野球部は基本予算が1200万円で甲子園出場時には増額されるし、OBや地域の人々がら寄付金も集まる。おまけに滞在先の旅館には地元農協から大量の米が贈られる。そして甲子園は全試合NHKで全国生中継される。同じように苦しい練習をしている他のスポーツ部員にしてみれば、この特別扱いは何なのだろうという気持ちにもなろう。でも今や高校野球は一種のビジネスとなっているのだからこれも仕方ないのでしょうかね。

甲子園で忘れられないのが'92年、高知県の明徳義塾が星稜高校の松井選手(現ヤンキース)に対し、大ブーイングのなか5連続敬遠をしたことだ。その作戦は成功して明徳は勝利を収めた。しかし勝利の校歌の時、松井を目当てに来場した満員のスタンドから明徳選手に“帰れコール”の大合唱が起こった。勝っても負けても暖かい拍手を贈る甲子園では前代未聞の出来事だった。試合後も宿舎、主催者の新聞社、連盟に抗議の電話が殺到し社会問題にもなった。敬遠も作戦のうちではあるが、度を越えたら観衆の目にはアンフェアに映るだろう。しかし選手は監督の命令に従うしかない。全責任は監督にある。しかし、高校生が全国的な非難の嵐に耐えられるはずはなく、次の試合では元気なく敗退してしまった。
その後も馬淵監督は続けているのだから学校側は監督の姿勢を支持したことになる。悪い意味で明徳の名を有名にしてしまった。ルール上問題はないのであるが釈然としないのも事実であった。一方の松井選手は敬遠にも腐ることなく立派な態度であったから、人物的にも評価を高めた。

もう10年になるが、当時の選手を追跡した番組も何度かみた。ある選手はやはり勝負をしたかったという。いまだに口を閉ざしているものもいる。社会人になった今も何か後ろめたい気持ちをもっているようだ。高校野球に純情・純白・清潔・青春などといった過度な期待をするのもいかがなものかと思うが、常軌を逸した勝利至上主義も考え物である。プロなら勝つことが第一であるが、高校野球は部活動であって教育活動の一環という面もある。
松井騒動から10年にして、昨年明徳義塾が優勝した。松井敬遠の時散々叩いたマスコミも今度は「馬淵監督男泣き・・」と誉め称えた。馬淵監督も松井敬遠については「一生の誇り」と正しい判断だったことを強調した。マスコミはその時々の気分で記事を書くが、私の気持ちの中では松井騒動と明徳の名は一生忘れないだろう。

この明徳義塾の一件で思い出したアニメ映画がある。ちばあきお原作の野球アニメ「キャプテン」である。野球の名門青葉学院の監督は勝つためには手段を選ばない鬼監督であった。ライバル校との試合で卑怯な手段を続行していた時、非難の声があがったのはスタンドに応援に来ていた自分の学校の生徒達だった。「みっともない真似はやめろ!それが青葉の野球か。堂々と勝負しろ・・」。選手も勝負をしたいが監督の命令は絶対である・・・勇気を出して「勝負させてください」と監督にうったえる。しかし監督は「勝ちたくないのか。俺の言うとおりにすればいいんだ」と一喝する。・・・しょんぼりとグランドに戻っていく選手の後姿をみて監督が選手を呼び戻した。そして「思いっきり勝負してこい!」と言い放った。その言葉に選手のモヤモヤした気持ちが一気に晴れて力一杯勝負に挑んだ。・・結果的に青葉は負けた。でも堂々と勝負をして負けたのだから気持ちはさわやかであった。
もちろんフィクションであるが馬淵監督や明徳義塾の学校関係者に観てもらいたい映画である。
 

プロ野球でもファンを無視した敬遠もあった。バース選手が本塁打54本で王の日本記録に1本と迫った時、対戦相手の巨人は最後まで敬遠で打たせなかった。その時の巨人の監督が王監督であった。敬遠の指示はしていないというが、指示しないからこそ巨人の投手陣は監督の顔色を伺いながら歩かせるしかなかったのだ。ここは監督自ら“勝負しろ”と明確に指示してほしかった。私は阪神ファンであったが、子どもの頃から王選手だけは尊敬していた。王選手がホームランを打つのを楽しみに見ていた。それがあのバース選手への敬遠で裏切られた思いであった。その時点で私の気持ちのなかでは日本記録55本の価値は全くなくなった。一昨年、今度は近鉄のローズ選手が55本打った時も、ダイエーの投手は歩かせてしまった。ダイエーの監督が王監督だったからだ。

明徳義塾の馬淵監督は目先の勝利のために選手たちに一生負い目に感じさせる辛い想いをさせた。プロ野球の王監督は自分の個人的な記録を守るためにファンの夢を奪った。これらの出来事の評価は賛否両論あり、私は他人の意見に反論するつもりはない。
どのスポーツにも共通のスポーツマンシップというものがある。ただルールさえ守ればよいというものではない。当然、相手選手にも敬意を示さなければならないでしょう。
「負けて悔い無し」という言葉はマスコミが勝手に言っているだけでしょうけど。スポーツをやっていた人には分かると思うが、負ければ多かれ少なかれ悔いは残る。しかし、勝って悔いが残るような試合はしたくないものである。


追伸・・・高校野球が終わって、追い出されていた阪神タイガースも甲子園に戻ってくる。長期ロードで阪神はズッコケて惨々な成績であった。それでも前半の貯金がものをいって優勝の行方には影響はないようですが。地元に戻ってタイガースが元気を取り戻すことを期待しています。9月の神宮球場には家族で応援に行きます。残り少なくなったペナントレースですが、どのチームも良いプレーをみせてくださいね。
 


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■増え続ける少年犯罪  (2003年7月29日)

またも少年による殺人事件が続発している。長崎では中学1年生の少年が幼児をビルの屋上から突き落として殺害した。同じころ沖縄では中学生が同級生を集団リンチで殺害して埋めた。世間やマスコミでは12歳の犯行に衝撃を受けたという話題でもちきりである。私の感想は、まったく衝撃など受けない、「またか・・」といった程度だ。むしろ衝撃を受けたと騒いでいること自体に違和感をおぼえる。確かに少年による事件は増加傾向であるが、昔から少年の凶悪事件は続いているわけで、マスコミに大きく取り上げられていないだけだ。小学生の強盗殺人事件もあったわけだし。凶悪事件の過半数は少年だという。

それより憤りを感じるのは少年法によって、加害者が手厚く保護されることだ。被害者は人生を絶たれたうえに、親族までも名前や顔写真、生い立ちや経歴などすべてが晒し者のように公開されてしまう。それに対して加害者は「人権だ保護だ」といって国家が過保護なまでに守ってくれる。人を殺しても、施設に入って1年程度で出てくることも多いらしい。さらに今回のように14歳未満だと罪自体が無いのだ。人を殺しても何の罪にも問われない。被害者の両親が「一生かけて償ってほしい」という手記を公表したが、法律で償わなくてイイといっているのだ、というか罪自体が存在しないのだ。こんなおかしな話しはないでしょう。分別がつかない年齢だからという解釈らしいが・・・中学生にもなって善悪の判断がつかないことはないでしょう。人の物を盗んではいけないとか人を殺してはいけないことぐらいは幼稚園の子でも知っています。
少年法の年齢を下げたり、厳罰を科しても少年犯罪は減らないから法改正には反対だという意見も多いようだ。しかし、犯罪が減らないからといって罪に問わなくても良いという理由にはならない。少年犯罪が減ろうが増えようが、やったことに対しては責任を負うべきでしょう。

社会が悪いとか家庭環境に要因があるとか学校教育がどうとかテレビゲームの影響だとか・・・必ずこういうことをいう評論家が出てくる。確かに社会も良いとはいえません。しかし、どんな理屈を並べようと本人が悪いに決まっている。社会が家庭が学校が・・という責任をボカして転嫁するのはやめてもらいたいです。

それから、現在はインターネットの時代です。いくら情報を非公開にしても、近所の人や同じ学校の生徒たちは犯人の少年の顔も名前も住所も知っているのです。昔なら地元だけの噂にとどまったのでしょうが、現在はすぐにネットに情報が流出し、世界中に公開されることになります。法務省は少年情報の削除に必死のようですが、一度ネットに流れた情報を回収することは不可能です。真実も噂もイタズラも区別なくネットに流されていますから、今回の事件でも関係のない生徒の名前や顔写真が複数出回っています。人権だの保護だのといって非公開にすることで、むしろ無秩序に人権が侵害される結果になっています。こういう状況ですから、正確な情報を国家の責任として公開したほうがよいでしょう。


犯罪は次第にエスカレートしていくのが常ですから、小さいうちに厳しく取り締まるべきです。ニューヨークでは、落書きや無賃乗車といった微罪を徹底的に取り締まることで凶悪犯罪も減り治安を大幅に改善したという。日本では街の落書きも暴走族も野放し状態である。通報しても調査すらしないし・・・警察の怠慢といってもよいでしょう。それから、高校生の喫煙も野放し状態です。昔は少しは隠れて吸っていたようですが、最近は駅や市街地で制服姿のまま堂々と吸っている。未成年に販売するメーカーや店も悪いが警察が取り締まらないのが問題だ。一般の人が注意して逆ギレされてナイフで刺されたり殴られたという事件も多い。だから、警察が率先して小さな犯罪から徹底的に取り締まるべきです。

マスコミの一貫性の無さも気になりました。長崎の事件では商店街の防犯カメラが犯人特定に役立ちました。ワイドショーでも最新防犯カメラの現状を紹介し、カメラの設置が増えることで治安の維持に大きな効果が期待できるという好意的な見解でした。しかし、同じワイドショーでほんの数ヶ月前にも防犯カメラについて取り上げていました。その時は、我々の知らないうちに街中の防犯カメラが増え続けており・・・我々のプラーバシーが侵害されている・・という主旨で取材していました。数ヶ月前には疑問を投げかけていたのに今回は「良いことだ」という論調には違和感をおぼえます・・そのことをどのコメンテーターも指摘しないし・・。
中学1年生が担任の女性教師を校内でナイフで刺し殺した事件の時もそうでした。マスコミから、なぜ生徒の持ち物検査をしていなかったのか・・という意見が多く出ました。これも80年代に校内暴力が流行った頃、マスコミは管理教育を批判して「持ち物検査は人権侵害だ」といって学校や教師を徹底的に糾弾しました。その結果、教師は生徒に対して何もできなくなったのです。そういう経緯を忘れて、今度は「持ち物検査をしなかったのは怠慢だ」といったことを言うのはほんとうに無責任です。

とにかく子供を甘やかすことはやめましょう。昔はどこの近所にも「カミナリおやじ」というのがいて、よその子でも怒鳴りまくってましたが・・そういう光景が懐かしく想えます。私なんかはスーパー等で騒いでいる子供を見ると親の位置を確認して親に聞こえるように怒鳴ります。まあ、最近は親自身も躾がされなくて育ってますから、反省する親は皆無ですが。
 


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■2003プロ野球ペナントレース  (2003年6月23日)

’03年プロ野球ペナントレースは開幕直後から阪神タイガースが絶好調だ。私は地元チームとして横浜ベイスターズを応援しており'98年の優勝時には楽しませていただいた。しかし、今年のベイスターズは不調で惨憺たる状況だ。山下新監督も選手も精一杯やっているとは思うが、采配以前に、やはり戦力不足は否めない。なによりオーナー(TBS)のやる気が全く感じられない。優勝した年は横浜スタジアムは連日満員で、ナイトゲームに始発電車で出かけて入場列に並んだものだ。それが今は、巨人と阪神以外の試合ではガラガラだ。それはそれで、何時でもビアガーデン感覚で出かけて観戦できるというメリットもあるのだが、もう少し勝率上げてくれないと・・・。ベイスターズが優勝するには、また40年近くかかるのでしょうか。一生の内もう一度くらいは見れるのかな?まあ、地元としては横浜に居てくれるだけでもありがたいのですが。

ところで、関西育ちの私は子供の頃からタイガースファンである。関東に来てからもやはり阪神のことが毎年気になる。物心ついた頃は巨人のV9期で、いつも弱い阪神ばかり見てきた。初めて阪神の優勝を見たのが横浜引っ越してからの1985年である。その年は嬉しくて、阪神が横浜スタジアムや神宮球場に来たときは必ず応援に行ったものだ。そのとき二十歳だった私も今は38歳だ。もう18年も経っているのですね。今年はいまのところ独走状態で、他チームファンからは「もう決まったでしょ」と言われるが、阪神ファンとして今までが今までですから、まだまだ心配だ。信じてはいるものの、またずっこけるのではないかとビクビクしているのも事実です。これは何十年も応援している阪神ファンにしか解らない心理でしょう。
今年の阪神は前回の優勝時よりも強い感じがする。星野監督はその性格から攻撃野球と思われがちであるが、采配そのものは非常にオーソドックスで平凡な野球だ。それよりも選手の心理を読み取り、気持ちを引き締めるのが優れている監督のようです。広島時代の古葉監督は成績優秀であったのに、バントで送って1点差で逃げ切るような野球ではファンが盛り上がらないと言われ、好調なのに観客数が伸びなかった面もあった。その点阪神ファンは、どういう形であれ、勝てば喜ぶので、星野監督は阪神というチームに合っているのでしょう。

大阪は毎日盛り上がっていることでしょう。普通は独走状態になるとしらけてしまうのだが、阪神の場合は違う。18年ぶりという希少価値もあり、優勝する前から大騒ぎだ。そんな阪神ファンをバカだのキチガイだのという人も多いようだが、関西の文化でもあるので大目に見てやってください。

それにしてもテレビやマスコミは(巨人の)メイクドラマだのミラクル・メイク・アゲインだのと的外れな話題がウザイですね。今年は阪神の好調の方が話題性が高いのだから世間の空気を読み取った報道をしてほしいものだ。毎年毎年、消化試合になっても巨人ばかり放映し、関東ではラジオ局もすべて巨人ばかり実況中継する。開幕前に1年間の放映権を取っており中途解約できない事情もあろうが、ペナントレース展開による視聴者の需要も考慮してほしいものだ。事実、巨人戦の視聴率がガタ落ちで高い放映権料でスポンサーも元が取れないと嘆いているらしい。一方で阪神戦の視聴率は好調で、営業的に阪神の放映を検討しているテレビ局も多いという。

関東に引っ越してからはABC朝日放送やサンテレビを視聴できなくなったのが寂しいです。毎朝、ラジオの「おはようパーソナリティ」を聞いて学校に行くのが日課でしたから。道上洋三さんは元気にしているのかな。
今週末には横浜スタジアムで試合があるので応援に行きます。今年こそは本当に・・・秋には喜ばしてください。


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■天寿を全うした我が家のお姫様 (2003年5月8日)

5月6日、我が家の愛猫フーちゃんが永眠した。
横浜に引っ越してきてまもなく自宅前にスーパーのビニール袋に入れられて捨てられていた。中にはオシッコでビショビショに濡れた2匹の子猫が入っていた。
オスは「チョン」、メスは「フー」と名づけた。それ以来我が家は猫中心の生活になった。猫は幸福をもたらすといわれるが、我が家でも、傍らに猫がいるだけで家族が笑顔になった。食事中も勉強中もテレビを見ている時も何時もひざの上に猫を抱いていた。外出して戻ってくると必ず玄関で待ってくれていた。ほんとうに楽しい毎日であった。10年後にオスの野良猫「ヌー」も加わり、3匹の猫が家の中を走り回るにぎやかな状態になった。

チョンちゃんが16歳で腎不全で他界した。寂しくはなったが、その後はフーちゃんが以前に増して私に甘えるようになり、楽しい日々は続いていた。私も悔いが残らないように思いっきり可愛がった。しかし、フーちゃんも高齢で次第に体力が衰えていった。今年に入り腎臓と肝臓の機能が低下し、週に2〜3回動物病院に通う日々が続いた。延命措置でなんとか頑張っていたが、5月に入って状態が急速に悪化した。そして家族が見守るなか眠るように天国へ旅立って行きました。19歳2ヶ月の長寿でした。今ごろ天国でチョンちゃんと会っているかな。

やるだけのことはやったと思って悔いはありませんが、何時も当たり前のように傍にいた猫がいなくなると本当に寂しいものです。今は元気だった頃の想い出が次から次へとよみがえってきます。20年近く、楽しい想い出を残してくれ、家族を幸せにしてくれたフーちゃんに感謝の気持ちでいっぱいです。考えてみても20年は長い歳月ですね。猫を拾った時、私は18歳の高校生でした。それが来月には38歳になるのですから。

近いうち気晴らしに家族で旅行でもしてみようかと思っています。今まで猫達がいたので家族全員で旅行したことがありませんでしたから。


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■統一地方選挙を終えて  (2003年4月14日)
私の住む神奈川県でも4月13日に知事選・県議選・市議選の投票が行われ、松沢成文氏が新しい知事として選出されました。

私の家は区界にあり、しかも道の片側が雑木林なので今までは選挙カーが来ることはあまりなかったのですが、家の前に市営団地が完成したことで各候補とも頻繁に訪れたり車を止めて演説を始めたりとたいへん賑やかでした。あいかわらず看板付けた選挙カーで「よろしくお願いします」の連呼はうるさいので21世紀に相応しい別の方法を考えてほしいのですが、思想の違う各候補が自由に自分の主張をするのも民主国家ならではの選挙光景だからこれもいいのかな・・・と思ったりもします。

知事選に限っては前回までは各党相乗り候補VS泡沫候補という無風選挙でしたが、今回は史上最多の7人立候補で選択の幅が広がった点は良かったと思います。松沢氏が知事になったことで中田横浜市長と県知事との風通しが良くなり、神奈川県も横浜市も若い指導者のもとにスムーズな行財政改革が期待できます。

それにしても腹が立ったのは田嶋陽子氏の立候補でした。もちろん何処の誰が立候補しても自由なわけで、気に入らなければその候補に投票しなければよいだけですが。いくら知名度があっても、やはり県民の一人として神奈川県の状況について知りもしない者に投票する気にはなれません。立候補した動機も「国政では自分の思うようにできなかった・・知事は大統領だから・・やってみたいじゃん・・・」だと。なぜ神奈川かという疑問にも納得いく回答はありませんでした。要するに東京では石原氏には勝ち目が無いから・・それなら神奈川なら・・というのが本音でしょう。なんだか神奈川県民としてバカにされた感じで非常に不愉快でした。中田横浜市長も田嶋氏の立候補について「遊びじゃないんだから」と一蹴してましたが、私もまったく同感です。私は遊びで神奈川県に在住しているわけではありません。神奈川に生活基盤を置き、県の将来を真剣に心配しております。愛する神奈川を選挙ごっこに利用しないでもらいたいです。
彼女は社民党の看板で参院に当選しておきながら、北朝鮮問題で社民党が批判されると、「知らなかったもん・・」でさっさと離党しましね。名の知れた大学の教授でありながら知らない党から立候補する自体が無責任ですが。そして今度は参院の任期を4年も残して県知事選とは・・彼女の名前で投票した有権者にも失礼な話しですね。気まぐれで一貫性がないのも彼女の個性なのでしょうが・・。

田嶋氏の結果は善戦どころか第4位の惨敗でした。泡沫候補が3名ほどおりましたので実質最下位でしょう。神奈川県民は良識ある選択をしたと県民の一人として誇りに思いました。県議時代からの実績と県勢を熟知している松沢氏を県民が選択したことは間違いではないと信じております。
敗戦の弁の最後に松沢新知事に一言では、各候補とも一応は「県民のために頑張って下さい」という旨のエールをおくっていたのに、田嶋陽子氏だけが「松沢氏は女性蔑視だの・・考え方が古くて心配だの・・」と悪口をいう場面は見苦しかったです。そしてまたどこかの首長に立候補するとのこと。やはり神奈川でなくても何処でもよかったわけですね。県民のために立候補したのではなく、自分の欲望を満たすためだということは明らかですが。まあどこでも立候補は自由ですから。

もうひとつ気になったのが投票率の低さです。前回より上がったとはいえ50%に満たない数字でした。私が二十歳になった時、一番嬉しかったのが選挙権です。私はいわゆる無党派層ですが、今まで一度も棄権したことはありません。日本は平等な権利で自分の意思で投票することができますが、世界には自由に意思を表明できなかったり選挙権自体がない国家もあるのです。民主主義の証でもある選挙権を有権者の半数以上が放棄しているのですから、なんだかもったいない話しですね。


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■愚かな戦争  (2003年4月10日)
 
米英によるイラクへの武力攻撃が開始されて憂鬱な日々が続いている。21世紀になっても人類は愚かな行為を繰り返している。一般にはイラク戦争と呼んでいるが、今回は戦争ではなく米国と英国による一方的な武力攻撃でしょう。世界の多くが武力行使は時期尚早と主張しているし、イラクのフセイン政権自体も戦争は望んでいなかったのだから。国連決議を守らなかったフセイン政権が悪いというが、それなら国連を無視して独断で武力行使したアメリカとイギリスも同罪ではないのか。
前回の湾岸戦争のようなやむを得ない戦争もあるでしょう。しかし、今回のイラク攻撃は正当な理由がなにもないのです。大量破壊兵器も見つかっていないし、9・11のテロはイラクとは関係ないのに無理やりテロと結びつける主張も無理があります。世界の多くの意見は、決してフセイン政権を支持しているのではなく、査察を継続して話し合いでの解決に向けて努力するというものでした。フセイン政権がやっと査察に協力する姿勢を見せ始め、話し合いによる解決の可能性がみえてきたというのに。一切の話し合いをする気がなかったのはブッシュ大統領で、戦争するという結論が先にあったのでしょう。父親の敵討ちか、ビンラディンに逃げられた腹いせか、石油利権か・・・とにかくブッシュ大統領は狂っています。

軍事施設だけを狙ったピンポイント攻撃だと言ってましたが、実際には多くの住宅地・学校・病院などが攻撃されました。これは誤爆という次元ではなく明らかな無差別攻撃です。米英のメディアは都合の良い部分しか報道せず、民間人の被害について一切公表しません。アメリカにとって都合の悪い部分を報道していた外国のメディアをアメリカ軍が攻撃しました。戦争反対をうったえたアメリカの少女は高校を退学処分にされたそうです。アメリカこそ恐怖の独裁国家ではないのか。
イラクで取材した日本のフリージャーナリストの報告をニュースステーションで見ました。民兵狩りと称して米英軍が民家に押し入り家族を引きずり出し、泣き叫ぶ子どもに銃口を突きつけ、抗議する主人に暴行を加える映像に怒りが込み上げてきました。正義の名のもとにこういう行為が各地で行われていたのです。バスに乗っていて問答無用で射殺された女性・子供もおりました。ブッシュ大統領にとってアラブの人々の命など何とも思っていないようです。民衆を殺害して何がイラク国民の解放でしょうか。

まあ、戦争によってアメリカの軍事産業が潤い、破壊したイラク国土の復興と称してアメリカのゼネコンが儲かる仕組みなのは容易に理解できますが。開戦早々にアメリカの建設会社が復興に関する契約をしたようで、その会社は副大統領の関係会社だとか。アメリカの利益のためには人間の命などどうでもよいのでしょうね。


それにまたまた情けないのが日本の対応ですね。世界の殆どの国が反対しているのに日本の小泉首相は無条件でアメリカを全面支持しました。政府関係者も有識者と称する者も日本の国益を考えてのことだそうです。国益とは何でしょう。要するに今後北朝鮮の拉致問題でアメリカにお世話にならなければならないから、今アメリカの機嫌を損ねたくないということのようです。日本政府の対応を支持する国民の意見もその多くが「北朝鮮問題があるから・・」ということですが、それって次元の違う話しではないですか。拉致問題は日本と北朝鮮の二国間の問題なのに、それを日本の力で解決できないというのも情けない話ですね。アメリカを支持したことで今後は日本もテロの標的になる可能性が大きくなりました。親日派が多かったアラブの人々も日本に対する感情が悪くなったと思われます。むしろその方が国益に反するでしょう。

日本は世界の笑いものです。世界中が武力行使やむなしとした前回の湾岸戦争の時、日本は煮え切らない態度で“平和ボケ”と言われ世界からヒンシュクをかいました。今回は国連や世界中の戦争反対という世論を無視したアメリカを明確に支持するというピント外れな対応で

英国のブレア首相はブッシュの飼い犬と言われてますが、犬ならたまには吠えることもあるでしょう。日本の小泉首相は“金魚のフン”でしょうね。アメリカを友好国と思っているのならば、間違いは正さなければなりませんが、アメリカが何をやっても支持しますでは・・・これでは日本は本当にアメリカの植民地ですね。アメリカの利権のために破壊したイラク国土の巨額な復興費用の多くを日本が支払うことになるでしょう。

とにかく武力行使は最終手段であって今回は当てはまらないのは明らかです。正義の戦争なんてありません。いつも傷つくのは何の罪もない弱い立場の民衆・女性・子供たちです。アメリカは国連より偉く、アメリカのすることはすべて正しいと誰が決めたのでしょうか。国連はアメリカにこそ制裁を加えなければならないのに、怖くて誰も言えないようです。
ある親米派の大統領が、フセインを倒したとしても、それは新たに100人のビンラディンを生むことになると忠告したそうです。まったく同感です。一方的な武力攻撃では憎しみしか生まれないのです。世界中を不幸に陥れるブッシュ大統領の愚行を決して忘れてはなりません。自国の軍事力を自慢するのではなく、人間としてのやさしい気持ちをもったアメリカ人もいることを信じています。


不条理な戦争で命を落とした多くのイラク国民に哀悼の意をささげるとともに、イラク国民に一刻も早く平穏な日々が訪れることを願っております。


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