丹沢山塊

桧洞丸方面から大室山(奧)

(3 大室山・加入道山

 大室山は大きい。丹沢主稜にある姫次という場所の西隣に袖平山というピークがあり、その直下の山道からはずっしりとわだかまっているこの山の姿を真正面に眺められる。その量感たるや、わずか1,500メートルを抜くだけの低山とは思えない。空から巨大な山のかたまりが落ちてきて、大地の上にぼってりと鎮座した、そんな感じの山容だ。この山は眺めるには申し分ない。だが4年前に実行した山行そのものは、振り返ってみるとかなり間抜けな感じがする。


 大室山へは丹沢湖の奧の西丹沢自然教室が表口ということになるだろう。ここから中川川という冗長な感じのする名前の川に沿って車道を北上する。車道から見下ろす川縁には整地されたオートキャンプ場が並んでいる。整地中のもあって、かえって荒れた感じもする。20分も歩くと用木沢という沢が右から合流してくる地点に着く。その沢に沿う道に入り込み、砂防ダムを過ぎてしばらく行くと、流れを右に左に渡りながら広い河原の中を行ってから右岸に付けられた道を辿るようになる。道が細く暗く急になってくると、犬越路と名付けられた峠に着く。武田信玄が小田原北条氏勢を攻めるために犬を引き連れて越えたという伝説があるが、どうもこれは後世の作り話らしい。
 ここから左に稜線を辿り、丁字路になったところを右に少々で大室山だが、「急な山道だった」ということと、やたら脚の速い年上の夫婦に軽々と追い抜かれたという記憶しかないのだった。着いた山頂も印象にない。これはどうしたことか。この山を描写した紀行文には必ずブナの林が壮観である旨が書かれているが、ほとんど覚えていない。山頂近くには林床にバイケイソウが群をなしているらしいが、最近行った蛭ヶ岳でも桧洞丸でもバイケイソウは見られたのでこちらの方は思い出せるが、大室山は思い出せない。これではまるで記録にならない。大室山を登ったころの自分は、山に行っても写真を意図して撮らず、山頂も踏めばよいとしか考えていなかった。つまり「その山に行った」という事実さえ残ればよいと考えていた。その結果、ほとんど何も残っていないことになったのだろう。
 仕方ないので実業之日本社から出ている浅野孝一氏の『樹林の山旅』に助けを求める。これによると大室山の山頂はブナの木々に囲まれていて展望皆無、とある。私が行ったときはさらにこの山頂に何人か休んでいたので、腰を下ろす気にならずさっさと下山したのだったと思う。ただ、犬越路からの道が合わさるところ付近では桧洞丸方面の眺めが良く、しばらく休憩。カメラを持ってきていないので、手帳を取りだして風景を簡単に線描した。
 次いで隣の加入道山に向かった。ここも山道が木々に挟まれた細長い山頂の真ん中を通っているだけの眺めのないところで、しかも大室山同様に人が多く、5分ほど歩を止めただけで通過した。この下りでも記憶は曖昧で、加えて記録まで怪しい。手帳に「加入道の下りにて」とメモ書きした上で形のよい山をスケッチしているのだが、どう考えても正面に見えているはずの畦ヶ丸を描いているはずなのに、遥か離れた山である「コモツルシ」の名前を当てている。畦ヶ丸と菰釣山の区別が付いていなかったとしか思えない。


 加入道山頂直下の稜線から道志側に向かう道がある。西丹沢に向かうと終バスに間に合わない恐れがあるので、こちらに下りだしてものの30分もたたないうちにあずまやが立つ林道に出た。あたりは開けていて、もう里の雰囲気である。さらに一時間くらいで和出村のバス停に着いてしまった。そこまでのあいだ何度も振り返って見た加入道山はそびえ立つような姿だったが、どことなく拍子抜けした相貌でもあった。
1999/7/20 記

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