堂岩山から望む白砂山(右奥)

白砂山

草津温泉の北方、志賀高原の東方に、野反湖という湖がある。これは人工湖で、水が溜まる前は広く緩やかな谷間に湿原が広がる地であったらしい。1956年に東京電力が谷間の北の口に発電用ダムを完成させ、山上の大湖を出現させた。
かつて5月初旬に野反峠から初めて俯瞰したときは、冬枯れで無彩色一面の光景のさなか、唯一湖面のみが鮮烈な青の色彩を地上に広げていた。それはおとなしく広がっている生命体のように見えた。いつ膨れ上がり立ち上がってこちらに襲いかかってくるか予断を許さないもののように。
湖の佇まいの違和感もさることながら、湖面を渡って吹き付ける北風は強く冷たくて下界の初夏の出で立ちのままでは長く耐えられるものではなかった。峠に建つ休憩所でお土産を物色しただけで、湖畔に近づくことなく里に引き返した。


野反湖を再び眺めてみたいと思ったのはだいぶ経った夏の日のことだった。近くには白砂山を初めとする未踏の山々がある。これを登りがてら訪れてみよう。こうして7月の三連休初日、湖に通じるバスが年度の運行を始める日、テントとシュラフを詰め込んだザックを背負って吾妻線の長野原草津口駅に降り立った。湖行きの最終のバス(2本しかないものの2本目)の乗客は10人にも満たなかった。途中の観光ポイントで何人かを降ろしてさらに身軽になったものの、花敷温泉より上の人家が絶えた山腹を重そうに上がっていく。木々が低くなって広くなった空の下に出ると野反峠はすぐだった。
野反峠からニッコウキスゲ咲く野反湖。左奥に鍋蓋のような三壁山。
野反峠からニッコウキスゲ咲く野反湖。
左奥に鍋蓋のような三壁山。
季節が変われば森羅万象の表情は多かれ少なかれ変わる。目の前に広がる湖は、手前の草原に群れ咲くニッコウキスゲの黄色い花弁がなくとも、ひたすら穏やかに見えた。変わらないのは峠を吹きこす風があることだが、日差しの強い山上では心地よい空冷装置だ。よく見ると湖面には繰り返し押し寄せる波目模様があるが、感じられるエネルギーは表面上のもので、内部から湧き上がってくるような力は感じられない。湖は夏になると持てる力を深く沈め、荒れた季節のためにとっておくのだろう。
弁天山への途中から八間山を望む
弁天山への途中から八間山を望む。
弁天様の像が立つ弁天山の頂。
弁天様の像が立つ弁天山の頂。
峠の売店は健在で、手前の広場は休日の日帰り観光客が停める車で溢れ返っていた。湖右手の八間山には山頂に至る踏み跡を上下するハイカーや麓の湖岸を巡る散策者が目立つ。だが左手すぐそこに見える弁天山にはほとんど誰も向かわない。キスゲはもとよりアヤメやトラノオ、コマクサまで咲いている山道に入ると喧騒はすぐに消えた。草津白根山から横手山、志賀の山々、さらにはるか先には水沢山を左端に置く榛名山まで望めた山頂には弁天様の像が立ち、暑いのによく来たねと澄ました表情で出迎えてくれる。その背後には湖を取り巻く山々が機嫌よく顔を並べ、翌日以降の山行で頂を踏まれることを待っている。
峠に戻って野反湖西岸遊歩道に入り、キャンプ場を目指した。お花畑はすぐに終わり、森の中の道となって人声が急速に絶える。木々の合間から快晴の空を映した湖面が垣間見える。入り江のように食い込んだ場所に出ると稜線まで笹原が這い上がり、夏の光が一面に回るばかりの静寂さが漂う。初見時の恐怖が薄れた水面の上からは八間山が気を抜くなとでもいうように見下ろしている。足元が舗装されたものになり、前方に小屋のような建物が見えてくると、今晩泊まるべきキャンプ場だった。
一般的にキャンプ場の夜は意外と遅い。とくに車で来て大して歩かずテントを張れるようなところでは想像を絶するほどに遅い。消灯時刻があることなど気にかけない連中がずいぶんと多い。夜の音は実際には距離があっても近くでのように聞こえる。話し声が絶えないのは想定内としても、地面でじかに焚き火すらするのには気分が悪くなる。木のはぜる音がすぐ耳元でのように響く。おかげで早朝出発したいというのに寝られたものではない。仕方なく持参のヘッドフォン式オーディオプレイヤーをかけて一晩中音楽を聴きながら寝た。


こんな調子で、目が覚めたのは6時近く、すでに白砂山に向けて出発していなければならない時刻だった。朝食を平らげ、日帰り装備を整えてテントを這い出す。湖を回りこんでパスの終点である停留所と広々とした駐車場のある登山口に着いたのは7時だった。すでにたくさんの車が停まっている。
朝の野反湖。右奥は八間山。
野反ダムより朝の野反湖。
右奥は八間山。
登山道に入って山腹を巻き、沢を渡って登り返すと地蔵峠。尾根を乗り越していけば秋山郷の切明・和山であると標識が教えているが、ここが地蔵峠であると宣するものはない。暑いし疲れたしで休みたかったのだが先客三人組がなけなしのスペースを占めていて場所がなく、先に休憩適地があることを期待して歩を進める。樹林帯の急傾斜に腰を下ろせるところは少なく、ようやく道端に見つけた猫の額ほどに荷を降ろして野反湖方面を俯瞰していると、あとからやってきた団体が揃って休憩し、人垣に囲まれるような形になってしまった。
地蔵峠の上から草津白根山(左)と横手山(右奥)を望む
地蔵峠の上から草津白根山(左)と横手山(右奥)を望む
最初に超えるピークは地蔵山というが明瞭な最高点はよくわからないまま過ぎてしまう。概ね眺めがなく、前方におそらくあれが白砂山手前の堂岩山なのではと思えるのが望める程度だ。足元はぬかるみがところどころに広がり、水が抜けずに小さな池になっているところまである。眺望のなさといいぬかるみといい、山頂までの遠さとあいまって越後の平ヶ岳を思わせる。平ヶ岳よりは距離がないのが救いといえば救いだ。足下に点々と白い花があり、よく見れば久しぶりのゴゼンタチバナだった。
ゴゼンタチバナ
ゴゼンタチバナ
樹林のなかをいったん下って黙々と登り返していくくと、ようやく小広く開けた平地が出てきて人が大勢休んでいる。左手に下っていけば水場の沢のあるところだ。疲れていたので腰はおろしたものの、水場は遠そうだったし、なにより下り気味だったので行く気が起こらなかった。当然ながら水は持っていたので心配はない。休んでいた先客の最後の二人組が腰を上げる際に、誰も水場に行かなかったなと確かめ合うのを聞いた。きっと皆同じ思いだったのだろう。


水場分岐の広場から半時ほど登ると堂岩山で、ようやく白砂山が見えてくる。端正な丸い頭をもった気品のある姿だ。銃走路途上にコブを一つ置いてこの期に及んでも奥深さを演出しているところが憎らしくもある。堂岩山の山頂部は立っていれば枝越しに眺めが得られるが腰を下ろすと周囲が何も見えなくなる。山頂標識のあるところも同様で、休んでいる先行者はいなかった。
白砂山(奥)を目指してハイマツの稜線を行く
白砂山(奥)を目指してハイマツの稜線を行く
白砂山へは堂岩山をやや下ることになる。最終目的地のピークを眺めつつ下り、右手に八間山への銃走路を見送る。予想外にもハイマツが出迎え、シャクナゲがそこここに咲く。眺めは格段によくなり、左手には八十三山の壮絶な山腹が間近で、右手にはその名も白砂川の急峻な谷間が見下ろされる。じつに爽快だが足場が不安定なところがあるので下手な余所見は禁物だ。
山頂直下のお花畑
山頂直下のお花畑
白砂山頂から、猛烈なヤブと聞く上信国境稜線を望む
奥はたぶん大黒山。テラスを持っているのは上ノ倉山、その手前は忠治郎山と思われる。)
白砂山が近づくにつれ、ハイマツとササくらいだった植生に彩りが加わってくる。こんな稜線にニッコウキスゲがと思っていると、右手の急斜面は一面のお花畑だ。眺めもよく花も見られて快適だと思うのも束の間、山頂直下の急登にかかってついに昨夜の寝不足と本日の疲労が許容範囲を超えてしまった。登路の途中はガラガラのザレ場になっており途中で腰を下ろしていると何が落ちてくるかわからない。なのでザレ場の上端にまで出て腰を下ろして、しばらく寝た。
細い山道をさらにたどって山頂だった。さほど広くない場所に先行者が腰を下ろして食事をしている。自分も座って水くらい飲みたかったがそんなスペースはない。どうしようもないので荷を降ろして周囲を見渡しつつ空きができるのを待った。周囲はガスが上がってきて南方の眺めは閉ざされだしており、昨日には見えた草津白根山や浅間連峰は方角さえわからなかった。反対側はやや良好とはいえ、佐武流山もガスにまとわりつかれており、稲包山に続く上信国境稜線の山稜だけが明瞭に眺められたのだった。


山頂ではけっきょく湯を沸かしてコーヒーを飲んだだけで出発した。復路は堂岩山手前の八間山分岐から八間山に向かおうと予定していたが、ガスが群馬側を全て覆い尽くしてしまったので眺めがないのも面白くなかろうと中止し往路を戻ることにした。堂岩山を越え、再び水場分岐の広場に出た。今度は立ち寄ることにし、荷を背負ったまま山道を下っていった。すれ違う先行者が冷たい水だよと教えてくれる。5分ほど下ると豊富な水量の沢筋に出た。カップを取り出して口にすると、教わったとおりに冷たかった。3杯も飲んでしまった。
2008/07/20

この翌日は三壁山、高沢山、エビ山へ。

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