池ノ岳より平ヶ岳

平ヶ岳(一)

2年前の夏、新潟の浅草岳守門岳を登ったあと、用あって最寄りの小出駅から東京方面に向かわずに長岡方面に向かう列車に乗った。山姿にしてはかなりしゃれた雰囲気を漂わせた初老の女性がたまたま乗り合わせ、下りの空いた車内での気安さからか、同じような単独行者に話しかけてきてくれた。
関西から来たというこの方、聞けば平ヶ岳に登ってきたという。それも昨日に麓まで入って、今朝宿を出て日帰りで正規の鷹ノ巣ルートを往復したと。とんでもないハードスケジュールだ。「そのとおり、たいへんでしたわ」。往復でコースタイム10時間、しかも交通の便が悪い。もちろん早朝出発、山頂ではゆっくりできない。「南アルプスは光岳(てかりだけ)以外はみな行きましたよ」と平気で言っていたこの方も、「さすがに平ヶ岳日帰りは失敗でした。少なくとも、下って清四郎小屋に泊まるべきだった....。山頂にある湿原はゆっくり見たかったですわ」としきりに反省していた。
こんなやりとりも守門岳から帰ってしばらくすると忘れてしまっていたが、一年近くが経った昨年の8月初頭、間近に迫ったトムラウシ遠征の訓練も兼ねて三日ほどで行ける手応えのありそうな山はないかと上信越方面を物色しているうちに、平ヶ岳のことを思い出した。そこで小屋に前泊、山中一泊で計画を立てて、先の女性の思い出に敬意を表し、小出駅経由でアプローチすることにしたのだった。


山小屋の朝は早い。奥只見湖と尾瀬御池を結ぶ道路沿いに建つとはいえ、平ヶ岳の登山基地であるここ清四郎小屋の朝も同じだ。まだ薄暗い4時前には宿中の登山者が起き出してきている。前夜に作ってもらっておいたおにぎりを二つ朝食代わりにロビーで食べていると、建物のなかがだんだん静かになる。玄関に出てみると山靴は自分ひとりのしか残っていない。ほかのひとは皆日帰りなので出るのが早いのだ。自分はテントを背負っていって山の上で泊まるつもりだから、ほんの少しだけ余裕がある。少なくとも自分ではそうだと思っていた。
早朝の燧ヶ岳
下台倉山への登りの途中、早朝の燧ヶ岳を遠望する
鷹ノ巣の先にある登山口までは尾瀬御池に続く舗装道を歩く。物音のしない森に囲まれた広い道の上には早朝の空が蒼灰色に光っている。だが5時前だというのにぜんぜん涼しくない。標高が800メートルしかないとはいえこの蒸し暑さ加減は尋常ではない。日が高くなったらどうなることやら、先が思いやられる。
最近ではどんな山でも自家用車登山が多く、ここ平ヶ岳登山口にも昨夜あたり来たらしい車がたくさん停まっている。脇にテントを張っている人もいる。林道に入るところに登山届のポストがあり、必要事項を書いてからいよいよ土の道に入った。
植林が左右に見え始めると右手に山道が現れ、すぐに急な登りが始まる。樹林はすぐに切れて、岩混じりの痩せ尾根となる。昨夜は早く寝たのでそれほど眠くはない。しかし眺めが開けている割には風もあまりなく、登山口から稜線への急な登りは日が当たるせいで6時前だというのにさらに暑い。顔のあちこちから汗が噴き出してきて首から下げたタオルはすでに雑巾のようになってしまっていた。
登山口に停めてあった車の主が次々と登ってくる。みな軽装で、テントを背負って喘ぎながら登っている当方を軽々と追い越していく。左手には尾瀬の燧ヶ岳が、右手の谷の奧にはガレをまとった鷹ノ巣山がよく見える。登るにつれて眺めは広く遠くなっていくが、しかしまだ1500メートル以下なので暑いことには変わりない。湿気が大気に充満している。かなり頻繁に休みを入れては顔の汗をぬぐう。
下台倉山を目指す
下台倉山を目指す


平ヶ岳は遠い。登山口から山頂までも距離があるが、そのまえに登山口に行き着くまでがまた遠い。公共交通機関を使う場合は綿密な下調べが必要となる。電車やバスを一本乗り損なうだけで目的地に着けないということにもなりかねない。
昨日、上越新幹線に乗るべく朝の横須賀線で東京駅に向かったのだが、東海道線の信号機故障とかでなぜかこちらの線まで徐行し始め、品川駅手前でとうとう停止してしまった。こういうところのサービスを改善しないでJRは何をやっているんだろうか。10:44の越後湯沢行きに乗れなければ今回の計画はすべて終わりだ。なんとか気持ちを入れ替え、動かない車内で最悪の場合を想定して越後三山縦走とかのプランに変更することを考え始めた。
列車はようやく動きだし、ぎりぎり間に合うかという時間で東京駅に着いた。乗車予定の”たにがわ”が出るまであと数分しかない。地下四階のホームからエスカレーターを一段飛ばしで地下一階まで登り、人の多い構内を走り抜け、新幹線の改札を通過しホームへの階段を息の上がった状態で駆け上がって列車に乗り込んだのは発車一分前、テントの入ったザックを背負ったままするにはきつい芸当だった。列車は席に座ったとたんに動き出した。車内は上越新幹線の常でこの時間でも空いていて、三人掛け座席の窓側に位置を占めた。
上野駅では隣に熟年の夫婦が座ってきた。車内のざわめきが落ち着くころ、男性のほうがこちらの山姿を認めて「どこに?」と訊いてくる。新潟の山に行きます、と答えると、自分たちは上越市の在で、妙高・火打・南葉(なんば)山を仰いで暮らしているという。所沢の親戚の弔事からの帰りだそうだ。旅行代理店をしている息子さんの子供(お孫さん)が中国の大連だったかの高校に行っているそうで、「これからは中国だ」との親の意志で行かされたという。本人は当初「島流しだ」とか言っていたそうだが、この夏休み前に帰ってきたときはすっかりたくましい面構えになっていたと言われる。山の話から孫の話になってしまうのは、もう高校生になろうとお孫さんはやはりかわいいものだからだろう。だが身内の欲目を差し引いても、中国で学ぶ若者のことが末頼もしそうに聞こえてくるのだった。


急登を終えてようやく下台倉山に着く。ここは平ヶ岳本峰から北に伸びる稜線のうちの一つにあるピークで、山頂までの標高差はすでに半分以上稼いだことになり、これには勇気づけられる。下台倉山から台倉山というところまでは登山道を南下する。進行方向左手となる東側の眺めがよい。奥にはあいかわらず尾瀬の燧ヶ岳が見える。気分は上々だが日を遮るものもないわけで、いよいよもって暑いのだった。ガイド地図には下台倉山からのぬかるみがひどいとあるが、実際にはそれほどでもない。ただ地図を見る限りはゆるやかな登りに見えるのが実際には細かいアップダウンがあり、加えて木の根が出ていて少々歩きづらい。
台倉山への稜線から平ヶ岳(奧)
台倉山への稜線から平ヶ岳(奧)
右手は樹林が続くので見通しはよくないが、ほんの少し開けたところから恐ろしいほどの彼方に平ヶ岳の山頂部を見ることができた。思わず立ち止まり、「遠いなぁ」とひとり呟く。この気温、この湿度、この荷物の重さからすれば、ほんとうに遥かな先にある。あんなところまで歩くのか、と意気消沈するほどだ。だがこちらから見ると前衛峰にあたる池ノ岳を従えた平ヶ岳の姿はゆったりとしていてとても優美で、ひとを惹きつけるものがある。ところどころに岩が出ている山道で荷を下ろして持参した扇子で顔をあおいでは、この山姿を思い浮かべて汗まみれの身に重たいザックを背負い直す。そうこうしているうちにも身軽な登山者が後から追い越していく。若い女性の単独行者もいた。いかにも足取りが軽そうだった。


夏の盛りに重装備でこのあたりの山に来る人はそもそも少ないのだろう。越後湯沢駅から鈍行列車に乗り変えて浦佐駅で降りてみると、登山者はほとんどおらず、重たいザックを背負ったのは自分一人だけだった。ここから出る奥只見行きのバスは一日二本しか走らない。時刻の早い最終バスに乗り込んだのは三人だけで、車内は冷房は利いているもののシートのカバーはかなりすり減っていた。
からっと晴れた天気、というのはこのあたりではここ二、三日ないようだった。バスの車窓からでも山という山がみな頭を雲で隠している。乗客は減りもしなければ増えもしないまま越後駒ヶ岳近くの温泉郷を巡回し、山の中に入った。
バスが走る山間部はシルバーラインと名付けられているが、もともとダム工事用に作られた長い長いトンネルの連続で、照明も不十分な中で見えるものと言ったら必要最低限の造作しかされていない側壁ばかりである。これが延々と続く。ここに来るのは二度目でもあって新奇さも薄れており、舗装がでこぼこでよく揺れるのだが何度も眠りかけた。
換気設備もないようなので湿度も高く、トンネルのなかを長いこと走るバスの窓はそこいらじゅう結露する。バスは銀山平というところに立ち寄るためいったん外に出た。ここは昨年荒沢岳に登るため連れと訪れたところだ。水滴だらけの車窓からバス停の先に銀山湖のやや暗い湖面が見える。ここで一つ後ろの座席に座っていた若い男性が慌てた風情で「船着き場ってここですか?」と尋ねてきた。頭をカーリーっぽくしてヘアバンドで止め、膝丈パンツにTシャツにピアスのいわゆる今風の若者である。「二つあって、ここと、終点の奥只見」と答えるうちに、バスは再びトンネルの中に入った。


台倉山というところを過ぎると、いままでの広い眺望は左右の樹林が覆い隠してしまった。南下していた登山道は西へ直角に曲がり、その方向の彼方にある平ヶ岳の山頂部を目指す。先は長い。ただ黙々と、次のポイントである台倉清水を目標に歩く。
(つづく)

平ヶ岳(二)へ


回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue