編笠山。背後に南アルプス、中央アルプス(右奧)

西岳・編笠山・権現岳

昼前の富士見高原リゾート施設には初夏の光が回っていた。ここにある登山口から山道に入り込むと、足下には名前の通り船の碇によく似たイカリソウが薄いピンクの花を咲かせている。西岳を目指し樹林のなかを行けば、白色五弁のシロバナノヘビイチゴがタンポポと一緒に咲いている。静かだと聞かされていたコースだが、何人かの人が下りてくる。それでも団体と呼べるパーティはいない。八ヶ岳にしては静寂な方なのだろう。


徐々に木々の背も低くなり、右手に丸い編笠山が見え始める。岩屑が散乱し始め、赤岳、阿弥陀岳、権現岳の隣の岩峰であるギボシも頭を覗かせ始める。つい一ヶ月前に天狗山から眺めたときはいずれもまだ白いものをかぶっていたが、今では一片の雪もないようだ。風がかなり強い。早回しのフィルムのように雲が飛んでいく。西岳の頂きに着いてみると、寒いくらいだった。ヤッケを着込む。
少しばかり前に追い越された白髪混じりの頭に長靴履きの男性が休んでいる。腰に鉈を落とし込み、物事に動じない雰囲気を漂わせていた。いつの間にか山頂のあちこちを歩き回っては散乱するゴミを拾い始めている。それが済むと、山名標識の近くに来てあたりに転がる大人の腕ほどの石をまっすぐに直し始めた。
「明治初めの廃仏毀釈で、首を取られてしまったお地蔵様です」
なるほど、言われなければまったくわからない。宗教的不寛容が文化破壊行為をもたらす例をこんなところで見るとは思わなかった。アフガニスタンはバーミヤンの名前が浮かぶ。
ここにある石仏はかつて八ヶ岳で修験道が盛んだったころの名残らしい。登路の途中にあった不動清水も修験道に関連する場所で、辺りにはよく見ないとわからない石碑がいくつか建っていた。
「修験道でいちばん拝まれるのは不動ですからね。不動清水の名もそこから来ているんです。
ではまたのちほど」と言って、青年小屋の小屋主のかたは先行していった。


明けた日曜日、例によってすっかり明るくなってから目が醒めた。2,400メートル近い標高は高すぎるのか、編笠山と権現岳の鞍部にあるテント場の朝に鳥の声は少なかったようだ。風は止んでいた。外に出てみると、フライシートには霜が降り、土が出たところには霜柱が立っている。持参したシュラフは夏物だし、どうりで夜半に何度も震えが来たわけだ。かなり低温の寒気が来ていたらしい。
だが今日は天気がいい。空は雲一つない。晴れ曇り雨が交互に繰り返された昨日の午後とは大違いだ。7年前に来たときとも違う。あのときはガスが濃くて、見晴らしが良いはずの山に登っても何も見えなかった....
ではまず編笠山山頂を訪ねてみよう。単なる往復なので携行するのは水筒と朝食、それにカメラくらいなものだ。風通しがよくて寒いだろうからフリースジャケットは持っていこう。
編笠山から見る南アルプス
編笠山から見る南アルプス。
雪の着いている山の中央は甲斐駒ヶ岳、右に仙丈岳、左に北岳。
手前は編笠山の裾野。
編笠山から西岳
西岳。
中景は霧ヶ峰。左手奧は北アルプス南部。
北アルプス南部
北アルプス南部。
ほぼ正面は穂高岳、右端に槍ヶ岳。
編笠山から富士山、茅ヶ岳
雲海の上は富士山。
左中央に茅ヶ岳、金ヶ岳。
深田久弥は『日本百名山』の「八ヶ岳」の項で、この山の山頂から見落とされる本州中部の山はない、と書いているが、最高峰ならざる編笠山からの展望も素晴らしい。それはそれは広大な眺めを堪能しつつ朝食を摂る。
戻ってテントを撤収して、権現岳に向かう。前回訪れたときは悪天で疲れていたところに山頂直下の源氏梯子を登ってすっかり参ってしまい、山頂に寄らずじまいだったが、今日は最高点である岩塔のてっぺんまで行ってみるつもりだ。それから三ツ頭を経由して観音平に下るとしよう。
ここの登りも眺めがいい。何度も立ち止まってはカメラを構える。
八ヶ岳中心部
八ヶ岳中心部の山々が勢揃い。
左から阿弥陀岳、硫黄岳(奧)、中岳、横岳(奧)、赤岳。
御嶽山と西岳
御嶽山(左奧)と西岳.。
蓼科山、北横岳
蓼科山(左)、北横岳。
二山の奧に妙高連峰が霞む。
急傾斜なので高度が易々と稼げる。足下の不安定な岩場も好調にこなすが、さすがに暑くなってきたので権現小屋前のベンチで一休みする。どこから見ても同じ形の編笠山を前景にあたりの山々を眺めて汗を拭う。あれには登ったな、あれにも。あれはまだだ、今年ぜひ行きたいものだ....と一つ一つを確かめる。先ほど編笠山ででもしたことだが。
さて、権現岳の頂上はすぐそこだ。そろそろ行くとするか。
2001/6/2-3

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