山頂湿原から越後三山の中の岳(左)と駒ヶ岳

平ヶ岳(二)

台倉清水は台倉山からすぐだった。樹林のなかにちょっとした広場ができていて、水場は右手に二分ほど急な斜面を下ると細い二筋の流れがあり、幽幻なオサバグサの花に囲まれていた。手ですくって飲んでみる。冷たくてうまい。水筒に詰めて広場に戻り、もういちど飲もうと腰を下ろして顔をあおぐために扇子を探す。ない。どこにもない。見晴らしのよい稜線で休憩したときにしっかりしまわず、落として来てしまったようだ。あれは東京は府中にある大國魂神社の「からすうちわ」の扇子版で、近くに住んでいる妹に買ってきてもらったものなのだ。明日往路を戻って下山するときに見つかるとよいのだが....。
ここからも眺めのない樹林のなかの道が続く。日が射さないため表土が乾かず、ぬかるみの場所も多くなる。下台倉山から台倉山のあいだでもときおり聞こえたが、台倉山からの樹林帯では山道に沿って等間隔に巣があるのだろうか、前後に飛びまわるスズメバチの重低音の羽音が常に聞こえる。ぶぅん....ぶぅん....と脅かすように脇をかすめていく。おそらく監視役なのだろう、姿の途絶えることがない。警告としての顎を噛み合わせるカチカチという音がしないので害はないと思えるが、かなり煩わしい。繁殖期の9月にここを通るのはやめておいた方がいいようだ。


平ヶ岳は北端を奥只見湖に接している。湖岸を巡る車道はあるものの、定期バスはなく、公共交通機関を使って新潟側から入山しようとする場合は湖を縦断する定期航路に頼らなくてはならない。
浦佐からのバスは1時間20分かかってようやく終点の奥只見に着いた。広い駐車場を横切ってドライブインに行くと、自家用車で来た人が奥只見湖を尾瀬口まで行く船の乗場を店の人に訊いているのでそばで耳をすます。ここからはかなり離れているらしい。外に出ると、バスの中にいた若者がやや不安そうに歩いている。船着き場について訊かれたときに丁寧に教えなかったのが気が引け、声をかけて船着き場まで一緒に行く。話を聞くとこれから向かう清四郎小屋の経営者の甥御さんで、これから10日間ほど手伝いをするという。
船着き場は目の前にあるダムの向こう側にある。つまりここはまだダム湖の湖面の下なのだ。この奥只見ダムの大きさには圧倒される。山深さに不釣り合いなほどの大きさは見る者を落ち着かない気分にさせる。一緒に歩いている若者は料理学校に行っているとかで、いまは夏休みだという。「車で迎えに行くから奥只見湖の船着き場まで来い」と言われて来たものの、実はどこなのかわかっていなくて、銀山平で船着き場を見てかなり慌てたそうだ。自分も小屋に泊まりに行くから一緒に行けば大丈夫と言うと、「えっ、お客さんですか」と驚かれた。
ダム脇を登っていくと湖が見え始める。かなり大きい。幅は狭いが奥行きの深い湖岸線を稜線が取り囲み、まるで人臭さが感じられない。人工湖とはいえ原始的な雰囲気が漂い、乗り込もうとする船が小さく見えて心細さすら感じさせる。
定期船はバスで来た二人と中年女性二人の計四人を乗せて離岸した。今にも雨が降り出しそうな空の下をやかましいエンジン音と観光案内のテープの声が進んでいく。屋根のある室内に入らず、デッキのベンチに座ったままあたりの景色を眺める。風がやや冷たい。右手奧に荒沢岳が見えてきた。銀山平ではかかっていた山頂の雲が取れていて全体がよくわかる。案内によれば進行方向に平ヶ岳が見えるそうだが、雲の中だった。かわりに燧が岳がきれいな双耳峰でそびえている。左手に虚空像岩と呼ばれる幅広のスラブが現れてくる。水の中に落ち込むなだらかな一枚岩のスロープだ。これを登ろうとしてスリップしたらウォータースライダーのようにたちまち水の中、とやや恐怖して眺めた。
奥只見湖上より荒沢岳
奥只見湖上より荒沢岳
湖上の眺めにふけりつつ、同じくデッキに出ていた清四郎小屋の彼とときおり言葉を交わしているうち、簡易桟橋があるだけの尾瀬口乗船所に着いた。清四郎小屋の主が車で甥御さんを迎えに来ていたので、小屋まで同乗させてもらう。毎日のように雨が降っているそうで、小屋に着くまでに舗装道が川の浸食を受けて崩壊しているところを見かけたが、脇を流れる只見川の水量が増大して浸食で削り取られたところだという。尾瀬に三条の滝というのがあり、この只見川の上流なのだが、その水勢は相当なものだったことを思い出す。
小屋に着くと、単独行者が何名か来ているとかで3名で一部屋の相部屋になった。ここには風呂があり、さっそく入りに行った。銀河の湯と名の付いた露天風呂で、汗が流せるだけありがたい。入浴後、部屋で同室の方と山談義を始め、これは夕食後も単独の人ばかり6人が集まってさらに楽しく続いた。バスと船で一緒だった彼が準備に後片づけにまめまめしく働いていて好感を呼ぶ。食堂ではこのあたりを歩いて『雪山・藪山』という本に著した川崎精雄さんの揮毫を見つけた。「山に登る心は 美を探ぐる心」とあった。


山道は急な登りになってきた。平ヶ岳の前衛峰である池ノ岳はもうすぐだ。急角度に落ち込む左手の斜面から木々が減って花々が目立つようになる。輝くような紫色の小さな蝶があちこちに舞う。久しぶりに視界が開け、尾瀬の至仏山が見え始めた。
傾斜が緩んで木道が出てくると、池ノ岳の小さな山頂湿原に飛び出した。山名の由来のものか小さな池があり、その脇で木道の幅が広がって休めるようになっている。偶然だろうが、視界のとどく範囲に誰の姿も見えない。どちらを見回しても白いガスを背景に草原と丈の低い灌木がひっそりと広がっているだけの静かな世界だ。足下にはキンコウカや真っ白なワタスゲ、チングルマの風車が風になびいてかわいらしい歓迎の意を表してくれている。左手には平ヶ岳の山頂部があるはずなのだが、刻々と形を変えて流れていくガスが間を遮り、姿を見ることができない。だが心の中ではここまで来れた喜びで子供のようにはしゃいでいる。
周囲の花々を撮っていると、そう長く待つことなく目の前のガスが切れ切れに流れて消え始め、緞帳が上がって高貴な人が現れたかのように、平ヶ岳がゆるやかな姿を表し始めた。
ガスがすっかり晴れ渡って現れたこの山に相対したとき湧いてきた感情は、静かで巨大な水面を見ているときと似たようなものだった。底知れないほどの穏やかさ。飲み込まれてしまいそうな大きさ。背後ではまだ霧が激しく動いているのに、当たり前だが山はまったく動じることなく鎮座している。この対比が余計に不動の存在感を強めている。
ここ池ノ岳は平ヶ岳の格好の遥拝所と言えよう。山の大きさを感じるには、苦労して登るに如くはない。道なき道を来てこの眺めに接した昔の人の感動はさぞや大きかったことだろう。しかし今の時代でも、拝跪こそしないが敬虔な気持ちにも似た感情で仰ぎ見させられる。神にあたる存在は卑小な人間の行為になど無関心である。こちらが重たい荷を背負って登山口からここまで8時間もかかったことなど素知らぬ顔なのだ。
ワタスゲと平ヶ岳
ワタスゲと平ヶ岳
池の脇で山を眺めて呆然と立ちすくんでいると、そちら側から上がってくる人たちがいる。昨夜の宿で同室だった中年の男性と、夕食後にみなと歓談した中にいた初老の女性だ。男性のほうは、かつて今回の自分同様にテントを背負って平ヶ岳に登ろうとしたが、あまりの辛さに途中で幕営して山頂を踏まないまま往路を戻ってしまったという。それで今回は軽装日帰りで再挑戦に来ているのだった。お互いにようやく山頂に着けたことを喜び合う。お二人はかなり前に山頂も踏み、このあたりの山道をみな散策して来たらしい。「わたしはやっと今着きましたよ、とにかくばてました」と言うと、「でもあなたは偉いよ、ここまで来たんだからね」。宿で一緒だった他の人はどこそこで見た、もう下りていった人もいる、などと談笑後、これから下る二人と別れて平ヶ岳との鞍部にあるテント場へ向かった。
テントの設営を始めると、ぽつぽつと降ってきていた雨は普通降りから、しまいには激しい土砂降りに変わった。雷鳴まで轟き始める。びしょぬれになりながら設営し、中に逃げ込んでようやく一息着く。この天気と朝からの疲労でどこにも行く気が起こらず、夕暮まで寝て過ごした。日が沈む直前の時間帯、あたりを散歩した。もう雨は上がっていて、狭い谷間に夕日が鮮やかな光を投げかけている。明日の朝、山頂を踏もう。


こうして山頂は三日目の朝にでかけることになった。テント場脇の沢を越え、まだ瑞々しい朝露を葉末から振り落としつつ細い灌木の中の道をゆるやかに登っていく。小さな湿原が現れた先には、木々の中に付けられた道がある。あたりの灌木が消え、一面の湿原となると、ついにこの膨大な山の山頂だった。
ニッコウキスゲが出迎える
ニッコウキスゲが出迎える
そこには一群のキスゲが改めて歓迎するかのように咲いていた。最高点を巡る一帯は木道が通る湿原で、左右とも眺望を遮るものがなにもない。朝の日の光を浴びて輝く草群の向こうに見えるのは青空だけで、空中に浮いている湿原のただ中にいる気がする。この感覚は尾瀬でも苗場山でもトムラウシ近辺の湿原でも味わえない独特のものだ。青空の中には遥かに上会越の山々が並んでいる。左手には尾瀬の山々が大きく、右手には越後三山の中の岳と駒ヶ岳がひときわ目立つ。まさに山上の楽園、平ヶ岳の山頂は「空中庭園」と呼ぶのがふさわしい。
山頂湿原から....
山頂湿原から。奥の山は至仏山だったかなぁ...
山頂から戻って、テントはそのままに「玉子石」を見に行く。浅い谷を隔てて左手にどこまでもなだらかな平ヶ岳本峰の姿が延びている。ササや低木の中で朝露に膝まわりを濡らしながら低い尾根上の脇を歩いていくと、いったんちょっと下って小さなコブに登ったところのすぐ目の前にたまご石があった。基部がこちら側に張り出している楕円形の岩で、くびれたところは花崗岩特有のざらざらな感触である。その下の台はもう少し固い岩でできているような感じだ。もう何年もこの形のまま風雨や豪雪に耐えてきているわけだが、それでも近寄ってみると「倒れて来るんじゃないか」と気が気でない。触れるのも気がとがめる。向こう側に回ってみるとこちらにのしかかってきそうな気がする。慌ててこの奇妙な石を見下ろせる場所に戻り、改めて自然の妙に感心しなおしてからテント場に戻る。
たまご石
玉子石。
右下の影は撮影者のもの。
夏の早朝だと位置関係上こうなってしまう。
 
今日も暑くなりそうだ。昼にはまた雨が降ることだろう。朝食を摂り、テントを撤収して下山にかかった。


台倉山を過ぎて、扇子をなくしたと思われる昨日の休憩地点を通ったが、やはり残ってなかった。昨日の午前中、まだ雨が降ってこないうちに誰かに拾われたのだろう。残念だが仕方ない。妹にあやまって、また買ってきてもらおう。
平ヶ岳では最初から最後まで蒸し暑さにつきまとわれた。長い長い往路をこれまた何度も休みながら忠実に下って山道が尽きようとするころ、連日昼頃降っていた雨が今日もまた落ち始めた。岩稜が途切れて樹林の中に入り、ササがあたりに目立ち始めるときには本降りになっていたが、連日の暑さに頭から水をかぶりたいと思っていたのでそのまま濡れて歩く。林道に出てからしばらくすると幅三メートルくらいの沢があり、雨の中をザックを下ろしTシャツを脱いで短パン姿になり、タオルを水に浸して上半身と脚、顔の汗を拭きまくった。
平ヶ岳は遠い山だった。加えて蒸し暑く、雨もよく降った。そしておそろしく疲れた。だがこれらを補って余りあるのが、あの山上湿原だ。あれを見るために、いつかまた奇特な考えを起こすことだろう。そのときもまた、中ノ岐林道のコースではなく、鷹ノ巣からの長い長い道のりを行くことと思う。
2000/8/4-6

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