浅草岳 「鬼ヶ面眺め」からの浅草岳山頂部

浅草岳(あさくさだけ)という山は新潟県と福島県の県境を成し、田子倉湖を足下にする。標高は1,500メートルを少々抜く程度ながら山体は大きい。北面及び西面の山容はなだらかなのに対し、山頂から南に派生する尾根は急峻で、特に鬼ヶ面山へ続く稜線は悪相の急涯を東に落としている。梅雨明け早々、この鬼ヶ面山の断崖と山頂部に広がる草原を眺めに、隣の守門岳と併せて3泊4日の予定で新潟は下越の山奥に出掛けた。登った7月最後の日曜は福島県側で主催する浅草岳の山開きで、そのせいか登山口にある駐車場の車はほとんど福島ナンバーだった。山中で聞いたことばはおそらくみな福島のイントネーションだったのだろう。


前日のうちに山の西麓にある大白川の集落に入る。ここにはJR上越線の小出駅から伸びる単線の只見線経由で行く。電化されていないためディーゼルカーで、客車には冷房がない。窓は当然すべて開け放してあり、天井には扇風機が回っている。こういう列車に乗るのはいったい何年ぶりだろう。乗り込んだ当初は暑くていやだなと思っていたが、がたがた走る列車の窓の枠に肘を乗せ、半ば顔を出し、青々とした田んぼを眺めながら風に吹かれていると、「昔は急行や特急にでも乗らない限りはみなこうだったな。これこそ夏の列車の旅だ」と懐かしい気分になってくる。外の空気を我が身に受けているので、風景と一体化している気分だ。冷房完備の密閉された客車がほとんどになってしまった中で、トロッコ列車が受けるのがよくわかる。
大白川の宿では客は私一人。おかげでのびのびさせてもらう。到着時刻を告げてあったので、部屋にはいると冷房がほどよく利いていて、風呂もわかしたてだった。駅からわずか20分程度の歩きだというのに猛烈な蒸し暑さで全身汗まみれになっていた身にはとても嬉しい。夜は窓下のカエルの大合唱を聞きながら眠った。


翌早朝、登山口に選んだ田子倉に列車移動するために宿の車で大白川駅へ送ってもらう。昨日顔見知りになった駅員さんが、「これから登るの?」と訊いてくる。「今日は山開きだから(遠来の登山者は)昨日のうちにみな只見に泊まったみたいだよ」と教えてくれる。そうか山開きか、上は混みそうだなとちょっと憂鬱になったが、たまには賑やかなのもよいだろうと思い直し、小出からやってきた一番列車で隣の田子倉駅に移動する。
ここは無人駅で、下り列車から降りたのは私一人だった。駅近くに駐車場があって上空に鬼ヶ面山からの稜線が見えているが、まだ朝だというのに厚い雲が覆い被さっている。晴れてくれるといいがと念じつつ駐車場の奧から始まる樹林の山道に入る。最初はじめじめとした感じで、ときおり表れる沢を飛び石づたいに何度か渡る。中には土石流のせいでか橋が落ちている沢もあった。降水直後は行かない方が無難だろう。相変わらず眺めはないが、斜度も明るさもやや穏やかな頃合いになるとブナの大木が目をひき始める。「これこそ山の神だ」と思えるような立派な幹まわりの木が何本かある。古来より杣人にとってあまりに不便な場所だったので、斧の入ることがなかったのだろう。
道はジグザグを切って登るようになる。だいたい足下ばかり眺めて歩く。暑い。日差しが容赦なく照りつけ、鼻先から瞼の上から汗が滴になって落ちる。風があるので日陰は気持ちがいいが、急な尾根道は真上から差し込む日の光を遮るところが少ない。その数少ない日陰を見つけてはおおぜいの登山者が座り込んで休憩している。
尾根途中の岩稜帯である剣が峰に近づくにつれて視界が利くようになり、返り見る田子倉湖が徐々に全貌を現し、鬼ヶ面稜線がその直下の凶悪な岩壁帯を左右に広げ始める。剣が峰と名前が付いているがそれほどのことはない。一番眺めのいい「鬼ヶ面眺め」とかいうところで30分くらいぼーっとしていた。わずか1,500mの山とは思えない眺めだ。雲は残っているものの稜線はすっかり露になって、鋸歯状に並ぶ垂直の岩峰がパノラマのように広がっている。標高が低いせいか草木がついていて、岩場としてはクライマーの気をそそらないだろうなとも思った。
鬼ヶ面山東面の断崖
鬼ヶ面山東面の断崖 
ここでは狭いながら何人もの人が休憩に足を止める。中に高齢の単独行者の方がいて、たまたま居合わせた人々に浅草岳についての話を物語っていた。この田子倉からの道がないころから浅草岳に登っていて、登山道を造るときにこの「鬼ヶ面眺め」にあった一本の木を(誤って?)焼いてしまい、眺めの上でのいいアクセントがなくなってしまったという。この山には北東の入叶津から登るルートもあるが、この道を通って山頂に達するころには鬼ヶ面は日陰になってしまって眺めがよくない、一番大変だが眺めが最もよいのはこの田子倉のルートを登る道だと言われる。こちらを苦労して登っている人には励みになる話だ。
そこからひとがんばりで山頂に着く。狭くて人でごったがえしている。残念ながら周囲の山はほとんど頭を雲の中に隠していて、愛想のいいのはすぐ近くの守門岳だけだ。こちらも山体が大きい。ここから見る鬼ヶ面の絶壁は登路で相対したときより迫力は落ちるが、やはり目をひく。爆裂火口の跡だそうだが、断崖の途中、水平に断層線のようなものが入っているのは、そこがかつての火口底だったということなのだろうか。
山頂から前岳(奧)方面を望む
山頂から前岳(奧)方面を望む
山頂から西の前岳方面に下ると小広い草原地帯となっている。木道が敷設されているが、周辺の踏み壊しも進んでいる。ここにもおおぜいの人がいてグラウンドシートを広げている。さらに前岳直下まで行くとさすがに休憩する人も多くなく、ようやく荷を降ろして西方の守門岳を眺めながら食事にする気になった。足下目の前に差し渡し30メートルほどの残雪がある。ちょうど山道がこの上を通るので、オンザロックを作ろうとする人や水筒を埋めて水を冷やそうとする人、雪合戦の真似事を始める若いカップルが来ては立ち去った。すぐそばにはイワカガミがピンクの細切れになった花弁を揺らしていた。


山頂到着は10時半くらいだった。登山者の話を小耳に挟むと、いわゆる「山開き」の行事は12時くらいから始まるらしい。御神酒が飲めるらしい、とも聞こえてくる。だが場所は定かではない。福島の人たちの行事だとすると、山頂が県境だから、新潟県にあたるここ前岳から見て山頂の向こう側に違いない。きっと神主さんが来て榊を振って日本酒を地面に撒き、そのあとで酒がふるまわれるのだろう。こんなに暑いのに酒など飲んだらもっと暑くなりそうだ。再び山頂の反対側に行く気もせず、「ま、いいや」とばかりに下山にかかることにする。
前岳を越えて”嘉平与(かへよ)ポッチ”という尖ったコブまでは伸びやかな眺めが得られる。イワカガミ同様にピンク色のヒメサユリがいくつか可憐な風情で咲いていた。これは浅草岳の新潟県側にあたる入広瀬村の村花である。見かけた場所がちょうど村域にかかるところだった。
ヒメサユリ
ヒメサユリ 
だが花も展望も桜ゾネへ下り始めるとすぐになくなり、我慢のしどおしとなる。一時間ほどで下りついた駐車場からムジナ沢出会いまで続く山道に入ると、人はほとんどまったく入っていないようで、何度もヘビを驚かし、驚かされた。さすがにやや荒れた感じはするもののヤブがかぶっているということはない。やや濁ってちょっと飲む気になれないムジナ沢を飛び石づたいに越えてなおも行くと、小さな沢が左から山道に絡むようになる。この沢の水はきれいで、すっかり生ぬるくなっていた水筒の水に飽きていた身には久しぶりに冷たい水だった。この小沢をやりすごすと左からごうごうとムジナ沢の水音が聞こえてくる。登山道終点の林道はすぐそこだ。
炎天下の林道を行くとすぐ五味沢の集落だ。さらに破間川(あぶるまがわ)のダム湖を橋で渡ってしばらく歩いていると、宿にとった民宿「目黒」で依頼していた迎えの車がやってくるのが見える。乗り込むと、冷えた麒麟端麗を差し出された。大いに感謝。
1999/7/25

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue