東舘山レストハウスから寺子屋山(左)、赤石山(中央)、大沼池

東館山から赤石山、大沼池

暑熱が残る9月、夏休みと称して長野駅近くのビジネスホテルに三泊し、日帰り山歩きやら観光やらすることにした。季節に限らず長野というと、松代の日帰り温泉に入浴して戸隠に上がる、またはその逆でしかなく、それはそれで楽しいのだが、たまには別な場所に足を向けるというのもしてみたかったわけである。


滞在二日目の夜、週間予報が覆って翌日は好天となることがわかった。当初は町歩きを考えていたが、せっかくなので久しぶりに志賀高原の空気を吸いに行こうと決めた。コースは東館山から赤石山の稜線歩き、東館山へリフトで登り赤石山から大沼池に下れば一日の行程としては短すぎず長すぎず、ところどころで眺望も期待できるというものだろう。
翌朝、長野駅東口から9時過ぎ発の志賀高原直行バスに乗り込んだ。平日だからか乗客は二人しかおらず、ほぼ貸し切り状態になっている。車窓からは北信五岳、高社山と眺められて楽しいことこのうえなく、湯田中温泉に渋温泉と通り過ぎ、両側に山肌が迫るようになれば高原は近い。うねうねと山腹を縫う車道を登り、開けた終点の蓮池で外に出てみると、空気が乾燥していて心地よい。ああ山だ、高原だ、思わず腕を振り回して世界の空気をかき回す。肌に受ける冷涼感が快適だ。
乗り換えバス待ちのあいだ、湯田中温泉から来て白根火山に向かうバスを出迎える。座席がそこそこ埋まっている。たとえ平日であっても草津白根山の人気は絶大らしい。一方、登山口のリフト発着点へと向かう奥志賀行きの乗客は、自分一人だけだった。
発哺温泉(ほっぽおんせん)で下車し、まずはゴンドラリフトなるもので一気に高度を稼ぐ。途中の長いスパンで下を見下ろすと驚くほど高度感がある。ドアのあるゴンドラだからよいようなものの(4人乗りと少々狭いが)、開放的なスキーリフトで上がっていったらなかなかスリリングにちがいない。
到着した東館山にはレストランと展望台があって、そのどちらからも眺望がよい。展望台から正面は善光寺平方面で、残念ながら夏雲が湧いていて北信五岳はガスのなかだったが、高社山が意外と近い。右手上には見た目以上に高く大きい焼額山が広がる。ただ全身がスキーコースに覆われているのでまるでバリカンで削られたような痛々しさも感じる。とはいえこれもまた志賀高原だ。
左手を振り返れば、志賀山・裏志賀山の双耳峰と笠ヶ岳が並び、その合間に御飯岳が鯨のような背を見せている。さらに左手にはこれから辿る寺子屋山から赤石山の稜線も見上げられる。その足下には本日の山道の終点である大沼池も顔を出している。岩菅山は、レストランに入って奥の窓から正面に眺められる。裏岩菅と併せた姿はいつ見ても壮健だ。
東舘山展望台より左から大沼池、裏志賀山・志賀山、ガスに霞む御飯岳、笠ヶ岳
東舘山展望台より左から大沼池、裏志賀山・志賀山、ガスに霞む御飯岳、笠ヶ岳
目当ては眺望だけだったはずのレストランを出ようとして、メニューが目に留まる。ライ麦パンにポークを挟むサンドイッチがおいしそうだ。そういえばここ二三日、淹れたコーヒーを飲んでいない。で、11時と少々早いが昼食とすることにした。750円のセットは、サラダにフルーツデザートまでついて豪勢で、サンドイッチは予想以上に美味だった。ガスからときおり姿を見せる岩菅山を眺めながらコーヒーを飲んだ。


東館山でだいぶ遊んでしまったので、リフト乗り場の建物を出たのは到着から一時間近く経ってからだった。外に出ても、周囲に広がる東館山自然植物園が無数の秋の花を咲かせていてなかなか歩みが捗らない。花の咲く傍らには名標があり、植物図鑑にあたる労を省いてくれる。
イワインチン
イワインチン
ノコンギク
ノコンギク
ウメバチソウ
ウメバチソウ
自然植物園は斜面に広がっている。あちこち立ち止まりつつ下りて、平坦になったところからようやく快調に歩き出す。スキーコースらしき伐り開きのなかをゆるやかに登ると大きく開け、最初に越えるべき寺子屋山が右手上に仰がれ、左手には再び焼額山がゆったりと大きい。東館山のゴンドラ発着場も見える。観光客の何人かは、寺子屋山を見上げて昼過ぎに山に上がろうとする単独行者を目にとめ、今から登るのかと思っているかもしれない。
寺子屋山山頂直下のスキーゲレンデから見る岩菅山・裏岩菅山(左)
寺子屋山山頂直下のスキーゲレンデから見る岩菅山・裏岩菅山
針葉樹とコケのお出迎え
針葉樹とコケのお出迎え
秋の花が競う草原が尽きた先は針葉樹の目立つ森のなか、足下の荒れた山道になる。眺望のない急坂を木々の幹や岩に張り付いたコケなど眺めつつ登っていくと、斜度が緩み、ほんの少しだけ道幅が広がっただけの山頂に着く。あいかわらず眺めはないが、人影がないせいで不必要に気が散ることもなく、三角点の脇に腰を下ろしてひとり一息つく。狭いながらも明るさを感じるのは日が高いせいだろう。
短い休憩を切り上げ、再び穏やかな道のりを行くと、ほんの10分ほどで金山沢ノ頭なる地点で、右手への分岐がある。本日辿るべき赤石山への行程がこれで、正面に続くのは岩菅山に行くもの、だいぶ前から切明温泉へと下る計画を立てながらいまだ歩けていない道筋だ。この休みに辿ろうと思ったものの、天候と体調を鑑みた結果、計画段階で見送っている。まぁ、何度でも捲土重来を期することができて、楽しみが尽きないとしておこう。


赤石山への道のりに入っても森のなかの道が続く。風格のある針葉樹の木々が次々と現れ、かつて裏岩手縦走路から大白森に至る行程を歩いたときのことを思い出す。あのときはゆるやかな尾根筋のあちこちで木々が倒れていた。稜線はさほど雪が積もらないということなのかもしれない。
それにしてはスキー場以来というもの眺めがなく、期待外れかと思い出したころ、左手が大きく開ける。魚野川の広く深い谷間が彼方へと続く。その上に高まり重なる山並みは野反湖西岸へと達するものだ。正面にはこれから向かう赤石山があいかわらずいびつな山頂を誇示している。振り返ればいま下っている寺子屋山の斜面から岩菅山がのっそり姿を現す。裏岩菅が後ろに回ったことで鋭角的な姿だ。山々は多く人影はない。谷間には好ましい空虚感とでもいうものが広がっていた。
金山沢ノ頭を越えたところで魚野川の谷間を見渡す
金山沢ノ頭を越えたところで魚野川の谷間を見渡す
行路はどんどん下っていく。それほど急な下りではないが、いましがた眺めて予想したよりは長々と下る。登り返しは時間がかかりそうだ。ここまで来るとただでさえ静かな9月平日の高原はさらに静かで、動くものといえばときおりそよぐ風くらいだった。高度がありすぎて蝉の声もない。歩いていると暑いが日陰に立ち止まれば涼しい。昨日は蒸し暑いなかに低山歩きをしたものだから、本日同様に静かな山中にありながら終始汗が流れ落ち滴り落ちという状態で不快度を払拭できず、つられてか日々の不愉快ごとが脳裏に浮かんでしかたなかった。本日の山は余計なことがほとんど意識に上らず、こちらを静かに見守るだけの木々を眺めながら落ち着いて歩ける。
ようやく鞍部らしきところを過ぎるころになった。正面には大小二つコブの向こうに赤石山がまだ遠い。小さいのを越え、大きなコブばかりが見えるようになると、長い登り返しが始まる。高みに着いてみると本峰はまだ先だった。金山沢ノ頭から赤石山までコースタイム80分とガイドにはあったが、どうもこのとおり歩くのは今の自分には無理なようだった。すでに13:30過ぎ、赤石山から最寄りバス停まででも予定では2時間半かかる。蓮池から出る16時台の長野駅行き直通バスに乗って楽して帰るというのはあきらめた方がよさそうだ。ではのんびり行くことにしよう。まずは休憩しよう。
秋の気配
秋の気配
近づく赤石山
近づく赤石山
赤石山へは再び少々下って登り返す。この登り返しが疲れたのは昨日の疲労が出てきたせいか、のんびり行こうと決めた心のゆるみのせいか、もしくは両方か。さてすぐそこが山頂、というところで、左手にわりと幅広の山道が分かれていく。野反湖西岸に続くもので、大きな案内板が木の幹に取り付けられている。よく読むと、野反湖までは10時間かかり、安易な入山を避けるようにとある。このような看板があるということは、文字通り無謀に山中へ分け入ってしまった人がいたということなのかもしれない。
到着まで予想外に時間のかかった赤石山山頂は、地衣類に覆われて薄緑色した大岩がそびえ立つ場所だった。しかし到着時刻にはガスが湧くようになってしまっており、岩も滑りやすそうだったので無理に上ることはせず、山頂直下のザレ場上部に移動し腰を下ろした。眼下には大沼池、残念ながらガスに遮られて空を映せないため期待の澄明な青ではなく鈍色をしている。水面をいだくように取り巻く稜線がときおり姿を現す。バーナーで湯を沸かしながらガスの動きを目で追う。リズムもパターンもない予測不能の展開、いつまで見ていても限りなく、まるで見ていなくても同じことだ。そうこうするうちに湯が沸騰する。今日はインスタントのカップコーヒーだが、十分美味い。
山頂直下のザレ場から見下ろす大沼池
山頂直下のザレ場から見下ろす大沼池
山頂から始まる大沼池への下りはほとんどが急傾斜で、さらにそのほとんどが階段道だった。そうでなければ転倒しかねないし、山道にしても踏み壊しが拡大することだろう。2ヶ月前の足首捻挫が癒えていない身としてはかえって階段道で助かるというものだ。四十八池から延びてきた忠右衛門新道を合わせても急な山道は続く。ようやく斜度が緩むと、行く先に輝く水面が窺え、広がってくる。大沼池は夕方近くでもまだ光に満ちていた。


ずいぶんと大きなレストハウスは月曜だからか、閉店時刻を過ぎたのか、すでに閉まっていた。そのまえには海辺のように砂浜が広がり水際に続く。この時点での東日本の広範囲な水不足がここにも及んでいるのか、かなり汀線は後退しているようだった。開けた砂浜を後にして、谷筋はるか先にあるバス停に続く道のりは湖を回り込んでいく。順光になって青空を映すようになると、ようやく湖面は昔眺めたのと同じ青に染まった。野反湖ほど開放的ではないが、陰鬱ということはない。同じ志賀高原の琵琶池や丸池のように俗化しすぎてもいない。ともあれ明るい湖であることは間違いない。
大沼池の畔にて。赤いのは鳥居。
大沼池の畔にて。赤いのは鳥居。
さて山道は終わった。水面の眺めが途切れるところからは、長々と続く林道だ。許可車両しか入れないので車に悩まされることはないのが助かる。徐々に傾く日を意識しながら、それでも淡々と歩いて行く。バス停のある車道に出るころは日差しもだいぶ赤みを帯びてきた。見上げてみれば志賀山と裏志賀山が霞むように上空に立ち、高原の盟主は自分たちであると主張している。かつて連れとあの山々を歩いたが、改めてまた登るのもよいことだろう。そのときは市街地でなく高原に泊まって歩きたいものだ。たとえ車道が通っていても、山の空気はよいものだから。
2012/09/10

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