破風岳から御飯岳(奥)と毛無山(右手前)御飯岳
ついうっかり「ごはんだけ」と呼びそうになるこの山は、「おめしだけ」という。志賀高原・草津白根山四阿山とのあいだ、悠然と山体を横たえる山で、樹林が濃く期待するほどには稜線は伸びやかではないだろうけれども、やはり登りに行きたいと思わせるおおらかさがある。下り坂の天候をおして長野へでかけ、初日にこの山を登ろうとして時間が無く果たせず、明日こそはと麓の須坂市で一夜を過ごして朝方に予報を見ると、午後はともかく午前中は降水確率は低い。よし出発だ。


市街地を出て主要地方道54号線を志賀高原方面へと車を走らせる。途中で分かれる県道112号への入り口がわからず右往左往したあげく、いつのまにかその県道に乗り、昨日の五味池破風高原自然園へと同じく、人の居住空間がない山岳道路を10数キロ走っていく。
高度が上がるにつれ、ガスが立ちこめ、車道の上を流れるまでになる。これは眺望は期待できないなと気落ちしつつ何度もカーブを曲がって上がるうち、”遭難多発”を警告する看板が目に付くようになった。ハイカーがこのあたりにそう多いとは思えないが・・・と訝しんでいると、字の多い看板に、山菜採りで道迷いして行方不明になる人が多いとあった。タケノコ取りに熱中して帰って来られなくなってしまうらしい。しかし季節でないのか天気がよくないせいか、その手の車両は見当たらなかった。
じつは山深い
じつは山深い
御飯岳と老ノ倉山との鞍部近くで毛無峠方面の車道が右へと分岐する。まっすぐ行けば万座方面のを見送って、今まで以上に細い道に入る。すれちがいには苦労しそうで、峠から戻ってくる車が来なければいいがと思いながら山腹道を走る。ガスが晴れていれば眺望のよいところらしいが、本日は気が散らすものが目に入らず運転に集中できて良い、と思うしかない。
行く手の上空に緩やかな弧を描くものが見え始めた。減速して姿を窺う。毛無山だった。昨日登った破風岳から見下ろした時はただの稜線の盛り上がりにしか見えなかったが、本日は見上げるせいか山らしく見える。終点の毛無峠は近い。本来なら向かいに屹立しているはずの破風岳も見えるはずだが、白い紗が邪魔してまるで見えない。雨こそ降っていないが、眺望がないまま峠に着く。
峠から見上げられたのは破風岳があるはずの左奥に丸く高まる土鍋山だけだった。その姿までガスのなかに消えてしまうと、背の高い木の一本もないくせに展望がまったくない砂礫地の峠は殺風景きわまりないものになる。その殺伐さをいっそう際立たせているのが、頭より高い場所に立ち並ぶ、うち捨てられた索道用鉄塔だった。5基もある。ケーブルはもちろん張られておらず、重々しい滑車が存在意義のなさを強烈に主張している。漂うガスのさなかに無用に立ち並ぶ鉄塔はまさに墓標のようだった。あらゆる自然の猛威に抗して立ち続けてきた迫力に惹かれてついつい近くに引き寄せられてしまう。気づけば車のドアをロックしていない。慌てて戻る。
毛無山を背に立つ放棄された索道用鉄塔
毛無山を背に立つ放棄された索道用鉄塔
峠の下は晴れているので見渡すことができる。上州側の随分と低くに小串鉱山跡地というのが見えるのだが、その近くに一基、すぐ傍にあるのと同じような鉄塔が立っている。振り返ってみると長野側の広い谷間の真ん中にも一基、こちらは文字通り取り残されたように立っている。群馬側にある鉱山からわざわざ峠を越えて長野側へケーブル輸送していたらしい。後に調べたところによればそのほうが採掘物(硫黄)を公共の輸送機関に載せるのに便利だからだったそうだ。しかし冬場などどうだったのだろう。滑車など凍り付いて上手く動かなかったのではなどと、昔のことを心配したりもする。
矜恃とも怨念ともつかないものを放射する産業遺跡を前にいろいろ思いを巡らすことができそうだが、この調子で鉄塔を見上げ眺め、鉱山跡を見渡していると、いつまで経っても山に登れない。文字通り後ろ髪を引かれながらも「またここに戻ってくるのだから」と登高を開始する。緑なす絨毯が敷かれたような毛無山はコケに覆われているのかと思ったものの、気づけば足下はガンコウラン、少し背の高い灌木と思えたものはハイマツなのだった。2,000メートルに満たない標高でこの植生。まるで北海道のようなところだ。
毛無山に登り着いても、行く手はガスに遮られてなにも見えなかった。晴れてさえいれば御飯岳を見上げて感嘆の声の一つもあげるはずだが、かわりに出るのは落胆のため息だった。しばらく待ったが視野の広がる予兆もなく、あきらめて眺望のよいはずの稜線を歩くしかないようだった。だが見るべきものが皆無なわけではない。毛無山の山頂を境に足下の植生はがらりと変わっていた。ハイマツとガンコウランが消え、笹が主体の草原になっている。もはや高山の趣は薄れ、通常の2000メートル級の稜線の姿に戻っている。ピーク一つでここまで変わるものかとだいぶ驚かされた。
ハイマツとガンコウラン
ハイマツとガンコウラン
山頂を越えると草原だった
山頂を越えると草原だった
膝から腿までの丈になった草葉は結露していて、両側から覆い被さってハイカーの下半身を水びだしにしていく。しかたないので雨具を付けた。正面に針葉樹の森が見えてくる。いよいよ御飯岳の森の中に突入だ。見通しが効かない天候なので木々に周囲を囲まれてもあまり残念な気がしない。むしろ霧に浸かるコケの緑が鮮やかに見えて好ましい。
行程の中程で休憩に腰を下ろし、木々の幹やら根本やらを眺め渡していると、白く小さな全身半透明の、タツノオトシゴに似たのが落ち葉の合間に見えた。ギンリョウソウだった。一つみつけると、周囲にいくつも出ているのに気づく。固まって生えていれば目に付くだろうけれども、一本一本だと小さいせいか目立たない。うっすらとしたガスが静かに漂うだけで、行き交う人の姿はなく、鳥の声も虫の羽音も聞こえない。風もないので葉擦れの音さえ聞こえず、立ち止まれば自分の疲れた呼吸音だけが耳に響く。
概して歩きやすかった山道が、予想外に傾斜が急になった。短時間ながら木々の幹が入り組んだところを通過する。もう山頂かと思ったら、若干下り、また緩やかに登り出す。相変わらず遠望が効かない山道を行くと、ほんの少し開けた山頂に出た。人を驚かす岩も大木もなく、眺めもない。さほど背のない針葉樹にまばらに取り囲まれた小平地のまんなか、細い棒杭に打ち付けられた山頂標識が立っている。ひしゃげたブリキ板に黒ペンキで山名が書かれた、二昔も三昔も前にあちこちの山でよく目にしたもの。近ごろ見かける不必要に立派なのではない。あの膨大な図体にこの慎ましい山頂。いいじゃないか御飯岳。
ガスの中の御飯岳山頂
ガスの中の御飯岳山頂
昼前の時間帯だったが、八月とはいえ最初の週の月曜であり、しかも山全体がガスに覆われるような天候なので誰も上がってこない。もともとあまり人の訪れが繁くないのか、表土が見える地面はそう広くない。山頂標識の傍らには三角点があり、その脇には50センチほどの丈に切られた丸太がここに座れとばかりに転がっている。腰を下ろして湯を湧かし、コーヒーを淹れた。盛夏だというのにTシャツ一枚で座っているとやや肌寒く、熱いものが美味しい。風無く漂うガスを草原の上に眺めつつ、ゆっくりとカップの中身を減らしていく。空になる頃になって、ぱさぱさと周囲に音がし始めた。雨粒が落ちてきたのだった。彼方で雷鳴が聞こえる。御飯岳の主は休憩時間をくれるほどには親切らしい。甘えすぎることなく、ここは早々に下った方が無難というものだろう。
脇目を振らずに往路を戻る。途中の急坂を除けば歩きやすく、休憩なしで毛無山との鞍部の草原に出た。そこで開けた光景を目にして、背後の雷鳴を聞きながらも、足を止めざるを得なかった。峠の上を覆っていたガスが大きく晴れて、破風山が全貌を現していたのだった。谷底から立ち上がる溶岩台地は、間近に眺めるだけに迫力があり、思わず声を上げて見入ってしまう。ここで立ち止まっていてはいけないと歩き出すのだが、位置を変えるごとに手前の毛無山と背後の土鍋山との被写体構成が変わっていくため、何度もカメラのレンズを覗き込む。なかなか歩みが捗らない。
破風岳(右)、土鍋山(左奥)、毛無山(手前)
破風岳(右)、土鍋山(左奥)、毛無山(手前)
これ以上撮っても同じ写真しか撮れないとあきらめが付いた頃には、雷鳴は割と近くで鳴るように感じた。毛無峠までは見晴らしのよい稜線である。ともあれ毛無山を越さないことにはと、息を切らして鞍部に下って登り返す。ここからの展望がまたよいもので、再び何度も歩を止めてしまう。幸いにまだ雨雲は遠いらしかった。あらためて目前に屹立する山々を見上げ、遠望できる周囲を見渡した。暗く垂れ込める雲の下に、浅間隠山が三角錐の影を作っていた。
再びガスが押し寄せる毛無峠
再びガスが押し寄せる毛無峠
車まで下って着ていた雨具を脱ぐ。群馬側の谷間に視線をさまよわすと、毛無峠から未舗装道をゆっくり小串鉱山に下っていく車がある。この天気に廃鉱跡を見て回ろうとする人かもしれない。いつか足を踏み入れてみたいところだが、今日のところは行けない。いまは昼過ぎの1時半、これから須坂市に下り、入館4時半までの須坂版画美術館に赴いて、本日最終日の『山の版画家 畦地梅太郎展』を見るつもりだからだ。
車に乗り込んでエンジンを掛ける頃、ちょうど雨が降ってきた。すぐさま、ワイパーを動かさないと前が見にくくなるほどになった。破風岳も隠れ、谷間も再び白く閉ざされた。幸いに対向車の来ない山腹道をゆっくり走り、御飯岳を下っていった。
2016/8/1

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