オオシラビソの樹海の向こうに畚岳(右)、秋田駒(左奥右)、乳頭山(左奥中央)。秋田駒の手前は八瀬森(たぶん)

八幡平から秋田駒ヶ岳へ

7月下旬でもまだ広範囲に梅雨空が広がっている国内で、九州以南と北東北以北が晴れていた。唐突に長い休みが取れることになり、宿の手配とコース選択の容易さから八幡平から秋田駒を結ぶルートを歩きに行くことにした。宿の手配と言ってもなんのことはない、すべて山中の避難小屋泊としたということだ。山上に広がる湿原とオオシラビソのなかを行くなだらかな八幡平。晴れていれば好展望のはずの乳頭山と秋田駒。いずれも一度は訪れたことはあったがそれぞれ別々にで繋げて歩いたことはなく、初訪時の秋田駒は良くない天気の訪れでもあったので改めて周囲の眺めを見てみたくもあった。
無明舎から出ている『秋田の山歩き』では、八幡平の項にてこのルートは二泊三日くらいの日数が必要と書かれている。Web上に公開された過去の山行記録を見ても山中では二泊で抜けているようだ(東京前夜発で初日の朝に八幡平を出発し、三日目の昼前に秋田駒を下りた記録もある)。だがここ二ヶ月まともな山歩きをしておらず身体が作れていない身としては無理をする気がせず、初日は八幡平の茶臼岳山荘に泊まって八瀬森山荘、田代平山荘と泊まり歩き、さらに秋田駒の阿弥陀山荘に泊まって五日目に帰京するという計画を立てた。しかしじっさいには暑さと疲労が激しく、八瀬森山荘と田代平山荘の間で大白森山荘にも泊まり、しかも秋田駒はおおよそ割愛した。


<<初日:2007/07/23(月)>> 盛岡=(bus)=茶臼岳登山口-茶臼岳(茶臼山荘泊)
盛岡駅前12時過ぎ発の松川温泉行きバスは停留場での行列が長かったため乗車率100%超で出発した。ほぼ全列が2人掛けシートのため通路が狭く、通路側に座ったので乗り降りで人が通るたびに脇に置いた大きなザックを膝の上に抱え上げる。1時間ほどで着く東八幡平の柏台という新興住宅地のようなところ(大きな病院もある)でようやく空いたものの、すぐ先の東八幡平交通センターで八幡平行きに乗り換えとなる。ハイカーか藤七温泉に行く人だけを乗せた大型バスはかつて宿泊した八幡平ユースホステルを過ぎ、正面に間違えようのない茶臼岳を見上げながらのんびり上がっていく。
登山口である茶臼口で下りたのは自分一人だった。店はおろか停留所も、停留所の標識さえもないところだが、ここはかつて最終バスを乗りそびれた場所で、その寂しさ加減たるや感慨深いものがある。
尾根筋に付けられた踏み跡はヤブもかぶらず明瞭だった。30分強で真新しい避難小屋前に出た。平小屋だが広くきれいで別荘のようだ。荷物を置いて茶臼岳に向かう。かつて訪れたのがだいぶ前なので勝手を忘れており、小屋前から眺める姿に急な登りを予想したもののじっさいにはほとんど負荷を感じないまま山頂手前まで来て、少し傾斜が出てきたと思ったら頂上だった。正面の岩手山は雲の中だが、大きさを感じさせる裾野が切れ切れの雲の端から見えている。眺める足下には池を抱く小湿原が無造作に横たわる。月曜の夕方のせいもあるだろうが、車道がすぐ真下を通っているとは思えないほど静かで穏やかだ。
明日の長丁場を考えて稜雲荘まで行こうかと思っていたが、茶臼岳山荘の快適さに惹かれてここに泊まることにした。水がないことは事前にわかっていたので持参したのが2リットル半ありとくに心配はない。夕暮れ時になると風がやや強くなってきた。八幡平はガスに覆われたままだったが、岩手山は日が沈むころに雲が取れ、遠くの早地峰山、向かいの姫神山を従えて優雅かつ威厳ある姿を見せていた。
夕暮れの茶臼岳山荘より岩手山
まだ明るいうちに夕飯を作って食べ、7時には寝た。この日は誰も来なかった。移動の疲れだけだったので夜半に眼が醒めて寝付けなくなり、気分転換に外に出てみると天の川が夜空を大きく横切っていた。その上にカシオペアが横たわる。満天の星空で言うことなしだった。


<<二日目:2007/7/24(火)>> 茶臼岳-源太森-八幡平頂上-畚岳-諸桧岳-険阻森-大深岳-関東森-八瀬森(八瀬森山荘泊)
今日は行程が長い。それでも出発は5時だった。3時半には空が白みだしていたのでもう少し早くても良かったかもしれない。太陽を背にしてササの間の山道を黒谷地へと下る道筋は、頭大の石がごろごろしてやや歩きにくい。モミジカラマツの白く繊細な花を眺めるうちに着く黒谷地は記憶にあるより小さな湿原で、斜めに差し込む日の光にニッコウキスゲが金色に輝き、ワタスゲがふわふわと白くなびくのが愛らしい。ただ地図を見ると展望台のある分岐から南に湿原は広がっているようで、そちらに足を踏み入れてみるべきだったかもしれない。二度訪れて二度とも味わえなかった”熊の泉”という湧き水も途中にあるようなので、次に来たときは忘れずに寄ってみようと思う。
ふたたびオオシラビソとササの合間の道を行く。こんどは緩やかに長々と登っていくと、ふと右手にわずかに上る踏み跡があって源太森を案内している。先を急ぎたい気持ちを抑えて入ってみると案ずるまでもなく僅かな登りで四囲を見渡す好展望地に出る。ここは茶臼岳で感じられた高度感は少ないものの、眺めの大きさははるかに上だ。なによりまず八幡平が広い。天空に浮き上がった台地を覆うオオシラビソの広大な森、その一角を切り開いて明るいのは八幡沼とその周囲の湿原だ。遠くに目をやってまず目印となる畚岳を見定めると、その右奥彼方の雲間に三角形の頭を出すのは鳥海山とわかる。その左手前には黒々とした秋田駒、乳頭山。乳頭山は左に傾いだ鋭角的な形、秋田駒は最高地点の男女岳(おなめだけ)と男岳が明瞭にわかる。来し方を振り返れば岩手山はもとより昨夕同様に早地峰山に姫神山が機嫌良く顔を出している。山頂中央に鎮座する展望案内板によれば岩木山まで見えるらしいが、今は雲の中のようだった。
源太森を下りて右手に谷間を見下ろしつつ八幡平核心部への台地へと向かう。ワタスゲがなびく広々とした八幡沼湿原は爽快で、風に立つ波も涼しげな八幡沼が歩くにつれ湖岸線を変化させていく。沼を見下ろすように建つ避難小屋の稜雲荘はかつての赤屋根に白壁のメルヘン的なものからシックな外装のものになっており、中を覗いてみたところ茶臼岳山荘よりやや狭くて暗いが内装はしっかりしている。観光地的な遊歩道でデッキのような見晴らし台に出て真っ青な水面を光らせるガマ沼を八幡沼の隣に俯瞰したのち、ふたたび森のなかに入っていく。八幡平山頂とされるところに着けば木造の展望台があり、これに登ってもオオシラビソの木々に邪魔されてあまり視野が得られないが、雲から顔を出した岩木山や八甲田山の連峰を遠望できた。山頂からバス停に向けて下る途中、秋の初訪時に紅葉が湖面に映えて美しかった火口湖が次々と見送ってくれる。観光地化が進む中でもいまだ神秘的で、人の訪れの少ない朝に眺められたのがよかった。
稜雲荘前から八幡沼 ワタスゲ揺れる八幡沼湿原を行く
稜雲荘前から八幡沼 ワタスゲ揺れる八幡沼湿原を行く
源太森山頂から八幡沼を俯瞰する。左奥は畚岳。
源太森山頂から八幡沼を俯瞰する。左奥は畚岳。
車道が乗り越す峠に出たのは7時過ぎだった。広い駐車場とレストハウスがあるが開店は9時からで、夜間の破壊を恐れてだろう、自販機の一つもない。レストハウス脇には水道があり、ここで水を補給できた。すぐ近くに国立公園案内所が店を開けており、裏岩手縦走路の状況を聞いてみると現時点では刈払いが畚岳あたりまでらしく、その先はヤブがかなりかぶっているらしい。ただ踏み跡は明瞭とのことなのでひとまず安心だ。


八幡平アスピーテラインと呼ばれる車道から別れ、藤七温泉に続く車道に入る。正面の虚空に畚岳がせり上がっている。右手の広い谷間の彼方には森吉山がゆるやかな裾野を引いている。手前すぐ近くには成層火山の上半分を取り払ったように頭の広い焼山が複雑な山頂部を見せている。畚岳登山口では刈払いに行くらしい地元の人々が刈払機をかついで一服していた。どこかの温泉に泊まったのか、軽装の中年女性四人組が畚岳に登ろうともしている。意外とこのあたりは平日でも賑やかなようだ。
国立公園案内所で聞いたとおり、畚岳へは比較的歩きやすい道だった。縦走路から分岐する踏み跡は急だが脚だけで登れる。着いた山頂は眺望がすばらしい。茶臼岳や源太森と並んで八幡平三大展望台の一つとされるだけはある。八幡平がどこから尾根でどこから頂稜なのかわからないほどゆったりとした姿を見せ、その左には焼山が這いつくばるように広く、その彼方にはすっかりお馴染みとなった森吉山が端正に浮かぶ。八幡平に背を向ければ、これから数日掛けて辿ろうという稜線の連なりがよくわかる。この畚岳から伸びる稜線はゆるゆると高まりつつ、尖った険阻森でアクセントを付けたあと、屏風のように茫洋としてつかみ所のない大深岳に拡散している。そこから尾根というのも躊躇する広い斜面が右手に流れ出しているが、これが県境縦走路の尾根だ。いくつか湿原を載せているのが遠目にもわかる。いったん緩やかに下った稜線が一度盛り上がろうとしてためらい、しかし決然として背をもたげたのが曲崎山だ。ここからだと蛸入道のように見える。稜線はこのあたりから向きを変え、左手後方の乳頭山に続いていく。秋田駒まではだいぶ遠い。
藤七温泉に向かう車道から畚岳 同じく、森吉山(奥)と焼岳
藤七温泉に向かう車道から畚岳 森吉山(奥)と焼岳。焼岳の山腹には蟹沼火口が見える。
大深岳の左に逆光で黒々とする岩手山を眺めつつ、畚岳を下って隣のピークの諸桧岳へと向かう。ところどころササがかぶるが、刈払いがなされているおかげで足下が見えないということはない。そのかわりに踏み跡に刈られたササが積もってやや滑りやすい。前方からエンジン音が聞こえてくると、畚岳登山口で出会った人たちが刈払い機を振るっていた。その先から足下の見通しが悪くなる。オオシラビソの木々が見晴らしも遮る。裏岩手縦走路は遠望すればなだらかな稜線で、ササの覆う穏やかな道のりかと思っていたが、じっさいに来てみるとそうでもなかった。
諸桧岳への登りは深まるササとの闘いの序奏だった。畚岳山頂が良すぎたのか、眺めのないのには気が滅入る。山頂は山道の通過点のような趣だったが、その先は眺めのよいゆるやかな頂稜で、険阻森との鞍部に下り出す前がとくに展望がよい。イヤに高く見える険阻森は尖った頭をもたげる小気味よい見栄えで、なだらかな稜線にあって多少の個性を主張している。しかしそこまでの山道は苦闘の連続で、見通しのないオオシラビソと笹原のなかを、文字通りヤブコギしながら進まなくてはならない。登路はよく踏まれているので慌てずに脚を出しさえすれば進む方向を過つことはないのだが、なにせ地面が見えない状態が続くので気疲れする。背の高さを超えるササヤブも何度かあり、文字通り頭から突っ込んでいく。そして恐るべきはハイマツの強靱な枝だ。ササは流れに任せていればやり過ごせるが、ハイマツはこちらが避けないと跳ね返されてしまう。避けるのが中途半端だと剥き出しにしている腕や脚に摺り傷やら打ち身やらをこしらえる羽目になる。展望のあるところに出るとヤブからは解放されるが日差しが暑い。日焼け止めを塗っていてさえも腕が痛くなる。こういう難行苦行の連続に負けて 、諸桧岳から険阻森まではガイドマップだと1時間の行程なのだが、途中で20分の休憩を何度もいれたものだから、2時間半もかかってしまった。


しかしこの稜線はヤブばかりかというとそんなことはない。遠く近くに驚くほど多様な湿原が現れ、いつまで続くのかわからないヤブ歩きにうんざり気味の身を慰めてくれる。湿原ばかりでなく、暑苦しい夏日を照り返す池や残雪は高山の趣で涼を呼ぶ。例外は石沼で、干上がりかけた沼の内外に赤茶けた岩がごろごろと転がる光景には驚かされる。涼は呼ばないが暑さは忘れるというくちだ。オオシラビソの林のなかをかなりいくのだが展望が開けないわけではなく、山腹の崩れやすい踏み跡をハイマツの枝を気にしつつ行くところでは前方に高く聳える岩手山を背景に北の又川の作る大きな谷間が広々と高い。山腹を削って伸びる"八幡平樹海ライン"の車道さえなければ原始の感触さえ得られることだろう。
空を映す沼
県境縦走路。右奥が曲崎山。左奥の端に尖った頭の乳頭山、雲に隠れる秋田駒
縦走路上に忽然と現れる荒涼とした石沼
(上)縦走路上に忽然と現れる荒涼とした石沼
(左上)空を映す沼
(左下)県境縦走路。右奥が曲崎山。左奥の端に尖った頭の乳頭山、雲に隠れる秋田駒。
険阻森はこのあたりでは珍しく山頂に岩が出ている。眺めはかなりよい。しかしここからさらにまた下って登り返す大深岳がまたやたら高く見える。ここで12時をだいぶ回っている。諸桧岳から険阻森まで一時間のところ二時間半もかかってしまったのは暑さと荷の重さのせいだ。まだ行程の半分ほどしか終わっていないのに、小屋を出てから8時間近く経っている。単純計算すると本日の泊まり場である八瀬森山荘には夜に着くことになってしまう。明日の行程は、その八瀬森山荘から乳頭山手前の田代平山荘までの予定だが、これがまた8時間近くあり、本日の調子ではまず歩き通すのは無理だろう。なにより、今の歩き方ではまわりを見回す余裕がない。いかに笹藪で見通しがなかろうと、ハイマツの枝で前進を阻まれようと、荷が重くて青息吐息になっていようと、ある程度は楽しむ余裕があるものだが、じっさいには先を急ぐことばかりが気になってただ歩いているだけになってしまっている。こんなことをしにきたのではない。
とすれば今日などは目の前に高まる大深岳の山頂近くに建つ大深岳荘に泊まるのがもっとも良さそうに思えるのだが、そうなったらなったで明日以降の行程がやたら日数がかかるものになってしまう。今日のところはなんとしても、水場が確実にある八瀬森山荘までがんばろう。明日は、田代平山荘まで行くのはやめて、中間にある大白森山荘までとしよう。きっと明日はあの蛸のような曲崎山を越えるのに苦労することだろう。日帰りなら何てことはないだろうが、この疲れ具合では・・・。
険阻森から大深岳へは、畚岳から険阻森へと同様に、ヤブに眺望を遮られるかと思えば展望が開け、湿原も観られるというものだったと思う。この区間はただ単に歩いていただけだったように思える。大深岳荘に着いたときは、まず中に入って荷を投げ出して大の字になってしばらく横になっていた。きれいな小屋で、ここで本日の山行を終わりにしたかったが、やはり登ることにした。
前諸桧から険阻森(右)と大深岳 大深山荘手前の湿原
前諸桧から険阻森(右)と大深岳 大深山荘手前の湿原
水場を示す標識を見送って大深岳へと登っていった。ハイマツはあちこちに見られるものの、諸桧岳からの下りで苦労したほどには邪魔ではない。大深岳はオオシラビソの木々が邪魔して展望は今ひとつだ。山頂標識の前で振り返ると木々の間から岩手山が垣間見えるくらいである。その先、標高を下げ出すとその岩手山の眺めがよく、ここでまた荷を投げ出す。ここからの南部富士は鋭角的で凛としており、盛岡市街方面からとは異なる颯爽とした姿をしている。しかしその岩手山に連なる裏岩手縦走路へは、いったんかなり下って登り返さなくてはならないように見える。松川温泉から大深岳に登ってきて三ツ石山まで縦走し、三ツ石山荘で泊まろうと考える人は、この鞍部を見てけっこうがっかりするのではなかろうか。もっとも、疲れた目で見ていたからそう思えただけかもしれない。裏岩手縦走路はこの先が快適な核心部分とガイドにはあるが、今回はそちらへは踏み込まない。ここは後日の愉しみだ。


本日泊まる八瀬森山荘へは、見晴らしのよい大深岳の下りをいくばくか進んだところで裏岩手縦走路と別れ、右へ直角に曲がる。時計を見ればもう3時だ。ここから小屋までコースタイムとして3時間なので、早くて6時、ひょっとしたら7時に着くことになるかもしれない。それでも空にはまだ明るさが残っているだろう。あとはほとんど下り一辺倒のはずだから捗るはずだ・・・。出だしは膝から腰あたりまであるササに覆われていてまたヤブかと思うものの、しばらくいくと歩く地面が見えるようになって、諸桧岳を超えてきたときに比べれば格段によい道に感じられる。
何度も何度も湿原が現れ、何度も何度もニッコウキスゲが鮮やかな黄色い花を揺らしているのを観る。その彼方には乳頭山や秋田駒が遠望できる。左手後方には岩手山が高い。山々の姿はよく見えるが、刈払いをしていた人たちに遭ってからは人の姿を見ていない。この時間ではこのルートをこれから上がってくる人はないだろう。ウグイスの声ばかりがよく響く。
2時間近く歩いたところでわりと大きな湿原に出会う。傾きつつある光はすでに勢いをなくし始めており、左右に開けた草の上には風さえ吹かず、日暮れを予感させるうっすらとした翳りが漂っている。縦走路と別れてから脚を踏み入れたいくつものと同様、ここにも木道はない。ふわふわの泥炭層らしきものの上をあまり荷重をかけないように静かに歩いて原が途切れるころ、標柱が目に入る。この先が八瀬森であることを示しているが、距離も時間も書いていない。ただ方向が書かれているだけだった。
大深岳から下る途中で乳頭山(右)と笊森山を遠望する オオシラビソの立ち並ぶ縦走路
大深岳から下る途中で乳頭山(右)と笊森山を遠望する オオシラビソの立ち並ぶ縦走路
笹原の見晴らしの良い稜線から湿原を頂く大白森(鶴の湯から日帰り可能なものとは別)を俯瞰する</FONT>
笹原の見晴らしの良い稜線から湿原を頂く大白森(葛根田大白森または南部大白森とも)を見下ろす。
この湿原を過ぎてからは、オオシラビソの森のなかとなった。見えるものは木々とササばかりだ。ときおり道ばたにもうお馴染みのモミジカラマツやシモツケソウのような白い花が寂しげに揺れている。そんなことすら気にならなくさせるのは、何度も行く手を遮る年古りて倒れた針葉樹だ。またぎ越したり迂回したりくぐったりして登山道に戻ると、5分と歩かないうちにまた似たようなのが倒れている。跨ぐ程度で越えられるものならなんと言うことはないが、ざわざわと垂れる密集した針の葉の下をくぐったり、迂回するにしてもヤブコギさせられたりと気苦労が続く。迂回路は先人の付けた踏み跡があるのでいくらか楽だが、それでもテンポ良く歩いているのに倒木のところに来ると足取りが変わってしまうので疲労が余計に溜まる。話をしている最中に話の腰を折られるようなもので、リズムが出てこないので快適とはほど遠い。ササとハイマツの稜線もそうだったが、あれはまだ歩く速さをある程度一定には保てた。ここではそうはいかない。
しかし倒木が多い。またか、もううんざりだと内心毒づくようになる。わざわざ登山道にばかり倒れてきているんじゃないかとあたりを見渡してみると、森のあちこちで倒れている。針葉樹は根があまり張っていないようで、大木になると強風やら雪の重みやらで自重を支えきれず倒れてしまうのだろう。倒れて死んでしまったのだろうオオシラビソは、葉っぱが赤茶けた色になっている。しかしなかにはまだ緑色のままのものもあり、おそらく倒れながらもいくらかの根は土のなかに残っており、必要な水分を吸い上げているのだろう。葉っぱが半分くらい赤茶けたのもあるが、死にかけているのか、水分が不十分で半死半生ながらも生き続けているのか。
最後の湿原を見て倒木帯を行くこと一時間、関東森の標識を見る。半分倒れ掛けたもので、背にあたる部分が何かに引っかかれたかのようにずいぶんとささくれている。熊の爪研ぎだろうか。さすがに足を止める気がせず、日が陰ってきてもいるので休まず進む。


ひさしぶりに湿原が目の前に広がる。関東森と八瀬森の鞍部にあるものだ。小屋はすぐそこのはずだ。傾斜する湿原の真ん中を下っていくと、細い流れが目に入る。よく見ないと流れているのがわからないこの沢が、本日の水場らしい。豊富というには心許なく、正直がっかりしたが、流れているだけマシだ。これを渡ると、すぐ上に小屋の屋根が見えた。八瀬森小屋はやや古い小屋だった。戸を開けてみると、驚いたことに人が一人いた。先に来られていたかたも驚いたことだろう。なにせこのあたりで最も深いと思える山域に建つ小屋であり、しかも今日は平日の火曜日で時刻はすでに夕方の6時、人が来るとは思えなかっただろうから。
(続く)

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