猿橋駅南方より北都留三山(左より百蔵山・権現山・扇山) 権現山(中央本線沿線)  
 この名前の山は日本中にあるが、ここで取り上げるのは山梨県大月市と上野原町にまたがる中央本線沿線の山だ。首都圏ハイカーに人気のある扇山とその隣の百蔵山に邪魔されて列車の窓からは全体をよく見ることができず、実際にこれらの山の頂から眺めてみても山容が東西にひたすら長く茫洋としていて、権現山頂にしても尾根の途中の高まりといったすっきりしない見栄えなので、出掛けていく原動力となったのは山の見た目ではなく、地図をながめているうちに発酵してきた「いつかこの長大な尾根を端から端まで歩きたい」という思いの方だった。こうして春まだ浅い3月下旬、東の「墓村」という現実離れしたような名前の集落から上り、山頂を挟んで長い尾根を辿って鋸尾根を下り、「小姓」というこれまた浮き世離れしたような名前の集落近辺に出た。実際に歩いてみると、権現山はやはり頂でなく尾根に神髄があるとわかった。この山こそ「登りに行く」というより、「歩きに行く」と言うにふさわしい。


 8時23分に上野原を出たほぼ満席のバスから登山口の一つである用竹の停留所で下車したのは自分を含めて二人だけで、他の登山者は終点近くまで行って奥多摩の三頭山あたりを登るらしい。暖かなバスの車内と違って山間の冷え冷えとした朝の空気は身体を引き締めると言うよりは萎縮させる。寒いので早々に歩き出す。そこは三叉路で、バス路線とは別の道を歩いていくと開けた谷間に家々が見えてくる。そういう集落をいくつかやり過ごして広い谷のいちばん奧を上がるころには、何軒かの家で煙突から白い煙が上がり、風のない高曇りの空に消えていくのが目に留まるようになる。朝風呂だとしたら羨ましい限りだが、風呂の水音はもとより食事の用意の音も聞こえない。ただ煙が音もなく立ち上っているだけである。いつしか車道は山道に変わり、見通しのよい雑木林の尾根をジグザグに絡みつつ標高を上げていく。昨夜の睡眠はたった4時間なので頭の中がはっきりしない。気張らずゆっくり歩く。
 ふと顔を上げると植林の杉林の中に幹廻りの大きな木が一本目立っている。近づいていくと、同じような太さの切り株がすぐ近くにある。地図上にある「二本杉」という場所がここと察し、地名標識なしで場所を特定できたことにひとり得意になった。そこから道は傾斜はあっても急なところはない散策路になって続いていく。眺めはないが暗い感じはそれほどせず、同じような天候のときに歩いた八風山や神津牧場あたりを思い起こさせた。ときおり北側の雑木林が開けて奥多摩方面の広角の視野が得られ、白っぽい空を背景に低い屏風のような笹尾根が右手前から左手奥に長々と横たわり、その果てを形良い三角形の三頭山が締めくくる。その右手遠くに見える御前山と大岳山はうっすらと霞んで、そのまま空に溶けこんでいる。


 東西南北から登山路が集まるピークの雨降山に着く。顕著なピークではなく、稜線部では多少他より高いだけだった。送電線の鉄塔と送電設備があり、周囲は切り払われて開けた草地になっている。山道から離れ、送電設備の陰で静かに20分ほどお茶休憩とする。ここはよいところだ。日和がよければ昼寝にはもってこいだろう。そこから30分ほどで権現山山頂に到着した。手前に扇山、右奥に百蔵山が小ぶりながらも立派な連嶺の様相で立ち現れていて、山歩きを始めたころに訪れた二山を懐かしむにはよい場所だったが、先客が8名ほどいて快適に座れそうな場所はなく、立ち止まって周囲を見回しただけですぐ出発する。さらに一時間ほどで麻生山のピークに着く。ここには誰もいない。先の二山を眺めながら再びお茶にした。
 麻生山を過ぎてしばらくすると、ミニ岩場の急降下に出くわす。いままでが穏やかな道だったのでかなり唐突な感じがする。このあたりから始まる鋸尾根は名の通りアップダウンの多い尾根で、先日奥多摩の戸倉三山を登ったときに何かの拍子で右膝脇の筋肉の付け根が痛み出して歩くのがやっとという状態になったが、本日もこのころから同じところが痛み始めた。特に下りで痛む。登っている方がまだ楽だが、山は登ったら下りなくてはならず、この当たり前の事実を文字通り痛いほど感じる。ペースは半分くらいに落ちた。
 鋸尾根の「鋸」部分を過ぎると、踝まで隠れるほどの落ち葉の積もった下りとなる。まさにラッセル状態で、引きずる足で蹴散らしていく枯れ葉の音がやかましいくらいだ。積もっている葉の量が多く膝の痛みで踏ん張りも効かないので、何度か滑って転んでしまう。突如間近になった地面を恨めしく眺めて起きあがるために手をつくと、さわった地面は予想以上に暖かい。天候は悪く肌寒いくらいだし、稜線の道には霜柱が立っているところもあったが、このあたりはすでに春なのだった。木の幹につかまりながら下りもするが、木の幹も暖かい。優しさ厳しさを感じるのは人間の勝手で自然は無関心なことはわかっているが、それでも思わず頬がゆるむ。膝の痛みを忘れたひとときだった。


 痛みに耐えきれなくなるころ、山道が終わって麓の畑地に出た。車道脇のバス停にたどり着いて本数の少ないバスが来るのを気長に待ち、中央本線猿橋駅に出た。膝の故障はともかく十分楽しい山だった。
1996/3/24

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