過去の登頂記録  (2009年9月〜2010年3月)

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2010年 3月 3月30日 高水三山
3月27日〜28日 鍋倉山
3月23日 鷹ノ巣山
3月3日〜11日 ネパール・ランタン谷
2月 2月20日〜21日 権現岳
2月13日〜14日 仙丈ヶ岳
2月6日〜7日 赤岳
2月2日〜3日 高見石
1月 1月26日 笹尾根
1月19日〜20日 奥鬼怒
1月16日〜17日 横岳中山尾根
1月13日〜14日 鼻曲山
12月29日〜1月4日 北の俣岳
2009年 12月 12月19日〜20日 西穂高岳独標
12月15日〜16日 北横岳
12月12日〜13日 富士山雪上訓練
12月9日 荒船山
12月5日〜6日 富士山雪上訓練
12月1日〜2日 那須連峰
11月 11月28日〜29日 鶏冠尾根
11月21日〜23日 剣岳
11月17日〜18日 十文字峠
11月7日〜8日 餓鬼岳転じて燕岳
11月4日 牛の寝通り
10月31日〜11月1日 富士山
10月 10月28日 唐松尾山
10月24日〜25日 三つ峠冬期登攀講習
10月20日〜21日 飛竜山
10月14日 鍋割山
10月10日〜12日 北鎌尾根
9月 9月30日 飯縄山
9月19日〜22日 剣岳チンネ登攀
9月15日〜16日 燕岳
9月8日〜9日 木曾御嶽山
9月6日 逆川
9月5日 日和田山岩登り講習
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2008年 7月〜2009年2月の登頂記録へ
1月〜6月の登頂記録へ
2007年 9月〜12月の登頂記録へ
3月〜8月の登頂記録へ
2006年 11月〜2007年2月の登頂記録へ
4月〜10月の登頂記録へ
2005年 9月〜2006年3月の登頂記録へ
2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
9月〜11月の登頂記録へ
6月〜8月の登頂記録へ


高水三山

高水山から岩茸石山へは明るい雑木林だ
高水山から岩茸石山へは明るい雑木林だ

 以下の者は、2010年3月30日、奥多摩の入口の山・高水三山を軍畑駅より平溝集落を経て常福院のある高水山(759m)、最高峰で優れた展望を持つ岩茸石山(793m)、重厚な神社を持つ惣岳山(756m)と縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 美しい、長閑な山麓の中の道が歩きだしでした。三月も、もう終わるという日なのに、そして真青な完全な晴天の下なのに、吹く風は冷たく、道端の水たまりは凍り、霜柱の生えた道でした。高水山は本当に集落の「裏山」です。杉、檜の森を抜け、急斜面を登り詰めた山頂直下に建つ常福院は立派です。そして、その裏に期待していたカタクリは小さな葉を付け、ツボミまで持ちながら春の訪れを報せる花はありませんでした。関東平野に大きく開けた高水山頂を後に向かう岩茸石山への道は、植林だらけの三山の中で数少ない奥多摩らしい明るい雑木林の道でした。木の間越しに大きく見える御岳山から大岳山、御前山の雪を付けた眺め、奥武蔵の一段低い眺め、そして遠く日光連山まで望める明るい展望の道でした。霜解けの泥濘はじめた急斜面の上に春の光に溢れた岩茸石山の山頂はありました。川苔山から東京都最高峰・雲取山、大菩薩までが顔を並べる素敵な山頂は広々としていました。そして最後の杉の木に覆われた惣岳山山頂。山頂の神社は悪戯防止の不粋な金網に囲まれていても、その中の竜の彫り物等は立派で、突然の静けさに覆われていました。
 高水三山は標高700m代を忙しく上下する小さな山です。山麓の人々の山仕事の山であり、素朴な信仰の山です。雲取山から少しづつ下げた標高が青梅丘陵に没する最後の高まりは、少しだけの春の風の中にありました。

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鍋倉山

明るい防火帯には巨樹が並んでいた
明るい防火帯には巨樹が並んでいた

 以下の者は、2010年3月27日〜28日、長野・新潟県境の信越トレールの最高峰・鍋倉山(1288m)に飯山市温井から田茂木池を経て巨木の谷に入り、雪洞に宿泊した後に登頂し、黒倉山(1242m)を往復し、西の沢を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

大きな雪洞
大きな雪洞

 車道の終点からいきなりのワカンでの登りでした。広大に広がる雪野原、その背後に点々とある家並み。東京付近には絶対にない雪国の山里の独特の景色がありました。谷を越えて尾根に入ると、そこは一面のブナ林。小さい幼木から大きな木まで見事にブナだけの純林がありました。鍋倉高原のブナの特徴は驚くほどの幹の白さです。普通のブナが幹の肌に点々と苔の模様を付けて、それが独特の雰囲気を出しているのに、ここのブナは白い幹を美しく並べています。小さな雪庇を付けた小尾根の登り。そして左右に広がる穏やかな谷は、名前通りの「巨木の谷」。一抱え、二抱えの大きなブナの巨木が豪雪の斜面に立ち並びます。新潟側の空から雲が広がり、急激にガスってきた森は、チラチラと雪が舞いだしアッと言う間に静々と雪の降り積もる天気になりました。急斜面が終り、左右の尾根が合流する穏やかな斜面に今夜のネグラを決めました。この間の寒の戻りで積もった新雪の下はザラメ。その中に大きな雪洞を掘りました。いくら掘り進んでも枝一つ出ない深雪の斜面。大きな粗削りの雪洞はローソクの灯も静かな素敵な宿でした。ブナの巨木の森に泊まっている・・・という独特の興奮がありました。翌朝は、明るい空の下の登りでした。遠望は効かないものの遠く日本海も見える雪の斜面の上に丸く静かな可愛い山頂はありました。静かな踏み跡一つない見事な頂上でした。

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鷹ノ巣山

この冬最後の雪の奥多摩
この冬最後の雪の奥多摩

 以下の者は、2010年3月23日、奥多摩で雲取山から伸びる石尾根の盟主・鷹ノ巣山(1736m)に中日原から稲村岩尾根を経て登頂し、水根山、城山を越えて将門馬場から六つ石山(1478m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

明るい防火帯には巨樹が並んでいた
明るい防火帯には巨樹が並んでいた

 ブナとダケカンバ、ミズナラの巨樹の中に延々と続く急斜面。奥多摩屈指の標高差を征して登り詰めていく稲村岩尾根。まだ緑にはほど遠い早春の尾根からは背後に普段なかなか目にできない長沢背稜の不遇の山々が並んでいました。ようやく出てきた雪の凍結した斜面を登り切り、飛び出した鷹ノ巣山山頂。樹林の中を登り詰め、暗い北面の登りをこなして飛び出す南面に大きく開けた山頂に出る雰囲気は最高です。細かい雪が舞っていました。それでも、遠く大菩薩から雪をいただいた雲取山、そして三頭山を筆頭に大きく立ち並ぶ奥多摩主脈の山々の広大な展望がありました。石尾根上に雲取山からずっと切り開かれた防火帯。それが創り出す明るさは天候に関わりなく見事です。ここから六つ石山にかけての尾根は素敵でした。曇り空の下でも南面に広がるカヤトと稜線上に立つ大きな巨樹の姿は昔の奥多摩を見るようでした。予報を裏切る時折、姿を見せる青空。それでもハラハラと落ちづける小雪と小雨。日原の上に大きくかかる虹。変わりやすい、それだけに変化に富んだ春の空でした。
 鷹ノ巣山と違い丸みを帯びた穏やかな表情を見せる六つ石山の山頂。ボッカ訓練に使った河原の石が点々と置かれた山頂。振り返ると越えてきた鷹ノ巣山が見えました。素晴らしい山にもかかわらず、一切の他の登山者を見なかった一日でした。今年、最後の雪の奥多摩は静寂の山でした。

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ネパール・ランタン谷

 以下の者は、2010年3月3日〜11日の間、ネパール・ランタン谷を訪れ、シャベルからゴラタベラ、ランタンの集落を訪れ、ギャチュンゴンパからキャンジン・リ(4550m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 キャンジン・リの山頂に立った瞬間、終始、憧れと畏怖の気持で見上げていたランタン・リルンの直下から懸垂氷河が大崩壊し、大きな雪崩が氷河の上、全体を覆うかのように落ちていきました。真青な空、抜けるような、黒いようなヒマラヤの空の下に巨大なキノコ雲のように少しづつ落ちていく巨大な氷雪の流れ、スローモーションの様な動きは独特の物がありました。標高4550m。既に地上の空気の6割程度の苦しさを忘れて息を飲んで見守りました。この光景と色あせたタルチョの翻る光景。ここが、ヒマラヤの小さいけれど山頂と呼べるピークの一角であることが改めて思い知らされました。見渡す限りの標高5000m代から7000m代の屹立した氷河を持った山々。自分がその中にいることが信じられないような素晴らしい瞬間でした。
 カトマンズからの「これが核心部」といって良いほどの厳しいバスの旅。遥か彼方にガネッシュからアンナプルナ、シシャパンマまで見えたアプローチ。急斜面の至る所まで徹底的に作られた段々畑。シャブルからのシャクナゲとランの花の中の道。そして日本では考えられない生き生きした子供達の恥ずかしそうな笑顔。ランタンに向かう道すがら、ついに姿を見せたランタン・リルン。荒涼たる谷間と美しい山々の対比の中に、それでも薄い空気の中でヤクを飼い、チーズを作る人々。「風の谷」と「風」が一緒に行った三回目のネパールの山々。最も、心満たされる、素敵な旅の中の九日間だったとしみじみと感謝しています。

真っ赤なシャクナゲ・ラリーグラス ネパールのラン
真っ赤なシャクナゲ・ラリーグラス ネパールのラン 水車で廻るマニ車
マニ石を廻って谷を渡る トレッキングコースは
全て素晴らしい山の中
古い村・ランタンの朝
標高3750mのチーズ工場 ランタンリルンの大雪崩 ランタン・リ山頂
標高3750mのチーズ工場 ランタンリルンの大雪崩 ランタン・リ山頂

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権現岳

三つ頭からは抜群の展望
三つ頭からは抜群の展望

 以下の者は、2010年2月20日〜21日、八ヶ岳南端の不遇な展望の名峰・権現岳(2704m)に甲斐小泉口より八ヶ岳神社、三つ頭を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 小泉口からの権現岳は八ヶ岳の中で僕の最も好きなルートの一つです。常緑樹の一切ない、徹底的な明るいルートからは背後に絶えず富士山、奥秩父、南アルプスの山々が大きく見えています。標高を上げれば、それに中央アルプスと御嶽山が加わり、そして山頂直下で北アルプスが、その全貌を現してきます。雪山の美しさと楽しさだけを、しかも静かに味わうことができる最高のコースであると思っています。しかし、今年の冬の八ヶ岳は積雪が奇妙です。気温は間違いなく例年より低く、とりわけ1月から2月上旬にかけては徹底的な低温と週末ごとに降る雪に悩まされ続けていたにも関わらず、何故か山そのものの積雪は少ない・・・。このコースが好きで何回となく訪れているにも関わらず登山口で、ほぼ雪の無かったのも初めてなら、全くワカンを履かなかったのも初めての経験です。赤岳、天狗岳等に比べてワンランク厳しい登山を想像していただけに、楽しいだけの物足りない登山になったのではないか・・・、と申し訳なく思っています。テントを張ったヘリポートは大きく甲府盆地に向かって開け、富士山を正面に甲斐駒ヶ岳、北岳、仙丈岳を右手にテントの中から夜景の楽しめる最高の場所でした。そして、ヘッドランプと共に向かった山頂。徐々に増えてくる積雪、三つ頭からの赤岳を筆頭とする眺め。そして久しぶりの暖かく穏やかな天気。全く雲のない真青な空の下、手で触れるしかない狭い素晴らしい展望の山頂に立てました。春の訪れを感じる権現岳でした。

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仙丈ヶ岳

頂上近し!
頂上近し!

 以下の者は、2010年2月13日〜14日、南アルプス北部を代表する大きな山・仙丈ヶ岳(3033m)に戸台より赤河原を経て北沢峠より登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

仙丈岳の登りの背後には
甲斐駒ヶ岳がデカイ

 標高差2000mを登り、再び2000mを降りてくる。やはり本格的な雪山では厳しい二日間でした。毎回、少しづつ濃くなっていく凍傷の傷跡の、その上にまた、新しい凍傷の黒いシミが顔の上にできてしまいました。南アルプスは森の山です。この森が南アルプス随所で紙パルプの原料の供出源となり、アチコチで伐採の憂き目を見てきました。この仙丈ヶ岳の山域でも隣の鋸岳の北側では大々的に伐採されてしまいました。それだけに赤河原から八丁坂、車道が通ってしまったとは言え北沢峠のその鬱蒼とした大木の林立する雪の森の美しさは独特のものでした。夏の北沢峠の喧騒を知る者には、車道の上を踏み固め、テントを張ること一つとっても驚きの光景です。深夜にはフクロウの鳴く声も静かに響いていました。朝の出発の際の気温がマイナス14度とか。毎回の厳しい寒さに慣れてきた僕達には、むしろ暖かく感じました。それだけに小仙丈ヶ岳手前から雪煙を舞上げて吹く雪山本来の風は強く冷たく思いました。もう、山頂まで僅か・・・、そのナイフリッジの上で微妙なバランスでヨタヨタと歩いている時に吹く風は正直、恐いものがありました。広河原方面や鳳凰三山から見る穏やかな姿とは別物のような屹立した北岳。やはり絶対にカッコイイ甲斐駒ヶ岳、森林限界を越えると絶えず背後に大きく聳えていました。そして山頂に立った瞬間に一気に視野に入る南へと広がる南アルプス中部、南部の山々。今回も完全に貸し切りの仙丈ヶ岳でした。

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赤岳

頂上近し!
頂上近し!

 以下の者は、2010年2月6日〜7日、八ヶ岳主峰であり最高峰である赤岳(2899m)に美濃戸口から赤岳鉱泉、地蔵尾根を経由して登頂し、文三郎尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

バチバチとあたる氷のツブテの中、下山
バチバチとあたる
氷のツブテの中、下山

 行者小屋に下り着いて今まで、笑顔を見せなかった赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳が一斉に姿を見せました。顔に張りついた氷が樹林帯に入った途端に溶けたように、今、まさに越えてきた山頂が嘘のようにスックリと立ちはだかっていました。美濃戸への道から降り続いた雪。頭上を吹き抜ける強い西風の音。大きく呼吸すると鼻の中までキーンとする冷たい空気。八ヶ岳・赤岳は本格的な冬の風と雪の中にありました。地蔵尾根の上部。シラビソの森がまばらなダケカンバになり、そして一気に剥き出しの風雪の中の登りとなる・・・。地蔵の頭で稜線に出た途端の吹き飛ばされるような強風。その中に皓々と灯を点けた山小屋はありました。夕方からは「晴れ」の山岳情報を裏切る強烈な風。布団に入ってからもゴーゴーという音と、カラカラと氷の飛んで行く音。朝もなかなか回復しない天気に「早朝出勤」が定番の「風の谷」とは思えない8時出発。去来するガスと、時折、射す太陽。そして風の中に一瞬、峻険な姿を見せる阿弥陀岳。右手、西壁の屹立した恐ろしい傾斜を恐々とトラバースした上に見えた頂上小屋。その先の痩せ尾根の上に憧れの山頂はありました。バチバチと氷が目に入る下り、西壁の下を回り込む所では噴き上げる風が耐えがたいほどでした。そして、大同心が見え、振り返ると幻のように赤岳が見えて安全地帯に下り着きました。「赤岳」。本格的な雪山の最初の一歩の山です。次ぎの一歩に踏み出すキッカケとなれば幸いです。

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高見石

真白な白駒池。雪と風の中にありました
真白な白駒池。雪と風の中にありました

 以下の者は、2010年2月2日〜3日、北八ヶ岳の象徴的存在である高見石(2315m)に渋ノ湯から賽の河原を経て登頂し、白駒池を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 ハラハラと舞い続ける雪。ゴーゴーと頭上を吹き抜ける強い西風の音。マイナス12度のまま、それ以上に絶対に上がらない寒暖計。その中に静かにマキストーブの煙を上げる山小屋。僕の思い描く北八つの顔がそこにはありました。見る見るうちに埋まっていくトレース。トイレの脇にできた小さい雪庇。小屋裏の登山道を埋めるうずたかい積雪。寒くて、首を縮めて歩いた二日間なのに、手のかじかんだ印象より、最後の最後で一瞬射した太陽の暖かさが印象に残る雪の山でした。前日から東京方面も雪化粧させた低気圧の通過。つい二日前まで雪の無かったはずの茅野の町もすっかり雪の中でした。トレースさえない高見石への道。ワカンを着けて一歩一歩と道を付けていくのは独特の楽しさがありました。「北八つの黒い森」と言われるコメツガ、シラビソとダケカンバの創り出す奥深い森がありました。賽の河原さ言われる広々とした雪原はボコリボコリと潜り、強い風と吹雪の中にありました。顔を隠し、ソソクサと急ぎ足で再び森の中に入った嬉しさは、ここだけの物です。翌朝、朝からの風と雪に中山への道を諦め、白駒池に向かいました。緩やかな北八つならではの原生林。その中にポッカリと開いた白い広々とした雪原と化した湖。他のどこにもない独特の厳しさと美しさが僕達の前に広がっていました。ついに誰にも会わなかった二日間。樹氷の森と凍てついた湖と降り続けた雪。他のどこにもない北八ヶ岳の美しさがありました。

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笹尾根

笹尾根からは広大な展望が眩しい
笹尾根からは広大な展望が眩しい

 以下の者は、2010年1月26日、奥多摩南端の甲武相国境尾根の笹尾根を郷原からツネ泣き峠を経て西原峠で縦走に入り、槇寄山(1188m)に登頂し、笹ガタワ峠、田和峠と辿り笛吹峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

西原峠への登りは明るいコナラの林の中
西原峠への登りは
明るいコナラの林の中

 ついに一日、全く上空には雲を見ない冬晴れの中の笹尾根でした。笹尾根とは奥多摩主脈の主峰・三頭山から東京、山梨、神奈川の三県を分けながら高尾山まで延々と延びる長大な尾根の秋川上流の部分の呼び名です。歩いてみて感じられたように終始1000m前後を緩やかに上下しています。昔は鶴川上流と秋川上流を結ぶ数多くの峠が越えており、少なくとも僕が最初に歩いた40年ほど前には笹尾根の尾根上の道よりはるかに明瞭な道が峠を越えていました。繭玉と蚕が越えたり、塩、炭等が運ばれていたようです。そして、稜線の上は絶えず美しい富士山の眺めと共にありました。西原峠への登り道の途中で権現山の長閑な尾根の上にヒョッコリと頭を出した真白な姿は笹尾根に出る頃には日本最高峰としての雄姿を惜しげもなく僕達に見せてくれました。この日は最高の展望の日だったようです。時々刻々と姿を変える三頭山から月夜見山、御前山、大岳山は手が届きそうな近さでありました。遠く、奥秩父の金峰山から国師ヶ岳、甲武信岳、三つ峠から大菩薩の全貌に至るまでピカピカと光るコナラの明るい雑木林の上に見えていました。
 長大な笹尾根の中で僕達が歩いたのは本当の一部です。もっと急坂の増える三頭山から西原峠の道、少し暗くなる浅間峠との間、更に小さなピークの林立する生藤山から和田峠。いつか、この季節に違う笹尾根の顔を見に行きたいと思います。

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奥鬼怒

鬼怒沼への道は美しい原生林と雪の道
鬼怒沼への道は
美しい原生林と雪の道

 以下の者は、2010年1月19日〜20日、奥鬼怒山塊の鬼怒沼湿原を目指し、女夫淵温泉から奥鬼怒温泉郷最奥の日光沢温泉に宿泊し、オロオソロシの滝展望台に到達し、さらにヒナタオソロシの滝展望台を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

奥鬼怒は随所に真青な氷柱を持っていた
奥鬼怒は随所に
真青な氷柱を持っていた

 「ここは山小屋です。遊興の地ではありません。」古びた墨で書かれた小さな看板。奥鬼怒スーパー林道が通り、加仁湯の上を巨大な鉄橋が通っても、静かにマキストーブの煙を立てる山小屋としての日光沢温泉の姿が、僕達を奥鬼怒へと向かわせました。延々たる急斜面の登りの果てに到達する真白な雪原。そこを縦横に歩き回る姿の夢が鬼怒沼湿原に向かわせました。女夫淵温泉への道。随所に凍結した真青な氷がかかり、雪の原の中にブナやトチノキが林立する独特のアプローチでした。コテージ風の建物が並ぶ八丁ノ湯、江戸城のような加仁湯。そして最期の急に雪の増えたように感じる日光沢。翌朝、真青な空の下、鬼怒沼を目指した僕達の前には深い雪の斜面とブロックの落ちる豊富な雪の斜面が現れました。アスナロの木の混じった美しい原生林の急斜面の登りは、やがて根名草山を仰ぎ見る一角へと到達しました。対岸のオロオソロシの滝を見る展望台を最期に踵を返し、こんどは丸沼方面への道にトレースを着けました。美しいブナ林の中に刻みつけるジグザグの踏み跡。ミズナラの巨樹の間を抜けて明るい落水と対面するヒナタオソロシの滝の展望台にやってきました。
 雪の奥鬼怒。憧れだけではなかなか到達できない、豊富な雪と不安定な斜面がありました。素朴な小屋のご主人との語らいの中で、尾瀬と、日光と、様々な山と結びつけた初夏の花の時期もステキに感じられた二日間でした。

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横岳中山尾根

前日、中山尾根取り付きへのラッセルの時、見た西壁
前日、中山尾根取り付きへの
ラッセルの時、見た西壁

 以下の者は、2009年1月16日〜17日、八ヶ岳赤岳に突き上げる主稜、横岳中山尾根を登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

やっと飛び出した太陽の中
やっと飛び出した太陽の中

 八ヶ岳は本州の中でも寒い山の一つです。内陸にあり、独立していて乾いた冷たい空気に満ちた山です。美濃戸から行者小屋へと向かう道は真青な空の下に雪柳のように樹氷を着けた木々が見事でした。そして、目の前に横岳西壁が現れ、赤岳西壁の現れてきた時の感動。アソコを登るんだ、アソコを。目の前の壁は真白に化粧して屹立し、到底登ることなど不可能な様相を見せていました。そして猛烈な寒さ。登る気力そのものを壊すような寒さの中に八ヶ岳はありました。そして登攀当日。どのパーティーより早く、早朝出勤して取り付きで夜明けを迎えました。何という幸運!真青な空の下、ほとんど風のない中に壁に取りつくことが可能でした。慣れ親しんだルートであっても壁にビッチリと積もった雪は徹底的なホールドの雪落としとピンの掘り出しでそれなりの厳しさがありました。背後に大きく広がる展望。槍ヶ岳の穂先までクッキリと見えた滅多にない眺めが広がっていました。八ヶ岳の岩壁は西壁については、何れも二段の構成でできています。上部では氷化が進み、アイゼンの蹴り込みが効き、快適な登攀となりました。そして終了点に着くと同時に全く当たらなかった朝の光に飛び出しました。
 八ヶ岳の壁。週休二日制の確立する前、夜行で来て、真っ暗な中を歩いて取りついた多くの社会人クライマーを育ててきた壁です。更に東面の静寂と豊富な雪との格闘のようなルートにも進んで登ってみたいとの思いを強くしました。した。

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鼻曲山

寒さの中の霧積温泉。
お湯の流れる所から
見事なツララが

 以下の者は、2010年1月13日〜14日、群馬県、長野県、県境の霧積温泉を拠点に十六曲峠から剣の峰(1489m)に登頂し、翌日、鼻曲峠から鼻曲山(1655m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

雪の中下る。背後に微かに登ってきた鼻曲山
雪の中下る。
背後に微かに登ってきた鼻曲山

 上信国境の山々。浅間山の噴火で堆積した岩が浸食された独特の山容です。随所にある奇峰、岩峰は、乾いた冬の空気の中に凛として立っていました。谷間にポツンとある霧積温泉。いつまでも入れる体温に近いヌルリとした温泉は、アチコチに氷柱をかけて冬の寒さの中にありました。最初に向かった剣の峰。十六曲峠近くに登り詰めると尾根を乗り越える強烈なゴーゴーと言う音と、風に乗ってくる雪雲に、山頂に向かうのを躊躇させられるほどでした。谷間を挟んで見事に屹立する浅間隠山、そして、明日、向かう独特の山容の鼻曲山が恐ろしい勢いで吹いていく雪雲の間にありました。部屋の中でも氷点下の霧積温泉をハラハラと舞う小雪と対称的な真青な青空の下、勇躍して出発しました。剣の峰の倍以上ある積雪。美しいブナ林。一歩づつ進むたびに大きくなっていく鼻曲山。ちょうど群馬と長野の県境にあたる尾根は風の吹き抜ける山の雪の生まれる場所でした。鼻曲峠への急斜面の登り。ひときわ強く風が吹き抜け、急激に深くなる雪をボコリボコリと穴を開けて、頂上直下の広場へと登り詰めました。まさしく、鼻曲山の「鼻」への急斜面。背後に大きく広がる関東平野の暖かそうな広がり、八ヶ岳の姿。狭い、鼻のテッペンに立てました。残念ながら「すぐ、そこ」にあるはずの浅間山は見えず、雪雲が僕達を追い立てるように迫る中の感動の山頂でした。鼻曲山、剣の峰。上信国境付近にはまだまだ刺激的な静寂の山がありそうです。

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西穂高岳独標

原生林の中、ラッセル
原生林の中、ラッセル

 以下の者は、2009年12月19日〜20日にかけて北アルプス穂高岳連峰の西穂高岳独標(2701m)に鍋平から千石尾根を登り、西穂山荘から丸山を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

これぞ大ラッセル
これぞ大ラッセル
風雪の山頂!
風雪の山頂!

 独標は、岩と雪の殿堂・穂高岳連峰が奥穂からジャンダルムを経て荒々しい岩稜を林立させた最後のピークです。ここから厳しい岩場の続く、最初の岩峰でした。一年に何回も登場しないトンデモナイ風雪といきなり出会った西穂でした。「ロープウェイが動くかな?」と散々に気を揉んだ末の鍋平山頂駅でした。太古から立っていたであろうシラビソの大木。その一本一本が大量に降り続いた雪でクリスマスツリーのように雪化粧させてシーンと静まった気配の中にありました。しかし、静まり返っていなかった雪空。歩きだした時に降っていた大雪は、ついに下山するまで降り続いていました。先行パーティーがいるはずなのに、足元はワカン。トレースはあるものの、それなりのラッセルでした。降り続く風雪とフカフカの雪に雪上訓練もままならず、二日目、小屋前からいきなりの本格的なラッセル訓練となってしまいました。胸までの雪、ピッケルで崩し膝で固め、ようやく踏み出す一歩。その連続で僅かな距離に1時間近くかかり丸山の風雪の尾根に出ました。吹きつける雪、冷たい風。目出帽の僅かな隙間の凍りつく低い気温。どこを見ても真白で判りにくい尾根。そして小さいながら張り出した雪庇。引き返えそうかなぁ?いや、もう少し行ける。もう少しで頂上だ・・・。一歩一歩が苦行のような登りを征して岩場を上がり登りついた狭い狭い山頂。他の沢山のパーティーが引き返す中、立てた頂上でした。ついに穂高がどんな山容の山なのか知らないままの下山でした。

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北横岳

三つ岳はまるで白い要塞
三つ岳はまるで白い要塞でした

 以下の者は、2009年12月15日〜16日、北八ヶ岳の主峰である北横岳(2480m)に坪庭から登頂し、七つ池を経て、三つ岳を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今シーズンも北八ヶ岳の季節がやってきた。そんなことを強く感じた北横岳の二日間でした。ロープウェイを降りると身を切る風が吹いていました。所々でクマザサが顔をだしているものの、木々を樹氷が覆っていました。マイナス7度。季節始めに?を打つ冷たさは痛いようでした。坪庭のルートを示す竹竿には「海老の尻尾」が張りついていました。ダケカンバが白珊瑚のようです。そして北横岳ヒュッテが静かに煙突から煙を上げていました。そして立った北横岳の山頂。甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳の南アルプス北部の三役が見事に冷たく聳えていました。そして、この山脈の続きとは思えない峻険な顔をして八ヶ岳南部の山々が立ち並んでいました。冷たい風、石膏細工のような木々。雪の高山にいることを改めて知らされました。帰りに寄った七つ池。凍結した白い広がり、池の上を歩ける楽しさがありました。夜中に少し降ったようです。樹氷は更に大きくなり、木の幹も白く化粧しました。マイナス13度。でも、たった一日なのに風は昨日のように冷たくは感じません。身体が雪山に慣れてきたのでしょう。そして向かった三つ岳。昨日見えなかった中央アルプスが見え、浅間山が真白です。ちょっと恐い岩峰の上に立ち。僕達は本物の雪山に接した嬉しさにちょっと感動していました。北八ヶ岳。大きく広がる原生林のタンネの森と風。この季節、何回でも、その素顔と出会いにやってくるつもりです。

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富士山・雪上訓練

早朝、まだ真っ暗な中に訓練開始
早朝、まだ真っ暗な中に訓練開始

 以下の者は、2009年12月12日〜13日、日本最高峰・富士山吉田口で行われた雪上訓練に参加し、基礎的な雪上技術の訓練を受けたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

あらゆる斜面を使って訓練した
あらゆる斜面を使って訓練した

 遠く広く広がる雲海の上に奥秩父の山々が見え隠れして、海上に浮ぶ島のように八ヶ岳が見え、北岳と甲斐駒ヶ岳が時折、姿を見せました。大きく広がる展望がないために日本何時の高峰にいる実感のなかなか湧かない富士山でした。今回の雪上訓練の目的は、全くの未経験者と経験者では違ったものの、基本的な姿勢は同じです。雪の上を歩くことが雪国の出身者と同じように無理なく、確実に行えること、時々刻々、一歩ごとに硬さを変え、深さを変える雪。雪の下が膝上まで潜る箇所の次ぎに固い岩場がある環境。これらに一歩ごとに最も適した形で足を置く事。これらが一番大切です。また、ピッケル、アイゼンという時として簡単に凶器にもなりうる危険物を自分の身体の一部として使いこなせる事。これも大切です。今回の訓練で、もちろんザイルワークや滑落停止等も不可欠の技術ではあるけれど、何よりもキチンと確実に登山靴を履きこなし、アイゼンを斜面に合わせて確実に効かせること、ピッケルを絶えず山側の斜面に鉛直方向に刺し、僅かなバランスの崩れ等に瞬時に対応できる事・・・、これが大切です。しかし、一人一人、繰り返し同じ動作を嫌というほど行ってもなかなか思うように確実に基本動作はできなかったと思います。これから、雪の山に行くたびに少しづつ、確実に、雪上訓練の中で学んだことを活かして欲しいと思います。富士山の訓練を本物の雪山で活かそう!

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荒船山

艫岩からは正面に浅間山が大きい
艫岩からは正面に浅間山が大きい

 以下の者は、2009年12月9日、西上州の独特の山容を持つ名山・荒船山(1422m)に荒船不動尊から星尾峠、艫岩を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

「サバンナ」のような頂上台地
「サバンナ」のような頂上台地

 延々と続いた広々とした灌木の生えた草原・・・僕はサバンナの様と書いたけれど・・・を抜けてポンと正面が開けて真白な浅間山の見えた艫岩。「クレヨンしんちゃん」の作者が転落死したことで有名になってしまった展望台は、覗き込むとまさしく落ちたら絶対に助からない凄まじい場所でした。予報よりも良い天気でしたが少し霞みのかかった展望が残念です。でも白く化粧した浅間山と黒斑山、そして目を凝らすと見えた白馬岳を初めとする北アルプスの山々、そして蓼科山。神津牧場が手の届きそうな近さで狐色の草原を見せています。アプローチに使った街道が見下ろせます。荒船山は独特の明るい山でした。遠くから見たタンカーのような山容。実際に上がってみた時の広がりの大きさは想像を越えるものがありました。今は冬枯れの季節。葉を落としたコナラやシオジの明るい幹。見上げる空。残念ながらおそらく木々の向こうには八ヶ岳、南アルプス、奥秩父、谷川岳があるはずなのに、直接見えたのは八ヶ岳だけでした。艫岩の手前で稜線そのものの上なのに水場がありました。生まれたての地下水は凍ることなく流れていました。この日、唯一の急登だった最高点・行塚山(一節には京塚山)の山頂は、この時期らしい凍りついたガリガリの斜面でした。遠くから見てタンカーの操舵室のように見える高見に立つと西上州独特の脆そうな岩峰が随所に林立していました。冬枯れの殆ど無彩色の雑木林の荒船山。やはり、この時期の山です。

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富士山・雪上訓練

朝焼けの中六合目付近を登る
朝焼けの中六合目付近を登る

 以下の者は、2009年12月5日〜6日、日本最高峰・富士山で雪上訓練に参加し、八合目下まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

地吹雪が吹きつける吉田大沢
地吹雪が吹きつける吉田大沢

 やはり暖冬なのでしょう。本来、この時期には発達するはずのない太平洋岸の低気圧。そして日本海の低気圧への南風。どう考えても北アルプス北部は二日間の悪天が予想され富士山雪上訓練に変更しました。富士吉田駅前からポツポツと来た雨は歩きだした馬返しでは白い色となりました。身体に触れるだけで溶ける霙。少しづつ強くなる白い雨・霙の中を五合目を目指しました。夜の強風に備えて奥深い樹林の中である四合五尺・井上小屋前の平地にテントを張りました。まだ一時前でも、とても訓練できる天気ではなく、フライシートを叩くザーザーと言う霙の音を聞きながら五時過ぎには眠りました。一転して風は強くはあるものの、満天の星空の下に出発。テントは霙が凍りついて一晩で大分埋まっていました。そして、六合目の「風の谷」指定地で訓練開始。しかし、本来の富士山の広大なバーンは形成されず前日と木曜日に降った雪が大量に斜面に積もっている状態でした。急斜面でのキックステップ、アイゼン歩行を中心に深雪から砂礫混じり、岩場のアイゼン歩行と歩きを中心に訓練して滑落停止までを繰り返し行いました。強い風とバーンを求めて吉田登山道を登りました。右側・屏風尾根からは小雪崩れがスノーシャワーのように落ちてまきす。必ずバーンの形成される七合目上部・東洋館の脇も雪が軟らかでした。その分、安全な滑落停止ができました。下山しながら、スッカリ雪化粧した奥秩父・八ヶ岳、南アルプスが見事でした。天候に翻弄された感のある二日間。それでも見上げる富士山はやはり日本一の大きさでした。

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那須連峰

噴煙を上げる茶臼岳
噴煙を上げる茶臼岳

 以下の者は、2009年12月1日〜2日、那須連峰の主峰であり日本百名山の一つ・茶臼岳(1915m)に大丸から峰の茶屋を経由して登頂し、三斗小屋温泉に泊まり隠居倉から朝日岳(1896m)にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 足元には柔らかい雪がありました。移動性高気圧に覆われた山は初冬と言うよりは晩秋の穏やかさがありました。幸か不幸かロープウェイは11月一杯で終り。夏は観光客で賑わう大丸付近もカラカラと乾いた晴天の下、静寂に包まれていました。噴煙を上げる茶臼岳。アイゼンを着けようかどうか迷う雪の斜面でした。標高2000mにも満たない標高でも火山故の光景なのでしょう。まるで森林限界を越えた南八ヶ岳を思わせる赤茶けた岩場の連続でした。峰の茶屋からは一転してキラキラと輝く冬枯れのダケカンバの林を降りました。遠く飯豊連峰と思われる白銀の山々。不勉強で名前も知らない北関東から南東北のたおやかな山並が見事でした。やがて前方が開け、道端の沢から湯気が上がり、三斗小屋温泉がヒッソリと建っていました。大きな熱い露天風呂からは月明かりの中にボッと流石山周辺が浮かび上がり、ちょっと湯船の脇に置いた手拭いが凍りつく寒さの中、ステキな雪の温泉でした。
 隠居倉の登りはアイゼンを着けました。峰の茶屋から見上げた時には見えなかった雪が付き、まるで冬山を思わせる光景の中、那須連峰随一の鋭峰・朝日岳はありました。山頂からの広大な展望の中に、まだまだ知らない山々。大佐流山とか男鹿岳等の未開の雰囲気に満ちた山々もありました。そんな山にも訪れてみたいと思わされた那須連峰でした。

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鶏冠尾根

鶏冠尾根第二岩峰の登り。背後には笛吹川が広がる
鶏冠尾根第二岩峰の登り
背後には笛吹川が広がる

 以下の者は、2009年11月28日〜29日、奥秩父で唯一の岩稜である鶏冠尾根を鶏冠谷出合いから登り、チンネ、第一岩峰、第二岩峰を越えて鶏冠山(2115m)を経て木賊山(2459m)、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 西沢渓谷入口からいつも見上げていた鶏冠尾根。ゴツゴツした岩峰を沢山林立させて原生林の中に聳える姿は見事です。東沢を遡行する際に東ノナメや東御築江沢出合いから見上げる見事な岩肌。取りついてみて尾根自身の急峻さ、左右から突き上げてくる沢の源頭の姿がステキでした。チンネのコルから始まった岩場。第一岩峰の脆い岩に驚かされ、次々と現れる岩場を越えて行く楽しさは奥秩父唯一の岩稜の名に恥じない物でした。第三岩峰の上に立った「鶏冠山(そこは鶏冠山でも何でもない場所)」の標識前からの展望は見事でした。今まで「風の谷」で数多く遡行してきた東沢釜の沢であり、乙女沢であり、東のナメ、西のナメ等が晩秋の青空の下にテカテカと光ながら、その水流を一つにしていく様が大きく足元に開けていました。歩幅ていどしかない痩せた尾根、コメツガの森の広がり、奥秩父らしさに満ちた尾根でしたが、その何処を見渡しても必ず目に入るアズマシャクナゲの木々。開花期には見事なピンクのトンネルとなっています。もし、笛吹川流域の谷の遡行を計画して強い雨だったらシャクナゲのトンネルを歩くのも悪くない!そんなことを思いました。鶏冠谷の一の沢、二の沢、三の沢のツメ、迷い沢のツメ、それらを思い起こしながら現れだした雪の中を辿った嬉しさ。木賊山の三角点を踏んだ時の感激は最高でした。鶏冠尾根。また、初夏の頃にも行きたい尾根です。

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剣岳

降りしきる雪の中、ラッセルが続く
降りしきる雪の中、
ラッセルが続く

 以下の者は、2009年11月21日〜23日、北アルプス北部を代表する日本一峻険な山・剣岳(2999m)に馬場島から早月尾根を登り、2614m峰を越え2750m付近まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

2600mからのラッセル
2600mからのラッセル

 トレースの無い、フィックスの無い、自分達の実力で思い切り格闘する雪山を目指して、不遇のこの時期の剣岳にやって来ました。馬場島の登山口で降りしきる雨が霙となり、雪になるのを待っての出発でした。やがて先行パーティーに追いつき、全員で交代のラッセル。1900mピークを越えると本格的なラッセルに他のパーティーが次々とテントを張る中、日没ギリギリで早月小屋の前に降りしきる雪の中、テントが立ちました。
 思いもかけず、満天の星空の下、地獄の山のように小窓尾根がマッチ箱、ニードル、小窓の頭と並ぶ中の出発でした。「風の谷」の好きな毛勝三山、北方稜線の山々が日本の山とは思えない素晴らしい姿で出迎えてくれました。しかし、そこからのラッセルも引き続き厳しい物でした。2450mでアイゼンに替えてもフカフカの雪が続きます。一層厳しくなる2600mのピークからの稜線。まだ岩の上に馴染まず、アイゼンの蹴り込みの下は直接、岩や草付きとなる不安定さ、池ノ谷側のトラバースの微妙な悪さが続きます。標高2750m。エボシ岩を越えて、もう頂上そのものは目と鼻の先でしたが、出発から既に五時間。前後していたパーティーは下降を始め、もう一パーティーは遥か手前で下降をしました。僕達も下降の時がやってきました。懸垂下降の方が良いような斜面をスタカットで降り、再び降り出した雪の中、頂上はまた高く高く聳えていました。今度は同じ時期にぜひ頂上を!そんな思いの早月でした。

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十文字峠

苔の上に粉を巻いたような十文字峠の新雪
苔の上に粉を巻いたような
十文字峠の新雪

 以下の者は、2009年11月17日〜18日、奥秩父を代表する信州と武州を結ぶ歴史ある峠・十文字峠(2035m)を梓山・毛木平から八丁坂を越えて登り、四里観音、赤沢山、ノゾキ岩、一里観音と栃本関所跡まで六里六丁を越えたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

栃本側に降りだすと陽が射してきた
栃本側に降りだすと陽が射してきた

 ピンクのシャクナゲがコメツガの森の下を埋めつくし、花の海と化した風景が知られる十文字峠。けれど、僕のイメージの中ではこの峠は晩秋の木枯らしの中、寒々と峠越えする姿が定着してしまっています。小淵沢から乗った小海線は雨から霙、そして雪とどんどん景色を変えていきました。真白に雪化粧したレタス畑。そして千曲川を渡り、登りだしてもハラハラと降り続けた雪。イメージ以上の寒々とした晩秋の風景の中に十文字峠は待っていました。吹き出した季節風の中、元気に煙を上げるマキストーブ。薄暗い小屋の中をほんのりと照らすランプの灯。四十年前と所々の造作は変わり、長閑な空気を作っていた山中夫妻が居なくなっても、峠の雰囲気は大きくは変わっていませんでした。小麦粉を一面に撒いたような苔の道に時折、朝日が射す中の峠越えの始まりでした。倒木の上に生えた苔。そこから芽を出すコメツガの幼木。頭上を覆うコメツガとダケカンバの大木。元祖・奥秩父の風景の中を着れるだけの衣類を纏い、首を縮めての峠越えの道でした。シラビソが混じり、広葉樹も姿を見せた四里観音付近。訪れるたびに細くなり、ユックリ、ビクビクと歩いた三里観音への道。見上げた甲武信岳が真白に雪化粧し、谷間を見下ろしたノゾキ岩。そこから始まる一転して明るい落ち葉を蹴散らす音が賑やかだった栃本への長い、長い、本当に長い道でした。きっと、また、晩秋に来たい峠道です。

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餓鬼岳転じて燕岳

 以下の者は、2009年11月7日〜8日、北アルプス常念山脈北端の餓鬼岳を目指した後、転進し燕岳(2763m)に合戦尾根より登頂し、北燕岳を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 この時期、全く人の訪れないはずの餓鬼岳が目標でした。本格的な降雪が山々を覆った後ならば古くからの道で廃道となった乳川谷からのルートがあるのですが、深い藪の覆っている今、本来の白澤からのルートを辿ることとしていましたが、何と積雪期に備えて、橋、クサリ、ハシゴ等が片づけられている・・・という情報に、徒渉、魚止めの滝付近のトラバース等を考慮して断念しました。・・・そこで燕岳に転進しました。中房温泉の駐車場の混み具合に・・・まさか・・・の想いがありましたが、他の登山者も登る中の登山でした。中房温泉の道端にも残る積雪と、第二ベンチ付近からの残雪に雪山を期待しましたが、見上げる大天井岳からの稜線は真白な雪山でしたが、合戦尾根が全て雪の下になったのは合戦の頭から先でした。踏み固められてテラテラする登山道を燕山荘前にテントを張り、改めて北アルプス南部・とりわけ槍ヶ岳の雄姿に感動しました。翌朝、穏やかな天気の下、燕岳、北燕岳を往復しました。普段の「風の谷」では考えられないノンビリとした稜線漫歩。ゆっくりと飲むコーヒー。自分が一カ月前に登ったとは考えられない北鎌尾根の峻険な姿・・・、見事でした。
 餓鬼岳。白沢からのルートが難しいとなると、初冬の一泊で行けるルートがあるか?東沢乗っ越し?やってみる価値はありそうです。来年の初冬・・・、そんなことも考えています。

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牛の寝通り

明るい石丸峠の上からは背後に南アルプスが大きい
明るい石丸峠の上からは
背後に南アルプスが大きい

 以下の者は、2009年11月4日、大菩薩連嶺から東へと伸びる「牛の寝通り」を小屋平より石丸峠を越えて、玉蝶山、榧の尾山(1429m)を越えて牛の寝、ショナメを経て大ダワより大マテイ山を巻き、鶴寝山(1368m)を越えて松姫峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

スゴイ紅葉が待っていた
スゴイ紅葉が待っていた

 小屋平へと向かう車中で見上げる稜線に白い木々。「雪?」いや霧氷でした。前日、大菩薩の主稜線を吹き越えた強い「木枯らし一番」は風上に新しい季節の訪れた事を知らせる大切な記しを残していました。塩山側から大菩薩の稜線に至る道はどこも明るい草原の中の道です。カラマツからカンバの森を抜けて歩く明るい陽差しの中の道は背後に大きく広がる南アルプス、八ヶ岳、富士山を眺めながらの道でした。明るい峠で広大な眺めと別れて歩きだした「牛の寝」の道。そこは、大ダワ付近に一部カラマツの植林があるものの、徹頭徹尾ブナ、ミズナラを初めとした広葉樹の道でした。多摩川水源の山々を終始大きく左手に眺めて、小金沢連峰の裏側を右手に見ながらの明るい道でした。かつて、牛の寝通りには新緑の時に訪れた事もあります。ブナの若葉、シットリした空気の道もなかなか捨てがたい物がありました。また、雪深い二月にラッセルしながら降りた事もありました。何れもステキな道でしたが、それでもなお、僕自身は最近は専ら、秋、しかも上部では大部分の葉の落ちたこの時期に訪れています。初めて訪れたのは忘れもしない15歳・中学三年の文化の日でした。ちょうど40年と一日前の牛の寝でした。上日川や小金沢が醜く電源開発で破壊されても、この巨樹と紅葉の尾根の魅力は変わりません。大菩薩と奥多摩を結ぶ穏やかな尾根としていつまでも歩き続けたい道でした。

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富士岳

冨士山頂
冨士山頂

 以下の者は、2009年10月31日〜11月1日にかけて日本最高峰・富士山吉田口頂上(3750m)に吉田口登山道より登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

影冨士に向かって日没と競争で・・・
影冨士に向かって日没と競争で・・・

 富士吉田から見上げる富士山は既に真白。厳しい表情で、これから登る僕達を見下ろしていました。日曜日の「海、山は大荒れ・・・。」の予報を前に、頂上泊の予定を止めて何がなんでも土曜日のうちに登頂し、吉田口頂上直下の大斜面を降りきった所にテント泊・・・、そんな予定で五合目を出発しました。観光客で賑わう五合目を僅かに入り、六合目の手前になると誰もいない風の音だけが響く冬の富士山が前に広がります。雪が現れた時点で荷物をデポ。最低限のビバーク用具と食料、そしてアイゼン、ピッケルにハーネス、ヘルメットで急ぎに急いで吉田口登山道を這い登ります。どうして、こんなに今年は雪が多いのか?雪の少ない年の十二月より、よほどある積雪。九合五勺の鳥居を過ぎると夏道さえも斜面の中に埋もれる完璧な冬山。ガツンガツンとアイゼンとキックステップを併用してグイグイ登ります。最後の最後、鳥居が見えてからのキツカッタこと。もうすっかり太陽が山頂に隠れた斜面を登り詰め、吉田口浅間神社の鳥居を潜りました。再び太陽の照る中をお鉢の吉田口最高点・大日岳(3750m)の頂上を踏みました。日没と競争する下山。目の前の山中湖に上に大きく映る影冨士。素晴らしい光景の中、今年最初のアイゼンに「慎重に、慎重に・・・」と言い聞かせながら降りました。あぁ、またやってしまったヘッドランプ山行。その夜は前線の影響でテントが引き裂かれそうな突風。全く眠れない富士山の一夜でした。期せずして体験したこの冬最初の雪山。第一弾は勝利の内に終わりました。

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唐松尾山

紅葉の下の登りが続く
紅葉の下の登りが続く

 以下の者は、2009年10月28日、奥多摩・多摩川水系最高峰である唐松尾山(2109m)に三の瀬から七つ石尾根、午王院平、山の神土を経て登頂し、西御殿岩を越えて将監峠へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

西御殿岩からは奥秩父の山がスゴイ
西御殿岩からは
奥秩父の山がスゴイ

 歩きだした多摩川水系で最奥の集落・三の瀬は既に燃えるような紅葉の中にありました。見上げる真青な空とそれに映える唐松の黄葉。急峻な七つ石尾根の登りには秋のど真ん中にいることを感じさせられました。背後に大きく広がる大菩薩嶺の姿、そして一歩ごとに見えてくる飛竜山から国師岳にかけての奥秩父主脈の黒々とした稜線がありました。東京都水道水源林として手厚く保護された森は地面を剥き出しにした打ち捨てられた杉、檜の森とは全く違った季節の動きを感じさせるものでした。登り着いた奥秩父主脈縦走路。そして山の神土から入ったコメツガ、モミの冷たい空気の流れる道。斜面をトラバースしながら登り詰めると初めて山梨・埼玉の県境の尾根に出て、一気に見えた和名倉山や両神山の大きな姿。そして最後の登りを登り切ると小さな古い手作りの標識だけがある唐松尾山の山頂でした。周囲が木々に覆われ木の間越しにしか見られない展望と共にいかにも不遇の最高峰に相応しい静けさの中に山頂はありました。帰りに訪れた西御殿岩。360度の広大な展望と共に、足元に色とりどりの紅葉を見せて大きく広がる荒川支流・滝川槙の沢の谷。長く地形図の空白部として登山道一本ない未踏の空間が広がっていました。既に夕暮れの気配の迫る将監峠の開放的な草原の上には大角を堂々と見せた鹿が悠然と笹を食べていました。唐松尾山は何時訪れても水を生み出す広大な生命の気配に満ちた原生林の山との印象を強く持ちました。

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三つ峠・冬期登攀練習

初日、とにかく数多くのルートを攀じ登った
初日、とにかく数多くの
ルートを攀じ登った

 以下の者は、2009年10月24日〜25日、御坂山塊・三つ峠山の屏風岩で数多くのルートを登攀し、更に天狗岩で冬期登攀の練習をしたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 三つ峠の良さは岩壁の大きさと支点の豊富さ、様々なタイプの岩場を登れることにあります。二日間の晴天を確信しての予定だったのですが、初日から岩場は濃いガスが覆い、初めて訪れた者には大きな岩場であることは判るものの、全体像を眺めることはできませんでした。これはむしろ、第三バンドから上などでは大きな高度感に悩まされることなく岩と格闘できて良かったかもしれません。翌日の天気が判らないために初日は徹底的に数多くのルートを登りました。最後は真っ暗な中の懸垂下降、そして山荘への道でした。クライミングジムと違いフェースを登り、クラックを登り、チムニーを攀じるといった「頭」を使う部分がかなりあったと思います。初日に感じたのは、メンバーの技術力の高さでした。相当の難度のあるピッチでも工夫をしながら、それぞれのやり方で時間はかかっても最終的には登り切ってしまうのには感心させられました。
 翌日は冷たい風と雨の中でした。天狗岩でのアイゼン、手袋での練習をしましたが中には初めてアイゼンを着ける仲間もいて、寒さに動きにくい身体と慣れない履物に苦労させられたことと思います。本当の凍りついた岩はアイゼンにはもう少し優しい物であることを知ってもらいたいとも思いました。氷雨の中、山荘内でのレスキューというか、システムの確認をしました。本チャンの岩場に向かう者が絶対に知っていてほしい課題ばかりです。二日間の講習、きっと、この冬の登攀に役立つことを信じています。

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飛竜山

石尾根から明日越えていく飛竜山
石尾根から明日越えていく飛竜山

 以下の者は、2009年10月20日〜21日、東京都最高峰である雲取山(2017m)に奥多摩湖畔・小袖集落からブナ坂を経て登頂し、多摩川水源地帯を三条ダルミから狼平、岳雁台を越えて北天のタルに至り不遇の名山・飛竜山(2067m)に登頂し、ハゲ岩展望台から将監峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

飛竜山を越えると紅葉の上に越えてきた山頂が見える
飛竜山を越えると紅葉の上に
越えてきた山頂が見える

 多摩川水源地帯、奥多摩で最も標高が高く美しい山々に本格的に訪れた秋の空気の中を歩きました。緑の混じる紅葉の中の鴨沢コース。ブナ坂を前にして大きく広がるブナ、ミズナラの広葉樹の森は色とりどりにピカピカと光っていました。強い西風の吹く石尾根。広々とした明るい防火帯の上には明日、歩くはずの飛竜山が正しく「空へと向かう黒い竜」のように視界の半分を占めていました。そして富士山と南アルプスの眺め。辛いはずの雲取山への登りも楽しく感じられました。雲取山荘の一夜は夜中に起きたら満天の星の下でした。翌朝、再び立った雲取山。見事な真青な穏やかな空の下。多摩川の最初の水の生まれる原生林の下の縦走の始まりです。朝には降りていた霜も溶けて明るい太陽の下、狼平からは一歩ごとに大きくなる、目指す飛竜山が見え隠れしています。少しでも木々が途切れると大菩薩嶺を前景にして山頂付近に白く雪をいただいた富士山が終始見えていました。北天のタルを過ぎ、コメツガの森の中を登り着いた飛竜山の原生林の中の山頂。倒木と苔むした山肌の中の山頂は静けさに満ちていました。その後に立ったハゲ岩。奥多摩随一と言われる大常木谷に突き出した岬のような山頂からは息を飲む展望が待っていました。将監峠への道。それは重厚に守られた生命の水を生み出す原生林の中でした。

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鍋割山

鍋割山から小丸への道は少し色づいたブナの道
鍋割山から小丸への道は
少し色づいたブナの道

 以下の者は、2009年10月14日、表丹沢を代表する展望の山・鍋割山(1273m)に二俣から後沢乗っ越しを経て登頂し、小丸から小丸尾根を下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

あった!秋の味覚サルナシ
あった!秋の味覚サルナシ

 表丹沢は登りやすい山です。どこにでもある首都圏の郊外の駅といった雰囲気を持つ渋沢駅。もともとの出発点の大倉は住宅街の一角です。夏にはヒルに悩まされる二俣は、ヒンヤリした空気の中で静かに谷の音を響かせていました。首都圏の杉林としては異例に良く整備された中を登り詰め後沢乗っ越しに出る辺りから少しづつ増えてくる自然林。それはブナを中心に明るい色合いを見せていました。まだ「紅葉」というには早い、少し色づき始めた森。急斜面が続き、けして楽とは言えない道も明るい広葉樹の森の穏やかさに救われる想いがしました。背後に大きく広がる小田急線沿いの街並み。残念ながらそんなに遠くないはずの相模湾を見ることはできません。頂上が近くなった急斜面の一角に秋の味覚発見。まだ固く、少しエグイ感じはするものの、間違いも無いサルナシの緑色の実がありました。頂上付近はさすがに秋の気配があり、ブナの葉が黄色く色づいているのに出会うこともできました。どこが本当の山頂なのか判りづらい広々とした鍋割山の山頂。正面に大きく見えるはずの富士山も視界の半分を占めるはずの相模湾も見えませんでしたが、丹沢主脈から僅かに離れた鍋割山だからこそ塔の岳から丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸の核心部が元気に並んでいるのが手の届きそうな近さで眺められました。鍋割山から小丸に至る鍋割山稜は素敵でした。ブナの森が僅かに紅葉し、サラサラと冷たい風に揺れていました。丹沢の本当の表玄関の山・鍋割山。いつか山頂の小屋にユックリと泊まり、朝晩の景色を眺めたいものです。

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北鎌尾根

独標への登り。寒々としている
独標への登り。寒々としている

 以下の者は、2009年10月10日〜12日、北アルプスを代表する槍ヶ岳(3180m)に上高地から槍沢、水俣乗っ越しを経て北鎌沢出合いから北鎌のコルに上がり、天狗の腰掛け、独標、北鎌平を越えて北鎌尾根を登り登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

穂先へ!
穂先へ!

 バリバリに凍りついたテントを畳み、登りだした北鎌沢。何の変哲もなく見えた沢筋はシブキのかかった岩がことごとく凍り、最初から厳しい始まりでした。登り着いた北鎌のコル。そこから対岸に並ぶ黒部水源の山々・鷲羽岳や水晶岳は見事に真白に雪化粧し人を寄せつけない正しく雪山の姿。その後、穂先まで前後する龍谷大学山岳部の二人はコルに登り着いて白銀の山を見つめて一言「マジッスカ?」。ハイマツの下に雪の隠れた天狗の腰掛けへの登り。背後には白い山々の連なりとP2からコルまでの峻険な北鎌尾根の下部が見える。腰掛けに着くとドーンとアイガーの様に聳える独標。雪に隠れた踏み跡を右往左往しながら捜して辿るヤセた岩稜。脆い岩を巻き、ハイマツの間に点々と光るコケモモを食べながら冷え冷えとした空気の流れる独標の下に立った。随所にツララをぶら下げて屹立した岩峰は槍の正しく守備兵のように立ちはだかっていました。核心部のチムニーにはぶら下がったシュリンゲが凍りつきスタンスは氷結し、季節が一歩厳しい方に進んだことを感じさせました。一歩進むごとにグイグイと大きくなっていく槍。雪をタップリと付けた姿は文句なしに美しく激しい物でした。厳しい登りが続き、北鎌平からの登りは雪との闘いでした。凍りついた手袋で雪を払いのけジリジリと穂先に肉薄し、夕陽の当たる穂先に立った喜び。僕達は間違いも無く厳しい状況のキタカマを登りました。

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飯縄山

頂上付近は笹とお花畑。雨の中でもリンドウが咲く
頂上付近は笹とお花畑
雨の中でもリンドウが咲く

 以下の者は、2009年9月30日、信越の名山・飯縄山(2017m)に西登山口・戸隠神社中社から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 新潟・長野の県境付近、豪雪で知られる山々は独特の雰囲気を持っています。当初、目指していた黒姫山。全山を覆うブナの巨木と足元までスキー場が来ても奥深さを感じさせる物は、昨年行った雨飾山と共通する何かがあります。そして,何れの山頂も点々と置かれた山岳信仰の名残。それは、鳥居の奥に何故かお地蔵さんがいたり、キツネの横に天照大神の鏡があったりと、神でも仏でも良いような明るさがあります。いち早く訪れた秋、点々と彩りを見せる紅葉。もう、すぐに冬が来ます。一年の内、半分以上を雪の中の生活を強いられる、この山麓の人々にとって見上げる山々は厳しくも優しい神様の山なのでしょう。前日に山麓に泊まって目指した黒姫山は傾斜もきつく、降り続いた雨に宿の人の勧めで飯縄山に向かいました。たしかに安定した足元は登りやすく、脇のカラ松林には点々とキノコもありました。標高1200m前後の登り口でも既にモミとコメツガのある樹相。ダケカンバが現れ、灌木とクマザサになり、標高にも関わらず迎える森林限界。もし・・・、もし晴れていたならば、広大な展望が北信から越後、日本海、そして北アルプスと開けていったはずです。点々と咲くリンドウと足元を埋める真っ赤なモミジ、咲き残りのマツムシソウが秋真っ只中の山であることを教えてくれました。強まった雨の中、飯縄山の山頂は草原の真ん中にありました。黒姫山、高妻山、妙高、火打、戸隠、雨飾山、そして今回の飯縄山。東京からは遠い遠い山です。もし、来年行くなら欲張って二つ、三つと楽しみたい山々です。

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剣岳・チンネ登攀

まさしく岩の殿堂!Y峰Aフェースからチンネへと継続して向かう
まさしく岩の殿堂!
Y峰Aフェースからチンネへと
継続して向かう

 以下の者は、2009年9月19日〜22日の「風の谷」剣岳登攀合宿講習に参加し、20日、剣沢から長次郎谷を経てY峰Aフェース・魚津高ルート、中大ルートを登攀し、八つ峰上半を登り三ノ窓からチンネ左稜線、中央チムニーを継続登攀し、21日、剣岳本峰南壁A2ルートを登攀し、剣岳(2999m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

最後の残照の中、チンネに
最後の残照の中、チンネに

 「剣沢に今日のうちに帰れるかな?」満天の星空に流れ星が走る中を剣沢を登りながら心配しました。午前3時半、剣沢出発。手先が凍てつく寒気の中を夜明けの気配を感じながらAフェースを登攀。正しく岩の殿堂たる八つ峰を辿り、池谷ガリーを下降。正午前に三ノ窓出発。「三時にはチンネで!」と三パーティーは出発しました。しかし、チンネ左稜線に取りついた先行パーティーのほとんどが、そもそも本チャンの岩場に取りつく資格の無いノロノロなヘボパーティーばかり。頭を押さえられて最後がチンネの頭に立ったときには最後の残照が消えていく中でした。ガラガラの長次郎谷の下降、剣沢の登り返し・・・、そして11時過ぎ、ヘトヘトでテントに帰り着きました。僅か三時間半の睡眠の後、剣岳本峰南壁に出発しました。別山尾根の登山道から順番待ちの登山者から丸見えの登攀は、ボロボロの岩と落石との格闘でした。しかし、最後に山頂へとダイレクトに突き上げる爽快さは素敵でした。22日は朝から雨。二日目の厳しかったけれど充実した行動のお陰で目標ルートが全て登れたことを嬉しく思います。岩と雪の殿堂・剣岳。どこから見ても、その山の中にいることに幸せを感じる手の切れそうなフリクションの効く岩登りの日々でした。また、来年も、その次の年も、絶対に登攀合宿で訪れたい山です。

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燕岳

燕岳への道からは背後に槍ヶ岳が大きい
燕岳への道からは背後に槍ヶ岳が大きい

 以下の者は、2009年9月15日〜16日、北アルプス表銀座の要衝・燕岳(2763m)に中房温泉より合戦尾根の北アルプス三大急坂を登り切り、合戦の頭、燕山荘を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

真白な花崗岩の山頂を背景に下る
真白な花崗岩の山頂を背景に下る

 夜明け前、東の空に細い月と月より明るい見事な星が浮かんでいました。微かに明るくなった南西の空に正しく天空を突き刺す美しい「槍」が北鎌尾根を前景にして大きく大きく聳えていました。流石に北アルプス三大急坂。中房温泉から一歩踏み込んだ途端の出鼻をくじかれるような胸突き八丁。でも、多くの登山者が上り下りし徹底的に整備された登山道は、意識的にユックリユックリ歩く中で確実に登ることができました。その日の景色は諦めたとしても、翌日の展望にも首を傾げたくなるような濃いガス。そして、第二ベンチ辺りからはカッパの必要な霧雨でした。道端の少し色づいた木々。そしてブルーベリーとシラタマ、上ではコケモモが苦しいだけの登りを励ましてくれました。もし、後、100m山荘が上にあったらへたりこんだかも・・・、といった雰囲気で燕山荘に転げ込みました。
 真青な空に真白な花崗岩の風化した道。日本庭園のように彩りを添えるハイマツ。イルカに、ライオンに、いろんな物に見える花崗岩の芸術品。そして、登り着いた山頂からはほとんど全ての北アルプスの山々、八ヶ岳、富士山、南アルプス、そして北越の山々が見えていました。いつかは歩きたい槍ヶ岳への尾根、常念岳が目の前でした。足元には霜柱が立ち、ベンチの上には霜が降りていました。もう、季節は秋そのものです。完全な秋の気配の最初の山頂が燕岳にはありました。

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木曾御嶽山

_山の上の不思議な色の湖・三の池
_山の上の不思議な色の湖・三の池

 以下の者は、2009年9月8日〜9日、木曾御嶽山(3067m)に黒沢口七合目から八合目、三の池、五の池を経て賽の河原、二の池と経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

すごい雲海
すごい雲海

 どこにでもある日本の高山の一つのように見えて、御嶽山は独特の山でした。幸運にも真青な空に下に屹立した薄茶色の姿は左右に大きく広がり、どこが頂上かよく分からない大きな広がりを見せていました。ちょっと大げさな言い方をすればキリマンジャロ山の醸しだす雰囲気に似ていました。そして、七合目にほど近い2150mが歩きだしでした。周囲の鬱蒼たる原生林、コメツガ、シラビソの創り出す奥深い雰囲気がダケカンバの明るい雰囲気に変わり、一気に森林限界を迎えました。随所に点在する石像、記念碑、石室のような山小屋は、やはり信仰の山であることを教えてくれました。背後に大きく広がる南アルプス、中央アルプスの山々、そして、森林限界を越えてからの乗鞍岳から北アルプスの素晴らしい展望は見事でした。嫌なトラバース、ちょっと緊張する崩壊地を越えて飛び出した三の池のビックリするほど美しい姿、その背後を回り込み、ほとんど水は枯れていても大きく広がる四の池の広がり。随所に展開する火口湖は、全て噴火口の跡だそうです。驚くほど静かな九月の御嶽山でしたが、貸し切りの五の池小屋から見下ろした広大な雲海、夕暮れ時のブロッケン、八ヶ岳付近から顔を出した日の出は感動的でした。北アルプスを真南から見る素敵な展望を背景に登り着いた賽の河原から二の池の風景は地球の上の景色ではないような荒涼とした美しさでした。登り着いた山頂。360度の展望と3000mの息苦しさの中にありました。

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逆川

 以下の者は、2009年9月6日、奥多摩・川苔山から流れだす日原川川乗谷支流・逆川(サカサガワ)を出合いから二段11mの滝、ゴルジュ、10m幅広の滝と越え、核心部をウスバ林道まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 逆川は水根沢とならんで奥多摩を代表する沢でした。出合いから水源に至るまで様々なタイプの滝や釜を持ち、中間部にやや冗長な部分はあるものの沢登りの持つ多くの楽しみを経験できる貴重な谷です。しかし、山中に多くの人工林を持ち、鹿の食害も多く、僕自身が知っている四十年ほどの間にも何回かの破壊的な危機を迎えています。最初は70年代。中間部の辺り、ちょうど仕事道が横断する部分から下部が伐採された木々がそのまま流されて、全く遡行不能の時期がありました。その後、何回かの台風や増水で綺麗になった後、大ダワ沢からの土砂が谷を埋めたことがあります。決定的だったのは10年ほど前からのウスバ峠付近からの鹿の食害を主因とする大量の土砂が入り、多くの釜を埋め、滝を小さくしたことでした。「もうダメか?」と思われた谷も上流の整備と山肌の修復によって一昨年ころから少しづつ遡行可能となりました。次々と現れるゴルジュ、その間を埋める苔むした緑の小滝の連続。ヘツリ、釜に胸まで浸り、時としては泳ぎ、滝を直登する楽しさは独特です。次回こそ、必ず山頂までとの思いを新たにしています。
 川苔山は標高1367m。奥多摩の中でも中規模のけして高山ではありません。しかし、にもかかわらず複雑な地形と仕事道。四方に発する枝尾根によって変化に富んだ山です。火打石谷、入川谷、川乗谷本谷、真名井沢と遡行対象になる谷も沢山あります。また、次ぎのシーズン、きっと訪れましょう!

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日和田山・岩登り講習

 以下の者は、2009年9月5日、奥武蔵・日和田山で行われた岩登り講習会に参加し、岩登りの基本的な講習を受講しました。

氏名 風 の 谷

 日和田山での岩登り講習会は三人に一人のガイドを配置して丸一日ミッチリと行われました。全く、岩登りそのものの経験も無くザイルに手を触れるのも初めての者が三名、岩登りの経験は少なくても沢登り雪山等でザイルそのものの使用の経験はあって岩登りの基本の確認と実際の岩場での様々な技術を習得するために来た者が三名、そして一定の経験があり実際の登攀のためのレスキューや危機管理について習得する者が三人。それぞれの課題をそれぞれが獲得していただければ幸いです。僕自身は全くの未経験の方を担当しました。あらためて思うのは基本技術こそが岩登りの全てだと言うことです。そして最も現場で使用できる技術はシンプルな技術であることです。大切なことは「何故、こういった技術を使うのか?」ということを実践の中で知ることです。例えば「セルフビレーは極力、メインザイルでクローブヒッチでとる・・・。」という事。単にテラスから転落しないということであればどんな形でも良い。その中で確保者が最終的にザイルに拘束されることなく、自己確保ができるのがメインザイルによるセルフビレーなのだ、という理解の上の技術であるべきです。だから、例えば次ぎの行動が懸垂下降であれば、セネフビレーはシュリンゲやディジェイチェーンで行う、というが理解できると思います。もう一つ、身につけてほしいのはビレーのシステム。岩場にいる限りセルフビレーで自己確保されているか、ビレーヤーに確保されているか、必ず、守られていること・・、これが最低限、身につけてほしいことです。では、次回はマルチピッチで!

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