過去の登頂記録 (2007年3月〜8月)

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2007年 8月 28日〜30日 燕岳から常念岳
25日〜26日 北岳バットレス
21日〜23日 後立山連峰針ノ木岳
16日〜19日 黒部川上の廊下
7日〜9日 北穂高岳
4日〜5日 大菩薩小室川谷
7月 31日〜8月1日 アサヨ峰
28日〜29日 鶏冠谷三の沢
24日〜26日 剣岳
21日〜23日 槍ヶ岳北鎌尾根
3日 大菩薩富士見新道
6月 30日〜7月1日 入川大荒川谷
26日〜27日 那須連峰
23日〜24日 笛吹川東沢釜の沢西俣
20日 笠取山
19日 倉掛山
17日 日原川支流・唐松谷
16日 水根沢谷
12日〜13日 奥秩父縦走
5日 日光白根山
3日 西丹沢中川の玄倉川支流・小川谷廊下
2日 丹沢四十八瀬川の勘七の沢
5月 30日 十文字峠
29日 御座山
26日〜27日 荒川滝川豆焼沢
22日〜23日 丹沢三つ峰
19〜20日 三つ峠岩登り講習
15日〜16日 雲取山
9日 川苔山
3日〜6日 朝日連峰
4月 28日〜30日 立山連峰
22日 秋川支流矢沢軍刀利沢
21日 日和田山岩登り入門講習
14日〜15日 塩見岳
10日 杓子山
4日 浅間尾根
3月 31日〜4月1日 旭岳東稜
28日 今倉山から菜畑山
21日 北横岳
17日〜18日 唐松岳
14日 大菩薩丸川峠
10日〜11日 鍋倉山・雪洞
6日〜7日 鍋倉山
3日〜4日 阿弥陀岳南稜
2006年 11月〜2007年2月の登頂記録へ
4月〜10月の登頂記録へ
2005年 9月〜2006年3月の登頂記録へ
2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
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燕岳から常念岳

まるで岩の彫刻の森
まるで岩の彫刻の森?
北アルプスらしい稜線

 以下の者は、2007年8月28日〜30日、北アルプス表銀座コースの中核を中房温泉から合戦尾根を登り燕岳(2763m)、常念山脈最高峰・大天井岳(2922m)、日本百名山の一つ・常念岳(2857m)と連続で登頂し、縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北アルプスの中でも、最も北アルプスらしい姿を見せる槍・穂高岳連峰。それらと梓川水源地帯を挟んで対峙する常念山脈は、古くから表銀座コースとして最も多くの人々から親しまれ、歩かれてきた歴史ある山脈です。北アルプス三大急登の一つとして知られる合戦尾根の登りは、その標高差と傾斜にもかかわらず丁寧に刻まれた登山道と、偶然のような雨上がり冷たい空気の下、順調に登ることが可能でした。見上げる高さだった有明山が肩を並べ、見下ろすようになって到達した燕山荘は、快適な中に山小屋らしさを失わない良い小屋でした。翌朝、花崗岩の創り出した風化した彫刻のような岩の塊を次々と越えて登り着いた美しい燕岳からは高瀬渓谷を挟んでの昨年苦闘した野口五郎から水晶、三ッ俣蓮華岳の裏銀座の稜線、そして、鹿島槍が岳に至る後立山の連峰、剣岳までが見渡せました。燕山荘からの表銀座は行く手に大きく聳える大天井岳を観ながら、ついに蛙岩を過ぎるころ、天空を突き刺す圧倒的な姿の槍が岳が北鎌尾根を従えて大迫力で見えました。足元を埋めつくすコマクサを初めとする最盛期を過ぎた高山植物の数々と共に本来の北アルプスの稜線を堪能しました。その距離と長さにもかかわらず大きな標高差のある纏まった登りが無く、良く歩かれ整備された稜線漫歩は、その歩きやすさを含めて正しく北アルプスの表玄関に相応しい素敵な道でした。にもかかわらず、この「人気の」縦走コースは、なんと静けさに満ちていたことでしょう?最高峰・大天井岳の狭い山頂を占領して360度の圧倒的な展望を楽しむ私達以外に目立つ登山者もなく、一つ一つの山頂の姿を堪能しました。翌朝は、しかし、常念小屋の屋根を打つ非情の雨の音で目を覚ましました。風雨の中の日本百名山・常念岳。しかし、その厳しさも北アルプスの、もう一つの顔であることを噛みしめました。

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北岳バットレス

 以下の者は、2007年8月25日〜26日にかけて日本第二位の高峰・北岳(3193m)に突き上げる北岳バットレスのdガリー奥壁を第5尾根支稜から取り付き完登したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

  北岳のバットレスは大きな岩壁です。日本第二位の高峰・北岳の山頂直下から2200mの大樺沢まで一気に落ちる文字通りの胸壁たるバットレス。八本歯を行く登山者がその屹立した岩壁を見上げ、その雄大さと大きさに感嘆する、そんな岩壁です。今回、dガリー奥壁に二パーティー、第4尾根に一パーティーでこの岩壁に挑みました。バットレスのど真ん中に柱のように聳えるのが第4尾根。そして、その柱の左に食い込む鋭いガリーの上に聳えるのがdガリーでした。第4尾根が終始、基本的なクライミングに終始するのに対して、dガリー奥壁はいきなりのバングの乗っ越しと微妙なクラックの処理、一貫して傾斜の強いフェースの登攀からハングしたチムニーの突破と技術的な物を要求されるルートです。「風の谷」名物、超早朝出勤をこなし、取り付きで手先がようやく見える頃アプローチの岩壁を登り、一番に取りつく壁。第4尾根もdガリー奥壁も、手を伸ばせば届きそうな距離でお互いの格闘を観ながら、ジリジリと稜線を目指して前進する気分はそれなりの魅力がありました。バットレスの最も好きな所は、登攀の後、山頂に立つことです。そして、出発地点の広河原と朝、というより深夜に出発した白根お池のテントを見下ろして自分たちが足元にした岩壁を見下ろすことです。3000mでの岩登りは単に岩を登る技術以上に荷物を担ぎ、深夜の山道を間違えずにアプローチし、天候、寒さ、剥き出しの太陽等とも闘う登山としての岩登りの本来の姿があります。毎年のように新しいメンバーが本チャンのデビューとして北岳バットレスから育っていくのは正しくそこにあります。バットレスから他の大きな岩壁に、多くの個性的なルートに向かって行って欲しいと思います。今年のバットレスで気がついたことは、cガリーを長年に渡って埋めていたガレが無くなり、下部岩壁が安定したことです。また新しい可能性のあるバットレスに向かいたいと思います。

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まだ深夜 Dガリー奥壁を登る 第4尾根を行く Dガリー奥壁最終ピッチへ

Dガリー奥壁最終ピッチへ
まだ深夜 Dガリー奥壁を登る 第4尾根を行く

後立山連峰針ノ木岳

二日間手ばなせなかったカッパ
二日間手ばなせなかったカッパ
ようやく最後に越えてきた山々が見える

 以下の者は、2007年8月21日〜23日、北アルプス後立山連峰の南半部を種池から岩小屋沢岳(2620m)、鳴沢岳(2641m)、赤沢岳(2677m)、と縦走し、スバリ岳を越えて針ノ木岳(2826m)に登頂し日本三大峠の一つ・針ノ木峠へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

すっかり黒ずんだ針ノ木の雪渓
晩夏。すっかり黒ずんだ
針ノ木の雪渓

 夏の終わりの気配は、稜線に吹きすさぶ雷雨と豪雨で伝えられることが多いと言われます。暑かった今年の夏の空に最初の大規模な寒気の流れ込んだ時に幸か不幸か居合わせてしまったようです。初日、炎暑の中を登り詰めて行った柏原新道の空。明日行くはずの緑溢れる北アルプスの稜線を嬉しく眺めながらの苦しい登りが最後にかかるころ黒雲が立ち込めポツリポツリときた雨は、二日後の朝まで強風と交互に僕達を苦しめました。寒気の流入、突風、雷への注意・・・。朝、種池山荘を出発する僕達の下に届けられた天候の情報はなかなか厳しい物ばかり。「とりあえず降っていないから行こう。」「赤沢岳までの間で雷の気配が出てきたら躊躇わずに新越山荘に逃げ込もう・・。」・・・そんな気持ちでの出発でした。濃いガスと強風の稜線は展望の代わりに足元の花に目が行きます。花の最盛期・盛夏を過ぎていても斜面のお花畑は中々に見事。ハクサンフウロウが、キヌガサソウが、クルマユリが、ハクサンチドリが、ミズハショウやスバリ岳手前ではコマクサまで顔を出しました。岩と雪の印象の強い北アルプスの山々の中にあってこの山域は森林限界を大きく越えていても斜面を緑が覆い、遠目に観ても露出感の高い山稜が暖かみのある独特の色に覆われています。赤沢岳を越えると一層風邪は強まりました。最後の部分、スバリ岳、そして最高峰であり雄大な山容が美しい針ノ木岳への登りの厳しかったこと、吹き倒そうとする風に抵抗しながら、砂礫と岩の道を登り詰めたその最後に針ノ木岳はありました。鳴り出した雷鳴に怯えながら下った針ノ木峠。小屋に飛び込むと同時の轟然たる豪雨。山の激しさ、晩夏の天候の凄さを感じさせた一夜でした。白馬から延々と連なる後立山連峰の最南部は静寂と地味な中にも独特の美しさと共にありました。

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黒部川上の廊下

 以下の者は、2007年8月16日〜19日、北アルプス黒部川上流を黒四ダムから平の渡しを越えて奥黒部ヒュッテから谷に入り、下の黒ビンガ、口元のタル沢のゴルジュ、上の黒ビンガ、金作谷のコケルジュを越え、立石から奥の廊下を遡行し、日本最難関と言われた上の廊下を遡行しきった事を証明いたします。

氏名 風 の 谷

 どこまでも澄みきった水は、美しく軽やかに見えていても、実際に足を踏み入れた時の感覚は「重い!」の一言でした。炎暑の下、延々と辿った黒部川上流へのアプローチ。そして入った広々とした黒部川。エメラルドグリーンの川の徒渉は、膝を越えると強い力で押してきます。やがて両岸が迫り迎えた最も困難と言われた下の黒ビンガ。屹立した岩壁に全く高巻きはできず、いきなりの腰上の徒渉の繰り返し。さっきまでの暑さは何処へやら、歯の根の会わない寒さの中の遡行でした。やがて、右岸に河段段丘の素敵な泊まり場を見付けて10時間を越える行動にヘトヘトになりながら燃え上がる大焚き火と満天の星空、流れ星の中に上の廊下の初日はすぎていきました。朝の身を切る水流にいきなり胸までの徒渉で始まった核心部の二日目。それは口元のタル沢のゴルジュの泳ぎから始まりました。そして、立石に至るまで何回泳ぎ、何回、徒渉でザイルを出したでしょうか?天気は幸いなことに晴れを基調として気温も高かったにもかかわらず、唇は青くなり絶えず細かい震えが身体を揺すっていました。やがて見上げる岩壁・上の黒ビンガでした。下の黒ビンガより更に大きな明るい岩壁、しかし、その徒渉は思いの外容易に過ぎました。そして、残雪の残る谷の合流を越えて本当に深い金作谷先のゴルジュも泳ぎ、越えました。二日目も10時間を越える行動に全身が低体温状態で歩行も難しい仲間も出てきて、それでも核心部を越えた立石に到達した二日目でした。三日目は立石の大プールのような高巻きからの始まりでした。しかし、何時しか身体は徒渉を覚え岩を飛び、流れを読み穏やかな流れの美しい薬師沢出合いの源流へと抜けたのでした。美しく、激しい上の廊下は連日の激闘の下に遡行されました。

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冠松次郎の岩棚。まっ白! 金作谷の泳ぎ 口元のタル沢ゴルジュ
冠松次郎の岩棚。まっ白! 金作谷の泳ぎ 最も大変だった口元のタル沢ゴルジュ
まっ白い岩と水流が美しい!

まっ白い岩と水流が美しい!
立石の奇岩 立石の奇岩
これを過ぎると谷はおだやかに!
大ゴルジュを泳ぐ大ゴルジュを泳ぐ 冷えた身体に大たき火がうれしい!

毎日10時間の行動に
冷えた身体に大たき火がうれしい!

北穂高岳

北穂への登り
北穂への登りは前穂北尾根が美しい

 以下の者は、2007年8月7日〜9日、北アルプス南部・穂高岳連峰の北穂高岳(3106m)に上高地から明神、徳沢、横尾を経て涸沢に入り、北穂沢から南稜を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

登った北穂を振り返りながら下山
登った北穂を
振り返りながら下山

 屏風岩を見上げる位置に登り着いて、キラキラと光る北穂小屋が見えました。「えっ!あんなに上?」それが率直な感想でした。涸沢というのは不思議な位置にあります。奥上高地ともいうべき横尾から前穂高北尾根の末端である屏風岩の裾を回り込み、まさに正反対の位置にあるのが涸沢です。清流がほとばしる本谷橋を渡り、ジグザグの急坂を登り切り、必ずしも急でも無い岩だらけの道を登って、最初に前穂高が見えます。「アァ、見えた」、必ず立ち止まり、久しぶりの再会にワクワクするのが決まりです。そして、奥穂高が見え、涸沢ヒュッテが見え、テントが見え、何回、経験しても、この穂高連峰の全ての大伽藍との出逢いはいつでも刺激的です。連峰最高峰の奥穂高岳、優美な前穂高に対して、北穂高は独特な位置を占める山です。岐阜側に「翼を持つ鳥でも、この谷には止まる所が無い」と言われた滝谷を持ち、涸沢側にも南稜、東稜と急峻な岩稜を一気に落とし、一番強面のゴツイ顔をしている名峰です。涸沢ヒュッテの位置で初めて全貌と出逢える、中々、本物に会えないのも北穂高岳の特徴です。日本離れした涸沢の風景をユックリ楽しむ余裕もなく取りついた北穂高への一歩。しかし、それは、最後の最後まで一瞬も緩むことのない厳しい登りの連続でした。北穂沢の登りは不安定なガラガラのガラ場の連続です。しかし、一方で常念岳がグイグイと見え、蝶ヶ岳が大きくなっていき、八ヶ岳が見え、登るごとに本当に多くの山が見えてきました。横尾から見上げてきた前穂高北尾根のタヌキ岩が同じ高さになり、南稜そのものの登りとなって涸沢岳を越えるガスが気になりだしたころ、さすがの登りも一段落。遠く北岳と富士山さえ顔を出しました。そして、いきなり飛び出した山頂。憧れの槍ヶ岳との出逢いはなくても苦闘の果てに登り着いた山頂は感激の中にありました。

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大菩薩小室川谷

四段のナメ大滝
四段のナメ大滝
最上段はスゴイ

 以下の者は、2007年8月4日〜5日、大菩薩連峰北面・多摩川支流の泉水谷の小室川谷を出合いから水源まで遡行し、大菩薩嶺(2067m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

次々と強いられる泳ぐ釜
次々と強いられる泳ぐ釜

 薄暗いコメツガと苔の急斜面を攀じ登ると突然のように明るい草原の中に放り出されました。今まで二日間にわたって登り続けた谷とは全く違う、明るく、乾いた、爽やかな風の抜ける稜線がありました。日本百名山の一つ。多くの登山者が行き来する大菩薩の北側に、これほど激しく、水量豊富な美しい谷があることは知られていません。当初予定の平ヶ岳恋の岐川が台風による増水の可能性が高く、いち早く転進した小室川谷でしたが、最初に驚かされたのが泉水谷の水量の豊富さでした。そして、谷に入り、一つ一つの釜の通過、小滝の通過の困難さでした。そして出会ったS字峡。噴水のように滝を吹き出す落ち口を全員が乗り越すのは難しく、高巻きの末に懸垂も難しく、大きく巻きました。その上も連続するゴルジュと滝、次々とあらわれる迫力満点の釜に一つ一つ真剣にルートを探しました。もっとも大きなゴルジュと釜を持つ小室の淵。激しい流水に泳ぎでは突破できずに高巻き。随所で泳ぎを強いられ、夏の気温の下でも寒さの一日でした。中の沢手合い上に快適な泊まり場を見付けましたが、連日の降雨のせいか薪は湿り、燃え上がっても絶えず人の手が必要な状態でした。それでも疲れた、冷えた身体に一人一合の晩御飯はアッと言う間にお腹の中に収まり、ビールとワインとウィスキーが大渓谷の中の一夜を楽しませてくれました。天気予報を完全に裏切り、月明かりの中に起きて、登りだした空は青空でした。小室川谷はここからが滝の連続でした。思わず歓声の上がる四段の大きなナメ滝を越えても、次々とあらわれる大きな滝、次々とあらわれるナメ滝。最後の最後まで冷たい水を落としながらあまり水量を減らさずに続いていました。苔むした斜面に消え入るように無くなった水流。そして、その上に明るい稜線が待っていました。大菩薩の沢。かつての小金沢を筆頭とする大渓谷が消えてから大黒茂谷と共に貴重な存在の小室川谷でした。

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アサヨ峰

仙水峠の日の出
仙水峠ではちょうど奥秩父からの
日の出に間に合った。雲海がスゴイ

 以下の者は、2007年7月31日〜8月1日、南アルプス・早川尾根の盟主であるアサヨ峰(2799m)に北沢峠から仙水峠を経て栗沢山(2719m)に登った後に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

アサヨ峰への岩ゴツゴツの道
アサヨ峰への岩ゴツゴツの道
楽しい!

 初秋を思わせる真っ青な空と乾いた空気は、この日が長かった梅雨の明けた日だったからかもしれません。初日、軽い散歩のつもりで訪れた仙水峠。去来するガスの中に浮き沈む甲斐駒ヶ岳の姿は、梅雨の最後のあがきだったのかもしれません。そして、翌朝、なんと三時半にたたき起こされて出発した小屋。ちょうど仙水峠で奥秩父から出たばかりの太陽との出逢いがありました。甲府盆地から清里方面、伊那谷まで布団のように埋めつくした雲海を見下ろし、胸が付くとは、正しくこのこと!というような栗沢山への登りユックリユックリと登りました。一歩ごとに甲斐駒ヶ岳が背後でグイグイと成長し、中央アルプスが木曽の御嶽山が見え出し、槍・穂高を筆頭に北アルプスがまだ豊富に雪を付けて見え、赤岳が驚くほどの尖った峰として見え、奥秩父、大菩薩と次々と見えてくる中の登りでした。登り出した太陽が下から足元に射す独特の中の登りは、やがて台風の余波か乾いた南風の中の登りとなりました。そして、登り着いた栗沢山。文字通りの360度の圧倒的な展望の中にありました。圧巻はやはり北岳。甲府あたりから見る鷹揚な山容とは別物のような尖った峻険な雰囲気を見せていました。塩見、荒川、仙丈ヶ岳、鋸と見事なまでの景色がありました。アサヨ峰は、大きな山に囲まれてけして目立つピークではありません。中央線の車窓から見える早川尾根の重厚な雰囲気にも惹かれましたが何よりも大きな山を見渡す展望を期待して登りました。岩だらけのちょっと未整備なペンキマークも少ないアサヨ峰への道は素敵な稜線漫歩でした。加賀の白山まで見える完璧な展望は、やはりアサヨ峰の岩の上で最高の物となりました。素晴らしい展望にいつもの何倍もの時間を頂上でボーッと過ごしました。この夏の幸運の全てを使い切ったのでは?と心配になる乾いた展望の中の二日間の南アルプスでした。

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鶏冠谷三の沢

三の沢
三の沢は水量が減っても
ずっとステキなスラブが続く

 以下の者は、2007年7月28日〜29日、奥秩父笛吹川でもっとも美しい谷の一つ鶏冠谷を出合いから魚止めの滝、逆「く」の字の滝を越えて、二俣から左俣に入り三の沢のスラブを登り遡行し、鶏冠尾根を木賊山(2468m)へと到達し、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

この谷の最もキレイな所
この谷の最もキレイな所

 夏を迎えた奥秩父。白い花崗岩の岩肌と跳ね上がる美しい渓流。人々の多くが高い山へと向かう今、こんなに魅力に満ちていても奥秩父の山々は静寂の中にあります。笛吹川の本流たる東沢と別れ鶏冠谷に入り、いきなりに現れる魚止めの滝。力強く全水量を空中に吐き出す勇壮な姿は見事でした。しかし、僕自身が一番好きなのはゴーロ帯が終わり、奥飯盛沢の出合い付近の独特な広がりです。両側を高く岩壁に囲まれて狭まった空間にかかる三段の滝、そしてそのうえにかかる美しい逆「く」の字の滝。躍動感に満ちた素晴らしい光景が続きます。そして、今回は左俣を三の沢へと入りました。鶏冠尾根に登り着くまで徹底的に明るいナメ滝とスラブを連続させる三つの沢、一の沢から三の沢までそれぞれの沢は個性を持ちながら、稜線までグイグイと登り詰める爽快感と背後にドンドンと広がる独特の展望とで毎回、訪れるたびに新しい発見があります。今回は上品な雰囲気のハクサンシャクナゲが鶏冠尾根の随所で見られました。標高差1300mの大きな登りを大部分を沢登りでこなす、それなりの大きさを持つ鶏冠谷の登りでバテきった者も出て、一歩一歩を踏みしめるような鶏冠尾根の原生林と岩稜の登りでしたが、時間に追われながらもついつい見とれる美しさが疲れを癒してくれました。
 笛吹川流域が奥秩父を代表する沢の宝庫であることは何回となく言っています。東沢釜の沢を筆頭に奥秩父随一と言われる落差を誇る大滝を持つヌク沢、東のナメ、西のナメ、乙女の沢と遡行価値のある沢が続きます。しかし、鶏冠谷は左右の両俣のそれぞれに、また無数の支流を持ち、何年かけても登り切れない無数の谷が存在します。四季を通じて、様々な角度から挑めば毎回、必ず新しい発見を与えてくれるはずです。

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剣岳

別山乗越からの剣
別山乗越からの剣
この時は明日の晴天を信じていたが・・

 以下の者は、2007年7月24日〜26日、日本を代表する岩と雪の殿堂、北アルプス随一の峻険さで知られる剣岳(2998m)に室堂から雷鳥沢、別山乗っ越し、剣沢小屋を経て別山尾根の一服剣、前剣、平蔵のコル、カニのタテバイを越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

カニのタテバイ下で 土砂降りのカニのヨコバイ
今年の剣は残雪が多い
カニのタテバイ下で
土砂降りのカニのヨコバイ

 初秋を思わせる雲一つない真っ青な晴天の下に辿った剣沢への道。天気予報がいかに悪天を伝えていても、明日の晴天下の登頂を確信しながら登ったアプローチ。そして別山乗っ越しで出逢った久遠の頂き・剣。しかし、明け方には星が消え、剣沢を渡るころには時折、降りつける雨、そして風。「どこまで行こうか?」「頂上まで行けるかな?」絶えず、悩み、判断に苦しみながらの前進でした。前剣への一気の登り、どこにも落石の可能性があり、ずっと緊張しながらの登りは濃いガスの中でした。前剣で急激に強まりだした雨、吹きつのる風。微妙な岩場のトラバース、慣れないカラビナの掛け替え、濡れて滑りやすい岩場を一歩一歩と慎重に一つ一つ越えていく地味な作業が続きました。一段と大きな岩を乗り越えてやって来た平蔵のコル。豊富な残雪に大きなトンネルのような溝を潜り、取りついた剣岳一の峻険な箇所・カニのタテバイ。でも、この時が一番の雨でした。岩場の上を、クサリを手がかりの上を、水が流れていきました。「もうすぐ頂上」という箇所に来て、傾斜も緩んでからの長く感じられたこと。そして、ガスと雨の中の微かに浮かぶ祠が頂上でした。下りの困難を思うとノンビリする気にもならず、ソソクサと後にした頂上。もっとも厳しかったカニのヨコバイのトラバース、垂直の長いハシゴ、本当に「もう大丈夫」と思えたのは一服剣を越えてからでした。悪天は、登頂の後も続き、夜半には暴風雨の雰囲気さえありました。強く降る雨の中、下山まで全く、その姿を見せることの無かった剣岳の頂上でした。
 剣岳は登ってみて、あらためて北アルプスの中でももっとも困難な頂上であると感じられました。しかし、安全策をキチンととれば厳しいルートも確実に登れたのも事実です。一歩上の「山歩き」へのステップとなれば幸いです。

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槍ヶ岳北鎌尾根

独標
独標・・北鎌の核心だ

 以下の者は、2007年7月21日〜23日、北アルプスを代表する歴史ある名バリエーションルートである北鎌尾根を上高地から槍沢を登り、大曲から水俣乗っ越しを越えて天井沢に下り、北鎌沢出合いから北鎌のコルに登り、天狗の腰掛け、北鎌平を越えて槍ヶ岳(3180m)へと踏破したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

穂先近し
穂先近し

 ついに槍ヶ岳の本当の姿を見ないままに立った山頂でした。しかし、天狗の腰掛けを越えて、出逢った独標の圧倒的な大きさ、そして、見えなかったからこそ、微かにガスの中に存在を感じさせた雄大な穂先の量感はまさしく北アルプスのバリエーションルートの王者としての風格がありました。本来ならば高瀬ダムから延々と水俣川を遡行し、登り着くはず北鎌尾根でしたが、増水の知らせに実に2400mまで槍ヶ岳に肉薄してから再び1800m近くまで下降する労力を強いられました。誰も姿を見ない沢の音だけが響くビバーク地。ヘッドランプで出発する登頂の日。そして、北鎌尾根を一歩一歩と辿る嬉しさ。実は四季を通じて何回も訪れた北鎌尾根ですが、一回として同じ姿であったことはありません。決定的な変化は96年の穂高岳地震の直後でした。全てのトラバースルートは破壊され、ただてさえ浮き石の多かった岩峰は全てがガラガラの触れれば落ちる落石の巣と化していました。それが少しづつ落ち着いて、今回は所々で旧来のトラバース道を利用することができました。そして、尾根の上に点々と咲く高山植物。とりわけミヤマオダマキの可憐な姿は、ガラガラと乾いた音を立てて落ちていく落石の殺風景な緊張感の中にあっては、本当に心休まる物でした。最後の最後で生暖かい風と共に降った雨に悩まされた穂先ののぼりでした。しかし、急斜面を乗り越えて山頂に立った時の感激、多くの苦労を乗り越えて到達した山頂の握手は嬉しさで一杯でした。
 槍ヶ岳北鎌尾根。いつも、絶対に容易には立たせてくれない山頂。いつも、大変な思いで一杯の精一杯の力を尽くして登り切る名ルートです。これほどの変化と達成感を与えてくれるルートを全員で登れたことに感謝します。

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大菩薩富士見新道

岩場の後ろに緑の景色
岩場の後ろには
緑の景色が大きい

 以下の者は、2007年7月3日、富士見新道の岩場で岩場技術の講習を受講した後、神部岩から大菩薩連峰の2000m地点に到達し、歴史ある大菩薩峠(1897m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

富士見新道の岩場
富士見新道の岩場

 梅雨空の下での岩場の練習を想像していた僕達には、眩しい初夏の太陽が輝いていました。青空の下にグングンと高く高く登っていく積乱雲。耳に残るハルゼミの声。夏の気配を一杯に感じた大菩薩の一日でした。もともとは乾徳山に行くはずでした。乾徳山のクサリ場で剣や穂高の夏の登山を想定してザイルを使っての安全を確保しながらの山歩き、岩場での基本的な動作、そして、タイトロープの技術、カラビナ等の操作に慣れること、等を習得することが目的の今回の講習でしたが、乾徳山の大平牧場への道路が1日から通行止めとの情報を得て急きょクサリ場と岩場で知られる「通行注意ルート」富士見新道に向かいました。姫の湯沢のアプローチを抜けて原生林の中に消え消えに続く道を辿りレンゲツツジの咲くガレ場を攀じ登り、到着した岩場。そこで背後に大きく広がる大菩薩湖を見ながら岩場の上り下りを練習しました。岩場に身体を張り付けないこと、細かく丁寧に足場を探っていくこと、手足四点の内、三点はしっかりと固定させ一点だけを動かすこと等を繰り返し練習しました。最後の大きな岩場では、ガイド1名とゲスト4名がザイルで結ばれて安全を確保しながら登ること、支点の通過等を練習しました。緊張の中を登り着いた2000mの地点には涼しい風が吹いていました。誰もいない稜線。梅雨時独特のモワッとした空気に大きな展望は無いものの、期待していなかった小金沢連峰や熊沢山の美しい原生林と稜線一杯に広がる草原、所々に点在するサラサドウダンやレンゲツツジの美しさは緊張の練習の後の気持ちよい眺めでした。
 岩場は一般的な山歩きを行う者の苦手な動きの一つです。苦手な者でも岩場での基本的な動きを習得する中で安全な動き、スムーズな動きが可能になりました。南北アルプスや八ヶ岳ではとうしても好むと好まざるにかかわらず岩が出てきます。そういった所を少しでも嫌わないキッカケとなれば幸いです。

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入川大荒川谷

 
分厚い苔と滝が続く大荒川谷 最後の最後・・源流までナメが続く
分厚い苔と滝が続く大荒川谷 最後の最後・・源流までナメが続く

 以下の者は、2007年6月30日〜7月1日、奥秩父荒川水系の入川大荒川谷を入川金山沢から遡行し、小荒川谷出合いを経て水源まで遡行し、西破風山(2318m)に登頂し、笛吹川ナメラ沢を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 首都圏随一の原生林の中を流れる荒川水系の谷の中でも、本流たる真の沢を越えて、また優美さでは圧倒的な物として知られる股の沢を越えて、本当の谷の美しさ、雄大さ、真に太古からの自然の残ることでは大荒川谷は比類ない谷であると確信します。出合いまでの延々たるアプローチ。車道を歩き、森林軌道跡を歩き、山道を辿り、スリップを警戒しながらようやくにして到達した金山沢出合い。そこから辿る谷の大きさ。今回の山の中で唯一出逢った人間である釣り師。その持つビニール袋にはお腹が赤く「サビの入った」この山域のみに生息する貴重な秩父イワナが何匹も入っていました。赤々と燃える焚き火、頭上を厚く覆うサワグルミの大木。沢のせせらぎ以外は何一つ物音のしない静寂が谷を埋めていました。霧雨の朝でした。まだ1000mを越える標高差。しかし、この二日目こそが大荒川谷の遡行の真価を発揮する部分でした。次々と現れる水量豊富な滝。分厚く苔に覆われたナメ。一歩一歩が岩ではなく植物としての苔の上を歩くフワフワした感触は中々味わえない貴重な経験でした。滝を高巻き、滝を直登し、霧に埋まった谷を辿る幽玄な気分。枝沢を分け、ルンゼを分け、いつしかチョロチョロと流れた水が完全に消え入った頃、周囲は見事なまでのコメツガの森とシャクナゲのピンクの花の中にありました。今でも年に何人も遡行する者の無いと思われる奥秩父主脈のはるか下の原生林の中に消え消えと残る杣道。消えては現れるその道は、かつてこの場所に何かを求めて活動した山人の気配を感じさせました。嫌になるほどの苔の絨毯の登りの末、飛び出した展望とてない破風山。そこから休むまもなく稜線を乗り越し、笛吹川流域の下降を開始した僕達でした。濃いガスの中、降り立ったナメラ沢の流れ。下るほどにナメが現れ、滝を下り、ゴーロを下り、流れを追って下り着いた雁坂峠道。大きな、激しい、そして素晴らしい谷の中の二日間でした。

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那須連峰

見事な樹林が広がる 生きている山那須連峰
ハイマツの尾根から見下ろすと
見事な樹林が広がる
生きている山那須連峰。すごい!

 以下の者は、2007年6月26日〜27日、那須連峰核心部をロープウェイから茶臼岳(1897m)に登頂し、無限地獄から牛首、姥が原を経由して三斗小屋温泉に宿泊し、隠居倉から熊見曽根で主稜線へと戻り、清水平から連峰最高峰・三本槍が岳(1917m)に登頂し、朝日岳から峰の茶屋を越えて峠の茶屋へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 標高は2000mに満たない、けして高山では無いはずの那須の山々。しかし、活火山の創り出す剥き出しの自然と潤いに満ちた独特の森林は、この時期、山々に生き物の気配を一杯にした躍動感溢れる景色を僕達に見せてくれました。修学旅行の中学生の溢れる茶臼岳も一歩、無限地獄のほうに足を進めると、頂上方向からは想像もできない激しい噴煙をあげた生き物のような荒々しい姿を見せてくれました。そこから牛首を経て姥が原への道。全く期待していなかった多くの花との出逢いがありました。そして、それは翌日の朝日岳を越える瞬間まで絶えず視野の中に山の花がある・・・・という状態が続きました。ハクサンシャクナゲ、アケボノツツジ、イワカガミ、シロバナのイワカガミ、ギンラン、そして、足元と斜面を一面に覆い尽くすちょっと大きめのマイヅルソウ。花がいるから虫がいる。虫がいるから鳥がいる。初夏の那須連峰はなかなか賑やかでした。茶臼岳から一歩離れると急激に静かになる山々。ロープウェイのうるさい放送は届かず、時折聞こえるジェット機のような噴煙の吹き出す音だけが鳥の声と共に響いていました。溢れ出る豊富な湯と静寂の支配する三斗小屋温泉を後にして、吹き出る汗と共に登り着いた隠居倉。急激に開ける展望はたおやかな緑のハイマツに覆われた三本槍が岳へと続く稜線をバッチリと見せてくれました。まだ様々な高山植物が咲くには早かった清水平、文字通りのハイマツの海の上に立つ最高峰・三本槍が岳は梅雨期のモヤッとした空気の中にありました。那須の山々は独特の雰囲気を持っています。荒々しい活火山の雰囲気と湿潤な見事な樹海の対比は見事です。三斗小屋温泉の露天風呂から眺められた流石山、大倉山とたおやかな山々にも足跡を記したいものです。

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笛吹川東沢釜の沢西俣

甲武信岳の小屋番氏による「歓迎」の貼り紙
甲武信岳の小屋番氏による
「歓迎」の貼り紙
往復2時間・・・ありがとう

 以下の者は、2007年6月23日〜24日、奥秩父の笛吹川東沢釜の沢を二俣から遡行し、ホラ貝のゴルジュ、山の神、乙女の滝、東のナメ、西のナメを越えて釜の沢に入り魚止めの滝、千畳のナメと遡行し、両門の滝から西俣に入り水源から奥秩父主脈の水に至り日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

千畳のナメは光がいっぱい
千畳のナメは光がいっぱい

笛吹川東沢釜の沢西俣の遡行の強い印象は「登山としての沢登り」です。もっとも登山らしい登山の形式であると確信する沢登りですが、例えばこの間、「風の谷」の行ってきた「初心者のための沢登り」を振り返ってみると、丹沢・勘七の沢は花立というかろうじてピークには立ったものの、その他の小川谷廊下にせよ、奥多摩の水根沢谷にせよ、唐松谷にせよ登山の為の沢登りではなく、豊富な大自然の中にあっても川と言って良い大きな流れを登り、谷と言って良いスケールの中を登り、ゴルジュ、ナメ、滝を越えて沢登りらしい中を延々と登って原生林のヤブを漕ぎ、頂上に立つと言う本来の沢登り、「頂上に立つためのもっとも刺激的なルートとしての沢登り」としては、今回の釜の沢西俣の遡行は完璧なまでに見事な登山でした。東沢釜の沢の美しさと魅力は多くの人々が知る所です。しかし、その釜の沢が両門の滝を越えてヤゲンの滝を越えると荒涼とした河原歩きとなってしまうのに対して、同様に河原歩きはあるものの、その後、滝を連続させて苔むした見事な沢床の上を最後まで緊張感をもって遡行できる見事な谷として西俣はありました。そして水流を離れてからの原生林の中の厳しい登り、そして、主脈縦走路に飛び出す直前に掲げられた甲武信小屋小屋番氏による「歓迎!風の谷」の看板。見事なまでの完璧な登山がありました。いつも言っていることですが、笛吹川こそは奥秩父の沢の宝庫です。200mの大滝を持つヌク沢、支流に五本の見事な谷を持つ鶏冠谷、微妙な登攀を強いられる東のナメ、冬期登攀で知られる乙女の滝、優美な西のナメ。清兵衛沢、ホラの貝沢、そして、それぞれの支流と遡行していけば何年もかかるそれぞれに個性豊かな見事な谷が僕達の訪れを今日もヒッソリと待っています。それにしても、見事な快晴と暑さの中の遡行でした。真っ白な花崗岩に付ける足跡、跳ね返る水しぶきが楽しい一つ一つの滝、咲き残ったシャクナゲ、フふかふかの苔の絨毯の上をかき登るツメ。暗い谷底を這いずり回って来た者に眩しいまでの展望。暖かい小屋の仲間のもてなし。登山としての沢を満喫した二日間でした。

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笠取山

笠取山頂上直下
笠取山頂上直下からは
足元に広がる草原が明るい
ここが多摩川の最初の流水
ここが多摩川の最初の流水

 以下の者は、2007年6月20日、多摩川水源の山・笠取山(1953m)に一ノ瀬高原の中島橋から多摩川水源・水干を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 中島橋を降りて歩きだした途端の耳を圧するハルゼミの声。仲間同士の会話さえ聞きにくいほどの元気なセミの鳴き声が山から降りて一日たつ今も耳の中に残っています。東京都水道水源林として手厚く保護された水源の森は、下に豊富な下草とクマザサと灌木の分厚い守りを持ち、キラキラと光る苔の絨毯を敷いて僕達を迎えてくれました。水源巡視の道として整備をされた道は、大きな登りを感じさせないままに、カラマツからミズナラそして、ダケカンバからコメツガと次々と樹相を変えながら高度を上げて奥秩父主脈縦走路の高みまで登らせてくれました。そこからの水干までの道は、大小の澄みきった流れを越えて行く道でした。奥深い森があり、そこから水が沁みだすように生まれ、そして沢となり谷となり川となっていく様子が肌で感じられる独特の森です。ミツバツツジが足元にハラハラと散る中を辿った後、ちょっと整備されすぎた感のある多摩川水源「水干」に到着しました。「東京湾まで138キロ」、小さな看板がありました。晩秋等は乾ききった状態のこともある水源ですが、十秒に一回ほど小さな滴が間違いも無く落ちていました。黒槐沢の花崗岩の沢床から汲んだ美味しい水でドリップコーヒーを入れて飲む昼食。そのあと、50mほど下の本当に流れが生み出される場所まで全員で駆け下りてみました。キラキラと光る砂の間から間違いも無く流れとなって多摩川の最初の流れは生み出されていました。そこから雁峠方面に歩き草原の中を登り詰める笠取山の登り。一歩ごとに展望が開け、大菩薩嶺が尖った形で見え、多摩川と富士川と荒川を分ける「小さな分水嶺」の草原が広がり、雁坂峠、甲武信岳と明るい広がりを感じながら登り切って辿り着く頂稜。そこから岩場と散りだしたシャクナゲの中を歩いて到達した笠取山の頂上からは大きく足元に穏やかな森が広がっていました。水源の山・笠取山。この山と森が多くの人々の意識的な森林保護によって「自然」の姿のままでいることに感謝の気持ちで一杯になりました。

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倉掛山

ヤマツツジの朱色の門を抜けて
ヤマツツジの
朱色の門を抜けると
倉掛山は近い

 以下の者は、2007年6月19日、大菩薩と多摩川水源を結ぶ尾根に聳える倉掛山(1777m)に板橋峠より登頂し、三窪高原のハンゼの頭、柳沢の頭と辿り、柳沢峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 絶えず自分達の視野の中に何れかの種類のツツジの花のあった一日でした。絶えず自分達の耳の奥に鳥の囀りのある一日でした。青梅街道最高地点・柳沢峠は大菩薩の西の端であり、奥秩父でもあり、奥多摩でもある多摩川水源の山々の南の端にあたる場所です。そこから伸びる尾根は広々とした防火帯が切り開かれ草原として板橋峠から斉木峠まで続きます。この防火帯の尾根は石保戸山であり、天狗棚山であり不遇であっても独特の展望と明るい雰囲気を持つ水源の山として「風の谷」の大好きな山域を創り出しています。かつて、悪名を轟かせたホテルニュージャパン社長・横井某がこの美しい山稜の上に深静峡なるリゾート施設を開拓し、別荘地とレストハウス、テニスコート等を静寂の地に作り上げたことがありました。レストハウスから山菜取りや登山者に大音量のスピーカーで「私有地に入るな」と怒鳴りつけていたのも僅か、バブルがめでたく崩れ、廃墟となり今では不思議なコンクリートの塊が残る板橋峠が出発点となりました。そこからの尾根道は広々とした草原に随所にヤマツツジ、サラサドウダン、ドウダン、そして待望のレンゲツツジと見事なツツジの花の連続でした。花があるから虫がいる、そして、その虫を求めての鳥がいる。ウグイス、オオルリ、コマドリ、カッコー、ホトトギス等、繁殖期を迎えた鳥の囀りはうるさいほどに山々に響きわたっています。生き生きとした生命力の溢れた緑の山の一日でした。倉掛山を往復し、三窪高原に入る頃、木々を濡らして雨が降りました。空梅雨と言われている今年、新緑を過ぎ、力強く青々と伸びる木々に潤いを与える恵みの雨の匂いがしました。かつて、この高原を埋めつくしたレンゲツツジは鹿の食害で姿を消し、代わりにヤマツツジの濃い朱色が山肌を埋めていました。ハンゼの頭から見下ろす多摩川水系は穏やかな緑の谷間となって東へと伸びていました。花と鳥の一日でした。

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日原川支流・唐松谷

 以下の者は、2007年6月17日、奥多摩、東京都最高峰・雲取山を水源とする日原川支流・唐松谷を出合いから遡行し、野陣の滝を直登し、大滝を越えてイモリ谷出合いまでの核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 頭上を覆うサワグルミを中心とした大きな木々。足元を流れる水量の多い谷。ゴーゴーと響く渓声以外はミソサザイのけたたましく鳴く声だけが聞こえる独特の世界。ここも西の端とは言え東京都の一角であることを忘れさせる唐松谷の一日でした。谷の美しさは周囲が巨樹に囲まれた太古からの原生林を持つことによるものでした。この日原川上流のこの地域だけ、長沢谷から大雲取谷、小雲取谷、そして、唐松谷に囲まれたこの地域だけは東京で最大の手つかずの原生林なのです。そして、何故かここには南アルプス・赤石岳と共通する真っ赤な岩であるラジオラリア板岩が所々で見られます。一つ一つの岩を越えて小さな滝を一つ一つ乗り越えて頭上はるか上から落ちる野陣の滝と出逢った嬉しさ。いずれのガイド本でも「直登不能」「左岸を高巻く」となっていますが、実はそんなに難しくなく登れました。でも、ここの残置ハーケンのほとんどは「風の谷」が毎回少しづつ打ち足した物です。安物の軟鉄のハーケンが懐かしく無事であったことを嬉しく思います。2ピッチ目の上部にガレが流れ込んで滝を越えた後もナメ滝が続く野陣の滝の魅力がちょっと損なわれているのが残念でした。大滝はもっとも優美な滝です。僕が高校生の頃は正面左の壁にボルトが連打されアブミで登るルートがあったように思います。そして、この大滝から上の苔むした谷の美しさこそが唐松谷の最大の魅力です。実質的な遡行終了点になったイモリ谷も七つ石山まで苔むした静寂の谷が続きます。
 唐松谷を初めとした奥多摩日原川上流の谷は滝登りや釜のヘツリを楽しむよりは谷の流れと親しみ、頭上を覆うブナやミズナラの原生林を楽しむ谷です。丹沢等の谷と違い本来の沢登りの魅力が奥秩父の荒川水系の谷等と共通する奥深さがあります。小雲取谷等もコメツガの森の美しさに思わず感嘆の声の上がる素敵な谷です。奥多摩の沢が大好きになるキッカケとなれば幸いです。

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水根沢谷

 以下の者は、2007年6月16日、奥多摩・鷹ノ巣山近く水根山を水源とする水根沢谷を水根集落から遡行し、大滝、半円の滝付近まで核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 青梅街道から入ることクルマで3分。ときおりバイクの疾走する爆音の聞こえる所が入渓点。そこに激しい谷の屈曲が創り出す独特の世界が広がっていようとは誰も想像がつかないと思います。水根沢の特徴は、徹底的にゴルジュの創り出す釜のヘツリと小滝の際どい通過にあると思っています。しかし、数年前に発生した中間地点・アシダキ沢上部の鹿の食害を原因とする斜面の大崩落とそれに伴う土砂の大量の流出は、この沢の下部の大部分を泥の底に溜まった汚れた沢にしてしまいました。昨年あたり一時期、相当程度に回復したのですが、再び大規模な土砂の流入で悲しい思いをしました。水は汚れ、落ちた釜も腰位に埋まってしまってもシュリンゲに掴まり、時には滝の真ん中に飛び下りて一つ一つの滝や釜を通過する楽しみは相変わらずでした。大滝を越えて例のアシダキ沢とワサビ田を越えると本来の澄みきった水根沢が蘇ります。頭上を覆う大きな木、緑色の濃いゴルジュ。そして、時折樹間からさす真夏を思わせる太陽。この谷のもっとも美しい半円の滝が待っていました。少雨傾向のせいか水量が少なく、そのために水垢が発達し滑りやすい状態でしたがツルツル滑りながらも全員が滝をまたいで登り切りました。通常、多くのパーティーが半円の滝で遡行を打ち切りますが、そのしばらく先、二つの滝と釜を越えた所を終了点としました。這い上がった登山道には真夏の乾いた太陽が照りつけて正面に大きく御前山が青々とみえました。水根沢は入渓も下降もエスケープも容易で「はじめての沢」をこの沢で体験した者も多数いるはずです。それだけに一日も早く土砂の流出が止まり、潤いのある谷の蘇ることを願います。ところで、あの終了した地点より上はどうなっているか?地形図で見ても判るように激しく曲がりを繰り返すのは終了点まで。そこから上部は植林が増えることもあって穏やかになり登山道が横切る先から3時間程で石尾根に出ます。

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奥秩父縦走(北奥千丈岳〜国師岳〜甲武信岳〜雁坂峠)

破風山から背後の甲武信 明るい雁坂峠
絶破風山へ登りから
今朝の出発点・甲武信が大きい
ついにたどり着いた
明るい明るい雁坂峠

 以下の者は、2007年6月12日〜13日、奥秩父中核の大弛峠から奥秩父最高峰・北奥千丈岳(2601m)に登頂し、山梨百名山の一つ・国師岳(2591m)を越えて東梓、富士見、水師と辿り日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に登頂し、木賊山(2468m)、破風山(2317m)から山梨百名山・雁坂嶺(2289m)と辿り、日本三大峠の一つ雁坂峠へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大弛峠の上で出逢った雪は、国師ヶ岳を越えきるまで足元にいろいろな影響を与えました。東京等では真夏日に近い場所もあったはずなのに、稜線を吹き渡る風は冷たく、乾き、北国の秋を思わせるさわやかさがありました。奥秩父最高峰・北奥千丈岳から東を見渡して、「まさか、あれ?」の声と共に心配になる遠さで、甲武信岳はありました。大きな上り下りは無い、纏まった登りは無い、・・・だから・・・大丈夫の前提は事実ではありましたが、東梓、富士見、両門の頭、一つ一つは大きくなくても私達の足元を確実に攻め続けました。なかなか梅雨にならない今年の六月。さわやかな風と共に、季節の訪れも大分遅れているようにも思います。普段なら確実に見られそうなマイヅルソウは小さな葉のみだし、ツマトリソウ等も姿も見えず、オウレンだけが苔の上に点々と咲く中の縦走でした。富士見を過ぎると国師ヶ岳は遠く、甲武信岳も近づかない、時間の経過と共に、心細くなるころ、大きく足元に笛吹川の水源の谷が大きく見渡せる場所を通過しました。標高の高い所ではシラビソが、少し下がるとコメツガがビッチリと左右を埋めつくし、展望こそ時々しか見えないものの、重厚な雰囲気の中の奥秩父を満喫する時を過ごすことができました。辿り着いた甲武信岳。遠くの山々は霞がかかってるものの、辿ってきた国師ヶ岳からの稜線、明日向かう雁坂峠への稜線。どちらもハッキリと認められる展望の中にありました。昔からの山小屋の良さを満喫できた甲武信小屋の一夜。質素な朝食を食べて辿る稜線は昨日と違って明るい展望共にありました。西破風山の登りで出逢ったアズマシャクナゲ。シャクナゲの後ろに大きく広がる歩いてきた稜線。そして、原生林の中を歩いてきた者には眩しいばかりの雁坂峠の広大な明るい展望。良く歩ききったなぁ・・・。思わず自分達をほめたくなる広がりと明るさがそこにはありました。大弛峠から雁坂峠。奥秩父のもっとも奥秩父らしい部分。もっとも重厚な部分に足跡を記した二日間でした。

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日光白根山

背後に五色沼
日光白根山への最後の登り
背後に五色沼
頂上直下には大きな雪田が!
頂上直下には大きな雪田が!

 以下の者は、2007年6月5日、日本百名山の一つで栃木県・群馬県の県境の山・日光白根山(2577m)に、丸沼高原から大日如来、七色平を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 栃木県、群馬県の県境、そして、福島県も近い日本の本当の奥地にあった日光白根山。もちろん近くは観光地として開発された日光や尾瀬があっても、いったん山に入り、ロープウェイを降りてしまえばそこは重厚な原生林の中でした。僕自身、かつての遠い思い出の中で強烈な火山性の山のイメージが鮮明にありましたが、今回、特に感じたのは奥秩父、北八ヶ岳にも匹敵する奥深い森の山のイメージでした。鹿除け電気柵を越えて一歩、森に入った途端の強烈なシラビソの森の香り、そして、いきなり現れた雪に驚かされました。晩春の森林高地を思わせる何回も融雪と雨、そして、時折訪れる強い寒さによる凍結を繰り返した森の中の残雪でした。当初、予定の五色山、前白根山への周回をいち早く諦め、七色平からダイレクトに山頂を目指しました。雪で冷やされた空気はガスとなって漂い、シラビソ、ウラジロモミの森を幻想的に浮かび上がらせていました。その森がダケカンバが目立つようになり、飛び出した森林限界は期待の大展望は無かったものの、弥陀が池を見下ろし、登るほどに五色沼がそして背後に遠く菅沼や丸沼が重なって見える独特の風景と共に登っていきました。「エッ!本当にここを登るの?」と思わず言葉に出る急斜面と岩肌だらけの斜面。しかし、取り付いてみるとハクサンシャクナゲ、コケモモ、キバナシャクナゲの木々が斜面に張りつき開花時を想像させる素敵な斜面でした。大きな展望は得られないものの、見渡す限りの山々は随所に池糖を点在させ、たおやかな山並みと明るい雰囲気の広がりが登るごとにひろがる道でした。そして、登り着いた山頂はガスの中にありました。しかし、時折、顔を出す周囲の景色は火山独特の荒々しい、そして雄大な物でした。
 日光から奥鬼怒、皇海山、帝釈山脈。これらの山々は独特の気候と奥深さをもっています。アプローチの悪さを考えも何回が訪れたい山域です。

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西丹沢中川の玄倉川支流・小川谷廊下

あっという間にずぶ濡れ 小川谷廊下は水との格闘
あっという間に
ずぶ濡れになる小川谷廊下
小川谷廊下は
水との格闘に終始する

 以下の者は、2007年6月3日、西丹沢中川の玄倉川支流・小川谷廊下を出合いから核心部を越えて広河原まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 前日の表丹沢の沢床に土の溜まった沢を遡行した者の目には小川谷廊下の花崗岩の真っ白な輝きとツルツルに磨かれた廊下の姿は、なんと新鮮に映ったことか!丹沢の黒部と言われた玄倉川。しかし、その美しかった流域にダムができ、堰堤ができ、その堰堤を作るために林道が土砂を谷に落としながら延長されていき、若い頃、辿った谷筋が悲しいまでの変容を遂げてしまった中にあって、奇跡のように小川谷廊下だけはそのままの姿で素敵な景色を僕達に見せてくれています。林道からのいきなりの谷への下降。辿ること僅かで出逢うツルツルの滝。磨かれた濡れたホールドに手のひらを張り付けるような登り。水流によって削られた岩肌は際どいバランスでやせ細った岩の上を恐々と歩かせ、水中深くスタンスを求めてジリジリと進むことを強い、そして、水垢で滑る滝を直登しました。一つの角を曲がると、必ず何かが現れ、それを越えると「エッ、本当に登れるの?」という悪場が現れ、文字通り、息次ぐ間のない遡行が続きました。見上げる上空をゴルジュの形に綺麗に区切られ、狭い空が夏を思わせる雲を浮かべて眺められました。途中からのエスケープ等、考えようも無い、極端なゴルジュの連続でした。沢登りの楽しさは、その各自の力量や沢への向かい方、考え方によって登り方が全く異なる点です。何がなんでも滝を直登する者、釜を泳ぐのが好きな者、ヘツリを得意とする者、全部得意ではない者、それらが創り出す登り方が沢登りをとても創造性豊かなものに作り上げます。さんざん苦労して登った箇所を、脇から何の苦もなくチョロリと登られることもあるし、簡単に見えた先に手がかり一つないスベスベのスラブが待っていたりとあるのが沢登りです。昼食を摂るのも忘れて、次々と現れる課題を越え続けていきました。ちょっと時間がかかりすぎの感もありましたが、大きな石棚を越えて、太陽の注ぐ広河原に出た時の解放感、嬉しさは格別です。小川谷廊下は独特な谷です。そこから次の大きな谷へと進んで行くキッカケの沢です。

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丹沢四十八瀬川の勘七の沢

勘七の沢 大滝を登る
勘七の沢 大滝を登る

 以下の者は、2007年6月2日、丹沢四十八瀬川の勘七の沢を二俣から遡行し、全ての滝を直登し、水源まで完全に遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 荒廃と土砂流出の関係で多くの沢が荒れ果てた感のある表丹沢の山々の中にあって、勘七の沢だけがかつての面影を残しています。滝登りがあり、釜の「ヘツリ」があり、そして丹沢特有のガレ詰めがあります。そして、今年もいました!かつては居なかった二俣にも、あの「ヒル」が蠢いていました。当初の予報を嬉しい方向に裏切った初夏らしい乾いた暑さの中、いきなり現れたF1を越えて、次々と現れる滝を一つ一つ登っていく爽快感は丹沢の沢登りの楽しさの一つです。ヤマツツジや、レンゲツツジ、登り詰めていくとミツバツツジが岩と苔の単調な色合いが続く沢にハッと思わせる彩りを添えていました。入渓前に友人から「勘七には鹿の死体が四頭いる。」と散々聞かされて暗い気持ちでいましたが、所々で死臭はするものの、半分骨になったもの、完全に骨だけのものに出逢っただけでした。しかし、見渡す周囲の斜面には力強い青葉を付けた木々はあるものの、斜面には灌木やクマザサは全て鹿に食べ尽くされ、剥き出しの土の斜面が続いていました。丹沢は1960年代にいち早く京浜工業地帯からの工場排気ガスを原因とする酸性雨で木々が傷められ、大きな木々が弱り、そのために斜面に光が入り、灌木が成長し、その若木を求めて鹿が一気に増えたと言われています。登山者によるオーバーユースと、酸性雨、鹿の食害のトリプルパンチを受けた丹沢の山と谷は、他の山域に先駆けていち早く荒廃の道を歩いたと言われています。水無川流域、葛葉川流域、かつての面影が無くなってしまったのは残念です。しかし、今年最初の沢だった方も多いと思いますが、跳ね返る水流が気持ち良い中での一日であったことに感謝したいと思いました。丹沢の沢は沢始めの沢です。この沢で得た感触を奥秩父、上越、そして北アルプスの大きな沢へと大自然との格闘としての沢登りへのキッカケとしていただければ嬉しく思います。

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十文字峠

真っ赤なツボミがいっぱいの乙女の森 ダケカンバの新緑を背景にカモシカ展望台
真っ赤なツボミがいっぱいの乙女の森 カモシカ展望台の背景には
大きくダケカンバの新緑

 以下の者は、2007年5月30日、奥秩父北端の長野県と埼玉県を結ぶ十文字峠(2035m)に毛木平から千曲川を越えて八丁の頭を経由して登頂し、乙女の森、カモシカ展望台と周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 初夏だと言うのに冷たい乾いた風が千曲川の上を吹いていました。先代の十文字小屋ご主人・山中邦治さんが「梓山(長野側)から煙が栃本(埼玉側)に流れる間は天気は晴れだ」の逆、埼玉側から霧を巻き込んで煙は長野側に吹いていました。僕の大好きな峠、十文字。かつては、大きな山、深い沢登りの帰り、大きな岩壁での登攀の帰り、疲れ切った身体を休めるように通った峠でした。また、僕のホームゲレンデである荒川水源の谷を沢登りして、フクロウの「ホーホー」と寂しく鳴く夜道をトボトボと、とんでもない夜遅くにガラガラと小屋の戸を開けて忍び込んだこともあります。そんな時でも山中さんはいやな顔一つせず、お茶を入れて周囲の山や谷の話をしてくれました。「山田さんが通った谷の所に壊れ掛けた小屋が無かったかね?あそこは、昔は森林軌道もあって山仕事の人が何十人も働いていたんだ。」「中津川の紅葉は去年は凄くて山中、燃えているようだった。」そんな話をたくさんしてくれました。今では、人も代わり、ちょっと小奇麗になってしまっても、いかにも奥秩父の山小屋!という雰囲気は変わっていません。そして、今が一年で一番、十文字峠の賑わう時です。首都圏随一と言われるシャクナゲの海、乙女の森、カモシカ展望台がピンクの花で埋めつくされる時、年間で訪れる人の九割は、この時に訪れます。繁殖期を迎えた数々の鳥が甲高く鳴き、木々が少しづつ緑色を濃くしていきます。それこそ石器時代から人々の通った峠道。塩が運ばれ、炭が運ばれ、蚕が運ばれ、困民党の残党が逃げて行った歴史の道です。そして、「後、三日あったら」の声が漏れる赤々とした蕾が目立つ峠のシャクナゲ。けれども、それはピンクの海を予感させる大きな広がりを見せていました。深山なのに人の気配、山の生活の気配を所々で感じさせてくれる十文字峠。次は、昔の旅人の気分で秩父へと晩秋に越えてみたいと思います。

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御座山

御座山頂上付近の岩稜
御座山頂上付近の岩稜
展望がすごい!

 以下の者は、2007年5月29日、長野県佐久地方の最高峰であり、日本二百名山のひとつである御座山(2112m)に、北相木村の白岩上の高原野菜畑から物見塚のコル、見晴台、前衛峰を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 翌日に訪れた十文字峠で出逢った佐久総合病院の看護師の方に「オグラヤマ」ではなく「オグラサン」であると指摘をされました。地元・佐久の人々にとっては最高峰であると同時に雄大な山容の象徴的な存在であることを改めて教えられました。過去三回、もっとも展望の良いはずの晩秋に訪れて、一回はガス、一回は寒さと霧雨、一回は霧氷と小雪とまだ山頂からの展望を体験していない「風の谷」でしたが、今回、八ヶ岳を正面に雲の上に広がる南アルプス北部と、北アルプスの「影」と堂々たる奥秩父の山並みと対面できました。しかし、それ以上に僕達を感動させたのは足元に深く切れ込む新緑の谷、とりわけ萌黄色のダケカンバの姿でした。「シャクナゲのトンネル」と表現した案内でしたが、たしかにシャクナゲはトンネルのようにあるものの、最初は花の姿も無くどうしようか?という頃、真っ赤な蕾が現れ、ちょっと花の時期には早いものの点々と咲くピンクの色の中を歩くことができました。コメツガの森の中、薄暗い中にポッポッとそこだけ明るくなるような目立つピンクの花、シャクナゲとの出逢いはいつも素敵です。標高差は大きくないものの、傾斜はきつく、すぐ下に畑や集落のある山であるにもかかわらず、2000mを越す亜高山の山は、斜面をビッチリと苔に覆われ、上部では奥深い原生林との出逢いを満喫させられました。深い樹林の雰囲気の強い山であるにもかかわらず、飛び出した岩稜の露出感の高い遮るものの無い独特の空間の広がり、初夏を迎えた山とは思えない冷たく乾いた空気の通う頂稜の緊張感は日帰りの手頃な山とは思えない重厚な雰囲気に満ちていました。やはり、名山の名に相応しい何かがありました。八ヶ岳からも奥秩父からもいつも大きく眺めていた御座山。山頂から、それらの山々を見返した喜びは小さくありませんでした。遠いけれど奥深い雰囲気に満ちた長野から群馬にかけての山々。見事な出逢いがありました。

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荒川滝川豆焼沢

スダレの滝
サラサラと落ちるスダレの滝

 以下の者は、2007年5月26日〜27日、奥秩父荒川滝川支流の豆焼沢をトウの滝から大滝、スダレの滝と遡行し、水源から雁坂峠(2082m)に登頂したことを証明いたします。

圧巻!大滝
圧巻!大滝

氏名 風 の 谷

 沢登りの季節が始まった!泊まりの沢の季節が始まった!それを全身で実感できた豆焼沢の二日間でした。雁坂トンネルの開通、国道140号線の開削によって大変貌を遂げた荒川上流。豆焼沢もかつて滝川を遡行して取りついたのは嘘のよう。ワサビ沢の出合いはコンクリートで固められホチの滝は真上に雁坂大橋がかかる有り様。それでも谷に入ったトウの滝ではすっかりと本来の沢の姿に戻りました。訪れた初夏の気配。ミツバツツジが咲き、シャクナゲが赤い蕾を見せて、クモイコザクラが咲く、そんな中の遡行でした。どれ位の数の滝があったか?数えきれない数の滝です。そして大滝。多くの沢のガイド本の表紙にもなった優美な滝。それを乗り越えた極端なゴルジュとツルツルに滑る四段の滝。この谷の持つ激しい部分を纏めて見せてくれる素敵な場所でした。そして、細く空の区切られたゴルジュの中の泊まり場。久しぶりの焚き火が周囲を照らし、濡れた衣類がドンドン乾く時。沢の音に負けずに鳴き続ける取りの声。こうこうと照る月明かりが山陰に隠れると星空が一杯に広がりました。朝日と共に起き、いきなり現れるこの谷の「顔」とも言うべき60mkスダレの滝、その上にひろがる30mのナメ。最後の最後まで苔むしたミニゴルジュを続けてガレの中に消えていく水流。登山道に飛び出すと背後には大きくそびえる和名倉山の雄大な稜線がありました。登り着いた雁坂峠は黄砂の影響で展望こそ霞んでいたものの暗い谷の中を歩き続けてきた者にとっては眩しいばかりの光の中にありました。
 荒川水系は「風の谷」の本当のホームグランドです。そこには無限に広がる森と、腹を打つ激しい流れと黒々とした岩で囲まれたツルツルに磨かれたゴルジュがあります。鹿の食害、林道の開削、国道140号線の開通と大きな変貌の中にあっても、本当の本物の部分は何一つ失われず、人類が地球から消える日が来ても、その姿が変わることはないと確信できる不動の何かがあります。今年は、この荒川に何回も入ります。

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丹沢三つ峰

満開のシロヤシオの三つ峰 シロヤシオとミツバツツジ
満開のシロヤシオの三つ峰 シロヤシオとミツバツツジの混じる
ステキな光景

 以下の者は、2007年5月22日〜23日、丹沢山塊の大倉から大倉尾根を登り、花立から塔の岳(1491m)に登頂し、竜が馬場を経由して丹沢山(1567m)へと縦走し、丹沢三つ峰に入り、太礼の頭、円山木の頭、本間の頭と三つ峰を銃創したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 僕はしばしば、丹沢を奥多摩、奥秩父の山々と比較して、その山の荒廃ぶりをしばしば強調してきました。たしかに登りにとった大倉尾根の全体の雰囲気、赤土が剥き出しになり、無限に続く階段と左右に埋めつくされた不自然な植林、荒廃という言葉がピッタリの山の様子が強く印象に残っているからです。事実、この大倉尾根と表尾根、人工的な山の補修が最も目立つ部分こそ、最も多くの登山者の訪れる部分でもあります。しかし、塔の岳を越えて、丹沢山を越えると鹿の防護柵があっても、バイケイソウとマルバダケブキとアセビばかりが目立っても、それでも山の本来の魅力は一気に蘇るように感じます。今回の丹沢三つ峰にせよ、檜洞丸にせよ、さらに西に伸びる尾根の上の山々にせよ、近くて良い山としての丹沢の魅力に満ちていました。今回の丹沢の最大の目標は、三つ峰の縦走と、そこに咲くシロヤシオとの出逢いでした。丹沢山を下りだして蕾が現れ、それが標高を下げるごとに見事な白い花の中の道となり、点々と花の散る中となり、ミツバツツジの濃い紫との競合になる様は見事な物がありました。良い時に来た!そんな思いの中の三つ峰の縦走でした。荒廃のイメージのみの強かった丹沢の中にあって、丹沢山から高畑山に至る稜線は、その大部分を自然林が占め、ブナ、ナラを筆頭とする素晴らしい新緑の中の道でした。新緑の緑が羽虫を呼び、羽虫が呼ぶ繁殖期を迎えた鳥の声がうるさいほどに絶えず山々に響きわたる中の道でした。丹沢への僕自身のある種の偏見を素直に認めさせる楽しさが三つ峰の尾根にはありました。
 斜面を崩壊させ、谷を埋める土砂、その爪痕を随所で見付ける丹沢の二日間でもありました。しかし、残された明るく素朴な山の雰囲気を大きな視点で見つけ出した二日間でした。

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三つ峠岩登り講習

 以下の者は、2007年5月19日〜20日、三つ峠で行われた「風の谷」岩登り総合講習訓練に参加し、屏風岩を中心に登攀を行ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 何よりも衝撃的だったのは、19日午後、一般ルート上からの50m近くに及ぶ他パーティーによる転落死亡遭難事故でした。二パーティーに分かれて登っていた僕達にも、大きな叫び声と、ドスーンという転落音、その後のヘリコプターの飛来と自己者の搬出は、同じ志を持ち、同じ岩場で研鑽をしてきた者にとっては、他人事とは思えない何かがありました。事実、直接関係無い者でも大部分が訓練を打ち切り、撤収していきました。事故の詳細も事情も知らない僕達が軽々に分析をしてはいけない事でしょうが、第2バンドから全くプロテクションを取らずに落ちている事、取り付きまでグランドホールしている事等は確認されています。僕達の岩登りが危険、死と紙一重であることを改めて知っていたただきたいと思います。僕達の訓練の中にあっても、ハーネスのベルトの返し忘れ、懸垂下降中の確保の放棄、逆クリップ、ギアラックでの「セルフビレー」等、絶えず注意していても必ず発生する危険です。「死ににくい世の中」「死を考えずに生きられる世の中」での生活を通じて、多くの者がホンの一瞬で、ちょっとした不注意で「死」と直面する初めての事態に身を置いている場合も少なくないはずです。初めて「注意しないと死ぬ」事態との直面であったはずです。真剣に全力をあげるから何かが得られる、岩登りの本質を理解していただければと思います。
 講習は二パーティーに分かれて行いました。一定の経験を持つグループは、「3人で岩登りをしにきた」という最も基本的な発想で、ガイドが指導する中で3人パーティーとしての登攀を徹底的に行ってきました。一方のパ¬ティーは数多くのルートを登攀する中で岩登りの基本を練習しました。19日朝は雷雨に見舞われたものの、徹底的な岩トレに終始し、この夏への基本を身につけた二日間だったと思います。

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雲取山

快晴の雲取山頂付近 巨樹の中の大ダワ林道
快晴の雲取山頂付近 大ダワ林道は林立する巨樹の中を続く

 以下の者は、2007年5月15日〜16日、東京都最高峰、日本百名山のひとつであり、唯一の2000m峰・雲取山(2017m)に、日原林道の大ブナ別れから長沢谷を経て大ダワ林道を経由して登頂し、富田新道を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 都会の春は穏やかな季節との印象ですが、山の春はちょっと違うようです。太陽の燦々と輝くさわやかな風の吹く奥多摩駅前を出発し、日原林道に入った頃からの暗雲。歩きだしの大ブナ別れでは、かすかに聞こえるゴロゴロという音。当初予定の富田新道を登り、大ダワ林道を下る予定を全く逆にして、雷対策としました。それでも時々、太陽も顔を出す変わりやすい天気の下の登りでした。歩きだし1000m付近では濃い緑色、それが登るに従って色が淡くなるそんな春の大ダワ林道でした。この道の最大の魅力は、鬱蒼たる原生林と巨樹、そして、眼下に流れる激しい水音を立てる大雲取谷の渓谷美です。激しく流れるゴルジュ、点々と咲くミツバツツジ、谷沿いの道はけして、気の抜けない緊張の道であっても、変化に富んだ素晴らしい道でもあります。突然、激しい雷鳴、真横に走る稲光、そして、轟然と降り出した雹混じりの雨。所々に雹を積もらせながら、一気に降り注いだ春の雷でした。雨上がりの原生林と渓谷の姿、それを堪能しながらの雲取山荘への道でした。満天の星空と都会の夜景の逸也が明けた後、一気に早春の冷え込みに戻った雲取山でした。山荘前の水場は氷が張り、冷たい西風と日の出の中を原生林の中を最後の登りをこなして大展望の山頂に飛び出しました。南アルプスが、すこしづつ高まっていく奥秩父の山並みが、大菩薩が、そして奥多摩の大きな広がりがそこにはありました。久しぶりのユックリの山頂の時間の後、小雲取山から巨樹の林立する富田新道へと向かいました。所々、ひどい鹿の食害はあるものの、カラマツからミズナラ、ブナと次々と広がる美しい原生林と下り着いた唐松橋の唐松谷、大雲取谷、マミ谷の合流する優美な姿は奥多摩一であると確信しました。年に三回は訪れる雲取山。今回も、また違った顔で迎えてくれました。

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川苔山

川乗谷の道は深い淵 大きな大きな百尋の滝
川乗谷の道は深い淵
滝を見ながら何度も谷を渡る
大きな大きな百尋の滝

 以下の者は、2007年5月9日、奥多摩を代表する名山・川苔山(1364m)に川乗橋から川乗谷林道を聖の滝、百尋の滝を経て登頂し、赤杭尾根を赤杭山を経由して下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩に本格的な緑の季節がやって来た。川乗橋からの谷沿いの道は、もう新緑では無い力強い緑色の下の道でした。登山道を維持する者にとっては、尾根上の道に比べて沢沿いの道、斜面を横断していく道は絶えず崩壊と土砂流入の可能性があり苦労の多いようです。したがって、本当の沢を、小滝がかかり、無数の釜のある水の芸術を眺められる登山道はいくつもありません。この川乗谷林道と雲取山の唐松谷林道、大ダワ林道が数少ない沢沿いのルートです。名前のある聖の滝、百尋の滝を筆頭に沢登りの者が名付けた長滝、夫婦滝を初めとする大きな滝の他にも、高さこそ数メートルではあっても、縞模様のナメ床を持つ滝、大きな釜を眺めながら何回も谷を渡る楽しさは、この川乗谷の最大の魅力です。やはり暖冬化の影響なのでしょうか?既に山の中は繁殖期を迎えた鳥の声でいっぱいでした。ミソサザイが甲高く鳴き、ツツドリが幻想的に声を響かせ、ジュウイチが山一杯に叫び、急激に躍動感溢れる楽しさが一杯でした。そして、本来なら道の両側にあるはずのミツバツツジの代わりにヤマツツジの朱色の花が随所で咲いていました。標高を上げて1000mを越えるとさすがに山は新緑の気配。真新しい緑色が葉の間から太陽の光を透けさせて僕達の顔を照らしだします。冬の間、あんなに静かだった奥多摩の山々も、一気に人が出てきて、平日の山頂も10人近い人が初夏を思わせる太陽の下に休んでいました。雲ひとつない晴天にもかかわらず、春の展望は霞を空中に漂わせたようなもどかしさがあります。本来、見えてよいはずの富士山も大菩薩も霞の中でしたが、日原の谷を挟んで、大きく聳える雄大な雲取山の姿、奥多摩三山と、本仁田山の大きな姿は印象的でした。乾いた風の中、下りに取った赤杭尾根。杉、檜が多い多摩川側の下山コースの中では、比較的雑木林の残った貴重な尾根です。見事な緑のトンネルを何回も抜け、古き良き奥多摩の山の魅力を堪能した道でした。川苔山はけして高くない標高にもかかわらず、複雑な地形と峻険な谷によって作られた変化に富んだ見事な山です。大好きな奥多摩の春の山歩きの最初の一歩に相応しい山です。

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朝日連峰

ブナ、ブナ、ブナの大斜面を下る
ブナ、ブナ、ブナの
大斜面を下る

 以下の者は、2007年5月3日〜6日、東北の朝日連峰を朝日鉱泉から鳥原山を越えて小朝日岳を経て主峰・大朝日岳(1870m)に登頂し、中岳、西朝日岳、竜門山、寒江山を越えて狐穴小屋から主脈西端の以東岳(1771m)を往復し、さらに二ッ石山を越えて連峰北端の天狗角力取山(1376m)へと完全縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 いずれの登山口から登りだしても、一時間も登ると堰堤にせよ、伐採跡にしても、林道にしても、電線にせよ、とにかく一切の人工物を見ることの無い希有な大自然の山・朝日連峰。最高峰でも2000mに満たない中級山岳なのに、その雄大さは南北アルプス以上の物があると感じました。見渡す限りのブナの森、巨大な雪庇の下に点々と咲く濃い色のカタクリやショウジョウバカマの花、そして、走り去る動物の後ろ姿。全国的に好天に恵まれた連休の中で、何故か初日以外は絶えず吹きつける強風と、雷、そして濃いガスと雨も降る中々の厳しい天気でしたが、朝日岳から以東岳までの主脈を縦走し、更に北に伸びる支脈も踏破し、この連峰の主要な部分を足元にすることのできた喜びは小さくありません。けれども、主要なピークを踏んでも何故か「征服」「制圧」といった感覚の無い、もっともっと、この山域を知りたいとの思いが強くなるばかりの四日間でした。それにしても、これだけの圧倒的な量感のある山々に何故、もっと人は向かわないのでしょう(いや、静かで来ないほうが嬉しいけれど)?どこまでも続く、豪雪の山々、とにかくブナ以外の木が無いと言って良い大小様々なブナと残雪の創り出す春の雪山の雰囲気。巨大な雪庇が割れ、稜線の上を塞ぎ頭を使わさせられる楽しさ。今シーズン、最後の雪山は、いままでの雪山と全く違う包み込まれるような雰囲気の中に終わりました。良く比較される飯豊連峰よりも標高等は低くとも、その規模、静けさ、一層の原始の香り等、僕自身は朝日連峰の春の雪山に味方したい気持ちで一杯です。「朝日岳から以東岳まで歩き、更に天狗相撲取山まで歩いたんだから、この季節の朝日には、もう来なくていいや!」と軽口を叩いた、舌の根も乾かぬ内に、既に、厳冬期の様子や、初冬の朝日に心が動く不思議さは何でしょうか?最後に、この冬の多くの山を支えてくれて、今回も元気に、強く、楽しく、春の合宿講習を形作ってくれた仲間達に心から感謝したいと思います。

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立山連峰

 以下の者は、2007年4月28日〜30日、北アルプス北部の立山連峰を、室堂から雷鳥沢を経て、別山乗っ越しから(2874m)、真砂岳(2860m)を経て立山三山に入り富士の折立、最高峰・大汝山(3015m)に登頂し、雄山(2992m)と縦走し、一ノ越から浄土山、龍王岳(2872m)、室堂山(2668m)と周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 観光地以外の何物でも無い室堂のターミナルを一歩出た途端の風雪。雷鳥坂の途中で叩きのめされるような雷鳴、春の嵐をマザマザと見せつけられました。しかも、降り積もった雪は厳冬期の「正しい積雪」ではなく、ベアリングのような霰と、粉雪、そして霙がゴチャゴチャになった大変扱いにくい物でした。本来のベースの遥か手前、でも「できることなら剣に!」の強烈な思いと共に、満天の星空の下、立山連峰の稜線に向けて登りました。背後に大きく広がる日本海の気配、山頂をピンクに染めた真っ白な大日の連峰、それが大きく広がる中の登りでした。しかし、登り着いた別山乗っ越しでの積雪の調査。雪柱テストの結果は極めて厳しい物でした。28日以前の層の上に積もった積雪が約50cm、その部分が四つの層になり次々と円盤状に剥がれる典型的な雪崩れの危険性に憧れの剣、次の冬のステップに向けての剣の登頂は次の機会となってしまいました。そこからの立山全体の縦走もけして「お気楽」な稜線漫歩ではありませんでした。霰は積雪として纏まらず、一歩ごとに踏み込まないと簡単にスリップするし、霙が固まった所では氷のように固くアイゼンの先端しか入らない部分が存在し、それが混在するなかなか厳しい歩行を強いられました。本来、この時期だと夏道が出ているはずの真砂岳、富士の折立の通過はそれなりの緊張感と共にありました。しかし、強い冷たい風の中であっても強烈な春の陽光の下、見渡す限りの山、山、山。文字通りの大展望の中、3000mの北アルプスの稜線を辿る気分は最高でした。槍が見える、笠が岳が見える、そして、かつての五月の連休で強烈な印象を残した毛勝三山や白馬北方稜線が大きく見える、そんな中の縦走でした。オマケの浄土山から龍王岳の登頂の後は、蟻の群れのように本当にビッチリと山スキーヤーの蠢く中を再び観光地へと下った立山でした。登りたかった剣、剣に登りたくてやって来た室堂でしたが、グルリと見渡すカールの眺めは独特の見事さがありました。

残雪と地肌 思わぬ徒渉 天狗角力取山への登り
残雪と地肌。こんな光景が続く 思わぬ徒渉 天狗角力取山への登り
富士の折立の登り 背後に日本海が広がる 登れなかった剣をバックに立山・大汝山
富士の折立の登り
下には大雪原が広がる
背後に広がる日本海を感じながら
夜明けの登り
悔しい! 
登れなかった剣をバックに立山・大汝山

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秋川支流矢沢軍刀利沢

沢に緑がよみがえってきた
沢に緑がよみがえってきた

 以下の者は、2007年4月22日、奥多摩秋川支流矢沢軍刀利沢を出合いから遡行し、8mナメ滝、二段10mの滝等を越えてカタクリの咲く斜面を登り甲武相国境尾根に出て生藤山(990m)に登頂したことを証明いたします。

二段10m滝下で
二段10m滝下で

氏名 風 の 谷

 秋川上流の沢。いずれも1000m前後の小さな里山から流下する、飛び越えられそうな小さな流れ。その割りには大きな滝を連続させていたり、崩れやすい岩場をもっていたり・・・。これらの沢が最も賑わうのは水温む春。まだ、本格的な沢で水を浴びて、腰までの水流の中を遡行するのは辛い、でも、沢の涼やかな感覚は味わいたい・・・、そんな気持ちで取り組む沢に人々は向かいます。五日市の駅前には、知っているグループだけで3パーティー。何れも秋川上流の谷に向かいました。軍刀利沢は本当の里山の沢です。植林の杉林が沢沿いにあったり、炭焼き釜の崩れた跡があったり、消えかかった仕事道が沢を横切ったり、山を生活の場としてきた人の気配が随所に見られる沢でした。そして、下ではもう、しっかりしとした緑色が中間部では萌黄色の明るい木々となり、稜線直下では正しく木の芽時を感じさせる、そんな中の遡行でした。「水垢」と言うのか、岩の上にヌルっと張りついた赤茶の物。それがまだ全体に着いていて気を緩めると思わず滑る・・・そんなことも春の沢です。谷一杯に響きわたるミソサザイの甲高い声、そして、サラサラと流れる幅広の滝、これが、今年最初の「風の谷」の沢登りでした。小さな沢ながら滝の数は20を越え、その大部分が直登可能なのが軍刀利沢の特徴です。シャワーを浴びて、微妙なヘツリをして、次々と現れる滝を越えていく喜びが久しぶりに蘇ってきました。そして、消え入るように落ち葉の間に水流が消えると稜線を前にして点々と咲くカタクリのピンク、山桜の花びらがチラチラと舞う中の遡行の終了と生藤山の山頂でした。
 沢登り・・・と一言で言っても、この奥多摩秋川上流の小さな沢から黒部川上流まで様々な表情があります。登山の全ての要素が詰まっている・・沢。その季節が始まりました。次はもっと大きな滝が連続する谷へ、その次は真っ白な花崗岩の間を滑り落ちるゴルジュをずぶ濡れになって、そして、大焚き火を囲んでの本格的な遡行も。次々と行きたい沢、登りたい山に突き上げる沢が浮かんでいきます。なんだかワクワクする、沢の季節です。

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日和田山の岩場での岩登り入門講習

岩場の下で全員集合
岩場の下で全員集合

 以下の者は、2007年4月21日、奥武蔵・日和田山の岩場での「風の谷」の岩登り入門講習に参加し、岩登りの基本的な技術を習得したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場での講習の核心は、★岩登りの基本的なシステムを習得すること。 ★岩の登り方の基本をマスターすることにあります。日和田山の岩場は規模は小さく、ルートも多くなく、一方で支点が豊富でシッカリしており、全くの初心者が最初の一歩を踏み出すのに最適な岩場であると思っています。今回の岩登り講習で最も身につけてほしいことは、「自分の目、感覚で一つ一つの動作の基本となるホールド、スタンスを見つけること」「自分で登るべきルートを見つけ出すこと」「いかなる状況でも確実に、何らかの形で確保がされている状態で岩場の中にあること」の三点です。かつては存在しなかった人工壁、クライミングジムの登場で、自然の岩場で岩登りを行う者でも、その以前にクライミングジムでのガムテープで色分けされたホールドを追いかける経験を持つ者が少なくありません。これは、登ること、そのことでの高い能力を持った登山者を輩出してきたという優れた側面と、最も基本的な「自分が登りやすい所を見つけて、自分の身体にあったホールド、スタンスを見つける。」という最も基本的なことを忘れさせる側面があります。大切なことは目的地点にむけて、最も登りやすい・・・言い換えればデコボコがたくさんあって傾斜の緩いところを探し出すことです。もうひとつ、絶対に今回、身につけてほしかったことは、岩登りのシステムです。ザイルを結び合い、セルフビレーを施し確保の体勢に入る。トップは適当な間隔でプロテクションをとって墜落に備えながら前進する。テラスに着いたトップはセルフビレーを施し、確保者に「ビレー解除」を伝える。トップは確保者だったパートナーに対する確保を整えて「登ってこい!」と指示する。その声で、パートナーは自らのセルフビレーを解除して登攀を開始する。という流れ。「登ってこい」と言う声の前にセルフビレーを解除するようなことは実際の岩場では致命的な事態と直結しかねません。また、それぞれのガイドが設定したルートは、それぞれの課題を持っていました。一見、腕力登攀を強いられそうな前傾壁であっても、実際には的確なスタンスの使い方こそが自分の身体を引き揚げること、クラックの上手な利用、スラブでの体重移動。それらの課題も、もう一度振り返っていただければ幸いです。次はマルチピッチの岩場に挑戦だ!

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塩見岳

頂上直下のルンゼ
頂上直下のルンゼ

 以下の者は、2007年4月14日〜15日、南アルプス中部の塩見岳(3052m)に、塩川から三伏峠、本谷山を経由して登頂したことを証明いたします。

登ってきた塩見岳
登ってきた塩見岳
やっぱりデカい!

氏名 風 の 谷

 今年1月。豪雪の知らせに登山口に向かうことなく、北八ヶ岳に転進をしたときに「必ずのリベンジを積雪期に!」と誓いました。それが実現した、今回の登頂でした。結論から言えば「やはり一泊では大変な山だ。」でした。訪れる者は少ないとは思っていても、4月も中旬。少し前のトレースくらいはあるか?と多少は期待しての入山でしたが、バスの入るはずのアプローチは、巨大落石で道が塞がれて全く未整備であることを思い知らされ、標高1800m付近で現れた積雪の上には、他のパーティーの踏み跡のカケラさえありませんでした。奥深い三伏峠に向けての重厚な原生林の中をボコリボコリとラッセルし、三伏峠から見上げる塩見岳の遠かったこと。どんどん広がる青空の下に兜を思わせる堂々たる白い峰を真っ青な空の下に突き上げていました。どう考えても12時間を越える行動時間のために、雪山の常識?早朝出勤で真っ暗な三伏山に向けて出発。闇に浮かぶ塩見のデカイこと。そして、久しぶりの圧倒的な展望。今年に入ってからの週末ごとの悪天を吹っ飛ばす360度の白い山の広がりが徐々に明けていく夜明けの空の下に見事でした。それにしても、三伏峠からの塩見岳の遠いこと。出発の時から着けていたワカンはついに塩見小屋直下まで外すことはありませんでした。「もし、近くに塩見岳という立派すぎる名山がなかったら、光岳くらいには有名になれたかも知れない。」と思わず口に出る、立派すぎる本谷山。そこから「あぁ、ここは南アルプスど真ん中なんだ!」と実感させられた権右衛門沢のトラバースで見た重厚な原生林のラッセル。大変な思いをして近づくのに値する巨大な塩見岳との対峙。標高2700m近くまで樹林に覆われた南アルプスならではの森を越えて取りついた天狗岩から始まる本来の高山の岩と雪の世界。おそらく、一年で最も大量の積雪を山肌に付けた塩見岳山頂直下は、固いアイゼンのやっと入る厳しい白い鎧を付けていました。そして、登り着いた山頂。最高点の東峰、標識が頭まで埋もれた西峰。北岳が甲斐駒ヶ岳が、仙丈ヶ岳が、そして、荒川、赤石、兎、聖、大きく大きく春の光の下に輝いていました。延々たる下山こそが核心部だった塩見岳。もう一歩も歩けない、歩きたくない気分で下り着いた塩川の河原には春の風と陽差しがありました。

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杓子山

高座山へのカヤトの登り
高座山へのカヤトの登り
振り返ると真っ白い富士山

 以下の者は、2007年4月10日、道志山塊の西端の山であり、山梨百名山のひとつである杓子山(1598m)に鳥居地峠から全山カヤトに覆われた高座山(1304m)を越えて大権道峠を経て登頂し、子の神からブナとミズナラの最高地点・鹿留山(1632m)を往復し、立野塚峠から内野へと周回したことを証明いたします。

鹿留山山頂付近のブナ林
鹿留山山頂付近のブナ林

氏名 風 の 谷

 春の霞の中に終始あったとは言え、一日中、一年で一番真っ白に化粧した富士山と共にあった杓子山でした。鳥居地峠を越えて高座山にかかった途端の大きく広がった驚く明るさと広がりを見せたカヤト。そして、不機嫌にかかっていた靄が薄くなると忍野の町や草原の彼方に思っていたよりも、想像していたよりもより高く、より大きく聳えていた真っ白な富士山。一年で四月の第一週が一番積雪の増すのが普通の状態と言われる日本最高峰は汚れも岩も見せずにただ白く聳えていました。所々のカラマツとアカマツの植林の存在はあってもカヤト、雑木林、灌木の広がりと里山であるにも関わらず自然の佇まいを一杯見せてくれた杓子山でした。一つ一つの登りはけして緩くなく、急斜面を所々、春の斜面のゆるみと共にズリ落ちながら登った山頂でしたが、遠望こそ効かなかったものの、山中湖と河口湖を見据え、三つ峠から丹沢西部の山がたおやかにひろがる明るい山頂は独特の静けさの中にありました。しかし、本当のこの山域の魅力は、この先にこそありました。所々に霰の固まったような残雪の残る中の静寂の尾根歩き。子の神から鹿留山にかけての往復は、ブナの巨木とミズナラの道であり、展望こそ無いものの、アカゲラとヤマガラの声の響く太古の雑木林の中にありました。一日中、絶えず里の音の聞こえる人臭い山。にもかかわらず僕達以外の一切の人の気配さえ無かった明るい山。そのアンバランスが新鮮に思えた富士山の好展望台の一日でした。道志山塊の山々は小さいようで独特の奥深さを持った特別な山です。アプローチの悪さと所々での林道の延伸といった事があってもなお、里山なのにみせてくれる深山の趣は新鮮な感動を与えてくれます。晩秋から早春の限られた季節に輝く素敵な山塊でした。

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浅間尾根

アブラチャンの上に冷たい白い雪 曇りでも明るい雑木林
せっかく咲いたアブラチャンの上に
冷たい白い雪
曇りでも明るい雑木林

 以下の者は、2007年4月4日、奥多摩南北秋川を分ける浅間尾根を数馬の浅間尾根登山口から数馬峠、一本松、人里峠を経て浅間嶺(903m)に登頂し、時坂峠、瀬戸沢の一軒家を経て沸沢の滝へと辿ったことを証明します。

氏名 風 の 谷

 もう、奥多摩の1000m以下の山には雪は降らないもの、とたかをくくっていた僕達でしたが、秋川奥に向かう山の稜線が降ったばかりの雪に白くなっているのを見て驚きました。春は一気にやって来るばかりではなく、時として後戻りし、思いもかけない形で現れます。ミソサザイの甲高く鳴く南秋川、スミレの花の咲く山里の登りは、杉林に入ると降った雪が溶けて雨のように降り注ぐ中の道でした。登り着いた浅間尾根は、何故か不機嫌そうに太陽の光は時々降り注ぐものの、いつも絶えず進行方向左手に大きく大きく聳えているはずの三頭山から御前山、大岳山の姿は、深い霧の中でした。僕が毎年、このけして高いとは言えない、特別な物があるわけでも無い、山里の延長そのものの浅間尾根をこの時期に訪れるようになって10年が経ちました。それまでの雪の上の道と一応サヨナラして一から丁寧に山歩きを再開する・・・、そんな気持ちでこの昔の街道を歩く、そんな習慣がいつのまにか身につきました。いつも、全く同じようで一度たりとも同じだったことの無い、小さな発見がありました。10年前には時坂峠の下に小さなカタクリの花の群落を見つけて喜びましたが、その後、人里峠の手前にカタクリの群落を見つけ、今回もまた、新しい群落の広がりを見つけました。暖冬だった割りには、春の訪れは早くなく、いつも見るアブラチャンの黄色の花の上には雪が真っ白に積もっていました。杉、檜の人工林と交互に現れる雑木林。その雑木林の明るさと、良く見ると既に次の緑を着け、それが集まって雑木林全体がどことなく暖かみに満ちている嬉しさ、奥多摩に春がやってきた事を全身で感じられる浅間尾根です。最後までもった天気が沸沢の滝に向かう頃、ついに崩れました。降り注ぐ大粒の雨は、よくよく見ると白い物を交えた霙でした。でも冷たくない春の雪でした。

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旭岳東稜

トップは旭岳山頂に立つ
トップは旭岳山頂に立つ

 以下の者は、2007年3月31日〜4月1日、八ヶ岳東面・地獄谷から旭岳(2672m)に東稜を登攀して登頂したことを証明いたします。

最後のナイフリッジ
最後のナイフリッジ

氏名 風 の 谷

 冬の終わり、春の始まりを激しい気候の変動の中で全身で感じた八ヶ岳東面の二日間でした。水音一つしない真っ白い河原を辿ったアプローチは、間違いなく冬の中にありました。それが、夕闇迫る頃に落ちだした雨は激しい雨音でテントのフライを叩き続けました。小さな流れだった地獄谷は轟音を立てて流れ落ちる豪快な流れへと変身し、雪は一気にタップリと水分を含んだザラメ雪へと変身しました。翌朝、三時半、真っ暗な中を出発した僕達は、行く手を阻む徒渉を前にいったん引き返し、夜明けを待ちました。少しは減った水量の流れを渡り、やっとの思いで東稜に取りつきました。八ヶ岳の登攀ルートの中で東面のルートは訪れる者も少なく、豊富な残雪と、それが創り出す独特の雪稜、原生林のラッセルと恐々と辿る痩せ尾根、そして飛び出す森林限界からの迫力満点の真っ白い雪稜、それは順番待ちと残置支点だらけの西壁とは全く違う本来の冬期登攀の楽しさに満ちています。僕の八ヶ岳でも一番大好きな空間と言ってよいでしょう。しかし、今回の東稜は、一晩でもはやゴールデンウィークの雰囲気を創り出してしまいました。青々としたコメツガの木々、ガリガリの氷の剥き出しの斜面、草の出た草付き、そして、陽の当たりだした斜面は轟音と共にアチコチで雪崩れの滝を掛けました。痩せた岩稜を抜け出して眼前に大きく迫る東稜。灌木の斜面を抜けて飛び出す見事に痩せた雪稜は、新雪の汚れ一つ無い求めたナイフリッジとは違ってはいてもやはり見事でした。最後の雪壁を突破し、吹き飛ばされそうな西風と主峰・赤岳の大きな姿と向き合う山頂に立った時、改めて登山としての雪稜登攀の充実感を感じました。

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今倉山から菜畑山

御正体山の上に頭を出した富士山
御正体山の上に
頭を出した富士山

 以下の者は、2007年3月28日、道志山塊主脈の今倉山(1470m)に道坂峠から登頂し、水喰の頭を経由して菜畑山(1283m)へと縦走したことを証明いたします。

明るい雑木の尾根
明るい雑木の尾根

氏名 風 の 谷

 か細い崩れやすい道。後、何年かしたら無くなってしまうような頼りない道を道坂峠に上がった途端に吹き抜けた風には、もう、冬の冷たさはありません。暖冬と言われ雪の少なかった年でも、この時期、西に連なる南アルプスの山々は真っ白になっていました。冬の間、山歩きから遠ざかっていた方には、いきなりの急坂。でも、背後に大きく視界を遮る御正体山の上に頭だけ出した富士山の可愛い姿が見え、それが登るごとに成長していく様子は道志山塊にも本格的な春が訪れたことを教えていました。所々に唐松の植林はあるものの、基本的にミズナラ等の雑木林の山は明るさと展望に満ちていました。背後に連なる丹沢の山々、箱庭にように眺められる道志の山村の暖かい雰囲気、所々で立ち止まり、見回すうちに周囲はブナが現れ、ヒョコッと今倉山の山頂に出ました。奥多摩や大菩薩の山々が普段に見慣れた角度とは違い、南側から見ることができました。ここから、菜畑山までの尾根こそが道志山塊の中でも最も楽しい部分でした。ちょっと急峻な変化に富んだ尾根の上り下り、所々でドーンと眺められる富士山の大きな姿。そして、徐々に増えていくブナの木々の独特の雰囲気。里山故に、木々に伐採のワイヤーがかかっていたり、見回す山肌には醜いゴルフ場の禿げ山があったりと人臭さはあっても、気候や下界の様子が変わっても変わることの無い山の春の訪れを全身で感じることができました。不細工な休憩所が立つ菜畑山でしたが、展望は今倉山に勝り、とりわけ道志川を挟んで黒々と聳える大室山が見事でした。春の光を山頂一杯に浴びた菜畑山でした。道志山塊主脈は、西へは二十六夜山へ、東へは赤鞍が岳、朝日山へと続く大きな尾根です。いつの日か全てを繋げて歩いてみたい尾根です。

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北横岳

春の光あふれる三ッ岳の稜線
春の光あふれる
三ッ岳の稜線

 以下の者は、2007年3月21日、北八ヶ岳主峰・北横岳(2480m)に、坪庭から北横岳ヒュッテを経由して登頂し、三つ岳、雨池山、雨池峠と縦走し、坪庭へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 山々に春が訪れたことを雪山で感じました。この北横岳、1月の塩見岳からの転進先として天狗岳から縦走してきた時は、坪庭から延々たるラッセルの末にやっとの思いで頂上に立ちました。また、三回にわたって行われた八ヶ岳全山縦走の最後として、この北横岳から蓼科山を目指した時も、山頂から大岳、双子池にかけてボコボコと潜る雪との格闘を強いられました。しかし、今回、たしかに足元は真っ白い行で覆われているものの、アイゼンの快適に軋む夏より歩きやすい道と、真っ青な空、そして、もはや樹氷のかけらも無いシラビソ、コメツガの原生林が僕達を待っていました。多くの登山者が行き交う北横岳を発ち、黒々とした岩峰である三つ岳への道はやはり素敵なルートです。冷たい西風がまだまだ雪山であることを教えてくれる三つ岳山頂からは、大きく登ってきた北横岳が聳え、その後ろに蓼科山が、更に右には浅間山が大きく大きく広がっていました。
 北横岳から三つ岳、そして雨池山、雨池峠へのミニ縦走は雪山一年生にぜひ、歩いていただきたいルートです。それは、大きく体力を使うことなく、雪山の楽しさ、美しさ、そして、所々で見せる緊張の必要を無理なく体験できるからです。しかし、このルートでさえも一晩の積雪が辺りを埋め、三つ岳の岩穴を覆い隠した時、また風雪が行く手を阻むとき、今回の何倍もの時間をかけて通過することも知っておいて欲しいことです。この北横岳から、次の山へ、もっともっと刺激のある美しい山へと歩みだしていただければ嬉しく思います。

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唐松岳

絶えずハラハラと雪の舞う八方尾根 地吹雪
絶えずハラハラと
雪の舞う八方尾根
地吹雪

 以下の者は、2007年3月17日〜18日、北アルプス後立山連峰の中核に聳える唐松岳(2696m)に八方から下の樺、上の樺、丸山、馬の背を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 暖冬と言われ続けた今年の冬。たしかに一月の六日〜八日の八ヶ岳以降、決定的な寒さに山で震えることなく続いた「風の谷」の雪山。しかし、それが三月・弥生の声を聞いてから激しい地吹雪の中を顔を凍らせて痩せ尾根を辿ることになろうとは思っていませんでした。暖冬に緩みがちだった?を強く叩くバチバチという氷の粒の音、吹き上げる轟音と共に襲いかかる強風、オヤッ!と思わせる、久しぶりに出逢った本気の雪山の強烈な姿は、それなりに新鮮でした。数パーティーが目指した唐松岳の頂上は唯一、「風の谷」だけに数分間の居場所を与えただけだったようです。しかし、やはり暖冬なのでしょう。八方のゴンドラの下に茶色く顔を出した地面。すでに雪の上に顔を出したブッシュ。今回の目的の半分を占める雪洞が掘ること僅か1m弱で地面が出て断念せざるを得なかったのです。過去、十回以上、この尾根で雪洞で泊まっていますが、今回ほど決定的な雪の不足だった経験はありません。まさしくゴールデンウィークの積雪であると言って良いでしょう。八方尾根から唐松岳の登山の魅力の一つに素晴らしい展望があります。リフトで兎平を発ち、八方池山荘を前にした時にグワーンと一斉に揃う白馬岳から鹿島槍ヶ岳にかけての後立山連峰核心部の圧倒的な迫力。下の樺に向かう中、大迫力で迫る不帰の峰の鋭い大岩壁。そして、馬の背を越えて唐松岳山荘前に飛び出した途端の剣岳の圧倒的な迫力。それら全てが想像の世界として風雪の向こうにありました。真っ青な空に真っ白い雲と雪の塊が一緒になってグイグイと成長していく典型的な冬の後立山連峰の景色。それは、それで美しい物であったと思います。展望と溢れる陽光と豊富な雪が創り出す本来の三月の唐松岳とは一味違う、本当の冬の唐松岳と出逢えたのも嬉しく感じます。

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大菩薩丸川峠

丸川峠の草原
丸川峠の草原。明るい!

 以下の者は、2007年3月14日、大菩薩北端の柳沢峠から多摩川水源展望台、六本木峠、ブドウ沢峠、天庭峠、寺尾峠と東京都水源林の道を辿り、丸川峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 首都圏の日本百名山の中でもっとも登りやすいと言われる大菩薩嶺。夏ならば、タクシーで福ちゃん荘まで入れば僅か二時間半で大菩薩嶺から大菩薩峠までの最も魅力的と思われる部分を駆け足で回れる・・・。そんなイージーなイメージが車道の冬季閉鎖と共に一掃され、本来の2000mの標高を持つ原生林の山として蘇ります。そんな中にあっても、柳

静かな雪の道が続く
静かな雪の道が続く

沢峠から丸川峠、大菩薩嶺にかけての北面一帯は少なくとも平日には人の姿を全く観ない静寂と風の音だけが支配する僕達だけの空間が広がります。クルマが猛スピードで通りすぎていく柳沢峠を一歩入ると別世界が広がります。東京都水道水源林として手入れのされた森はブナ、ミズナラ、ダケカンバの続く素敵な森でした。多摩川水源展望台は樹林帯の続く中にあって甲武信岳から雲取山までの奥秩父東部とりわけ笠取山から飛竜山までの多摩川の最初の一滴が生み出される黒々とした山脈が大きく広がる僕自身の大好きな場所です。無い・・・と思っていた雪は、所々日の当たる場所では消えるものの、続いていました。十字路となった六本木峠を越えると水源林らしい道のすぐ下、稜線上から20mm下らない場所から生き生きと水が流れだすのが見られます。多くは原生林が生かされた中にあって、カラマツやウラジロモミが植えられた箇所が適度にあり、花崗岩の巨岩の苔むした中をシッカリと道は続いていました。暗い樹林帯を抜け出して草原の明るい丸川峠に飛び出した時の爽快感、真っ青な空に浮かぶ富士山と南アルプスとダケカンバの取り合わせは改めて感じる丸川峠の魅力です。何時までもボーッとしていたい丸川峠の草原。静かな雪道の一日でした。

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鍋倉山・雪洞

ブナ林の中のねぐら 大きな雪洞の中
ブナ林の中のねぐら 大きな雪洞の中

 以下の者は、2007年3月10日〜11日、長野・新潟県境の鍋倉山(1288m)に、温井集落より巨木の谷を経由して登頂し、西の沢を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 けして高い山ではなく、どこにでもありそうな裏山の感覚で近づける山・鍋倉山。しかし、この時期、豊富な積雪が創り出す重厚な世界と、千年斧入らずのブナの原生林の生み出す雰囲気は、昔の雪の里山を思わせます。今年の異様なまでの暖冬。当初予定の北アルプス最北端の秘峰・初雪山から寡雪のために変更しました。そして、登り着いた巨木の谷。もちろん、「森太郎」「森姫」と呼ばれる代表的な巨樹も見事でしたが、谷全てを林立する大きなブナで埋めつくした豪雪の谷は、豊穣な豪雪の創り出す静寂の世界でした。昨年、初めてこの谷を訪れて、「できることなら、このブナの森で雪洞で泊まってみたい!」との強烈な思いを持ちました。物音一つしない、いや、あらゆる音声をブナの森と豊富な雪が吸収してしまうような静寂の森。ボコボコと切り出すブロックだけが不粋に斜面に放り出される中でドンドン出来上がっていく雪洞。人数の割りにはちょっと大きすぎる白い空間が出来上がりました。入り口から覗くブナの木々が夜の闇の中でも白く浮かび上がっていました。標高の低い、気温の高い中での湿気の多い雪洞生活となってしまいましたが、テントと違い、全く気象の影響を受けない静寂の一夜は愉快なものでした。しかし、この夜を境に春の暖かい天気から一転して本来の冬将軍の暴れる冬の最後の嵐が鍋倉山を支配しました。ゴーゴーと鳴る巨木のブナ。?を打つ粉雪。ガスと雪で遮られる視界。雪煙の中にノッソリと立つ影絵のような巨人のようなブナの森を後に山頂に立ちました。そこから下りだした西の沢の大きな広がりこそ、巨木の谷以上に幽玄の世界でした。あんなに吹雪の吹いた山頂から降り立つ温井の集落。そこには、ハラハラと風に舞う霙のような雪が落ちるだけでした。
 いつも、絶えず「一歩上」を見ながら登り続けている「風の谷」。でも、雪の山に包み込まれるような不思議な雪の谷に正しく「風の谷」のイメージを見た思いです。

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鍋倉山

西の沢の広大なブナの雪原
西の沢の広大なブナの雪原

 以下の者は、2007年3月6日〜7日、長野、新潟県境、信越トレールの中核である鍋倉高原で、牧峠付近を周遊した後、鍋倉山(1288m)に、温井集落から巨木の谷のブナの巨樹、森太郎、森姫を訪ねた後に登頂し、西の沢を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 どこにでもありそうで、実は中々無い、そんな感じのする鍋倉高原の山々。「日本昔話」に出てきそうな穏やかな丘陵が豪雪で覆われた独特の光景は北海道の一部を除いては他に知りません。周囲に斑尾高原、野沢温泉等の有名な観光地がありながらほとんど省みられなかった穏やかな山々の連なり。それがいったん中に入るとブナの純林が何処までも続く

今年も出会えた「森太郎」
今年も出会えた「森太郎」

不思議な光景がありました。異常なまでの大豪雪の中にあった昨年の鍋倉。そして、異常なまでの寡雪の今年。「雪の少ない鍋倉山ってどんなだろうか?」と心配しながらの登山でしたが、たしかに登山口の温井の集落でいきなりの雪壁登りから始まった昨年とは全く違うものの、山に入ってしまえば2mを越す積雪と青空の下であっても絶えずハラハラと舞い続ける雪の景色は間違いもなく、この山の物でした。急斜面をグイグイと登ると突然開けるブナの巨木の谷。シロブナの特徴として苔との共生関係があるはずなのに鍋倉山のブナは苔をほとんど付けず、真っ白な木肌を美しく僕達に見せてくれました。大きな森太郎の不気味なまでの存在感は見事でしたが、それと肩を並べる人一人ではとうてい手の回らない巨樹が林立する光景はやはり、ここだけの物でした。登るに従って霧氷が樹氷となってブナの木々を飾り、まるで花の咲いた中を登るようだった山頂への道。またしても展望も無いガスと小雪の山頂でしたが、そこから見下ろした西の沢の密集したブナと雪の創り出す光景は思わず息を飲ませるものがありました。中々無い眺めなのに何故か懐かしい気持ちのする不思議な素敵な鍋倉山でした。

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阿弥陀岳南稜

頂上直下のヤセ尾根 青ナギから見上げる阿弥陀南稜
頂上直下のヤセ尾根 青ナギから見上げる
阿弥陀南稜。
カッコイイ

 以下の者は、2007年3月3日〜4日、立場川広河原沢から立場山を越えて青ナギ、無名峰を経て八ヶ岳を代表するバリエーション入門ルート・南稜を登り切り、阿弥陀岳(2820m)に登頂し、御小屋尾根から虎姫新道を経由して舟山十字路へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 山の春はいきなりやってきます。アウターが暑苦しくなり、雪が急激にザラメ雪が目立つようになり、空気がなんとなく湿りけを帯びてくる・・・・、もちろん、再びの身を切る風雪が何回も山頂に吹き荒れる日が来るにしても、山は間違いもなく春へと動き出しました。南稜は、茅野の町から八ヶ岳を見るとき、もっとも目立ち、もっとも峻険な風貌を見せるゴツゴツとした印象の稜線です。八ヶ岳の持つ全ての要素、カラマツ林の中を林道を辿り、火山性の乾いた印象の岩の道を抜け、溶岩台地の上に精一杯生えるコメツガ、シラビソの森を辿り、ダカンバの疎林から草付きの岩稜が雪稜と化した尾根を辿り、急峻な斜面を乗り越えて山頂に立つ・・・・。そんな八ヶ岳らしい、変化に満ちた楽しいルート、それが南稜でした。ここ数年、急速に訪れる者が増え、指導標が立ち、p3にフィックスロープがかかり、大きく開発されはしたものの、雪の季節の名ルートであることは変わりません。森林限界、ギリギリに張ったテント場からは諏訪盆地が大きく見えて、夜景が美しく眺められました。暖かい気温に地面の所までザラメに覆われた雪質を考えて朝5時の出発。ガスと風の中ではあっても、先週までの身を切る風ではなく、春の湿りけを帯びた柔らかさがありました。無名峰を越えて白い稜線は少しづつ痩せて、p1、p2を越えて、挑んだp3のルンゼでしたが、既に何回かの雪崩れで洗われたであろう、ルンゼの中は下に堆積した雪が傾斜を緩め、既に氷結した部分も僅かで、快適にアイゼンの効く、登りでした。濃くなっていくガスに急峻な斜面。最後に痩せた雪稜を登ると、本当は屹立した急斜面が四方を囲い、文字通りの尖峰たる阿弥陀岳の山頂に立ちました。
 阿弥陀岳南稜。今では多くの人々に冬にトレースされ、「風の谷」の大好きなラッセルし、ルートを読み、テント場を見つけ・・・と自力で全てを解決する楽しみは探しようもありません。それでも、夏道の正規ルートの無い、バリエーションならの刺激に満ちた楽しい二日間でした。

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