過去の登頂記録  (2008年7月〜2009年2月)

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2009年 2月 2月20日〜21日 赤岳天狗尾根
2月17日〜18日 雲取山
2月14日〜15日 空木岳
2月7日〜8日 赤岳
2月3日〜4日 硫黄岳
1月 1月28日 霧ヶ峰
1月27日 北横岳
1月20日〜21日 北八ヶ岳
1月18日 天狗岳
1月17日 北横岳
1月10日〜11日 権現岳
1月6日〜7日 安達太良山
12月30日〜1月2日 爺が岳
2008年 12月 12月20日〜21日 赤岳
12月16日 奥多摩タワ尾根・人形山
12月13日〜14日 富士山雪上訓練
12月9日〜10日 北横岳
12月6日〜7日 谷川岳雪上訓練
12月2日 大菩薩・黒川山
11月 11月29日〜30日 甲武信岳
11月26日 笹子雁ヶ腹摺山
11月22日〜24日 北岳
11月18日〜19日 甲武信岳
11月15日〜16日 西穂高岳
11月11日〜12日 金峰山
11月5日 乾徳山
11月1日〜3日 五竜岳
10月 10月29日 小金沢連峰
10月28日〜29日 大菩薩・牛の寝通り
10月25日〜26日 三つ峠岩登り講習
10月21日〜22日 稲子岳
10月19日 石津窪
10月18日 日和田山アイゼン登攀講習
10月15日 南大菩薩
10月11日〜13日 鋸岳
10月7日〜8日 雲取山
9月 9月30日〜10月1日 雨飾山
9月27日〜28日 豆焼沢
9月24日 蕎麦粒山
9月23日 日和田山岩登り講習
9月13日〜15日 剣岳VI峰Cフェース
9月9日〜10日 上州武尊山
9月3日〜4日 越百山
8月 8月26日〜29日 黒部五郎岳
8月23日〜24日 鶏冠谷右俣
8月19日〜20日 天狗岳
8月9日〜10日 北岳バットレス第4尾根
8月4日〜6日 槍ヶ岳
8月2日〜3日 前穂高岳・北尾根
7月 7月28日〜31日 白峰三山
7月26日〜27日 剣岳・源次郎尾根
7月22日〜23日 蝶ヶ岳
7月19日〜21日 真の沢
7月16日 大菩薩嶺
7月8日〜10日 鳳凰三山
7月5日〜6日 ヌク沢遡行ナメラ沢下降
7月1日 編笠山
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唐松岳

3時間かけてやっと掘った雪洞
3時間かけてやっと掘った雪洞

 以下の者は、2009年3月14日〜15日、北アルプス北部・唐松岳を目指して第一ケルン付近に雪洞で宿泊し、山頂を目指し、八方山を越えて八方池付近・第二ケルンまで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 春の嵐に翻弄された二日間でした。日本海を通過した低気圧から伸びた寒冷前線の通過で首都圏の交通は大混乱。集合し、白馬駅を出たのが1時を過ぎている有り様でした。ベトベトの湿気を帯びた雪が、ゴンドラ、リフトを乗り継ぐうちに乾燥し、冬本来の雪に変わるころ、かつては第一ケルンが建つ、今は八方池山荘の前に到着しました。時間は既に2時を過ぎ、雪洞初体験ばかりのメンバーだったため、その場の豊富な積雪を使って雪洞を掘りました。通常の年であれば締まった雪にドカンドカンとスコップを入れて、固雪にはスノーソーを入れて作られるはずの雪洞は、今年の暖冬と何回かの雨、霙の影響を受けて何層もの氷の固い部分を作り、掘り進むのが大変厳しいものでした。実に3時間の時間をかけて掘られた雪洞でした。しかし、その後、風向きが変わり時折、真っ正面から吹きつける風は雪洞内にも雪を吹きつけました。普段だと、全員が洞内に落ち着いた頃には、入口のツェルトも埋まり、物音一つしない静寂の空間が生まれるのですが、何回も吹き飛ばされる入口のツェルトにハラハラと雪の舞う、なかなか大変な一夜でした。
 翌朝、外に出ると強烈な冬の風が吹いていました。4時半に出て、引き返し、5時半に出て、再び八方池から引き返しました。二度目の出発の際、何人かの顔に小さな凍傷ができてしまいました。また、来年、再び、必ず唐松岳に登りたいと思います。

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瑞牆山

 以下の者は、2009年3月11日、奥秩父西端の岩峰の山、日本百名山の一つ・瑞牆山(2230m)に瑞牆山荘前から富士見平、天鳥川を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 金山平から、富士見平の手前から、そして天鳥川へと下る途中から見上げた瑞牆山は、やはり凄まじい表情を見せていました。大ヤスリ岩を筆頭に「何で、こんな所にこんな岩が林立しているんだ?」と思わず口に出る異様な風景。しかも、それが南北アルプスのような岩と砂の中にあるのではなく、原生林の中にある不思議。まるで山水画のような世界の中に瑞牆山の山頂はありました。瑞牆山荘から僅かで着けたアイゼンは、ついに登って下り着くまで一度も外すことはありませんでした。固い雪と、ガリガリに凍てついた氷の道。アイゼンがなければ大変な登り、下りだったと思います。天鳥川を渡り、原生林の中に入ってしまえば、山頂に出るまでは一切、その山容さえ見えないほどに山懐の中をグイグイと登り詰めていく道は、大変に急峻でした。岩場を攀じ登る所が無い代わりに全く緩むことの無い傾斜、完璧に凍りついた足元。さすがに奥秩父の一番厳しい季節と出会った事を感じさせられました。所々で沢の小滝が完全に凍った青氷の上も歩きました。まるでガラスの廊下のような美しさと、静けさ、素晴らしい光景との出逢いだったと思います。あんなに高く聳えていた大ヤスリ岩の基部に到着し、長野側に回り込んだ先に突然、放り出されるような明るい岩の山頂がありました。八ヶ岳が手の届く近さにあり、浅間山が見え、金峰山が見上げる角度で、そして南アルプスと富士山の見事な展望が大きく大きく苦闘を讃えるように待っていてくれました。

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茅ヶ岳

明るい茅ヶ岳の山頂からは南アルプスが大きい
明るい茅ヶ岳の山頂からは南アルプスが大きい

 以下の者は、2009年3月10日、奥秩父の前衛であり日本百名山の著者・深田久弥氏の終焉の地・茅ヶ岳(1702m)に大明神から女岩を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 韮崎の駅前から見上げた茅ヶ岳は中腹から上を白く雪化粧した冷たい雰囲気の中にありました。しかし、春の重い雪と暖かい空気は、山に向かう頃には木々の上からボタボタと雪解けの水を落として急激に白い物を消していく中でした。平日にもかかわらず登山口の深田公園には数台の他県ナンバーのクルマが止まっていました。深田氏の亡くなった3月だからでしょうか?カラマツの葉を落とした木々の間から見上げる空は真青で、その上に狐色の明るい斜面の上に山頂付近が見えました。もともとは火山だった茅ヶ岳。長く伸びた裾野が歩きだしの場だったようです。何処までも続く明るい雑木林の中に所々に残る平屋の農家の廃屋は、この地に戦後に入植した開拓農家の跡だと聞いています。冷たい美味しい水が湧く女岩からの登り。溶けた雪と霜柱、溶け残った雪が歩きにくいグチャグチャ道となった中でしたが、急な斜面は明るく落ち葉がラッセルのように歩くことの楽しさがありました。登り着いたコル、そこからの急峻な岩混じりの尾根は、一歩登るごとに新しい展望の開ける素敵な道でした。もう、頂上まで僅かの所に小さな「深田氏終焉の地」の小さな石碑。真白な富士山と雄大な南アルプスを見て、甲府盆地を見下ろす素晴らしい所で、山好きの作家にとっては最高の幸福の死に場所だったとなんだか羨ましいような場所でした。雪解けでグチャグチャの山頂は、新たに金峰山と八ヶ岳の豪快な展望も加わって360度の期待以上の展望の中にありました。

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仙ノ倉山

増水した川を恐々と渡る
増水した川を恐々と渡る

 以下の者は、2009年3月7日〜8日、谷川連峰の最高峰である仙ノ倉山(2028m)に毛渡沢橋からバッキガ平に至り、北尾根に取り付き、小屋場の頭、シッケイの頭を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

仙ノ倉山近し!大雪原
仙ノ倉山近し!大雪原

 春の谷川連峰の雪・・・、湿り気を帯び、重い雪。越後湯沢の駅前では空から落ちている時の色は白でも、屋根から落ちるのはザァザァと音を立てる雨でした。その霙の中を最初からワカンを着けてのアプローチ。増水した沢を渡り、恐々と渡ったバッキガ平の踏み板の無い橋を渡る所から北尾根は始まりました。ブナ林の中に急激に続く尾根。辿り着いた小屋場の頭が僕達の泊まり場でした。早朝、ヘッドランプを点けた闇の中にはハラハラと舞う雪と見上げる星が同居する不思議な視界の中をいきなり痩せた尾根を辿りました。まさしく「白馬のタテガミ」の様と表すのがピッタリの細く痩せた真白な稜線。左右に所々でソフトクリームの様な雪庇を張り出させて、上へ上へと急傾斜で伸びているヤセ尾根をジリジリと登りました。ここ数日の雨や霙が雪面を固く凍らせ、その上にフワリと新雪の乗ったなかなか登りにくい尾根。先頭は、アイゼンが固雪までツメが刺さるまで蹴り込み続けなければならず、フクラハギが疲れました。夜がダンダンと明けてきて、青っぽい景色の中に純白の山々、万太郎山から茂倉岳、そして谷川岳本峰に至る他の山々には無い豪雪地帯独特の美しい景色が広がっていました。仙ノ倉山は関越自動車道の上からも見える癖に、一端、北尾根に入ってしまえばシッケイの頭まで、その姿を見せません。シッケイの頭の大雪原。その上に美しい三角錐の山頂が平標山を従えて僕達を待っていました。風の吹く、富士山まで見えた展望の山頂がヒッソリとありました。

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西穂高岳

谷を挟んで笠が岳
谷を挟んで笠が岳

 以下の者は、2009年3月3日〜4日、北アルプス穂高連峰南端の西穂高岳の手前・丸山(2452m)に西穂口から千石尾根を辿り西穂山荘に宿泊して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

丸山からの下り、西穂が大きい
丸山からの下り、西穂が大きい

 どんなにロープウェイから観光客が出てきても、森林限界の所に通年営業の山小屋が小屋の中で半袖でいられる状態を創り出しても雪の穂高は、やはり雪の穂高でした。歩きだしから、ハラハラと降り続けた雪。それまでガリガリとコンクリートのようなトレースを見せていた上に静かに分厚く、雪を降り積もらせていきました。暖かい気温に、雪一つ着けていなかった原生林はすこしづつ雪化粧していきました。それにしても見事なまでに、誰もいない雪の山。急斜面を一歩一歩と登っていく、その息の音がオオシラビソの大きな木々に吸い込まれていくような中にありました。たぶん、異常とも言える気温の高さと風の無さでした。稜線に建つ西穂山荘は風の通り道でした。でも、物音一つしない中にハラハラと雪が降り続けていました。翌朝、小屋の凍りついた窓から、ガスが流れ、霞沢岳が徐々に姿を見せだした時の嬉しさ!しかし、時折、意地悪なガスが稜線を隠し、それが晴れてを繰り返す中、それでも小屋の裏の小ピーク、丸山に向かう雪の斜面は時折、薄日も射していました。そして、登り着いた丸山。そこからは、去来するガスの合間に素晴らしい展望が待っていました。穂高連峰を彼方の山として見るのではなく、正しく、そのど真ん中にいる感動。目の前に西穂高が大きく、そして前穂高から明神岳にかけての神々しいまでの凍てついた稜線がありました。笠が岳が、乗鞍岳がそして遠く白山から双六岳と、連なった白い山々を言葉もなく見ていました。

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赤岳天狗尾根

稜線直下、風が強い
稜線直下、風が強い

 以下の者は、2009年2月20日〜21日、八ヶ岳主峰・赤岳(2899m)に東面から突き上げる天狗尾根を美しの森から地獄谷を経て赤岳沢に入り、末端近くからカニのハサミ、大天狗を越えて小天狗を巻き、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

地獄谷をラッセルしながら見上げる大天狗
地獄谷をラッセルしながら見上げる大天狗

 美しの森から僅かでワカンを着け、結局えんえんとラッセルした天狗尾根。他のパーティーの姿もトレースもなく見上げる真青な空に天空を突き刺すように聳える大天狗に向けてひたすら前進した二日間はなかなかの充実感で一杯でした。赤岳の標高2899m。登山者の99%が登る茅野側のルートと違い、その標高を全身で実感させてもらいました。かつて、登山者が押し寄せる前の八ヶ岳は、やはり広大な裾野をラッセルし、急峻な樹林帯の尾根を登り詰め、テントを張り、森林限界以上の斜面をアンザイレンして登る・・・本来の雪山登山があったのでしょう。天狗尾根でそれを体験できたことを嬉しく思います。それにしても地獄谷を上流に向けて辿る気分は何時も最高です。背後に広がる甲府盆地の上に白く輝く富士山と南アルプス、そして、出合い小屋手前で見上げる角度で初めて見る大天狗と赤岳山頂。「あそこを登る!」強い憧れが突き上げる瞬間です。靴を濡らしてしまった赤岳沢出合いの徒渉。ボコリボコリと大穴を開けながら登った天狗尾根下部の急傾斜の原生林の尾根。テントをやっと張ったスペース。いつもの星空の早朝出勤の背後には清里から甲府の夜景がありました。カニのハサミ、大天狗の岩場。強い風に吹き倒されそうになりながら悪場を一つ一つ、越えて飛び出した稜線。そして強い西風の中、登り着いた山頂。本当の本来の2899mがそこにありました。

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雲取山

コメツガの原生林の雪の道
コメツガの原生林の雪の道

 以下の者は、2009年2月17日〜18日、東京都唯一の2000m峰・最高峰の雲取山(2017m)に小袖乗っ越しより、堂所、ブナ坂を経て登頂し、さらに七ツ石山にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

それでも山頂付近は雪山
それでも山頂付近は雪山

 やはり暖冬なのでしょう。ここ十年で最も積雪の少ない雲取山の二月でした。たしかに北面にはありました。しかし、土曜日の雨と春一番で溶けた雪は再び凍結し、斜面を透明な氷が覆い尽くす不思議な光景が広がっていました。冬ならではの広大な展望。視界の半分を占める飛竜山の黒々とした姿。その後に銀屏風となって連なる南アルプス。素敵でした。北面だけは冬が蘇る山頂付近。吐いた息までが吸い込まれるようなコメツガの雪の原生林の中を歩きました。貸し切りだった雲取山荘。夜景と日の出、そしてオレンジ色に輝く東京湾が見事でした。翌朝、登り着いた静かな山頂。そこには広大な360度の圧倒的な展望がありました。誰もいない山頂を長時間独占する楽しさ。すこしづつ標高を下げていく奥多摩の山々の眺め。逆に標高を上げながら続く奥秩父の山並。大きな大菩薩の黒々とした姿。見慣れた、でも、いつまでも飽きることのない山頂の展望です。再び、登った七つ石山からの眺めは、さっき出たばかりの雲取山の姿が大きく振り返られました。

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空木岳 (撤退)

黄砂に霞んでいるけど南アルプスが素敵
黄砂に霞んでいるけど南アルプスが素敵

 以下の者は、2009年2月14日〜15日、中央アルプスの中核・空木岳に突き上げる池山尾根に挑戦し、池山小屋から大地獄、小地獄を越えて迷い尾根を経て稜線に戻り2415m付近まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

最高到達地点から空木岳
最高到達地点から空木岳

 春一番の吹いた後、大雨が降り、一気に様相を変えた中央アルプスの山々。積雪全体に雨が染み渡り、それが必ずしも再凍結せず、典型的なザラメ雪となってしまいました。ザラメ雪は雪どうしがくっつく事ができず、温度が高くても「雪玉」が形成されず、ザラザラと手からもこぼれるまとまりのない雪です。大雪崩の原因ともなり、雪山登山で最も始末に困る雪です。実際、小地獄が終り、トラバースで斜面に入ったとたん、表面の凍結した雪面を破ったとたん、下の地面までアイゼンが刺さるまで雪を崩さないと一歩を踏み出せない極めて厳しい行程を強いられました。一つ一つのルンゼの通過は雪崩の心配があり、ザイルを付けてのビクビクした道でした。迷い尾根を越えて最期の斜面を登り、稜線に戻りホッとした時には、既に池山小屋から6時間半以上がたっていました。もはや、これ以上、ラッセルする気力がなく、見上げる位置に輝く、駒石とその右に小さく見える目標の空木岳山頂がありました。
 せっかく前夜発で出発したにもかかわらず、土砂降りの雨に10時すぎまで歩きだすことのできなかった初日。2時起床、3時半出発で意気軒昂に歩きだした月明かりの道。しかし、残念ながら撤退となりました。しかし、一方で黄砂に霞みながらも天竜川を挟んで雄大に見えた南アルプスの姿。池山小屋前のダケカンバの森の美しさ、そして鬱蒼たる原生林。誰一人のトレースもなかった中央アルプスは僕達だけの世界がありました。

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赤岳

頂上は風の中でした
頂上は風の中でした

 以下の者は、2009年2月7日〜8日、八ヶ岳連峰最高峰・主峰である赤岳(2899m)に美濃戸口から行者小屋を経て地蔵尾根から登頂し、文三郎尾根から周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

稜線近し!ナイフリッジをいく
稜線近し!ナイフリッジをいく

 茅野の町から八ヶ岳に向かうとき、好天の下ならば編笠山から蓼科山まで大きく前方に広がる真白な連なりに向けて進んでいきます。遥か彼方に見えた山々にグイグイと近づき、その山懐に飛び込んでいく・・・「アソコを登るんだ・・アソコを!」声には出ない気持の高まり、期待と不安の入り交じった独特の高揚した気分、これが八ヶ岳が多くの人々を引きつける理由かもしれません。しかし、今回登った主峰である赤岳は、このアプローチからは見えていません。大きく見える阿弥陀岳の背後に隠れ、その姿を見るのは行者小屋の手前の本当に眼前に迫ってからです。そして、背後に登るごとに広がる新しい展望を感じながら一歩づつ山頂に迫っていく・・・、美しい静寂の原生林の山麓の歩きと、滑落が事故に直結する森林限界以上の赤茶けた岩と雪の中の登り・・・、雪の高山に直接、取り付ける魅力があります。切り立ったナイフリッジを慎重に通過し飛び出す主稜線の風と展望・・・、そして、翌朝、一転して冬山に相応しい風雪の中の山頂がありました。
 容易なアブローチと、多くの入山者。充実した冬期営業の山小屋が手軽に高山の雪山を体験できる・・・。赤岳は本格的な雪山でありながら、一定の安全策で守られた場合、初心者でも登頂可能な雪山です。「赤岳を目標に訓練してきた者」にとっても、「赤岳を出発点に本格的な雪山に踏み出す者」にとっても重要な指標となる山です。この赤岳を出発点に、本来の雪山・・、真白な雪面にトレースを付け、ラッセルし、雪の中にテントを設営し、森林限界を越えた稜線を山頂に肉薄する・・、そんな雪山の貴重な一歩として赤岳をとらえていただければ幸いです。

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硫黄岳

山頂直下からは三日前に爆発した浅間山の噴煙も
山頂直下からは三日前に爆発した浅間山の噴煙も

 以下の者は、2009年2月3日〜4日、八ヶ岳の中核・硫黄岳(2760m)に夏沢鉱泉から夏沢峠を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 谷間にある夏沢鉱泉から、あんなに綺麗に北アルプス・槍、穂高岳連峰が鮮明に見えることを初めて知りました。それほど、鮮明な展望の中の二日間でした。一昔前までは、上槻の木という辺鄙な集落から延々たるラッセルの末に到達した夏沢鉱泉。その雪に埋もれた無人の鉱泉宿が通年営業するようになり、クルマと雪上車でその玄関前まで乗り付けたのは、嬉しいような複雑な気分でした。翌朝・・・、これ以上の天気はない!という完璧な無風快晴の空の下、鬱蒼たるシラビソの密林の中を夏沢峠へと向かいました。硫黄岳方論から北を見る時、夏沢峠下から箕冠山に向けて広がる完全な広大な原生林・・・それは恐らく八ヶ岳随一の規模・・・の中を辿る嬉しさは独特です。しかし、気温自体はマイナス10度を下回っても、その吹く風、陽差しの軟らかさは間違いもなく春の気配でした。それでも、少しだけ西からの風が吹いて明るい夏沢峠へと登り着きました。おりしも三日前に噴火した浅間山から白い煙が吹き上げるのを眺めながらの硫黄岳への準備をしました。下から見ても雪煙を上げる、いままでとは表情の違う斜面。岩混じりの雪の斜面、東に大きく口を開ける爆烈火口。そこへ向けて一歩づつ登っていきました。箕冠山の上に東西の天狗岳の山頂が頭を出し、その左に焼岳から白馬までの見事な北アルプス全山が広がっていました。文字どおりの360度の大展望。ここだけは強い風の吹き抜ける硫黄岳山頂。広々とした八ヶ岳一の広さを持った山頂からは、今まで見えなかった八ヶ岳自身の南半分が手の届きそうな迫力で広がっていました。

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霧ヶ峰

足元にはビーナスライン。でも、北アルプスはすごい
足元にはビーナスライン。でも、北アルプスはすごい

 以下の者は、2009年1月28日、中信の草原の高地、日本百名山の一つ・霧ヶ峰(1925m)にコロボックルヒュッテ前から登頂し、車山乗っ越しを経て蝶々見山へと辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 冬の真青な空が何処までも続く、そんな雪の霧ヶ峰でした。すぐ下、残念なことにそこに目をやれば、どうしてもアスファルトの道が見え、時折、走り抜けるクルマの気配が感じられる・・・にも関わらず、そして、車山の下にはつぎつぎとリフトがスキー、スノーボードの人を運び上げているにも関わらず、すぐ、その横にウサギとキツネの足跡のある静寂の広大な空間が広がっている・・・雪の霧ヶ峰は不思議な世界でした。一歩、登るごとに広がる北アルプス全体が、文字どおりの銀屏風となった連なり。鷲ヶ峰を越えて、三峰山を越えて白い広大な広がりが美ヶ原、鉢伏山へと続く雄大な景色。そして車山の肩から大きく手が続きそうな近さで八ヶ岳が大きく広がっている眺め。中央アルプス、南アルプス、そして富士山や木曽の御嶽山までが冷たい風の中に大きく広がっていました。車山から少しの間だけ、スキー場と交わる以外、実は完全な静寂の中を歩きました。乗ッ越しから蝶々見山への楽しい登り。空に向けて徐々に迫るような一歩一歩。車山から僅かな距離なのに、また違った眺めがありました。眼下に大きく広がる白い雪原と化した八島湿原。頭だけを出した蓼科山のユーモラスな姿。ほんのちょっと雪の山に片足を突っ込んだだけなのに、そこは別世界がありました。

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北横岳

頂上の稜線は樹氷の林
頂上の稜線は樹氷の林

 以下の者は、2009年1月27日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭から北横岳ヒュッテを経由して登頂し、七つ池を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

頂上直下からは八ヶ岳全部がスゴイ
頂上直下からは八ヶ岳全部がスゴイ

 いきなり放り出された標高2300mの高地。そこには白い無彩色の世界が広がっていました。溶岩台地の坪庭。夏には観光客で一杯の周遊路も雪の上でした。静かな冬の一日でも、木の無い雪の広々とした箇所は風が冷たく、そこが高地であることを感じさせられました。原生林の中に入ると一転した静けさ。徐々に登っていくに従って木々に霧氷が付き、雪が何日間が降っていないにもかかわらず幹が白く凍結した雪山の森の中を歩くことができました。三つ岳から北横岳を結ぶ稜線からは佐久盆地を挟んで浅間山が真白な姿で白い噴煙を上げていました。北横岳ヒュッテからの急斜面の登り。フクラハギがつりそうな斜面は、一歩登るごとに木々が美しい樹氷へと変わり、背後にすこしづつ山並の広がる素敵な登りでした。背後に大きく広がる八ヶ岳、南アルプス、中央アルプスの姿。慣れ親しんだ奥秩父の黒々とした重厚な姿。そして、飛び出した三角点のある南峰からは蓼科山が大きく聳えていました。まだ、冬型の気圧配置が続き、北アルプスは不機嫌な雪雲の中でしたが、広大な360度の展望は森林限界を越えた山頂だけが持つ独特の光景です。そこから最高点である北峰・北横岳山頂への道。丈の低くなったウラジロモミの灌木の中、青い空に向けて登っていく最高の時がありました。

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北八ヶ岳

中山への登りからは浅間山が大きい
中山への登りからは浅間山が大きい

 以下の者は、2009年1月20日〜21日、北八ヶ岳の核心部・高見石に渋ノ湯から賽の河原を経て登り、中山(2496m)に登頂し、中山峠、黒百合平へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 渋ノ湯の先で付けたワカンは黒百合平まで足から外されることはありませんでした。渋ノ湯から高見石、中山、黒百合平までは、他の登山者の姿は一切見ない完全に貸し切りの北八ヶ岳でした。前日に降った雪が森林高地の木々にまだ分厚く積もったままでした。真白な踏み跡もない雪の上に一歩づつ刻まれていく道。残念ながら冬型の弱まった後の真青な空ではないものの、賽の河原から先では背後に木曽駒ヶ岳から御嶽山の雄大な雪山が見られました。その先、再び入った原生林の森こそ北八ヶ岳の魅力を全て体現するものでした。小さな小枝にも着いた無数の樹氷。木の幹を白く凍らせる雪。そして、「もう歩くのは嫌だ・・・。」と思い始めたころ、静かに煙を上げる高見石小屋に着きました。背後の高見石もラッセルして登るような状態。登り着いた高見石からは思わず歓声の上がる浅間山の雄大な展望がありました。夜の満天の星空、暖かいコタツ。北八ヶ岳の一夜を満喫した一日でした。そして、朝焼けの中、歩きだした二日目。傾斜は緩いけれど延々たるラッセルを繰り返す中山への登り。北八ヶ岳の中では最大と思われる原生林は所々で樹相を変えてコメツガ、シラビソの美しい雪の森を見せてくれました。風が吹き、雪が固くなったり吹き溜まったりが始まって、飛び出した中山展望台。穂高連峰から白馬まで全ての北アルプスの雪山が曇だした不機嫌そうな冬の空の下に圧倒的な迫力で並んでいました。冷たい風の追われるように中山峠へと向かった僕達の前には慣れ親しんだ奥秩父の山並みが、また全然違う冬の山の表情で出迎えてくれました。
 雪の北八ヶ岳。実は、夏よりもはるかに歩きやすく、美しい景色が広がっていました。雪でも、晴れても素敵な山々です。

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天狗岳

天狗岳山頂付近では背後に大きく北八つの山が広がる
天狗岳山頂付近では背後に大きく
北八つの山が広がる

 以下の者は、2009年1月18日、南北八ヶ岳を分ける天狗岳(2646m)に渋ノ湯から一服カンバ、黒百合平、天狗の庭、天狗の鼻を越えて登頂し、中山峠を越えて渋ノ湯へと下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 茅野の町中から見上げる天狗岳。権現岳から始まった銀屏風のように輝く山々が北八ヶ岳に入り、たおやかな静かな山稜へと代わる、その境目に立つのが天狗岳。雪と岩の南八ヶ岳と森林高地の北八ヶ岳。その二つの顔と魅力を見せてくれる素敵な山です。渋ノ湯から全ての物音を吸い込んでしまうような密集したコメツガ、シラビソの針葉樹の森。そこに美しく化粧させる真っ白い雪。雪の森の山の魅力をしみじみと感じさせる原生林の中の道でした。それが風の音がして、明るくなり、登り着いた黒百合平で雰囲気は一変します。比較的穏やかだった、この日でも、肌を刺す冷たい風とチラチラ舞う雪、そして、突然のように眼前に大きく広がる東天狗と西天狗の対称的な鋭さと穏やかさを見せる山頂。そして、一歩高度を上げるごとに広がる展望がありました。蓼科山の左に迫りつつあった雪雲野中に白馬岳から鹿島槍ヶ岳、そして、槍、穂高に至る全ての北アルプスの山々が人を寄せつけない冷たさで並んでいました。そして、浅間山から戸隠等の白い山々がありました。溶岩台地の上に雪の凍りついた歩きにくい稜線。天狗の鼻が目の前に見えているのに、なかなか近づいていかないもどかしさ。飛び出した稜線には冷たい風が吹いていました。微妙なトラバース、岩混じりの雪の急斜面。最後の難関を征して天狗岳の山頂はありました。山頂に着いた途端の南八ヶ岳の雄大な展望。そして、新たに南アルプス北部の3000mの山々が迎えてくれました。
 15分以上の休憩は一回もとれず、駆け足で歩ききった初めての本格的な雪山。忙しすぎた感のある天狗岳の日帰り登頂でしたが、これをやりきれれば本格的な雪山も大丈夫。ぜひ、南八ヶ岳の山々にも挑戦してください。

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北横岳

北横岳から三つ岳へは真白な斜面を歩いた
北横岳から三つ岳へは真白な斜面を歩いた

 以下の者は、2009年1月17日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭から登頂し、三つ岳、雨池山、雨池峠を越えて再び坪庭まで周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北八ヶ岳は森林高地の山である・・・、それをあらためて教えてくれた北横岳の一日でした。スキーヤーを沢山乗せて、氷点下の世界に突然放り出してくれるロープウェイ。そこから既に、今日一日辿る山々は全て、視野の中にありました。溶岩台地を遊歩道にして夏はタウンシューズで歩く坪庭も、標識や旗竿にもビッチリと海老の尻尾をくっつけた冷たい風の吹く場所へと代わっていました。北横岳への登りの道は、真っ白く雪を凍りつかせた石膏細工のような木々の中の道でした。吐く息が白く胸につくような寒さの中、登りついた稜線からは佐久盆地を挟んで浅間山が見事でした。ヒュッテからの登りは丈の短いダケカンバが白珊瑚のように化粧したなか、背後に大きく広がる八ヶ岳の山々が一歩登るごとに成長する中の道でした。三角点のある南峰、真の山頂である北峰。その間を繋ぐ尾根も美しい樹氷の中でした。歩く者の少ない三つ岳への稜線。広々とした溶岩台地と灌木の創り出す庭園のような尾根からは絶えず奥秩父の山並みが広がっていました。大岩が雪で埋まり、夏よりははるかに歩きやすい三つ岳でしたが、所々に開く大穴とアイゼンと相性の悪い岩場、しかし、思わぬ形で現れる展望と白い雪と岩の雰囲気は独特の物がありました。呼吸の音さえも静かに吸収してしまうような雨池山への登り。立ち枯れの縞枯現象を見せる静かな山頂がありました。
 ロープウェイがかかり、標高差が何分の一かに減ってしまった北横岳。ここから三つ岳、大岳周辺の稜線は古く「北八つ彷徨」等を読むと八ヶ岳全山縦走の中でも最も難しい箇所として扱われています。登りやすくなった今、この山を出発点に、本当の雪山を目指す足掛かりとしていただければ幸いです。

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権現岳 (撤退)

 以下の者は、2009年1月10日〜11日、八ヶ岳南端の名峰である権現岳(2715m)に天女山から三つ頭を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 厳しい寒さの中の八ヶ岳でした。でも、今回、目指したのは権現岳ではありません。権現岳を出発点に赤岳を越えて、横岳の岩稜を越えて硫黄岳を越えて夏沢峠から北八ヶ岳に入り、天狗岳と高見石まで行く・・・、八ヶ岳の核心部の制覇が目的でした。二日目の朝の準備はたしかに吹雪の中でした。冷たい風と雪の中で、テントの撤収、装備の装着は大変な作業でした。でも、よりによってガイドである僕が、深刻な凍傷を手に負ってしまい、しかも、その状況を正確に把握したのがしばらく歩いてから・・・、という、無様なことになってしまいました。真白になった指を見て、本当に驚きました。溶かして、暖めて、・・・、以降はみんなが見たとおりでした。もし、あのまま、縦走を風雪の中、続けていたら、大変なことになっていたと思います。自己管理は登山の、とりわけ冬山の基本中の基本です。そのために、この冬、唯一の三連休の登山をパーにしてしまったことが残念です。教訓としては、いかに難しい撤収等であっても風雪下では素手には絶対にならないこと、そして、いわゆるシステム化されたオーバー手袋ではなく、厚手のウールの手袋とオーバー手袋を信頼すべきであることです。こんな当たり前のことを自分自身のために言っているのが残念です。

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安達太良山

頂上広場は風が抜けていった
頂上広場は風が抜けていった

 以下の者は、2009年1月6日〜7日、東北南部を代表する日本百名山の一つ・安達太良山(1699m)に奥岳温泉から勢至平を経てクロガネ小屋に宿泊し、峰の辻から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

風の合間に広々とした稜線が美しい
風の合間に広々とした稜線が美しい

 安達太良山は「風の山」だった。また、そんな思いを新たにさせられた二日間でした。登山口の奥岳温泉、安達太良高原のスキー場は強い風の中にありました。初日に登ってしまいたい!そんな思いはゴンドラの運休によってもろくも崩れ去りました。馬車道をジグザグに登っていく僕たちの頭上はゴーゴーと吹き荒れる地吹雪の音が鳴っていました。そして勢至平の風。その時、地吹雪の間から独特の山頂付近のピークを見せた安達太良山が霞んで見えました。顔に吹きつける雪ツブテ、吹き倒されそうな強風。クロガネ小屋へのトラバース道は風の通り道でした。クロガネ小屋は風雪の中にスックリと建った本当のオアシスでした。冷えた手足がジンジンと血が通うのが判るアツアツの硫黄の匂いがプンプンする温泉。ゴーゴーと燃える石炭ストーブ、小屋番からいただいた一升瓶。絶えず聞こえる吹雪の激しい音。山の温泉小屋の楽しさが一杯の素朴な小屋でした。終わらない地吹雪の気配に重い腰を上げて顔にバチバチとあたる雪ツブテにしかめっ面で登った雪の斜面。見上げる行く手は雪の中に見えません。一歩また一歩と見えぬ頂上を目指す僕たちの上に時折、雲の上を通して差し込む朝日。幻想的な雪山の一瞬の輝きがありました。そして、「海老の尻尾」がビッチリと付いた指導標。頂上直下の広場は凍てついた灌木と、風の中にありました。本当の山頂のある岩峰。そこからは去来する雪雲の間から真青な「本当の空」が時折、顔を出しました。五葉松平への広大な雪の斜面。丈の低い木でも、木があるだけで風は力を弱め、振り返る空の下にチラチラと山頂付近の稜線を見せてくれました。安達太良山。毎回、雪の季節しか行っていない山です。何時か、レンゲツツジの季節にも行ってみたいものです。

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爺が岳

風雪のテント
風雪のテント

 以下の者は、2008年12月30日〜1月2日にかけて後立山連峰の中核・鹿島槍ヶ岳を目指して日向山ゲートから扇沢を経て爺が岳南尾根を登り、爺が岳南峰から中央峰(2669m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

それでものぼった爺が岳
それでものぼった爺が岳

 明け方のようやく明るくなりだした日向山ゲート。ここで出発の支度をしていた僕達の上にハラハラと落ちだした雪は、吹雪となって、ついに下山するまで一度たりとも止むことはありませんでした。11月から根雪となった雪は入山の頃には少なめでしたが、爺が岳ジャンクションピークに張ったテントは降り積もった雪のために、まるで穴の中にあるように周囲を雪で埋められてしまいました。大雪の中の四日間だったと言えるでしょう。そして、その静けさ。入山の時、降りてきたパーティーを見送ってから、31日から下山まで徹底的にこの山域は僕達だけの貸し切りでした。テントを叩く風の音、雪の音、1日の昼頃からは雪崩の激しい音。それだけでした。入山の前にかすかに見えた鹿島槍。その姿をみて「下山まで見えないかもよ・・・」と言ったのが本当になってしまいました。笑えたのが下山して降りてきて長野県を中心に展開する八十二銀行のポスターが朝焼けの爺が岳を中心に鹿島槍ヶ岳との写真でできていてクルマの真ん前にあったことでした。ホワイトアウトに近い状態の登頂の日。左右から吹きつける風の中、足元しか見えない中、抜け出した爺が岳南峰。そこには長野・富山国境の本物の風雪の稜線がありました。今回、登山以上に厳しかったのは寒さの中の生活でした。一晩に何回も行われた除雪。水作り、トイレ・・・・。冬山の中で生き抜くことこそが山の第一歩であることを痛感した四日間でした。
 毎年、今回が一年で最高の登山となるように準備し、計画している冬合宿講習。しかし、昨年は暴風雪のドカ雪で撤退、今年は徹底的な雪。来年こそは納得の雪山を実現するぞ!

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赤岳

直下の痩せた尾根を行く
直下の痩せた尾根を行く

 以下の者は、2008年12月20日〜21日、八ヶ岳最高峰・主峰である赤岳(2899m)に美濃戸口から柳川南沢を経由して行者小屋に至り、地蔵尾根を登って登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

頂上近し!
頂上近し!
今年も沢山の雪山を目指す者が
「風の谷」から生まれた

 茅野駅から八ヶ岳に向かうとき、晴れていれば美しい銀屏風となって立ち並ぶ八ヶ岳連峰。その中でひときわ目立つ峻険な尖った峰が阿弥陀岳です。茅野の町から赤岳は見えません。奥の院として延々たるアプローチの末、行者小屋の手前で初めて顔を出し、そのボリュームと屹立した西壁で訪れる者に畏怖の気持を持たせます。体力的に厳しい仲間の参加があり、地蔵尾根の森林限界を越える所からは緊張の登高となりました。しかし、一方で夕陽に赤々と染まる岩壁、背後に夕闇と溶け込むような北アルプス、中央アルプスの威容、そして、稜線に飛び出した途端に遠く美しく夕景色に染まる富士山と対面することができました。そして、稜線を吹き渡る強烈な八ヶ岳の西風が、どんなにアプローチが発達し、その日の内に山頂直下に登り着けたにしても、ここが3000m近い高山の雪山にあることを改めて教えてくれました。もう、ヘッドランプが必要なギリギリの所で全員がオアシスのような小屋に飛び込むことができました。そして、翌日、ユックリユックリと登って行った最高峰・赤岳。例年にない降雪で、厳冬期に近い積雪で僕達を迎えてくれた山頂は、既に、次の気圧の谷の接近で北中のアルプスは分厚い雲の中でしたが、甲府盆地を挟んでの南アルプス甲斐駒ヶ岳と北岳の美しい姿は強く印象に残りました。
 初めての本格的な雪山にいきなり初挑戦した方も多いと思います。八ヶ岳は、厳しい寒さと(今回は暖かでしたが)、強い西風で登山者に苦闘を強いる厳しい山です。しかし、発達したアプローチと随所にある営業山小屋の為に多くの登山者を迎えています。このほかにも、天狗岳や北八ヶ岳の山々のように、より一層、初心者に向いた雪山も沢山あります。一方で「風の谷」の好きな雪山は自らルートを見つけ、ラッセルし、テントや雪洞に泊まり、登頂する雪山です。赤岳を出発点に、本当の雪山を目指すキッカケとなれば幸いです。

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奥多摩タワ尾根・人形山

明るいタワ尾根の雑木林
明るいタワ尾根の雑木林

 以下の者は、2008年12月16日、奥多摩長沢背稜の酉谷山西から日原鍾乳洞へと落ちるタワ尾根を末端から一石山に取り付き、この山域随一の大きさを誇るミズナラの巨樹を訪問し、人形山(1176m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

ヤッパリ大きな人形山のミズナラ
ヤッパリ大きな人形山のミズナラ

 つい二日前、山々を白く染めた雪が北面には一面に残るタワ尾根でした。タワ尾根は奥多摩の中でも登山道のない最も大きな尾根です。下部こそ急峻なヤセ尾根ですが、いったん尾根上に上がると広々とした公園のような広がりは独特の美しさがあります。東京都水道水源林として手厚く保護された樹林は手つかずの広葉樹の森です。晩秋から早春にかけて葉を落とし、鷹ノ巣山、雲取山へと続く大きな石尾根と、長沢背稜の狐色の暖かい雰囲気の稜線を間近に見て楽しい雰囲気に満ちています。とりわけ、今回訪れたミズナラの巨樹は何人もで手を繋いでも周囲を一周できない巨大な物でした。苔を付けて、所々にウロのような穴を開けて周囲を見下ろす姿は、まさしくこの山域の王者の風格です。そして、その背後にどこが頂上かもハッキリしない人形山がありました。登山道のないタワ尾根ですが、一石山から先も何となく人の歩いた踏み跡のような物も現れて、かつての全く道のない状態とは違いました。また、有名になってしまったミズナラの巨木の周囲には「巨樹の会」「東京都水源林事務所」による「巨樹の周囲には近づかないでほしい」との看板も立てられていました。周囲を倒木で目立たぬように囲んだ様子は控えめで一点の不快感も人に与える物ではありませんが、「僕達だけが知っているは巨樹」という訳にはいかないのも事実です。下山にとった道は「タワ尾根中段歩道」です。この山域、タワ尾根にも小川谷にもヒッソリと作られた原生林の巡視路が縦横に走っています。小川谷上流にもきっと秘密の素敵な場所があるはずです。ミズナラを見つけたように、それを見つける登山もしたいと思いました。

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富士山雪上訓練

雪の富士山からまた新しく雪山登山者が生まれる
雪の富士山からまた新しく
雪山登山者が生まれる

 以下の者は、2008年12月13日〜14日、富士山五合目から七合目でおこなった雪山雪上訓練に参加し、七合目上まで登高したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 富士山雪上訓練。本格的な雪山登山をおこなうう者が、必ず経験し、ここから巣立っていくフィールドです。今回、おこなった訓練は、何よりも登山靴をしっかりと履きこなすこと、アイゼン、ピッケルを手足の一部のように感じて使いこなすことを目的としました。アイゼンを可能なかぎりフルフラットに置くこと、そのために足の置きかたから工夫すること、ピッケルを絶えず山側に持ち、バランスを保持するとともにイザという時は瞬時にピックを斜面に突き刺すこと・・・、これらは繰り返しの練習によってしか習得できません。今回の訓練で習得したことは、何れも基本中の基本にすぎません。しかし、この技術は雪山の低山から8000mの高所に至るまで変わることのない基本動作です。初心者もベテランもこの原則を守って登ることが大切です。今回の富士山は、ここ10年、12月では経験のない大量の降雪の中の訓練でした。また、極めて高い気温の中で行われました。初日のキックステップの効かない凍結した斜面と、二日目の衣服に着くと融けだす春の雪のような中での訓練との対比、一日の中でも時々刻々と変わる気温と雪質等、貴重な経験をすることもできたと思います。富士山雪上訓練で大切なことは基本的な動作を実際の登山の中でも常に意識し、「富士山雪上訓練のための訓練」ではなく絶えず実践することが安全で快適な雪山登山の大切な点だと思っています。この富士山を出発点に大きな雪山に挑戦していただければ幸いです。

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北横岳

頂上直下から背後に雲海と八ヶ岳が大きい
頂上直下から
背後に雲海と八ヶ岳が大きい

 以下の者は、2008年12月9日〜10日、北八ヶ岳の盟主である北横岳(2480m)に坪庭から北横岳ヒュッテを経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

すっかり雪景色となった頂上の木々
すっかり雪景色となった
頂上の木々

 山の冬は行ったり来たりを繰り返しながらすこしづつ本物の冬になっていきます。この忘年会を兼ねた北八ヶ岳の訪問は、奇妙な暖かさの中にありました。ロープウェイから見えていた八ヶ岳の山々、南アルプスが急激に沸き上がってくる雲に閉ざされ、歩きだして僅かで、衣服に着くなり溶けるような霙の中を登りました。コメツガ、シラビソの森が、それでもすこしづつ白くなっていきました。やがて煙を上げる煙突。淡く灯る光。一夜の宿がありました。
 凍りついた窓に点々と光る星。紫色の空が明るくなる中、前夜に降り積もった雪がタンネの森を白く飾っています。朝食を一時間遅らせてもらって、まだ踏み跡のない斜面を登っていきました。登るごとに開けていく展望。背後に金峰山が見え、八ヶ岳が見え、南アルプスが見え・・・、そして佐久盆地一杯に広がる雲海が見えました。三角点のある南峰。そこで、まだ生まれたばかりの光を受けてオレンジ色に光る木曽御嶽山、乗鞍岳が大きくありました。その右手、まさしく銀屏風のような槍、穂高を筆頭に北アルプスの山々が待っていました。本来、雪の日の翌朝は身を切るような寒風の中にあるはずが、穏やかな微風の中に白い山々は輝いていました。
 北八ヶ岳は、高い標高と、美しい森林の穏やかな雪山が楽しめる素敵なフィールドです。この最初の一歩を機会に様々な角度から、この山に挑みたいと思います。

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谷川岳雪上訓練

広大な谷川岳の大雪原
広大な谷川岳の大雪原
今年も雪山登山者が生まれた

 以下の者は、2008年12月6日〜7日、天神平でおこなった雪山雪上訓練に参加し、熊穴沢避難小屋から肩の広場を経て谷川岳(1963m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年最初の本格的な初心者向きの雪上訓練となった谷川岳雪上訓練。谷川岳は豊富な積雪と、比較的高い気温の為に厳しいバーンが形成されにくいことから初心者の雪上訓練に最も適した場所です。今回の講習ではキックステップ、アイゼン歩行、ワカンによるラッセル、滑落停止等の基本的な雪上技術を覚えていただく事が第一でしたが、それと同時に雪山を肌で感じていただくこと、「雪」と一言で言ってもサラサラの状態、固く凍結した状態、ベトベトと湿気を含んだ状態と絶えず変化すること、そして、それに併せた歩き方等があることを知っていただくことが大切と思っていました。また、実際の雪山では登ることと同じ程度に雪山の中で生活すること・・・、テントを張り、水を作り、食事をして、眠る・・・、これが快適にできることも極めて重要です。こんな事が体験でき、雪山に向かう自信が獲得できれば嬉しく思います。
 一瞬も止まない雪の中、ハラハラと落ち続ける雪の中をヘッドランプと共に登った谷川岳でした。しかし、その中で感じたことは、この雪山登山の第一歩とも言うべき谷川岳の雪上訓練と天神尾根からの登頂というオーソドックスなプランが極めて少数の者しか行っていないと言うことでした。登頂に向かったパーティーは僅か、しかも、何れもが何らかの意味でガイドの知り合いでした。天神平スキー場の閑散とした様子と併せて雪の中で行動する人が少なくなっている、新しい人を生み出す場がなくなっていることに心配を感じました。しかし、誰も踏んでいない雪面を自分達が最初のトレースを付けて辿る嬉しさは、やはり雪山独特のものです。最後の広大な斜面を真白なガスと雪の中を登っていく中で突然、前方が開けて青い空の見えた嬉しさ、海老の尻尾が一杯に付いた頂上の標識の前に立った感激は小さい物ではりません。小さな、ささやかな最初の雪山の一歩。これを大切にしていただければ幸いです。

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大菩薩・黒川山

黒川山から見る大菩薩はとがって見える
黒川山から見る大菩薩はとがって見える

 以下の者は、2008年12月2日、大菩薩連峰北端の黒川山(1710m)に新横手峠から登頂し、更に山梨百名山・鶏冠山にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

北面はすっかり冬の様相
北面はすっかり冬の様相

 全然、想像していなかったいきなりの冬の気配。バリバリに凍った林道、全ての葉を落とした、独特の眺めのミズナラの森。そして、寒さと共に急激に冴えた展望。柳沢峠を越えた車中からも真青な空に映えた多摩川水源の山々が手の届きそうな近さで眺められました。黒川山は大菩薩の北の端の山です。稜線から下を見下ろすと多摩川沿いに走る青梅街道の唯一の集落・落合が箱庭のように見下ろせます。黒川山は武田家の財力を支えた黒川金山の上に立つ山です。鶏冠山の山頂直下・黒川谷にあった金鉱は一時期は千人を越える坑夫が働いていたと言われています。その閉山に伴う、口封じのための惨殺の言い伝えの印象は何か、この山を暗いものに感じさせていましたが、それとは正反対の明るい雰囲気に満ちていました。大菩薩嶺が塩山の町中で見る茫洋とした山容とは対照的に尖った三角錐の姿で見えていました。登るほどに頭を出してきた真白な富士山。その右手に銀屏風となって立ちはだかる南アルプス。黒川山の三角点の先、展望台からは圧倒的な展望がありました。この展望台の特徴は奥秩父の主脈が雲取山から金峰山まで全て見えること。とりわけ真っ正面に多摩川水源の山々を見て黒々と連なる山脈は重厚な厚みを感じさせる展望でした。鶏冠山への道は凍りついた雪の中に続きました。鶏冠山とは、ここから始まる小さな岩峰の連なりが、遠くから眺めたとき、あたかも鶏冠を想わせる所から付いた名前です。凍った岩場に苦労して到着した山頂は周囲を切り立った岩壁で固められて大菩薩の中では異色のピークでした。あれほど晴れ渡っていた空が突然、曇りだし、周囲はまた違った冬の顔になりました。冬の大菩薩、雪の大菩薩を楽しんだ一日です。

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光岳から転進甲武信岳

えっ!これが晩秋の甲武信岳?まるで北八つの冬
えっ!これが晩秋の甲武信岳?
まるで北八つの冬

 以下の者は、2008年11月29日〜30日、奥秩父の中核である甲武信岳(2475m)に千曲川水源から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 南アルプス最南端の名峰・光岳に向かっていた。途中の中央道から見上げる南アルプス、中央アルプスはすでに真っ白。最近の暖冬傾向の中では正月に匹敵する積雪の中だった。「ここも、本当に日本なの?」と言いたくなる遠山郷・下栗、上栗のネパールを思わせる光景。そして、「慎重に、慎重に・・・」と運転していた真新しいスタッドレスタイヤのクルマ。それが北又渡の発電所を僅かに見えるあたりでパンク。スペアタイヤでの易老渡までのアプローチの困難を考えて転進したのが「風の谷」のベースキャンプ・甲武信岳。スーパーで買い物をして、一時近い毛木平を歩きだした所は既に一面の雪だ。つい10日前に歩いた千曲川水源の道。全く様相を変えていた。ナメ滝手前で全く地面を見なくなり、「美味しい水の平」は雪の間から顔を出していた。だんだん迫る夕暮れ。僕がいつも「最も奥秩父らしい流れ」と呼んでいる千曲川水源の碑の手前のシラビソの森の中の流れはすっかりと雪の下だった。一面の雪と夕暮れの気配に満ちた水源の碑。そこからの最後の急斜面をボコリボコリと膝近くなった雪の中を歩いてついた奥秩父主脈縦走路。強い冬型の気圧配置に変わったのか目の前に夕暮れ色に染まった大きな山のような雲の塊がグイグイと大きく成長していた。小屋の前に張ったテントの前の温度計は夜はマイナス11度。樹氷の森の中の朝の山頂。おそらく20年ぶり位の本格的な冬の気配、寒い冬の訪れとなった11月最終日の甲武信岳だった。光岳。今度は春に絶対に再挑戦!

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笹子雁ヶ腹摺山

えっ!これが晩秋の甲武信岳?まるで北八つの冬
えっ!これが晩秋の甲武信岳?
まるで北八つの冬

 以下の者は、2008年11月26日、大菩薩連峰南端にある笹子雁ヶ腹摺山(1382m)に新田から尾根伝いに登頂し、御坂山塊との境をなす笹子峠へと辿ったことを証明します。

氏名 風 の 谷

 前夜、そして前日の雨が地面を濡らしそれが小春日和の陽差しにポカポカと湯気を上げる・・・そんな中の登りでした。道の片側は残念ながら、杉、檜の植林でしたが、もう片方は明るい雑木林。絶えず初冬の陽差しの中を登っていきました。すっかりと葉っぱを落とした雑木林は木々の向こうに道志、御坂の山々が登るほどに現れてきました。もともと、本来の甲州街道が通っていた笹子峠の横に通る尾根。その山の中には甲州街道、中央高速、JR中央線のトンネルが走る「見えない交通の要衝」である場所でした。絶えず微かにクルマの音が聞こえ、里の物音が聞こえる人臭い山ですが、それが、この季節には妙に楽しく感じられました。谷を挟んだ本社が丸、鶴が鳥屋山の間にポッカリと白い頭を出した富士山。それが見る見るうちに大きく成長し、吉田大沢を中心にテラテラと光る本格的な冬の姿を見せていました。最初から急だった道は、途中のピークを越えるとアキレス腱の伸びきりそうな急斜面へと変わります。真青な空に向けてクヌギ、コナラの美しい樹林の道が伸びていました。そして、最後の本格的な坂の上に狭い素敵な山頂はありました。頂上に立つ瞬間に甲府盆地の上に白く輝く南アルプスの山々。とりわけ北岳から荒川岳にかけての高い連なりは見事なものがありました。不機嫌そうな雪雲を纏った八ヶ岳もありました。そして、お坊山、米沢山とキツネ色の暖かそうな雑木の斜面の後に「風の谷」がこの間、足しげく通った南大菩薩の山々、そこから連なる小金沢連峰、大菩薩嶺へとながながと尾根が続くのが見えました。山頂付近は、この間の雨が雪だったと見えて白く化粧し、来るべき本格的な雪の季節を思わせました。何も付かない「雁ヶ腹摺山」、牛奥の雁ヶ腹摺山、御坂の日蔭雁ヶ腹摺山、そして今回の笹子雁ヶ腹摺山。雁の飛翔コースを名付けた旅情をそそる山名の山は、やはり素敵でした。

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北岳

八本歯からバットレス
八本歯からバットレス

 以下の者は、2008年11月22日〜24日、南アルプス最高峰・本邦第二位の標高を保つ北岳(3193m)に奈良田からアルキ沢橋、池山小屋を越えてボーコンの頭を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

間ノ岳、農鳥岳に向けて前進
間ノ岳、農鳥岳に向けて前進

 標高差2000mを制してやっとの思いで這い上がったボーコンの頭下のデコボコのテント場。ヘッドランプと共に前日に付けたトレースを辿った僕達の背後に真っ赤に富士山の背景を染めて昇る太陽。その下に輝く駿河湾。最高の夜明けをグイグイと間ノ岳、農鳥岳を目指して登っていきました。ボーコンの頭に飛び出した途端のドカーンと音を立てそうな迫力で迫る北岳本丸。その前に僕達の前進を拒むかのようなバットレスの壁。何れもが真っ白に雪を付けて聳えていました。ここまで絶対に三山を縦走する、必ず今日の内に大門沢下降点までヘッドランプを点けてでも前進するという目標が揺らいできました。真っ白に積もった雪。しかも、11月の雪は岩の上にフワリと乗り、アイゼンの歯が岩に届くまで確実に潜り、ボコリボコリと重荷を背負った僕達には厳しい行動を強いました。先頭を頻繁に交代し進んでいくに連れてグイグイと迫ってくるバットレス。八本歯の稜線はまさしく間違いも無く本格的な雪山の条件でした。その中を今シーズンも誰もいない貸し切りの白峰三山を独占している喜び、こんな素晴らしい世界に世の登山者は何処で何をしているのか?といぶかしがりながら自分達の幸福を噛みしめていました。昨日から分厚い雪雲に支配された八ヶ岳。この白峰三山が防波堤となりまだまだ黒い部分の多い鳳凰三山。これらを見ながら一生懸命ラッセルを続けました。ほとんど埋まったハシゴを越えて北岳山荘へのトラバース道を分け、本格的な稜線の風が吹きすさぶ山頂への分岐に辿り着きました。ザックをデポし、ザイルだけを担いで目指した山頂。仙丈ヶ岳や中央アルプスが雪雲に隠れ、稜線をガスが去来しだした中、山頂は僕達の前にありました。本来は出発点となるはずだった3193m。しかし、精一杯の体力と雪の厳しさに残念ながら到達点となりました。初冬の雪山には厳しすぎた北岳。素晴らしい山頂でした。

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甲武信岳

千曲川水源近し
千曲川水源近し

 以下の者は、2008年11月18日〜19日、奥秩父の中核・日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に信濃川源流をつめて登頂し、長野県・埼玉県の県境の尾根を埼玉県最高峰・三宝山(2483m)、武信白岩山、大山と辿り、十文字峠へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

三宝山からは海が見えた!
三宝山からは海が見えた!

 十文字峠に降りてきた時、ハラハラと風に乗って風花が舞ってきました。「やまあるき」で今シーズン初めて自分達の上に降ってきた雪でした。今年最初の本格的な寒さ、寒波の襲来の奥秩父でした。初夏、ほぼ同じコースを二泊かけて逆に歩きました。その時は、シャクナゲの中を歩き、梅雨時独特の霧のような雨の中を濡れてピカピカ光った緑の中にありました。晩秋から初冬へと移り変わる奥秩父は、また、違った顔をしていました。アプローチで見た南アルプスと八ヶ岳。吹いてきた季節風の中で徐々に霞みだし、やがて吹き出しの雲の中へと隠れました。真青な空の中に吹き飛ばされたような雪雲が混じり、時折、強い風の音を聞かせてくれます。日本で一番長い川・信濃川が左右から支流を合流させ、川から谷、そして沢へと小さくなっていく中を歩きました。カラマツの植林がコメツガの森に代わり、それがシラビソ中心になるころ、苔むした沢床の上を嘗めるように流れる源流へと変わりました。そして、全く水音がしなくなり、辺りを完全な静寂が支配する頃、水源に着きました。そこから山頂へと辿った道。奥秩父本来の森の中でした。山頂は強い風と360度の展望の中にありました。しかし、相変わらず南アルプスと八ヶ岳、北アルプスは分厚い雪雲の中にありました。翌朝、マイナス11度の中の歩きだし。まだ寒さと強い風に慣れていない身体には驚くほどの寒さに感じられました。三宝山からは遠く海が輝いて見えました。強い風と冷たい空気は澄みきって、奥秩父の一つ一つの山肌と切れ込んだ谷筋が見事でした。十文字峠に向けての尾根の東側・埼玉県側は首都圏最大の原生林であり、僕がライフワークとして登り続けた荒川水源の谷があります。原生林と谷。奥秩父はこれから長い静寂の時を迎えます。

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西穂高岳

 以下の者は、2008年11月15日〜16日、北アルプス穂高連峰南端の西穂高岳を目指し、独標(2701m)を越えてピラミッドピークまで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

ミゾレの中、ピラミッドの下
ミゾレの中、ピラミッドの下

 晩秋の山は難しい。二週間前、文化の日の五竜岳でいきなり訪れた冬山に気をよくして、風雪と大展望の穂高を独り占めするつもりで訪れた西穂高。しかし、雨の予報と、想像以上に暖かかった気温のせいで、なんとも締まらない冬山となってしまいました。ロープウェイ終点で道に凍りついた雪にスベリながらの歩きだし、でも、一歩山に入れば紛れもない北アルプスの初冬の光景がありました。「今日、行けるところまで行かなくちゃ、明日はダメ。」の予想の下に、ソソクサとテントを張り、ソソクサと歩きだした西穂山荘前。シッカリ付けたアイゼンは、ゴロゴロ石にはなじまずツボアシに。降り出した雨は手袋を濡らし、、なかなか辛い登りとなりました。急斜面の登りを息せき切って登り切り、辿り着いた独標。アイゼンを付け。アンザイレンして辿る濡れた岩尾根。本当にアイゼンを付けた方が良いのか?迷う中に、次々と現れるヤセ尾根。ガリガリと岩の上を滑るアイゼン。ツルツルの岩には馴染まない鉄のツメ。少しづつ、ミゾレとなり顔に当たるツブツブが痛い。時間は既に3時を回り、一年で最も陽の短い時期。踵を返しました。
 そして、夜半から本格的な雪。サラサラ、パラパラとフライを打つミゾレor雪の気配。所々に土を出して、秋の気配の濃かった西穂山荘前を白く冬景色に変えていきました。これが、本当の根雪になるのか?それとも、その後の雪か?でも、穂高連峰に間違いも無く冬の気配は忍び寄ってきています。
 雪の穂高は北アルプスの中では比較的、強い冬型の影響を受けずに晴天の確立の高い山域です。しかし、切り立った岩壁と痩せた岩稜。強い風と寒さは冬山の一つの目標です。冬の前穂高北尾根。西穂〜奥穂間等は「一歩上を目指す」者にとっては、必ず通過しておきたいルートと言えるでしょう。「本気の雪山」を目指して!いつか、きっと!

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金峰山

頂上近し
頂上近し

 以下の者は、2008年11月11日〜12日、奥秩父の王者・金峰山(2598m)に川上村の廻り目平より中の沢出合いを経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

あたり一面霧氷
あたり一面霧氷
スンゴイ夕焼け
スンゴイ夕焼け

 カラカラ、バラバラ。二日目、二度目の金峰山山頂に立ち、下山する僕達の頭上に白く光る樹氷、霧氷のカケラが落ちてきました。小淵沢から廻り目平を目指す車中、所々で白く霧氷の着いた木々を斜面一面に広げた小海線沿線の山々を見て、不安と期待で一杯になりました。「山はまだまだ晩秋だと思っていたけれど、すっかり冬なんだな・・・・。」。まだ寒さに慣れていない11月の身体に染み渡る風。高く曇った空から時折注ぐ鈍色の陽の光。しかし、それは暖かさを思わせるより、一層の冷たさを感じさせました。紅葉の最後を飾るカラマツの黄色い針。急坂の登りにも汗ばむことのない身体。カラマツからシラビソ、五葉松、奥秩父らしい森を抜けて飛び出す金峰山小屋。そこからの景色は、いつにも増して素晴らしい物でした。正面の八ヶ岳、煙を上げる浅間山。そして、「明日、ダメだったときの用心に・・・」向かった山頂への道は、素晴らしい霧氷と海老の尻尾の中にありました。一歩、また一歩と開ける眺望。北岳が見え、甲斐駒ヶ岳が見えて、やがて、全ての南アルプス、木曽の御岳、北アルプス北部の真っ白な山々。それらが霧氷のトンネルの上にありました。山頂からは、大菩薩の上を雲が滝のように越えていくのが見えました。八ヶ岳と中央アルプスを真っ赤に染めて沈む夕陽。これこそが、最も見たくて来た金峰山でした。翌朝、時折、あたりを暗くするガスは、昨日の霧氷をもっともっと成長させました。昨日より暗い空。しかし、一方で一層の迫力で見えた山々。季節の針がコトリと、また、一歩進んだのを前進で感じさせられた朝の金峰山でした。

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乾徳山

 以下の者は、2008年11月5日、奥秩父最高峰・北奥千丈岳から南へと伸びる支稜の名峰・乾徳山(2041m)に大平牧場跡から扇平を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

扇平周辺の明るい草原 頂上近し!乾徳山の岩場
扇平周辺の明るい草原からは
山頂が大きい
頂上近し!乾徳山の岩場

 実は、過去何回も「風の谷」で乾徳山を訪れて晴れたことも、展望があったことも無い・・・。そんなわけで、僕自身、この山に登って、その明るい展望と紅葉した木々の美しさ、変化に富んだ山容に嬉しくなってしまいました。つい、数年前まで放牧した牛の顔色をうかがい、「こっちに向かってきたら、どうしよう・・・」と恐れながら歩いた大平高原、大きな広がりを見せる国師が原から扇平にかけてのカヤトの草原。その草原の山火事の跡と、その上に居並ぶ奥秩父の黒々とした山脈。振り向けば南アルプスと富士山の明るい展望。本当は素晴らしい展望の山であることを改めて知りました。塩山から大平に向かうクルマの窓から見た恵林寺。その開祖・夢想国師が修行したのが乾徳山。あの岩場で修行(何をしてたんだろう?)して「心頭滅却すれば火もまた涼し」との言葉(意味がわからん)、を残したそうでした。その岩場がまた、奥秩父の中ではなかなかのもので、しかも、多くの人が上り下りするためか、やたらに磨かれて、それなりに恐い物がありました。その岩場のドンヅマリ・・・とりわけ切り立った大岩の塊こそが山頂でした。文字どおりの360度の展望。ちょっとウロウロすると回りは屹立した岩壁。本当の絶頂に山頂はありました。帰りの下山路も必ずしも歩きやすくない岩だらけの道。それだけに飛び出した草原と、そこでジッとこちらを見る鹿と目が合ったときのホッとした気分は最高でした。
 かつては、多くの人が歩いた乾徳山から国師ヶ岳への登山路。その中で前に大きく聳えた黒金山にも、いつか登ってみたいものです。

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五竜岳

快晴の下、五竜を目指す
快晴の下、五竜を目指す

 以下の者は、2008年11月1日〜3日、北アルプス・後立山連峰の重鎮・五竜岳(2841m)に、遠見尾根を地蔵の頭、小遠見山、中遠見山と辿り、大遠見の池にベースを設け、白岳から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

今シーズン最初の本格的な地吹雪
今シーズン最初の本格的な地吹雪

 いきなりやって来た冬山。先週の今頃は、中腹には全く雪が無かったはずの北アルプス北部。その後に訪れた比較的強い、連続する冬型は山々に雪を降らせ、今年最初のステキな雪山を与えてくれました。過去、二回に渡って豪雪によって登頂どころか、その姿さえも見せてもらえなかった五竜岳。晴れ渡った快晴の下、地蔵の頭、見返り坂、一の背髪を越えて出逢った五竜岳の雄姿。「武田菱」と呼ばれる黒々とし雪を付けない山頂直下のトレードマークの岩を正面に、既に微かに雪煙を上げた姿は、到底、翌日に登れる山には見えなかった。小遠見、中遠見を越えて、二重山稜が無風のテント場を提供してくれる大遠見の池上の「風の谷」のテント場。カーンと冴え渡った寒さの中に五竜岳への道は始まった。前回、前々回共に、ここから先、強烈なラッセルを強いられた所は、幸か不幸かトレースがあり、しかも積雪自体は多くなく、夏より楽に細くなっていく稜線をジリジリと登り詰めて行った。白岳が近づく頃、冬型が強まったか、小さな前線の通過か突然、現れた黒雲。一気に視界を閉ざされた山頂と白馬岳にかけての展望。白岳に飛び出した途端の冬の風の洗礼は、今年、最初の雪山の合図だった。五竜山荘前からはザイルを付けて、ジリジリと見えない山頂を目指す。夏道を覆う雪。急峻な斜面のトラバースは小さな失敗も許されない急斜面となって延々と続いた。所々で先行者のトレースも消えて、判然としないルートを捜しながら、頂上直下の岩場を登る。稜線から黒部側に僅かにズレて、小さな雪庇の張り出した五竜岳山頂はあった。
 何回かの「風の谷」の挑戦を退けて、とうとう登頂した初冬の五竜岳。かつて格闘の思い出が一杯詰まった、本当に美しい山・鹿島槍ヶ岳の北壁を正面に見据えて、素晴らしい登りが続いた遠見尾根。登れて本当に嬉しかった今シーズン最初の雪山だった。

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大菩薩・小金沢連峰

 以下の者は、2008年10月29日、大菩薩・石丸峠から南へと伸びる小金沢連峰を石丸峠から狼平を経て小金沢山(2014m)、秀麗富嶽十二景の一つ牛奥の雁ヶ腹摺山、川胡桃の頭、一等三角点の黒岳(1987m)、草原の白谷丸と登頂し、湯の沢峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 東京から西の空を見るとき、大菩薩から左に一定の高さを保ちながら黒々と伸びる大きな尾根。これが小金沢連峰です。草原の明るい石丸峠を出発点に広々とした狼平を越えて南へ南へと伸びる長大な尾根は、実際に歩いてみて、まるで富士山に向けて真っ直ぐに向かっていく尾根でした。右に新雪を被った南アルプス、左に奥多摩から丹沢、御坂の山々を眺める展望の道は、草原から奥秩父を思わせる原生林、そして再び草原、肩まで隠れるクマザサの道、またまた草原から原生林と大きな雰囲気の中に雄大な縦走が楽しめました。この秋、一番の冷え込み、その中にピーンと冴え渡った空気は絶えず真青な空と遥かな展望を与えてくれました。風が吹き渡ると草原が動物の群れのように動き、笹はピカピカに光っていました。最後に白谷丸から前には、この小金沢連峰より一段低く、さらに広大な広がりを見せる南大菩薩が、つい二週間前に訪れた時とは違う山のように広がっていました。
 かつて、小金沢連峰は大菩薩の中でも屈指の困難なルートと言われていました。今ではタクシーのやってくる湯の沢峠。ここまで登りで4時間弱。そこから始まる縦走でした。今でも倒木、縦横に走る獣道と未整備な登山道は、もっとか細く、エスケープも無しでした。山腹を林道が走り、左右に電源開発のダムができても、その静けさが変わらないことを嬉しく思います。

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大菩薩・牛の寝通り

所々に点在する巨樹
所々に点在する巨樹!

 以下の者は、2008年10月28日〜29日、大菩薩東端の牛の寝通りを松姫峠から鶴寝山、大マテイ山を越えて大ダワからショナメを経て狩場山を巻き、榧の尾山(1429m)に登頂し、石丸峠まで縦走した後、大菩薩峠まで辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

真っ盛りの紅葉のトンネルの中を行く
真っ盛りの紅葉のトンネルの中を行く

 四方にルートを延ばす大菩薩の中にあって牛の寝通りは最も美しいルートとして「風の谷」が何回となく訪れる尾根です。その尾根が最も輝くのが紅葉の時期。今回も松姫峠付近で色づき始めた紅葉は、石丸峠下では大部分が落ち葉となっていました。最初はシットリとした色とりどりの紅葉とまだ残った緑色との明るい色合い。それが登るに従って黄色と赤が濃くなり、最後、石丸峠付近ではカラカラと白く明るいダケカンバの丸裸の森へと変わっていく・・・、そんな中の一日でした。登るに従って足元には落ち葉が厚く降り積もり、カサコソカサコソと言う音は徐々にガサゴソと元気な音へと代わり、賑やかな山となりました。乾いた晴天の中の一日は、この秋の幸運を全部奪うような見事な展望を見せてくれました。歩きだした松姫峠からの白く粉でも蒔いたような大きな富士山。そして雲取山から飛竜山を筆頭ら北に黒々と伸びる多摩川水源地帯の大きな山並みが見事でした。松姫峠から榧の尾山。実に6km以上に渡って、どこまでも続くような標高1400m前後の広々とした稜線の上下。緩やかな上り下りは山上の公園のようでした。あらためて感じたのはブナ、ミズナラの大きな木々が数多く元気にあったことでした。ちょうど良い色合いに黄葉し静かな風を受けてサラサラとステキな音を立てていました。榧の尾山から石丸峠にかけての打って変わった登り!濃い色となった紅葉は最後にはまばらとなり放り出されるように急に西風の吹き出した明るい草原に飛び出しました。大菩薩の中でも最もステキな牛の寝通り。この秋も最高でした。

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三つ峠岩登り講習

二日目、沢山のルートを登攀した
二日目、沢山のルートを
登攀した

 以下の者は、2008年10月25日〜26日、三つ峠の岩登り講習会に参加し、アイゼン・手袋での冬期登攀の練習を行なった上で屏風岩の多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 やはり、本チャンに向けての最終的なトレーニングは本当の山の中でやるべきだな!と実感した三つ峠の岩登りでした。日和田山のような平地の続きのような場所の練習と違い、寒さに震え、雨の合間をぬい、着膨れして行なうアイゼン・手袋での登攀は、やはり実際に近いものがありました。適当にやっても登れてしまう岩場と違い、キチンと原則を守り、確実に登れば必ず登れる、という確信が持てたことと思います。実際の冬期登攀では更に厚着をして足も上がりづらく、手袋も分厚い物を使用する大変さはあっても、凍てついた岩壁はアイゼンを確実に捉え、ピッケル等を手がかりとして使えます。感覚としては練習よりは遥かに登りやすいとの印象を持つことと思います(実際の岩場は、あんなに難しい所は登らないし)。二日目、予報を大きく裏切った悪天と寒さで厳しい練習となりました。出端をくじかれた思いの雨でしたが、それでも何回も実際のルートを登攀して腕を磨けたことと思います。土曜日は山頂付近のみが白かった富士山ですが、日曜日の夕刻、全貌を現した富士山は七合目から上を白く化粧させて驚くほどの美しさでした。
 岩登りの練習は、終わって強い筋肉の疲労と共に「俺はヘタだな。でも、克服すべき課題は判ったぞ!」という感じが一番良いと思います。そのためには、できるだけ多くのルートを登ること、沢山の失敗をしてその克服の方法を知ることだと思います。冬に向けて頑張ろう!

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稲子岳

稲子岳山頂付近からは天狗岳が大きい
稲子岳山頂付近からは天狗岳が大きい

 以下の者は、2008年10月21日〜22日、北八ヶ岳佐久側の不遇のピーク・稲子岳(2380m)に稲子湯からシラビソ小屋に宿泊し登頂し、カモシカが原を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

カモシカが原
カモシカが原

 コメツガ、シラビソの創り出す奥深い森の中に点々と彩りを添えるダケカンバ、ナナカマド、カラマツの赤や黄色。それがハラハラと散りばめられた中を歩きました。稜線から離れ、南壁、東壁の崩壊の激しい岩壁以外には目立つことのない不遇のピーク・稲子岳。シッカリとした登山道さえない原生林の中に付けられた細々とした踏み跡の上にどこが山頂かも判らない広々とした頂上はありました。手が届きそうな近さで聳える東西の天狗岳、爆裂火口を大きく見せた独特の荒々しい硫黄岳、その肩に頭をほんの僅かだけ見せる赤岳。そして佐久盆地を挟んで大きく立ちはだかる金峰山から甲武信岳にかけての奥秩父の山並み。秋の乾いた冷たい空気の上に大きく見えました。そして訪れたカモシカが原。稲子岳より更に怪しい踏み跡。突然、原生林が切れて放り出された小広い空間。四方を岩壁と急斜面で囲まれて見上げた空には秋ならではの巻雲が真青な空に流れていました。原に降り立ったとき、ジッとこちらを睨む者あり。その名の通りカモシカのお出迎えでした。稲子岳の山頂もカモシカが原、そしてシラビソ小屋の裏に静かにあった苔庭も全て僕達だけの空間でした。この静寂の空間に溶け込むようなシラビソ小屋。シーンという静寂が徹底していて、夜は鳩時計の音だけが聞こえる世界でした。北八ヶ岳は森と小さな湖と所々で突然に見られる展望がステキな世界です。これから雪が岩を埋め、楽しいメルヘンの世界が広がります。

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石津窪

今年最後の沢・石津窪の大滝
今年最後の沢・石津窪の大滝。
しっかりと濡れました。

 以下の者は、2008年10月19日、奥多摩秋川流域入口の山・戸倉三山最高峰・市道山(795m)に盆掘川・石津窪を出合いから大滝を越えて水源まで遡行し、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年の春、前日までの大雨のため和名倉山に向かう和名倉沢の遡行を中止し、この石津窪に転進をしました。今年の沢始めが石津窪であったように、今回の「沢納め」も逆川の遡行からこの石津窪に転進して行ないました。10月の大まかな予定を立てたのが8月末。その頃の感覚と実際の10月の末に行なう沢登とのギャップの結果です。「濡れたら辛いな・・・・」。そんなことから水流を一跨ぎでき、そのくせ大きな直登可能な滝の連続するこの沢に足を向けさせました。この石津窪のある盆掘川は不思議な谷です。武蔵五日市から徒歩30分。沢戸橋が秋川からこの谷の分かれる場所です。標高800m前後、五日市の町中から見てもほんの裏山でしかない戸倉三山。その中には無数とも言える遡行可能な沢が秘められています。可愛い出合いのゴルジュが楽しい棡葉窪。大きな滝が連続する伝名沢。やはり出合いに大滝をかけて事故の絶えない三郎の岩道沢。そしてこの石津窪。何年おきかの伐採等でしばしば遡行価値がなくなる白と黒の縞模様の川床の美しいオリソコナイ沢。大きな滝の続く栗の木尾沢。盆掘川流域では無いけれど市道山に突き上げるウルシゲ沢。何れも小さく水量も少ない沢ですが、必ずいくつかの大きな滝をかけて緊張の時間を作ってくれます。遡行時間のかかる石津窪以外は遡行し、下降し、次ぎの沢に向かい、一日に何本か登るのがこの流域の楽しみ方です。
 「今年ほど沢に行く回数の少なかった年も無いよね・・・。」そう、今年は入門編のバリエーションルートと簡単な本チャンルートに足しげく通った結果、沢に行く回数が減ってしまいました。次ぎのシーズンはここ二年行っていない和名倉沢、毎回、何故か転進を強いられる恋の岐川、屹立したスラブを登り切る黄蓮谷と必ず雪辱する決意です。沢、焚き火、誰にも会わない何日か。沢登りこそ登山の本質を持っていると信じて!

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日和田山アイゼン登攀講習

 以下の者は、2008年10月18日、日和田山で行なわれた冬期登攀のためのアイゼンでの登攀講習に参加し、併せてレスキュートレーニングを行なったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 フラットソールでの登攀に慣れた者にとってアイゼンを付けた登山靴での登攀は大変、登りにくいものだったことと思います。また、チョークを付けた素手の登攀に慣れた者にとって手袋をした手での登攀は恐かったことと思います。しかし、冬に向けて、実際の登攀に向かう者は、この時期、必ず何回か感覚を掴み自信が持てるまで繰り返し、この練習を行なう必要があります。では、実際に氷雪に覆われた岩場で登攀をするのと今回のトレーニングとは、どのような関係があるのでしょうか?実際に凍結した岩場は、乾いた、下界の岩場よりアイゼンの爪が効くという点においては、現場のほうが楽に感じられるはずです。また、一方で背中に背負った荷物は想像以上に登攀を苦しくするはずです。実際の登攀は否が応でも着膨れし足は上がらず、目出帽であり、ヤッケのフードが視界を妨げ、鬱陶しさを感じるはずです。また、手にしたピッケルやバイルは岩場だけでなく、草付き、泥壁といった現実では多くの困難を与える箇所では上手に使う事でかなり使えるとの印象を持つ事と思います。大切なことは現場では創意工夫を忘れないことです。また、レスキューの訓練では、確保の訓練と、確保の後の仮固定、自己脱出、マッシャー、バッチマン等のフリクションヒッチについて簡単な訓練を行ない、併せて二分の一、三分の一の動滑車の理屈での引き上げを行ないました。二分の一、三分の一については基本的な知識として知った上で、ちょっとした岩場での訓練の際に繰り返し行なう必要があります。フリクションヒッチ等は実際の登山ではしばしば使われる大切な技術です。確実に自分のものとして知っていただければ嬉しく思います。
 吹く風は日毎に冷たくなり冬は、もう目の前。「風の谷」では真剣勝負の雪山登頂プランを目白押しにしています。今回のトレーニングが一つでも役に立つことを願っています。

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南大菩薩

 以下の者は、2008年10月15日、南大菩薩の大蔵高丸(1782m)に湯の沢峠下から登頂しハマイバ丸(1752m)、大谷が丸(1643m)、コンドウ丸(1392m)と稜線を縦走し曲沢峠から景徳院へと辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 山は秋たけなわ。始まりだした紅葉と草モミジ。見上げる南アルプスの山々は山頂部分だけを白く化粧し、すこしづつ間違いなく次ぎの季節に歩みだしていることを教えてくれます。青梅街道の越える柳沢峠から丸川峠を越えて大菩薩嶺に至り、そこから南へ向けて甲州街道まで延々と伸びる大菩薩の尾根。東京方面から良く晴れた冬の夕方に西の空を眺めると奥多摩・大岳山の後ろ、富士山の右側に不機嫌そうに黒々と同じ高さを保ちながら長く伸びる尾根。これが大菩薩から小金沢連峰を経由して南大菩薩へと連なる長大な山の連なりです。南大菩薩は高原状の草原とダケカンバの木、美しい広葉樹の雑木林が交互に繰り返される、この連峰の別天地だと思っています。残念ながら北東気流によるガスがなかなか取れず、富士山、南アルプスを正面に見ながら・・・とは行きませんでしたが、所々で開けた展望と明るい草原はウキウキするほどの楽しい尾根でした。
 湯の沢峠へと開けた林道は、この周囲の山々を大きく変えてしまいました。かつて、僕が少年だったころ、この湯の沢峠へは甲斐大和駅(その当時は初鹿野・ハジカノ)から実に歩行4時間弱、夜行列車を眠い目をこすりながらヘッドランプを点けて辿った道でした。今は廃村になった木賊の集落がまだまだ人がおり、夜明けの灯が部屋にともる中を歩きました。そして、朝の峠に飛び出す嬉しさ。そこから小金沢連峰や南大菩薩へと人は歩いて行ったのでした。日帰りで半日で辿れるのは便利ですが、山も登山も小さくなってしまったのは残念です、実は、この峠近くの草原は、数少なく首都圏に残されてお花畑です。初夏から盛夏にかけてオオバギボウシ、ヤナギラン、シモツケ、ア○モ○ソ○が咲く季節にも再び訪れたいものです。

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鋸岳

鹿窓下のボロボロのルンゼ
鹿窓下のボロボロのルンゼ

 以下の者は、2008年10月11日〜13日、南アルプスの名峰・甲斐駒ヶ岳(2967m)に標高差2200mを誇る険路・黒戸尾根から登頂し、六合の石室から三つ頭、中の川乗っ越し、を経て鋸岳第二高点を越え、鹿ン窓を登り第一高点(2685m)へと至り、三角点ピーク、横岳峠を越えて富士川水源まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

鹿窓を越えて
鹿窓を越えて

 冴え渡った乾いた空気、どこまでも見渡せる展望の中に南アルプスはありました。見下ろす谷は色とりどりに染まり、雲海の上にはブロッケンの様な彩雲が見えていました。沁みだした小さな水流はツララとなってキラキラと輝き、山の短い秋は、冬の入口であることを教えてくれています。人間というのは便利な動物で都合の悪いことはどんどん忘れ、楽しかった事ばかりを頭の中に残すようです。この春、延々たる登りに閉口した黒戸尾根。改めて、その高度差と峻険さを思い知らされました。でも、背後に天気予報を裏切ってグイグイと高くなっていく八ヶ岳を眺め、鳳凰三山と富士山が重なる光景を楽しむ中に七合目への道は過ぎていきました。そして、快晴の二日目、周囲を完璧な展望に囲まれて雪と見紛う花崗岩の砂の甲斐駒ヶ岳山頂に立ちました。そこから目指す鋸岳への稜線。急に細くなった道を右往左往し、白い甲斐駒ヶ岳とは対称的な赤茶けたボロボロとした鋸岳の稜線を目指しました。所々で稜線に食い込む谷は深く、「落ちたらケガじゃないよな」の声が上がります。そして中の川乗っ越しからのガレガレの踏み跡。飛び出した鉄剣のある第二高点からは険悪な岩稜がすぐ近くに見える第一高点へと続いていました。見上げる大ギャップの下をトラバースし稜線にポッカリ空いた鹿ン窓を目指しました。風の吹き抜ける窓。小ギャップ、そして鋸岳山頂である第一高点。脆い岩にボロボロと落石を落としながらの行程でした。鋸岳は数年前にルート整備がされたらしく点々と着く目印とワンスパンのギラギラのクサリがかつての秘境のイメージを変えてしまいました。それでも静かな富士川水源の道、横岳峠への尾根は未開の森が続いていました。

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雲取山

 以下の者は、2008年10月7日〜8日、東京都最高峰・日本百名山の一つ・雲取山(2017m)に奥多摩湖上の小袖集落からブナ坂を越えて登頂し、東京都最大の原生林の中を通る大ダワ林道を日原へと下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 所々に鮮明な色を残して始まりだした紅葉の中、原生林の中を日原へと向かいました。今回の目的は東京都と埼玉県を分けて延々と伸びる県境の尾根・長沢背稜を雲取山から三つドッケまで歩くことでした。この尾根は、アプローチの長いことから山麓に一泊しないと登りにはキツイこと、下降に使うにしてもエスケープがなく、リタイアが難しいことから本当に訪れる者が少なく、奥多摩の中でも最も静かな山歩きの可能な場所です。しかし、夜半から雲取山荘のトタン屋根をバチバチと鳴らして落ち続けた雨は夜明けになっても止む気配はなく、秋の雨天の山歩きには不適当なために日原への道を下降に選びました。一端は止むかに思えた雨は、しつこく降り続け、長沢谷に出るまでカッパはついに脱ぐことはできませんでした。しかし、下山にとった大ダワ林道は東京都最大の規模の原生林の中、日原川本流の源である大雲取谷に沿って付けられ、随所に見上げるばかりの巨樹を林立させ、「日原巨樹コース」として知られる静かな道でした。でも谷に沿った道は、どんなに丁寧に道付けができていても、トラバースに終始する道は絶えず路肩の不安がありました。見下ろす大雲取谷はあちこちに美しい滝をかけて、淵となって流れ、それへと落ち込む支流を次々と渡る道は雲取山周辺では貴重なものでした。長沢背稜に行けなかった残念な気持と共に、大ダワ下のイチイの木の巨木、道端に点在するブナ、ミズナラ、サワグルミの大木、長沢谷手前のカツラの木、その上のミズナラの巨樹、車道に出てからのトチノキと大きな木と、それらの原生林が創り出す雰囲気の思い出は貴重です。雲取山から長沢山を越えて酉谷山、三つドッケへの道。これは、何時の日か必ず歩くつもりです。訪れた奥多摩の秋。曇天にも関わらず遠くまで見渡せる季節のはじまりです。

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雨飾山

ブナ平の見事な森
ブナ平の見事な森

 以下の者は、2008年9月30日〜10月1日にかけて、信越国境の雨飾山(1963m)に小谷温泉からブナ平、荒菅沢、笹平を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

笹平から山頂までは紅葉の素晴らしい高原
笹平から山頂までは
紅葉の素晴らしい高原
日本海!
日本海!

 首都圏の同じ程度の標高を持つ山と比べて、全く違った印象を持つ雨飾山。ハルニレの林立する谷の脇の道は、ひょっと覗き込む簡単に飛び越えられそうな流れの中にもイワナが泳いでいました。登りだした斜面を埋めつくす大きなブナの森、一つ一つの木々や風までが奥深い山の中を感じさせました。標高1700m前後ですでに森林限界を迎え、見渡すかぎりの山の広がりが見事でした。フトンビシと呼ばれる岩壁は冬の豊富な積雪に磨かれるためか谷川岳一ノ倉沢を思わせる大きな広がり岩の塊でした。振り返る山も黒姫山から火打山、焼山と有名だけれど馴染みのない雄大な山ばかりでした。今年の紅葉は早いのか遅いのか・・・・、ブナ平付近の木々はまだ盛んな緑色の中でしたが、荒菅沢から見上げるフトンビシの岩場には点々と紅葉が岩壁を飾っていました。それにしてもナント急な登りだったことでしょう。一端、尾根に取りついて以降、全く緩むことの無い傾斜。ユックリユックリと登りました。そして、飛び出した笹平から山頂にかけての頂上高原はまさに夢の世界でした。天気予報を大きく裏切って広がりだした青空。「あれ、海だよね!」「えっ?まさか?」北に大きく見下ろされる広大な空間は、まさしく何も無い日本海でした。姫川を挟んで北アルプス最北端の山々。既に寒気の通過で山頂付近を所々、白く雪をいただいて遠く、冷たく見えました。笹平は夏には高山植物が2000mに満たない標高にもかかわらず咲き誇り、今は笹の中に点々と紅葉となって色づいていました。再び、急峻な鼻のつかえそうな登りの末、雨飾山の山頂はありました。
 信越国境付近の山々は冬期の豊富な積雪が、豊かな森と谷を創り出す美しい世界を見せてくれています。それはブナの森であり、標高からは信じられない高山植物のお花畑であり、雪に磨かれた素晴らしい岩壁です。妙高、戸隠、黒姫、高妻・・・行ってみたい山がまたまた、増えてしまいました。

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豆焼沢

スダレ状の滝。ここから見えない部分も大きい
スダレ状の滝。
ここから見えない部分も大きい

 以下の者は、2008年9月27日〜28日、奥秩父北面荒川水系滝川の支流・豆焼沢をトオの滝から遡行し、50m大滝、スダレ状の滝を越えて水源まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

今年最後の大焚き火
今年最後の大焚き火

 奥秩父、荒川水系滝川を大きく変えた雁坂トンネル。笛吹川では峠沢を大きく壊し、抜け出た所にちょうど豆焼沢がありました。かつては滝川本流に出合う所から遡行した豆焼沢はしばらくはワサビ沢出合いから、そして雁坂橋の真下にホチの滝がかかるようになってからはトオの滝まで延々と東大演習林の巡視路を辿って登るようになりました。しかし、谷に入った所では一切、車道の音はせず隔絶されたような深山の中に沢はありました。昨年9月の台風と今年4月の大雨で大きく荒れた奥秩父の沢。豆焼沢もほとんどゴーロを持たない沢だったのに下部では所々で土砂の堆積が見られました。次々と現れる水量豊富なナメ滝の連続。そのはてに大滝は今日も大きく落ちていました。高巻いて落ち口がすこし後退し、僅かに大滝が大きくなっているのに気がつきました。そして、今年最後の大焚き火を囲んでの一夜。一気に訪れた秋の気配に焚き火は本当に嬉しいものでした。深夜に雨が降り、その後、満天の星空となり、そしてシンシンと冷えた中に夜が明けました。吐く息が白く、足を浸した水は本当に冷たい物でした。しかし、豆焼沢の本当の良さはこの水源地帯に入ってからにありました。左右から落ちるスダレ状の滝。普段より、やや水量の多い本当にスダレのように落ちる姿はサラサラと音を立てて見事でした。下から見えない傾斜が落ちてからも続く幅広のナメ滝。そして最後の二か所にわたるミニゴルジュ。いきなら飛び出した雁坂峠道からは正面に本来、行くはずだった和名倉山が大きく聳えていました。途中、突出尾根を降りながら登った地蔵岩。飛竜山のハゲ岩。唐松尾山の御殿岩、黒岩尾根の黒岩、十文字峠越えのノゾキ岩、それぞれある、奥秩父の素晴らしい展望台は、遠くの眺めを見る所ではありません。この地蔵岩も遠くの明るい展望以上に足元にくろぐろと食い込む入川の奥深い樹海を見下ろす・・・そんな展望台でした。

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蕎麦粒山

なかなか行けない笙の岩山山頂
なかなか行けない笙の岩山山頂

 以下の者は、2008年9月24日、奥多摩の北端を縁取る長沢背稜の東部にある不遇の山・蕎麦粒山(1472m)に川乗橋から鳥屋戸尾根に取り付き笙の岩山を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

頂上直下のブナの森
頂上直下のブナの森

 この日を境に季節はハッキリと秋へ!そんな乾いた空気の中の一日でした。奥多摩の中でも最も静かな山域、長沢背稜。雲取山から東京都と埼玉県を分けながら長々と伸びる尾根は多摩川・日原川と荒川との分水嶺となって東へと続きます。最後は棒ノ折山から高水三山を経て青梅丘陵で関東平野に没する・・・、そんな尾根です。アブローチの悪さと行程の長さ、それ故に訪れる者の無い世界が続きます。蕎麦粒山はミッツドッケと川苔山との中間にあり、遠くから眺めてもハッキリと判る三角錐の美しい山容と頂上付近のブナ林が見事なステキな山です。今回、鳥屋戸尾根から水源林の巡視路を繋いで登りました。もともと本来の登山道ではない尾根は本来は指導標識もなく、所々で付けられた赤テープと地形図とコンパスを駆使して辿るべき尾根でした。今回、取りついて驚いたのは入口に新しい指導標識ができ、頂上にさえも「鳥屋戸尾根を経て川乗橋」と記した立派な標識ができていたことです。この尾根はかつてから917mピーク付近で滑落、転落による死亡事故が続発し、この2月にも一名が行方不明となったままであり、それなりの注意と判断力なしには容易には取り付けない尾根として僕等は考えていました。実際、地形図で随所で左右から合流する尾根を確認し、現在地を調べながら辿らないと、左右から踏み跡とけものみちが合流してそれなりの緊張感と共にありました。標識を付けるからには登山道として整備して尾根の分岐等には目印を設置する等のことをしないで指導標識のみを設置するのは疑問がありました。山はこの山域では良く手入れされた人工林から始まり、美しい広葉樹と赤松の森、そして、最後の急傾斜の中の大きなブナの森と少し色づき始めた広葉樹がステキでした。澄んだ空気の下で笙の岩山付近からは大きく川苔山と本仁田山、その背後に大岳山から御前山の雄大な展望が見えました。奥多摩に訪れだした秋と歩いた一日でした。

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日和田山岩登り講習

 以下の者は、2008年9月23日、奥武蔵・日和田山の岩場で終日、岩登りの基礎訓練等を行なったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山での岩登り講習会の獲得してほしい事は、岩登りの基本中の基本です。それは、アイゼン・手袋を使っての冬期登攀の練習でも同じ事です。岩登りの経験の全くない者にとって最も基本的な岩登りのルートとされる男岩南面の壁にしても、「いったいどうやって登るんだろう?」との印象を持つはずです。その中で手足を合理的に使い、ザイルを正しく操作して安全性を保ち、登ってみると案外簡単に登れてしまうのではないでしょうか?今回のトレーニングで正しいスタンスの置きかた、様々なホールドの利用、そして何よりも「体重を支え、すこしづつ身体を登らせていく力は足であること」を理解してもらうことが大切です。どんな豪腕の持ち主でも10mの垂壁を腕の力だけでは登ることは不可能です。「手で支えて、足で登る・・・」それがオーバーハングであっても同じです。そして、もう一つ、今回で確実に覚えてほしいことは岩登りのシステムです。まず、メインロープ(時としては、シュリンゲやディジェイチェーン)でセルフビレーを施し(まず、自分の安全を確実にする)、パートナー(トップ)の登攀の確保を準備する。トップはヌンチャク等でプロテクションをとり、墜落に備えながら登攀を行なう。テラスに着いたら、まずセルフビレーをとり、パートナーに「ビレー解除」を伝える。確保者は「ビレー解除」の合図でトップへの確保を解除する。トップは余りのザイルを巻き上げて確保の体勢を作り「登って良いよ」と声をかける。その合図で、セルフビレーを外してプロテクションを回収しながらフォローで登る・・・・。この流れを確実に理解してほしいのです。つまり、一瞬も確保が途切れることが無い・・・、パートナーにビレーをされているか、セルフビレーで自己確保をしているかの何れかの状態が岩壁の中では途切れてはいけないのです。今回の練習を基礎に、実際の岩場と同じ状態で大きな岩壁を登るのが次のステップです。一つ一つ、確実に登攀技術を身につける最初の一歩となれば幸いです。

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剣岳Y峰Cフェース

岩岩岩の八つ峰上部。前にチンネが大きい
岩岩岩の八つ峰上部。
前にチンネが大きい

 以下の者は、2008年9月13日〜15日、北アルプス・剣岳に剣沢から長次郎雪渓を登り、Y峰Cフェース剣稜会ルートを登攀し八つ峰上半からチンネの頭を越えて剣主稜を辿り登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

Cフェースの登攀!

 剣岳の登攀ルートはどのルートを辿っても本チャンルートの楽しさに満ちています。圧倒的なボリュームを持つ剣岳を見上げる剣沢をベースに、雪渓を下り、雪渓を登り、ガレ場を辿り、取りつく岩場。背後に大きく広がる、岩また岩の世界と圧倒的な展望、そしてトレーニングを積み重ねてきた者にとっては意外に容易に登れる岩場とルート判断の難しさ・・・・。そして飛び出す終了点。しかし、そこはルートの一つの区切りではあっても、まだまだ自分達で判断を積み重ねる必要のある岩稜が続く・・・・、それが剣岳の登攀です。登り着いた剣岳の山頂も、けして安全圏を意味せず、気の抜けない一般ルートの下降。そして帰り着く安住の地・剣沢。あぁ、登った。俺も、私もたいしたものだ。それにしても登ったルートがテントから見える・・・、いいなぁ。これが剣岳の登攀の魅力だと思います。
 本チャンルートで良いルートとは何か?登って楽しいルートであること。全行程が終わってクタクタになっても心が満足しているルートであること・・・。と同時に「登って楽しかった、でも、まだまだ足りないところが自分には一杯あるな・・・。」と次の目標に向けて自分をより強くする目標が見えるルートであることだと思います。登攀そのものは充分にこなせても、先行する仲間をいつでも守りきる体制や技術は自分にはあるだろうか?登攀ルートは余裕をもって登り切れても大きな空間のようにも感じられる岩壁の中から自分の登るべきルートを見つけ出す能力、どんな天気でも無事に帰り着く体力、そして、自然の岩場の中で落石等を起こさない能力・・・、一つ一つを考えるとこれから本物のクライマーになるために普段の登山で意識しなくてはいけない課題は山ほどあるはずです。次ぎはチンネだ!そして、池の谷や剣尾根、それらのルートの継続と課題はまだまだ沢山あるはずです。

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上州武尊山

上り坂の回りはキラキラ光る笹の海
上り坂の回りは
キラキラ光る笹の海

 以下の者は、2008年9月9日〜10日、日本百名山の一つで関東を代表する名山・上州武尊山(2158m)に、ほたかオグナスキー場から前武尊山、家の串山を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂近し!周囲はスゴイ展望
山頂近し!周囲はスゴイ展望

 八月後半から延々と続いた悪天。それを一気にはね飛ばす勢いの真青な空。首都圏の登山者にはなかなか馴染みのない群馬から新潟にかけての山々を周囲に眺めながらの一日でした。10度を下回った気温。カラリと乾いた冷たい空気。その中の歩きだしでした。予定していた武尊牧場からの近道が土砂崩れでダメで実に1600m以上まで高度を稼ぐ昔の武尊オリンピアスキー場の上からの道でした。背後に浮ぶ、赤城山から皇海山、日光白根山の眺め、尾瀬から平ヶ岳への広がりと見事な展望でした。シラビソとダケカンバが美しいネマガリタケの緑の上に生える斜面は前武尊山を越えて恐ろしい岩峰の剣が峰をトラバースで通りすぎる頃にはネマガリタケの青々とした森林限界を思わせる遮る物も無い世界へと変わりました。標高は2000mに届くか届かないか・・・。他の山では考えられない標高で木が充分に成長できない豪雪の山なのでしょう。周囲は見渡すかぎりの山、山、山。平ヶ岳のならびに越後三山が、その左に谷川連峰から続く巻機山が、そして浅間山から八ヶ岳、富士山、奥秩父までが澄んだ空気の上に聳え立っていました。足元は痩せた岩尾根からガラガラした細かい岩の斜面、そして池の点在する斜面と絶えず変化に富んでいました。かつて僕自身が親しんだ川場谷を大きく見下ろす笹の斜面をトラバースして飛びだした山頂も見事な展望の中にありました。
 上州武尊山は見事な美しい山でした。残念ながらあらゆる山腹がスキーブームの頃に乱開発されたスキー場が地球の癌細胞のように美しい山肌を汚してはいても山の美しさは最高でした。それと同時にこの周辺の見事な山々。皇海山であり、平ヶ岳であり、四阿山であり袈裟丸山であり・・・、これらの山々が意外に手の届きやすい身近な物に感じられたのも事実です。昔のアプローチの悪かった時代とは違う新しい登山の可能性を探りたいものです。

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越百山

季節はもう秋。ナナカマドが赤い
季節はもう秋。ナナカマドが赤い

 以下の者は、2008年9月3日〜4日、中央アルプス中部の最後の森林限界を越えた山・越百山(2613m)に木曽側から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

伊那谷を挟んで見える南アルプス
朝の山頂からは
伊那谷を挟んで
南アルプスが大きい

 歩き出した少し後に一人の高齢な登山者に会った以外、全く他の登山者に会うことの無い静寂の山でした。中央アルプスとは不思議な山です。南北アルプスと比肩する山容と標高を持ちながら、地味で目立たない山が続きます。一方、木曽駒ヶ岳周辺はロープウェイがかかり、四季を通じて順番待ちの長い行列のできる大人気の山です。しかし、それ以外は花崗岩の美しい白く眩しい山脈にも関わらず訪れる者は少なく、僅かに空木岳周辺にまばらに登山者がいるだけです。中央アルプスは何となく八ヶ岳に雰囲気が似ています。高い山が林立する北部(八ヶ岳では南部)、一転して重厚な原生林の山が続く南部。今回、二日目、二度目の登頂の際に大きく広がる安平路山から恵那山にかけての不機嫌そうな森林の山の連なりを全く別の山脈のように眺めました。高峰の立つ北部、森林の茂る南部。その分かれ目に立つ山が越百山でした。夏半ばから続いた不安定な天気、午後になると山頂を覆うガスと雷雲。初日、越百小屋に到着した後、僅かなガスの隙間をついて登頂した山頂は不機嫌な霧の中でした。そして翌朝、打って変わった晴天の中背後に大きく見える御嶽山と競争しながら白砂の山頂へと向かいました。西側斜面をユックリ登り、遮る物も無い山頂は朝日の中でした。そして、見えた見えた!正面にドカーンと朝日を背に長々と伸びる南アルプス。伊那谷を挟んで大きく聳えていました。正面の南駒ヶ岳が大きすぎるのか、それ以外の中央アルプス北部の山は狩猟線から外れた三の沢岳以外は見えなかったのは以外でした。
 静かで大きな山・越百山。素朴な静かな山小屋、越百小屋。鬱蒼たる原生林と山頂直下で飛び出す森林限界の見事な対比。この冬、アルピニスト講座での二月の挑戦を固く決意させた重厚な山との出逢いでした。

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黒部五郎岳

黒部源流の大きな広がり
黒部五郎岳への道からは
黒部川源流の大きな広がりが

 以下の者は、2008年8月26日〜29日、北アルプス中核・黒部川水源地帯のゴールデンコースを太郎平から北ノ俣岳(2661m)、五郎カールを持つ黒部五郎岳(2840m)、長野、岐阜、富山の三県にまたがる三ッ俣蓮華岳(2841m)、双六谷水源の双六岳(2860m)と縦走しました。

氏名 風 の 谷

五郎のカール
五郎のカールは雲ノ平より素敵!

 北アルプスという名を聞いて、人が思い浮かべるのは岩の殿堂・剣岳であり雪渓とお花畑の白馬であり天空を突き刺す山容の槍、穂高だと思います。それらの山々の山脈の真ん中、黒部川の水源を形作る野口五郎岳から水晶、鷲羽岳、三ッ俣蓮華、黒部五郎、薬師等の山々は山容の雄大さと標高、そこから流れだす急流にも関わらず、比較的静かな、不遇の山としてあります。実際、歩いてみて山の一つ一つの大きさ、展望の素晴らしさ、それぞれの山の持つ魅力に圧倒された感があります。悪天の知らせにちょっと憂鬱な気分で辿った太郎平への道。背後に海の気配を感じながら三角点で森林限界を飛び出した後、目の前に大きく聳える大きな薬師岳。古くからの風格のある太郎小屋。そこからの稜線は始まった草モミジの中を広大な高層湿原の上に続きました。東側に広がるモヤの立ち込めた黒部川源流の静謐な光景。その上にいつも冷たい表情で佇む水晶岳。周囲の山々が悪天の中にあって、この部分だけが幸運な晴天の下にありました。黒部五郎岳への登りは剣岳と槍と白馬という北アルプスの有名な山を眺めながらの道でした。ここは北アルプスの中心。何れからの道も、この先の三ッ俣蓮華岳で合流する正しく銀座交差点のような場所。最後の最後で無情のガスが視界を遮ってしまいましたが、本当の山奥を歩いている嬉しさで胸が一杯になりました。今回のハイライトであった黒部五郎のカール。もう高山植物の最盛期は終り、秋の花へと代わり、雪渓も大部分は融けていても五郎を見上げるスリバチの底のような光景は雲ノ平を上回る独特の魅力に溢れていました。三ッ俣蓮華岳、双六岳への道はガスと雨が交互に来る残念な天気でしたが、いつか、この視覚から槍を見たいとの思いを新たにしました。静かな、穏やかな北アルプスの違った顔を見た四日間でした。

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恋の岐川転進鶏冠谷右俣

大きな大きなスラブの滝が続く
大きな大きなスラブの滝が続く

 以下の者は、2008年8月23日〜24日、奥秩父笛吹川の支流・鶏冠谷の右俣を出合いから魚止めの滝、逆「く」の字の滝と、遡行し水源まで詰め、木賊山(2469m)、甲武信岳(2485m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 平ヶ岳の恋の岐川は、よほど「風の谷」とは縁がないのでしょう。今回で三回目の転進です。けして難しい谷ではありません。むしろ、徒渉や登攀は殆どなく、優雅に流れる谷と登り着く高層湿原の美しさ、ブナの森の大きな谷です。しかし、一方で日本海側と太平洋側の悪天の影響を強く受けやすく、今回も数日前からの新潟地方の大雨のために奥秩父へとやってきました。そして、鶏冠谷は笛吹川の流域の中でも最も美しい谷であると確信する谷です。昨年、鶏冠谷の三の沢を遡行しました。今回の右俣は鶏冠谷の本流。木賊山から落ちる戸渡尾根の最上部に突き上げるナメと花崗岩の美しい谷です。何回も通った二俣までの本谷。少なめの水量の中、魚止めの滝を直登し、美しい逆「く」の字の滝を越えて入る右俣でした。入った途端の大きな滝の高巻き。しかし、その後はつぎつぎと現れる大きなナメ滝をほとんど水線沿いに一つ一つ登ることができました。残念ながら降り続く雨と濃いガスの中で花崗岩の滝がボンヤリとしか見ることができない事でした。他の笛吹川水系の谷が昨年九月と今年四月の大雨と雪で倒木の累積となってしまった中で、比較的、倒木は少なかったように思います。しかし、中流域の一枚岩のスラブが延々と続く最も優美な所が土砂の流入で楽しめなかったは残念でした。15m前後の延々と続く滝を一つ一つ越えてやがて到達した大滝。濃いガスに全貌は霞み、ただ上部はるかから滝の落ちる気配を感じただけでしたが、その大きさを実感しました。いつもだと、この手前で終了してしまう遡行を水源まで詰めました。「もう、終り」のような気分でいた私達の前には、つぎつぎと大きな滝が苔むして現れ、チョロチョロの水になるまで徹底的な滝登りを強いられました。強い風と雨の稜線。その一角から見下ろす鶏冠谷は濃いガスの中にありました。

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天狗岳

 以下の者は、2008年8月19日〜20日、北八ヶ岳の盟主である天狗岳(2642m)に渋ノ湯から賽の河原を経て高見石小屋に泊まり、中山を越えて中山峠から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

展望台の高見石もガスの中
展望台の高見石もガスの中

 本当は唐松岳のはずだった。信濃大町を過ぎ、神城を過ぎるころ、車窓を打つ激しい雨。当初、昼過ぎから降るはずだった雨は、大雨洪水、雷警報の中の土砂降りになってしまった。八方池山荘からの剥き出しの広い尾根、丸山から先の痩せた尾根、そして強い風。安全な登頂が難しい以上、転進を考えた。今から行ける山。日本海の低気圧の影響を受けにくい内陸の山。今日は、どうしても雷がある。その影響の少ない山。そうだ!北八ヶ岳に行こう!
 渋ノ湯は強烈な硫黄の香りを周囲に流しながらヒッソリと立っていた。そこから高見石への道。ただでさえ鬱蒼とした森林高地の下の原生林の森は足元が不安になるほどの暗さだった。頭上をゴーゴーと音をたてて吹く風。バラバラと降る雨。そして時折聞こえる雷の音。樹林の生い茂る森の山だからこそ歩けた道でした。滑りやすい濡れた岩に辟易とする頃、岩の墓場のような賽の河原を抜けきり、ガスの立ち込めた最も北八ヶ岳らしい森を歩いた。そして、濡れた木々の間に高見石小屋を見つけた時の嬉しさはひとしおだった。高見石の小屋。背後に白駒池の好展望台である高見石を持ち、原生林の中にボッカリと建つ小屋は北八ヶ岳の中では最も最後までランプとマキストーブの山小屋を貫き通した素朴な小屋でした。今では発電機が回り、綺麗になってしまっても周囲の景色に溶け込んだ雰囲気は変わらない何かがあります。期待した次の日の天気も強い風の中、ガスの立ち込める中の森を中山、中山峠と歩きました。北八ヶ岳の盟主たる天狗岳も足元に咲くトウヤクリンドウや、アキノキリンソウ、そして食べられるようになったコケモモとすっかりと秋の訪れを感じながらの道でした。雪の季節に訪れる事の多い北八ヶ岳。秋の始まりを全身で感じさせられた二日間でした。次は是非、冬や晩秋に訪れたいものです。

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北岳バットレス第4尾根

マッチ箱から先を登攀する「風の谷」
マッチ箱から先を登攀する「風の谷」

 以下の者は、2008年8月9日〜10日、南アルプスの日本第二位の高峰・北岳(3192m)に、広河原から二俣を経て白根御池に泊まり、バットレス沢からbガリー大滝を登攀し、バットレス第4尾根を登攀し、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

最終ピッチ近し
最終ピッチ近し

 見上げる満天の星空。その真ん中に白く濁るように流れる天の川。真っ暗闇の中に揺れるヘッドランプの灯。雪の残った取り付きで明るくなるのをジッとして待つ時間。背後の鳳凰三山が赤く色づき、いよいよ始まる登攀。横断バンドを横切り、急斜面を登り詰め、ようやくやって来た第4尾根の取り付き。
 ほとんどの者が本チャンの岩登りを初体験する形で行なわれた今回の北岳バットレスの登攀。実際の登攀としては「登れない」箇所等はなく、ただ、ひたすらに上へ、上へと登り詰めていく中で、意外とあっけなく終了したのでは無いでしょうか?しかし、ガイドとして率直なことを言えば、ほとんどの者は、まだまだ本チャンとしての岩登りを安全に行なう能力は不足していたと思います。「流れの中で泳ぎを覚える・・・・。」そんな形で始まった今回の登攀でした。本番の岩登りとは、まず、その目指すルートが間違いなく確実に登攀できること、岩場の概念が頭に入り、その山の中でどのような位置に岩場があるかを理解できていること。まずは自らの安全を守り、仲間を守り、そして確実に登攀を貫徹すること。どのような天候の変化にも慌てずに対処でき、無事に帰還できること・・・・等が必要です。多くの者が確実に岩は登れましたが、それ以外の要素はまだまだ、これからと思います。「いゃぁバットレスというから、緊張したけど簡単だったよ・・・。」という総括ではなく、自分が確実に登るために今後、練習すべき課題が見つかれば嬉しく思います。方法はただ一つ。一つ一つの山を課題を持って経験が蓄積できるような登攀を積み重ねるだけです。剣岳源次郎尾根、前穂高岳北尾根、そしてバットレス。「風の谷」としては一つ一つが次の一歩の糧となるような課題として設定したつもりです。登れて良かった楽しかったバットレス。クライマーへの第一歩となることを祈ります。

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槍ヶ岳

目の前に槍が大きい
目の前に槍が大きい

 以下の者は、2008年8月4日〜6日、北アルプス、そして日本を代表する名峰・槍ヶ岳(3180m)に上高地から横尾、槍沢を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

穂先に挑戦!
穂先に挑戦!

 延々たる槍沢の登りをこなし、グリーンバンドに這い上がり、見上げた槍ヶ岳の方角。不機嫌そうに姿を隠していたその穂先が、青空とガスの間から見えたような気がして立ち止まり、再び見上げた時、影のように見えた穂先。予想していた場所より更に上、見上げて、見上げて、首が痛くなるようなそんな空間の一点に目指す槍ヶ岳はありました。雪渓を渡り、殺生ヒュッテ、槍ヶ岳山荘へと向かうメインルートから離れたヒュッテ大槍への斜面は色とりどりの高山植物に埋めつくされていました。一歩を登り、更に次の一歩を踏み出し上を見上げると遥か彼方に東鎌尾根を歩く登山者が青空の中に浮き上がっていました。大曲を経て、氷河公園の分岐を過ぎるころから背後の蝶ヶ岳と徐々に肩を並べるようになり、常念岳が見えだし、前穂高が見えて・・・、それらの山々が同じ高さから見下ろすようになって、ヒュッテ大槍の前に飛び出しました。再びドカーンと音を立てそうな勢いで屹立した槍ヶ岳・大槍。荷物を置いて空身になって向かった槍ヶ岳。右に大きく立ちはだかる峻険な北鎌尾根。見下ろす谷は雪に覆われて一歩一歩と槍に近づくほどにむしろ高くなっていく山頂。そして、尻込みしたくなるような急峻な斜面が槍の肩の前にはありました。どこをどう登ったか判らない、岩場を無理矢理登り、ハシゴを越えて、ゼーゼー言いながら這い上がった長いハシゴの前に、狭い狭い穂先の先はありました。時折、ガスが上がり昼近い霞んだ展望の中でも、目の前に広がる穂高連峰の圧倒的なボリュームと笠が岳の大きな山容、ガスが去ると現れる北アルプスの名峰達。次々と登る者がいて、長い時間居られなかったものの、穂先は本当に穂先でした。再び、夢中で恐怖と闘いながら下りきると見上げる穂先は、本当にさっきまで自分達がいたのが信じられない厳しさで見下ろしていました。雷雨と雨の合間に結局、濡れることなく登った感激の槍でした。

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前穂高岳・北尾根

W峰への登りは大きな展望の中
W峰への登りは
大きな展望の中

 以下の者は、2008年8月2日〜3日、穂高岳連峰の前穂高岳(3090m)に上高地から涸沢を経て穂高連峰随一の岩稜・北尾根を登攀して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

核心部!
核心部!

 喧騒の上高地から横尾、涸沢を越えてガレと雪渓を越えて登り着いた小さな鞍部であるX・Yのコル。そこは時折、強い風が吹くものの、正面に奥穂高から北穂高岳を見据えて、下に奥又白の池、遠くに蝶ヶ岳を見れる最高のビバーク地点でした。キチキチに並んだツェルト、見上げる満天の星空・・・、まさしく穂高連峰独り占めの一夜でした。
 前穂高岳北尾根。涸沢から見上げる大きな伽藍。少年の頃、初めて穂高岳連峰を訪れ、この涸沢の地を踏んだとき、正直「日本にもこんな場所があったのか・・・・・。」の思いと、今まで歩いてきた多くの山は登山ではなく、この穂高岳こそが僕の登るべき山である!と激しく興奮したのを覚えています。その象徴こそが、その道すがらに見上げた屏風岩と前穂高東壁であり、この美しい北尾根でした。北尾根こそは屏風の頭から最低コルを経て、八つのピークを激しく上下させる見事な岩稜であり、端正な姿は涸沢を訪れる多くの人々の憧れです。登ってみて感じた事と思いますが、V峰までは急峻ではあっても、ルートファインディングを除けば基本的なクライミングができれば問題のある稜線ではありません。むしろ、浮き石に力をかけずに、安定的に歩く技術、落石等を起こさない技術等、沢登り的な要素を多く含んだ登りでした。V峰は傾斜もあり、テラスも狭く、見下ろす涸沢や奥又白、広がっていく展望と高度感や緊張感、そして、グイグイと登り詰めていく感動とやはり、この尾根のハイライトでした。96年の穂高地震で壊滅的とも言える影響を受けた印象は既になく、最後に前穂高の山頂そのものに飛び出す感動は登山としての岩登りの良さを全身で感じさせる物でした。いつか、冬に風雪の中に訪れたい北尾根です。

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白峰三山

北岳をバックに間ノ岳へ!
北岳をバックに間ノ岳へ!

 以下の者は、2008年7月28日〜31日、南アルプス北部の日本で一番高い稜線・白峰三山を広河原から白根御池、草スベリを経由して日本第二位の高峰・北岳(3192m)に登頂し、中白峰を越えて間ノ岳(3189m)に登頂し、農鳥岳(3025m)にも登頂し、大門沢を下降し完全縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

夏雲湧く稜線
夏雲湧く稜線

 中央線の車窓から、中央高速を走るクルマの中から甲府盆地に入ると真っ先に目に入る白峰三山。ひときわ高い北岳。大きな大きな山容のユッタリした間ノ岳、そして、コウモリが羽を広げたような独特の山容の農鳥岳。一つ一つの峰だけでも大きいのに、左右の広がりの雄大さは見事です。「いつかは、あの稜線を全て歩いてみたいものだ。」。山の好きな者なら誰もが願い、憧れる稜線でした。そして、夏の始まり、梅雨空が本格的に明けてこれからの夏山に期待が膨らむ・・・、そんな中に、この夏の幸運を全部使い果たしたような天気の中に三山を歩くことができました。歩きだしは、けして安定していたわけではありません。甲府盆地の縁を登り詰めていくような夜叉神峠へのグイグイ登る車道。強風と強い雨の中、桃の木が沢山の実を付けながら揺れるのを見ながらのアプローチ。そしてカッパを着ての出発。しかし、背後の鳳凰三山が見えだし、見上げる北岳の雄姿に憧れて過ごした白根御池。最も良い季節だったのか登る者の足元を絶えず止める美しいお花畑、ガスの北岳を越えてやってきた北岳山荘の夕方から見事な展望が広がりました。背後に再びグイグイと高くなっていく北岳を振り返りながらの間ノ岳の登り。中央アルプスが伊那谷を挟んで全て全容を広げて、乗鞍岳から槍、穂高を通り白馬三山まで全部見えた北アルプス。北岳の背後からやっと見えてきた八ヶ岳。日本の高山が全て顔を並べた中、大きな間ノ岳の山頂に立ちました。今まで見えなかった赤石岳、塩見、荒川三山を眺めながら一気に人の消えた稜線をこんどは農鳥岳へ。長い長い稜線歩きを大門沢下降点の大きなお花畑の中で終えました。厳しく、長い縦走。こんど見上げる時は自負と共に見上げるはずです。

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剣岳・源次郎尾根

U峰の豪快な懸垂下降
U峰の豪快な懸垂下降

 以下の者は、2008年7月26日〜27日、北アルプス北部・立山連峰の日本で一番峻険な山・剣岳(2996m)に室堂から剣沢を経てバリエーションルート・源次郎尾根の岩稜から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

頂上近し
頂上近し

 剣岳ほど見事なボリュームと迫力で登山者を魅了する山は無い。剣岳ほど人々に多くの試練を与える山は無い。何回も訪れ、そのたびに必ず「一筋縄で登れる山では無い・・・」と実感させられる剣岳。馬場島の登山口にある「試練と憧れ」の碑はそのまま僕自身の気持でもある。剣沢という登山基地が良い。目の前に大きく剣岳が見え、剣沢に面したほとんどのルートが眺められる。「明日はアソコを登るんだ!アソコを!」という強い願望の中で過ごすことのできる素敵な登山のベースだ。剣岳は滞在している登山者が、それが仮に別山尾根の最も容易なルートから登頂する者でも、そのまなざしは真剣なのが好きだ。そして、源次郎尾根。最も量感のある二つのピーク。剣沢から山頂にダイレクトに突き上げるスッキリとした美しさ。登山道を離れ、冒険へと一歩を踏み出した真の登山者が一度は辿るべきバリエーションルートの第一歩だ。まっ暗い剣沢をヒタヒタと下り、平蔵谷の出合いからキスゲの咲く草原を越えて取りつく急傾斜のリッジ。ヤブと所々で現れる岩場をこなし文字どおりの岩の中を登りだす者の目を奪うT峰正面壁の屹立した迫力満点の岩場。グイグイと高度を稼ぎ登り着く二つの岩峰。垂直の岩壁を一気に下る豪快な懸垂下降の後、一歩一歩と獲得していく高度。今回、ちょっとでき過ぎの感じで頂上直下、剣の帽子と言われる雪田が現れてから急に真青な空が広がりだした幸運。そして、早朝から登っていた登山者達の温かい歓迎。期待していなかった大きな展望の中に山頂へと立った。
 剣岳は大きな山だ。ベースキャンプを作り、夜中に起き出し、雪渓をたどり、岩壁を登り、必ず山頂を経由する本来の完璧な登山の姿がある。体力がまず大切で、それを更に鍛えた技術が高みへと連れて行ってくれる最高の登山がある。源次郎尾根で最初の貴重な一歩を踏み出し事に感謝したい。

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蝶ヶ岳

夕暮れ時なかなかの迫力で槍・穂高が現れた
夕暮れ時なかなかの迫力で
槍・穂高が現れた

 以下の者は、2008年7月22日〜23日、北アルプス常念山脈の展望の山・蝶ヶ岳(2677m)に三股からマメウチ平を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

蝶ヶ岳山頂付近は明るい展望台
蝶ヶ岳山頂付近は明るい展望台

 北アルプスの稜線まですっかり訪れた夏!歩き出しから頭上に浮ぶ積乱雲、急坂の登りで滴り落ちる汗、そして、森林限界を迎え点々と咲く色とりどりの高山の花。見事な梅雨明けの稜線がありました。蝶ヶ岳という優雅で大人しい感じの名前とは裏腹に三股からの登りは徹底的に身体の水分を奪いました。「北アルプス入門!」と案内に書いたのは、岩と雪のイメージの強い山々の中にあって蝶ヶ岳が転落やスリップ等の危険個所が一切なく、ひたすらの登りをやりとげれば必ず登り切れる山だからです。しかし、実に1400mに及ぶ高度差は中々のものがありました。冷たい美味しい水の吹き出す三股。そこからブナの森を越えてカラマツの林を抜けるまでの登り、マメウチ平の美しいコメツガの森とシダの生い茂る緑の広がり、そこからのシラビソからダケカンバへと変わっていく急斜面。あたかも森林分布の地図を眺めるように森が高くなっていく光景は素敵でした。登るに従って右手に姿を現した常念岳。見上げる高さだったのがすこしづつ近くなり、肩を並べるようになるころ、ポツリポツリと姿を現した高山植物でした。キヌガサソウは生まれたばかりの清々しさで雪が消えたばかりの斜面にありました。ハクサンコザクラ、シナノキンバイ、アオノツガザクラ、キバナシャクナゲ。もう、厳しい登りにヨタヨタで楽しむ気力も萎えがちでしたが、それでも花は歓迎してくれました。そして、山頂そのものに立つ蝶ヶ岳ヒュッテ。到着と同時に槍ヶ岳、穂高岳は山頂部分を雲の中にかくしていましたが、夕暮れ時、日没寸前についにその全貌を露にしました。蝶ヶ岳よりさらに500m高い日本の屋根は、人を寄せつけない厳しい表情で沸き上がる雲の中にありました。翌朝、再び、槍・穂高連峰は山頂部分を隠していましたが、それでも朝日を浴びて前日とは違う穏やかな表情で迎えてくれました。素晴らしい展望台である常念山脈。僕は、更に南へと伸びる雲の越えていた大滝山にも足を延ばしたくなりました。

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真の沢

奥秩父最大!千丈の滝スゴイ
奥秩父最大!
千丈の滝スゴイ

 以下の者は、2008年7月19日〜21日、隅田川・荒川本流を川又から赤沢谷出合いを経て、金山沢出合いを越えて辿り、真の沢を出合いから「通らず」、千丈の滝を越えて水源まで完全に遡行し甲武信岳(2475m)に登頂し、破風山を越えて雁坂峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

もう源流近し
もう源流近し

 谷に入った川又の渓流釣り場の標高が約700m、登り着いた甲武信岳の山頂が2475m。実に標高差1700mを越える延々たる遡行でした。その間、全く、一切の人工林を見ない、徹底的に原生林の中の水との格闘でした。堂々たる渓谷である入川本流。腰まで漬かる豊富な水量の中に荒川本流の旅は始まりました。大岩を越えて、淵を越えて、釜を横切り次々と現れる水の創り出す芸術との出逢い。まるでソーダ水のように真青な色で落ちる谷。左右から滝となって注ぐ支流との出逢い。初日は、ヨタヨタになってズブヌレで松葉沢の出合う柳小屋に転がり込みました。翌朝、まだ完全には明るくならない谷に入り、遡って行った荒川本流・真の沢。昨年9月の台風、今年春の湿雪による影響は殆ど感じられず、現れだした大きな滝やゴルジュを次々と乗り越えて行きました。「通らず」を高巻き、大きな武信白岩沢を分けて進む私達の前に遠くから微かに感じられる晴天の下に落ちる霧のような気配。奥秩父随一の迫力と風格を持った千丈の滝が荒川の全水量を集めて周囲の原生林に響く音を立てて立ちはだかっていました。しかし、本当の真の沢の魅力は、ここから始まったと言っても良いかもしれません。鬱蒼たる原生林の中を滔々と流れる澄みきった冷たい水。花崗岩の白い流れ、そして、何よりも分厚い苔の上をすべるように流れる水流の美しさ。所々で倒木や流木はあるものの、他の谷と違い長時間に渡る荒れた雰囲気や荒廃の気配の無い、素晴らしい流れがありました。どれが不動の滝か駒鳥の滝か、すでに特定もできないほど次々と現れる雄大な滝。ちょっとした小さな釜にも素早く逃げ隠れする大きなイワナの群れ。水音が大人しくなった後、現れた「荒川源流点」の標識。翌朝、破風山から見下ろした荒川は正しく「マイフェバリットルート」として佇んでいました。

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大菩薩嶺

石丸峠の登りは草原が大きい

 以下の者は、2008年7月16日、日本百名山の一つで歴史と展望で知られる大菩薩嶺を上日川峠から石丸峠の草原に登り、熊沢山、大菩薩峠を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨末期、晴れてはいても激しく動く雲の中に大菩薩の山々はありました。もう、既に暑い季節。それでも出発点の標高が1700mの高原であれば快適な登山ができるかも・・・・、この夏、最初で最後の日帰りの長閑な山歩きの一日を創り出したいと思っての大菩薩でした。大きな展望は無かったものの、石丸峠の開放的な草原を楽しみ、熊沢山周辺の奥深い原生林を歩き、大菩薩峠から大菩薩嶺の誰もが嬉しくなる明るい稜線を歩きました。残念ながら期待した南アルプスから富士山の展望は全くなかったものの、明るさに満ちた稜線歩きは素敵でした。歩いていて気になったことの一つが本来、この時期、色とりどりの花に埋めつくされるはずの稜線に、ポツリポツリとしか花の姿が無かったことです。もちろん、テガタチドリと出逢い、シモツケとも出逢いました。しかし、草原全部をギボウシやオダマキが占領した光景はありませんでした。歩きながら話をしたように、今回、歩いたコースは大菩薩の最も魅力的な部分です。幸か不幸か主稜線直下まで車道が延び、大菩薩峠そのものへも介山荘のジープが登る今、この地を訪れる者の90%は大菩薩嶺から大菩薩峠の間を歩き日本百名山の一つとしての大菩薩を歩いた・・・と帰っていきます。しかし、本来の大菩薩は2000mを越える大きな山塊の中の最高峰です。昔は、夜行列車で塩山を降り、バスで登山口に向かい、標高差1500mを制して立った雄大な山頂でした。上日川峠までの道も大きなブナが林立し、シラカバがダケカンバへと変わっていき、背後に大きく南アルプスが眺められ・・・と、単なるアプローチではない魅力のある道です。大菩薩は東西10km、南北10kmに渡る大きな山です。そこには黒川鶏冠山があり、柳沢峠から丸川峠の原生林の森があり、広々とした尾根の続く牛の寝通りがあり、小金沢連峰があります。大菩薩の全部の魅力を味わうキッカケとなれば幸いです。

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鳳凰三山

 以下の者葉、2008年7月8日〜10日、南アルプス北部の鳳凰三山を夜叉神の森から夜叉神峠に立ち、南御室小屋から砂払いを経て城砂の美しい薬師岳(2780m)、最高峰・観音岳(2840m)、オベリスクと賽の河原のある地蔵岳(2764m)と縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 去来するガス、ポツポツと降る雨の中、賽の河原から微かに浮かんでは消えるオベリスクが現れるのを根気強く待ちました。しかし、ついに完璧な姿を見ることなく鳳凰小屋へと向かいました。梅雨末期のもっとも天候の不安定な時期、この七月初旬に向かった鳳凰三山。しかし、歩きだした夜叉神の森は雨の中だったものの、夜叉神峠からは前面にアヤメの群落を咲かせて北岳を筆頭とした白根三山の美しい姿とも対面し、シラビソの木々の間を吹き渡る乾いた風とともに南御室小屋へと向かいました。上空には青空と澄んだ空気があり、自分達の行く道が青空の中に向かうように感じたのですが・・・・。シットリとした空気の中を歩きだした二日目。胸を突く薬師岳への道は、すでに2500mをはるかに超えても南アルプスならではの鬱蒼たる原生林の中に続きました。どうして、こんなにも鳳凰三山の森林限界は高いのか?2700m付近、砂払いの日本庭園を思わせる白砂とハイマツの中に飛び出す瞬間までダケカンバの森は続きました。公園のような白砂の斜面。そこに靴を取られながら登り着いた薬師岳は濃いガスの中にありました。何処が何処かも判りにくい広い稜線と白いガス。それに負けない白砂。ゆるやかな登りの後に観音岳はありました。標高こそは低い物の、その天空を突き刺すオベリスク。中央線の車窓からもハッキリと確認できる矢尻のような山容こそ、鳳凰三山を象徴する姿でした。しかし、霧と雨と風が交互に吹きつける中にボンヤリと完全な姿をついには見せてはくれませんでした。鳳凰三山は、2800mを越える堂々たる標高にも関わらず甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳等の圧倒的な名山の前衛として扱われかねない山です。しかし、それらを見る最高の展望台です。今度こそ、その展望台の真価を発揮した時に訪れたいものです。

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ヌク沢遡行ナメラ沢下降

「歓迎」の看板がヌク沢のツメにあった
「歓迎」の看板が
ヌク沢のツメにあった
ヤッパリ大きいヌク沢大滝
ヤッパリ大きいヌク沢大滝

 以下の者は、2008年7月5日、奥秩父笛吹川支流のヌク沢を出合いから右俣に入って三段200mの大滝を越えて水源まで遡行し、翌6日、甲武信岳(2475m)に登頂し、西破風山へと縦走し、青笹尾根からナメラ沢に下降し水源から峠沢との出合いまで下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

ナメをソロソロと下るナメラ沢
ナメをソロソロと下るナメラ沢

 奥秩父の沢の宝庫とも言うべき笛吹川。無数とも言える遡行可能な谷を秘めた流域だか、花崗岩の白い岩肌の上を滑るように落ちるナメ滝を多く持つ・・・という共通の物はあっても一つとして似た物のない、それぞれ魅力を持っている。ヌク沢の魅力はなんと言っても三段200mの大滝。規模だけで言えば東のナメ沢の大滝には及ばないものの、それぞれ大きな落差を持つ水量豊富な滝の連続は、流域随一のものと言える。下部の楽しいナメ滝の連続に対して、この10年ほどの間に一つ、また一つと増えていった巨大な堰堤の不快さは我慢できない物だが、それでも、この沢の魅力が消えてしまうわけではない。大きな階段を全身を使って攀じ登るような下段。思わず「オー!」と声の出る中段、そして最後を背後に広がる大きな奥秩父の山並みを感じながら締めくくる上段と三つの滝は明るい雰囲気の中にあります。そして、もう後始末のような源流部分。しかし、左右から迫るシラビソの森の中を花崗岩の上に苔むしたフカフカの岩肌の上をヒタヒタと踏みしめていく感触は、実はヌク沢で最も美しい場所かもしれません。ブヨのまとわりつく最後の急登。「歓迎」の甲武信小屋からのいつもの看板。ヌク沢は今日も素敵だった。そして、翌日のナメラ沢の下降。広大に広がった西破風山の下の台地から青笹尾根に入り、庭園のような笹原を下って辿り着く最初の流れ。それが見る見るうちに大きくなり、所々でナメ床を形成しだす独特の楽しさの中にあった。昨年9月の大型台風で荒れ、さらに今年4月上旬の大雪で木々が倒れ込み、1500m前後を中心に倒木越えを強いられたが(それは、ヌク沢、釜の沢にも同様な事が起きています)、スベリ台のようなナメを降りる楽しさは、最高だった。始まった夏の沢の二日間、楽しい時間に感謝!

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編笠山

編笠山ののぼりからは背後に南アルプスが見事
編笠山ののぼりからは
背後に南アルプスが見事

 以下の者は、2008年7月1日、八ヶ岳最南端の編笠山(2523m)に観音平から雲海、押手川を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 八ヶ岳は大きな山です。蓼科山から北八ヶ岳の森林高地を越えて、夏沢峠から岩だらけの南八ヶ岳に入り、そして小淵沢へと降りていく・・・・。遠くから、この山を眺めるとゴツゴツと沢山の峰を林立させた高い山の下に大きく広がる山裾の大きさが際立っています。その南端、最後の高まりが今回登った編笠山です。小淵沢の駅頭から見上げた文字どおりの編笠の形。美しい山容から想像した穏やかな雰囲気とは違い、実際の登山は中々厳しい緩むことのない、しかも段々キツクなる急傾斜の登りでした。八ヶ岳は二つの顔があります。それは夏沢峠を分かれ目にして北に広がる穏やかな山容と重厚な原生林の顔、そして南の赤茶けたボロボロの岩に代表される荒々しい高山の剥き出しの顔です。編笠山は広葉樹の雑木林からコメツガ、シラビソの黒々とした北八ヶ岳のような雰囲気の森の中を辿り、しかも、その足元は南八ヶ岳を思わせる火山性の岩が敷きつめられ、そして、森林限界を僅かに越えた山頂で広大な明るい広がりの中に放り出される・・・・。文字どおり、二つの顔を一度に味わえる山でした。僕自身、北八ヶ岳から冬の積雪の中を天狗岳を越え、硫黄岳、横岳、赤岳、権現岳を越えて編笠山に到達すると、静かな北八ヶ岳に戻ってきたような楽しい戸惑いを覚えます。それが編笠山の魅力なのでしょう。そして、その山の立つ位置。背後に南アルプスを大きく背負い、甲府盆地を挟んで富士山があり、松本平の後に北アルプスを持つ素晴らしい場所。同じ所で登り、苦しんでいるような鬱蒼たる森の中を歩き、ヒョコッと背後に明るい物を感じて振り返ると甲斐駒ヶ岳から北岳、仙丈ヶ岳から鳳凰三山と富士山がドーンと見えた感動はこの山の心憎い演出のようにさえ思えます。
 穏やかに見える山容と実際の容赦ない上り下り。編笠山は、この夏の登山を左右する一つの試金石です。この山に苦しくとも登れば、夏の山も大丈夫!

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