過去の登頂記録  (2009年3月〜8月)

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2009年 8月 8月24日〜25日 唐松岳
8月22日〜23日 釜の沢西俣
8月18日〜20日 中央アルプス縦走
8月10日〜11日 薬師岳
8月8日〜9日 赤木沢
8月1日〜2日 ヌク沢
7月 月27日〜29日 鹿島槍ヶ岳
7月25日〜26日 鶏冠谷
7月21日〜22日 五竜岳
7月18日〜20日 槍ヶ岳北鎌尾根撤退の報告
7月7日〜8日 飛龍山
7月5日 大常木谷
7月4日 水根沢
6月 6月30日〜7月1日 北八つ池めぐり
6月27日〜28日 和名倉沢
6月20日〜21日 釜の沢
6月16日 千本ツツジ
6月9日〜10日 赤岳
6月7日 小川谷廊下
6月6日 勘七の沢
6月2日 笠取山
5月 5月31日 逆川
5月30日 水根沢
5月26日〜27日 甲武信岳
5月23日〜24日 三つ峠
5月19日 両神山
5月17日 唐松谷
5月16日 日和田山
5月12日〜13日 雲取山
5月2日〜5日 赤石岳
4月 4月29日 日和田山
4月28日 大岳山
4月21日 生藤山
4月14日〜15日 丹沢山
4月11日〜12日 霞沢岳
3月 3月19日〜23日 キナバル山
3月14日〜15日 唐松岳
3月11日 瑞牆山
3月10日 茅ヶ岳
3月7日〜8日 仙ノ倉山
3月3日〜4日 西穂高岳
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唐松岳

 以下の者は、2009年8月24日〜25日、北アルプス・後立山連峰の優美な山・唐松岳(2696m)に八方池山荘から八方池、丸山ケルン、馬の背を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 安曇野に大きく広がる雲海。背後に天空を突き刺す地獄の山の様相で屹立する剣岳。まだ、夜の灯が見下ろせ、その背後にクッキリと見える日本海の海岸線。やがて明るくなるに従って、槍ヶ岳が白馬が、北アルプスの全ての山々が顔を出し、太陽の前に妙高、火打、黒姫、戸隠の山々が居並ぶ・・・、そんな素敵な夜明けを寒さに震えながら山頂で迎えました。悪天に苦しめられた短かった夏。真青な空とたなびく雲海の中で、もうすっかりと秋の気配の山頂で、その最後を見届けた思いです。ゴンドラ、二基のリフトが、すでに森林限界を感じさせる広々とした尾根の上に僕達を運んでくれました。今年は悪天の夏の罪滅ぼしのように花が点々と何時までも咲いていました。夏の訪れを知らせたチングルマが雪の消えた後に初夏の様に咲き、その脇に夏の終りを知らせるチングルマの残骸が広がっていました。夏の初めの花からマツムシソウ、トウヤクリンドウと間違いもない秋の訪れを知らせる花、シモツケソウの様に盛夏の花と季節がゴチャゴチヤに花畑となって広がっていました。到着した時は濃いガスの中だった山荘は、夜には満天の星空になっていたようです。夜中に布団を抜け出して夜空を観に行った方は、天の川と流れ星を堪能したようです。下山の八方尾根からは、この夏、悪天の合間に登った五竜岳、鹿島槍ヶ岳が青空の下に浮かんでいました。それも、雲海の中に降りるとガスの中に消えました。秋の訪れを見事に感じさせた唐松岳の二日間でした。

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釜の沢西俣

キラキラと光る沢
キラキラと光る沢

 以下の者は、2009年8月22日〜23日、奥秩父笛吹川を代表する東沢・釜の沢を遡行し、両門の滝から西俣に入り、中間部でビバークし水源まで遡行し、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

久しぶりの盛大な焚き火
久しぶりの盛大な焚き火
花火もやってしまった

 夜、目を覚ますと満天の星空の中を静かに人工衛星が天の川を横切って動いていた。大分時間がたっているはずなのに焚き火がまだ小さく炎を上げている。沢の音も殆どしない、静かな、静かな一夜だ。今年もすでに何回か沢の中に泊まっているけれど、こんなに静かで穏やかな星空の中に泊まったことはない。よほど縁がないのだろうか?本当は奥只見・平ヶ岳の恋の岐川にいるはずだった。日本海側のみの悪天に奥秩父にやってきた。「雷注意報」の出た魚沼地方は結果的には転進して大正解だったのだけれど、9月に変更した予定も「大丈夫?」の気持で一杯だ。奥秩父は連日の晴天に釜の沢の水量は少なかった。東御築江沢等は本当にチョロチョロだし、乙女の滝もショボかった。東のナメは一ノ倉沢の滝沢スラブを思わせる明るさと白さだった。しかし、千畳のナメは水の少なさが、むしろ美しさをかきたてていた。そして、多くのパーティーが向かった両門の滝の右ではなく、左へ!一転した静けさ、次々と現れる微妙なバランスを強いられる小滝のゴルジュ。そこを越えると森の中の流れがあった。コメツガの森の中に安定した泊まり場がいくつも現れ、「ここにしようか?」と思わさせられたが、空が大きく開けた何時もの河原に泊まった。翌朝の空気は冷たいだけでなく、乾いて季節が間違いもなく秋へと移ったことを教えてくれた。甲武信岳山頂からは南アルプスの山襞が一つ一つ数えられる空気の澄み方だった。訪れた秋に驚いた西俣だった。

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中央アルプス縦走

空木岳の登りからは歩いてきた全ての山が見える
空木岳の登りからは
歩いてきた全ての山が見える

以下の者は、2009年8月18日〜20日、中央アルプス千畳敷カールから最高峰・木曽駒ヶ岳(2956m)と宝剣岳に登頂し、極楽平から濁沢大峰、檜尾岳(2727m)、熊沢岳(2778m)、東川岳(2671m)と縦走し、木曾殿乗っ越しから空木岳(2863m)へと核心部の山頂全てに足跡を記したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

後の空木岳を振り返る
最後の空木岳を振り返る

 本当に久しぶりの見事に晴れ渡った中央アルプスの夏空のしたの縦走でした。完璧な観光地と化した千畳敷から木曽駒ヶ岳への道。しかし、道に張りめぐらされたロープや看板、時折聞こえるロープウェイの案内の放送を無視すればそこは広大なお花畑の中の道でした。予定外の宝剣岳の岩峰へも登った翌日、僕達の大縦走は極楽平から始まりました。目指すのは、遥か彼方、同じ山脈の延長にあるとも思われない空木岳の勇壮な姿でした。一つ一つのピークの標高差は大きくないものの、小さなピークが林立し、花崗岩の砂礫と岩場の繰り返しになかなか行程は捗りません。今年は高山植物の当たり年なのでしょうか?夏の天候不順が逆に幸いしたのか、ハクサンイチゲとウサギギクが、そしてトウヤクリンドウが一度に咲き、もう季節の終わったはずの稀少な「コマウスユキソウ」の姿も見ることができました。檜尾岳のピークに着くとさすがに近づいた終着点。振り返ると、丁寧に歩いてきた山々が全て視界の中にありました。「もう一歩も歩きたくない!」そんなヨタヨタの気分で木曾殿山荘に転げ込みました。正面の八ヶ岳、南アルプス、木曽御岳、最後には槍・穂高も全部見えた空木岳への急峻な登り。360度の展望と「登った」と誇れる雄大な山容が縦走の最後のシメにありました。

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薬師岳

この夏初めての広大な展望!
槍も見える

 以下の者は、2009年8月10日〜11日、北アルプスの中核・黒部川水源の山の一つ・薬師岳(2926m)に折立から太郎平を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

薬師岳山頂の薬師堂を覗き込む
薬師岳山頂の薬師堂を覗き込む!
バチが当たるよ!

 悪天続きの今年の夏の中で、その間をぬっての貴重な好天の二日間でした。連日の雨で泥濘になった折立からの登り、見上げると首が痛くなるほどの急な原生林の中の登りの後に飛び出す太郎平へと続く広大な高層湿原を交えた草原の道。それは翌日に登る肌色の斜面を見せた薬師岳が大きく見える道でした。もし晴れていたら暑さに参ったはずの何も遮るものの無い明るい道は、適度な雲とガスが守ってくれました。彼方に見えた素朴な太郎小屋の姿、その前に立つと黒部源流の山々が水晶岳から鷲羽岳、黒部五郎岳と惜しげもなく、その姿を見せていました。夜には富山湾の漁火さえ見えた天気は、青空の中に明けました。太郎平から薬師岳の道は普段は歩くことの少ない沢沿いの水の流れる中の登りから始まり、久しぶりの素晴らしい高山植物のお花畑の中の登りでした。今年は間違いもなく花の当たり年!長く続いた悪天が八月になってからの一斉開花となったと思います。薬師平からは砂礫とガレの斜面。そこに見えている東南尾根の分岐に建つ避難小屋がなかなか近づきません。でも、一歩登るごとに開ける展望。槍ヶ岳が、穂高岳が、笠が岳が、次々と姿を見せます。「まさか!」と思うガスが山頂付近にかかりました。頂上の一角に立ってからヤキモキしながらの登頂。でも、少しづつ陽がさし、雲海の上に再び山頂が姿を現しました。見下ろす薬師岳のカール、そして黒部源流の大きな切れ込み。薬師岳は見事な大きな、そして遠い頂きでした。

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赤木沢

黒部源流では腰近い徒渉も強いられた
黒部源流では
腰近い徒渉も強いられた

 以下の者は、2009年8月8日〜9日、北アルプス中核を流れる日本一の急流・黒部川源流から赤木沢を遡行し、北ノ俣岳(2661m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日本海から急流を連続させて流れ続けていた黒部川の支流が這い松と高層湿原の間

水量は多くてもやっぱり赤木沢は綺麗
水量は多くてもやっぱり赤木沢は綺麗

にチョロチョロした流れとなり、最後の最後で消え入るようにザレ場の中に消えた後、高山植物の点々と咲く見事な美しい草原が広がりました。背後に広がる水晶岳から鷲羽岳、三ッ俣蓮華岳、黒部五郎岳の美しい連なり、それらを振り返りながらの岐阜・富山県境の稜線に飛び出しました。この夏の極端に不安定な天気、晴れていても時折降る雨に「本当に黒部源流に入って良いのか、どうか?」に悩み続けた赤木沢でした。青空さえ見えだした薬師沢出合い、思い切って入った黒部源流はエメラルドグリーンの美しい流れでしたが、水量は多く、ちょっとした徒渉もメンバーによっては腰を越える水流と強い水圧でした。いつもの源流が初めてゴルジュとなる手前の大きなトロの手前に、焚き火が燃え上がり、イワナ釣りが始まりました。夜の強い雨、夜明け前の雨と心配な材料が山ほどありましたが、美しい出合いの堤防のような滝から赤木沢に入りました。一気に次々と現れる美しいナメ滝、周囲を囲む原生林とキスゲを初めとする美しい花。グイグイと登り詰める明るい谷は見事でした。水量豊富で迫力満点の今日の大滝。右俣に入って次々と現れる苔むした滝。赤木沢は素晴らしい造形美で水源まで迎えてくれました。
 ギリギリの水量でちょっと無理した赤木沢。沢そのものと水源の美しさ、ゴーゴーと流れる谷の音が、まだ耳の中に残っています。

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ヌク沢

 以下の者は、2009年8月1日〜2日、奥秩父笛吹川の支流・ヌク沢を出合いから三段260m大滝を越えて水源まで遡行し、甲武信岳(2475m)、木賊山(2468m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 全く夏らしい晴天の訪れない今年の日本。意気込んで、最も刺激的な登山を準備していた私達にとって、なんと三週間、連続の計画大変更と転進が繰り返されました。北鎌尾根は完全に撤退、滝川本流からブドウ沢は鶏冠谷に転進、そして北岳バットレスはヌク沢へとなりました。毎回の転進にウンザリしながらそれでも向かったヌク沢は豊富な水量で刺激的な遡行を可能にしてくれました。出合いから登りだした沢は随所にナメ滝を連ねて迎えてくれました。そして六基に渡る延々たる堰堤越え。かつて、この堰堤ができる前は下部と同様に穏やかな河原の中にナメ滝とナメ床の連続する素晴らしい中流帯だったのですが・・・・。無意味な破壊と失われた物を惜しまずにはいられません。堰堤が終わると本来のヌク沢が蘇ります。とにかく滝の連続。昨年四月の湿った大雪によって出た大量の倒木が一部を埋めていましたが、それを越えると見事な花崗岩の上の滝の連続でした。三段の大滝の下段は階段状の岩場を慎重に越えました。その上、はるか見上げる彼方からシブキを上げて落ちる中段。今年は何故か随所に色とりどりのシモツケソウ、アザミ等を随所に咲かせ初めて見る独特の大滝でした。ザバザバ放水を全身に浴びる登り、夏の沢独特のヌルヌルのホールド。しかし、この大滝を制して最上段の落ち口でザイルを解く時、大きな達成感がありました。折からの猛烈な雷雨。霞む上部の苔むしたナメ滝。それなりの迫力のヌク沢でした。

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鹿島槍ヶ岳

越えてきた爺が岳が背後に
日越えてきた爺が岳が背後に

 以下の者は、2009年7月27日〜29日にかけて北アルプス後立山連峰の中核をなす鹿島槍ヶ岳(2889m)に扇沢から柏原新道を種池を経て爺が岳南峰(2669m)を越えて冷池、布引山を経由して登頂し、爺が岳中央峰にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂近くからは剣岳が見事
山頂近くからは剣岳が見事

 梅雨明け直前の激しく変化する天気。悪い情報ばかりが伝えられる天気予報。それを裏付けるように歩きだした扇沢橋は強い雨の中にありました。ぐっしょりと濡れて降りてくる登山者。コメツガの森の中を汗をかきながらの登りでした。種池近くで偶然見つけたキヌガサソウ。ガスの去来する中に針の木雪渓が見えだし、岩小屋沢岳が見えだし種池山荘直下のお花畑の中に辿り着きました。まだまだ不安定な天候。去来するガスの中に剣?と思われる山が見えたかと思うと強い雨と風が山荘の屋根を叩きました。翌朝もカッパを着ての出発。展望もない爺が岳南峰が最初の山頂。しかし、中央峰、北峰と続くトラバースの間に黒部川のガスは上がり、対岸の剣・立山連峰が顔を出し、前方には大きく目指す鹿島槍ヶ岳が見えました。何という幸運!冷池山荘前では陽差しさえ射す中に山頂を目指しました。長野・富山県境をなす稜線の信州側に見事な山旗雲が形成され、とりあえず数時間の好天を約束してくれています。徐々に剣岳のガスがとれだし、ついに、その全貌が遠く北方稜線も含めて現れました。布引山に至るまでのお花畑の素晴らしさも見事でした。一面のシナノキンバイ、チングルマ、多くの花の中を山頂を目指しました。一歩ごとに展望が広がり背後には槍ヶ岳も見えました。登り着いた山頂にユッタリと過ごすうちに五竜岳から白馬も見えました。ほんの僅かな幸運を掴んだ鹿島槍の山頂でした。

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鶏冠谷

豊富な水に翻弄された鶏冠谷
豊富な水に翻弄された鶏冠谷

 以下の者は、2009年7月25日〜26日、奥秩父の中核・甲武信岳の隣、木賊山(2468m)に笛吹川東沢の鶏冠谷出合いから魚留の滝、逆「く」の字の滝を越えて右俣に入り、25m滝、30m滝を越えて登頂し、ナメラ沢を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨明け宣言の後、降り続ける雨。荒川水系で最も峻険に谷、滝川。その本流からブドウ沢を目指す豊富な水量の谷の遡行は、当然予想される増水と、谷の中の宿泊の危険性を考えて転進を余儀なくされました。そして笛吹川水系で最も刺激的な谷の本流である右俣へと向かいました。しかし、そこに待っていたのはやはり厳しい遡行でした。魚留の滝は落下する滝ではなく勢い良く空中に水流を放つ激しい滝となり、逆「く」の字の滝はスタンスの上に水が跳ね上がり強烈な水流となっていました。それでも花崗岩の一枚岩の創り出す見事な芸術のような谷は、何時訪れても見事でした。右俣は25m滝、30m滝と大きな壮大な滝を連続させて、その通過はなかなかのものがありました。しかし、今回、特に感じたのは、それらの「核心」ともいえる部分を越えてからの「これでもか!」と続くナメ滝の数の多さと、規模、途切れることのない見事さでした。朝出発のために時間に追われ、主脈の到着が六時近くとギリギリだったために一つ一つの優美なナメ滝を堪能できなかったのが残念です。翌日は、何故か、あまり増水していないナメラ沢の下降でした。前日と打って変わり4パーティーの遡行、下降パーティーと会い、この谷が人気であることを改めて知らされました。やはり一度は登りにとりたい沢の一つです。次回こそ、必ず滝川への訪問を心に誓った鶏冠谷でした。

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五竜岳

奇跡のような青空!背後に今、登った山頂
奇跡のような青空!
背後に今、登った山頂

 以下の者は、2009年7月21日〜22日、北アルプス北部・後立山連峰の中核であり日本百名山の一つ・五竜岳(2814m)にアルプス平から地蔵の頭、中遠見山、大遠見山、西遠見山、白岳と遠見尾根を辿り登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

西遠見の池付近から振り返る
西遠見の池付近から振り返る

 屋根を打つ大雨の音。壁を打つ強い風の音。夜明けまで続いた悪天の気配の中、本当に手が届きそうな近くまで登っていながら五竜岳の山頂が遠い頂きに思われた朝。しかし、黒部川を挟んで剣北方稜線の毛勝三山が霞んで見えだし遠く日本海の海岸線が見えて山頂だけしつこいガスがまとわりついているものの、出発の時になって登れそうな笑顔を山が見せてくれました。タカネシオガマの咲くトラバース道を少しづつ高度を上げながら辿るうちについに山頂が姿を見せました。そして黒部川の上に待望の青空も顔を出しました。前日、降ったり止んだり、そして最後には強い雨が降り続く中を登っているときには期待していなかった天候です。クサリ場が現れ、ザレた砂礫の道が岩の中の登りとなり、急峻な岩場をこなした先にキレットへの分岐が見えました。そこから痩せた稜線を辿ること僅か、待ちに待った山頂がありました。鹿島槍ヶ岳が霞んで見えます。そして不機嫌そうに黒雲を纏わりつかせながらも地獄の山のような剣岳も見えています。高い、高い所に見えていた五竜岳の山頂は僕達の足元になりました。
 それにしても辛い登りでした。何回も繰り返す登り降り。所々、左右に切れ落ちた緊張の道。池の周りで集まる虫達。そんな苦労がすべて報われた五竜岳の山頂でした。

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槍ヶ岳北鎌尾根撤退の報告

増水した槍沢
増水した槍沢

 7月18日〜20日の予定で正規のルート・湯俣から高瀬川を遡行し、北鎌沢からの北鎌尾根を登るつもりでいました。しかし、梅雨前線に南側から強烈な湿度が入り、北アルプス全体が激しい雨。大町地方に大雨、洪水注意報が出るに至って正規ルートからの入山を断念し、上高地〜槍沢〜水俣乗っ越し〜北鎌沢出合いへと転進することとしました。しかし、上高地到着前からの激しい雨は翌日まで止むことなく徹底的に降り続け、梓川、槍沢も激しく増水していました。水俣川そのものの増水と徒渉の困難を考えてババ平での撤退となりました。このリベンジは必ず年内に果たすつもりです。

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飛龍山

大きな木が林立する北天林道
大きな木が林立する北天林道

 以下の者は、2009年7月7日〜8日、多摩川水源地帯の名峰である飛龍山(2069m)に片倉谷出合いから三条の湯に泊まり、北天のタルから登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 さすがに梅雨末期の7月。山々は濃い緑と鳥の囀り、動物たちの気配に満ちていました。何回も繰り返し言っているように、飛龍山は標高では雲取山よりも50m以上高く、山容も堂々として正しく多摩川水源の山々の王者です。この二日間、本当の意味でこの山は僕達の「貸し切り」でした。延々と歩く車道も僕達だけ。ちょっと布団の重いのがつらかったけれどシットリとしたお湯と静寂が一杯の三条の湯も貸し切り、そして、巨樹が林立し一抱え、二抱えのカツラ、ミズナラ、ブナの木々の生い茂る山も独り占め、急坂の辛かった北天林道もハクサンシャクナゲも足元を真っ赤に染めたベニサラサドウダンも全て僕達だけしか見ることのない物でした。山頂を縦走路が巻いているために、頂上への道は細々とした苔の絨毯の上の道でした。濃いガスと時々降る雨に展望もない山頂は「シーン」という音が響いていました。
 飛龍山は奥秩父、奥多摩の中でも僕が最も好きな山の一つです。最初に登ったのが中学一年生。お祭りの先の天平尾根を末端からミサカ尾根へと登り、生まれて初めて雲海を見て、ハゲ岩からの展望に息を飲んだ山です。その日はそのまま雲取山まで縦走し、山頂の避難小屋に泊まって翌朝振り返ってみた黒々とした山容は今でも、昨日の事のように思い出されます。この秋でも、今度は雲取山から紅葉の燃える季節に縦走してハゲ岩からの展望を眺めてみたいと思っています。

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大常木谷

早川淵のゴルジュは胸まで浸って
早川淵のゴルジュは胸まで浸って

 以下の者は、2009年7月5日、多摩川水源地帯で唯一の太古からの姿を留める大常木谷を出合いから五間の滝、千苦の滝、山女淵、早川淵、不動の滝と登り、核心部の終了する会所小屋まで遡行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

不動の滝!美しい
不動の滝!美しい

 多摩川水系で唯一、ほぼ完全に全く人間の手の入ったことのない谷・大常木谷。僕ははっきり言ってこの谷が大好きです。あの林道からなかなか恐い尾根を下り、着く一の瀬川。縞模様の川床とキラキラと光る雲母。広々としたナメ滝を下り大常木谷出合いに到着した時の微かな興奮。テラテラに磨かれた滑りやすい一枚岩の連続は、この谷の持つ長い歴史を感じさせます。やがて五間の滝を濡れながら越える頃から頭上はるか上まで両岸の屹立した大ゴルジュになり「ここから出られるのか?」と心配になるころ、そのゴルジュを割るようにして大きな音と共に豊富な水量を空中に吐き出す千苦の滝に出会います。山女淵から早川淵にかけて両岸が迫り、ゴルジュそのものの中を越えていく興奮は独特の物があります。ここまで全く息継ぐ間を与えない位に次々と新しい何かが現れる・・・、そんな谷です。いったん谷が開けると深々とした濃い緑が広がる中をナメ滝が滑るように落ちていきます。すこしづつ開けていた谷の最後の緊張の不動の滝。大きな釜と二段の優美な滝は最も傾斜があり、シャワークライミングで直登できる美しい滝でした。急激に谷は広がり、左右から支流が入り、急激に穏やかになっていく大常木谷。本当は最後の最後、苔むした岩の中に最初の一滴が消えるまで遡行したい谷でした。残念ながらリタイヤした会所小屋からの林道も一抱え、二抱えもあるブナ、ミズナラの大原生林の中の見事な道でした。大常木谷。今度は大焚き火を囲んで登りたい谷です。

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水根沢

半円の滝を登る
半円の滝を登る

 以下の者は、2009年7月4日、奥多摩・鷹ノ巣山を水源とする水根沢を出合い付近から大滝を越えて半円の滝まで遡行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 奥多摩湖の下、青梅街道から入ることクルマで5分。桃源郷のように谷間に広がる小さな集落・水根。その下に注ぐ谷が水根沢でした。いきなり入る谷。そして最初の二段の滝で腰まで濡れてしまえば、後は恐いもの無しの谷です。残念なのは、ワサビ田の少し上、アシダキ沢上部のここ数年の大規模な崩壊で釜の「へつり」を主たる特徴とした水根沢の釜が大規模に埋まってしまったことです。一時はドロも大分入り、沢登りならの清流が見事に消えて、先行パーティーがいたりすると茶色く濁った水の中の遡行のこともありました。本当は微妙なトラバースを強いられ、シュリンゲからシュリンゲへと飛び移りながらの移動等もあってジャングルジム的な楽しさがあったのですが・・・・。そして、ほぼ全員、かなり上手な人でもドボーンと落ちて大笑い・・・、が水根沢の特徴でした。所々で釜が蘇り、滝はさすがに埋まることもなく、黒々とした固い岩の感触を楽しみながらの遡行は素敵でした。そしてワサビ小屋を過ぎると見事に蘇る澄んだ水。水温までなんだか下がったような気になってしまいます。丹沢等と違って見上げたゴルジュの上の緑の濃さ。谷の随所にあるイワタバコの葉(もう二週間もすればピンクの花を付ける)。そして最後の半円の滝が見事でした。ここの所の雨で滝両側のヌメリも取れて全員、一気に登ることができました。登山道を降りるとあまりの近さにガッカリしてしまう水根沢ですが、多くの沢屋が、この谷から生まれています。ここから沢登りが大好きになってもらえれば幸いです。

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北八つ池めぐり

一瞬ガスが晴れ雨池が全ての姿を見せた
一瞬ガスが晴れた!
雨池が全ての姿を見せた!

 以下の者は、2009年6月30日〜7月1日、北八ヶ岳主峰である北横岳(2480m)に坪庭から登頂し、雨池峠を越えて雨池を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨真っ只中、とは言うもののちょっと刺激の強すぎる天気でした。ガスで真白な坪庭を越えてシーンと静まり返ったシラビソの森の中の登り、イワカガミとオウレンがゴチャゴチャにまとめて咲いている中に建っていた北横岳ヒュッテでした。5m先も見えないような七つ池のガスが動き、所々で雲も見えていた午後、突然見えだした浅間山。あわてて向かった山頂は再び雲の中でしたが、それでも荒船山や奥秩父の山々が微かに見えました。
 夜半から音を立てて降る雨。強い東風。「池めぐり」はスッカリ諦めて、それでも向かった雨池でした。雨池峠の下りは岩が雨の流れで洗われて中々大変な中でした。大石川林道の冴えない車道跡でも、濃い緑になったダケカンバ、シラビソ、コメツガの新緑、そしてミヤマハンノキの花の微かな香り。展望がないぶん、近くの木々の美しさが際立っていました。林道からコメツガのジットリした斜面の向こう・・・、ガスの広がりと何かの空間。間違いも無い雨池がありました。雪に覆われた、一面の銀世界の雨池とは対称的に強風に波立ち、広々とした雨池る一瞬のガスが晴れると新緑の萌えたつ見事な北八ヶ岳の森林の広がりがありました。
 北八ヶ岳。頂上に立つことを目標とした登山とは違う、何かがある空間。中々訪れることの無い、雪の無い北八ヶ岳も独特の美しさと躍動感がありました。四つの池の中、二つしか行けなかった梅雨の池めぐりでした。

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和名倉沢

大滝!ここまで飛沫が飛んで来る
大滝!ここまで飛沫が
飛んで来る

 以下の者は、2009年6月27日〜28日、奥秩父随一の秘峰である和名倉山(2035m)に和名倉沢を出合いから弁天滝、通らず、大滝を越えて水源まで遡行し登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 一夜を過ごしたビバーク地のドードーと流れる沢音が今も耳元を離れません。夜中に目を覚ましてふと見ると焚き火が赤々と周囲を照らしていました。沢は生き物と普段から言ってはいるものの、何回も入っている谷であっても季節、水量、天気によって毎回全く違った刺激があります。今回の和名倉沢の印象は、こんなにも大きな変化に富んだ美しい滝が連続する谷だったか?との思いです。沢に入ってから絶えず印象に残る滝が一つ越えると次ぎが見え、それを越えると次ぎの滝が待ち構え・・・、と次々と現れ、一つ一つがある時は直登し、ある時は恐々と高巻き、少しづつ高度を上げていく楽しみがありました。ツルツルに磨かれた滝が見事に連続した「通らず」。それをコンテで通過した後に頭上から飛沫を振り落としながら遥かな高みから大量の水量を迸らせる大滝がありました。落差でこそ、奥秩父全体では中津川等に更に大きな滝があるものの、その規模と迫力では随一と言って良い存在です。入川真の沢の千丈の滝が優美に静かに大量の水量を落とすのとは対称的に激しさと強さを感じさせる滝でした。そして、更に延々と続く滝場。やがて何本もの支流を分け、苔の上を水が流れるようになり、それもやがて岩の間に消え去り、見事なまでのシラビソの森の登りになりました。標高差1500m近く。そのほとんどを急傾斜の滝とナメが支配する和名倉沢。荒川水系の谷の大きさと重厚さを思い知らされた二日間でした。

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釜の沢

魚止めの滝の上は明るく開ける
魚止めの滝の上は明るく開ける

 以下の者は、2009年6月20日〜21日、奥秩父笛吹川東沢釜の沢を出合いからホラの貝のゴルジュ、千畳のナメ、両門の滝を経て水源まで遡行し、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨のスキマの貴重な一日。乾いた空気と空に舞う巻雲。キラキラと光る沢の水。沢登りが本当に素敵になる日でした。毎年、必ず一度は訪れる笛吹川釜の沢。しかし、毎年訪れても一回として同じであることはなく、毎回、新しい発見と刺激があります。僕が釜の沢を頻繁に訪れるのは、本当の登山としての沢登りがあるからです。出発したときは、まさしく「川」のような流れが、谷としての奔流、そして沢として水源の一滴まで詰めあげる。最後に水源の山頂に立つ。そんな変化に富んだ登山としての本来の沢登りが、これほどスッキリとできる見事なルートは無いと確信します。何回も大きな沢の様子の大きな変化を経験している釜の沢ですが、昨年の春に降った重い雪が鉄砲水となって谷の様相を大きく変えました。最初に驚くのが、東のナメの出合いが明るくなった事です。かつては鬱蒼とした森が出合いにあったのが、多くの木々が斜面ごとはげ落ち、明るいスラブが大きく露出しているのに驚きます。更にヤゲンの滝の上の広河原の荒れ方です。不安定なガレが堆積し、倒木が倒れ、なかなか大変な場所となりました。何回かの大水がきっと谷を落ち着かせることでしょう。標高差1200m、歩行時間が実質的に9時間近く・・・。バリエーションルートとしては、けしてお気楽とは言えない釜の沢。水源のポンプ小屋の見えたときの嬉しさは毎回、変わることはありません。翌朝のガスの立ち込めた雨の甲武信岳。一日の晴天に感謝します。

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千本ツツジ

日蔭名栗の峰山地用付近は広々とした草原!ワラビもある
日蔭名栗の峰山地用付近は
広々とした草原!
ワラビもある

 以下の者は、2009年6月16日、奥多摩・石尾根の不遇の名峰・日蔭名栗の峰(1725m)に奥多摩湖畔・峰谷上の奥集落から鷹ノ巣山避難小屋を経て登頂し、更に高丸山(1733m)を経て千本ツツジ下まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨の真っ只中の天気が不安定ではあることを覚悟しての登山でしたが

雹降る中の千本ツツジ満開でした
雹降る中の千本ツツジ満開でした

、ちょっと変化に富みすぎた今回の千本ツツジでした。鷹ノ巣山避難小屋前で微かに聞いたドーンと雲取山方面で響いていた雷の音。それが正しく今回のハイライト・満開の千本ツツジを前にしたところで、激しい雹混じりの雷雨となって出会うとは参りました。見る見るうちに白く積もっていく透明な雹の玉。それに次々と打ち落とされた朱色のヤマツツジが足元をドンドン埋めていく不思議な光景を激しい雷鳴と共に見、聞きました。激しく、美しい、そしてちょっと寒く、雹の当たりが身体に痛い千本ツツジでした。本来の石尾根縦走路は七ツ石山から先、千本ツツジ、高丸山、日蔭名栗の峰等のピークを全て水平に巻いています。しかし稜線には古くから広々とした防火帯びが刻まれ、草原の上を大きく上下しながら奥多摩の中でも1700mを越える比較的標高の高い立派なピークの山頂を通過していくことができました。歩き始めの奥集落がすでに1000m近く。期待していなかった陽差しに、モーモーと湯気をあげるブナとミズナラの広葉樹の尾根はハルゼミと鳥の囀りに満ちていました。稜線で雷に会う事を避けるためソソクサと歩いたピークの先で見た雷の中のヤマツツジの真っ盛りの朱色のトンネル。奥多摩の夏の前の激しい一面を見せてもらった千本ツツジの不思議な一日でした。

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赤岳

赤岳への登りの背後には権現岳と南アルプス
赤岳への登りの背後には
権現岳と南アルプス

 以下の者は、2009年6月9日〜10日、八ヶ岳主峰であり最高峰の赤岳(2899m)に美濃戸から南沢を登り、行者小屋から文三郎尾根を経由して登頂し、横岳奥の院、硫黄岳と主稜線を縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

夕焼け空に槍ヶ岳が映える
夕焼け空に槍ヶ岳が映える

 梅雨入り前の貴重な一時。八ヶ岳が冬から夏へと向かう、そのちょうど狭間の中に登ることができました。二日間、晴天の予報の中、茅野の町は高曇の中にありました。それでも美濃戸へと向かうクルマの中からは目指す八ヶ岳が大きく広がっていました。美濃戸から登りだしてすぐに全く期待していなかった「ホテイラン」が点々と咲き、シラビソの森の林床の分厚い苔の上を飾っていました。緑は2200m前後まで登っています。ダケカンバの先が僅かに緑色を見せるとあんなに遠かった阿弥陀岳が頭上に高く聳えるようになりました。木陰に点々と残雪を見るようになり、明日、辿る赤岳から横岳、硫黄岳が見事に眺められる行者小屋に着きました。ここから激しい登りを一歩一歩と登り詰めます。大同心と肩を並べだすと森林限界を越えた風が背後から僕達の背中を押します。いきなり視界に飛び込んで来た南アルプスの雄姿、そして乾いた登りやすい岩場を越えて最高峰・赤岳へと登り着きました。曇り空と弱い太陽の光の中でしたが360度の広大な展望がありました。天望荘の一夜が明けて冷たい風と展望の中、緊張の稜線の縦走の始まりです。そして日の岳の山頂近くで捜してきたツクモグサとの出逢いがありました。横岳奥の院を越えて硫黄岳へと向かう道にはキバナシャクナゲが可憐な姿を見せていました。
 八ヶ岳の核心部。赤茶けた岩場が続いた稜線は遮る物も無い展望の道でした。梅雨の間のこの山域は花の山です。また、違った花を求めて訪れます。

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小川谷廊下

 以下の者は、2009年6月7日、西丹沢を代表する豊富な水量の沢・玄倉川小川谷廊下を出合いから石棚の滝まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

小川谷廊下は水との闘いに終始する
小川谷廊下は
水との闘いに終始する

 小川谷廊下は美しい谷です。出合いから始まる花崗岩の創り出す白い岩と澄んだ水の流れは文字どおり「廊下」の言葉がピッタリの素敵な世界を見せてくれました。谷に降りていきなり頭から水を被る滝から全ては始まりました。この廊下の魅力は、豊富な水量に磨かれたツルツルの悪場と大量の水量を落とす滝とが、次々と息継ぐ間を与えずに連続しボンヤリする間の無い遡行が楽しめることです。また、他の沢と違い、いったん谷に入ると両岸は屹立して「廊下」を形成して容易には、この谷から抜け出せない奥深さを見せています。一つ一つは小さな悪場であっても腰まで水に漬かり、ルートを見つけ、微妙なトラバースで登り詰めていく楽しさ。角を一つ曲がると全く違う明るさと次ぎの滝が見えてくる変化の大きさ。西丹沢ならではの静けさも魅力でした。最終的には最も濡れたゴルジュ、トラバースから噴水状に沸き立つ流れを越えて、水流から微妙な登りで滝の上に立つ滝から先の大きく開けた落差20m、石棚の滝で遡行を打ち切りました。
 西丹沢はヒルも少なく、同角沢、ザンザ洞等の大きな滝を持つ沢、中川本棚沢のように落差70m。本格的なクライミングのようなWからX級の微妙なマルチピッチの登攀を強いられる沢等、激しく大きな谷がまだまだ沢山あります。その原始性において奥多摩に一歩ゆずるとは言え、沢登りの西丹沢としてもっともっと登っても良いのかな?と改めて思います。小川谷廊下。花崗岩と滝の音がまだ耳に残ります。

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勘七の沢

 以下の者は、2009年6月6日、丹沢・花立から流れる勘七の沢を出合いから大滝まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

勘七の沢では沢登り一年生が沢山デビュー
勘七の沢では
沢登り一年生が沢山デビュー

 クルマを降りる前にヒル対策をしなかったことを後悔させるような軟体小動物の歓迎。小雨降る中の勘七の沢でした。いきなり現れたF1。きわどいトラバースから濡れた岩の登り。ここ数日の雨で増水しちょっと威圧的な滝の音が初めて沢に挑む者には不安をかきたてます。次々と現れる滝、ゴルジュ。この勘七の沢は表丹沢の多くの谷が、酸性雨から鹿の食害を経て、土砂が流入し、例えば水無川本谷のように人気の沢が遡行価値を半減させていった中にあって、沢筋そのものは殆ど破壊されることなく遡行可能な貴重な沢です。何よりも嬉しいのは、大きな滝の他に小さなナメ滝を持ち、ゴルジュのヘツり、釜の通過、小さな高巻きと沢登りの多くの要素を楽しむことができることです。最後に大滝まで登り、仕事道から下山しましたが、本来は、ボロボロの沢の詰めを恐々と登り詰めて小さなピークとは言え、花立まで登ってこその勘七の沢です。遡行しながら感じのたのは左右の斜面が頭上は豊かな森が覆い、濃い緑が潤いある沢を見せてくれているのに、ほとんど下草等の生えていない荒涼とした剥き出しの土の斜面を見せていることでした。鹿の頭数を減らし、斜面の笹や緑を回復させなければ、この勘七の沢も他の沢と同じ道を辿ることが心配です。
 日帰りの沢ではどうしても沢の面白い、変化に富んだ部分だけを楽しむ傾向に陥りがちです。この勘七の沢で初めての沢を体験し、その楽しさを知ったなら、ぜひ、山頂を目指す登山としての沢登りに挑戦していただければ嬉しく思います。

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笠取山

 以下の者は、2009年6月2日、奥多摩、奥秩父の多摩川水源の盟主・笠取山(1983m)に中島川橋から黒槐尾根を辿り多摩川最初の一滴・水干を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 クルマを降り立った途端の耳が可笑しくなりそうなハルゼミの大合唱。緑色の濃い黒槐尾根を登り標高を上げていくに従っての鳥の声の囀りの賑やかさ。多摩川水源の山々は山の中の生き物の気配に満ちていました。歩きだしたカラマツの森の中では緑色は濃い色をしていました。登り詰めて水干の近くまで来ると、まだまだ春の花・ミツバツツジの濃いピンクと共に新緑の気配が満ちていました。多摩川の最初の一滴は、まさしくポツンポツンと生まれ出たばかりのごくわずかな水滴でした。ここから実に138km。東京都民の喉を潤し続ける多摩川の始まりです。笠取山は埼玉県と山梨県の県境の山です。水干から登り詰めること僅か。県境の尾根は山梨側の明るい新緑の広がりと、埼玉側の鬱蒼たる原生林の暗い広がりが見事な対比を見せる中にありました。稜線を彩るトンネルのように続くシャクナゲの美しさ。開き初めのショッキングピンクから満開の白い花まで同じ花とは思えない濃淡を付けて僕達を迎えてくれました。笠取山は明るい山です。とりわけ南西方向に大きく広がり雁峠まで続く草原地帯は山上とは思えない明るい広がりを見せています。ここに降った一滴は北に流れれば荒川に、南西に流れれば富士川に、そして東に落ちた水は多摩川に、文字どおりの分水嶺の山です。笠取山から雲取山にかけての尾根は飛竜山、大常木山を筆頭に不遇で重厚な山を林立させています。いつか機会を見つけて、この見事な山々も歩きたいものです。

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逆川

激しい雨の中、逆川の11m滝を登る
激しい雨の中、逆川の11m滝を登る

 以下の者は、2009年5月31日、奥多摩日原川支流・川乗谷の逆川(サカサガワ)を出合いから二段11m滝を越えて第二のゴルジュまで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 川苔山から流れだした逆川は、かつては多くの遡行者を迎えていた奥多摩を代表する沢でした。しかし、10年ほど前から山頂直下のちょうど逆川の水源に当たる場所が鹿の食害のために丸裸の露地となって、大きく崩れてしまい。そのために大量の土砂が沢に流れ込み釜や滝を埋めて遡行価値を無くしてしまいました。鹿の大規模な駆除と水源地帯の柵の設置でようやく蘇りつつある逆川でした。「午前中は晴れ」の予報を信じ、谷に入った僕達でしたが最初の二段11m滝は激しい降雨の中の登りでした。前日の水根沢に比べて遥かに深山の様子。濃い緑、美しい水と本来の奥多摩らしい沢登りは、雨天にも関わらず素敵でした。すこしづつ増えていく水量、ちょっと濁りだした水、ちょっと不安の中の逆川でした。逆川は滝、小滝といった形の物以外であっても連続する斜面の中に滝状の落水が延々と続くのが特徴です。平凡に河原を歩く部分はほとんどなく、釜、落水、滝と次々と現れる課題を越えていく楽しさがありました。再び、谷が両岸が迫り、ゴルジュを越え滝を越えた所で激しくなる雨を警戒して大ダワ沢合流点手前から仕事道を下山しました。また、きっと、もっともっと暑い季節に完全に遡行してみたいとの思いを新たにしています。
 下山途中、ガイド自身が仕事道から路肩を踏み抜きかけて、右足の靱帯損傷といった恥ずべき怪我をしてしまいました。下山が遅れ、みんなに心配をかけた事を改めてお詫びします。

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水根沢

水根沢のハイライト半円の滝の登り
水根沢のハイライト半円の滝の登り

 以下の者は、2009年5月30日、奥多摩・鷹ノ巣山から多摩川に向けて流れ落ちる水根沢を水根集落から遡行し、第一のゴルジュから大滝、半円の滝まで核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 水根沢は独特な谷です。青梅街道から僅かに入った集落から谷に入ると、つい近くでオートバイの爆音がしているのが不思議なような、大きな釜が待ち構えていました。沢登りというと、ついつい滝登りに終始するイメージがつきまとう中で、この沢は徹底的な釜のヘツりと深い徒渉に終始するのが特徴です。しかし、その釜の多くが鹿の食害によるアシダキ沢の崩壊によって埋まり、一時期の遡行価値の無くなったかのような厳しい状況よりは好転したものの、シュリンゲを伝い、壁を際どくトラバースして・・・、といった独特のイメージは失われてしまいました。また、再び、何回かの大水の後に、昔の緊張の水根沢が蘇ることを期待しています。それでも、ドロは流れて、一時期よりはぐっと綺麗になった水と、ゴルジュの上を覆う元気の良い緑の調和は見事な物がありました。アシダキ沢を過ぎると一気に綺麗になる澄んだ水。沢床の石の一つ一つが冷たく光る本来の沢の姿が蘇りました。両手を突っ張って登った半円の滝を最後に水根沢登山道へと上がりました。
 「風の谷」の思う沢登りは、谷から沢へと辿り、その沢の与えてくれるいくつかの困難を乗り越えて、その水源へと辿り着き、そしてその水源の山頂に立つ。登山としての沢登りです。今回も来週の丹沢の沢も残念ながら頂上とは縁のない「沢の体験」にすぎません。その経験を足掛かりに、甲武信岳に向かう釜の沢や和名倉山に向かう和名倉沢等にも挑戦していただければ幸いです。

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甲武信岳

千曲川水源の道を登る
千曲川水源の道を登る

 以下の者は、2009年5月26日〜27日、奥秩父の中核・日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に千曲川水源から登頂し、埼玉県最高峰・三宝山(2483m)を経て武信白岩、大山を越えて十文字峠まで辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

今年もすごい!シャクナゲの海
今年もすごい!シャクナゲの海

 しみじみと考えて、奥秩父の中で最も奥秩父らしい部分とは甲武信岳から十文字峠の間であると改めて思い知らされました。5月末にしては多すぎる残雪を踏みしめて歩いた千曲川水源の道、そして登り着いた山頂からは春独特の霞んだ空気の中から南アルプスと八ヶ岳が大きく見えました。甲武信小屋では思わぬコンサートに遭遇し楽しい一夜を過ごしました。そして歩きだした十文字峠への道。残雪の上を越えてくる風は冷たく乾き、まるで遠いヒマラヤ山中を歩いているような不思議な気持になりました。長野県と埼玉県を分ける県境の尾根。シラビソからコメツガ、そしてダケカンバに囲まれた尾根は、長野側は木の間越しに高原野菜のレタス畑が見えているのに対し、埼玉側は鬱蒼たる樹林の間から遠く雲海の下へと広がる荒川水源の広大な黒木の森が沈んでいました。三宝山から分厚い苔に覆われた山の中を歩き、尻岩にかけての重厚な森。雪が消えてコメツガの森に替わる頃から、その樹林の下は次ぎの世代をになう幼木が頭を並べて密集して生えていました。大山を越えて、少しづつアズマシャクナゲの木が目立つ頃、見事なまでに咲き誇ったピンクの森との出逢いがありました。十文字峠、乙女の森、今年は、そこに限って言えば「当たり年」であったと言えます。咲きかけのツボミから開花した明るいピンクまで暗い原生林とは対象的な輝きが十文字峠にはありました。

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三つ峠

 以下の者は、2009年5月23日〜24日、三つ峠屏風岩で行われた岩登り講習会に参加し、多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 乾いた岩、澄んだ空気、天空を突き刺す見事な富士山。三つ峠の岩登りは、いつも最高のロケーションの中にある。大人数の講習会で占領された一般ルート付近を抜け出して、本格的なマルチピッチの岩場が初めての者も含めて、多くのルートを登ることができた。岩登りの練習は「流れの中で泳ぎを覚える」の例え通り、実際のルートを本チャンと同じように上下することで一番上手に身につくこと確信する。セルフビレーをどうやって付けるか?それは何故か?等は口で何度も言うより、実際に大きな壁を上り下りして「ちょっとのミスで容易に人が死ぬ」世界の中に身をさらして初めて意味が判るものだと思う。昼から夕方の講習で二回天狗の踊り場を往復でき、登ったルートのグレードとは別で、実践的な登攀が身についたと思っている。
 翌日は朝から雨。他のパーティーが殆ど下山してしまう中で、東面でのトップロープでの登攀と、中央壁を中心に懸垂下降の確実な技術の習得を志した。フラットソールの靴とチョークの手助けを常識としている現在のクライマーにとっては雨にぬれ、壁の上に水が流れる状態での登攀はなかなか体験しないこと。しかし、実際の山では天候の激変で雷雨の中を登ることも、雹の中を登ることもある。濡れた岩の中でも確実に登ること、身を守ることの大切さを学べたとも思える。この講習は、この夏、秋、本チャンを目指すための講習だ。これからの沢や、登山全般を絶えず「本チャンを意識した」登山として行うキッカケとなれば嬉しく思う。

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両神山

サラサラと流れる昇竜の滝
サラサラと流れる昇竜の滝

 以下の者は、2009年5月19日、奥秩父北端の岩峰の山・日本百名山の一つである両神山(1723m)に白井差から昇竜の滝を越えて水晶坂、ブナ平を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

顔が緑色になりそうな新緑のブナ平
顔が緑色になりそうな新緑のブナ平

 顔が緑色に染まる・・・、そんな中の両神山でした。奥秩父の北端、埼玉県の北の端、もうすぐに群馬県に手が届きそうな本当の山奥に両神山はありました。様々なトラブルの果てに古くからの白井差コースが閉鎖となって開拓された新道。しかし、実際に歩いてみると見事なまでに自然林の中に付けられた素晴らしいコースでした。澄みきった誰も入らない沢沿いの道。杉、檜の森は最初だけで昇竜の滝のサラサラと流れるように落ちる姿を見た後は、明るい広葉樹の中を歩きました。大笹沢に沿った道は沢に近づいては高巻きを繰り返しながら着実に高度を上げていきました。かつては登山コースのあったノゾキ岩が見上げるような威圧感と共に見られました。けして決定的な急坂のないままに、周囲はブナとミズナラに囲まれた公園のような広場になりました。曇がちの天気にもかかわらず背後には武甲山を初めとした秩父の山、そしてなかなか見るチャンスのない奥秩父主脈の北側からの重厚な眺めがありました。見上げていたノゾキ岩といつしか肩を並べて、かつては梵天尾根登山道の走っていた尾根と合流しました。山頂直下、かつて歩いた岩場のルートを少し体験している僕達の目にはお祭りの飾りのようなピンクの花・アカヤシオの咲き残りがありました。もう時期も過ぎ、すっかり諦めていたので感激一杯です。大人数では山頂に全員立てないほどの狭い山頂。遠く雪を輝かせる八ヶ岳や上州の山も見えました。ヤッパリ名山の両神山でした。

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唐松谷

野陣の滝は激しい水量で流れていた
野陣の滝は激しい水量で流れていた

 以下の者は、2009年5月17日、東京都最高峰・雲取山から日原川へと注ぐ唐松谷を出合いから野陣の滝を直登して大滝まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

優美な大滝の姿
優美な大滝の姿

 谷に入るとドウドウと流れる澄みきった流れがありました。見上げる頭上の木々は、もう新緑と言うよりはシッカリした青葉となってサワグルミ、ミズナラ等が覆っていました。唐松谷は水量豊富な見事な谷でした。つい先日に登った赤石岳の赤い石を思い出させるラジオラリアのような石。一見、傾斜の強い河原のように見えても上の方から激しく水を落としながら流れる激しい渓相。苔むした沢床と見事な調和を見せていました。この所、けして雨が多かったわけでもないのに、野陣の滝は激しい水勢の中にありました。そして、普段は無理なく登れる直登ルートはヌメヌメと水垢が付き、大変登りにくいものでした。野陣の滝は単に三段の滝と言うよりは、さらに、その上に水量の多いナメ滝、巨岩に覆われた急斜面を用意し実際に登った者の目には大きな滝を攀じ登ったような感じでした。激しい野陣の滝を越えた者の目には、その分、優雅にサラサラと流れ落ちる大滝はとても優美に見えました。
 この唐松谷を初めとして、小雲取谷、大雲取谷、権衛谷、イモリ谷等は、何れも東京都最大の原生林の中を流れています。そのため、他の奥多摩の沢と決定的に違うのは、その緑の深さ、流れる水の美しさです。今回、滝登りに多くの時間を費やし上まで登ることは厳しかったのですが、できれば雲取山の山頂に立つことを考えた「登山としての沢登り」を場所です。家に帰っても、まだ、ドウドウという滝の音が耳を離れません。

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日和田山

 以下の者は、2009年5月16日、奥武蔵の日和田山の岩場で岩登りの入門講習を受けたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場は小さな岩場です。でも、充分な支点と数多くのルートがあり、何よりも岩登りの入門者が沢山います。初めて来た方はね随分と沢山の人がいると驚かれたことと思いますが、それでも、この土曜日としてはとても少ない人数だったのです。この講習の目標は「岩登りのシステムを理解する」ということにあります。セルフビレーの必要性、確保の基本的な形、フォローで登りながらのランニングビレーの回収、テラスについてまずセルフビレーをとることです。実際の登攀そのものは、初めてとしては充分にできたと思います。ただ、自分の目で「デコボコした場所」を捜し、手がかり、足掛かりとしていくこと、手で登るのではなく「足の力で自分を押し上げていくこと」、これは、毎回、毎回、自分に言い聞かせなくてはならない事です。「やっぱり腕力をつけなくては・・・」という感想は指先まで疲れ切った腕を見ると当然のように感じるのでしょうが、それ以上に大切なのは「動き」だと思います。隣で講習されていた広瀬ガイドが松の木ハングを登りながら「縦のホールドに縦に力を入れても登れない」「拇指に力を込めて押し上げる」と解説をしていましたが、実際の登攀でもまさしく、そのように感じます。
 日和田山の岩登りは岩登りの本当の基礎の中の基礎を学ぶ場所です。ここからの力のアップは登山そのものの中で岩と向き合うこと、マルチピッチの岩での練習を開始することに尽きます。がんばってください。

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雲取山

 以下の者は、2009年5月12日〜13日、東京都最高峰・2000m峰であり、日本百名山の一つである雲取山(2017m)に日原川上流・大ブナ別れから長沢谷を渡り、大ダワ林道を登り登頂し、富田新道を大ブナ別れへと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 丸二日の間、そこが東京の一角であることを忘れさせる見事な原生林の中を歩きました。新緑はようやく、この2000m峰の山頂へも届きそうな勢いです。小さな枝先に点々と付く黄緑色、芽キャベツのようなカラマツ枝先。そして勢いを増しつつある谷間の濃い緑色。この日原川上流から雲取山に向けての谷間、長沢背稜から富田新道に囲まれた一帯は東京都最大の原生林です。とりわけ大ダワ林道周辺は「巨樹コース」として知られ、見上げるようなトチノキ、カツラ、ミズナラ、ブナの巨大な木々が最も残る場所です。また、このルートは多摩川の最大支流・日原川が谷から沢、そして細々とした流れとなって消えていく水源の道でもありました。見下ろす、谷の優美な姿、小滝や淵となって流れる沢筋の美しさ、点々と咲くミツバツツジとサクラ。素敵な道が続きました。翌朝の天気を心配して取り敢えず登った雲取山山頂。曇り空の下の霞んだ景色でも周囲に広がる山々は見事でした。翌朝、再び立った山頂。そこは富士山、大菩薩を初めとした楽しい展望の中にありました。
 標高1000mを越えてからの登山。期待の2000mの厳しさはありませんでした。でも、登りも下りも誰にも逢わず、静けさと鳥の声、緑の美しさを堪能した二日間でした。雲取山は東京都の西の端であると同時に奥秩父の始まりの山です。遠くに霞んでいた山並にも関心を持ってください。

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赤石岳

稜線からは絶えず大きな富士山が見えた
稜線からは絶えず大きな富士山が見えた

 以下の者は、2009年5月2日〜5日、南アルプス・赤石山脈の南部に向けて椹島から蕨段に入り、千枚岳(2879m)を越えて南部の最高峰・悪沢岳(3141m)に登頂し、荒川中岳(3083m)、荒川前岳(3069m)と三山を辿り大聖寺平から主峰・赤石岳(3120m)へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

誰もいない!やっと人に会えたと思ったら木本さんだった
誰もいない!
やっと人に会えたと思ったら
木本さんだった

 南アルプス南部の山々の大きさ、奥深さに圧倒された四日間でした。とにかく登山口に着くまでが大変。大井川の上流、登山とは縁の無さそうな先入観のある静岡県の奥の奥。延々とクルマを走らせた後に突然現れる井川の大きな集落。そ

行く手には大きな赤石岳
行く手には大きな赤石岳

して辿り着く畑薙ダムから椹島への道。奥西河内を釣橋で渡り逃げ出したくなるような標高差2000mを越える登りが待っていました。白根三山から伸びる尾根の笊ヶ岳等の不遇の山々と肩を並べ、2700m近くまで原生林の中を登る独特の森を乗り越えて、森林限界を迎えた嬉しさは南アルプス南部だけの達成感です。「この山では距離感が判らない・・・。」正直な感想です。千枚岳から悪沢岳、荒川岳そして赤石岳と続く尾根は、一つ一つの山頂が手が届きそうな近さで見えていて、実際にはどんなに歩いても中々着かない・・・。それは山の大きさ、一つ一つの山とコルとの標高差、山容の雄大さに繋がっていました。この大きな山脈、ゴールデンウィークという時期、日本の山の標高第六位と七位を歩いても、人の姿をほとんど見ない・・・、やっと人に会えたら木本ガイドと良く知った顔の仲間という有り様。広大な山脈を独り占めした嬉しさは、最高でした。毎日の辛い行動、体力勝負の山を歩いた充実感で胸が一杯になった南アルプスの最後の雪山でした。

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日和田山

日和田山全員集合
日和田山全員集合

 以下の者は、2009年4月29日、奥武蔵・日和田山で行われた「岩登り初体験講習」に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山の講習で獲得してほしい事がいくつかあります。一つは、岩登りの最初のキッカケを掴むこと。もう一つはロープワークを含めた岩登りの基本的なシステムを獲得すること。そして、岩場での身のこなし方の基本を身につけることです。一つ一つ、それぞれのパーティーで登っていただいたルートは、それぞれの課題を持っています。例えば、とにかく、岩に触れて実際の岩登りのシステムを理解するルート。凹角の中では岩の中に入り込みすぎない(岩にへばりつかない)ことの大切さをを知るルート。岩に正対するだけでなく、縦のホールド等も積極的に使い、身体の動きで登り切るルート。そして、壁が屹立してくるほど「足」の力で登ることの大切さを知るルート。それぞれ学ぶべきことが沢山あります。そして、もう一つ、「落っこちたら危険」な箇所では、積極的にザイルを出す事。さらにザイルを一端身につけたからには絶えず、パーティーを守るシステムが一瞬の隙も無く続いていることです。どんな時でもロープを付けたら最初にセルフビレーをして自分を守ります。トップはビレーヤーに確保されながら支点にザイルを通しながら前進します。テラスに着いたらトップがセルフビレーをして「ビレイ解除」でトップへの確保を解除し、トップがセカンドへの確保を開始して初めて「登っていいよ!」となります。絶えず、セルフビレーで自分の安全を守っているか、相手に確保されて安全な状況にあるか・・・、何れかの状況であることの大切さをまずは知っていただきたいです。さぁ!次ぎはマルチピッチだ!

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大岳山

大岳山への新緑のトンネル
大岳山への新緑のトンネル

 以下の者は、2009年4月28日、奥多摩主脈の最も目立つピーク・大岳山(1267m)に御岳山から綾広の滝を越えて登頂し、富士見台、つづら岩、鶴脚山と馬頭刈尾根を縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

特徴ある山頂を振り返る
特徴ある山頂を振り返る

 東京の西の空にいつもクッキリと見えている大岳山。キューピー山、イスの山・・・、様々な愛称で呼ばれ、なかなか山の名前の特定できない人でも、この山だけは判る!という人は多い。そして、そのトンガリ山から左へと長々と伸びる尾根・・・、それが馬頭刈尾根。今回、やはり最後までは歩ききることができず、その「長い尾根」の真ん中にある二つのピークのうちの一つまで歩いて下山しました。これから、日々、あの山を見上げるたびに「アソコを歩いたんだ!」という自負が生まれるはずです。この大岳山と御前山、そして三頭山との三つのピークを総称して「奥多摩三山」「奥多摩主脈縦走路」と呼ばれています。標高的には多摩川北岸の山々に及ばないものの、最も目立ち、奥多摩の背骨とも言える山々です。毎週、毎週、この付近の山々を歩いてきている者として、日々の緑の変化、毎日のように斜面を新緑が登り詰めていく様子に言いようのない躍動感を感じます。花が咲くから虫が来る、虫がいるから鳥が来る・・・、そんな生き物の気配が山々に感じられます。一年でおそらく最も山歩きが楽しくなる季節です。綾広の滝の辺りでウルサイほどに叫んでいたミソサザイの声。奥多摩に初夏の訪れを知らせるツツドリの声。なんだか嬉しくなりました。
 やはり、何時の日か、一度は全部を歩き通したい馬頭刈尾根。二度に分けるか、前夜、御岳山の宿坊に泊まるか・・ただいま思案中!

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生藤山

あいにくの天気。でも、新緑は光っていた
あいにくの天気。
でも、新緑は光っていた

 以下の者は、2009年4月21日、奥多摩南端の甲武相国境尾根の中核をなす生藤山(990m)に南秋川の柏木野から万六尾根の三国峠道を登り、連行峰(1003m)を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 歩きだして南秋川の清流を渡ってから石楯尾神社へと下り着くまで、絶えず自分達の視界の中に花のあった一日でした。あいにくの雨の予報。歩きだした頃は背後に長々と連なる浅間尾根が見られましたが立ち込めるガスに、それも消えて足元ばかりに目がいっていたせいかもしれません。でも、4月に入ってから急速に山々にも訪れだした春。花が顔を出し、山腹の木々が萌黄色の葉を付け、鳥のさえずりが山々に響きわたる・・・、そんな季節を全身で感じた一日でした。今回の目的の山頂は生藤山でしたが、越えてきた道は「三国峠道」として古くから人々が越えてきた峠道です。甲州・鶴川上流の里と秋川上流の里とを結ぶ道でした。塩が越え、蚕や繭玉の越えた道です。一時期、ひどく藪が覆い、歩きにくかった道が復活して随分とたちました。一般的には石楯尾神社から登り、柏木野へと下るようですが、晩秋から早春にかけて南秋川の寒々とした集落から延々たる登りをこなし、国境尾根に飛び出した途端に目に入る手の届きそうな大きさの富士山との出逢いを楽しみに(今回は全くダメでスイマセン)、逆コースを辿っています。国境尾根の南と北では吹く風も斜面の傾斜も全然違うように感じます。そんなに風土の違いを感じるのも峠越えの楽しみの一つでしょう。山の緑は、今、1000m位まで這い上がってきたようです。例年に無いスピードと言えます。これから賑やかになる奥多摩、奥秩父の山々。その変化を楽しみに歩きます。

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丹沢山

明るい笹原が眩しい
明るい笹原が眩しい

 以下の者は、2009年4月14日〜15日にかけて丹沢山脈の主脈を大倉から花立を経て塔の岳(1491m)を出発点に丹沢山を越えて最高峰である蛭ヶ岳(1673m)に登頂し、姫次、黍柄山、焼山と辿り完全縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

縦走路からは富士山と南アルプスが大きい
縦走路からは
富士山と南アルプスが大きい

 登りだしから強く降った雨は結局、丸々一日カッパを着ての行動を強いました。低い標高から、まるで住宅街の外れから歩きだすような大倉からの通称「バカ尾根」の登りは急激に元気を付けてきた緑色と鳥の囀りの中にありました。オーバーユースで荒れ果てた感じもある延々たる登り、様々な種類の桜の花を楽しみユックリユックリと辿りました。花立を越えると緑も消えて荒涼たる稜線の上を強い風雨が吹いていました。丹沢山まで行けるか・・・、塔の岳でお終いにするか、強い風に悩みましたが、やはり主脈完全縦走への思いは強く、前進!みんなの頑張りで山頂に建つ「みやま山荘」の明るい部屋に転がり込みました。夜半まで吹き荒れた風雨も収まり、丹沢山山頂からは真白な富士山と南アルプス、駿河湾から奥多摩、奥秩父の山々と見事な眺めがホコリの吹き流された澄みきった春の空気の中にありました。そこから最高峰・蛭ヶ岳への稜線。谷川岳稜線を思わせる明るい笹の原、点在するブナの森。丹沢の背負った悲しい宿命、ガレの発達と尾根の崩壊、延々と続く鹿除け柵にも関わらず、明るい気持ちで一杯になりました。蛭ヶ岳をすぎると一転しての静けさと本来の原生林の中を歩きました。美しい雑木林の道、うるさいほどに響き渡る鳥の声。明るさに満ちた尾根歩きでした。初日の強い雨は、本来の行程の何倍にも感じる苦労を強いて、翌日も足の重い縦走でした。それだけに全部を歩ききった嬉しさで一杯の丹沢でした。

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霞沢岳

登りの背後には乗鞍岳がデカイ
登りの背後には乗鞍岳がデカイ

 以下の者は、2009年4月11日〜12日、北アルプス常念山脈の南端にあり穂高連峰の大展望台・霞沢岳(2645m)に沢渡駐車場から霞沢発電所の貯水池経て南尾根を末端から登り登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂は穂高の大展望台
山頂は穂高の大展望台

 おそらく、この冬、僕たちが唯一、この南尾根に取りついたパーティーだったはずです。送水パイプ脇のジグザグ道を登りきり、広々とした明るい尾根を辿りました。ブナとミズナラの創り出す美しい尾根をグイグイと登り、雪にワカンをつけたのが1600m前後。シラビソ、コメツガの木々にダケカンバが混じりだすと尾根は急激に広がりを見せて随所で二重山稜の広々とした広場をアチコチに作っていました。最初の小ピーク・2304mの下の風当たりの無い雪の影に僕達だけの素敵なテント場はできました。風の音も、他のパーティーの気配も、その他の文明の音が一切しない中、深夜にクロツグミ(いわゆる「鵺」)の声だけが響いていました。ヘッドランプで出発。再び、ボコリボコリとラッセルしながら雪庇とヤセ尾根をかわしながら、所々でガリガリに凍りついた斜面をトラバースして少しづつ標高を獲得していきました。そして、森林限界の2553mピークから初めて久遠の頂きである霞沢岳がバックに雄大な穂高連峰を見せてクッキリと空に浮かんでいました。そこから山頂への道。雪庇を避けて一歩づつ、登り詰めた山頂は小さな看板だけが迎える静かな場所でした。徳本峠からの踏み跡も冬期の記録の多い西尾根からのトレースもなく、本当の不遇の頂上がありました。360度の大展望。笠が岳、双六岳、常念岳、そして、木曽御嶽山から中央・南アルプス、八ヶ岳が迎えてくれました。次ぎの春は眼前に噴煙を上げる焼岳に向かいたいとの思いを新たにしました。

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キナバル山

夜明け前の頂上に到着
夜明け前の頂上に到着

 以下の者は、2009年3月19日〜23日、マレーシア・ボルネオ島にある東南アジア最高峰・キナバル山ローズピーク(4095m)にコタキナバルからパークゲートを経てペンダント小屋に宿泊し登頂し、バリエーションのフェラータルートを下降したことを証明いたします。

本物の雲の海
本物の雲の海

氏名 風 の 谷

 「まるで地球の上じゃないみたいだ!」。これが急峻な花崗岩の中を登り、頂上台地に出た時の率直な感想でした。高度のせいか、ギシギシ歩き回る人のせいか、ほとんどのメンバーが寝たのか寝ないのか判らない状態での早朝の出発の登りは、夢の中を歩いているような状態でした。見上げる満天の星空は赤道近くのせいか日本の山で見る光景とは

花崗岩の一枚岩フェラータの下降
花崗岩の一枚岩
フェラータの下降

全く違うものでした。「あれが南十字星!」たまたま一緒になった南米に暮らしたことのある人が教えてくれました。その中をときおり人工衛星のように明るく飛び交う流れ星、見下ろす暗い広がりの先にハッキリと明るいコタキナバルの街の灯。不思議な気持の中にぐいぐいと高度を上げていきました。まるで全部の山が一枚岩で覆われたような花崗岩のスラブの広がり。ヘッドランプの灯だけが照らす中を星明り、月明かりで景色を見ながらの登りです。日本にあったら、その一つ一つがクライミングのメッカになるような岩峰が林立する中で一番穏やかで高いピークが目指すローズピークでした。けして早いペースではなくユックリユックリの登りでしたが、それでも「夜明けを頂上で!」のはずが日の出のはるか前、東の空がまだまだ真っ暗な中の山頂でした。どんな南国でもさすがに抜きんでた4095mの山頂。震えながら夜明けを待ちます。さすがに東南アジア最高峰。どんどん詰めかける世界の登山者が山頂に登り着いて、狭い狭い山頂は人で一杯。空に向けてグイグイ伸びる積乱雲と本物も海のような雲海の上をオレンジ色に日の出前の太陽が登りだす前に頂上を他の人に譲りました。
 広大な本当に鬱蒼としたジャングルの上に聳える岩峰。幸か不幸か充実した登山施設。そしてイケメンの登山をサポートするボルネオの男の子たち。全てにテレマカシーの日々でした。

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唐松岳

3時間かけてやっと掘った雪洞
3時間かけてやっと掘った雪洞

 以下の者は、2009年3月14日〜15日、北アルプス北部・唐松岳を目指して第一ケルン付近に雪洞で宿泊し、山頂を目指し、八方山を越えて八方池付近・第二ケルンまで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 春の嵐に翻弄された二日間でした。日本海を通過した低気圧から伸びた寒冷前線の通過で首都圏の交通は大混乱。集合し、白馬駅を出たのが1時を過ぎている有り様でした。ベトベトの湿気を帯びた雪が、ゴンドラ、リフトを乗り継ぐうちに乾燥し、冬本来の雪に変わるころ、かつては第一ケルンが建つ、今は八方池山荘の前に到着しました。時間は既に2時を過ぎ、雪洞初体験ばかりのメンバーだったため、その場の豊富な積雪を使って雪洞を掘りました。通常の年であれば締まった雪にドカンドカンとスコップを入れて、固雪にはスノーソーを入れて作られるはずの雪洞は、今年の暖冬と何回かの雨、霙の影響を受けて何層もの氷の固い部分を作り、掘り進むのが大変厳しいものでした。実に3時間の時間をかけて掘られた雪洞でした。しかし、その後、風向きが変わり時折、真っ正面から吹きつける風は雪洞内にも雪を吹きつけました。普段だと、全員が洞内に落ち着いた頃には、入口のツェルトも埋まり、物音一つしない静寂の空間が生まれるのですが、何回も吹き飛ばされる入口のツェルトにハラハラと雪の舞う、なかなか大変な一夜でした。
 翌朝、外に出ると強烈な冬の風が吹いていました。4時半に出て、引き返し、5時半に出て、再び八方池から引き返しました。二度目の出発の際、何人かの顔に小さな凍傷ができてしまいました。また、来年、再び、必ず唐松岳に登りたいと思います。

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瑞牆山

 以下の者は、2009年3月11日、奥秩父西端の岩峰の山、日本百名山の一つ・瑞牆山(2230m)に瑞牆山荘前から富士見平、天鳥川を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 金山平から、富士見平の手前から、そして天鳥川へと下る途中から見上げた瑞牆山は、やはり凄まじい表情を見せていました。大ヤスリ岩を筆頭に「何で、こんな所にこんな岩が林立しているんだ?」と思わず口に出る異様な風景。しかも、それが南北アルプスのような岩と砂の中にあるのではなく、原生林の中にある不思議。まるで山水画のような世界の中に瑞牆山の山頂はありました。瑞牆山荘から僅かで着けたアイゼンは、ついに登って下り着くまで一度も外すことはありませんでした。固い雪と、ガリガリに凍てついた氷の道。アイゼンがなければ大変な登り、下りだったと思います。天鳥川を渡り、原生林の中に入ってしまえば、山頂に出るまでは一切、その山容さえ見えないほどに山懐の中をグイグイと登り詰めていく道は、大変に急峻でした。岩場を攀じ登る所が無い代わりに全く緩むことの無い傾斜、完璧に凍りついた足元。さすがに奥秩父の一番厳しい季節と出会った事を感じさせられました。所々で沢の小滝が完全に凍った青氷の上も歩きました。まるでガラスの廊下のような美しさと、静けさ、素晴らしい光景との出逢いだったと思います。あんなに高く聳えていた大ヤスリ岩の基部に到着し、長野側に回り込んだ先に突然、放り出されるような明るい岩の山頂がありました。八ヶ岳が手の届く近さにあり、浅間山が見え、金峰山が見上げる角度で、そして南アルプスと富士山の見事な展望が大きく大きく苦闘を讃えるように待っていてくれました。

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茅ヶ岳

明るい茅ヶ岳の山頂からは南アルプスが大きい
明るい茅ヶ岳の山頂からは南アルプスが大きい

 以下の者は、2009年3月10日、奥秩父の前衛であり日本百名山の著者・深田久弥氏の終焉の地・茅ヶ岳(1702m)に大明神から女岩を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 韮崎の駅前から見上げた茅ヶ岳は中腹から上を白く雪化粧した冷たい雰囲気の中にありました。しかし、春の重い雪と暖かい空気は、山に向かう頃には木々の上からボタボタと雪解けの水を落として急激に白い物を消していく中でした。平日にもかかわらず登山口の深田公園には数台の他県ナンバーのクルマが止まっていました。深田氏の亡くなった3月だからでしょうか?カラマツの葉を落とした木々の間から見上げる空は真青で、その上に狐色の明るい斜面の上に山頂付近が見えました。もともとは火山だった茅ヶ岳。長く伸びた裾野が歩きだしの場だったようです。何処までも続く明るい雑木林の中に所々に残る平屋の農家の廃屋は、この地に戦後に入植した開拓農家の跡だと聞いています。冷たい美味しい水が湧く女岩からの登り。溶けた雪と霜柱、溶け残った雪が歩きにくいグチャグチャ道となった中でしたが、急な斜面は明るく落ち葉がラッセルのように歩くことの楽しさがありました。登り着いたコル、そこからの急峻な岩混じりの尾根は、一歩登るごとに新しい展望の開ける素敵な道でした。もう、頂上まで僅かの所に小さな「深田氏終焉の地」の小さな石碑。真白な富士山と雄大な南アルプスを見て、甲府盆地を見下ろす素晴らしい所で、山好きの作家にとっては最高の幸福の死に場所だったとなんだか羨ましいような場所でした。雪解けでグチャグチャの山頂は、新たに金峰山と八ヶ岳の豪快な展望も加わって360度の期待以上の展望の中にありました。

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仙ノ倉山

増水した川を恐々と渡る
増水した川を恐々と渡る

 以下の者は、2009年3月7日〜8日、谷川連峰の最高峰である仙ノ倉山(2028m)に毛渡沢橋からバッキガ平に至り、北尾根に取り付き、小屋場の頭、シッケイの頭を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

仙ノ倉山近し!大雪原
仙ノ倉山近し!大雪原

 春の谷川連峰の雪・・・、湿り気を帯び、重い雪。越後湯沢の駅前では空から落ちている時の色は白でも、屋根から落ちるのはザァザァと音を立てる雨でした。その霙の中を最初からワカンを着けてのアプローチ。増水した沢を渡り、恐々と渡ったバッキガ平の踏み板の無い橋を渡る所から北尾根は始まりました。ブナ林の中に急激に続く尾根。辿り着いた小屋場の頭が僕達の泊まり場でした。早朝、ヘッドランプを点けた闇の中にはハラハラと舞う雪と見上げる星が同居する不思議な視界の中をいきなり痩せた尾根を辿りました。まさしく「白馬のタテガミ」の様と表すのがピッタリの細く痩せた真白な稜線。左右に所々でソフトクリームの様な雪庇を張り出させて、上へ上へと急傾斜で伸びているヤセ尾根をジリジリと登りました。ここ数日の雨や霙が雪面を固く凍らせ、その上にフワリと新雪の乗ったなかなか登りにくい尾根。先頭は、アイゼンが固雪までツメが刺さるまで蹴り込み続けなければならず、フクラハギが疲れました。夜がダンダンと明けてきて、青っぽい景色の中に純白の山々、万太郎山から茂倉岳、そして谷川岳本峰に至る他の山々には無い豪雪地帯独特の美しい景色が広がっていました。仙ノ倉山は関越自動車道の上からも見える癖に、一端、北尾根に入ってしまえばシッケイの頭まで、その姿を見せません。シッケイの頭の大雪原。その上に美しい三角錐の山頂が平標山を従えて僕達を待っていました。風の吹く、富士山まで見えた展望の山頂がヒッソリとありました。

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西穂高岳

谷を挟んで笠が岳
谷を挟んで笠が岳

 以下の者は、2009年3月3日〜4日、北アルプス穂高連峰南端の西穂高岳の手前・丸山(2452m)に西穂口から千石尾根を辿り西穂山荘に宿泊して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

丸山からの下り、西穂が大きい
丸山からの下り、西穂が大きい

 どんなにロープウェイから観光客が出てきても、森林限界の所に通年営業の山小屋が小屋の中で半袖でいられる状態を創り出しても雪の穂高は、やはり雪の穂高でした。歩きだしから、ハラハラと降り続けた雪。それまでガリガリとコンクリートのようなトレースを見せていた上に静かに分厚く、雪を降り積もらせていきました。暖かい気温に、雪一つ着けていなかった原生林はすこしづつ雪化粧していきました。それにしても見事なまでに、誰もいない雪の山。急斜面を一歩一歩と登っていく、その息の音がオオシラビソの大きな木々に吸い込まれていくような中にありました。たぶん、異常とも言える気温の高さと風の無さでした。稜線に建つ西穂山荘は風の通り道でした。でも、物音一つしない中にハラハラと雪が降り続けていました。翌朝、小屋の凍りついた窓から、ガスが流れ、霞沢岳が徐々に姿を見せだした時の嬉しさ!しかし、時折、意地悪なガスが稜線を隠し、それが晴れてを繰り返す中、それでも小屋の裏の小ピーク、丸山に向かう雪の斜面は時折、薄日も射していました。そして、登り着いた丸山。そこからは、去来するガスの合間に素晴らしい展望が待っていました。穂高連峰を彼方の山として見るのではなく、正しく、そのど真ん中にいる感動。目の前に西穂高が大きく、そして前穂高から明神岳にかけての神々しいまでの凍てついた稜線がありました。笠が岳が、乗鞍岳がそして遠く白山から双六岳と、連なった白い山々を言葉もなく見ていました。

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