過去の登頂記録 (2006年4月〜10月)

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2006年 10月 31日〜11月1日 雁坂峠から雁峠、将監峠
28日〜29日 三つ峠岩登り講習
24日 菰釣山
22日 犬麦谷
21日 日和田山岩登り講習
17日〜18日 北八ヶ岳池巡り
15日 両神山金山沢右俣
14日 日和田山岩登り講習
11日 十文字峠
8日〜9日 三つ峠岩登り講習
3日〜4日 アサヨ峰
9月 26日〜27日 権現岳
23日〜24日 釜の沢西俣
20日 鷹の巣山
12日〜13日 餓鬼岳
9日〜10日 大常木谷
5日〜6日 赤岳、阿弥陀岳
8月 28日〜31日 野口五郎岳〜水晶岳〜鷲羽岳〜三俣蓮華岳
26日〜27日 鶏冠谷右俣
22日〜24日 塩見岳
19日〜20日 北岳バットレス
15日〜17日 奥穂高岳
5日〜6日 黒部源流赤木沢
1日〜2日 焼岳
7月 29日〜31日 剣岳源次郎尾根
25日〜27日 白馬岳から朝日岳
22日、23日 水根沢
15日〜17日 荒川滝川本流
11日〜12日 那須連峰
4日〜5日 金峰山
1日〜2日 笛吹川支流・ヌク沢左俣右沢〜甲武信岳〜破風山〜ナメラ沢下降
6月 27日〜28日 鬼怒沼湿原・鬼怒沼山
25日 水根沢谷
24日 矢沢軍刀利沢〜生藤山
21日 南大菩薩・湯の沢峠から滝子山
17日〜18日 和名倉沢
10日〜11日 笛吹川東沢〜釜の沢〜甲武信岳
7日 横尾山
5月 30日〜31日 毛木平から甲武信岳
28日 丹沢・玄倉川・小川谷廊下
27日 表丹沢四十七瀬川・小草平沢
20日〜21日 三つ峠岩登り講習
16日〜17日 雲取山
10日 南天山
9日 両神山
3日〜7日 飯豊連峰
4月 29日〜30日 燕岳
22日〜23日 三つ峠岩登り講習
18日〜19日 蛭が岳から檜洞丸
15日〜16日 権現岳
12日 武甲山
4日 浅間尾根
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2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
9月〜11月の登頂記録へ
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雁坂峠から雁峠、将監峠

 以下の者は、2006年10月31日〜11月1日、日本三大峠の一つ・雁坂峠から水晶山、古礼山を越えて、草原の雁峠を経て、水神社を越えて、将監峠へと奥秩父を代表する三つの峠を縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 キラキラと輝く乾いた光に満ちた奥秩父の二日間でした。晩秋の奥秩父で最も素敵なのは峠。かつての奥秩父の峠は登山者が、旅人が、塩が、絹が沢山越えていました。雁坂峠のように国道140号線として文字通り生活道路だった峠もあります。雁坂トンネルの開通で山梨と埼玉の間は、多くのクルマが行き来するようになっても、おそらく有史以来、峠は最も静かな状態に今、あるのでしょう。歩きながら話をしたように、すくなくとも1970年代初頭には、雁峠も将監峠も現在の山梨側からの道だけでなく、正しく「峠として」埼玉へと道が続いていました。今では、かつて歩いた経験を持つ者でも、全く通行することのできない完全な廃道となってしまいました。奥秩父の峠、と一言で言っても十文字峠のように原生林の中の峠もあれば、雁坂峠のように南面と北面が全く違う表情を持つ展望の峠もあれば、雁峠のように広大な草原の中に明るく光っている峠もあります。ロングコースとは言え、その三つを一度に歩けたことを嬉しく思います。標高1500m前後が今、紅葉の真っ盛り。そんな色とりどりの葉が顔まで染めるような中の出発でした。峠付近では、すでに唐松の金色が僅かに残るだけで、カサコソと足元を賑やかに響く落ち葉の音だけが残りました。二日間、頭を白く染めた富士山、まだ雪の来ない南アルプス、そして、見渡すかぎりの山、山、山の展望の中の縦走でした。奥秩父らしい素朴な小屋であった雁坂小屋の朝は外のテーブルの上は、雪と見紛う霜が分厚く積もっていました。季節は、秋から冬へ、駆け足で走り抜けています。「静寂の奥秩父の峠巡り」とは言っても、これほどの静けさが山に満ちているとは思ってもみませんでした。少なくとも、私達よりも鹿の数のほうが遥かに多かったことは確かです。様々な山の魅力、森の魅力を教えてくれる奥秩父。秋の峠越えが似合う二日間でした。

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雁峠の広大な草原 雁坂小屋のテーブルの霜
雁峠の広大な草原
もう草モミジ
雁坂小屋のテーブルの霜
もう・・・冬はすぐ

三つ峠岩登り講習

丸二日間の講習を終えて!
丸二日間の講習を終えて!

 以下の者は、2006年10月28日〜29日、三つ峠で行われた岩登り講習会に参加し、多くのルートを登攀すると同時に冬期登攀に向けてアイゼンでの登攀を行い、レスキューの入門技術を習得したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 初日は山頂付近だけが白かった富士山が二日目には六合目付近まで真っ白に変わっていました。冬山が、風雪の世界が目前になりつつある中での、三つ峠の岩登り講習でした。今回の講習の核心は、本チャンをしっかりと意識した講習であることと、三人のガイドとそれぞれのパートナーという形で実際の岩登りで必要な技術を身につけることにありました。四人および三人のパーティーとしてマルチピッチの岩場を登下降することを通じて、実際の山、実際の登攀の中でザイルを使っての行動をスムーズに確実に行えることが大切なのです。「風の谷」の冬にむけての計画の中で、厳しい物から比較的無理がなく、雪山を楽しむプランもいくつかありますが、そのほとんどがザイルを使用するか、使用する可能性のあるものばかりです。今回の参加者が実際の登攀の中で積極的な働きをすると同時に、新しく雪山に飛び込んでくる仲間に対して、一歩進んだ形で仲間として接していただければ幸いです。
 今回も、多くのガイドや山岳会が三つ峠での岩登りの練習をしていました。それぞれが一生懸命で、それぞれが課題をもって取り組んでいるように思われました。しかし、実際の近い将来の登攀、本チャンで自分自身が大きな岩壁に挑む姿を想像しながら岩登りの練習をしているグループがあったでしょうか?僕は実は皆無であったと思っています。多くが、「三つ峠の岩場」をそれ自体を課題として登り降りをしていたように思います。それは、一言で言えば日本の登山界のレベルを現しています。どんなに頑張っても三つ峠はゲレンデに過ぎません。それ自体の岩登りは楽しくても「山との格闘技」としての登山ではありません。僕はいつか、例えば剣岳小窓尾根のような本格的な雪山との登攀を含んだ「四つ相撲」のような登山をやりたくて岩登りをする・・・、そんな気持ちで三つ峠講習をしていきたいと思っています。

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菰釣山

 以下の者は、2006年10月24日、西丹沢の菰釣山(1380m)に山伏峠から西の丸、西沢の頭、油沢の頭、ブナの丸を越えて登頂し、ブナ沢乗っ越しまで主稜線を縦走したことを証明いたします。

頂上直下のブナ林
頂上直下のブナ林 ステキ!

氏名 風 の 谷

 歩きだしから下山まで、ついに全く他の登山者の気配さえ感じなかった静寂の中の山でした。けれども、明るいブナの森が続く山道はけして暗い感じのしない明るい雰囲気の中にありました。丸二日間にわたって降り続けた雨は、富士山の頭を真っ白に衣替えさせていました。それにしても歩きだしから下山のブナ沢に至るまで徹底的にブナの森でした。しかも、丹沢の核心部のように立ち枯れや草臥れ果てた気配もなく、秋の真っ盛りの陽差しを受けて、黄色い葉をザワザワと鳴らしながら楽しげに音を立てていました。直下を走る「道志みち」のクルマの音が風に乗って聞こえる以外、全くの静けさの中、澄みきった空気は遥か彼方までの展望を見せていました。丸一日、見えるかに思えた富士山は、昼前には不機嫌そうな雲を纏ってしまいましたが、あまり馴染みの無い静岡方面の山、道志、御坂の山々が穏やかに続いていました。そして、南の果てに輝く相模湾が見えた嬉しさ、は最高です。山伏峠から山頂まで標高差は僅かに150m前後、しかし、大きなピークだけで四つ。小さい物を数えたら実に沢山のピークを越えました。「東海自然歩道」とやらで整備された事のある道は、その不遇さとは裏腹に随所にベンチや看板がありましたが、登山道そのものはか細く、稜線を辿っているだけでした。二回、稜線を横切る大きな動物の気配。下に集落が見え隠れする里山でありながら、昔の良さをしっかりと留めた山でした。
 大室山、畦が丸、加入道山、等の西丹沢の山々。アプローチの悪さが幸か不幸か、手つかずの自然と美しい原生林を残す原因なのでしょうか?丹沢の核心部で絶えず「昔はこんなではなかった。」と呟く習慣を忘れさせる西丹沢の静寂の山々の一日でした。 

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犬麦谷

犬麦谷タツマの滝を登る
犬麦谷タツマの滝を登る

 以下の者は、2006年10月22日、奥多摩で最も魅力ある谷の集中する日原川小川谷の中の一つ、犬麦谷をタツマの滝下段を直登し、モリの窪のゴルジュを登り切り、埼玉県と東京都の県境に立つ七跳山(1651m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩最大の落差を誇ると言われたタツマの滝。普段は少ない水量をサラサラと静かに落とす白糸のような滝なのですが、この秋、最後の沢登は前日、奥多摩にだけ降った雨が元気の良い沢として力強く滝を落としていました。本来は直登の対象とはなっていないタツマの滝下段。残置ハーケンも「風の谷」が二年前に打った物でした。それを全身濡れながら突破した後、高巻きの途中から僕達は、見事に一本の美しい流れとなって落ちる50mの落差と出逢うことになりました。そこから始まるモリの窪のゴルジュ。滝の一つ一つは大きくは無いものの、一瞬の途切れもなく、続く小滝の群れ、頭上を遥かに覆う巨樹の大きさ。そして、真っ盛りを迎えつつある紅葉の色とりどりの色彩。ここが、外れとは言え、東京の一角であることを忘れさせる光景でした。かつて知り合いが遭難した15m滝のみは高巻いたものの、それ以外の滝は全て水線を登り鹿の骨の散らばった中に最後の一滴が消え入るまで遡行しました。
 今シーズン最後の沢登り、沢納めとなった犬麦谷。今年は、天候不順に悩まされはしたものの、5月の丹沢・小川谷廊下から始まって、充実した沢登りが体験できました。強い雨の中、少しづつ増えていく水量の中を登った和名倉沢。長時間行動を制して登り切った滝川本流の谷。徹底的に明るかった黒部源流と赤木沢。そして、文字通り天を突く大焚き火と共に登った釜の沢西俣。一つも中止せずに登れた楽しかった沢に感謝して、沢靴をしまいます。

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日和田山岩登り講習

日和田山の岩トレ
日和田山の岩トレ

 以下の者は、2006年10月21日、奥武蔵の日和田山の岩場で行った岩登りの総合講習に参加し、クライミングの基礎、懸垂下降、確保、アイゼン使用による登攀、自己脱出等の講習を受けたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場は、首都圏の岩場の中で最も基礎的な岩登りの訓練に向いている岩場であると思っています。豊富なシッカリした支点と、落石等の心配がきわめて少ないこと、そして、何よりも訪れる者、ほとんどが岩登初心者、入門者であることによるものです。「ヘタでも全然恥ずかしくない」「こんな変なこと聞いたら、変かな?」みたいなことを考えずにすむ貴重な岩場です。今回の講習は、登ることを学ぶと同時に、岩場に取りつく者、ザイルを使った登山を行う者が必ず身につけて欲しいことを学ぶ講習でした。ザイルでパートナーを確保し、落っこちたら止める・・・ことは誰もが知っています。でも、実際には止めたことは無い。更に、止めたパートナーはもしかしたら怪我をしているかもしれないし、宙吊りになっているかもしれない。いつまでもATCを握りしめているわけにもいかない。仮固定をして、フリクションヒッチで固定に移し、ビレーヤー自身が次の動きに写れる自由を得ること、宙づりになったトップは、自己脱出に時間をかけずに移ると言うこと、確保一つとってみても実際の岩場では、これからことができて初めてザイルを使用した登山は可能です。8環が普及した今、懸垂下降は、だれでも無理なく行うことは可能です。しかし、小さなゲレンデではなく、実際の岩壁の中で、あるいは、沢登りの小さなテラスに向けて、必ずしもシッカリとはしない支点を効率よく使って下降することは思いの外難しいことなのです。さらにアイゼン、手袋を使用しての登攀の練習となると、逃げ出したくなるほど登りにくかったことと思います。「いゃぁ、イロイロとやったけど大変だったなぁ。」と言う以外、何も残らなかった可能性もあると思います。しかし、少しづつ、身につけて確実な登攀ができるようにしていただければ嬉しく思います。

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北八ヶ岳池巡り

双子池は池のほとりまで紅葉がせまる
双子池は池のほとりまで紅葉がせまる

 以下の者は、2006年10月17日〜18日、北八ヶ岳の盟主である北横岳(2480m)に坪庭から登頂し、山頂直下の七つ池から亀甲池へと下り、雌池、雄池からなる双子池を越えて雨池へと池巡りを行ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂で日没を見る
山頂で日没を見に・・・
背後に八ヶ岳がクッキリと見えている

 カランカランと音を立てそうな乾いた秋の空気。真っ青な空と木曽の御嶽山に真っ赤になって沈んでいく太陽。見下ろす谷間を色とりどりに染める紅葉。北八ヶ岳のまた違った魅力と出逢った二日間でした。息せき切って登り続けることが似合わない山・北八ヶ岳。広大に広がる森林高地を周囲の木々や時折開ける展望を見ながらさまよい歩くのがピッタリの山。高見石と北横岳周辺は、ミドリ池周辺と並んで、最もそういった雰囲気を強く持つ場所です。上旬の不順な天候が嘘のように晴れ渡った空の下、一つ一つ、全く違った表情を持つ小さな湖を回りました。おそらく膝程度しか水深の無い北横岳直下の七つ池。道のある二つの池の後、コッソリと三番目の池も見つけました。翌日、唯一の困難な箇所である大下りを下って、最も静かで、小さく澄みきった亀甲池に下り着きました。周囲をコメツガの原生林の斜面が屹立する最も小さな池は日照り続きだと干上がることもある小粒さですが、オカリナの音が周囲に響き渡る北八ヶ岳らしい空間です。カラマツの金色とナナカマドの赤が明るい水面に映える明るい雌池、一番、澄んだ水を持つと言われた雄池からなる双子池は、人っ子一人いない静寂の中でした。雨池に至る佐久側の林道から見下ろす斜面の紅葉の美しかったこと。浅間山の大きな広がりが見事でした。北八ヶ岳で最大の広さを持つ雨池。ダケカンバの黄色が見事で、久しぶりの冬以外の訪れでした。それまでの山肌が池のすぐ近くにまで迫る物と違い、眩しいばかりの太陽の恩恵を受けた広がりは、池巡りの最後に相応しい物でした。


 北八ヶ岳の池巡り。双子池まで車道が通り、池の端に立つヒュッテが無粋なプレハブに変わってもやはり四季折々に訪れたい名ルートでした。

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両神山金山沢右俣

120mのナメはずっと続く滑り台のようだ
120mのナメは上から見下ろすと
ずっと続く滑り台のようだ

 以下の者は、2006年10月15日、奥秩父北端に聳える日本百名山の一つ・両神山(1723m)に、荒川中津川支流・神流川金山沢右俣を出合いから遡行し、120mの大ナメを越えて梵天尾根に出、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

紅葉の中をどこまでもナメが続く
紅葉の中をどこまでもナメが続く

 遠くから両神山を見ると、その独特の風貌には驚かされます。恐竜の背中を思わせるゴツゴツした山容と、四方に長々と伸びた岩尾根が近寄りがたいイメージを持たせています。急峻に山頂へと食い込む無数の沢。金山沢もそんな沢の一つです。南西面の沢は傾斜の緩いナメ滝と花崗岩のスラブの創り出す穏やかな渓相が特徴ですが、その中にあっても金山沢右俣は明るいナメ滝の連続で知られています。前回、9月末に行った釜の沢西俣の時よりも一層進んだ秋。谷の中からも大きく見渡せた背後の赤岩岳が色とりどりに紅葉している様が美しく振り返られました。出合いからの僅かな部分を除いて、傾斜の強弱はあるものの、そのほとんどがナメの連続でした。秋のナメは、最も水垢と呼ばれるヌルヌルが発達する時期です。先週、各地に被害をもたらした低気圧と前線の通過による増水のおかげで少なかったものの、それでも、ツルツルと足元をさらい、滑りました。やがて、谷全体がナメ滝となったのは120mナメでした。原生林の中を登り詰め、辿り着いた山頂は、カラカラと音を立てそうな秋の乾いた晴天の下でした。この両神山は、埼玉県と群馬県の県境に近い山です。この上武国境付近の山は、標高こそ高くはないものの、無名の岩峰を林立させ、その多くは登山道もなく、アプローチの悪さもあってほとんど顧みられることの無い山々です。もう、僅かで長野県というあたりは、大きな岩壁を持つ山も少なくなく、もっと登られても良い山域と言えるでしょう。それらの山々に突き上げる沢にしても、訪れる者の無い静寂の中の巨大な滝があったり、未開の新しい発見に満ちています。両神山山頂からは、この夏も訪れた奥秩父北面の幽玄の山肌が見えていました。沢シーズンの終わりに近い、この時期に相応しい秋の沢の一日でした。

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日和田山岩登り講習

 以下の者は、2006年10月14日、奥武蔵の日和田山の岩場で、岩登りの入門講習に参加し、岩壁登攀の基礎を習得したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 たかだか20m前後の小さな岩場、その岩場が初めて、その前に立った人にとっては、天を突く大岩壁のように見えたことと思います。「絶対にこんな所は登れない!」と思ったはずの岩壁が、実際に落ちないように確保されて登ってみると、苦労はしたけれど登れてしまう・・・。かつて、自分が考えてもいなかった困難を克服して、新しい自分になっていくことに、登山の本質としての岩登りの魅力はあると思っています。今回の講習で最も身につけてほしかったことは、「練習すれば、自分でも大きな岩壁が登れる」と言う自覚です。もう一つは、岩登りのシステム。自分の身体は、自分自身で施したセルフビレーによって、岩壁に固定されているか、パートナーの手で確保されているかの何れかの状態に絶えずあるべきだ・・・、と言うことです。トップはランニングビレーを取りながらパートナーに確保されながら登ります。テラスに着いたら、セルフビレーを施して、パートナーに「ビレー解除」と告げます。その上で余ったザイルを巻き上げ、パートナーへの確保が整ったら「登っていいよ!」と声をかけます。この声で、パートナーはセルフビレーを解除して、ランニングビレーを回収しながら、登ります。この流れをいかなる時も忘れないことです。登ること、そのものは、何回もの練習を経て、少しづつでも必ず上手になります。
 岩登りの練習、ザイルに対する基本的な知識の習得は、何のために行うのでしょうか?僕は、一言で言えば、「整備された登山道を離れた、冒険としての登山を行うため。」と考えています。山に於いての安全が登山道を整備された者によって保たれている状態を離れて、自然と渡り合う登山。沢登りであり、雪山であり、そして岩壁の登攀であり、これらの登山では、仲間を守り、危険を取り去るのは登る者自身の責任です。今回の登山が冒険としての登山への最初の一歩になれば幸いです。

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十文字峠

 以下の者は、2006年10月11日、奥秩父を代表する峠の一つであり、長野県と埼玉県を分ける歴史ある峠、十文字峠(2035m)に、千曲川源流の毛木平から一里観音、八丁坂、八丁の頭を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 秋の奥秩父には峠が良く似合います。必ずしも展望が期待できない。静けさと、原生林の色合いと、ホイッスルのように霧を切り裂く鹿の声と、そんな物だけが仲間の静かな一日でした。現在は、甲武信岳への経由地としてしか顧みられることの無い十文字峠は、実は有史以来、人々が往来する貴重な交通の要衝であったといわれています。石器時代、八ヶ岳山麓で採れた黒曜石は、ナイフや矢尻の材料として、夏沢峠を越えて佐久盆地に入り、この十文字峠を越えて関東平野へと広がって行ったと言うことです。秩父側、大滝の栃本には関所が置かれ、峠を馬も越えていたとのことで、現在の落ち葉の中に消え入りそうな課すかな山道は、歴史上、最も貧弱な十文字峠道であるかもしれません。カラマツの森を抜けて、千曲川を渡り、八丁坂からは見事なコメツガの森となり、シラビソの匂う風の渡る十文字峠からは秩父の象徴である両神山のゴツゴツした姿が見えました。峠の小屋の煙を上げるストーブの暖かさ、前を横切るリスの姿、そして、初夏には山をピンクの花で埋めつくすシャクナゲの森。僕達は、カモシカ展望台で、全く期待もしていなかった千曲川の谷筋に落ちる斜面の色とりどりの紅葉と出逢いました。数日前の大雨の影響が、稜線にまで轟く渓声に感じられました。山また山の重なった、荘重な気配が山並みの中にありました。
 せっかくの予定の瑞牆山には登れなかったものの、秋の始まりを全身で感じられた奥秩父の中の静かな一日でした。

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紅葉の谷が大きい 峠直下のコメツガの森
十文字峠のカモシカ展望台からは
紅葉の谷が大きい
峠直下のコメツガの森

三つ峠岩登り講習

2日間のトレーニングを終えて
2日間のトレーニングを終えて
後列左端は木本哲ガイド

 以下の者は、10月8日〜9日、三つ峠屏風岩で、岩登講習の他、レスキュー訓練、アイゼントレーニング等を行ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 槍が岳北鎌尾根から三つ峠への転進。もし、予定どおり、北鎌に行っていたら、どうしただろう?もし、とりあえず予定どおり行ったとしても、改めて冬山装備は持参したはず。上高地で雨、横尾で霙、槍沢で雪・・・。水俣乗っ越しには向かえず、ババ平にテントを張って翌日は雪。槍沢が雪崩れるほどではないけれど風は強い。上は暴風が予想されても、今年最初の本格的な雪山として槍が岳登頂として登っていたかもしれません。けれども、急速に発達した低気圧と10月という難しい季節、三陸沖を東に向かうはずが真っ直ぐに北上しだしたのを見て、出発の日の朝に転進を決めました。今回の主力のメンバーがこの間体験した死亡事故を伴う遭難。気象遭難という言葉がピッタリの状況。3月の唐松岳で、7月の滝川で、そして、今回の北アルプスで。いずれも微妙な判断の差が無事に生きている者と、帰らなかった者を分ける、それが現実です。どんなに登る人が変わろうと、装備が良くなろうと、自分の足で、自分の背負った装備で登らなくては帰れないのは当然のことなのだということを改めて又、教えられた思いです。穂高で行動不能になった方達は、風よりも寒さよりも、何よりも、瞬時に凍った岩尾根を歩くことが怖くてできなかったようです。「山は真剣勝負!」何故、アイゼンを持って行かなかったか?冬型なのに避難小屋に入らなかったのか?沢山の生還への道を全て逆に選んだことを憎みます。三つ峠では、単に登ること以上に今回は、無事に登ることに力を入れました。しっかりした自立した山屋への一助となれば幸いです。

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アサヨ峰

 以下の者は、2006年10月3日〜4日、南アルプス早川尾根の主峰であるアサヨ峰(2799m)に北沢峠から仙水峠を経て栗沢山(2710m)を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 南アルブスの中にあって最も開発された地域である北部の中にあっても、不遇をかこつ名峰としてアサヨ峰はありました。「紅葉が山頂から降りてくる」の表現がピッタリ。山頂付近のダケカンバが見事に黄色く色づき、ウラシマツツジが真っ赤な色を稜線で見せる中の二日間でした。もともと登山者の少ない時期の不遇の山頂は、ついに誰にも逢わない静けさの中にありました。栗沢山への登が一段落し、森林限界を越えると一歩ごとに大きく姿を見せていく甲斐駒が岳の花崗岩で白くなった山肌。手前に摩利支天の圧倒的な岩壁を立ちはだからせて奥の院として聳える姿が最も美しく望まれる山として栗沢山はありました。しかし、仙丈岳は朝のうちしか姿を見せず、北岳も最後まで低い雲の中の入ってままでした。甲斐駒、仙丈、北岳と近くにありながら、しかも一定の距離がある。そういった場所で見事な展望を期待していましたが、実際には甲斐駒の大きさを改めて教えられたのみでした。しかし、大展望が効かなかった分、山肌を埋めつくす紅葉の美しさ、シラビソ、コメツガの鬱蒼たる黒木の森の中に点々と明るい色を見せる様子であり、森林限界を越えてからの斜面を埋める色どりと言い、期待以上の物がありました。まだ、夏の余韻を残していた山が高い山から一気に秋色のに染まりつつあります。既に、山頂付近は何回か白い物が舞い、そう遠くない日に最初の雪が山を白く染めるはずです。難しい季節、変化の季節は思わぬ驚きを僕達の前に見せてくれました。栗沢山からアサヨ峰にかけては、ペンキ印さえ不確かな、未開拓の要素を残した岩塊の中の道でした。いつか、晴れ渡った大展望の中にユックリと周囲を見渡したいアサヨ峰でした。

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一歩ごとに背後の甲斐駒も大きくなる 稜線はすでに派手な色
栗沢山の登りでは
一歩ごとに背後の甲斐駒も大きくなる
稜線はすでに派手な色に
染まってます

権現岳

 以下の者は、2006年9月26日〜27日、八ヶ岳南端の名峰・権現岳(2715m)に天女山から天の河原、前三つ頭、三つ頭を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 山は秋へまっしぐら!あんなに咲いていた高山植物の原は黄色に変わり、フジアザミ、マツムシソウだけが足元にある季節となりました。山の天気予報で「雪」の可能性さえあった登りの日、それでも雲海の上にかすかに見えた南アルプス。前三つ頭を過ぎて一番降ってほしく無い場所で降り出した雨。風雨の吹き荒れる山頂をそそくさと後にして飛び込む山小屋は僕達だけの小屋でした。それから夜が明けるまでの一晩、徹底的に降る雨と、徹底的に山小屋を揺るがした風。窓からの夜景等、望むべくもないプレハブ作りの小さな小屋はギシギシと音を立てて揺れていました。そして、朝。全く期待していなかった南アルプスが窓に写り、飛び出す小屋前は強風の中に八ヶ岳の核心部と、中央アルプスも見せて見事な展望を見せてくれました。その後、下山の道では再び雨が時折パラパラと雨具を叩きましたが、それでも大きく広がる展望はシッカリと刻み込まれました。山の秋は、既に冬の気配を含んでいます。雪への恐れと不安と、すこしの期待。そんな難しい季節が続きます。あらためて、権現岳と言う山を見つめなおすと、本当に不思議なのは、その不遇さです。小淵沢の駅の近くにあり、駅前からも望まれるおおきな美しい山容、周辺を取り囲む西岳、編笠山、三つ頭の守り神のような山々。そして、何よりも天空を突き刺す狭い狭い尖った山頂。そして南アルプス、富士山、奥秩父、中央アルプス、八ヶ岳核心部の圧倒的な展望。クロユリが咲き、キバナシャクナゲがあり、秋にはコケモモが実を付ける。素敵な山。僕自身、季節を変えて何回も訪れる素敵な山です。有名にならなくても、不遇のままでも、全然かまわないけど、でも、その魅力を知ってほしい山の一つです。

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風雨の権現山頂 雨が上がって振り返る八ヶ岳核心がステキ
風雨の権現山頂 雨が上がって
振り返る八ヶ岳核心がステキ

釜の沢西俣

 以下の者は、2006年9月23日〜24日、富士川の最大支流・笛吹川の東沢釜の沢を西沢渓谷入り口から遡行し、ホラの貝のゴルジュ、乙女の滝出合いを経て魚留めの滝、千畳のナメを越えて両門の滝から西俣に入り、水源まで遡行し、水師から甲武信岳に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年最後の泊まりの沢は、天気予報を大きく裏切る見事な快晴の下に行われました。晴天が続き少なかった水量でしたが、釜の沢出合いまで次々と左右から注ぎ込まれる滝の一つ一つを楽しみました。いつもだと、両門の滝を越えると延々たる河原歩きを強いられる釜の沢ですが、訪れる者もまれな西俣は、滝上から白茶けたゴルジュを連ね、しかも、その上を美しい苔が覆い、見事な景観の中に続いていました。毎回、絶対に「ここ」と決めている「風の谷の泊まり場」は、それより手前のまっ平らで快適な泊まり場と比べて狭いものの、空が大きく開け、明るい素敵な場所。唯一の欠点は谷の音が大きいことだけです。「今晩は、今年最大の焚き火をする!」と決めて、まだ日の高いうちから燃え上がった焚き火は夕刻には大焚き火になっていました。トップリと日が暮れると空一杯に恐ろしい位の迫力で広がる星空。月が全く出ないために天の川もスバルも見事に光っていました。そして、次々と飛ぶ流れ星。真夜中でも全く雲がかからず、明け方まで徹底的に星空の下でした。しかし、それにしても寒い朝でした。おそらく4度前後だったのでしょう。焚き火を離れるのが辛い!西俣の朝でした。あらためて感じたのは、この沢の徹底的な滝の連続でした。ゴーロ帯が終わると、とにかく徹底的に続くナメ滝、と滝。左右の支流の奥にも大きな滝が見えています。遡行終了点まで徹底的に原生林の中の滝の連続でした。谷を離れ、尾根に出ると目の前に大きく聳える国師岳。その背後に八ヶ岳から北アルプスまでが広大な展望を見せていました。楽しかった、寒かった、星の綺麗だった西俣。今度はシャクナゲの季節だ!

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寒いのに魚留めで泳ぐ! 西俣に入るとずっとナメのゴルジュだ 星空にとどけ!大たき火
寒いのに魚留めで泳ぐ! 西俣に入るとずっとナメのゴルジュだ 星空にとどけ!大たき火

鷹の巣山

頂上近し。一段と登りは急
頂上近し。一段と登りは急

 以下の者は、2006年9月20日、東京都最高峰・雲取山から伸びる七つ石尾根の盟主・鷹の巣山(1734m)に日原から奥多摩最大の標高差を持つ稲村岩尾根を末端から「ヒルメシクイのタワ」を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

ブナの大きな木
ブナの大きな木

 ブナを初めとする原生林が頭上を覆い尽くしほの暗い中を延々と登り詰める稲村岩尾根。それが山頂に飛び出した途端にポンと明るい草原に放り出されるように飛び出す。これが鷹の巣山に向かう数多くの登山道の中でも、この急峻で、全く緩むことの無いルートから山頂を目指す理由です。他の二つ、三頭山「オツネの泣き坂」、本仁田山の大休場尾根、と比べても大きな標高差。しかし、美味しい水がコンコンと湧く中日原の井戸の前を歩きだし、日原川本流を渡り、稲村岩裾の沢の中を左右の徒渉を繰り返し、急斜面を攀じ登り、杉の植林帯から雑木林となり、背後に木の間ごしに眺められる長沢背稜のドッシリとした山並を振り返りながらの道は変化に富み、急斜面の連続にもかかわらずけして登りにくい物ではありません。奥多摩の多くの登山道がどうしても杉、檜を中心とした人工林の中を歩く部分が多いのに対して、稲村岩付近、浅間尾根下部での植林を除いては、その大部分が原生林と共に歩けることは嬉しい思いでした。奥多摩の中にあっても日原周辺の山々は最も奥まった雰囲気を楽しめる貴重な地域です。山も谷も深く刻まれ、森も大きく、動物も多い。東京が持つ貴重な場所であると確信します。久しぶりの青空の下の歩きだしでしたが、寒気の影響か雲が湧き、山頂での「閉ざされた視界の中から遮るものの無い大展望」を味わうと言うわけにはいきませんでしたが、去来するガスの中に思わぬ大きさで浮かぶ三頭山、鹿倉山等の山々。どこまでも広がる緑の斜面は見事な物がありました。かつて峰谷から夏に見上げると「斜面がピンクに見える」とまで言われたヤナギランは鹿に食べ尽くされていても、それでも明るい鷹の巣の山頂でした。

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餓鬼岳

 以下の者は、2006年9月12日〜13日、北アルプス表銀座を形成する山脈末端の餓鬼岳(2647m)に白沢登山口から紅葉の滝、魚止めの滝、を通り、大凪山、百曲がりを経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 それにしても厳しい山でした。もともと覚悟はできていました。傾斜が急であること、沢沿いの道・・・とりわけ紅葉の滝のヘツリが嫌らしいこと、そして、何よりも「風の谷」ではほとんど登らない1600mの標高差を持つ厳しい行程であること。信濃大町の朝は強い雨の中でした。出発を躊躇し、「行ける所まで・・・」の気持ちで出発しました。結果的には、これが丸々二日間、一瞬たりとも雨の止まない、秋寒の中に終始した餓鬼岳登山の始まりでした。登でも下りでも、行動中、一切の他の登山者の姿を見なかった静寂の山は一層の静けさの中にありました。ガスに煙る一つ一つの滝の美しさ、花崗岩の沢床をあたかも沢登りのように辿っていく楽しさと緊張感、ブナ、ミズナラ、トチの大木のシットリと水を含んだみずみずしさ、北アルプスの中で、これほど原始の香りのする登山のできる山は他に無いと確信します。最終水場の表示から大凪山までの急坂のきつかったこと、単にきついだけでなく、滑りやすい木の根と階段、ボロボロと滑る白砂の急傾斜にはホトホト参りました。ダケカンバが主流となり、それもまばらとなって突然、小屋の前に立った時の嬉しさ、背後にたったの4分で登れた山頂は、小さな祠と黄色い標識だけが目印の素朴な山頂でした。全く見えなかった視界が一瞬開け、燕方面が姿を現し、8月の末に訪れて「向こうからコッチを見てみたい」と強く願った裏銀方面が、5秒ほどだけ見えました。結果的には、これが唯一の展望だったと言えます。一晩中、トタン屋根を激しく打つ雨音、下山の最後まで強い雨に緊張を強いられた沢の道、「もう二度と来たくない!」と思っても不思議ではない、苦闘の餓鬼岳でしたが、何故か強烈な印象を残した見事な山でした。静寂の不遇の、秋の北アルプスを一杯感じた餓鬼岳でした。

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山頂で一瞬見えた山々 それでも頂上はうれしい ナメ滝ギリギリをへつっていく
山頂で一瞬見えた山々 それでも頂上はうれしい ナメ滝ギリギリをへつっていく

大常木谷

 以下の者は、2006年9月9日〜10日、多摩川水系唯一の原始の谷である大常木谷を一ノ瀬川の出合いから五間の滝、千苦の滝、早川淵、不動の滝を越えて、最後の一滴の水源まで遡行し、将監峠に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 僕自身が最も関心を持ち、絶賛をし、その行方に重大な注意を払ってきた大常木谷。人工的な関与が絶えずつきまとう多摩川水系の全ての谷の中にあって、唯一、この谷のみが出合いから水源に至るまで、その流域全てに一切の堰堤も、伐採も植林も無い、人の手が全く入らない貴重な奇跡の森の中を流れる谷だからです。一ノ瀬林道からこの谷を見る時、ジグザグに屈曲し、ハッキリと切れ込んだ極端なゴルジュが原生林の中にナイフで刻みを入れているのが臨まれます。その上に飛龍山のハゲ岩が見え、「あそこを登る!」という強烈なメッセージを放っています。本流への緊張の下降、豊富な水量の一ノ瀬川の下降、そして、出逢う大常木谷は縞模様の川床と冷たい水流で僕達をいつもどおり迎えてくれました。大きくはずれた天気予報の下、見上るゴルジュは極端に大きく、頭上、はるか上に細い細い空がかすかに見える凄まじい物でした。その中を全水量をほとばしらせる一つ一つの滝、淵、次々と現れる滝、釜、ゴルジュ。不動の滝までは文字通りの息次ぐ間のない水と岩との格闘がありました。それだけにゴルジュから開放されて、ナメ滝が続き、巨木が谷の周囲を埋めるようになったときの解放感、周囲に漂う生き物の気配は独特の魅力があります。ここ数日の雨で湿った焚き火はなかなか点かなかったものの、集まった大きな木が燃えだすと周囲を照らす明るさでした。おりしも満月の夜。木の間ごしでも、眩しいはがりの月明かりの一夜でした。そこから水源までの源流部分。ゴーロが終わり、ナメ滝が続き、苔むした岩の間に消える水流。暗い谷間を歩いて来た者にだけ与えられる眩い草原を渡る風と展望。今回も大常木谷は登った者を満足させてくれました。

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不動の滝 滝の直登 早川淵を泳ぐ
不動の滝 キレイだ! 滝の直登 早川淵を泳ぐ

赤岳、阿弥陀岳

阿弥陀岳登頂の瞬間に赤岳から太陽が
阿弥陀岳登頂の瞬間に
赤岳から太陽が昇った

 以下の者は、2006年9月5日〜6日、八ヶ岳主峰・赤岳(2899m)に美濃戸から南沢、行者小屋、文三郎尾根を経由して登頂し、中岳を越えて、阿弥陀岳(2805m)にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 美濃戸からの道が傾斜を落とし、白河原と呼ばれる涸れた谷沿いを歩くようになると、いつも必ず立ち止まります。あぁ見えた!まず、横岳の一部・日の岳が見え、やがて海坊主のような大同心が見え、そして、硫黄岳と赤岳が見える。いつのまにか、鬱蒼たる北八ヶ岳を思わせる原生林が開け、気がつけば、天に届く勢いの岩屏風の居並ぶなかに立っている・・・そんな所が人臭さの絶えずつきまとう八ヶ岳の中にあっても、この主峰・赤岳が多くの人々に愛される理由だと思っています。すっかり、花の気配の消えたかに見えた文三郎道の登り、ズルズルと滑り落ちそうな一歩一歩の末に、チラリと姿を見せるコマクサ、そして、最後の登りを登り切って飛び出す文字通りの360度の突出した展望を持つ赤岳の山頂。周囲に比類無い最高峰の展望はやはり最高の物です。頂上そのものに立つ頂上小屋。食堂の窓から見える奥秩父と富士山、そして、八ヶ岳北部の展望。喫茶室から見える南アルプスの山々。まさしく頂上そのものにいる感動は小さくありません。阿弥陀岳への稜線はその名のおこりと言われた、赤茶けたガレキの中に続きます。雲海に見え隠れする権現岳、そして、大きな存在感を持ち、茅野の町中からもいつでも眺められる阿弥陀岳は最近、ハシゴ、クサリが一部に設置され、雰囲気は変わったものの、やはり八ヶ岳連峰の中では、最も困難なピークであることに変わりはありません。登り着いた喜びは赤岳を越えるものがありました。その主脈から一歩離れているため、八ヶ岳そのものの展望台でもある山頂からの展望は一瞬でした。カメラを向けるうちに隠れた逆光の山脈は迫力満点の堂々としたものでした。秋の訪れを全身で感じた八ヶ岳の二日間でした。

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野口五郎岳〜水晶岳〜鷲羽岳〜三俣蓮華岳

 以下の者は、2006年8月28日〜31日にかけて、北アルプスの中核である野口五郎岳(2824m)に高瀬ダムから湯俣温泉を経て、南真砂岳を越えて登頂し、黒部源流地帯を東沢乗っ越しを越えて、日本百名山の一つ水晶岳(2986m)を往復し、ワリモ岳を経て同じく日本百名山の一つ鷲羽岳(2924m)に登頂し、三俣山荘から北アルプスの要衝・三俣蓮華岳(2841m)に登頂し、双六乗っ越しから鏡平、真穂高温泉まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 それにしても遠い遠い道だった。誰もいない、高瀬川源流の硫黄の匂いのする湯俣温泉から高度差1500m近い限界に近い登りを登り切り、やっと立った雄大な山容の野口五郎岳からはるかに辿っていく稜線を見て、ため息のでるような山また山の連なりに飲み込まれるようだった。北アルプスど真ん中。黒部川と、高瀬川と、双六谷。どこを見渡しても送電線も含めて人工物の一切見えない山、山、山の連なり。最盛期を過ぎた高山植物のお花畑。まだ、しつこく残る汚れた雪渓。かつては、多くの人々が行き交っていた北アルプスの銀座コースも訪れる者もなく、僕達だけの世界が無限に広がっていました。山の上は既に秋の気配が一杯。あの延々たる終わりの無いような竹村新道の登りでさえも汗が滴ることもなく、水晶岳から鷲羽岳にかけての霧雨と風の稜線では、毛糸の手袋と毛糸の帽子を持たなかったことを後悔するありさまでした。必ずしも好天とばかりは言えない天気の下でしたが、澄みきった晩夏の空気は曇り空の下にあっても雄大な景色を見せてくれました。見え隠れしながら、少しづつ形を変えて絶えず行く手にあった槍が岳。「風の谷」としては初めての長時間行動の末に見えてきた笠が岳。地味だけどお腹の底にドッシリと響く重量感のある8月最後の山でした。初霜の下りた双六からの下り、越えてきた山々の上には鰯雲が漂っていました。

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双六池の下りから越えてきた山々を見る 野口五郎岳直下からこれから行く水晶岳方面 鏡池には槍ヶ岳がうつる
大双六池の下りから
越えてきた山々を見る
野口五郎岳直下から
これから行く水晶岳方面
鏡池には槍ヶ岳がうつる

鶏冠谷右俣

 以下の者は、2006年8月26日〜27日、笛吹川東沢最大の支流・鶏冠谷の右俣を出合いから魚留めの滝、逆くの字の滝、二俣を越えて30mの滝を登り、大滝下まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 笛吹川の谷。沢登りの博物館とも言うべきこの流域の中にあって、その変化の激しさと花崗岩の白さのために僕自身が最も美しい谷と確信する鶏冠谷。右俣の他にナメ滝の連続する飯盛沢、出合いに100mを越える困難な滝を持つ奥の飯盛沢、左俣に入ると本流から一の沢から三の沢までの傾斜のあるナメ滝を連続させた見事な谷が続きます。右俣は鶏冠谷本流として、出合いすぐ上の困難な魚留めの滝を筆頭に逆「く」の字の滝下の雄大なナメ滝の連続を初めとして下部の独特の沢を形成して、二俣からは通過困難な25m滝、30m滝を連続させてその上からは、「これでもか!」という調子で嫌になるまでナメ滝が続く・・・・・。ボンヤリ遡行できるのは、魚留めの滝上の若干のゴーロだけという徹底的に造形美に満ちた素晴らしい谷です。大きな滝、極端なゴルジュが連続するにもかかわらず、一方でそれ以外の部分は滝の連続する部分であっても明るく圧迫感の無いのが特徴です。普段、沢登りであってもあまり天候を気にしない僕ですが、この谷だけは、真夏のギラギラした太陽の中で遡行したかったとの思いを強く持っています。大きな滝の登攀を濡れながら行い、次々と現れるナメ滝を落ちることを厭わずに飛び越え、ツルツルのナメ滝を滑り台のように楽しむ・・・・そんな夏の遡行の最後を飾るに相応しいワイワイガヤガヤとした走り回るような遡行こそが、この谷の夏に似合うからです。
 ことしの夏も沢山の沢を遡行しました。秋も何本かの沢登りが待っています。一つ一つの谷に主張があり、表情があります。しかし、一つの谷にこれほどの多くの要素を持ち難しい中にも過度の緊張を強いない鶏冠谷の一日でした。

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大きな大きなナメの連続 30m滝
大きな大きなナメの連続 30m滝

塩見岳

 以下の者は、2006年8月22日〜24日、南アルプスの中核に聳える日本百名山の一つ・塩見岳(2052m)に、鳥倉林道から日本で一番標高の高い峠・三伏峠に至り、本谷山、天狗岩を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 その標高は、むしろ高いのに北アルプスと比べ、何故、南アルプスは地味な印象が強いのだろう?ひとつひとつの山はむしろ大きい。展望も圧倒的な物がある。赤石山脈の名の起こりとなった赤石岳、日本第二位の高峰・北岳、有名な山もある。けれども、訪れる登山者は北アルプスに比べると少なく、山小屋もグッと小さい。最盛期でも山は静かでした。塩見岳は、そんな南アルプスのど真ん中、北部と南部を分ける中核的な存在です。かつては、人跡未踏の山腹に出来た鳥倉林道から周囲を見渡すと、奥深い谷と鬱蒼たる原生林、そして夏空にムクムクと成長する積乱雲が見事でした。歩きだして1時間。激しい断続する大雨と雷鳴。塩見岳は激しい形で私達を迎えてくれました。終始、徹底的に大きな木々の原生林の中、ポッカリと三伏峠に飛び出しました。毎日の天気は似ていました。朝は、おおむね晴れ。暗い空の一角に黒々とした兜のような独特の山の形が現れ、それが塩見岳でした。真っ青な空の下にどこまでも広がる南アルプスの雄大な展望の中を登りつめていくと、雲海のアチコチが持ち上がり、上空には力強い雲が現れ、そして、時折とどろく雷の音と共に雷雨となる。まさしく生きている天気と、夏の躍動感をいっぱいに感じさせてくれた三日間でした。標高2700mにしてやっと飛び出す森林限界。それまで見事に続いた森がプツンと途切れた、その上に南アルプスの雄大な展望の世界はありました。昼時の雲の中だった塩見山頂。顔を出した雷鳥の親子。雲の合間から覗ける山々、北岳や仙丈、そして荒川三山の大きな眺め。派手な北アの山々と一味違う「登った!」という実感のしみじみと味わえる南アルプスの山々でした。

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朝焼けの塩見岳 三伏峠手前から昨日登った塩見岳が大きい
朝焼けの塩見岳
今日は登るぞ!
三伏峠手前から
昨日登った塩見岳が大きい

北岳バットレス

 以下の者は、2006年8月19日〜20日にかけて、日本第二位の高峰である北岳(3193m)に、白根御池から二俣を経てバットレス沢からbガリー大滝を登り、第4尾根を末端から登攀し、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 岩登りを志す者が必ず一度は登るであろう北岳のバットレス。とりわけ第4尾根は、その中でも柱となる堂々たる岩稜であり、背後に富士山から八ヶ岳、鳳凰三山、奥秩父を望む素晴らしいロケーションの岩登りが大好きになる岩壁です。一定の練習の後、登った感想はどんな物だったのでしょうか?その岩壁の規模、3000mを越える山での岩登りということを割り引いたとしても意外に容易だったのではないでしょうか?一般的なゲレンデや人工壁と違い「どう登って良いのか判らない。」部分はほとんどなかったのでは無いでしょうか?しかし、一方で「簡単な岩壁だった。」との感想もまたなかったのでは無いでしょうか?それは、本チャンの岩登り、大きな山の中での岩登りと言うのが、登山の一環であり、登山としての要素を抜きにしては全く成立しないからなのです。炎天下、汗だくで白根御池までの重荷と共にある登りをこなし、テント生活をし、一時半には起きて満天の星空の下を歩き、(恥ずかしながら)またも二俣で道に迷い、真っ暗なバットレス沢を落石やザレのスリップに恐々と登り、やっと辿り着いたbガリーの大滝下で夜明けを待つ。アプローチと一言で片づけられる、これらのことだけでも、登攀の成否を左右する大切なことです。振り返ってみると、北岳バットレス第4尾根と言う立派なルートを登攀するには力不足の者が大半だったとも言えます。大切なことは、自分の登山経歴の中に有名ルートの名前がプラスされた・・・と言うことより、今回、登って、自分がこれから身につけなくてはいけない技術が何か、足りない物は何か・・と言うことです。いつでも、安全に本チャンに登れるための貴重な経験の一日となれば嬉しく思います。

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ジリジリと登りつめていく ハイマツのテラスであと少し!
ジリジリと登りつめていく ハイマツのテラスであと少し!

奥穂高岳

 以下の者は、2006年15日〜17日、北アルプス最高峰、日本第三位の高峰である奥穂高岳(3190m)に、上高地より徳沢、横尾、涸沢、ザイテングラード、白出のコルを経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥穂高は本当に高い山である。それを実感させられた上高地からの登りでした。観光客の間から見上げた穂高岳連峰の威容。観光パンフレット等で見慣れた光景が昼近い時間で綺麗に見えることは実は滅多になく、出発点から目指す頂上が目の当たりにできる感激がありました。「アソコに立つんだ、アソコに!」。いわゆる上高地街道。すこしづつ減っていく観光客と、時々刻々と変化する明神、前穂高岳の姿。初めて訪れた者には文字通りの「絵のような」景色がそこにはありました。横尾から見上げる前穂高岳東壁に朝日のあたる光景。しかし、その北尾根を後ろに回り込み、さらに、その山頂よりさらに高い高みを目指す、この日の行程はけして楽な物ではありません。見上げる屏風岩の裾を回り込み、横尾本谷をわたってのジグザグを繰り返し、傾斜が落ちてきて初めて見える穂高岳連峰の全容。一歩登るごとに前穂が見え、奥穂が見え、涸沢岳が見え、北穂が見え、そして残雪の中を登って登山者のオアシスとも言うべき涸沢カールの一角に立ちました。ここから上は本来の登山者の世界。道端には高山植物があり、前穂北尾根の勇壮な姿があり、一歩ごとに背景の常念山脈が姿を変えていきました。ザイテングラードの緊張の岩尾根は、しかし、一方で急激に高度を稼げる道でもあります。岐阜県側からの強い風が吹き抜けて白出のコルに飛び出しました。そこからの最後の登りこそ、穂高岳の最も穂高岳らしい登り。植物さえ生えない岩屑だらけの登り、湧いてきたガスの合間に大きく見えるジャンダルム。そして、思いの外、間近に見えた頂上の祠。私達の足元に頂上の展望はありました。

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ジャンダルムの大岩峰を背に奥穂頂上に全員集合 穂高岳山荘の日没
ジャンダルムの大岩峰を背に
奥穂頂上に全員集合
穂高岳山荘の日没
笠が岳方面

黒部源流赤木沢

 以下の者は、2006年8月5日〜6日、北アルプス中核の黒部川源流を薬師沢出合いから遡行し、支流・赤木沢を水源まで完全遡行し、水源のピークである北の俣(2661m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 広大な北アルプスの中にあって、最も奥地を流れ落ちる日本一の急流・黒部川。極端なゴルジュの続く「廊下」と呼ばれる中流部分を越えて源流と呼ばれる標高2000mの山域に入ると、今までの激しさを最後になだめるような穏やかな流れに変わる・・・、赤木沢はその源流をめぐる数多くの支流の中でも最も美しい谷でした。おそらくは、この夏で一番きれいに晴れ渡った中の二日間。普通だと、昼過ぎにはかすむ北アルプスの展望も、どこまでもさえ渡る中の太郎平からの源流への下りでした。澄みきった流れは、焼けつく太陽に痛めつけられた僕たちには気持ち良いものでした。穏やかな源流の流れが小規模なゴルジュに変わるその手前、砂の台地が泊まり場でした。一匹だけ釣れたイワナ、すぐに大きく燃え上がった焚き火、目の前の流れで美味しく冷えたビール、そして、満天の星空と流れ星が屋根をつとめる一夜。源流の夜は最高でした。花崗岩の創り出す白い廊下をしびれるほど冷たい流れを越えて遡行すると、目の前に二段になった堤防のような滝が現れ、赤木沢の遡行が始まりました。一つナメ滝を越えると、次のナメ滝が現れ、徹底的に明るい流れの中を次々と越えていく楽しさ、自然の創り出す芸術品のような滝の連続でした。一つ滝を越えるごとに背景に大きく広がる源流の山々。水晶岳、赤牛岳、鷲羽、ワリモ、黒部五郎、三俣蓮華、本当の奥地の山々が秋を思わせる澄みきった空と巻雲の広がりの中に眺められました。赤木沢の素晴らしさは、沢登りの楽しさではありませんでした。大滝を越えて一つ、また一つと支流が分かれ、細くなっていく流れの両脇は、驚くべき花畑。最後の一滴がハイマツの下に消えると、雪渓を目指して詰めていく広大なお花畑の登り、どんなに上手に歩いても花を踏まずには歩けない・・・そんな中の稜線への道でした。ちょっと忙しすぎる一泊二日の赤木沢を満喫した夏の二日間でした。

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朝一のしびれる徒渉 赤木沢出合の堤防のような滝 イワナ君とたき火
朝一のしびれる徒渉 赤木沢出合の堤防のような滝 イワナ君とたき火

焼岳

 以下の者は、2006年8月1日〜2日、北アルプス南端にあり、穂高連峰の活火山・焼岳(2455m)に上高地から中尾峠、展望台を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 本当の夏の訪れた貴重な北アルプスの二日間。快晴の早朝の森林限界を越えた荒々しい光景の中に生まれたばかりの朝日を浴びて、黒々と朝もやの中に浮かぶ穂高岳連峰の雄姿。日本百名山の一つでありながら焼岳は本当に静かな名山でした。上高地に入る登山者が最初に目にする名峰。いつも噴煙を上げる活火山。長い間、噴火活動のために登れなかった山。そして、穂高岳連峰の中にありながら、そん中枢からは少し離れ、真南からだんだんに高まり行く山々を眺められる絶好の位置。そして、山頂にたつと、槍が岳を初めとして北アルプス南部の山々がドーンと見える展望の良さ。終始、東西にそびえ立つ笠が岳と霞沢岳の茫洋とした大きな広がり。焼岳は、地味でありながら、素晴らしい山でした。上高地の喧騒が焼岳の登山道に入ったとたんに静かになり、奥秩父のようなコメツガとシラビソの広がる原生林の道となり、登り詰めていくシットリとした道。森を抜けた途端に大きく広がる明るい爽快な笹の原。その上に、とても、登れないような迫力で屹立した山頂へ向けてのドームのような固まり。乾いた風の吹き抜ける稜線の、ほんの小さな木々の間に、これまた北アルプスとは思えない素朴で小さい、ランプの山小屋。豪華すぎる巨大山小屋の登山が続いた僕たちにとって、質素だけれど心のこもった食事はむしろ新鮮に思えました。8月の第一週。最も山々が混雑するはずの季節でも、屋根裏部屋のような泊まり場に泊まったのは10名ちょっとの人数でした。翌朝、天気予報を大幅の裏切った快晴の朝。一歩一歩登り詰める山頂への道。下に見下ろす箱庭のような上高地の眺め、遠く白山まで広がる展望。息が切れるからだけではなく、思わず立ち止まる一歩ごとに広がる展望の中に、硫黄の匂いの立ち込める山頂はありました。足下に佇む火口湖の青々とした色、今は登れない南峰の雄姿。この山頂を独り占めにする、広大な展望を独り占めにする幸福の中にありました。
 喧騒の中にあるはずの北アルプス南部。しかし、ここには乾いた風だけがある、独特の光景とユッタリと流れる時間がありました。

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焼岳小屋の下は素敵な笹原が続く 快晴の朝!穂高連峰独り占め!
焼岳小屋の下は素敵な笹原が続く 快晴の朝!穂高連峰独り占め!

剣岳源次郎尾根

 以下の者は、2006年7月29日〜31日、北アルプスで最も峻険なピークである剣岳(2998m)に、室堂から雷鳥沢、別山乗っ越しを経て剣沢に至り、初登頂ルートであり、山頂にダイレクトに突き上げる岩稜である源次郎尾根を登攀して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 剣沢のテント場は本当に素敵なところです。真っ正面にボリューム満点の剣岳が聳え、そこに向かう登山者の点々が小さく見え、源次郎尾根であり、八つ峰であり、本峰南壁であり、そして、それらに突き上げる無数とも言える登攀ルートを眺めながら雪渓を吹き上げる爽快な風を受けながら登攀終了後のビールが飲める!大好きなテント場です。源次郎尾根は大きな尾根です。標高2000m近くまで雪渓を下り、そこからまっしぐらに一気に山頂へと突き上げる風貌、二つのどこからでもハッキリと判る大きな岩峰を持ち、最もスッキリした岩稜線といえます。必ずしも簡単では無いこの尾根を初登頂のルートに選んだのは、最も判りやすく、最も単純だったからではないでしょうか。しかし、取りついてみると下半分は延々たるハイマツの藪くぐり、しかも、太い幹は滑りやすく、ザックはひっかかり、けして「お気楽」な道ではありません。それだけに、ハイマツ帯を抜け出してスッキリした岩稜に飛び出した時の解放感、雲海の上に後立山の山々がきれいに並び、T峰正面壁の垂直の壁が屹立した眺めがある、爽快な登攀ルートに変わります。大きなT峰の山頂からは八つ峰の登攀フェース群とチンネ、乾いた岩壁の数々を見ながらの登りでした。そして、急峻なコルへと下り、手の切れそうなしっかりしたフリクションのU峰への登りを快適に登り切り、ピークから一気に懸垂下降をする気持ちよさ。剣の山頂を背に最後の下りをザイルに託して滑り降りる気分は源次郎尾根ならではの物です。そして、最後の登り、ルンゼ、リッジそして、最後には頂上直下の広大な岩の堆積の中を登り切り、圧倒的な展望の中の山頂に立つ完成度の高いルートでした。
 剣岳は、日本で一番困難な山頂への道を持つ山です。その周囲の全てが登攀ルートであり、難しい物から比較的簡単な物まで無数とも言える登攀価値のあるルートが随所にあります。3000mの岩登り、登攀技術以上に体力であり、判断力であり、総合的な力の求められる最高の登攀があります。源次郎を出発点にそこへも足を向けていただきたいと願います。

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やっと来た快晴の夏。剣めざして早朝出勤する Ι峰からII峰へ。岩稜が続く
やっと来た快晴の夏
剣めざして早朝出勤する
Ι峰からII峰へ。岩稜が続く

白馬岳から朝日岳

 以下の者は、2006年7月25日〜27日にかけて、北アルプスを代表する名峰である白馬岳(2932m)から三国境を越えて鉢が岳をトラバースし、日本二百名山の一つ・雪倉岳(2610m)に登頂し、燕岩から小桜が原を経て朝日岳(2418m)まで北アルプス最北の縦走を行ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 花の山脈と言われた白馬岳から雪倉岳を越えて朝日岳に至る山脈。いったいいくつの花と出会ったことだろう。ミスバショウ、ハクサンコザクラ、ハクサンイチゲ、イワイチョウ、シナノキンバイ、ウルップソウ、タカネバラ、ミヤマダイコン、コマクサ、イワオウギ、イブキジャコウソウ、シラネアオイ、ショウジョウバカマ、これらの典型的な高山植物の他に絶えず足元を覆う無数の花花花。まさしく花の名山の名に相応しい素晴らしい花の山でした。三日間の悪天の予想の中の入山にもかかわらず、最も楽しみにしていた白馬から朝日の間は、絶えず吹きつける強風が気ぜわしくはあったものの、北アルプス最北端の展望の中に辿ることができました。最終日の大下りは絶望的な大雨の中に予想をはるかに超える残雪の中をザーザー、ゴーゴーと音を立てて流れる濁流と共にありましたが、ガスと雨の中にかすむ小さな池とボーッと影絵のように浮かぶシラビソの林、そこここに咲き乱れるオオザクラソウのピンクの花と、独特の美しさの中にありました。豪雪地帯ならではの豊潤なブナの巨木の森とイブリ山の下に咲くムラサキヤシオのピンクの花、豊かな激しい、北端の山の重厚さでした。3000m近い稜線から絶えず海の気配を感じながらの縦走。これが今回の、このコースの魅力でした。白馬の山荘から夕暮れの気配の中にやっと確認できた日本海の海岸線。翌朝、吹き倒されそうな強風の中、目指す雪倉岳から朝日岳のたおやかな尾根の下にクッキリと見える富山の町と海岸線。そして、そこに注ぐ黒部川の広々とした流れ、「遠くまで・・・行くんだ!」の言葉がピッタリのはるか彼方を目指す魅力がありました。北アルプス最北の山には何かがある!それは豊富な積雪が創り出す豊かな稜線であり、日本海を背にした山並みの美しさであり、富山の登山者を暖かく迎える気風であり、山の花でもあるわけですが、いつか、日本海を大きく望む小さな山にも登ってみたいとの思いの湧く三日間でした。

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よぉーく見ると・・はるか下に日本海の海岸線 三国境の下からは朝日岳が大きい
よぉーく見ると・・はるか下に日本海の海岸線 三国境の下からは朝日岳が大きい

水根沢

ずぶぬれの半円の滝
ずぶぬれの半円の滝

 以下の者は、2006年7月23日、奥多摩多摩川の支流で奥多摩湖直下に注ぐ鷹の巣山を水源とする水根沢谷を水根集落からゴルジュ、大滝、と遡行し、半円の滝まで核心部を達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 沢登りという形は同じでも、これほど、それぞれの沢によって魅力の違う物も無いものも珍しい・・・この春から数多くの沢に入ってきて改めて、それを強く感じました。また、その沢も、季節によって、天候によって、気温によって、水量によって全く違う物になることを改めて強く感じさせられました。水根沢谷は独特な沢です。青梅街道から入ること10分。バイクの爆音が時折聞こえる、そのメインストリートの気配が感じられる集落は、毎年秋には必ず、熊の目撃情報が聞かれる山間の集落でもあります。そのドンづまり。集落の取水口があり、カジカの養殖施設のある脇が遡行の開始地点でした。それにしても、梅雨末期の典型的な大雨の後、激しく増水した沢は、それなりの迫力と恐ろしさに満ちていました。水の力、音、流れの強さ・・・それらを満喫した一日でした。いきなりの滝で腰まで濡れて、最初のゴルジュで胸まで濡れると、後は恐い物無し・・・。それでも、泡立つ滝が泳ぐしかない釜に注ぎ、その釜も深く、激しく流れていてはトラバースとか選択の余地のなかった第2のゴルジュ。そこから大滝を越えるまでのコンテニュアスでの移動は、全力で押しかけてくる水との格闘でした。落ち口を越える時の水の圧力の恐ろしさ、頭上を覆うゴルジュの深さは独特の圧迫感がありました。最後の半円の滝は、いつもの突っ張りで登るには水量がありすぎ、全く登る気のしない状態でした。
 水根沢は多くの人に親しまれた楽しい沢です。アプローチの無さ、水との格闘に終始する沢はヤブ漕ぎもなく、ガレ場もなく、20分で出合いに戻れる安心の沢です。しかし、出合いから水源まで、そして、目指す頂上へのゲレンデとしての要素の大変強い谷です。つまり、出発点の谷であり、登山としての沢登りへの最初の一歩の谷です。この沢との出会いをキッカケに本当の沢登り、大きな沢登りに旅立っていただければ幸いです。

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荒川滝川本流

 以下の者は、2006年7月15日〜17日にかけて、奥秩父北面荒川支流の一つ滝川本流を豆焼沢出合いから遡行し、夫婦岩、直蔵の淵を越え、釣橋小屋から本流ゴルジュを突破し、古礼沢に入り、200mのナメ、50mのナメを越えて水源まで完全遡行し、水晶山(2158m)に登頂し、日本三大峠の一つ雁坂峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 ここには何かがある。荒川水源の山々には僕は独特の物を感じています。首都圏における最後の秘境、関東最大の原生林、大きく、深く、どこまでも続く奥深い森林と、その太古からの森が創り出す渓流の凄さは、もはやここだけの物と確信します。翌日からの明らかな豪雨を考え、そして、何よりも古礼沢を抜けた時点ですでに夕刻となっていた事から、雁坂峠から突出尾根を下りだした僕たちの足元で一瞬、大きく水晶谷方向が大きく見えて眼下に生き物のように雲の沸き上がる雄大な光景が広がりました。行くはずだった和名倉山から唐松尾山にかけての黒々とした尾根、さらに雁峠から雁坂峠にかけての広がり、その北面の全てが、現在では登山道とてなく、志を持つ登山者とプロ級の釣り師、そしてこの森の本来の住人である動物たちの生きていく場所であることを教えていました。クルマがビュンビュンと走る恐ろしい国道から下りきった谷底はすでに文明の気配さえない幽玄の世界が広がっていました。いきなりの胸までの徒渉、そして随所での泳ぎを交えた釜の通過、真っ青な釜、そこを泳ぐ大きなイワナ、そして谷音も消す勢いの雷と夕立。滝川本流下部の墨絵のような巨樹の森の中の遡行は、水との格闘に終始しました。立ち上る煙と大きな焚き火、谷の一夜は静かでした。雨と共に歩きだした二日目。頭上はるかまで空を隠す見事なゴルジュ、その中に次々とかかる厳しい滝の登攀、息次ぐ間のない滝川本流上部の通過は、絶えずザイルを出し続ける激しさでした。一転して古礼沢の優美な流れ、沢の大半がナメ滝とナメ床の連続と言ってもよい本当の美しさの中にありました。そして、消え入るようにガレと原生林の中に最後の流れが消えて、苦しい登りの末に、風の渡る、明るい奥秩父主脈へと僕たちは飛び出したのでした。入川、滝川、大洞川、それに大血川と中津川を加えた荒川の谷。何度通ってもお気軽にはけして楽しめない迫力があります。

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滝川本流のゴルジュ 下部のゴルジュ。時には泳ぎも 滝と滝の間の泡立つ釜
滝川本流のゴルジュ
次々とあらわれる滝をこえる
下部のゴルジュ
時には泳ぎも
滝と滝の間の泡立つ釜
すべてツルツルです

那須連峰

 以下の者は、2006年7月11日〜12日、那須連峰の中核である茶臼岳(1897m)に峰の茶屋から登頂し、三斗小屋温泉から隠居倉、熊見曽根を経て朝日岳(1896m)登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 那須連峰の山々は不思議な山だと強く感じました。標高は、最高峰の三本槍が岳でもわずかに2000mには及ばない。東京近郊で言えば、奥多摩や丹沢の標高であるにもかかわらず、1500m前後ではすでに森林限界の感じがして、稜線の赤茶けた雰囲気は八ヶ岳の南部を歩いているような感触があります。樹林帯にしても、灌木が茂り、その下の鬱蒼たる原生林にしても、ミヤマハンノキやダケカンバ、言うなれば2300m前後の山々にこそ相応しい木々が繁っています。そして、稜線を吹き渡る風も強く、高山を感じさせる強さです。そして、足元を埋める花も高山植物でした。関東平野が一気に高まって、その最初の高みである山々、谷川岳にしても、日光の山々にしても、この那須連峰の山々にしても、共通する意外性がありました。
 今回、この那須連峰の核心部を歩く、活火山の茶臼岳、穂高岳を思わせる峻険な雰囲気に満ちた朝日岳、そして、名前とは裏腹に山腹に豊富な高山植物のお花畑を持つ三本槍が岳の穏やかな山容、を訪ねることにありました。実際には梅雨末期に相応しい強い雨と風のせいで、最高峰たる三本槍が岳の山頂は諦めましたが、歩行時間とは裏腹に、変化に富んだ山並みと、豊富な溢れ出る温泉を堪能した二日間でした。
 ロープウェーがかかり、多くの登山者?がひしめく印象の強かった那須の山々。実際に訪れてみると、三斗小屋温泉は貸し切り、稜線にも悪天のせいか人影もなく雄大な展望と雲の去来する稜線を独り占めの感がありました。やはり登り残した三本槍が岳に足を延ばすこと、そして、露天風呂から絶えず大きく眺められた流石山から大石山、方面へと足を踏み入れたいとの思いを新たにしました。開発されたようで、実は、まだまだ山歩きで楽しめる要素が随所にころがっていることに安心しました。

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茶臼岳への登りから朝日岳をふり返る 隠居倉の登りから雨の谷間
茶臼岳への登りから朝日岳をふり返る 隠居倉の登りから雨の谷間

金峰山

 以下の者は、2006年7月4日〜5日、奥秩父の王者で日本百名山の一つである金峰山(2599m)に千曲川支流・西股沢を廻り目平から中の沢出合いを経て登頂し、千代の吹き上げ、大日岩を経て主稜線を辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 全く貸し切りだった梅雨の中の金峰山。全員が今年最初の本格的な高山植物と出会った二日間でした。誰もいない奥秩父西端の名峰は、随所で普段見られない動物が顔を出しました。リスが目の前を横断し、警戒心の強いことで知られるオコジョが石垣の間から出てきました。岩峰が林立する廻り目平もクライマーの姿は無く、山肌に霧を所々で流して山水画のような世界を作っていました。退屈な車道もすぐ下を流れる千曲川支流の水音とともに登る楽しい道でした。今年は花が遅いせいか、中の沢出合いはベニバナイチヤクソウの群落の中でした。カラマツからゴヨウマツ、コメツガからシラビソ、植物図鑑を見るような森林の変化と、背後の瑞牆山が肩を並べ、見下ろすようになると、周囲にあまりにも溶け込んだ森林限界に立つ金峰山小屋の前に立ちました。この小屋の素晴らしさは、その展望の良さです。小川山が、瑞牆山が、そして翌朝には血を流したような鮮やかすぎる朝焼けの下に八ヶ岳から浅間山まで寝室の小さな窓から霧の流れの合間に見えました。そして、コケモモ酒、ガンコウラン酒のピリッとした美味しさ、木々の中の奥秩父の山小屋の多くと一味違う素敵な小屋の一夜でした。
 屋根を打つ雨音。吹き抜ける強風の音に濡れながら来た道をトボトボ下る姿を想像させられた夜は、朝日の中に明けました。しかし、頂上に立つ頃、せっかく顔を出した南アルプスも消え、五丈岩さえガスの中でした。それでも国師岳が雄大な姿を見せる中に金峰山山頂はありました。ここからの千代の吹き上げの岩稜は、雨に濡れた花崗岩にけして歩きやすい道ではありませんでしたが、強風のあたるはずの岩肌にハクサンイチゲが、ミネウスユキソウが、ここが奥秩父の中の高山であることを教えていました。強くなる雨に煙る奥秩父の原生林。稜線と対照的な昼なお暗い静けさの中に山を降りました。大弛峠から往復する登山者が多いと聞く最近の金峰山。下から登り、下まで下って初めてその大きさの判る山でした。

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小屋の石垣の間から顔を出すオコジョ 朝焼け
小屋の石垣の間から顔を出すオコジョ 朝焼け

笛吹川ヌク沢左俣右沢〜甲武信岳〜破風山〜ナメラ沢下降

 以下の者は、2006年7月1日〜2日、奥秩父笛吹川支流・ヌク沢左俣右沢を出合いから遡行し、下部ナメ滝帯を越え、三段260m大滝を登り水源まで遡行した後、甲武信岳(2475m)に登頂し、奥秩父主脈縦走路を破風山(2317m)まで東走し、ナメラ沢を水源から出合いまで下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 沢の宝庫と言われる笛吹川の中にあって、圧倒的な滝の連続と、明るさ、大滝の勇壮さをもって知られるヌク沢。残念ながら中部のナメ滝帯の大部分が5基におよぶ巨大堰堤によって破壊され、かつての面影を無くしたとは言え、それでも豊富な水量と、連続する滝の大きさでは、他に比類ない圧倒的な迫力を持っていると言えるでしょう。次々と現れる日本の土建屋政治の悪弊を目の当たりにする危険極まりない堰堤の高巻きの連続にウンザリする頃、いきなり、どこまでも滝の連続する中に突入する驚き。人工物の創り出す生臭さに辟易とした後の大自然の創り出す造形の驚きに息を飲むうちに突然辿り着く大滝中段の大きさ。デジカメを一番ワイドにしても、滝の落ち口を入れようとすると仲間の足元が写らない大きさ。絶えずシブキとなってかかる水量の豊富さ。今年の「風の谷」の沢の中で勇壮さでは和名倉の大滝に一歩譲るとは言え、あちらが黒々としたゴルジュを割って吹き出すすさまじさに打ちのめされるのに対して、何と明るく、きれいな滝であることか。しかし、その直登は、ヌルヌルとした水垢と絶えず降りかかる水滴との戦いでした。3ピッチにわたる登攀を経て立った落ち口からは何と雲海の上に富士山が見えました。「日本で風の谷を唯一歓迎してくれる山小屋」甲武信小屋の楽しい一夜を経て、甲武信岳から原生林の美しい縦走路を久しぶりの縦走気分で辿り、破風山から向かうのはナメラ沢。毎回、下降に使うのが失礼なようなナメ滝の連続。全員がガイドも含めて何回ドスーンと尻餅をついたか数えきれないナメ滝の滑り台の連続。最初は恐る恐る下った仲間も面倒になってズデンズデンすっ転びながらの沢下りとなりました。そして、水量が増え、中の沢が、峠沢が合流し、かつての雁坂峠道を完全に破壊して作られた車道にでる瞬間まで花崗岩の白い岩肌の中の下りでした。明るい笛吹川の魅力。それを上り下りで満喫した二日間でした。

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ヌク沢大滝中段。落ち口がすごく高い 大滝の登り。こわい!
ヌク沢大滝中段
落ち口がすごく高い
大滝の登り。こわい!

鬼怒沼湿原・鬼怒沼山

 以下の者は2006年6月27日〜28日、鬼怒川水源にちかい鬼怒沼山(2141m)に女夫淵温泉から奥鬼怒温泉を通り、日光沢温泉からオロオソロシの滝展望台、日本一の高所にある高層湿原である鬼怒沼湿原を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 僕自身が奥鬼怒の山に憧れて足を運んでいた頃から実に20年以上の日々がたっています。当時、大好きだった辻まことの「山と森は私に語った」「山の声」「山からの絵本」に随所に出てくる奥鬼怒への思い、その変化、とりわけ奥鬼怒スーパー林道建設の足音が聞こえてくる中での四つの奥鬼怒の温泉宿の人々との交流と、文明批判とも言える多くの言葉、は僕を奥鬼怒の山へと駆り立てました。そして、久しぶりの鬼怒沼湿原。しかし、そこに至る道程では実に驚くべき変化・・・というよりは、全く違う山のような印象がありました。その当時、最も近代化された宿だった加仁湯に「蛍光灯が入った」と話題になった時代でした。頭上はるかに既にスーパー林道の橋がかかり、その工事の音響が谷に響いていたとは言え、手白沢は頑なに山小屋としての立場をとっており、日光沢もそれと同一歩調をとる・・・そんな中にありました。「ここは山小屋です。遊興の地ではありません」の看板は玄関から二階に引っ越しても、唯一、僕達が安心できる山小屋としてまだまだ日光沢温泉があったことに胸をなで下ろしました。空中に丸太が太い針金で渡された険路を辿った鬼怒沼への道は、相変わらずの急斜面の道でしたが、センスの良い整備で大きな段差はなく、一歩一歩を頑張れば「いつかは着く」・・・そんな感じの道になっていました。太いアスナロの木々がブナやダケカンバ、シラビソの森へと変わり、雄大なオロオソロシの滝を眺めるうちに何時しか、鬼怒沼の一角を僕達は歩いていました。いきなり放り出されるように眩しい広がりの中に飛び出して、足元をリンドウとヒメシャクナゲとワタスゲの覆う、広大な湿原と池塘の中を歩く喜びは素敵でした。何の変哲も無いと行ってもよい無造作な鬼怒沼山は原生林と残雪とオサバグサの如何にも深山の趣に満ちていました。再び戻った湿原からは日光の尾瀬の、そして根名草山が頭だけ出したユーモラスな姿を見せていました。尾瀬と繋げて、根名草山を越えて、会津の山々と共に・・・スーパー林道を見ないで済む様々なコースが次々と想像される奥鬼怒の山と湿原でした。

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狭い狭い鬼怒沼山頂 広々とした湿原。男体山が上半分だけ見える とても珍しいヒメシャクナゲ
狭い狭い鬼怒沼山頂 広々とした湿原
男体山が上半分だけ見える
とても珍しいヒメシャクナゲ
高さ6mくらいだ

水根沢谷

 以下の者は2006年6月25日、奥多摩多摩川支流の水根沢谷を出合いからゴルジュ、大滝を越えて、半円の滝まで核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 毎年のように行っていた水根沢谷の遡行を昨年は行いませんでした。2年前の同じ頃、「はじめての沢」として行った沢登りの際、そのあまりの釜の埋まり方と随所にたまった泥、あちこちにひっかかった流木に驚いたからです。そして、遡行して、大滝を越えた地点の上、小規模ながらワサビ田が作られている所のすこし先で堤防のように泥が堆積しているのと出会いました。支流のアシダキ沢が大規模に崩壊し、その全ての土砂が土石流となって釜の続く、この谷に流入したのを知ったのでした。鷹巣山を水源とする水根沢と川苔山を水源とする逆川、いずれも「風の谷」が初心者に沢登りの楽しさを知ってもらい、しかもあまり危険ではない貴重な沢がほぼ同時に鹿の食害を原因とする斜面の崩壊によって沢登りを目的とした山行としては価値の無い谷となってしまったのでした。そんな僕の所に「水根沢が、大分復活したらしい・・・」との話が聞こえてきました。今回の遡行はそんな中で行われました。行ってみて、たしかにかつてのドボンドボンと釜に落っこちる迫力は無いものの、それでも泳ぐことも可能な釜が所々で復活し、一足ごとに水中から舞い上がった泥も減り、それなりに沢登りができました。一日も早い、かつてのイメージの両側屹立した極端なゴルジュと多めの水量の水との格闘の沢が復活することを願います。
 水根沢の魅力は、その意外性にあります。青梅街道から入ること数分。人家の間を抜けるようにして入る谷。それが、いくらも行かないうちに徐々に両岸が迫り、頭から水を浴びる極端な滝登りが始まり、半円の滝に至るまで徹底的に濡れながら登る沢登りが可能な点にあります。「まさかこんな場所に・・こんな谷が・・」その驚きとアチコチぶっつけてできた青痣がなんとも楽しい谷です。この谷を出発点に、もっと水量の多い沢、もっと奥地にある沢、そして何泊もする泊まりの沢へと足を延ばして行ってもらえれば嬉しく思います。僕達のご乱行でスッカリ濁った水根沢にソーメン流しはできず、休憩小屋で食べたソーメン。まだまだ復活への道は先だけれど、楽しい沢の一日でした。

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水根沢最初のゴルジュ。頭から水浴び 釜を泳いで滝にとりつく
水根沢最初のゴルジュ
頭から水浴び
釜を泳いで滝にとりつく

矢沢軍刀利沢〜生藤山

軍刀利沢「逆くの字」の滝。一気に濡れる
軍刀利沢「逆くの字」の滝
一気に濡れる

 以下の者は2006年6月24日、奥多摩秋川支流・矢沢軍刀利沢を出合いから多くの滝を越えて水源まで完全遡行し、三国山、生藤山(990m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 多摩川最大の支流である秋川。三頭山を水源とするこの川は多摩川本流ほど刺激的な川ではないものの、たおやかな里山を水源とした穏やかな渓谷として知られています。その中にあって、南秋川支流の多くは、けして水量の多い谷ではないものの、傾斜の強い、多くの滝を連ねた独特の困難さを持っています。ひとまたぎ可能な流れが直登に困難を伴う滝となったり、面白いヘツリを伴う釜を創り出したりといった、けして侮れない魅力を持っています。今回、行った軍刀利沢はその一つの典型と言えるでしょう。杉、檜の植林が随所にある生活の山、かつての炭焼きの釜の跡も点在する里の香りのする山。しかし、一方で沢そのものは大小合わせて20を越える滝が次々とかかる、独特の楽しさを持っていました。仲間のほとんどが沢登り初体験。登山道ではない山も初めての方にはなかなかの刺激的な体験であったことと思います。ひさしぶりの暑さの中の遡行。水に入ることがけして辛くない季節が始まったばかりの沢登りでした。先週の洪水警報まで出た増水の影響か谷の中に流木がひっかかっている状態の所も随所にありましたが、次々と現れる滝を丁寧に乗り越え、時には全身にシャワーを浴びてたどる谷は素敵でした。実は、この谷は4月にも春山プランの転進先として登っています。その時とは一転して水を浴びること、濡れることが辛くない季節の沢でした。それなりの困難を感じていた谷もいつしか水が枯れ、落ち葉が谷筋を埋めつくし、靴を履き替え、一歩づつ登り詰めた先に夏風の吹き渡る稜線がありました。
 軍刀利沢は沢登りとしてけして難しい沢ではありません。しかし、それでも、登山道ではない、誰かが安全を保証してくれる物が一切ない、冒険の世界がそこにはあります。秋川流域の沢は難しく、困難な沢ではなくても、沢登りのそういった魅力、冒険の魅力が一杯詰まった谷が無数にあります。「風の谷」と共に、その一歩を踏み出してくれたことを嬉しく思います。

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南大菩薩・湯の沢峠から滝子山

やっと見つけたア○モ○ソ○
やっと見つけたア○モ○ソ○

 以下の者は、2006年6月21日、南大菩薩の湯の沢峠から山梨百名山の一つで秀麗富嶽百景の一つ大蔵高丸(1760m)に登頂し、破魔射場丸(1752m)、天下石、米背負峠と草原の尾根を縦走し、大谷が丸(1643m)から山梨百名山であり大菩薩連峰南端の滝子山(1620m)へと、縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大規模な開発が、ここ三十年位の間に大きく容貌を替えた大菩薩の山々。その中にあって、南大菩薩の山々は古き良き大菩薩の面影を残した貴重な山域です。とは言うものの、標高1600mを越える湯の沢峠(かつては甲斐大和ならぬ初鹿野駅から徒歩4時間の地でしたが)までタクシーで入る大きな変化はあるものの、そこからの草原の広大な尾根歩きは見事な物でした。初夏という季節は、梅雨の鬱陶しさと毎回の呼吸のたびに感じる湿度の高さにもかかわらず、山々は生き物の躍動感と濃い緑の創り出す濃厚な雰囲気に満ちた楽しい季節です。首都圏の多くの山々が鹿の食害と業者の植物盗掘で荒らされた中にあって、何故か、この地だけがそういった影響を受けず、懐かしい草原の植物、樹林帯の美しい下草や灌木と出会えました。湯の沢峠から破魔射場丸に至るギボウシやシモツケソウの葉が創り出す明るい草原。そして、ついに見つけ出したア○モ○ソ○の艶やかな花、陽差しとともに耳にいつまでも残るハルゼミの声、絶えず視界に入るヤマツツジの朱色、オダマキが咲き、ヤナギランの株が斜面を埋め、かつては、奥多摩、大菩薩の草原が全てそうだった心なごませる光景が随所に広がっていました。そういった雰囲気も大谷が丸からはカラマツ林の後にブナの原生林が広がり、また違った魅力を見せてくれました。梅雨空の下、全く期待していなかった富士山と出会え、多くの鳥の鳴き声とともに過ごした一日は南大菩薩の独特の魅力によるものと思います。歩きながら感じたのは、初夏に訪れることの多かったこの稜線の他の季節の魅力です。「風の谷」では、この尾根の晩秋と初冬、そして初夏を経験しています。広大な草原がキツネ色に変わり、広々とした展望と共に歩く寒い季節の他に、炎天は避けがたいものの、ヤナギランやマツムシソウが草原を色とりどりに染める光景、頭上をカエデやモミジの紅葉の覆う季節に密かな憧れを持ったのは僕だけでしょうか?延々たる滝子山の下りは厳しかったものの、また行きたい南大菩薩です。

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どこまでも続く草原 富士山が見えた!
どこまでも続く草原 富士山が見えた! 滝子山

和名倉沢

  以下の者は、2006年6月17日〜18日、荒川水系大洞川の支流・和名倉沢を出合いから遡行し、弁天滝、通らず、大滝を越え、苔むす源流の水源まで無数の滝を越えて完全遡行し、和名倉山(2035m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 当日の朝、その出合いに立つ瞬間まで谷に入ることを躊躇しながらの和名倉沢でした。前日の各地に出されていた洪水警報、ゴーゴーと音を立てて流れる谷、激流に流されていく仲間の姿が頭に浮かびながらの入渓でした。ただでさえ水量豊富なこの谷は随所で迫力満点の水の芸術品を見せながら鬱蒼たる原生林の中を流れていました。それにしても何という滝の多さであることか。数メートルの丹沢クラスだったら絶対に名前の付いていそうな大きな雄大な滝が連続し、一つ一つをどう乗り越えるか、絶えず頭をつかいながらの遡行でした。見上げるゴルジュの深さ、頭上を覆う鬱蒼たる原生林の緑の濃さ、奥秩父北面の谷を辿る迫力に満ちた遡行でした。その和名倉沢のハイライトは「通らず」とそれに打ち続く大滝です。あたかも全水量が一気に何段ものナメ滝となって落ち、一つの巨大な生き物のように落ちる「通らず」。その左岸をソロソロとトラバースでへつって行く先に頭上はるかから霧となって降り注ぐ50m大滝の圧倒的な力強さ。せっかくの大滝でも、絶えず霧となって降り注ぐ冷たさに耐えきれずソソクサと立ち去りました。そして、大滝上の「ここしかない!」と言った感じのビバーク地点。びしょ濡れの薪も最後にはゴーゴーと燃え、全身から立ち上る湯気、周囲に響くミソサザイやコマドリの谷の鳥の声、暗くなって焚き火の周りだけが赤々と照らしだされる中に飲む焼酎。泊まりの沢だけが持つ魅力です。夜半の雨、出発後1時間で鳴り出した雷と雨。しかし和名倉沢の本当の良さは源流近くなりあたかも日本庭園のように苔むして次々と現れる滝の連続だと今回、強く感じました。そして消え入るようにシラビソの原生林の中に最後の一滴が消え、僕たちは憧れの和名倉山頂に立ちました。「もう二度と下りたくない」二瀬尾根のドロドロの下りを降りながら、「今回も荒川水系の谷は僕達に全力投球の登山を強いたな」との思いを持ちました。疲れ、草臥れ果てて、その大きさとスケールを知った和名倉沢でした。

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源流部の滝は苔むしてステキ 大たき火 苦労の末の和名倉頂上
源流部の滝は苔むしてステキ 大たき火 苦労の末の和名倉頂上。
途中で拾ったシカのツノ

笛吹川東沢から釜の沢

水量豊富!迫力満点、両門の滝
水量豊富!迫力満点、両門の滝

  以下の者は、2006年6月10日〜11日、笛吹川東沢本流から釜の沢に入り、魚留めの滝、千畳のナメ、両門の滝を越えて水源まで詰め上げ、日本百名山の一つであり日本を代表する分水嶺である甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 沢登りをほとんどおこなわない者でもこの釜の沢だけは登ったことのある・・・という者は少なくありません。それほど、誰にも受け入れられ、沢登りの魅力を凝縮させた沢は珍しいと言えます。ほとんど、「川」と言える笛吹川を遡り、ホラの貝のゴルジュ等の素晴らしい景観の中をたどり、乙女沢、東のナメ沢、西のナメ沢等のそれ自身でも充分に遡行価値をもった沢が左右から注ぐのを楽しみ、すこしづつ、谷となり、沢となっていく様は水流と言うものの一生と成長を眺める中々経験のできないルートです。「全くの初心者向き」「かつては、甲武信岳への最も安定的な登路だった」等と言われる釜の沢ですが、今回は梅雨時であり、前日に相当量の雨が降ったこともあって中々の迫力満点の釜の沢となってしまいました。ドードーと、ゴーゴーと、激しい音を立てて流れる本流は泡立ち、随所で徒渉を強いられました。支流も水量豊富に谷となって、滝となって注ぎ込み、力強い谷の景色を堪能しました。けれども、やはり、この沢の最大の魅力は魚留めの滝から千畳のナメを経て両門の滝に至る部分に凝縮されます。白い花崗岩独特の美しい岩床とすべるように流れる水流の作りだす芸術的とも言うべき自然の造形。時としては跳ね上がる滝が作る躍動感一杯の楽しさ。それは、ヤゲンの滝を越えてもやはり日本一と言って良い美しさでした。
 考えてみれば、14際で初めて、この釜の沢に足を踏み入れてから、一体、何回、この沢を登ったことでしょう。まだ残雪の残る中をラッセルしたこと、紅葉の美しい中を登り、上部でベルグラの張りつめる中を登った時、厳冬期に凍りついた滝を次々と越えて遡行したこと、凍結の少ない年に何回も釜に落ちながらラッセルして登ったこと、実に多くの刺激的な思い出とともにある釜の沢です。これからも、きっと多くの新しい発見と感動のあるだろう沢です。この沢を出発点にもっと多くの谷、もっと刺激のある沢に挑むキッカケとなれば幸いです。

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横尾山

  以下の者は2006年6月7日、山梨県、長野県の県境の尾根に立ち、奥秩父西端の山である横尾山(1818m)に信州峠から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩の最高峰・唐松尾山に登るはずの僕たちでしたが、山々にかかる朝からの積乱雲とモヤッとした空気に恐れをなし、この時期、レンゲツツジの咲き乱れるはずの横尾山に転進しました。立派な車道は通っているものの、木立の中を眩しい初夏の太陽が光る静かな信州峠が出発点となりました。歩きだした途端の耳に耳鳴りのように聞こえる山一杯のハルゼミの声が山々に春の来たことを教えていました。カッコウ、ツツドリ、ホトトギス、エゾムシクイの声、花から花へと渡っていくアサギマダラ蝶の優美な姿。いつのまにか季節は初夏の山になっていました。あかるい雑木林とカラマツの森を抜け、カヤトの原に飛び出した途端の四方に広がる展望は見事でした。それ以上に八ヶ岳の上と奥秩父北端・群馬県との境付近に頭上高くバリバリと成長する積乱雲の雄大な姿は夏山そのものでした。期待したレンゲツツジは本来ならば盛りも過ぎた時期のはずでしたが、ようやくオレンジ色が顔を出し、これから咲く!という状態でした。すこしづつ顔を出したギボウシやヤナギランの新芽と、去年の枯れたカヤトの混じる独特の明るい広がりがどこまでも続いていました。そして、その上に上空に黒々とした積乱雲を一杯に乗せた、まだ雪の多い八ヶ岳連峰が大きく横たわっていました。カヤトからカヤトへ。そして間を明るい雑木林が繋ぐ展望の稜線の上下が小さな山頂へと続いていました。前に訪れたのは8年前。その時は標識もなく、四方を木々に覆われたさえない山頂だったはずの横尾山ですが、八ヶ岳方向を中心に伐採されて「山梨百名山」の標識も立ち、素敵な山へと変身していました。同じルートの往復のため、帰りは正面に金峰山が大きく聳える中をおりていきました。稜線を吹き渡る風は冷たく、乾き、高原独特の素敵な風です。
 山梨県と長野県、信州峠付近から信濃川上にかけてはその遠さ故になかなか訪れるチャンスの少ない、展望に優れた小さな山が無数に存在します。男山、天狗山、五郎山、高登谷山、時間をかけて、周囲の山里も訪ねながら、ユックリと歩いてみたい山々です。

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山頂 大きく広がるカヤトの原
山頂 大きく広がるカヤトの原。前に金峰山が大きい

甲武信岳

  以下の者は、2006年5月30日〜31日、日本百名山の一つであり、千曲川、荒川、笛吹川の水源であり、日本を代表する分水嶺である甲武信岳(2475m)に毛木平から千曲川水源を経て登頂し、長野県、埼玉県の県境を埼玉県最高峰・三宝山(2483m)を越え十文字峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 おそらく甲武信岳は多くの山の中でも最も僕の好きな山です。まず原生林が良い。毛木平周辺の明るいベニバナイチヤクソウの咲く中を歩きだし、広葉樹の森がコメツガの苔に変わり、シラビソの純林になっていく変化の良さ。そして渓谷。日本で最も長いと言われる信濃川・千曲川が梓山周辺では堂々たる河川なのが毛木平では渓流となり穏やかにすこしづつ谷に沢になっていく様子、そして無数と言って良いほどの数でサラサラと注ぐ支流、その一つ一つが目の前で生まれた流れであり、苔の間から沁み出すような物から花崗岩の白い砂の中から湧き出した物もあり、水が、流れが今、生み出される瞬間と出会える嬉しさは素敵です。そして、一跨ぎできる小さな流れとなりダケカンバの下の小さな窪みから最初の一滴が生まれ出るのと出会える嬉しさは格別です。暗い樹林の中の最後の急坂を登り切り、いきなり放り出されるような明るい山頂に飛び出す瞬間の独特の高揚感。これほど頂上に立つことを鮮明に演出してくれる山は無いと思っています。
 奥秩父の原生林と一言で言っても、その多くがどうしても伐採や堰堤工事で人の手の気配を感じさせる中にあって、甲武信岳から十文字峠の間の稜線、とりわけ東・埼玉側に大きく広がる荒川水源の谷の原生林の広がりほど見事な森はありません。武信白岩から下りたあたりから見下ろす渓谷の緑の奥深さ、引き込まれるような暗い広がりは無数の谷と滝、そして激流や「通らず」と呼ばれる廊下を創り出す美しい森と谷です。シラビソの独特の香りが深呼吸すると肺のすみずみに行き渡る心地よさ、緑色ばかり見ていた目に突然乱暴に飛び込む開花前の真っ赤なシャクナゲの蕾。この森を歩ける幸福を感じさせてくれる十文字峠への道です。「いつか、もっとユッタリとした山歩きも楽しめる時が来たら、十文字で泊まり、甲武信で泊まり、雁坂で泊まる、そんな山旅をしてみたい。」そんな気持ちにさせられる二日間でした。

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まだ固いシャクナゲのツボミ 千曲川水源近し!ナメ滝 久しぶりの青空の下の頂上
まだ固いシャクナゲのツボミ 千曲川水源近し!ナメ滝 久しぶりの青空の下の頂上

小川谷廊下

釜から滝へ!
釜から滝へ!

  以下の者は2006年528日月丹沢・玄倉川の支流・小川谷廊下を出合いから第一のゴルジュ、第二のゴルジュ、第三のゴルジュと越えて石棚の大滝まで核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 滝登りを中心としたイメージの強い丹沢の中にあって、花崗岩の白い岩肌と次々と現れるゴルジュが強烈な新鮮さで迫ってくる小川谷廊下。数年前の夏、台風後の増水に中州に取り残された家族が全滅する悲劇のあった玄倉川のイメージそのままに豊富な水量が実際以上の迫力を作り出す貴重な谷です。5月に入ってからの連日の悪天。前日の終日の雨にクルマを止めたところでもハッキリと聞こえる大きな渓声。緊張の中に降り立った河原の前にはやや濁った激流がありました。小川谷は廊下と呼ばれる極端なゴルジュが延々と続く本当の意味での険谷です。頭上はるかまで鬱蒼たる濃い緑の木々に覆われた屹立した岩壁が左右に切り立ち、そのど真ん中を流下する花崗岩の谷とツルツルに磨かれた白い岩肌は、それだけで東京近郊の山であることを忘れさせます。いきなりの水を浴びる滝。滝一つ一つはけして大きくはないものの、通常の倍はある水量に迫力満点の一つ一つの悪場は頭を使い、身体を使い、一つ一つ乗り越えていく楽しさがありました。スリップするとアッと言う間に流されていく釜、それでも、渓流シューズの作り出す微妙な感覚にようやく慣れた頃には全身はズブ濡れでした。「遡行図は遡行した人自身のメモ書き」とはいつも言っている言葉ですが、まさしくそのとおり、遡行図には必ずしも表示されていない数多くの滝が、水量が増えただけで通過困難となりさんざん頭を使わさせられ、通過に時間のかかる所も少なくありません。しかし、一方で漫然と登山道をたどる登山とはひと味違い、自分達の力ですこしづつでも前進していく楽しさは他の登山にはない楽しさがあります。全身ズブ濡れ、震えながら楽しんだ小川谷廊下でした。もう、石棚の大滝までわずかの所のゴルジュはハーケンがベタ打ちされていても通過は難しく、それまでの遡行で濡れによる疲労もあって相当の通過の困難がありました。力を全て出し切った感の方もいて、核心部を登り切った石棚の大滝の巻き気味の通過を最後にゴルジュを抜け出して、この激しい谷を抜け出しました。沢初めにはチョット迫力のありすぎた感のある小川谷廊下。これを出発点にもっと刺激的なもっと雄大な谷に出かけましょう!

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小川谷廊下。水量が多い 激しくあわだつ滝 小川谷第3のゴルジュ出口の滝 滝の後ろを通る
小川谷廊下。水量が多い 激しくあわだつ滝 小川谷第3のゴルジュ出口の滝 滝の後ろを通る

小草平の沢

普段はおとなしい小草平の沢もシャワークライム
普段はおとなしい小草平の沢も
シャワークライム

  以下の者は2006年5月27日、表丹沢の四十八瀬川の勘七の沢の支流・小草平沢を出合いから水源まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 当初の予想ほどひどい雨ではなかったものの、終日、降り続いた雨。脱出ルートの無い沢での夕立を恐れて、小草平沢に転進しました。小さな沢で流れも比較的短いために、普段はあまり登られることの少ない沢ですが、思わぬ増水のためになかなか迫力あるシャワークライミングが可能でした。驚かされたのはヒルの大群。星野さんのヒルスプレーのおかげで被害は最小限にくい止められましたが、従来、ヒルの被害の報告を聞かなかった場所でも、あの不気味な軟体生物がウロウロしているのはゾッとします。谷に入って、当初予定の勘七の沢の最初の滝のみは登攀してみました。今年最初の沢だった者がほとんどで、なかなか難しい滝だったため次々とスリップしましたが、それでも迫力ある滝を直登できたのはなかなかの経験でした。小草平沢は勘七の沢からの転進組がいっぱいで思わぬ盛況でした。時には順番待ちまでする状況に驚かされましたが、次々と現れる普段は文字通りの小滝が幅いっぱいにサラサラと水を落とす中を登りました。この沢の良い所は大きな滝こそ無いものの、つぎつぎと滝やミニゴルジュがあらわれ退屈する河原歩き等が皆無なところです。時には小スリップをしながら攀じ登る滝、シャワーをもろに浴びる滝、そして膝以上まで水に入るところもなく、シーズンはじめにはピッタリの沢でした。
 沢のメッカと言われ続けた表丹沢の沢。水無川本谷を筆頭とする日本で最も多くの人々が訪れ続けた沢は、残念ながら目に見える形での崩壊と荒廃の中にあります。遡行中にもお話したように京浜工業地帯を背後に持ち、最初は酸性雨による森林荒廃があり、その上に鹿の食害によって山肌がむき出しとなり、一雨ごとに土砂が沢に流れ込み、古くからの堰堤等はとっくに埋まり、滝登り以外の沢登りの自然との融合とも言うべき、楽しみが無くなりつつあります。それでも、沢そのものが無くなったわけでも、水が無くなったわけでもありません。いつかまた、潤いある新緑の中の遡行がてきる日の訪れを沢登りの最初の始まりの日に強く意識した小草平沢の一日でした。

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三つ峠岩登り講習

二日間の岩登りをおえて・・・全員集合
二日間の岩登りをおえて・・・全員集合

  以下の者は、2006年5月20日〜21日、三つ峠で行われた岩登り講習に参加し、屏風岩で多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 三つ峠の岩場は独特の雰囲気を持っています。いわゆる「ゲレンデ」としての価値と多くのルートが存在し、その時代、時代ごとのテーマにあわせた登り方が行われ、しかも本番の登攀と似たマルチピッチの登攀が可能です。落ち着いてユックリと周囲を見渡せば、富士山から南アルプス、奥秩父から御坂の山々と素晴らしい山々が広がっている・・・・。他の岩登りの練習の場には無いスケールと楽しさを持っています。首都圏のクライマーの中で、この三つ峠でトレーニングをしたことの無い者はほとんどいないと言われています。もちろん、この三つ峠を最終目標に第一バンドまでの間の岩場でトップロープでの練習を繰り返し、それを目標にしている方もすこしはいますが、ここでザイルの結び方を覚え、確保の方法を覚え、岩の登り方を学び、そして落石の恐ろしさ、基本技術の大切さを何回も岩場を上下する中から身につけていく・・・・、その成長の上に谷川岳の一ノ倉沢や北岳のバットレス等に向かう・・・・、多くの人々がそうやって一歩一歩の練習をしていきました。多くの登山者を高い志で育ててきた三つ峠の岩場です。
 今回のトレーニングで最も身につけてほしいことは、これからの登山の中で岩登りの要素を登攀の要素を積極的に取り入れていく姿勢です。登山道ではないところでの登山・・・・、つまりは自分の判断、責任でルートを決め、登っていく行為の中で安全のためにザイルを使用し、挑戦的な登山を自分自身で行うキッカケとして欲しいと思っています。講習中、おそらくどのパーティーの中でも強調されたことは、岩場における安全確保の徹底だったことと思います。一瞬の途切れもなく、セルフビレーによってか、パートナーによってか何れかで必ず安全が確保されているべきであること、懸垂下降は自分自身で安全を確保しなくてはならず、一瞬の小さなミスが致命的な事故に結びつくこと・・・・、これらは、今回で徹底的に学んでほしいことがらです。「登る事、そのものは何回もの実践で身につくが、システムや岩登りでの緊張感の持続は、最初の訓練でしか身につかない」のです。今回の講習が、緊張感のある、それだけに達成感のある登攀への貴重な一歩となることを願っています。

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雲取山

  以下の者は2006年5月16日〜17日、東京都最高峰、日本百名山の一つで都内唯一の2000m峰である雲取山(2017m)に日原の

唐松林道の木の間から見える滝
唐松林道はあちこちで
こんな滝が木の間から見える

八丁橋から日原林道をたどり、唐松橋から唐松谷林道を登り、ブナ坂から登頂し、大ダワ林道の巨樹コースを下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 十指に余る雲取山をめぐるルートの中にあって唐松谷林道は東京都管内にあっては最も奥まった所にあるルートです。地図で東京都を見る時、その左端に楔のように尖った部分、そここそが東京で島しょを除いた中では最も広大な手つかずの原生林の残された部分なのです。今回の雲取山は、その太古からの原生林を繋いだルートをたどることにありました。日原林道をギリギリまでクルマで乗り付け、人間の歩行以外では入ることのできない箇所で初めて山に入り、そうすることでユッタリとこの貴重な原生林と、そこから生み出された渓谷との出会いを求めたルートでした。唐松谷林道は雲取山をめぐるルートの中で「風の谷」が初めて挑むルートでした。沢に沿ったルートは傾斜そのものはゆるやかであるものの、最短の富田新道と比べると約二倍の距離、歩く登山者も少なく不遇の道と言えます。北東気流の影響で時折冷たい霧雨の降る中、それでも唐松橋から見下ろす大雲取谷は美しく、そこから滝となって本流に注ぐ唐松谷も随所に滝をかけて生まれたばかりの緑色と共に頭上をサワグルミ、プナで覆い雲取山の全く違った顔を見せてくれました。急坂を登り切り辿り着いた見慣れたブナ坂の広場は冷たい風の中でした。翌朝、何回か通った大ダワ林道。いつ来ても巨樹の林立と数多くの谷を渡る鳥のさえずりの多く聞こえる道を下りました。アチコチで小さな沢が谷に注ぐ様子は谷沿いの道の楽しさです。桂、栃、山毛欅、数多くの巨樹との出会いも見事でした。
 今回、唐松谷林道と大ダワ林道、いずれも日原と雲取山を結ぶ谷に沿った道でした。谷に沿った道は本来、維持管理が難しく、一見、すぐ真下の谷との距離も少なく、安心して歩けるように見えても絶えず崩落と転落の危険を秘めた緊張の道であることが多くあります。長期にわたってこの水源林道を歩いて来た僕にとって今回、決定的に思われたのは鹿の食害によるクマザサの消滅です。クマザサは鬱陶しい物の道を崩落から防ぎ転落の危険を除去してきました。これからの二つの登山道の行く末の気になった二日間でした。

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トチノキの巨樹。デカイ もう一度登り直した雲取山からはまっ白な南アルプス 長沢谷手前のカツラの巨樹
トチノキの巨樹。デカイ もう一度登り直した雲取山からは
まっ白な南アルプス
長沢谷手前のカツラの巨樹

南天山

  以下の者は2006年5月10日、奥秩父の北端、中津川上流の不遇の展望のピーク・南天山(1483m)に鎌倉橋より方円の滝を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥秩父というより上武国境の山々と言う表現が似合う不遇の山々。一つ一つの山体は岩峰を持ち、山容も立派で「もし、こんな山が東京近郊にあったら‥・」とついつい思わさせられる山ばかりです。しかし、これらの山々のほとんどに道は無く、これらの山を志す者は林業の仕事道をたどり、地形図から尾根やルートになりそうな沢を見いだし、山頂をヤプをかきわけながら勝ち取る、そんな登山を強いられています。その中で唯一、この南天山だけはかつての大滝村によって登山道整備がなされ、正規の登山道のある貴重な山でした。稜線に立って、改めて驚かされる、この山の位置。すぐ北に群馬との県境、そして西の三国峠の鉄塔の見える所が長野との境目。本当の本当の山奥に来たことを深々と実感させられる南天山でした。出発の鎌倉橋は萌えるような新緑の中0鎌倉沢に沿った道は小滝、ナメ滝の点在する中の沢音の賑やかな中にありました。そして聞こえるミソサザイ、ジュウイチ、コガラの鳴き声。従来、谷に沿った道と言うのは、整備に手間を要し、尾根道と比べるとどうしても転落等の危険もあり、なかなかお目にかかれないルートなのですが、気持ちの良い沢の魅力といつでも冷たい水が飲める快適さは素敵でした。方円の滝とも法印の滝とも言われる末広がりのサラサラと音も無く落ちる滝は美しく、周囲の広葉樹に染まるような優美さでした。最後の一時間で高度の三分の二を一気に稼ぐような登りは、丁寧に付いたジグザグのおかげでグイグイと登れました。そして、カラマツの植林に周囲が変わり、最後の稜線に出た時、‥‥ありました!アカヤシオのピンクの花が点々と山頂への斜面を埋めていました。岩峰と言って良い、南天山の山頂。樹海に浮かぶ島のような山項は驚くべき大展望の中にありました。とりわけ前日の両神山からの連なる稜線の厳しい上下、奥秩父主脈の不機嫌そうな広がり、かつて何回も歩いた十文字峠道が手が届きそうです。誰にも逢わなかった静寂は山頂にもありました。

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方円の滝。静かな滝だ 南天山からは昨日登った両神山が大きい
方円の滝。静かな滝だ 南天山からは昨日登った両神山が大きい

両神山

  以下の者は2006年5月9日、奥秩父北部の日本百名山の一つ両神山(1723m)に小森川上流の白井差から昇竜の滝、大又、オオドリ河原、ブナ平、水晶坂を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥秩父と言われながら遠く、主脈縦走路からは離れ、群馬県との県境をなす両神山。その両神山の最も魅力あるルート、しかも登りやすいルートとして知られていた白井差ルートが封鎖されてから6年。再び、あの潤いに満ちた原生林の中を登る機会は無いと思っていただけに、小森川に沿った道をたどる喜びはひとしおでした。秩父市内では時折、フロントガラスを濡らす霧雨の道は、山に入ると、濃い霧となって生まれ出たばかりの緑色をボーッと浮かび上がらせて幻想的な世界へと私たちを引き込んで
いきました。昇竜の滝はかつてと変わることの無い優美さで周囲の新緑の中、滝独特の激しい音を立てることもなく静かにサラサラと落ちていました。そして、大又と呼ばれる地点でかつての一位がタワのルートと分かれてから、一層の静けさの中に広葉樹の森の中を登っていきました。斜面は急であるにもかかわらず、さすがはかつての仕事道。丁寧なジグザグの中に確実に高度を上げていくことができました。ブナ平と呼ばれる文字通りのブナの森の中、全く期待していなかった青空がノゾキ岩と思われる岩壁の上にチラチラとしだし、思いもかけず、私たちはサンサンと照る太陽の下を汗を拭きながら登ることとなりました。そして、かつての梵天尾根に飛び出し、勝手知ったる登山道をたどることわずかで、岩場の道となり、点々と咲くアカヤシオの中、「風の谷」ではなかなか訪れない、岩峰の山頂に飛び出しました。
 思いもかけない圧倒的な360度の展望。東には広々と綿を敷きつめたような雲海の輝き、その上にヒョツコリと顔を出す奥秩父主脈の黒々とした連なり、雪を豊富にいただいた八ヶ岳の山々、浅間山、そして谷川連峰。全く期待していなかった展望の中に立てました。立ち去りがたい山頂を後に、私たちは再び、雲海の下のシットリした斜面へと下りました。イロイロとあったような白井差ルート。大変素敵でした。

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両神山頂のアカヤシオ 秩父盆地は雲の下
両神山頂のアカヤシオ 秩父盆地は雲の下

飯豊連峰

この剣が峰をこえれば山形、新潟、福島の三県の県境
この剣が峰をこえれば
山形、新潟、福島の三県の県境

  以下の者は、2006年5月3日〜7日、東北南部を代表し、新潟、福島、山形の三県にまたがる飯豊連峰を川入から剣が峰、三国岳(1644m)、を越えて、日本百名山の一つ飯豊山(2105m)、御西岳から連峰最高峰・大日岳(2128m)に登頂し、烏帽子岳から強風の中を北股岳(2024m)を越えて、門内岳まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北アルプスとも南アルプスとも八ヶ岳とも違う、標高的には奥秩父よりも低く、ほぼ慣れ親しんできた奥多摩の山と大きく変わらない高さであるにも関わらず、そのボリュームの大きさ、稜線の雄大さ、そして張り出した雪庇の大きさ、積雪量、ブナの森の広がり、どれをとっても圧倒的な迫力で僕たちを驚かせた飯豊連峰の縦走でした。雪解け水が川幅一杯にあふれ返る出発点の御沢、登るごとにブナの巨樹が広がる登り、わずか1000mを越えるか越えないかから稜線に大きくはり出した雪庇。剣が峰は前評判ほどの積雪はなかったものの、ズタズタに亀裂の入った雪庇とヤセ尾根を越えて主稜線の一角たる三国岳に立つと広がる、これから越えて行く山々の広がりは素敵でした。この雄大さは何といっても豊富な積雪がもたらす物です。10mをおそらく越える積雪は、たおやかな稜線を作り、1500m付近で森林限界を作り出し、あたかも高山の様相を呈して僕たちを迎えてくれました。また谷を埋めた残雪は巨大なゴルジュを形成し、深い谷と「彫りの深い」美しい山容を見せてくれていました。二日目から予想を裏切って厳しく吹き続けた強風。北海道を通過する低気圧と前線が起こした自然の厳しさは辛くはあっても、この山の厳しい一面を感じさせてくれました。手近に見渡す限り、送電線も林道も見えない、夜になるとはるかな新潟のどこかの町の灯が見え、日本海に夕陽が沈み、遠くの山に登りに来たことをしみじみと感じさせてくれました。ブナの巨樹の根元を埋める数メートルの積雪。その脇に点々と咲き誇るカタクリとイワウチワ、その脇にはシャクナゲの真っ赤な蕾。キツツキのドラミングの楽しさを打ち消すブロック雪崩の轟音。穏やかさと厳しさの飯豊連峰でした。

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氷河のような広大な雪尾根を行く 氷河のような
広大な雪尾根を行く
御西岳からは日本海に夕陽が沈む 御西岳からは
日本海に夕陽が沈む
今日も早朝出発。昨日登った大日岳が大きい 豊富な雪とブナの森
今日も早朝出発。昨日登った大日岳が大きい 豊富な雪とブナの森。もう1000mを切った

燕岳

青い空はもうすっかり春
青い空はもうすっかり春。頂上近し!

  以下の者は、2006年4月29日〜30日、北アルプス中核の表銀座の花崗岩の山・燕岳(2782m)に中房温泉から合戦尾根を合戦の頭、燕山荘を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年の春ほどハラハラドキドキさせられる春もなかなかあるものでは無い・・・・そんな、このゴールデンウィークの北アルプスでした。当初、予定の五竜岳は先週からの一週間だけで2mの新雪が降って、五竜山荘から山頂までのトラバースに不安があり、鹿島槍が岳に転進。その鹿島槍も赤岩尾根の登下降に山小屋からも不安の声があがり、さらに燕岳に転進しました。しかし、当初は悪天の予定だったはずの北アルプスの空は、東側の上空に寒気の流入による積乱雲の子供がチョロチョロしてはいたものの、半袖になりたくなる暖かい空気と照りつける太陽に凍った雪もどんどんとザラメになっていきました。歩きだしからの雪の上の道。コメツガとシラビソの原生林の尾根がダケカンバに代わる頃、大きく開けた展望は稜線の上に槍の穂先を見せていました。主稜線への一歩一歩。それは背後に大きく開ける春霞たたなびく安曇野の気配と、青空に映える白い雪の尾根との対比の中にありました。そして、表銀座に飛び出した途端に大きく広がる全ての北アルプスの山々。みごとな空間がそこにはありました。燕山荘から山頂までは点在する花崗岩の風化した姿が彫刻の石像のように点々とある中の稜線でした。
 春は単純に一直線に季節の進む時ではありません。行き、戻り、また大きく行き。この連休の始まりの少し前、大きく戻り、北アルプス、とりわけ北部の山々に山小屋の開設を軒並み遅らせるほどの季節の変化。それが、また大きく前に行った中での二日間でした。二日目の朝、ゴーゴーと吹きわたる中に開けた朝は、小雪が舞っているものの気温自体はプラスで、もう冬の風ではありませんでした。多くの山から転進して来たであろう登山者は次々と登ってきて、燕岳の周辺は春の雪山とは思えない賑わいの中にありました。今年の最後に近い雪山。額に浮かぶ汗は、もう、次の季節の気配をその風の中に秘めた新緑の香りのするものでした。

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三つ峠岩登り講習

訓練終えて・・全員集合
訓練終えて・・全員集合

  以下の者は、2006年4月22日〜23日、富士山を背後にした三つ峠において、岩登り講習に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 岩登り講習は何の為にに行うか?もちろん、登山の中でも最もエキサイティングな行為である岩壁登攀を行うためです。けれども、岩登りの全ての技術は、凹凸のある一般登山道を安全に歩く為にも、沢登りのためにも、積雪期の登山の為にも、ぜひとも覚えていただきたい技術です。しかし、今回の講習の参加者の大部分が「岩登り初体験」でした。その方たちに最も、身につけて欲しかったことは、岩登りのザイルワークの基本的なシステムです。パーティーがザイルで結び合った後、ビレーヤーはまずはメインザイルでセルフビレーを取り確保の体制に入り、トップがそのピッチを登り切って、トップ自身のセルフビレーをとった後に「ビレー解除」のコールで初めて確保を解きます。また、余ったザイルを巻き上げて「ザイル一杯」のコールを受けて、トップはセカンドへの確保の体制を確立して、初めて「登って来い」のコールをかけます。そのコールで初めてセルフビレーを解除して登り始める・・・・。つまり、自分をセルフビレーしているか、パートナーに確保されているか、いずかの状態で必ず安全が確保されている状態が続かなくてはならない・・・。これが、最も基本的なシステムです。実際の登ることの技術は、数多くの経験を積むことによって習得できますが、ザイルの結束と、このシステムの習得は、ぜひとも今回の講習で間違いのない状態にしていただきたい技術です。
 日曜日は間違いなく雨!との情報の下で、土曜日はテントを張ると、飯も食わずに岩場へ、そして日没まで練習。二日目も雨が降る前まで・・・・、とのことで早朝から練習。結局、決定的な雨は降らないままに、忙しい講習となってしまいました。手がパンパンに張り、小さな傷を手足に一杯作って、なかなか充実の二日間であったと思います。この、講習を基礎に、もっと刺激的で冒険的な登山を開始する貴重な一歩となれば幸いです。

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蛭が岳から檜洞丸

檜洞丸をこえると笹原とブナがつづく
檜洞丸をこえると
笹原とブナがつづく

  以下の者は、2006年4月18日〜19日、丹沢山脈の中核であり主脈と主稜の交差点でもある蛭が岳(1673m)に神の川から風巻の頑、柚平山(1432m)、姫次、原小屋平を経由して登頂し、白が岳から槍洞丸(1601m)へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 一気に春のやってきた山々。斜面を萌黄色がすこしづつ登っていく・‥そんな中の二日間でした。しかし、待ちに待ったはずの春。ミツバツツジやヤマザクラが新緑の中に点々と光る春の気配にもかかわらず、実際の山は快適なだけではありません。強い陽射しは初夏を思わせる物がありましたが、一方で強い風の吹き荒れた二日間でもありました。たしかに上空には雲一つ無いにもかかわらず、はるか大陸から西の強風によって運ばれた黄砂は景色を煙らせ、晴天にもかかわらず僅かに同じ丹沢の山がボーッと霞の中に浮かぶだけの展望でした。多くの人々が訪れる丹沢ですが、神の川を拠点とした裏丹沢は登る者も少なく、僕達だけの道がどこまでも続いていました。日本の鉱工業を支えた京浜工業地帯を見下ろす位置にある丹沢は、首都圏の山の宿命をそのままに背負った山でもあります。酸性雨による60年代からの木々の立ち枯れ、それに追い打ちをかけた鹿の食害は枯れた木々と崩れていく斜面とを目立たせていました。昨年の同時期、塔が岳からの主脈縦走はとりわけ前半では、その著しい荒嘩に息を飲みました。しかし、今臥辿った裏丹沢からの道は遠くに随所で起きる崩壊は目にしても、その大部分は原生林と落ち糞の中に続いていました。そして蛭が岳から槍洞丸への道は小笹とブナとが続く従来の丹沢の姿を色濃く残し、また熊笹の峰への道は谷川連峰を思わせる笹の原とブナの巨木の中にありました。
 強い風、霞む山々、見えなかった富士山。それでも夕暮れ時に小屋の外に出ると四方に点々と見える夜景がありました。標高1700mに満たない山々ながら広大な地域に明るい展望を持った楽しい山々です。一方で一つ一つのピークの上下は大きく急で、僅かな距離を進にも近くの奥多摩、大菩薩、奥秩父では考えられない力を必要としました。眼前に大きく奪えた大室山から菰釣山、畦が丸とまだまだ魅力ある丹沢があります。また、いつか訪れたい丹沢の山々でした。

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原小屋付近はまだ昔の丹沢の良さがいっぱい 蛭が岳山頂。まだ緑はなくて丸ハダカ
原小屋付近は
まだ昔の丹沢の良さがいっぱい
蛭が岳山頂。まだ緑はなくて丸ハダカ

権現岳

頂上直下のトラバース。ザラメ雪が重い
頂上直下のトラバース。
ザラメ雪が重い

  以下の者は2006年4月15日〜16日、八ヶ岳最南端の不遇の名峰であり、山梨、長野の県境に聳える権現岳(2715m)に八ヶ岳神社から木戸口、三つ頭を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 激しい冬の過ぎた後、どうやら不思議な春が訪れたようです。3月の声を聞いてから毎週末に定期便のようにやってくる強い寒冷前線を伴った低気圧の襲来。毎週のように雪崩や暴風雪があり、毎週のように遭難がある、そんな春の山々が続いています。今週も実は、正月すぎにチャレンジして見事に追い返された霞沢岳のリベンジのはずでした。ところが、毎週のように上高地は降雪があり、4月に入ってからのほうが、3月よりむしろ雪が多い。そんな情報に鳳凰三山、権現岳と逡巡した後の権現岳となりました。歩きだしの全くの雪のない世界。笹とカラマツと落ち葉に拍子抜けしていた私たちでしたが、突然に2000mから現れた雪は一気に嵩をまして、しかも、一気に潜りだし、春の雪山の本来の姿を満喫させられました。毎回、「風の谷」の指定場所とも言うべきヘリポートにテントを大急ぎで張り、そこから、あたかも接近を告げる低気圧と競争するように頂上を目指しました。春ならではの素手で触ると痛いようなザラメの雪。いきなりボコリボコリと潜りまくる雪。しかも随所で凍結し、アイゼンで出発し、すぐにワカンに替え、ふたたびアイゼンに替え、一歩一歩と目指していった権現岳でした。全く他の登山者の姿をみない登りでしたが、三つ頭で突然に真新しいトレースが現れ、頂上直下で単独で日帰りを試みている登山者と出会いました。三つ頭に飛び出したとたんのバーンと音を立てそうな勢いの赤岳から阿弥陀岳にかけての圧倒的な迫力の山々。そして、真っ白な雪稜と化した最後の登り、もうヘトヘト、もう一歩も出ない・・・・、という状態で鉄の剣が天空を突き刺す、美しい権現岳山頂にたちました。三つ頭に戻ったとたんに降り出した雪。一気に下がりだした気温はまだまだ、この山が雪山であることを教えてくれていました。「八ヶ岳にも、こんな静かで素敵な雪山が逢ったんだね!」とのあるメンバーの言葉はそのまま、全員の気持ちだったと思います。実に五時ちかくまでの行動。全力の権現岳でした。

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三ツ頭からふり返る赤岳〜権現の山々 やっと着いた頂上。せまい!
三ツ頭からふり返る赤岳〜権現の山々 やっと着いた頂上。せまい!

武甲山

  以下の者は、2006年4月12日、奥武蔵を代表する名峰であり、秩父の象徴である武甲山(1295m)に横瀬の生川登山口の表参道から大杉の不動の滝、大杉の広場を越えて登頂し、橋立へと下ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 けして好ましい天気と言うわけではなく、前日まで登山中止を呻吟するような雨、出発直前まで降り続いたかなり強い雨の気配が、まだまだ残る中の武甲山の登山でした。しかし、終わってみた、この武甲山の最大の魅力である山頂から大きく広がる谷川連峰から日光連山、そして何よりも近く、しかも適度な距離を持った奥秩父の山々の展望が一切見えなくても、濃い霧に覆われつづけた山の一日はなかなか魅力的な物でした。秩父駅前から見上げる武甲山は上半分をガスに覆われて荒々しく石灰岩の採掘現場が眺められる荒れた山との印象がありました。実際に歩いてみて、山頂ではけたたましくサイレンが鳴り、その直後に大轟音と共に発破があり、下山口とした橋立方向では所々に発破の待避所はあるものの、登山中、北側半分をバッサリと破壊されている事を一切感じさせない静寂の中にありました。本来、横瀬の駅から歩くべき武甲山ですが、登山口までの大半を林立するコンクリート工場に占領され、一丁目から始まり五十二丁目で頂上となる里程の内、十一丁目からの登山となりました。杉と檜だけが続く、暗い苔むした道。どこを歩いても同じ所を歩いているかのような錯覚に陥るジグザグの道。けれども、単なる人工林とは違う鬱蒼たる奥深さのある道でもありました。不動の滝の流れ、そして何人もが手を繋いでも一周しない(我が巨樹の主・牧野さんによれば800歳以上とのこと)大杉。その前後も点在する巨樹の群れは、この山が本当に歴史ある山であることを教えてくれていました。たどり着いた山頂は、山頂の三角点さえも動かされ、立派すぎる柵とフェンスに囲まれた展望板のみのさえない物でしたが、それでも、秩父の盟主としての風格を持っていました。一転して秩父らしい里山の雰囲気に溢れた橋立への道はカタクリの葉の出た(一輪だけ咲いていましたが)、最後は美しい沢の流れと共に歩く楽しい道となっていました。既に木々は微かに芽吹きが始まり、緑色も下るほどに出て、最後にはミツバツツジも咲く穏やかな道は秩父札所第28番・橋立寺で終わりました。霧の似合う古風な山の一日でした。

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大杉。でかい! フェンスに囲まれてすっかり人工的になった武甲山頂上

フェンスに囲まれてすっかり
人工的になった武甲山頂上
大杉。でかい!

浅間尾根

頂上は今日も明るい陽光の中!
頂上は今日も明るい陽光の中!

  以下の者は、2006年4月4日、奥多摩の南北秋川を分ける甲州古道の通る浅間尾根を数馬分岐から一本松、人里峠を経て、浅間嶺(903m)に登頂し、時坂峠へとたどったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 毎年、この4月の第一週に浅間尾根を歩くようになって、すでに10年がたちました。待ちに待った春の訪れを最も早く感じさせてくれる尾根道。里の山の魅力を全身で感じられる山として最も好きな山です。僕が高校生の頃は、まだ現在の奥多摩周遊道路がなく、浅間尾根は本宿から三頭山への最も長大な尾根として歩かれた道でした。しかし、傾斜の少ない、大きく大岳山から御前山を経て三頭山への奥多摩主脈の山々がドカーンと聳える尾根道は先を考えて元気に進むよりも、雑木林、杉、檜の人工林、そして点在するカヤトの原を堪能するのが、より相応しい道であるとも言えます。この時期、一気にやって来た春は、木々に新しい緑をつけて、もっと派手な花が山々に咲きだしたら省みられることのないキブシ、ダンコウバイ、アブラチャン、等の地味で素朴な花を点々と僕達に見せてくれます。春の陽光にあふれた日に馬頭観音を見、咲きだした花を一つ一つ確かめながら歩きたい浅間尾根です。毎年、必ず同じ場所で顔を出すカタクリの花、一方、かつては幼木だった杉が伸びて木陰を作り、思わぬ斜面が伐採されていたり、山里の人々の生活の山として、絶えず小さな変化もある山です。一つ一つ表情の違う馬頭観音は、ここが産業道路として、生活道路として、多くの旅人が行き交い、塩が運ばれ、嫁取りが通り、薪炭が運ばれ・・・と言った光景をじっと見ていたことと思います。現代の旅人たる僕達登山者をまた見続けることだと思います。
 浅間尾根を中心とする秋川奥の山々は人々の生活と密着した山々です。終始、歩いている間中、右手に見えていた笹尾根は、標高1000m前後を穏やかに上下しながら三頭山と高尾山を結び、その上には、実におおくの峠が、鶴川奥から秋川奥へと越えています。甲斐絹が運ばれ、蚕が運ばれ、八王子で着物となっていった話はたかだか50年前の話です。そんな気配を随所で感じさせる浅間尾根の一日でした。穏やかな春の気配が一杯の奥多摩をこれから充分に楽しみたいと強く思いました。

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とっても可愛い馬頭観音 ダンコウバイの下を行く 今年最初のカタクリ
とっても可愛い馬頭観音 ダンコウバイの下を行く 今年最初のカタクリ

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