過去の登頂記録 (2004年9月〜11月)

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2004年 11月 27日〜28日 天狗尾根から赤岳登攀
25日 御座山
24日 西上州・荒船山
16日〜17日 酉谷山
6日 マレーシア・ボルネオ島 キナバル山
10月 31日 日和田山岩登り入門講習
30日 神流川金山沢左俣から両神山
26日〜27日 源次郎岳と大菩薩牛の寝通り
17日 奥多摩日原川犬麦谷から酉谷山
13日〜14日 金峰山から国師岳縦走
9月 28日〜10月1日 八ヶ岳南半部縦走
14日〜15日 平標山と仙の倉山
11日〜12日 笛吹川東沢釜の沢から甲武信岳
7日 蓼科山
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天狗尾根から赤岳登攀

 以下の者は、2004年11月27日〜28日、八ヶ岳主峰・赤岳(2899m)に佐久側・地獄谷より突き上げる岩稜・天狗尾根を美しの森より赤岳沢を経て登攀し登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年最初の本格的な寒波の到来。強い季節風が周囲の山々を厚い雲の中に閉じ込めた中の二日間でした。11月末というのは、八ヶ岳にとって、最も取り付き難い人の訪れの無い季節です。「小屋が岳」の異名をとる稜線に点々と立つ山小屋のほとんどは営業を止めて、乾いた風が稜線を吹いています。また、山々を美しく変える雪の訪れも、まだ不十分。時折の低気圧の通過が、稜線を白く変えても僅かな時間で、消えていく。そんな中の八ヶ岳でした。小淵沢に向かう高速道路も時ならぬ季節風に50kmの速度制限となる、激しい冬型の訪れ。甲府辺りから見上げる八ヶ岳は、すっぽりと雪雲の中でした。突然に姿を現した赤岳は白く染まっていたのですが。しかし、晩秋の雪は消えるのも早く、地獄谷を歩きながら見上げる東面は、谷筋に雪を残すのみで、今年初めての「冬季登攀」に燃える私達には茶色の壁が目立つばかりでした。それでも出合い小屋から見上げる大天狗は大きく屹立し、「こんなの登れるのかな?」の気配に満ちていました。凍りついた所もある河原の石にイライラしながら歩くうちに、今年の大雨ですっかり様子の変わった赤岳沢に、取り付きを間違え、思わぬ壁と藪登りを強いてしまいました。予定の頂上泊には遠くおよばず、2350m付近で皓々とと照る満月の月明かりと見下ろす佐久の町の明かりの中のビバークでした。冷たい風の中のヘッドランプの出発。次々と現れる岩塔の通過。背後に大きく広がる富士山から南アルプスの迫力ある大展望。一歩、一歩を勝ち取り、ついに縦走路に出た時の嬉しさは格別でした。稜線に出た途端の、今まで遮っていた尾根に出て寒風の洗礼を受けながらの赤岳への道でした。降った雪は凍りつき、久しぶりの冬山の緊張を少し思い出しながらの縦走路でした。
 いよいよ再び始まった雪山の季節。自分たちで雪の上に道を付け、全ての装備を背負い、緊張の一歩一歩が素敵な、そんな季節がまた、やってきました。美しの森から振り返る八ヶ岳は大きく、再び、この山域での活動が開始された事を実感しました。

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天狗尾根上部
天狗尾根上部
ヘッドランプで出発。朝焼けの中に富士山。 地獄谷から見上げる大天狗の岩峰
地獄谷から見上げる大天狗の岩峰
権現岳と旭岳
権現岳と旭岳
もうすぐ頂上!
もうすぐ頂上!
快晴の赤岳頂上
快晴の赤岳頂上
ヘッドランプで出発。
朝焼けの中に富士山。

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御座山

 以下の者は、2004年11月25日、佐久盆地・小海の最高峰・御座山(2112m)に北相木村の白岩から高原野菜畑の中を登山口に向かい、見張らし台、前衛峰を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 延々たる木々の中の急坂をこなし、放り出されるように飛び出す360度の圧倒的な展望の岩峰の山頂。その意外性こそが個性である佐久の名峰・御座山。けれども、その山頂は冷たい突風と、思わぬ樹氷、パラパラと顔に冷たく当たる今年最初の小雪の中にありました。八ヶ岳からも奥秩父からも、浅間山の前衛のように大きく立ちはだかる独特の山容は、目につき、一度はその山頂へ・・・との憧れを持たれる山でした。
 まだ?まだ?驚くほどの高さまで高原野菜の畑の続くアプローチ。その果ての歩きだしは柔らかなカラマツの針のような葉が敷きつめられた穏やかな道でした。それが、カサコソ、カソコソと音を立てる乾いた枯れ葉の道に変わり、曇天の下にあっても明るさに満ちた道が続きました。見上げる御座山方面は吹きつける季節風に雲をまとわりつかせ、暗い印象を持たせるものの、見下ろす山里は所々に陽の当たる暖かい雰囲気に満ちています。カラマツ林が姿を消し、雑木林がコメツガ、シラビソと分厚い苔の道に代わる頃、山頂へ向けて最後の急な登りは、木々に着いた樹氷が雪をもたらす風の音共にパラパラと音を立てて足元に落ちる、そんな中の登りとなりました。今年、初めての本格的な寒さにユックリと休む余裕も無くソソクサと登りつづけた道は、視界の効かない突端のような山頂で終わりました。周囲を囲む岩壁は小雪の中に見えず、空中に突き出すような怖い高度感に苛まれる事の無い突起のような山頂でした。それが、ちょっと残念です。山々は、恐らくは、この日を境に一気に冬へと向かうはずです。この御座山の山頂そのものは、深い雪は積もらないものの、見渡す限りの山々は銀屏風となって、この山を見下ろすはずです。その日は、もう目の前にあります。雪の山、展望の冬の日の近い山頂から親しい気持ちをこめて、この山を眺める日々が近くにあります。シヤクナゲと、原生林と、雑木林の爽やかさとカラマツの明るさが展望の無い静寂の山だったからこそ、一層強く感じられた御座山でした。

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松の葉にも樹氷が。 御座山頂。何も見えない。 御座山頂のダケカンバの樹氷
松の葉にも樹氷が。 御座山頂。何も見えない。 御座山頂のダケカンバの樹氷

西上州・荒船山

 以下の者は、2004年11月24日、西上州の荒船山に佐久市の荒船不動尊より星尾峠を経て艫岩に登り、最高地点の経塚山(1422m)したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 登山口に向かう延々たる道すがら、もうすぐ荒船不動尊も近いという所に小さな看板が一つ。「日本で海から一番遠い地点」を示す物でした。荒船山は島国日本の中でも最も海から遠い内陸の山でした。海洋性の気候とは一味違う、内陸の気候は不思議な岩峰を多く林立させた、乾いた雑木の山を西上州のあちこちに作っています。荒船山はそんな中の一つです。けして高い標高の山ではなくても、遠くのどこからみてもまっ平らな頂上台地はあたかも波を蹴立てて荒海を進んでいく船のタンカーのように見える独特の山です。八ヶ岳や奥秩父から、この方面を見ると小さな岩峰が数多く林立する西上州の山々の中にあって、どれがどれ・・・・と特定の難しい中にあって、この山だけが、ハッキリと「それ!」と判る山です。一度は登りたい山であり、触れてみたい山です。
 雨の続いた今年の秋も、どうやら流石に天気の流れも変わってきたようです。カラカラと音を立てそうな乾いた真っ青な空の下に少しだけ雪を付けた八ヶ岳。それを眺めながらのアプローチをこなし、歩きだしたすっかりと葉を落としたカラマツと雑木の森。小春日和のキツネ色の山肌を登り切り、たどり着いた星尾峠には昔の国境、今の群馬県と長野県を分ける違った風が吹いていました。その上に広がった頂上台地の光景の不思議さ。タンカーの甲板とも見えた広がりは、背丈の低い木々と灌木からなる台地でした。艫岩に近づくほどにその台地は広がり、山の上とは思えない伸びやかな景色がありました。そして、その突端は目のくらむ様な断崖となって遙かな下まで切れ落ちていました。足元の切れ落ちた断崖は眼前に視界の大部分を支配する浅間山が噴煙を静かに上げて雄大な景色を見せていました。突然に風が変わり、先程までの暖かい風と打って変わった冬型の冷たい風が頂上台地の木々の枝を鳴らしました。遙な北の地には北アルプスの山々が槍、穂高から白馬まで見事な銀屏風となっていましたが、それが見る見るうちに北部から雪雲を被る、そんな中の艫岩でした。最高点である経塚山は、雑木の山でしたが、八ヶ岳や奥秩父が木の間ごしに見える山頂でした。晩秋から冬へ!一日の内にも一気に変わった空っ風の吹く荒船山の午後でした。

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荒船山からの御座山 荒船山頂台地。大きく広がる。 荒船山頂からの八ヶ岳 トモ岩からの浅間山が大きい
荒船山からの御座山 荒船山頂台地。大きく広がる。 荒船山頂からの八ヶ岳 トモ岩からの浅間山が大きい

酉谷山

 以下の者は、2004年11月16日〜17日、奥多摩北端を形作る東京都と埼玉県の県境の尾根・長沢背稜の不遇の名峰・酉谷山(1718m)に日原川最大支流・小川谷から七跳尾根、ゴンパ尾根を経て登頂し、坊主山(1595m)、七跳山(1651m)にも併せて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 実に実に、二ヵ月ぶりの快晴の下の二日間でした。晩秋の葉を落とし尽くした雑木林がキラキラと光り、鹿の食べ残したクマザサが独特の光沢を見せていました。この二日間の酉谷山周辺はなんと美しい光に満ちていたことでしょう。酉谷山は不遇の山です。東京都と埼玉県を分けながら延々と伸びる長沢背稜。その中でも最もアプローチの悪い山です。今回、辿った小川谷林道はかつては対岸のタワ尾根側の山裾を、尾根の一つ一つ、沢の一つ一つを丁寧に巻きながら伸びる仕事道でした。トラバース道独特の道崩れや、谷の横断と気の抜けない道でしたが、美しい広葉樹の下の素敵な道でした。最低でも2時間はかかる、そのアプローチをこなして初めて出会える酉谷山への登りでした。健脚者でも日帰りのキツイ、それだけに訪れる者の姿を見ない本当の秘境だったのです。林道が直下まで伸びた今も、今回、山中で出会ったのは単独行の方一人のみ。前面に鷹の巣山の大きな姿を中心とした展望を私達だけで独占しました。遠く、雪を被った北アルプス、ゴジラの背中を思わせる両神山、浅間山を眺めた山頂付近でしたが、やはり圧巻は時々刻々と変化する酉谷避難小屋からの窓越しの夕暮れ、朝焼けの眺めでした。夜中に目を開ければ大きなガラス戸越しに星が瞬き、耳を澄ませば繁殖期を迎えた鹿の鳴き声が谷に谺していました。夕焼けにシルエットとなって浮かび、朝日を浴びて純白の姿を見せた富士山も小屋のシュラフの中から眺められる贅沢さを味わいました。
 長沢背稜から小川谷にかけては、不遇でも闊達な魅力の満ちた多くの山を持っています。終始、眼前にその雄姿を見せていた長大なタワ尾根等は、石尾根とも匹敵する規模を持ちながら登山道も無く、僅かに篤志家が水源巡視道を拾って金袋山、人形山といった、たおやかな落ち葉のピークを踏んでいます。本来の奥多摩の魅力の溢れたこの山域への貴重な一歩を踏み出した事を嬉しく思います。

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夕暮れの小屋からの富士山 小屋の窓から見下ろす小川谷 明るい山頂 山腹にたたずむ小屋
夕暮れの小屋からの富士山 小屋の窓から見下ろす小川谷。
奥多摩の山々が美しい
明るい山頂 山腹にたたずむ小屋

マレーシア・ボルネオ島 キナバル山

 以下の者は、2004年11月6日未明、東南アジア最高峰でマレーシア・ボルネオ島のキナバル山(4095m)ローズピークにコタ・キナバルからパーク・ヘッドクォーター、ラバン・ラタ・小屋を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 広大な花崗岩の溶岩台地の広がりはどうやっても日本の山では見る事のできない大規模な広がりでした。空には満天の星。とりわけ金星と木星が異様に接近し明るい輝くのが印象的でした。すでに標高は4000m近く。空気は薄いはず、苦しいのが本当のはずなのに、見上げる天の川と下に広がる山里の明かりを励みに一歩一歩をユックリと刻んでいくのは、意外なほどに苦しいものではありませんでした。闇の中に浮かぶサウスピークとドンキーイヤーズピークの尖った峰。それとすこしづつ肩を並べる標高に到達しつつあることの嬉しさ。はるか東の空がすこし白くなり、星の数がすこしづつ少なくなり、もう急な所は無くなりました。足元に大きく広がる岩盤の大きさ。そして最後の急坂の上に待ちに待った岩峰の山頂がありました。先頭の何人かの到着と日の出がほぼ同時。次のグループは直下でジャングルの広がりの上に輝く日の出と対面することができました。そして山頂からは、雲海の上にシルエットとなったキナバルの姿、南シナ海の上に写っていました。それにしても、何と広大な広がりが足元にあったことでしょう。雲海の上に、ジャングルの上に島の様に点々と浮かぶ小さな山。それらが墨絵のような美しさで私達の前にはありました。登れた喜びが、実感となってこみ上げるキナバルの山頂でした。
 それにしても私達の全く経験したことの無い、独特の環境の下での登山でした。空港に降り立った途端のドッと押し寄せて来る湿った暑い空気。呼吸の一回ごとに肺に水分を溜め込むような湿度は、ついに帰国の日まで馴染むものではありませんでした。鬱蒼たる樹林は密度も濃く、標高3500m近くまで木々を見せていました。その下には原色の日本では園芸種とされるような花が無数に咲き、澄んだ声で鳥が鳴く中での登山はやはり南の彼方の島での登山であることを実感させてくれました。最後の丸々二日間にわたったトラブルは辛いものでしたが、遠い外国の山の思わぬアクシデントを教えられた思いがしました。絶えず笑顔で、私達の登山を支えてくれたマレーシアの全ての人々に感謝します。

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サウスピーク もうすぐ夜明け ずっと広がるジャングルの雲海 雲海に浮かぶ影もキナバル 黄色のシャクナゲ。大きい
サウスピーク もうすぐ夜明け。
急がなくっちゃ
ずっと広がる
ジャングルの雲海
雲海に浮かぶ
影もキナバル
黄色のシャクナゲ。
大きい
ドンキーイヤーズピーク 頂上到着!やったぁ! 虫喰いカズラ コタキナバルからの朝のキナバル山 コタキナバルからの朝のキナバル山。高い!
ドンキーイヤーズピーク。
つまりロバの耳
頂上到着!やったぁ! 虫喰いカズラ
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日和田田山岩登り入門講習を終えて!

 明け方までの雷まで交えた本格的な雨のせいで、丸々一日、ついに乾かずベタベタの濡れた岩と格闘した一日でした。しかし、その分、他のパーティーの姿を見ず、自由に岩登りの練習ができた一日でした。木本哲氏にお手伝いいただき、岩登りの基本を中心に、とりわけ積雪期を射程にいれての練習は、ゲレンデの状態が最悪だったわりに充実したものだったと思います。
 日和田山の岩場の特徴は、駅から近く、実に多くの人々が訪れる為に、支点がしっかりとしており、落石等の可能性が無く、一部の有志の手によって整備が行われている事です。そのために、全くの岩登りの経験の無い者が初めて本当の岩に手を触れて、その難しさと楽しさを知るのにピッタリの岩場であると言えます。しかし、一方で週末等は多くの人々が集まりすぎ、また、岩場での最低限のマナー等も行き渡っているわけではなく、そんな点での注意が必要な岩場でもあります。今回はポタポタと水の落ちる岩場で、本番でもなかなか体験できない滑りやすさでした。その分、冬を想定したアイゼン、手袋の練習も緊張感をもって練習できたと思います。現在のクライミングシューズは驚くはど性能が良く、言わば全くスタンスというものを考える事なしに、何となく置いた所で足が安定するようにできています。それが、濡れた岩場でアイゼンを着用すれば、一歩一歩が良く考え、足の置きかた、向き等の一つ一つを考える事を抜きにしてはほとんど登る事もできない状態は、岩登り初心者こそ、一層必要な事だったと思います。ともすれば、岩登りの講習等では器具の操作や、ビレー等の技術の習得に多くの時間が費やされますが、現実には、正しい登り方、基本的な岩への向き合い万が一番大切だと言うことを実感として強く感じました。濡れた岩に全く手が出ない部分も多かった事と思います。けれども、それが本来の自然の岩場であり、あらゆる状況に適切に対応できる事を教訓としていただければ嬉しく思います。

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神流川金山沢左俣から両神山

遡 行 ・ 登 頂 証 明 書

 以下の者は、2004年10月30日、奥秩父北端の原生林と岩峰の独特の美しい山・両神山(1723m)に神流川支流の金山沢左俣を出合いから遡行し登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥秩父の中にありながら、瑞牆山と並んで独特の岩峰を林立させた独特の風貌を持つ両神山。現在、一般登山道としては八丁峠から西岳、東岳を経由する物と、日向大谷からの物のみが歩かれていますが、実は広大な地域に縦横に岩稜を走らせる山です。その岩稜に無数の谷、沢を食い込ませています。しかし、その岩稜も沢もほとんどが手つかずのままに、この地を本当に愛する者の訪れを今日もヒッソリと待っている・・・そんな山です。山頂そのものは、日本百名山の一つとして週末等は狭い山頂に登山者が溢れるほどですが、正規の登山道以外には全く人の姿を見ない太古の静寂に満ちた山です。今回、訪れた金山沢はかつて日窒鉱山が大規模に操業し、頂上に最も近い位置まで車道が通り、最も容易に遡行できる谷でした。その大部分がナメ滝となり、とりわけ中流部分の120mのナメ滝は見事な物でした。10月の最終週、紅葉が色とりどりに谷を染める・・・そんな中の遡行でした。しかし、落ち葉は葉の灰汁を落とし、沢全域を何となくヌメヌメと歩きにくい物へと変えていました。緩い傾斜のナメ床とナメ滝を駆け上がるように登るイメージを抱いて向かった私達は、何となく抜き足さし足の微妙な登りを強いられました。その分、強い風雨の吹き荒れた稜線に飛び出した時の嬉しさは最高でした。
 今回の金山沢は、また、今年の沢登りの最後を飾る「沢納め」の沢でした。今年の沢を振り返って見ると、徹底的に天候についていなかった年でした。最も天候の安定していた時が、カラ梅雨だった梅雨時。残念ながら「風の谷」はハンテングリ遠征中で、沢には足を踏み入れられませんでした。その後は、御存知のとおり連続して上陸した台風と、極端に雷雨の続いた7月末から8月上旬と、谷は増水を繰り返し、徹底的に痛めつけられました。沢という無機物でありながら、あたかも生き物のように変化し続ける不思議な物との対応は、登山本来の楽しみとも言えます。厳しかった今年の沢。来年はもっと容易な谷であることを願います。

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延々とと続く一枚岩のナメ床 120mのナメ滝 晩秋の冷たぁーい釜
晩秋の冷たぁーい釜
見事な紅葉が谷を染めた
見事な紅葉が
谷を染めた
風雨の両神山頂。誰もいない
風雨の両神山頂
誰もいない
延々と続く
一枚岩のナメ床
上は落ち葉が
はりついている
120mのナメ滝 写真をクリックしてください。大きな画像でご覧いただけます。

源次郎岳と大菩薩牛の寝通り

 以下の者は、2004年10月26日、大菩薩連峰の西の端を縁取る日川尾根の源次郎岳(1467m)に牛奥峠から登頂し、下目川峠、中日川峠を経て上日川峠まで縦走し、翌27日、大菩薩峠から石丸峠を越えて牛の寝通りを玉蝶山、榧の尾山、ショナメ、大マテイ山、鶴寝山を越えて松姫峠まで完全縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大菩薩に訪れた秋が終わりに近づいた・・・、そんな事を感じさせた雨の日川尾根であり冷たい風の吹き渡り霧氷の付いたダケカンバのあった牛の寝通りでした。日川尾根も牛の寝通りも多くの人々の訪れる大菩薩嶺と同じ山域とは思えない静寂の中にありました。大菩薩全域が紅葉によって最も鮮やかな季節の訪問だったようです。牛奥峠に向かうタクシーの中からも色鮮やかな道を楽しむ事ができました。登り着いた源次郎岳はかつては訪れる者も無い山頂でしたが、山梨百名山とやらに指定されて標識も立ち、降り続けた氷雨の中に小広い広場となっていました。僕自身には36年振りの訪れだった日川尾根。かつては広葉樹の広々とした尾根の上に続く登山道と明るい雰囲気の道だったのが、縦横に走る林道と無線塔によって驚くべき変貌を遂げていました。それでもカラマツの黄葉の道に微かに昔を思い出した道でした。予報では雪の可能性もあった上日川峠の朝は、久しぶりに山で見る真っ青な空と太陽の下にありました。そして大菩薩峠からは白銀に輝く銀屏風の南アルプスが見え、周りの木々はガラス細工のような霧氷を付けていました。眩しい石丸峠の草原から入った牛の寝通りは僕が大菩薩の中でも最も好きな尾根です。奥多摩から大菩薩にかけてかつては何処にでもあった広葉樹の尾根が植林と林道建設で破壊される中にあってブナ、ミズナラの巨樹を林立させてカサコソと音を立てる紅葉した木々の落ち葉を敷きつめた素朴な装いの中にありました。玉蝶山まで一気に下った後、榧の尾山から大マテイ山、鶴根を越えて松姫峠に至るまで殆ど標高を変える事なく、延々と6kmに渡って続く広々とした公園のような尾根は変化と展望の中にありました。空は晴れていても毛糸の帽子が嬉しい寒さの中に遠く眺める奥秩父の山々の見事な一日でした。秋から冬へ!それを実感した大菩薩の西と東の両極を味わった今回の山でした。

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大菩薩峠から見下ろす牛の寝通り 紅葉 雨の日川尾根 大菩薩からの雪の富士山 牛の寝の紅葉
大菩薩峠から見下ろす牛の寝通り 紅葉 雨の日川尾根 大菩薩からの
雪の富士山
湖の右側の尾根が
日川尾根
牛の寝の紅葉
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奥多摩日原川犬麦谷から酉谷山

遡 行 ・ 登 頂 証 明 書

 以下の者は、2004年10月17日、奥多摩日原川の最大支流・小川谷の犬麦谷を出合いより奥多摩最大の滝・タツマの滝下段を直登して遡行し、長沢背稜に到達し、酉谷山(1718m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 週末ごとの悪天を跳ね返すような真っ青な空とキラキラと輝く太陽、どこまでも乾いた空気の下の沢でした。奥多摩の沢の中でも最も刺激的な日原川流域。しかもその中でも峻険で楽しい谷の続く小川谷。誰も溯行者の気配さえない中での沢登りでした。この犬麦谷の最大の魅力は出合いからいきなりの滝の連続が始まり、全く気の抜く場面の無い中で登りつづけるとガレの下に水が消えるという余分な物が一切無い点にある。逆に欠点は水量の少ない事。しかし、僕たちの挑んだ日は数多くの台風と連日の長雨の結果、通常の何倍もの水が迸っていた。見事な谷だと言って良い。また、犬麦谷は奥多摩では最大の落差を誇るタツマの滝を持っている。下段が15m・・・・と言っても40mザイルでも目一杯だったが・・・上段は実に三段50mの落差を誇る。通常は上下段とも大きく高巻くのが普通という代物だ。今回、この下段を直登した。以前とは比べ物にならないほどの水量に真剣に空中に弾き出される事を恐れるような水の力に対抗しながらギリギリと落ち口に向かうのは、奥多摩の沢とは思えない迫力だった。中段ではついに新たにハーケン3本を追加。頭から水を被っての突破となりました。その上に立つタツマの滝上段はとても手の出ない壮大な滝でした。この犬麦谷は、このタツマの滝の上からモリの窪瀑流帯となり、ナメ滝、直滝を含めて途切れる事の無い滝の連続でした。頭上を覆う原生林の森、その間からキラキラと輝く光。一気に駆け上がるようにツメの笹藪に入りました。
 詰め上がった所は奥多摩の中でも最も不便な場である長沢背稜の中心地帯。最も不遇な地はブナとミズナラの巨樹、色づきはじめた木々の葉に囲まれた最高の稜線でした。酉谷山は明るい展望と足元に食い込む小川谷の暗い切れ込みとの対比の美しい素晴らしい山頂でした。その山襞の一つが犬麦谷。そして、その切れ込みの一つ一つが素敵な沢として伸び上がっています。晩秋の繁殖期を迎えた鹿のホイッスルの様な声の響く素敵な山頂に迫力の犬麦谷から登れた事を嬉しく思います。

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ずっと滝の連続 見上げるとずっと滝が続く タツマの滝50mの中段 タツマの滝下段の落口
タツマの滝下段の落口
頭から水をかぶる

ずっと滝の連続 見上げるとずっと滝が続く タツマの滝50mの中段
この上にも滝がある

金峰山から国師岳縦走

 以下の者は、2004年10月13日〜14日、奥秩父で唯一の森林限界を越えた日本百名山の一つである金峰山(2599m)に長野県側から登頂し、朝日岳(2579m)、朝日峠、大弛峠と奥秩父主脈を縦走し、山梨百名山・国師岳(2591m)と奥秩父最高峰・北奥千丈岳(2601m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 徹底的に天候に祟られた感のある、今年の秋の山ですが、この金峰山も、天気には裏切られた気持ちで一杯です。濃い霧に周囲を囲まれ、それでも動くガスに心をときめかされながら、ついに太陽の姿を見なかった二日間でした。それでも、一方でシットリと水分をタップリと吸った苔の台地、霧が雫となって時折、風に落ちる雰囲気、遠くが見えない部分一層に目を引きつけられた中腹の紅葉、黄葉の見事さ、これらが強く焼き付けられた二日間でもありました。金峰山から国師岳にかけての最大の魅力は、重厚な原生林に覆われながら、突然のように森林限界を越えた岩原の世界に放り出される意外性にあります。暗い樹林帯を歩いて来た者だけが感じられる乾いた開放的な展望の美しさは独特の物があります。・・・・で、僕は金峰山小屋からの夕暮れの八ヶ岳が大好きなのです。小屋の裏・通称・四畳半からの南アルプスの眺めは山頂からの360度の大展望以上に楽しいものがあります。・・・・次回の楽しみとしてとっておく他はありません。
 この金峰山から始まり、国師岳を越えて続く尾根道は、遠く我が東京都の最高峰・雲取山まで延々と連なる奥秩父主脈です。昨年、その全てを5回に分けて踏破し、日本アルプス、八ヶ岳のように終始展望に恵まれたルートでは無いものの、時々刻々と姿を変えて、雄大な縦走を楽しめる見事な山塊であるとの思いを新たにしました。とりわけ、奥秩父のその魅力は原生林の美しさと、そこから生まれ出る渓谷の美しさにあります。今回と同様の深々とした霧の尾根の中に突然のように視界が開け、雲海に埋めつくされた見事な渓谷の切れ込みを望む時、日本を代表する山々であるとの思いを新たにします。今回、見事だった紅葉。今年は色づく端から台風の強風が葉をもいでいってしまったとか・・・・。それでも健気に木にしがみついた紅葉の岩峰に映えた美しさは、霧の山故にひたすら美しかったと思います。紅葉の季節、すこしづつ標高を下げて楽しみたいものです。

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八ヶ岳南半部縦走

 以下の者は、2004年9月28日〜10月1日にかけて、台風21号の上陸の合間に八ヶ岳南半部の編笠山(2523m)、西岳(2398m)を越えて権現岳に登頂し、キレットを経て最高峰・赤岳(2899m)まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 台風に翻弄された感のある四日間。北アルプスの北の外れ、仙人池のはずが、八ヶ岳全山に、そして、それも当初は編笠山、西岳から北横岳までの延々たる山脈の大縦断のはずが、台風に進路を阻まれて、日に日に短いプランへと変身し、最後には最高峰・赤岳までとなってしまいました。大自然という大きな物の前には、小賢しい人間の「判断」等は、あまり意味を持たない・・・・そんな思いを新たにさせられました。八ヶ岳は首都圏に住む者にとっては、意外に近く、もっと手軽に高山を楽しめる山域です。多くの小屋が建ち、そのために「小屋が岳」との異名をとる事もありますが、それも赤岳を南に下がると訪れる者も無く、静寂の中に赤茶けた岩肌と遮る物の無い展望の中に見事な山稜を連ねていました。今回、期せずしてその最も静かで、最も魅力的な部分を味わう事のできたことを嬉しく思います。台風は丸々二日間、夜も含めれば全日程の四日間とも風と雨の影響を僕達の上に及ぼしました。とりわけ二日間・48時間の足止めを食らった権現小屋は、山頂と変わらない位置に建ち、そのために素晴らしいロケーションと引き換えに強烈な自然の猛威をダイレクトに叩きつける場所でもありました。ゴーゴーと吹きつける強風、ザーザーとトタン屋根を打つ雨音、そして尾根から谷に突き出したトイレの猛烈な吹き上げ。今となっては笑い話になりそうな自然の猛威を直接に感じる時間でした。それだけに、最終日のカラカラと音を立てそうな乾いた空気と冴え渡った大展望は一層美しく感じました。一歩ごとに変わっていく景色、前方に立ちふさがる感じの阿弥陀岳から赤岳の「本当に登れるのかいな?」と言いたくなるような峻険な稜線、それが、肩を並べ、形を変えて自分の足下になる嬉しさは縦走ならではの独特の物がありました。
 行けなかった仙人池も来年はきっと行きます。到着しなかった北横岳への大縦走も何時の日か必ずやってみたいと思います。行けば行くほど、行きたい所が増えていく、そんな不思議な八ヶ岳でした。

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秋のカラカラと乾いた展望の八ヶ岳稜線
秋のカラカラと乾いた展望の八ヶ岳稜線
編笠山からの西岳
編笠山からの西岳
台風最後の名残り!
やっと雨が上がった!台風の去った夕方 やっと雨が上がった!台風の去った夕方 台風最後の名残り!

平標山と仙の倉山

 以下の者は、2004年9月14日〜15日谷川連峰の最高峰である仙の倉山(2026m)に越後湯沢の元橋から平元新道を登り、平標山の家に宿泊し、平標山(1983m)を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 不思議な山々だと思います。標高は最高峰の仙の倉山でも2000mを越えること僅か。東京都最高峰・雲取山とほとんど変わらない標高。けれども、たかだか1500m前後で森林限界。そこから上はキラキラと輝く草原と笹の原、草紅葉の続く広大な空と、その下にウネウネと続く大きな山脈がありました。そして、その山々にナイフで切りつけたような鋭いスラブの沢と谷。ガイドとしては恥ずかしながら地図と照合しなければ名前さえ知らない大きな不遇な山が連なっていました。日本海と太平洋の文字通りの分水嶺、谷川連峰は紛れもなく日本を南北に分ける山です。日本海と太平洋、それぞれの天候の激しい部分だけを一手に引き受ける感のある山々は、冬は大量の積雪を持ち、強い風と濃いガスで稜線を支配しています。それだけに、時折見せる笑顔のような晴れ間と穏やかな時は、本当に嬉しく感じる山々です。
 歩きだしまでの激しい雨、カッパを着ての出発でした。ただの林道歩き・・・と言ってしまえばそれまでですが、美しい流れの辺り、所々にヤマブドウやサルナシの木々も見える道は、山道に入ると大きなブナの林立する道でした。そして延々たる木の階段の登りの果てに樹林帯を飛び出すと、風の吹き渡る稜線に私達の山小屋はありました。去来するガスの中にたおやかに広がる平標山の大きな姿がありました。赤城山周辺の空を真っ赤に染めながら登る太陽と共に歩きだし、一歩ごとに背景の展望が広がり、広大な展望の中の平標山の360度の大展望の中に私達は立ちました。そこからの稜線漫歩という言葉がピッタリの風の止んだ草原の登りの上に、最高峰・仙の倉山の大きな山頂はありました。この夏、ほとんどの山行が悪天に悩まされ続けた私達の目には、透明なまでに澄みきった空気の下に果てし無く広がる山々は、本当に美しく素晴らしく見えました。また、しばらく遠ざかった、または、一度も触れたことも無い大きな山々に、ぜひとも登ってみたいとの思いを新たにしました。

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笹とダケカンバの斜面に風が吹く 夜明けとともに出発
夜明けとともに出発
仙の倉山から振り返る平標山
仙の倉山から振り返る
平標山
遠く苗場山が大きい
遠く苗場山が大きい
仙の倉山からエビス大黒方面を見る
仙の倉山から
エビス大黒方面を見る
笹とダケカンバの斜面に風が吹く
山頂からの明るい展望

山頂からの明るい展望
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笛吹川東沢釜の沢から甲武信岳

遡 行 ・ 登 頂 証 明 書

 以下の者は、2004年9月11日〜12日、奥秩父笛吹川東沢釜の沢を出合いより遡行し、魚留の滝、千畳のナメ、両門の滝と核心部を越えて不遇の西俣に入り、水源から水師に至り、日本百名山の一つであり日本の分水嶺でもある甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日本を代表する、もしかしたら最も美しい谷の一つであると感じる笛吹川東沢の遡行でした。釜の沢出合いからの息継ぐ間を与えない滝、広大なナメの連続もさることながら、二俣から上、本来はアプローチと考えられている部分の左右から次々と滝となって注ぐ姿も素敵でした。かつての山道に入り、細い流れながら滝を連続させる清兵衛沢、ホラの貝のゴルジュの不思議な流れに注ぐホラの貝沢、山の神に注ぐ山の神沢、そして最も困難と言われる東御築江沢、優美に滝となって注ぐ乙女沢、雄大な滝をサラサラと注がせる東のナメ、ナメの美しい西のナメ。これら一つ一つも遡行価値のある谷を愛でながらの釜の沢出合いへの道は奥秩父の谷の良さを全身で感じさせる場所です。何回も多くの人々に紹介され、多くの入渓者を迎える東俣に対して、訪れる者の痕跡さえも僅かな西俣。両門の滝から始まるゴルジュは、黄土色に染まり、それまで全く無かった滑りやすいツルツルに磨かれた廊下の連続でした。しかし、その上に始まるゴーロは随所に河段段丘を創り出し、快適な泊まり場を私達に提供してくれました。その中でも北西の空が大きく開け、星空が広がる最も快適な砂の広場に私達の焚き火が苦労の末に燃え上がりました。毎週のような週末ごとの台風の襲来でなかなか見るチャンスの無かった満天の星空。天の川とその上に流れる流れ星。鬱蒼たるコメツガの森とホイッスルのような鹿の鳴き声に満ちた奥秩父の原生林の中で眠る幸せは不遇の谷ならではの物です。
 ゴーロの末に始まる苔むした連続するナメ滝は、徹底的に続き、倒木が水源を覆うまで全く私達を飽きさせる事はありませんでした。抜けるような秋空の下、暗い谷底を歩いてきた者には眩しすぎる尾根からの眺めでした。そして甲武信岳の明るい山頂。見下ろす影のような東沢、釜の沢、西俣。私達の一歩一歩の足跡が刻まれた事を誇りに思います。奥秩父の谷。黒々としたゴルジュの水音がまだ耳底に残っています。

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両門の滝 東のナメの先・・・一枚岩 西俣に入ると徹底的に滑る 夜明けとともに出発。滝が続く まぶしい頂上
両門の滝 東のナメの先・・・
一枚岩
西俣に入ると
徹底的に滑る
夜明けとともに出発
滝が続く
まぶしい頂上
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蓼科山

 以下の者は、2004年9月7日、八ヶ岳連峰と霧が峰を結ぶ諏訪富士の異名を持つ日本百名山の一つである蓼科山(2530m)に夢の平林道から馬返し、将軍平を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 毎週のようにやってくる台風。その合間を縫うような蓼科山の一日でした。すくなくとも午後には強い雨が降るのでは?という予想の下に、ちょっと短めのコースに変更しての一日でした。結果的には登りでは時々吹く風と、時々パラつく雨の中でした。山頂では濃いガスが強い風の中に吹きつける状態でしたが、台風独特の強い悪天の中にあっても風はガスを吹き飛ばし突然のように一瞬、北八ヶ岳の多くの山々の姿を見せてくれました。そしてまた、一瞬のうちに姿を消しました。山の上には台風の一つ一つの通過の後に季節が進んでいくようです。夏の花は姿を消し、登山口にはマツムシソウが咲いていました。ビーナスラインを始めとして中信の道路開発は凄まじく、今回の歩きだしの夢の平林道の登山口はすでに蓼科山七合目。かつては・・・と言っても僕は知らない時代ですが・・・御泉水自然園と呼ばれる公園風の所も、中腹といったイメージだったと聞いています。蓼科山は八ヶ岳連峰とは大河原峠で一線を画した存在として扱われています。けれども、実際登ってみると、溶岩台地が原生林の中に点在する様子、その原生林もコメツガ、シラビソ、モミからなり、特に標高の高い所では北八ヶ岳独特の「縞枯れ現象」も点在するために、どこからみても八ヶ岳連峰の北の守りとしての印象を強くします。穏やかな山容にも係わらず頂上直下は傾斜もきつく、大岩のゴロゴロする斜面はけして登りやすいものではありません。また、三角錐の頂上の印象にもかかわらず広大な山頂の火口の創り出す、広々とした広場が山頂台地を形成している様子は登った者だけが見ることのできる不思議な眺めでした。
 これからの季節、いきなりのように秋が来て、ある日、山頂に氷が張り、白い物が舞い出し・・・・と言った日々が目の前にあります。昨年まで八ヶ岳を中心に歩いてきた「やまあるき」ですが、この冬は更に北・・蓼科山から霧が峰、美しが原に独特な山歩きの可能性を見いだしています。出発の地蓼科山の違う季節も味わっていただければ幸いです。

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すべりやすい大岩の登りが続く 中腹には北八ツを思わせる原生林 一瞬姿を見せた北八ツ
すべりやすい大岩の登りが続く 中腹には北八ツを思わせる原生林 一瞬姿を見せた北八ツ

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