アンコールの旅 2/2〜10, 2000
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アンコール・ワット | |
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朝9時にシエム・リアップの市街からバイク・タクシー($20/日)にまたがって、8km程離れたアンコール・ワットを訪れた。気候は日本の初夏並で結構過ごしやすい。ワット前の広場で、バイクを降りて、午後1時に迎えに来るように頼んで、ワットに入った。 ワットの周囲には5.4kmに及ぶ環濠がめぐらされており、ワットの壮大さをうかがわせる。つい最近まで、この濠で子供たちが水遊びをしていたと娘から聞いていたが、観光客が増えてきた為、最近は見かけなくなったとのことだ。濠にかかる陸橋の長さは、200mに及ぶ。 (写真:陸橋の上で) |
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堀にかかる陸橋を渡り終えると、入口にあたる西塔門をくぐりワットの中に入る。ワットは西向きの為、西塔門が正面になっている。この西塔門から更に350mの参堂が続き、その向こうにワットの第一回廊が現れる。 (写真:西塔門から参道の向こうにワット中央祠堂を望む) |
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350mの西参道を渡り終えて、石造りの第一回廊に入る。第一回廊は窓が全くなくて一周760mにおよび、その回廊の石壁がクメール民族の繊細で芸術的なレリーフで覆われている。レリーフの題材は、「進軍・戦闘の図」や「天国と地獄」、「神々と阿修羅の戦い」等が彫り刻まれている。じっくり見たら一日がかりになってしまいそうだ。 (写真:レリーフの回廊) |
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第2回廊の日本人の歴史的落書(2月4日) 「亡母の冥福を祈り、祇園精舎に詣でる。数千里の海上を渡り、一念胸に念す・・・・・・肥洲の住人、藤原朝臣、森本右近太夫。寛永9年1月30日」アンコール・ワット第2回廊の中央柱に墨筆で歴史的落書が今尚鮮明に残っている。森本右近太夫は、1632年に密林に覆われたここを訪れ、インドの祇園精舎と間違えて、柱に上記のような落書をなしたようである。この落書のおかげで、多くの日本人がこのアンコールワットに親近感を持つようになった。「落書の功績」は計り知れないものがある。 (写真:中央柱の墨筆の落書) |
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第3回廊は一辺が60mの正方形の回廊で、地上65mの高さに位置し、見晴しが素晴らしい。橙色の袈裟を着た若い修行僧が、修行をするでもなく手持ち無沙汰のように我々に話し掛けてくる。この国では若者が中々職にありつけず、食を得るためにお坊さんに身をおくことが多いといわれている。 ポルポト政権が崩壊し、平穏な時が訪れても、戦後復興の現実は厳しいようである。 (写真:お坊さんと一緒に第3回廊から北方の密林を眺める) |
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(2月4日) 現地のカンボジア人は、安い入場料でワットの中には入れるらしい。第3回廊の中央で座って休んでいると、観光客と思っていた3人の子連れのカンボジア女性が近づいてきて話し掛けてくる。そのうち、自分の腕輪をはずして「この腕輪買ってほしい」とアプローチしてきた。乳飲み子が愛らしく、ついつい$2で腕輪を買わされてしまったワイフ。現地の通貨リエルで払うと言ったら、ドルでないと受け取らないと言われた。 |
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(2月5日) バイク・タクシーを雇う代わりに、今日はバイクをレンタル($10/日)し、5時半に起床してワイフを後ろに乗せて、ワットの北西に位置するプノン・バケンの丘にに登って、日の出を待った。同じように日の出を待つ数名の観光客が既に到着し、カメラアングルの良い位置を確保している。朝靄の密林の彼方に朝日が昇り、アンコール・ワットがシルエットのように浮かんでいる。荘厳な日の出だ。 |