福祉実践教室
近藤 貞二乾いた拍手の音に迎えられて、体育館の一段高くなった演壇の上に私はいた。中学校の体育館だ。
演壇の中央には折り畳み式のパイプ椅子と小さな演台が用意されており、その演台の上にはマイクが乗っていた。
私は椅子に腰を下ろして、演台のマイクの位置を手で確認した。
ザラザラゴソゴソ、マイクがひろった雑音が静かになった体育館に響いた。
私の緊張も頂点に達し、心臓の鼓動が雑音とともにマイクを通してスピーカーから聞こえそうな気がした。
地元の中学校で行われた、福祉実践教室の全体会での私の初めての話が始まろうとしていた。
もう10年ほど前からでしょうか、社会福祉協議会からの依頼で、地元の小・中学校で、障害者と触れ合うことで、障害者への理解を深めてもらうという目的で「福祉実践教室」のお手伝いをさせてもらうようになりました。
以来私は年に数校、点字の講師としてお手伝いをさせてもらっていますが、最近では「視覚障害者ガイド」のお手伝いもさせてもらうようにもなりました。
また、その他の講座には「盲導犬」「手話」「要約筆記」「車椅子」などの体験もあります。
もちろんこれらの講座には、それぞれ障害の講師が担当します。
学校によってプログラムの違いはあるものの、おおよそは最初に体育館などで全体会が行われ、その後に各分科会に分かれて、それぞれ講座を体験するという流れが普通です。
全体会というのは、要するに開講式であって、その中に、障害者に体験談などの講義をしてもらおうという時間がプログラミングされているのです。
私は点字の講師は好きなのですが、全体会の講師役は嫌いです。
それは、大勢の人の前で話すのが苦手だということもありますが、それよりも、毎日をぼんやり過ごしている私ですから、人に話すようなドラマチックなことなど何も無いからです。
考えてもみてください、障害をもっているからといって、特別な生き方をしているわけでもなければ、ましてや聖人でもありません。人の前で話せるようなことなど何もないのです。
それでも障害者の話を聞きたいらしく、むりやり講師役に仕立てられる訳です。
仕方なく私はこう考えることにしました。
下手くそでつまらない私の話など、子どもたちは覚えていてくれるはずはないだろう。
だとしたら話の内容はともかく、目の見えない私が、実際にそこにいること、そのことこそ大切ではないか。と。
しかし最近では、全体会を無くして、最初から分科会に分かれて行われる学校も増えてきました。
というわけで、ある中学校の体育館が、私の全体会の講師役の初デビューとなりました。
しかし、やはり全体会の講師が嫌いなことには変わりはありません。ですので、全体会をなくす学校が増えていることはうれしいことです。
点字の実践教室は楽しいですよ。
子どもたちは一生懸命に取り組んでくれて、いろんなことを点字で書いてくれます。
家族のこと、好きな食べ物、好きな学科、クラブ活動のこと、将来の夢、私への質問などなど、子どもたちが書いてくれた点字を読むのは本当に楽しいです。また子どもたちも、自分が書いた点字を私に読んでもらえるのがうれしいようです。
そうそう、「近藤さんは奥さんいますか?」なーんてのもあって、なんちゅーこと聞くんだと思いながら、どぎまぎしてしまったこともありました。
最後には、め書きの競争をするんです。1分間で、点字でめの字を何文字書けるっていう競争です。もちろん容赦することなく私が1番です…。
でも私は思うのです。
私には福祉の気持ちも無ければボランティア精神もありません。ただ、子どもたちとの、点字を通しての話が楽しくて、ただそれだけで福祉実践教室を続けているのだと思います。
福祉実践教室が、子どもたちの将来にどれほどの影響があるのかは分かりませんが、子どもなりに何かを感じとってもらえたらと思っています。