日本の歴史認識南京事件第8章 まとめ / 8.3 日本軍の特質 / 8.3.2 変化への対応力

8.3.2 変化への対応力

この項では、日本軍の特質(図表8.7)のうち、「合理性の軽視」と「変化への対応力欠如」について述べる。

図表8.7(再掲) 日本軍の特質

日本軍の特質

(1) 合理性軽視

精神主義に傾倒し、現人神(あらひとがみ)の天皇を中心とした体制を保持しようとすれば、合理性を軽視するのは当然の結果であった。

合理性より情緒や空気が支配した戦略策定

{ 日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというより、組織内の融和を優先させ情緒や空気により決定される傾向があった。日本軍は現実の状況から出発し、ときには場当たり的に対応する方法が得意だった。このような方法は客観的事実の尊重と結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われるかぎりにおいては有効な方法だったが、日本軍は情報を軽視する傾向があり、科学的方法とは無縁の積み上げ方式で戦略を策定したといわざるをえない。
日本軍のエリートには、概念の創造とその操作化ができた者はほとんどいなかった。「戦機まさに塾せり」、「天佑神助」、「神明の加護」などの抽象的かつ空文虚字の作文には、それらの言葉を具体的方法にまで詰めるという方法論がまったくみられない。}(「失敗の本質」,P199-P202<要約>)

狭くて進化のない戦略オプション

{ 日本軍は、作戦計画の重要な前提が成立しなかったり、変化した場合の対応計画(コンティンジェンシー・プラン)を軽視したため、計画の堅実性と柔軟性を奪う結果になった。
方面軍、軍以上の高級統帥の方針は「統帥綱領」に定められているが、そこでは作戦方針や計画はいったん決定した以上、その貫徹を期することが求められていた。統帥綱領のように高級指揮官の行動を細かく規制したものは、アングロサクソンやドイツ兵学にもなく日本軍独特のもののようである。こうした綱領類が聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行し、ひいては戦略の進化を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約することにつながったといえよう。}(「失敗の本質」,P208-P209<要約>)

アンバランスな戦闘技術体系

{ 日本軍の技術体系は、全体としてバランスがとれているとは言い難い。ある部分は突出してすぐれているが、他の部分は絶望的に立ち遅れている。一点豪華主義だが、平均的には旧式なものが多かった。その典型が「大和」※1と「零戦」※2である。また、日本軍の武器には、その操作に名人芸が要求されるものがあった。(「失敗の本質」,P211・P216<要約>)

※1 大艦巨砲主義の精華として誕生した大和は、艦隊決戦には抜群の強さを示したが、時代の趨勢は空母を中心とした航空戦に変化していた。

※2 零戦は航続力、速度、戦闘能力において世界最高水準にあった。防禦性能を犠牲にしてぎりぎりまで軽量化したが、熟練操縦士の充足や大量生産への対応ができず、米軍の戦闘機に主導権を奪われていった。

学習の軽視

{ 日本軍は、失敗した戦法・戦術などを分析しその改善策を追及して他の組織にも展開する、ということが行なわれなかった。物事を科学的、客観的に見る姿勢に欠けており、敵戦力の過小評価や自己戦力の過大評価が行なわれ、組織的な学習を妨げる結果になった。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。
また、対人関係や人的ネットワークに対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢が決定的に欠如していた。組織学習に不可欠な情報の共有システムもなく、失敗事例を自由闊達に議論することも許されていなかった。(「失敗の本質」,P230-P232<要約>)

(2) 変化への対応力の欠如

{ 日本軍が失敗した本質的な原因をつきつめていくと、「環境に適応しすぎて失敗した」といえるであろう。ちょうど、恐竜がマツ、ソテツなどの裸子植物を食べるために徹底的に適応したが、気候変動や食物変動に適応できなかったと同じようなことが起ったと考えられる。}(「失敗の本質」,P246<要約>)

なぜ、変化への対応力がない組織になったのか、「失敗の本質」が指摘する原因を以下にあげる。

安定しすぎた組織

軍事組織は平時にいかに組織内に緊張を創造し、多様性を保持して高度に不確実な戦時に備えるかが課題になるが、日本軍は多様性が抑制されたきわめて安定的な組織であった。

{ 「彼等(陸海軍人)は思索せず、読書せず、上級者となるに従って反駁する人もなく、批判を受ける機会もなく、式場の御神体となり、権威の偶像となって温室の裡に保護された。… 政治家が政権を争い、事業家が同業者と勝敗を競うような闘争的訓練は全然与えられていなかった」(高木惣吉「太平洋開戦史」)(「失敗の本質」,P266)

はきちがえた“自己超越”

{ 進化は創造的破壊を伴う「自己超越」現象でもある。
日本軍にとって不幸であったのは、第一次大戦という近代戦を組織全体がまともに体験しなかったことである。戦車、航空機などの軍事組織の戦略や組織自体を根底から変革させる技術革新にも、実感をもって十分目をむけることはできず、過去の戦略や行動基準を自己革新する機会を失った。
日本軍はある意味において、たえず自己超越を強いた組織であった。往々にして、その自己超越は、合理性を超えた精神主義に求められた。そのような精神主義的極限状態は、そもそもはじめからできないことがわかっていたものであって、創造的破壊につながるようなものではなかった。
日本軍には、悲壮感が強く余裕や遊びの精神がなかった。そのために、既存の路線の追及には能率的ではあっても、自己革新につながるような知識や頭脳や行動様式を求めることが困難だったのではないだろうか。(「失敗の本質」,P270-P273 要約)

異端や偶然を排除する独善性と閉鎖性

{ 革新は異質な人、情報、偶然を取り込むところに始まる。
しかし、日本軍は組織を構成する要素間の交流や異質な情報・知識の混入が少ない組織であった。たとえば、参謀本部の最大の欠陥は、作戦課の独善性と閉鎖性にあったといわれる註832-1。そもそも戦闘におけるコンティンジェンシー・プランを持たなかったことは、偶然に対処するという発想が稀薄であったことを示している。(「失敗の本質」,P273-P274 要約)

情報の知識化と蓄積に消極的

{ 組織が進化するためには、新しい情報を知識として蓄積・展開しなければならない。
およそ日本軍には失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していた。
明治の軍人が戦略性を発揮したのは、武士としての武道とならんで兵法が作法として日常しつけられていたからであった。その後の日本軍では、日露戦争の幸運なる勝利についての真の情報が開示されず、その表面的な勝利が統帥綱領に集約され、戦略・戦術は「暗記」の世界となっていったのである。戦略がなければ、情報軽視は必然の推移である。(岡崎久彦「戦略的思考とは何か」)(「失敗の本質」,P274-P277 要約)

ビジョン(統合的価値)の共有に失敗

{ 自己革新組織は、その構成要素に方向性を与え、その協働を確保するために統合的な価値あるいはビジョンを持たなければならない。
【太平洋戦争においては】アジアの解放を唱えた「大東亜共栄圏」などの理念を有していたが、それを個々の戦闘における具体的な行動規範にまで論理的に詰めて組織全員に共有させることはできなかった。このような価値は、言行一致を通じて初めて組織内に浸透するものであるが、日本軍の指導層のなかでは、理想派よりは、目前の短期的国益を追求する現実派が主導権を握っていた。「大東亜共同宣言」の一項に、「大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢した大東亜の文化を昂揚す」とあるが、第一線兵士は現地における現実のなかで、どれほどこの理念を信じて戦うことができたのであろうか。(「失敗の本質」,P277-P278 要約)


♪余話 ... 戦後社会への継承

戦後、日本軍の持っていた組織的特質を、ある程度まで継承したのは企業組織であろう。戦後の日本の企業組織にとって、最大の革新は財閥解体とそれに伴う一部トップ・マネジメントの追放であった。これまでの伝統的な経営層が1層も2層もいなくなり、思いきった若手抜擢が行なわれた。その結果、日本軍の最もすぐれていた下士官や兵のバイタリティがわきあがるような組織が誕生したのである。
戦後の日本経済の奇跡を担ったのは復員将兵を中心とする世代であり、彼らが「天皇戦士」から「産業戦士」への自己否定的転進の過程で日本的経営システムをつくりあげたという指摘もある(中村忠一「戦後民主主義の経営学」)
これらの人々の多くは長年にわたる経済統制と軍隊における体験しか持たなかったため、彼らの軍隊における経験が活用されることになった。率先垂範の精神や一致団結の行動規範は、日本軍の持っていたいい意味での特質であったといえる。意識すると否とにかかわらず、日本軍の戦略発想と組織的特質の相当部分は戦後の企業経営に引き継がれているのである。

日本企業の組織の長所は次のようなものである。

① 下位組織の自律的な環境適応が可能

② 定型化されないあいまいな情報をうまく伝達・処理できる

③ 現場における学習を活性化させ、知識や経験の蓄積を促進し、情報感度を高めることができる

④ 人々を動機づけ大きな心理的エネルギーを引き出すことができる

しかし、戦略については次のような欠点もある。

① 明確な戦略概念に乏しい

② 急激な構造的変化への適応がむずかしい

③ 大きなブレイク・スルーを生み出すことがむずかしい

④ 集団思考による異端の排除が起る

われわれの得意とする体験的学習だけからでは予測のつかない環境の構造的変化が起こりつつある今日、これまでの成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められている。とくに異質性や異端の排除とむすびついた発想や行動の均質性という日本企業の持つ特質が、逆機能化する可能性すらある。
さらにいえば、戦後の企業経営で革新的であった人々も、ほぼ40年を経た今日、年老いたのである。戦前の日本軍同様、長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。… 日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。…

以上、「失敗の本質」,P280-P283 から要約して引用した。

日本の経済発展を牽引した製造業は、戦前の特質を継承するだけでなく、その弱点を埋める活動もしている。例えば、いまや世界標準になったトヨタの「カイゼン活動」は、現場の作業者が問題を指摘し、その根本的な原因をつきとめた上でそれを乗り越える対策をみつけて実施する。しかもこれらの活動を継続的に行うことにより、品質や生産性を改善していった。弱いとされた合理的な原因追求と対策の立案や学習の知識化を世界が驚くようなやり方で克服したといってもよいだろう。アメリカのソフトウェア工学の権威トム・デマルコはこう言っている。

{ 100人に「どの組織、文化、国家が、品質の高いことで有名か?」と質問したとする。今日ではおそらく大半の人が日本と答えるだろう。別の100人に「どの組織、文化、国家が生産性が高いことで有名か?」という質問をしたとする。やはりほとんどの人が日本と答えるはずだ。}(トム・デマルコ/ティモシー・リスター:「ピープルウェア」,P24)

「失敗の本質」が書かれたのは高度成長まっさかりの1984年である。(ピープル・ウェアの初版は1987年) その後、日本の製造業の勢いは鈍ってしまった。昨今、ニュースになっている不祥事などを見ていると、環境変化に適応できた企業とそうでない企業にわかれたように思う。しかし、この本がお手本としたアメリカでさえ、この30~40年の環境変化に対応できたとはいえない、むしろ日本以上に対応できなかった部分が大きいのではないだろうか。単に、昔は良かった、昔に戻ろう、ではなく、これまでの価値とは異なる価値を目標設定し、進むべき道や方法を見直す時が来ているのかもしれない。


8.3.2項の註釈

註832-1 作戦課の独善性と閉鎖性

{ 有末精三(終戦時参謀本部第2部長)は次のようにいっている。
「参謀本部第一部とくに作戦課については、一種の独善的雰囲気があった。作戦計画について外に一切もらさず、またその策定について外からの干渉を排除し、意見を聞くことすらいやがった。…」 }(「失敗の本質」,P273)