日本の歴史認識南京事件第6章 否定論とその反論 / 6.3 証言や証拠の信憑性(1) / 6.3.3 ティンパリーは中国の宣伝工作員!?

6.3.3 ティンパリーは中国の宣伝工作員!?

図表6.10(再掲) 信憑性のない証言や証拠!?

信憑性のない証言や証拠!?

(1) 否定派の主張

ティンパリーは国民党宣伝部の顧問であり、宣伝部の依頼で作成した「戦争とは何か」は中国の宣伝文書にすぎない、と北村稔氏は述べる。(以下、「南京事件の探求」,P27-P52を要約)

北村氏は、ティンパリーが国民党の片棒をかついでいるかのように述べているが、別の章では次のようにも述べている。{ ティンパリーの“What War Means”など代表的な国民党の戦時対外刊行物には、予想に反し事実のあからさまな脚色は見いだせなかった。残虐行為や個人的正義感に基づく非難は見られるが、概ねフェアーな記述であると考えてよいのではないか。}(同上,P123-P124)

(2) 史実派の反論

以下は、笠原十九司・吉田裕編:「現代歴史学と南京事件」の第8章で井上久士氏が述べる反論である。(P245-P252を要約)

(3) 東中野氏の主張

東中野氏の著書「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」でも、国民党中央宣伝部国際宣伝処がティンパリーなどを使って"宣伝本"を作った、と主張している。東中野氏が"発見"した"極秘文書"は「中央宣伝部国際宣伝処工作概要1938年~1941年4月」である。しかし、その内容は既に北村氏が明らかにした「曾虚白自伝」や「中央宣伝部国際宣伝処27年度工作報告」などと同じで、目新しい事実はない。
この本で東中野氏は「戦争とは何か」だけでなく、安全区国際委員会の記録やラーべの日記が事実と異なる内容であることを証明しようとしているが、内容は「南京虐殺の徹底検証」や「再現 南京戦」などで書いていることを多少ブラシュアップしたものに過ぎず、「伝聞にすぎない、目撃していない、中国人のしわざ、ささいな相違がある、…」等、偏った憶測や誤った事実認定によるもので、合理的な説明にはほど遠い。また、曾虚白はスマイス報告も"宣伝本"のひとつであるかのように述べているが、東中野氏はスマイス報告にはふれていない。

笠原氏はその著書「南京事件論争史」で次のようにこの本を批判している。

{ 同書の第一のトリックは、国民政府中央宣伝部顧問であったティンパレーが書いた「戦争とは何か」が南京大虐殺説の源流を作り、それが東京裁判で歴史事実とされた、という話にある。しかし、… 南京事件を世界に発信したのは、アメリカ、ドイツ、イギリスなどの外交官であり、東京裁判で国際検察局が証拠として重視したのもこれらの外交文書であった。
同書の第二のトリックは、「戦争とは何か」を書いたときティンパレーはまだ国民党政府中央宣伝部顧問ではなかったことである。したがって東中野が強調するティンパレー編著「戦争とは何か」は中国国民党中央宣伝部が製作した宣伝本という説は成立しない。}(笠原十九司:「南京事件論争史」,P257-P258)

(4) まとめ … アスキュー・デイヴィッド(David Askew)氏の書評

アスキュー氏は、オーストラリア人の歴史家で立命館アジア太平洋大学准教授、北村氏との親交もある。北村氏の「南京事件の探求」の英訳版についての書評論文註633-1を引用してまとめとしたい。

まず、北村氏の研究姿勢について、{ 北村自身は、方法論的には中間派でありながら、心情的にはまぼろし派である、と自認するであろう。心情が方法論によって抑えられている間は問題ないが、最近の北村の南京論では、心情に方法論の方が押されている印象を受ける。}と述べる。

本題の書評のうちティンパリーに関する部分は以下のとおりである。

{ ティンパリーと宣伝処とのつながりを考えると、ティンパリーは確かに裏表のある人物であったと認めざるをえない。しかし、同時に、次の点も強調して然るべきであろう。つまり、北村は「戦争とは何か」を編集・出版するにあたって、ティンパリーの動機がいわば不純であったことを巧みに明示しているが、この不純な動機の産物が、これまた眉唾ものであることは論証していない。不純な動機を有する者が、にもかかわらず、真実を物語ることも、また純白な動機を有する者が不本意ながら、偽りを口にすることも十二分にありうる。… 換言すれば、南京アトローシティを検証する際、ティンパリーに関して問題視されなければならないのは、本人の精神的な動機云々では断じてなく、むしろその主張の内容の妥当性に他ならない。}


♪余話 ... 田中正明氏の改竄

松井石根大将の秘書をしていた田中正明氏は、1985年「松井大将の陣中日記」(芙蓉書房)を出版した。板倉由明氏はこの本に多くの問題箇所があることを「歴史と人物 60年冬号」で指摘、朝日新聞も900箇所以上の改竄があると報道した。これに対して田中氏は「意図的に改竄したのではなく、不注意による誤記、脱落や原文の判読が不正確なところがあったのは認めるが、改竄したわけではない」と弁明した。しかし、板倉氏は、追記されているところもある上に、修正はすべて事件を否定する方向でなされていて、意図的なものである、とする。

改竄例1; 12月23日の日記に、「ニューヨーク・タイムズのアベンド記者らと会見、質問は主として首都陥落後の日本の方針とパネー号事件の処置だった」旨の文章を追記している。陥落後の記者会見で南京事件に関する質問はなかったことの証左とするため、とみられても不思議ではない。

改竄例2; 避難民の帰宅が遅れている理由を、「我軍に対する恐怖心と寒気と家が失われていること」までは記しているが、その後に書かれている次の文章を削除している。「我軍に対する反抗というより、恐怖不安がなくならないことが重要な原因と思われ、各地守備隊に聞いても自分の思いが徹底されず、この事件に関する根本的な理解と覚悟がなく、軍紀風紀の弛緩が回復せず、幹部は情実に流れ、姑息に陥っている。軍みずからが地方宣撫にあたるのは有害無益であると感じる」

ここでは読みやすくするため現代語に要約したが、原文は“ゆう”氏のサイトを参照されたい。

田中氏は改竄の糾弾にもめげず、1年半後の1987年春に「南京事件の総括」を出版、{ 虐殺派、中間派のライターたちを威勢よくなで切りにしたあと、"あとがき"で改竄事件について、「そのほとんどは私の筆耕の誤記や誤植、脱落 … 等の不注意によるものであります」と弁解しつつ「字句に多少のズレはあっても、松井大将の真意を曲げることなく、その目的は完全に果たし得た」と自賛した。}(秦:「南京事件」,P287)

否定派の学者や著述家なども声援を送っている。まさに、「情実に流れ、姑息に陥っている」状態であろう。


6.3.3項の註釈

註633-1 アスキュー・デイヴィッドの論文

「書評 南京アトロシティ研究の国際化-Kitamura Minoru, The Politics of Nanjing: An Impartial Investigation の検証」,2008年10月

"The Politics of Nanjing: An Impartial Investigation"は、アスキュー氏本人の日本語訳によると「南京の政治学――非党派的検証」であるが、北村稔:「南京事件の探求」に多少加筆した英訳本。アスキュー氏は北村氏との関係についてこの論文の冒頭で、{ 北村は同僚であり、南京をめぐる共同研究プロジェクトに共に従事してきた。}と述べている。