日本の歴史認識南京事件第4章 南京事件のあらまし / 4.7 犠牲者数 / 4.7.2 個別事件の犠牲者数

4.7.2 個別事件の犠牲者数

図表4.18は捕虜や敗残兵殺害の犠牲者数を個別の事件ごとに整理したものである。

図表4.18 捕虜殺害等事件別犠牲者数

 …/nk/Nfg418.webp を表示できません。 Webp対応のブラウザをご使用ください。    ーーーーーーーーーーーーーーーーー

※1 カッコ内は出典に記載の犠牲者数 ※2 洞富雄・藤原彰他編「南京大虐殺の研究」晩餐社,1992年

※3 笠原氏の欄の「数千」は3千として合計値を計算した。

(1) 板倉説

犠牲者数合計は南京戦史と同じだが、内訳は少し異なる。板倉氏は合計を出したあと、そのうちの2分の1から3分の2を「不法殺害者数」としている。殺害時の状況によっては合法の場合もあるから、ということで論理的におかしくはないが、2分の1とか3分の2という数字は感覚的なもので明確な根拠があるわけではない。

出典; 「ゼンボウ」昭和60年4月号(秦「南京事件」,P210より引用)、板倉由明「本当はこうだった南京事件」,P199-P200

(2) 偕行社(南京戦史)説

ひとつひとつの事件を丹念に精査し、犠牲者数を推定している。あわせて中国軍の兵力とその行方と突き合わせ検証している。偕行社の性格上、公式資料や指揮官クラスの記録などが優先されてしまうのはしかたないか。

出典; 「南京戦史」,P346-P366

(3) 秦説

記録や証言で戦果が増幅されているのを知りつつ、史料通りの数字をそのまま置いている。実態の値を合理的に説明することは困難なので、こうした方が国際的な説得力を持つことは確かである。
犠牲者数が千人未満の事件を別表にあげているが、積算には加えていない。かわりにかどうかわからないが、No.8,19,20のように内容が本文に記載されていない事件を入れている。

出典; 秦「南京事件」,P210(表5),他

(4) 笠原説

笠原氏は、中国兵の総数を15万と推定し、このうち戦死者と南京を脱出できた兵士の合計が7万人なので、残り8万人が敗残兵、投降兵、捕虜として虐殺されたことになる、ということを頭において、それとの整合性を確認するために事件別の犠牲者数を推定しているようにみえる。そのせいかわからないが、事件の中味をあまり精査せずに可能性のあるものすべてをリストアップしたのかもしれない。

No.1; 佐々木少将私記の"1万数千"は歩38/33連隊戦闘詳報の7~8千と重複しているとみられる。海軍の2万を超える数字は、{ 3千とも1万とも報告されているが誇大にすぎる。陸上部隊による戦果と重複しているのではあるまいか。}(秦:「南京事件」,P116) というのが妥当なセンではないだろうか。

No.2; "数千"は佐々木少将私記の記載だが戦闘詳報には3096人と記されており、中島日記の1300人はその一部であろう。

No.14; 中国軍将校の証言をもとにしているようだが、日本側に殺害の記録はない。

No.16,17; 佐々木少将私記に城内約2千と城外数千と記載されており、中間派各氏はこれを別々にリストアップしているが、笠原氏の数千がどれを示すのか不明。

出典; 笠原「南京戦史 新版」,P258-P261),他