日本の歴史認識南京事件第1章 概要 / 1.3 被害者数に関する諸説

1.3 被害者数に関する諸説

南京事件に関する日本政府の公式見解は次のとおりである。

{ 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や掠奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。}註13-1

(1) 諸説の概要

以下に、被害者数に関する主要な説を掲げる。表では、"軍関係"と"市民"に分けているが、"軍関係"は日本軍の記録などから推定した捕虜などの殺害であり、捕虜のなかに民間人が紛れ込んでいる可能性がある。

図表1.4 被害者数に関する諸説

被害者数に関する諸説

(注) 諸説の出典はつぎのとおり

板倉説; 板倉由明:「本当はこうだった南京事件」,P200

偕行社説; 「南京戦史」,P366,P373

秦説; 秦:「南京事件」,P214 秦氏は増補版のコメントで、「4万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下まわるであろうことを付言しておきたい」と述べている。(P317-P318)

笠原説; 笠原:「南京事件」,P223-P228

中国(孫宅巍)説; 藤原彰編:「南京事件をどうみるか」,P78-P79

(2) 各派主張の差異

各派主張の主要な差異は次のとおりである。

・否定派は、1.4節に記載の理由などにより、不法殺害はほとんどないか、あってもごくわずかだと主張している。

・中間派は、戦時国際法に違反する不法殺害を対象にしているが、個別事件の被害者数の見立てが研究者により異なるため、1万~4万の幅がある。

・史実派は、個別事件の被害者数見立てが中間派より大きいこと、追撃戦(1.2節(1))による殺害も不法殺害としていること、収容したとされる捕虜(1.2節(3))も殺害されたとみなしていること、南京城とその周辺だけでなく近郊6県も含めていること、などがある。近郊6県も含めているのは、南京への進軍中や陥落後に周辺地域で捕虜殺害、強姦、掠奪などの不法行為があったという証言註13-2が多数あるためである。

・中国(孫宅巍説)の数字は、藤原彰:「南京事件をどうみるか」註13-3に基づくもので"集団虐殺"は被害者数1000人以上の大規模事案、"散発的虐殺"はそれ以下の小規模事案で、主として目撃証言と埋葬者数から推定している。近郊県は含めていない。


1.3 節の注釈

註13-1 日本政府の公式見解

日本政府の公式見解が掲載されている外務省のページはココ

註13-2 南京進軍中の不法行為

南京近郊で起きた事件に関する証言の例を、本多勝一:「南京への道」から要約して引用する。

・<句容郊外>{ 逃げ遅れた住民の一部と他所から避難してきた人など40数人がつかまって押しこめられ、放火されて焼き殺された … }(同上,P125)

・<句容郊外>{ すわりこんだ母が日本兵らに手をあわせておがんだ。ほとんど同時に2発の銃声がした。母は倒れ、そばにいた13歳の娘も倒れた。 … }(同上,P133)

・<溧水>{ オガワは14人を並べて右端から順番に軍刀で首を切り落とした … }(同上,P166)

註13-3 中国 孫宅巍説

{ 調査の可能だった記録に基づくと、千人以上の虐殺が少なくとも10回あり、その犠牲者は19万人近い。 ・・・ この他にも、規模はそれぞれ異なるが散発的な虐殺事件が870回あまりある。1回の犠牲者数は、少ないケースで12人から35人、多いときには数十人から数百人だ。… 総計84,266体の埋葬記録が残されている。以上より、集団虐殺は19万人、散発的虐殺は8万4千人、合計27万4千人あまりが虐殺されたとなる。また、以下のことも考慮に入れる必要がある。千人以上の虐殺は上述の10回だけではないし、散発的に虐殺された犠牲者の収容・埋葬に当たった団体や私的埋葬隊も上述の3団体だけではないので、虐殺事件や埋葬活動がすべて記録されるのは不可能なことだった。それ故、我々は集団虐殺と散発的虐殺の事実認定だけから、この大虐殺の被害者は30万人という驚異的規模であったという結論を得た。}(藤原彰:「南京事件をどうみるか」,P78-P79)