日本の歴史認識慰安婦問題第4章 活動の軌跡 / 4.7 2010年代のできごと

4.7 2010年代のできごと

2010年代になると日本と韓国の間で激しいやり取りが出てくる。2011年8月に韓国の憲法裁判所が、「韓国政府が日本政府と外交交渉しないのは違憲」という判断を下すと、韓国側は日本政府との交渉に動き出す。2011年12月には、挺対協が「慰安婦像」の設置をはじめ、アメリカなどにも設置されていく。2015年にアメリカの仲介によって日韓合意が成立するが、文在寅が大統領になると事実上その合意を反故にしてしまう。徴用工問題も過熱し、ついには経済戦争の様相を帯びてきている。

図表4.10 2010年代のできごと

2010年代のできごと

(1) 韓国憲法裁判所の判決(2011年8月30日)

判決の意味

この裁判は挺対協と元慰安婦らが起こしたもので、慰安婦問題について韓国政府が日本と外交交渉をして解決しない不作為は憲法違反である、との判決が下された。熊谷氏は次のように述べている。

{ 1965年日韓基本条約及び請求権協定において、個人の請求権の存否について日韓の間で対立があるにもかかわらず、それを解決するための手続きを履行していないことが韓国政府の不作為であり、違憲であるとの判決を韓国憲法裁判所が下したのである。…
慰安婦問題について、韓国の金泳三大統領は日本に物質的な補償を求めないと1993年に述べていた。しかし2005年になると盧武鉉政権によって、従軍慰安婦、被爆者、サハリン在留韓国人は日韓請求権協定の枠組み外とするという新たな見解が示されていた。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P207)

この裁判は、日韓政府で異なる解釈を是正するために、韓国政府は日本政府と交渉すべきかどうかが争われたもので、日本政府の解釈の妥当性を争うものではない。しかし、判決文の中には元慰安婦たちの日本政府への賠償請求を正当化する理由としてクマラスワミ報告、各国の日本政府非難などがあげられており、事実上、韓国政府に慰安婦の人権回復のための交渉をせよ、という判決註47-1になっている。

日韓再交渉は決裂

韓国政府は、この判決を受けて日本政府との交渉をはじめる。その模様を朴裕河氏は次のように語る。

{ 大統領は最初解決方法として「人道的措置」(法的責任ではなく道義的責任を追う解決)を提案してもいる。そして、これに応えてか2012年春、日本政府は韓国政府に解決案を出していた。

――「朝日新聞」(2012年5月9日付)――
野田佳彦首相は昨年12月、来日した韓国のイ・ミョンバク(李明博)大統領との会談で、「人道的見地から知恵を絞っていく」と語った。両政府は今月の首脳会談に向けて調整を開始。日本は外務省関係者を韓国に派遣して新たな人道支援策などを探ったが、合意できなかった。

――「北海道新聞」(2012年5月12日付)――
<慰安婦問題 首相謝罪と補償打診 韓国、難色示し合意せず>
斎藤勁官房副長官が4月に訪韓した際、韓国大統領府に対し、従軍慰安婦問題の解決策として野田佳彦首相による謝罪や補償などを打診していたことが11日わかった。韓国側は日本側に慰安婦支援団体の意向を聞くよう求めるなどして難色を示し、合意に至らなかった。
―――――――――――

韓国政府はみずから解決をせまっておきながら、「支援団体の意向」を気にして日本の提案を受け取らなかった。… 韓国政府が日本政府の提案を受け入れなかったのは、これに先立っての支援団体の李明博大統領批判が影響した可能性が高い。3月に大統領が人道的措置がいいとの意見を出した時、挺対協は声明書註47-2を出して大統領を強く批判していた。}(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P162-P164)

(2) 慰安婦像設置開始(2011年12月14日)

挺対協は、日本大使館前で毎週水曜日に行ってきたデモが1000回目を迎えたことを記念して日本大使館前の歩道上に慰安婦像を設置した。その後、韓国内だけでなく、アメリカ・カナダ・オーストラリア・中国・台湾・ドイツに、次々と慰安婦像が設置された。2018年8月現在、韓国内だけでも100体を超える慰安婦像があるという。(Wikipedia:「慰安婦像」)

朴裕河氏は、この慰安婦像は韓国の慰安婦を象徴する像ではない、という。

{ 少女像がチマチョゴリを着ているのも、リアリティの表現というよりは、慰安婦をあるべき <民族の娘> とするためだ。… 少女像は、時に家族のために自分を犠牲にした犠牲的精神も、息子ではなく娘が売られやすかった家父長制による被害性も表出しない。… 都会で誘拐されたとしたら、彼女たちの服装は必ずしもチマチョゴリではなかったはずである。
朝鮮人慰安婦とは、日本軍朝鮮人兵と同じく、抵抗したが屈服し協力した植民地の悲しみと屈辱を、身体で経験した存在である。…
大使館前の少女像は本当の慰安婦とはいえない。朝鮮人慰安婦が朝鮮人のままでいられず「日本人」にならなければならなかったために経験した悲しい記憶が、そこでは消されている。… 慰安婦の苦痛を共有し、記憶することが目的なら、その像が立つべきは、慰安所があった場所か彼女たちが戦争で命を落とした場所がよりふさわしいはずだ。また、ノイズを除去した怒りよりは、複数のアイデンティティを生きるほかなかった植民地の悲しみを表したほうが、より普遍的な共感を得られるだろう。}(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P154-P158)

(3) 日韓合意(2015年)の経緯註47-3

2013年2月、朴槿恵が韓国の大統領に就任した。もともとは親日的といわれていたが、就任後は日本と距離をおき中国との関係を重視するようになり、日韓関係は冷え込んだ。2012年4月に北朝鮮で金正恩、2013年3月に習近平が政権を握り、北朝鮮の核実験やミサイル発射、尖閣諸島の紛争、など東アジアの緊張が高まっていたことから、日米韓の連携強化のため、アメリカは日韓両国に慰安婦問題での和解を呼びかけた。特に強硬姿勢をとる韓国には強い圧力をかけたと言われている。

2014年3月24~25日、オランダのハーグでアメリカが主催する「核セキュリティ・サミット」が開催され、25日に日米韓国首脳会談が開催された。その場で慰安婦問題を扱う局長級協議を開始することで合意し、2014年4月から2015年12月まで12回の局長級協議が開かれた。2015年11月1日、ソウルで開かれた日中韓3国首脳会談で慰安婦問題を早期に解決することで合意、2015年12月28日ソウルで両国の外相が記者会見を開き、合意内容を発表した。

(4) 日韓合意(2015年)の内容

この合意は、文書化されておらず、上記記者会見での発表内容が合意事項とされている。以下は、外務省のHPにある合意内容を要約したものである。詳しくは 外務省のHP を参照されたい。

(a)日本側(岸田外務大臣)

① 慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している。安倍首相は、慰安婦として癒しがたい傷を負われた方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する。

② 韓国政府が設立する元慰安婦の方々の支援を目的とした財団に日本政府は資金(10億円)を拠出する。

③ この措置を実施することにより、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。あわせて、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

(b) 韓国側(尹外交部長官)

① 韓国政府は、上記②の措置が着実に実施されるとの前提で、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。

② 韓国政府は、日本大使館前の少女像に対し、関連団体との協議等を通じて適切に解決されるよう努力する。

③ 韓国政府は、日本政府が表明した措置が実施されるとの前提で、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

(5) 日韓合意(2015年)の政治的意味

前駐韓国大使の武藤正敏氏註47-4と東京福祉大学国際交流センター長の遠藤誉氏註47-4の対談を以下に要約する。

<武藤> なぜ、あの時期に合意が成立したのか、それは韓国が孤立感を抱いたからではないでしょうか。歴史問題で朴大統領は、アメリカは韓国の味方だと思っていたのに、韓国を一方的に支持しているわけではないことに気づいた。

<遠藤> 昨年(2015年)11月1日に3年半ぶりに日中韓首脳会談が行われました。3か国首脳会談のような形をとらなければ日韓首脳会談を行なえないような韓国の世論もあり、中国が韓国を中国側に引きつけて対日歴史共闘を行なっていた背景もあります。… 朴大統領は李克強首相をまるで最高レベルの国賓扱いで迎えながら、一方では安倍首相との首脳会談後の昼食は「日程上の都合で参加できない」として外交上、非礼極まりない扱いをした。

<武藤> 朴大統領も日韓国交正常化50周年の年内にこの問題の決着をつけることを強く希望していましたので、安倍首相が朴大統領の思いに応えた指示といえます。

<遠藤> 今回の合意内容には、「 … 国連など国際社会において互いを非難することをしない」とあり、中国と韓国は歴史問題で共闘して日本を非難することができなくなったのです。

<武藤> 今回の合意に対して、案の定、挺対協に属する元慰安婦は猛反発していますが、… 挺対協などの強硬派の元慰安婦は生存する46名の2割ほど、その他の慰安婦のなかには「挺対協は慰安婦を代表するものではない」と批判する者もいます。大半の慰安婦がこのお金を受け取り合意を受け入れれば、韓国の国内世論も慰安婦問題の決着を受け入れ、挺対協は孤立する。挺対協の活動はますますエスカレーションするでしょうが、一般国民は離れていくでしょう。

<武藤> 今回の合意は国際社会も評価している。… もちろん「20万人の性奴隷を日本が認めた」という海外の一部の報道について正していく努力は必要でしょう。しかし、たとえば、日本では「狭義の強制性はなかった」との議論がありますが、強制性を否定しても、国際社会の理解は得られません。この問題はすでに国際社会では「女性の人権問題」として扱われているからです。「アメリカはどうなんだ」といった主張をすればするほど、逆に韓国を利することになってしまう。そうではなく、挺対協のアジア女性基金に対する歪んだ姿勢や事実認識の誤りこそ訴えていくべきなのです。

※ 出典:「"中国封じ込め"で安倍外交完勝」,雑誌「Will」2016年3月号,P40-P52<要約>

(6) 日韓合意(2015年)各派の評価

国家補償派

吉見義明氏は、以下のような理由により、真の解決に逆行する合意で、被害者が受け入れられる内容ではない、と非難する。

・あいまいな事実認定と責任の所在の認定; 強制連行の認識などで河野談話から交代した内容であり、責任の主体は軍と政府なのに、業者の責任であるかのようになっている。

・性奴隷制度であることを否定; 合意後に安倍首相と岸田外相は性奴隷という事実はない、と断定している。

・賠償をしないという"合意"; 岸田外相は共同会見後の記者会見で、10億円は賠償ではない、と明言している。これは賠償ではなく、支援金だが、支援金と言うのは一般には第三者が出すものだ。

・真相究明と再発防止措置はない; 河野談話にはあった再発防止措置について何も約束していない。日本政府は10億円さえ出せば何もしなくて済む構図が作られた。

※ 出典: 「真の解決に逆行する日韓"合意"」,雑誌「世界」2016年3月号,P125-131<要約>

否定派

雑誌「Will」2016年3月号は、「総力大特集 勝利か、敗北か"日韓慰安婦合意"」というタイトルの特集を組み、前述の武藤正敏氏と遠藤誉氏の対談を含めて7件の論稿を掲載している。「勝利か、敗北か」というコピーは、否定派の読者を引きつけるものだろうが、国と国との交渉を勝ち負けで論じることの無意味さや危うさを無視している。交渉とは双方が譲歩してWin-Winで終わるように結論を出すものであるはずで、勝負ではない。

否定派 ― 櫻井よしこ氏

櫻井よしこ氏はこの合意について、{ 私の思いを端的に述べれば、実に悔しいというのが本音である。このままの内容では将来、後悔することになると懸念もしている。… しかし、同時に、この日韓合意は政治・外交的に見れば大いに評価すべきものであるとも考える。}(同上,P31) 彼女が「政治・外交的」と言っていることは、前述の武藤・遠藤対談で話題になっていた日米韓の安全保障体制に関する問題である。この合意のあった数日後、北朝鮮は核実験を行いミサイルも発射している。

否定派 ― 藤岡信勝氏

藤岡氏は、合意文のすべてがお気に召さないようで、この合意を全面的に否定している。怒りの感情に満ち満ちた批判はとても大学教授が書いた論稿とは思えないので、このレポートの本文からははずす。内容を知りたい方は 註47-5 を参照願いたい。

(7) その後

韓国政府は日本が拠出した10億円をもとに「和解・癒し財団」を設立し、その時点で生存していた元慰安婦47人に約1億ウォン、死亡者の親族らに約2000万ウォンの支給をはじめた。しかし、2017年5月に大統領に就任した文在寅はこの合意に批判的で、2018年11月21日、韓国政府はこの財団を解散した。解散までに同財団が支給した人数は、生存者34名と遺族58名とされているが、日本が拠出した資金のうち、5億円以上が残余金となっている。また、支給希望者のうち、元慰安婦2人と(元慰安婦の)遺族13人が未支給の状態にあるという。(Wikipedia:「和解・癒やし財団」)

2017年頃から韓国では徴用工問題が取り上げられるようになり、日本企業への賠償を命じた韓国裁判所の判決をきっかけに日韓関係はそれまで以上に悪化し、ついには経済戦争の様相まで帯びてきている。

財団の事業半ばでの解散といい、徴用工の判決といい、韓国の対応に不満を抱いている日本人は多いし、ほかならぬ筆者もそのうちの一人である。ただ「けんか両成敗」ではないが、韓国側だけでなく日本側にも問題はあり、どっちもどっち、というのが世界の評価ではないだろうか。

日韓合意のあと、テレビのニュース番組で安倍首相は、「最終的かつ不可逆的に解決」ばかりを強調し、謝罪の言葉はほとんどなかったように記憶している。もし、安倍首相が韓国を訪問し、慰安婦の手をとってお詫びの言葉を述べていたら、挺対協が何をいっても元慰安婦や韓国世論だけでなく、世界もこの合意を高く評価し、日本に名誉を与えていたであろう。

安倍首相は、2015年8月14日の戦後70年談話で{ あの戦争には何のかかわりのない子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません。}註47-6 と述べている。これは多くの日本人が、多少の疑問は持ちつつも共感した言葉かもしれない。しかし、ドイツのヴァイツ・ゼッカー大統領が述べた言葉を我々は思い出すべきだろう。自分に都合の良い事実だけをとらえて日本の"名誉"を追及するのとどちらが真の誇りなのか…

「ひとつの民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。… しかしながら、先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。…」(ヴァイツ・ゼッカーの名言 註444-3(ページ外) に全文あり)


4.7節の註釈

註47-1 韓国憲法裁判所の判決文

判決文全文は 日本弁護士連合会のサイト にある。

註47-2 挺対協の声明

{ <イ・ミョンバク大統領は日本政府が主張する「人道的解決」に同調せず、公式的に日本政府に法的解決を要求しろ>
イ大統領はソウルで開催される第二次核安保会議を前に、本日国内外のマスコミ6社と合同記者会見を開き、日本軍慰安婦問題に対して「法よりも人道的に解決」しなければならないと発言した。我々は被害者の思いを無視し、本質から遠ざかったこうした発言に強く抗議する。… 日本軍慰安婦問題は当時の日本が国家として管理し行った制度的犯罪であり、日本政府が国家として責任を認め、法的に解決しなければならない問題だからだ。そして日本政府が未だ誇らしげに広報しているアジア女性基金が結局失敗に終わったということからも、国家ではない民間の責任にすり替えた「人道的支援」は問題解決を困難にするだけだからである。…(2013年3月23日)
… 同じ頃、日韓の軍事情報保護協定が政府によって推進されることが報道されたが、このときも挺対協はイ・ミョンバク政権を「骨の髄まで親日」と激しく非難した。 …
とはいえ、このようなことは、挺対協自体に力があるからというより、韓国国民とマスコミが挺対協の認識を共有し、支えているためである。 }(朴裕河:「帝国の慰安婦」、P164-P165)

註47-3 日韓合意の経緯

この段落は、Wikipedia:「朴槿恵」及び、Wikisource:「日韓日本軍慰安婦被害者問題合意(2015.12.28.)検討結果報告書」を中心にまとめた。

註47-4 武藤正敏と遠藤誉

武藤正敏; 1948年生まれ、1972年横浜国立大学経済学部卒業、同年外務省入省、在ホノルル総領事などを経て、2010年より在大韓民国特命全権大使、2012年退任。現在は外交経済評論家。

遠藤誉(ほまれ); 1941年中国生まれ。日本の女性物理学者、社会学者、作家。1953年日本に帰国し、東京都立大学理学研究科博士課程卒業。千葉大学、筑波大学物理工学系教授、上海交通大学客員教授、などを歴任。

註47-5 藤岡信勝氏の批判

以下、雑誌Will2016年3月号(P64-P71)を要約して箇条書きにした。

註47-6 安倍首相談話

{ 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。}( 首相官邸HP「平成27年8月14日 内閣総理大臣談話」 )