日本の歴史認識慰安婦問題第5章 まとめ / 5.1 論争のまとめ

flower第5章 まとめ

この章では、これまでの調査結果をもとに、主な論点を総括したあと、冷え切った日韓関係の今後ならびに慰安婦問題を将来への教訓とするための知識化についてまとめる。

 図表5.1 論争の総括と今後の課題

論争の総括と今後の課題

5.1 論争のまとめ

この節では、主な論点について総合的な視点もまじえて、まとめてみる。(1)から(7)は歴史事実としての認識に関する争点であり、(8)と(9)はそれとは異なる視点での論争についての総括である。

(1) 強制連行

強制連行の有無は少なくとも日本国内の論争では最も注目されたテーマであろう。否定派は、「強制連行はなかった!(だから日本は国としての責任を負う必要はない)」と叫ぶ。
しかし、この表現は正しくない。正しくは、「官憲による組織的な強制連行はなかった(又は、資料はみつかっていない)」である。これを裏返せば、「一部に個人やグループによる強制連行はあった。また、詐欺による連行も朝鮮などではあった」ということになり、「強制連行はなかった」とは大きな違いになる。

また、河野談話は強制連行を認めたとか認めないとかいう議論があるが、下記の熊谷氏の主張が当を得ていると思う。

{ 河野談話は、当時の韓国との外交上の問題を収める政治的文脈の中にあるものであり、学術論文のように一字一句の詳細な定義がその全体の位置づけを決めるものではない。保守もリベラルも河野談話の一字一句をもって当時の日本政府や日本軍が強制連行に組織的に関与したことを認めたことを決定づけているとするが、河野談話はそのように学術的に厳密な判断の根拠を提示しうるものではない。それは歴史家の役割である。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P222)

そもそも、世界が問題にしているのは強制連行の有無ではなく、慰安婦システムの存在そのものなのである。

(2) 慰安婦制度は合法!?

「慰安婦制度は当時の国内にあった公娼制度と同じだから合法的なものだ!」 慰安婦制度を良く知らない否定派はこう主張する。確かに制度そのものは合法かもしれないが、問題は運用である。朝鮮では詐欺による連行や未成年の連行が多かったが、だまして連れて行くのも、未成年の女性を連れて行くのも当時の国際法に違反した行為である。(詳しくは3.7節(1)を参照) また、インドネシアやフィリピン、中国などであった私設慰安所は、現地の女性を拉致・監禁して輪姦するようなものであり、一部は軍法会議や戦犯裁判で処罰されたとはいえ、処罰されていない場合もある。

また、当時は合法とはいえ、前借金で縛って性を売らせることや、軍が大規模な売春システムを持つこと自体が現代の人権感覚から許せるものではない、ということを世界から指摘されているのである。確かに当時の仕組みを現代の価値観で裁くことは問題があり、現代の法により刑事責任を追及することはできない。しかし、当時は合法もしくは慣習だったことでもそれによって人権が侵害された人たちが現代に生きていたら、仕方なかった、で終わらせずに、その人たちを救済すべきだ、というのが、今の世界の流れなのである。

(3) 性奴隷(Sex Slave)

国家補償派は、あたかも慰安婦全体が奴隷であったかのように言う。確かに、私設慰安所などで監禁状態におかれ、ひたすら兵士たちに性サービスすることだけを強要された女性たちもいた。しかし、大半の慰安婦は一定の自由があり、借金さえ返せば廃業することは可能だった。少なくとも日本人慰安婦にはそういう女性がたくさんいたと思われる。日本人が"奴隷"という言葉に対して持っているイメージは、上記の私設慰安所のようなケースであり、借金で拘束されている状態を奴隷と呼ぶことには抵抗感があろう。

しかし、世界が"Sex Slave"と呼ぶときは、日本語の"奴隷”よりもっと広い意味、すなわち意に反して性サービスを強要されている状態をさすのではないか。だとすれば、前借金で縛って性サービスをせざるを得ない状況に追い込むようにした慰安婦制度そのものの非人道性をさすことになる。それは日本の公娼制度そのものに人道上の問題があると指摘していることにほかならない。

"Sex Slave"を日本語に訳すときに、そのまま性奴隷と直訳せずに「前借金で拘束され…」のような意訳の方が適切であろう。前借金制度は当時の日本の法では認められていたものの、現代の人権感覚でいえば、非人道的であるのは間違いない。

(4) 軍の関与

否定派は、軍の関与は「良い関与」だったという。確かに、日本国内において未成年などの徴募を控えるよう通達を出したり、業者の不正を取り締まる軍人もいた。しかし、通達は植民地や占領地には適用されなかったし、業者とつるんで私腹を肥やした軍人や、現地の女性を拉致して私設の慰安所を作った軍人もいた。軍中央は、慰安婦システムをしっかり統制しようという気はなく、ほとんど現場に任せきりにしていた。慰安婦や慰安所の数、営業状況のみならず、目的達成の評価に必要な性病や強姦の発生状況すら記録・監視していない。こうした現場任せの統制が、慰安婦の徴募や生活の多様性をつくりだし、責任の所在をあいまいにする結果になった。

「現場任せ」は現場の自律性を尊重し現場の当事者意識を向上させるメリットはあるが、組織の統制にムラができるというデメリットもある。属人的管理ならびに学習機能の欠如は、当時の日本軍あるいは日本の組織管理の特質だった。

(5) 慰安婦数

慰安婦像の台座には、「強制的に連れて行かれた20万人の少女」と刻まれているそうだが、いまだに20万という数字がまかり通っているのは問題がある。
対象となる兵士数を300万人として、兵士の月当り利用率と慰安婦の一日当り客数のバランスから計算すると、可能性のある慰安婦数の上下限値は1.5万~6.3万である。(3.4節参照)  日本の研究者の予測で最も少ないのは秦郁彦氏の約2万なので、それを下限とすればおよそ2万~6万の間に実態の数字がある確率がきわめて高いといえるだろう。

(6) 他の国にもあった!?

秦氏の分類によれば、慰安婦システムには、日本のように軍専用の慰安所を設置する「慰安所型」のほかに、アメリカやイギリスのように既存の売春宿の利用を黙認する「自由恋愛型」とソ連の「レイプ型」があるが、事実上、「他の国にもあった」として例示できるのは「慰安所型」だけとしてよい。「レイプ型」は戦争犯罪そのものだし、「自由恋愛型」はあくまでも兵士が個人的に行く、という建前を貫いている以上、実態はさておき同列で比較すべきではない。

その「慰安所型」で日本と同等の規模を持つのはドイツだけである。ドイツはフランスなど西部では既存の売春宿を使い、ポーランドやロシアなど東部では現地の女性を慰安婦にしたと推定されているが、実態はよくわかっていない。ただ、ドイツ軍の元"慰安婦"として名乗り出た人はいない。その理由はソ連などの政治経済的理由により支援団体が作られていないからだという。(3.5節(3)参照)  第二次大戦の独ソ戦では、ドイツ、ソ連の双方が激しいレイプを行っているが、ともに軍規ではレイプを禁止する一方で、兵士の戦闘意欲を維持するために黙認していたという研究註51-1もある。

日本が世界から責められてドイツが責められないのは不公平だ、という主張はわからないでもないが、だからといって罪を逃れられるわけでもない。

(7) 日韓協定で解決済み!?

日本政府は、韓国に対するいわゆる戦後賠償は1965年の日韓協定で完了している、と一貫して主張しているし、アメリカなどの政府もそれを認めている。韓国政府も1993年には金泳三大統領が「日本に物質的な補償を求めない」と述べていながら、2005年になると盧武鉉政権は「従軍慰安婦、被爆者、サハリン在留韓国人は日韓請求権協定の枠組み外」と解釈を変えている。

韓国側からすれば、1965年の日韓協定はアメリカの圧力で仕方なく結ばされたものだという不満はあるかもしれないが、どんな事情があるにせよ国と国との間の約束は守るべきである。正当な理由もなく約束を破ることが許されるようになったら、条約を結ぶ意味がなくなってしまう。

日本政府は、条約は守った上で現実的に対応可能な方法としてアジア女性基金による謝罪と賠償を行なったが、韓国政府は挺対協など支援団体の強硬意見に同調する世論に押されて結局無策のままだった。
さらに、韓国は「アメリカの圧力で締結せざるを得なかった」2015年の日韓合意も政権交代後に反故にしている。その背景には、政府が統制できないほどに拡大してしまったナショナリズムというウィルスの蔓延があり、その拡散を日本のナショナリズムが刺激したのは間違いない。だとしても、早期にしかるべき手を打たなかった韓国政府にも責任があるといわざるを得ない。

(8) 女性の人権問題として

{ 慰安婦問題は、… フェミニズムの潮流と結びついたことで、マスコミや女性たちの同情と共感を呼び、誰も予想しなかったほどの政治的イシューへ成長した…}(秦:「戦場の性」,P350)

フェミニストたちの発言は過激だ。

{ 「日本の男は動物なみです。いやそれでは動物に申しわけない。彼らは動物以下です」(鈴木裕子)、「国家の犯罪であるだけではない。男による性犯罪でもある」(上野千鶴子)、「日本の男のセックスと言えば強姦か買春しかイメージできない性意識そのものがすでに十分犯罪なのだ」(深見史) … }(同上,P350-P352)

上野千鶴子氏は実証的な歴史学すら否定する。

{ 「女は歴史に文書を残してこなかった … ゆえに文書資料中心主義の土俵にあがることは危険だ」}(同上,P353)

こうした男社会への強烈な批判以外で、慰安婦問題に関連した具体的な活動は、というと、筆者の知るかぎりでは、女性国際戦犯法廷の開催と公娼制に関する議論くらいしか見当たらない。女性法廷は、元慰安婦を慰めるという効果はあっただろうが、それ以外のめぼしい成果があったとは思えない。また、公娼制の議論も、家父長制や男の道徳などの問題を指摘するが、研究や論争の成果がフェミニストたちの目的である「女性の解放」に貢献したとは思えない。

2019年12月16日に世界経済フォーラム(WEF)が発表した「世界ジェンダーギャップ報告書」によれば、日本は対象153か国中121位(韓国は108位、中国は106位)、G7の中では「圧倒的に最下位」なのである。しかも、2006年には80位だったのがじわりじわりと順位を落としている。

慰安婦問題の背景に貧困と家父長制などによる女性差別の思想があったのは間違いない。貧困は当時より改善されたと思うが、女性差別については今でも日本の社会に色濃く残っている。家父長制のさらに背後にある儒教的な道徳や日本人特有の同質化気質――これは特に女性に多い――などは一朝一夕では変わらない。女性が経済的に自立できるよう社会進出を容易にする環境の整備とともに、女性自身の自覚を促すことも重要だと思う。筆者の記憶では、日本で女性の社会進出が活発になったのは、1997年に男女雇用機会均等法が改正され、女性の深夜労働禁止などの規制が解除されてからである。このことは、保護だけでは"女性の解放”に限界があることを暗示している。最近、#MeeTooとか#Kutooのような、一般の人たちの理解を得やすい地道な活動が活発になってきたことに拍手をおくりたい。

(9) 植民地問題として

韓国が慰安婦問題に強硬な態度をとるのは植民地問題が関係しているからである、というより、慰安婦問題より植民地問題の方を重要視している。だからこそ、慰安婦問題がナショナリズムと結びつき、それに反応した日本の否定派の強い反発を呼び、それがまた韓国側の強硬さに拍車をかける、という悪循環になっている。
ところが、日本の研究者の著作で植民地問題を論じているものは少なくとも筆者が目を通した40冊ほどのなかにはまったくない。

朴裕河氏は植民地問題で日本は謝罪すべきだというが、過去の村山談話などで「植民地支配」という言葉を含めて謝罪した例はあるが、植民地支配だけを取りあげて日本政府が謝罪するのはほとんど不可能であろう。

日本が韓国を併合した経緯については3.9節に記したが、併合条約が締結された1910年は、まだ世界の植民地主義が猛威をふるっている時代だった。註51-2

転換点になったのは1918年にアメリカのウイルソン大統領が、第一次世界大戦の講和原則として発表した「14か条の原則」だった。そこには秘密外交の禁止、軍備の縮小、国際連盟の設置などと並んで民族自決の原則がうたわれた。ただ、この時点で植民地解放が行われたのは、ヨーロッパだけでアジア、アフリカなどその他の地域は「委任統治」の名のもとに植民地は継続した。

伊藤博文は当初、韓国併合に反対していたが、のちに合意する。なぜ、彼が反対していたかは不明だが、独自の歴史と文化をもち領土や人口も多い国を併合することに無理を感じたのだろう。どこかで読んだ記憶があるのだが、伊藤は「硬論(=強硬論)を通すのは簡単だが、軟論(=軟弱論)を通すのはとてもむずかしい」と言っていたという。強硬論は威勢がよくてカッコよく見えるが、陰に大きなリスクが潜んでいることが多い。日本は韓国併合後、軟論を退け、世論の支持を受けた強硬論で戦争に向かって突っ走っていく。強硬論はまず疑ってかかる、それを教訓としていきたい。


5.1節の註釈

註51-1 独ソ戦のレイプ

{ ナチによる絶滅戦争では、性暴力はこうした、合法ではないが、それでも許容される行為に属していた。たしかに強姦は時折、軍法会議にかけられ、加害者に有罪判決が下されることもあった。しかし、それはすべての性暴力のほんの一部でしかなかった。… そのため、部隊の指揮官は、兵士たちに好都合な空間、すなわち兵士たちが性暴力をふるうことができ、しかもそれは戦時下の日常では許容される、ふつうのことだと理解しうるような空間を解放したのである。}(レギーナ・ミュールホイザー:「戦場の性」、P225)

註51-2 19世紀末の植民地状況

植民地化の時期は、下記による。
 琉球王国; Wikipedia「琉球王国」
 ハワイ; Wikipedia「ハワイ併合」
 その他; Wikipedia「植民地主義」