日本の歴史認識慰安婦問題第4章 活動の軌跡 / 4.4 アジア女性基金 / 4.4.4 法的責任か道義的責任か

4.4.4 法的責任か道義的責任か?

図表4.6(再掲) アジア女性基金

アジア女性基金

(1) 国家補償に関する各派の主張

アジア女性基金は、法的な根拠に基づいて国家が公式に謝罪し補償するものではなく、道義的責任を認めて国民と政府が拠出したお金で謝罪と補償をするものである。吉見氏らの国家補償派は、このようなアジア女性基金に強く反発し、あくまでも国家による公式な謝罪と補償を要求した。一方、秦氏ら否定派は逆に国家が法的責任を認めることには絶対反対を叫ぶが、アジア女性基金による"民間"の補償については黙認する人が多い。和解派は国家補償が望ましいとしつつも、被害者である元慰安婦を最優先に考えて、現実的に対応可能なアジア女性基金を支持する。

 図表4.7 補償形態に関する各派の主張

補償形態に関する各派の主張

国家補償派(吉見義明氏)の見解

{ アジア女性基金は、被害者の意志をきちんと聞かなかったために、韓国と台湾の被害者の名誉回復には失敗してしまった。… 当時、基金を推進した人々には日本政府は「この程度までしか受け入れないから、それ以上は無理だ」という考えがとても強かった。加害者側の思いを中心に考えるからだ。…
つぎの世代のことを真剣に考えるのであれば、「明確かつあいまいさのない形で」責任を認めて謝罪することが必要だろう。}(吉見義明:「真の解決に逆行する日韓"合意"」,雑誌「世界」2016年3月号,P130-P131)

否定派の見解

藤岡信勝氏など主な否定派は、「国家補償には反対するが、アジア女性基金は民間による補償なので黙認する」という姿勢のようだ註444-1
秦氏は、フィリピンの慰安婦のように性的暴行を受けたのは確かだが、それを裏づける傍証がないような場合はアジア女性基金で救済するのがよい註444-2、と基金の存在意義を認めている。また、資料委員としても参画している。

和解派(熊谷奈緒子氏)の見解

{ 法的補償をもって究極の和解とするリベラルの議論は、何が真の和解かを柔軟に検討する余地をなくした。・・・ 法的補償の優越性を教条的に支持しても、法が道徳より生じるという考え方からすれば、法的責任が道義的責任よりも優位にあるということは必ずしもいえない。…
何をもって日本政府の真の謝罪と解釈するかは各被害者なのである。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」、P146-P147)

(2) 法的責任と道義的責任のちがい

国家補償派も否定派も道義的責任より、法的責任の価値を認めているかのようにみえるが、大沼氏は、「法は最低限の社会規範であるのに対し、モラルも含む広い範囲を包含したのが道義」だという。そして、それぞれの責任を次のように定義する。(大沼:「慰安婦問題」,P158<要約>)

・法的責任; 法とは、社会構成員すべてに適用される最低の道徳であり、専門的・技術的な性格を持っている。真摯な、心のこもった、国家としての正式の謝罪とは別の次元で別の根拠に基づいて、第三者機関たる裁判所によって認定され、強制されるものである。

・道義的責任; 道義的責任には、責任の認定と基準に関する専門技術的な要件も、裁判所という第三者認定機関もない。道義的責任は、きわめて真摯な、被害者の心に届くかたちで果たされることもあれば、便宜的・政治的考慮にもとづく不誠実な責任回避がなされることもある。

国家補償派と否定派が法的責任にこだわるのは、大沼氏も指摘するように、法を重要視する世界的風潮や法による強制性と客観性にあろう。(同上,P159-P161) すなわち、国家補償派はこうした強制性や客観性により後世まで継続する国の基本的考え方として、慰安婦問題や旧日本軍の問題を国内や世界に認知させようとし、逆に否定派はそれを拒絶した。被害者である元慰安婦の視点は無視され、国家の問題としての議論になっている。

(3) 責任のはたし方

法的責任しろ道義的責任しろ責任をとるにあたって大切なのは、それを受ける被害者及び評価する第三者の印象である。
大沼氏は、その評価要素として、①ことば、②しぐさ、③物質的・金銭的補償、④償いの姿勢の共有、⑤再発防止の努力、の5点をあげる。ドイツが戦争責任を真摯に果たしているといわれる理由のひとつにヴァイツゼッカー大統領が語った言葉註444-3や、ブラント首相がユダヤ人墓地の前で真摯な態度でひざまずいた行為註444-4があげられるが、残念ながら日本にはそうした演出をした国家指導者はいなかった。また、指導者が償いの姿勢を示す一方で、日本の政治家や著名人のなかには「慰安婦は公娼であり、補償の必要はない」といった類いの見解を公然と主張する者が絶えなかった。これでは、国家補償であろうが"民間"補償であろうが、真摯な償いと見られないのは当然である。(同上,P168-P174)
ちなみにドイツでは、「ナチスを容認するような発言は禁止」という法律がある。

(4) 法的な闘いの見通し

法的責任を実現するためには、裁判で勝つ、政府が法解釈を変える、特別法を制定する、などの方法により日本国政府の名で謝罪や賠償を実施することになるが、3.7節や3.8節で述べたように、裁判の勝訴や法解釈の変更は非現実的であり、特別法についてもきわめて困難だった、と大沼氏は述べる。

{ 1990年代には細川・羽田・村山政権の下で侵略戦争と植民地支配を反省する国会決議の論議が現実味を帯びる一方で、それを支える歴史認識に対する多数の国会議員の反発が予想された。そうした反発は自民党だけでなく、野党でも強かった。国会での力関係を考える限り、立法による慰安婦問題の解決はとうてい現実的な選択肢とは思えなかった。仮に立法をめざす運動を強力に展開したとしても、政治的な力関係が変わるまでには数年から10年という時間がかかってしまう。その前に多くの元慰安婦は亡くなってしまうだろう。被害者の多数が亡くなっている状況でのそうした勝利は虚しいものでしかない。}(同上,P152-P153)

(5) 元慰安婦の視点

多くの元慰安婦と接してきた大沼氏は次のように述べる。

{ 元慰安婦の気持ちは多様だった。天皇に謝って欲しい、責任者を罰して欲しい、補償金額は安すぎる、自分を蔑んできた親族縁者に謝らせたい、… 。彼女たちはアジア女性基金から償いを受け取って、つかの間の満足感や尊厳の回復感を感じたであろう。メディアや支援者が「国家補償がよいもので民間基金による補償は私的なもの」と繰り返す中で、国家補償であれば、元慰安婦たちの満足度は多少はあがったかもしれないが、いずれにしても完全な満足はありえないだろう。
ただ、彼女らの多くは、人生とは思うようにならないことがたくさんあり、どこかで折り合いをつけながら生きていくものであることを知っていたのではないだろうか。こうした視点で見れば、国家補償とは、どれをとっても完全な償いはあり得ない償いのなかで、相対的には「基金による償い」よりは多少はましな、しかし実現可能性のきわめて低い償いのありかただった。}(同上,P204-P207<要約>)

(6) ドイツの場合

アジア女性基金と同様に道義的責任に基づいて設置された基金にドイツの「記憶・未来・責任」基金がある。熊谷氏がこの2つを比較している。

基金の概要

ナチス政権下で行われたドイツ企業による強制労働被害者らへの補償を行なうための基金で、2000年に設立され、2001年6月から補償が開始された。東欧はじめ世界およそ100か国の約166万人以上の人々に合計44億ユーロ(2007年当時で約7040億円)を支払った。基金総額は101億マルク、そのうち政府が半額を拠出し、残りをナチス政権下で強制労働を行なったフォルクスワーゲン、ジーメンス、バイエルなど約6500のドイツ企業が参加した。補償はポーランド、ウクライナ、ロシア、ベラルーシ、チェコなどにある人道組織を通じて支払われ、1人あたりの補償額は2560~7670ユーロ(約27万~80万円)
ドイツ政府は連邦補償法を軸にナチスによる迫害の被害者へ1060億マルク(約5兆6千億円)などの補償をしたが、強制労働は戦争につきものの行為として補償対象外にしてきた。しかし1990年代後半にアメリカにおいてドイツ企業を相手取った強制労働訴訟やドイツ製品ボイコットなどが相次いだことが設立のきっかけとなった。(コトバンク:「記憶・責任・未来」基金、<日本大百科全書>)

アジア女性基金との類似点と相違点

熊谷奈緒子氏は、類似点に「企業の及び腰、基金集めの難しさ、道義的責任としての補償、両者ともリベラル政党による政治主導」をあげ、相違点に「準備段階における関係国との合意の有無、基金の法的基盤や法的安定性の維持、財団の運営方法など」をあげている。(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P167)

{ 総じて言えることは、ドイツ側の方がすべての国内外の関係者との十分な話し合いに基づく合意ができあがってから活動していることである。また、ドイツの基金の設置法は連邦議会によって可決されているが、アジア女性基金は政府の決定だけだった。
訴訟が起きていたアメリカはこれらの訴訟はアメリカの利益に合致しないと宣言し、ドイツと政府間協定を結んだ。この合意はドイツ企業の利益やイメージの失墜を防ぐという経済的実利と法的安定性を重視するもので、補償を受けた被害者は訴訟を起こさないことが条件とされた。(アジア女性基金にはそのような制約はない)
ドイツでは犠牲者の出身国に事業提携する協力的なパートナー組織があったが、女性基金の場合、フィリピン、台湾、韓国の政府や支援団体と十分な話し合いをすることができなかった。
さらに、ドイツの場合は経済的利益ということで政府と企業の間に明確な共通項があったが、女性基金の場合、慰安婦問題が強制労働という側面だけでなく性的問題も含み、責任意識を共有しにくかった。}(同上,P167-P170)


4.4.4項の註釈

註444-1 藤岡信勝氏の姿勢

{ 藤岡信勝は「慰安婦の女性は、職業としての売春婦」で「慰安婦の強制連行の事実はなかった」との認識から、国家補償には反対するが、基金の事業は必ずしも否定していない。}(秦「戦場の性」,P296)

註444-2 秦氏のアジア女性基金評価

{ 1944年秋から約1年、フィリピン全土は戦火の嵐に席巻された。送り込まれた日本軍60万の内50万人が戦死し、100万人前後の現地住民が死んだとされる惨烈な戦場で、何が起きたとしても否定のしようがない。
彼女たちの申し立ての多くは事実を反映していると想像するが、逆に傍証のために死者たちを呼び戻す法もない。そうだとすれば、アジア女性基金のような民間ベースの救済がもっともふさわしいし、実際に受け取り意志を最初に表明したのも、この国の女性たちであった。}(秦「戦場の性」,P196-P197)

(1998年6月)

註444-3 ヴァイツ・ゼッカー大統領の言葉

西ドイツの大統領だったヴァイツ・ゼッカーは、1985年5月の連邦議会で次のような演説をした。

{ ひとつの民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば 否認し通した罪もあります。
充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは 今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。 ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら 先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去 に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。}(Wikipedia:「リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー」)

註444-4 ブラント首相の謝罪

西ドイツは1970年12月にポーランドとの間でワルシャワ条約を締結した。この条約により第2次大戦後に西ドイツ国内で保守派から反対されてきたポーランドの西部国境を承認し、そのほかの一切の領土についての返還請求権を放棄した。この時ブラント首相は首都ワルシャワで、ユダヤ人ゲットー跡地を訪ねユダヤ人犠牲者追悼碑の前で跪いて献花し、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺について謝罪の意を表した。(Wikipedia:「ヴィリー・ブラント」)