日本の歴史認識慰安婦問題第3章 主な論点 / 3.3 慰安婦は高給取り?性奴隷?

3.3 慰安婦は高給取り?性奴隷?

慰安婦は高給取りで兵士などと比べて恵まれた生活をおくっていた、という主張がある一方で、そんなことはない!報酬ももらえず行動も制限されてたくさんの兵士の相手をさせられるなど、奴隷のような生活を強いられた、という主張もある。後者を主張する人たちは慰安婦を性奴隷だったと呼ぶ。
すでに2.5節を読まれた方は、おわかりになるだろうが、慰安婦の中には借金を返済し多額の貯金をして故郷に送金した人もいれば、そんな余裕もなく不妊やPTSDなどの後遺症だけをかかえて帰ることになった慰安婦もいた。

 図表3.2 慰安婦は性奴隷?

慰安婦は性奴隷?

(1) 慰安婦は高給取り!… 否定派(秦氏)の主張

秦氏は、兵士や従軍看護婦、内地の娼婦などと比べて慰安婦は高給を得ていた、という。

{ 内地では戦争中に吉原の玉割註33-1が25%から40%へふえた頃、戦地では50%が普通で末期の沖縄のように70%まで上昇したところもあった。… 収入金額でみると、内地の5倍以上、平壌遊郭の女たちに比べると10倍以上を稼ぎだしていたことが知れる。前借金を早ければ数か月で返済し、あとは貯金や家族への送金にまわすことができた。文玉珠の場合は売れっ子だっただけに、3年足らずで2万5千円を貯金し、うち5千円を家族へ送金している。今なら1億円前後註33-2の大金である。…
ただし、慰安婦が体を張って稼いだ軍票は日本の敗戦と同時に紙屑と化した。
ビルマでは軍票をつめたリュックを背負って退却する彼女たちの姿をみかけた兵士の手記がいくつもある…
悪質な業者のなかには、何かと名目をつけて彼女たちの稼ぎ高を強制貯蓄させ、払わなかった例もあったようだ。… 楼主の不払いは意外に多かったとも思われるが、それもまた終戦で紙屑になってしまたことであろう。
兵士たちの生活条件と比較してみる必要もあろう。… 二等兵の月給は7円50銭、軍曹が23~30円、戦地手当をいれても約倍額にすぎず、慰安婦たちの10分の1ないし100分の1である。中将の年俸でも5800円だから、文玉珠クラスになると、在ビルマ日本軍最高指揮官より多く稼いでいたことになる。… 18歳で見習看護婦として山西省の陸軍病院に勤務した木内幸子は3年働いて約千円の貯金を作り、故郷に小さな家を買ったと回想している。}(秦:「戦場の性」,P392-P395)

 図表3.3 慰安婦の待遇

慰安婦の待遇

出典:秦「戦場の性」,P388-P389 表12-8より抜粋

(2) 慰安婦は高給取り? … 国家補償派の反論

{ 兵士は慰安所に入るときには、料金を支払った。しかし名乗り出ている被害者の証言では、報酬を得ているのはむしろ少数だ。なぜ、兵士は料金を支払うのに、その金が「慰安婦」に渡されないのだろう。業者が徹底した搾取をしていたからである。…
ビルマのミッチナ陥落後、… 2人の日本人業者にたいして米軍がおこなった尋問報告註33-3に慰安婦集めや慰安所での金の動きが記されている。… 慰安婦一人のかせぎの最高額は月に約1500円、最低額は約300円だった。経営者と慰安婦の取り分は50%ずつである。ただし、慰安婦はかせぎの50%のほかに最低でも150円を業者に支払わなければならなかった。業者は食料や日用品などの代金として多額の請求をしたうえ、衣服、奢侈品などを法外な値段の諸経費のほかに、前借金ときわめて高率な利子を支払わなければならなかったから、ほとんど手元に残らない仕組みになっていたのだ。また、前借金の額によって拘束期間は6カ月から1年とされていたが、前借金返済後も戦況の悪化を理由に帰国を認められた者はいなかったことも報告されている。…
慰安婦のかせぎを搾取し金もうけをしていた業者が、人権侵害の主犯かといえば、それはそうではあるまい。慰安所制度をつくりだし、慰安所設置を指示し、運営についても監督した軍にその責任があることはいうまでもない。…
なお、中国やフィリピン、インドネシアなどの戦地や占領地では、… 多数の兵士に継続的に輪姦されたりしたケースが少なくない。もちろん業者は介在しておらず、… 文字通り性奴隷状態におかれたわけだが、このような場合には、金銭の授受はいっさいおこなわれていない。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P61-P62<執筆者:川田文子>)

国家補償派の反論は歯切れが悪いが、2.5.3項で述べたように朝鮮人元慰安婦の多くは報酬をもらっていないと証言しており、業者がネコババしたか、年季契約のような形にしていたか、あるいはもともと無償で働かせようとして誘拐してきたか、であろう。否定派はお金をもらった慰安婦だけに注目しているが、もらっていない慰安婦が少なからずいたこと、そしてそれは朝鮮などの植民地や占領地の女性に多かったことは間違いないだろう。

(3) 慰安婦の生活状況 … 否定派(秦氏)の主張

秦氏は、過酷な環境もあったが平均的には内地の娼妓などと比べて同等レベルだったと述べている。

{ 過酷かどうかはかなり主観が入るので、主として規定と実状の両面から国内の公娼制と比較しつつ検分したい…
よく好奇的な話題にのぼるのが接客頻度の濃密さである。「3時間で76人こなした女がいましたよ」とか「最悪時には100名も…」…のたぐいだが、かなりの誇張があることは否定できない。内務省統計では、遊客約3千万人に娼妓3.5万人(1940年)と記載されているから、平時の内地遊郭では一人が一日平均2~3人を迎えていた計算になる。… 当然繁閑の差はあって、玉ノ井私娼窟で元日に19人、なかには40人の客をとったとあるから、物理的限界は数十人規模と考えてよさそうだ。
戦場慰安婦の場合、戦況や兵士たちの外出日(週1回)に制約されるから、繁閑の差はさらに大きかったと思われる… 兵士と慰安婦の数が不均衡の場合、彼女たちの労働が過重になったことはあるにしても、平均的には内地の遊里と似たりよったりだったと考えてよいのではないか。…
もちろん、慰安婦たちに乱暴を働らく将校や兵士が時にいて手を焼いた事実は否定できない。だが、雇い主にとっては大金をつぎこんだ大事な営業財産であり、軍にとっても欠かせないサービス集団だから度を超した虐待は例外的だったと思われる。…
廃業の自由や外出の自由についていえば、看護婦も一般兵士も同じように制限されていた。この点は、現在のサラリーマンも変わらない。
年齢では少年飛行兵、海軍年少兵など15歳前後、従軍看護婦は17歳でも戦場へ出動していた。芸妓の仕込っ子は9歳前後から訓練され、小学校卒(12歳)と同時に客を取らされるのが内地の慣例だった…
かれこれ総合して「従軍慰安婦の方が民間より待遇がよかった」(倉橋正直)と判定する人もいるが、「兵隊も女もどちらもかわいそうだったというより外ない」(伊藤桂一)のかもしれない。}(秦:「戦場の性」,P392-P395)

(4) 慰安婦の生活状況 … 国家補償派の反論

{ フィリピンのイロイロ出張所慰安所規定には「慰安婦及楼主に対し暴行脅迫行為なき事」という規定がある。… こうした規定がつくられたのは慰安婦らにたいする"暴行脅迫行為"が起きていたからだ。実際、軍人から受けた暴行脅迫を多くの被害者が証言している。…
他の性サービス産業に従事する女性たち同様、慰安婦も性的"慰安"にとどまらず、笑顔や明るくふるまうことが軍人や業者から求められた。「態度が悪い」「マッサージをするときそっぽを向いた」という理由で殴られたなどの証言がそのことを示している。…
慰安所利用規則には、慰安婦の行動を制限する規定がある例が少なくない。たとえば、フィリピンのイロイロ市にあった第一慰安所では、… 「慰安婦散歩は毎日午前8時より午前10時までとし…」散歩区域を第一慰安所と亜細亜会館のそばの公園周辺に限定している。明らかに"外出の自由"はない。…
また沖縄に在住していた最初の証言者ペポンギさんも散歩できたのは、慰安所より海側の方向だけだったと語っていた。… このように慰安婦の行動の自由が制限されたのは、主として逃亡防止と防諜の必要性からである。
そもそも女性にとってきわめて過酷な不特定多数者への性的「慰安」の強要は人身拘束を厳重におこなわなければできることではなかった。… 前借金で人身を拘束し、外出を制限し、業者は慰安婦の逃亡には細心の注意をし、大きな慰安所街では憲兵や担当の軍人が巡回するなかで"慰安"の強要は行われたのである。逃亡防止のため刺青を彫られた慰安婦もいる。…
スポーツ行事(運動会)や夕食会や宴会は軍主催の慰問行事であり、そこに慰安婦は場をもりあげる女性としてかりだされたのであって、慰安婦のための慰労行事ではなかった。買い物も自由にできたわけではなく、都市部においてのみ、許可制であった … }(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P33-P37<執筆者:川田文子>)

秦氏も川田氏も同じ就業規則を見ているが、見る人によってこれほど見かたが異なるのである。場所にもよるが、慰安婦にとっても同じで、拘束感を強く感じる人とほとんど感じない人といたのではないだろうか。秦氏が言うように現代のサラリーマンもさまざまな制約のなかで仕事をしているが、そうした制約と同列にみるのは無理があると思う。また、厳しい環境の中で仕事をしたことによる職業病や後遺症のようなものは通常の仕事にもあるが、慰安婦の場合、自殺、不妊症、生殖器関連障害、アヘン中毒、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの後遺症を抱える人たちが極めて多いのも事実であろう。

(5) 慰安婦は性奴隷?

慰安婦を性奴隷(Sex Slave)と最初に呼んだのは、1992年2月に国連人権委員会で慰安婦問題を取り上げるよう訴えた戸塚悦郎弁護士である註33-4。その後、日本の国家補償派だけでなく、韓国などでもこのことばを使うようになり、クマラスワミ報告書でも使われた。

国家補償派(吉見義明氏)の主張

公娼制度では前借金によって娼妓を拘束し、廃業の自由なども制約されており、"事実上の性奴隷制度"である。当時の廃娼運動も、「公娼制度は人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の奴隷制度なり」(廓清会婦人矯風会連合「公娼制度廃止請願書」1926年) といっている。
公娼制度が、"事実上の性奴隷制度"であれば、慰安婦制度には、外出の自由、廃業の自由などの外見上の保護規定すらないので、文字どおりの性奴隷制度ということになる。(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P58-P59<要約>)

吉見氏は奴隷条約の定義にも合致する、という。

{ 奴隷制の定義は、1926年の奴隷制条約で確立している。それは「奴隷制とは所有権に伴う権限のいずれか若しくはすべての権限が行使される人の地位又は状態をいう」というものだ。… "所有権に伴う権限"の行使とは、人に対する支配であって、その使用、管理、収益、移転、または処分に依り、当人の個人としての自由を重大に剥奪するものと理解すべきである。通例、その行使は、暴力、欺罔及び/又は強要などの手段に支えられて達成される}とされている。}(吉見義明:「真の解決に逆行する日韓"合意"」,世界2016年3月号)

この定義は極めて包括的で、判断次第でどうにでも判断できてしまいそうである。例えば、慰安婦を奴隷というのであれば、兵士も間違いなく奴隷だし、さらに当時の軍上層部を除く国民全体が奴隷と定義することすらできてしまう。

否定派(秦郁彦氏)の主張

吉見氏は4つの自由(居住、外出、廃業、接客拒否)がなかったから、「慰安婦は性奴隷だった」という。しかし、戦地であるがゆえに居住の自由は問題外だが、米軍に捕えられた捕虜の尋問書によれば、外出、廃業、接客拒否の自由は、北ビルマ(ミッチナ)で認められていた。

{ 何よりも月収750円といえば兵士の約70倍、内閣総理大臣とほぼ同額の高額所得者を性奴隷と呼ぶのは失礼ではあるまいか。}(秦郁彦:「慰安婦問題の決算」,P22<要約>)

秦氏は、学術書である「戦場の性」では感情を抑えているが、雑誌への投稿などではホンネ丸出しで書いている。上記はその例で、慰安婦はみんな奴隷とは無縁な高給取りのように聞こえるが、慰安婦の生活は他場所に比べれば贅沢と書いている一方で、楼主に搾取されて苦しかったとも書かれている。また、750円は最高額で慰安婦全体が総理大臣のような給与をもらっていたわけではない。

和解派の主張

1.2節(2)にも記したように、和解派の熊谷奈緒子氏は、奴隷とは一般には他人の所有物として扱われ、強制的支配の下、労働に対価を与えられず、時に売買の対象にもなりうる存在、と定義した上で、慰安婦は、管理はされていたが支配されているわけではなく一定の行動の自由はあった、対価ももらっていた、として"性奴隷"という呼称は不適切、と述べている。(詳しくは 註12-3(ページ外) を参照)

朴裕河氏は、植民地の女性の視点から次のように述べる。

{ 朝鮮人慰安婦は、植民地の国民として、日本という帝国の国民動員に抵抗できずに動員されたという点において、まぎれもない日本の奴隷だった。朝鮮人としての国家主権を持っていたなら得られたはずの精神的な「自由」と「権利」を奪われていた点でも間違いなく奴隷だった。
しかし、慰安婦="性奴隷"が、「監禁されて軍人たちに無償で性を搾取された」ということを意味する限り、朝鮮人慰安婦は必ずしもそのような"奴隷"ではない。}(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P143)

否定派は慰安婦生活の安楽な面に注目し、国家補償派は悲惨な面を強調する。双方が反対側の側面をみようとしないか、無視している。このように、様々な側面をもつ慰安婦を十把ひとからげに"性奴隷"又は"高給取り"と呼ぶのは正しくない。


3.3節の註釈

註33-1 玉割(ぎょくわり)

芸娼妓が所得する玉代の割前。(Weblio辞書)

註33-2 25千円の現代価値

1944年の25,000円は、秦氏の本が刊行された1997年の12,498,173円(CPI)、21,608,343円(GDP) にあたる。

CPI: 消費者物価指数をもとに換算、GDP:GDPデフレーターによる換算

(出典:「日本円貨幣価値計算機」)

秦氏は1億円と言っているが、しかるべき計算方法で計算すると12百万余から21百万余ということになる。
西岡氏は次のように述べているので現在と比べて土地や家屋の価格が他の物価に比べて格段に安かったのかもしれない。

{ その頃、5000円あれば東京で家1軒買えたというから…}(西岡力:「よくわかる慰安婦問題」,P94)

註33-3 ミッチナの捕虜尋問書

全文は『小資料集』を参照。

註33-4 "性奴隷"の由来

{ 国連人権委員会に初めて慰安婦問題が持ち込まれたのは。1992年2月である。… 戸塚悦郎弁護士が2月25日、人権委員会で慰安婦問題を取り上げるように要請したのだ。… これが国連での初めての慰安婦問題提起だった。このとき、戸塚は、慰安婦を「性奴隷」だとして、日本政府を攻撃した。}(西岡力:「よくわかる慰安婦問題」,P162-P163)

戸塚氏は、龍谷大学教授で国際人権政策研究所事務局長。政治的立場について「私は左翼じゃありません。むしろ、保守、ナショナリスト」といっている。(Wikipedia:「戸塚悦郎」)