日本の歴史認識慰安婦問題第1章 概要 / 1.2 論争の視点と論点

1.2 論争の視点と論点

南京事件の論点が主として歴史事実の認識に関するものであるのに対して、慰安婦問題では人道問題としての女性の人権や植民地支配の問題、さらには日韓基本条約などを含む法的問題の要素も大きく、複雑な様相を呈している。女性の人権の視点での指摘は、日本はじめ世界のフェミニストたちが行い、植民地支配の問題は韓国や国家補償派の人たちが指摘している。

図表1.2 論争の構造

論争の構造

(注) 国家補償派/和解派/否定派の定義については、本レポートの「はじめに」を参照。国家補償派は日本の国としての法的責任を認めた上での賠償を主張し、和解派は国の道義的責任を認めて賠償することを支持し、否定派は国の責任を認めない(民間ベースで補償することを認める人もいる)人たちである。

以下、主な論点について概説する。

(1) 強制連行はあったか?

論争初期に最も注目された論点が、慰安婦の徴募にあたって官憲による組織的な強制連行がおこなわれたかどうか、であった。労務報国会という戦争協力のための団体に所属していた吉田清治という人が、自分は韓国済州島で慰安婦の強制連行を行った、と告白しており、これを信じた朝日新聞をはじめ多くの報道機関が強制連行を盛んに報道した。のちに秦郁彦氏の調査により吉田清治氏の証言は虚言だったことが判明註12-1し、本人もそれを認めた。この証言が強制連行を裏づける唯一の証拠であったが、それが虚偽だとわかったため、否定派はいっせいに「強制連行はなかった!」と主張したが、国家補償派は「だまして連行したのは広義の強制連行にあたる」註12-2として、強制連行は存在したと主張し、そのまま現在にいたっている。

朝鮮などで慰安婦を集める際に、看護のような仕事、などとだまして集めたのは事実であり、これを「広義の強制連行」とするかどうかはさておき、本人の意志に反して連行したことは間違いない。

(2) 慰安婦は性奴隷!?

慰安婦を英語では、"Comfort Woman"というが、日本語の"慰安"という言葉も慰安婦の実態を表していない、慰安婦は極度に自由を奪われた環境で性サービスを強要されており、"Sex Slave" 「性奴隷」と呼ぶべきである、フェミニストや国家補償派はこのように主張する。後述する国連のクマラスワミ報告書でもこの言葉が使われている。

しかし、熊谷奈緒子氏は、慰安婦にはお金が支払われていた、管理はされていたが支配されていたわけではない、一定の行動の自由はあった、などから、「性奴隷」という概念は慰安婦の現実を反映しておらず、不適切である註12-3、と述べている。

インドネシアやフィリピンで現地女性を強制的に連行して慰安婦として使ったような場合は、性奴隷といってよい状態たったかもしれない。しかし、そうしたケースを除き、多くは性奴隷というような状態ではなかったであろう。元慰安婦の方々が「性奴隷」と呼ばれることを、気持ちよく受け入れるとは思えない。

(3) 慰安婦の数

慰安婦は軍の構成員として認められた存在ではなかったので、人数を管理するような資料は作成されておらず、研究者がそれぞれの方法で推定するしかない。韓国の慰安婦支援団体のリーダである尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏は40万人(うち朝鮮人10~20万)、国家補償派の吉見氏は5万~20万、秦氏は2万人、と推定している註12-4

民族別では、ほとんどの研究者は朝鮮人が最も多いと推定しているが、秦氏は日本人40%で朝鮮人は全体の20%としている註12-5

(4) 挺身隊との混同

論争の初期、韓国では、慰安婦は挺身隊の名で強制連行された、と考えられていた。挺身隊は、日本が国家総動員法に基づいて行った勤労動員の一つであり、内地だけでなく植民地でも工員などとして未成年の女性も含めて動員されていた。韓国の元慰安婦支援団体の名称も「挺身隊問題対策協議会」(略称:挺対協)となっていた。なお、同団体は2018年7月に「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(略称:正義連)に改称している。

朝鮮で未成年の女子を含めた挺身隊の動員が始まったのは1944年からで、朝鮮ではその頃から、挺身隊に応募すると慰安婦にされる、といったウワサがあり、戦後もそれがずっと信じられてきたようだ。挺身隊に動員されたのは、学校に通っていた教育レベルの比較的高い少年少女が対象だったのに対して、慰安婦の多くは貧困家庭の出身であった。富裕層出身の挺対協リーダ尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏は、通学していた学校で挺身隊の募集があると聞き、学校を中退している註12-6

挺身隊=慰安婦論は、特に朝鮮における慰安婦の強制連行を示す根拠のひとつとなっていたが、現在ではそのような誤解はなくなったと思われる。

(5) 他の国にも同様の制度はあった!?註12-7

各国の「慰安婦制度」については秦氏の調査が最も詳しい。アメリカやイギリスでは、故国の女性の監視が厳しかったこともあって、現地の私娼を黙認し、疑似的とはいえ「自由恋愛」の建前で押し通した。そのかわり性病の発生率は高かった。日本と同様の慰安所を設置したのはドイツ軍で、500か所の慰安所があり、日本軍の仕組みと瓜二つだったという。また、ソ連軍は、慰安所は設置しなかったが、軍幹部が半公然とレイプによる「復讐」を奨励し、第二次大戦末期にはドイツと満州で大規模なレイプをくり広げた。

よく引き合いに出されるのが、戦後の日本占領時や朝鮮戦争、ベトナム戦争のときのアメリカ軍である。いずれも、アメリカ軍が慰安所を設置したのではなく、日本や韓国が設置した「慰安所」を米兵が利用した。日本占領時に日本政府が設置したRAA(Recreation and Amusement Association、特殊慰安施設協会)は、米国本土からの圧力により半年ほどで閉鎖され、米兵向けの私娼が暗躍することになる。韓国では、朝鮮戦争のときに日本の慰安所とそっくりの制度ができ、現在も駐韓米軍向けの売春宿があるという。

(6) 慰安婦=公娼!?

「慰安婦制度は当時合法だった公娼制の戦地版であり、慰安婦は報酬をもらって性を売る職業人だ」、否定派の政治家や著名人からはこうした慰安婦制度合法論が聞こえてくる。

フェミニストの藤目ゆき氏は、「近代公娼制度は軍国主義、帝国主義とともに生れ育った性奴隷制度であり、それを土台にして作られた慰安婦制度もまた性奴隷制度である。政府は、公娼から巨額の税金を搾取し、表面的には自由意思をうたいながら人身売買を事実上認めていた、など欺瞞性に満ちた制度だった」と非難している。一方で、「慰安婦制度は公娼よりはるかに厳しい環境での営業を強いられた」とする慰安婦≠公娼論に対しても、それでは公娼制度が悪法であることをぼやかされてしまう、と慰安婦≠公娼論も否定する註12-8

国家補償派の川田文子氏も公娼制度も慰安婦制度も女性の人権を侵害する悪法であると主張する註12-9が、当時の憲法や国際法に照らして違法な制度だとは言っていない。

現在、公娼が合法とされている国にはオランダ、タイ、ドイツ、アメリカのネバダ州などがあり、人権団体のアムネスティも「成年男女が合意の上で行う売春は犯罪とすべきでない」と主張している註12-10

(7) 慰安婦システムは合法!?

上述のように、否定派は「強制連行はなかったのだから、公娼制と同じ慰安婦制度は合法だ」と主張する。それを裏づけているのは、秦氏の次の主張であろう。

{ 現在の法常識では時効の問題を抜きにしても日本国が金銭的補償義務を負うのは、元慰安婦たちが「官憲の組織的強制連行」によってリクルートされたことが立証された場合に限られる。}(秦:「戦場の性」,P377)

これに対して吉見氏は、次のように主張する。

{ 日本が批准していた「婦人・児童の売買禁止に関する国際条約」では満21歳未満の未成年の売春や成年であっても詐欺や強制的手段を介しての売春を禁止している。イギリスや日本はこの条約を植民地に適応しないと言う条件をつけていたが、慰安婦の場合これを適用するのは困難、という国際法律家委員会(ICJ)などの見解もあり、この解釈は成り立たない。また、慰安婦制度は、「強制労働に関する条約」など他の国際法にも違反している。} (吉見:「従軍慰安婦」,P167-P170)

秦氏は、{この条約はザル法にすぎない}(秦:「戦場の性」、P32) と切り捨てているが、和解派で国際法の権威でもある大沼保昭氏は、{慰安婦制度が当時の国際法と国内法に反する制度だったことは、多くの法の専門家が同意するだろう。}(大沼保昭:「慰安婦問題とは何だったのか」,P143) と述べている。慰安婦関連の裁判でも上記のような国際法違反を認定する判決も出ている註12-11

国際法や国内法に違反する行為があったのは、間違いないだろう。それでもすべての慰安婦裁判で賠償請求が退けられているのは、国家無答責や除斥期間註12-12、1965年の日韓請求権協定などがその理由になっている。


1.2節の註釈

註12-1 吉田清治証言の検証

秦氏は吉田証言に疑問をもち、1992年済州島に飛んで、現地の新聞記者や古老などにインタビューした結果、吉田氏が証言しているような事件はなかった、と述べている。(秦:「戦場の性」,P229-P248)

註12-2 広義の強制連行

吉見氏は、吉田証言が信頼できないことを認めた上で、前借金でしばってつれていくことや看護の仕事などとだまして連れて行くことは広い意味での強制連行にあたる、としている。(吉見義明・川田文子:「従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実」,P22-P27)

註12-3 性奴隷は不適切

{ 「慰安婦」を法的に「軍性奴隷(Military sexual slaves)」と言うことはできない。なぜなら「軍性奴隷」は慰安婦・慰安所の多様な実態を示さないからである。奴隷とは一般には他人の所有物として扱われ、強制的支配の下、労働に対価を与えられず、時に売買の対象にもなりうる存在である。まず、官憲による慰安婦の強制連行や強制管理を示す公文書がなく、慰安所関連の文書や証言によれば「慰安婦」にお金が支払われており、日本軍によって性病検査などの「管理」はされていたものの、厳密な意味で「所有」されていたわけではないからである。確かに慰安所には、いわば就業規則のようなものがあり、これが慰安婦の行動の自由を制限した。しかしそうした一定の規則は他の職業にも存在する。これは所有権の一部を行使しているとは言えない。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P32)

註12-4 慰安数の諸説

秦:「戦場の性」,P405 表12-13による。吉見氏と秦氏は軍人数に対する慰安婦比率から算出している。吉見氏は軍人総数を300万人として、最小値を軍人100人に慰安婦1人、交代率1.5で5万人、最大値を30人に1人、交代率2.0で20万人、と推定している。秦氏は軍人総数を250万人として、軍人150人に慰安婦1人、交代率は満州・中国で1.5、南方は交代なしで、狭義の慰安婦は大目に見ても2万人前後、広義をとっても2万数千人、としている。尹貞玉氏の推定根拠は不明。

註12-5 慰安婦数(民族別)

秦氏も当初は日本人対朝鮮人の比率を3対7もしくは2対8と推測していたが、各地の慰安所の民族比率や外務省の公娼統計などから、朝鮮人はいわれるほど多くはなかった、と訂正している。(秦:「戦場の性」,P408-P410)

註12-6 挺身隊と慰安婦は違う!

1970年ごろの韓国の新聞でも挺身隊=慰安婦の記事が出ていた。1973年発行の千田夏光:「従軍慰安婦」でも挺身隊の名で連行されたという記述がある。(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P51-P57)

註12-7 他の国にも同様の制度はあった!

秦「戦場の性」、P145-P174

註12-8 “慰安婦=・≠公娼”論への批判

慰安婦=公娼論への批判は、藤目ゆき「慰安婦と戦場の性」,P33-P35、慰安婦≠公娼論への批判は、同書、P46-P47による。詳細は、弊サイト「小論報」R09 書評;藤目ゆき:「慰安婦問題の本質」を参照願いたい。

註12-9 公娼制度も女性の人権を侵害

{ 公娼制度下で女性の性を売買した主体は楼主や人材売買業者と買春する男性であったが、慰安所においても、「商行為」の主体は、軍のさまざま便宜供与を得て運営していた業者であり、利用者である軍人である。性を売買される女性が「商行為」の主体となることは管理売春のもとではあり得ない。}(吉見義明・川田文子:「従軍慰安婦をめぐる30のウソと真実」,P62)

註12-10 アムネスティの売春に対する方針

アムネスティJapan セックスワーカーの人権を擁護する方針に関して

註12-11 慰安婦裁判の判決

アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館HP

註12-12 国家無答責と除斥期間

・国家無答責; 大日本帝国憲法下では、国や公共団体の賠償責任を定めた法律がなかったことを理由に、戦時中の国家権力の不法行為から生じた個人の損害について、国は賠償責任を負わないとする考え方。(コトバンク)

・除斥期間; 一定期間権利を行使しないことにより,その権利を失うことになる期間をいう。(コトバンク)