最終更新日; 2007年05月18日

お墓参りと神社巡り [2005/10/08〜09]


いざ九州へ

自宅 - → 玖珂I.C. → 山陽、中国、九州自動車道

 懸案事項だった祖父母の墓参りに出かけるべく、ようやくスケジュールを確保して九州へと向かいました。 山陽自動車道は岩国−玖珂間が先日の台風14号で路面が崩壊したままの状態で、一般道を通り玖珂I.C.から高速へ上がります。 依然として復旧の目処は立っていないとの事で、西へ向かうのは相変わらず不便です。

祖父母のお墓参り

長崎自動車道 - → 佐賀大和I.C. → R263, 264 → 光照寺

 前回佐賀に行ったときには、鳥栖ジャンクションが非常に複雑で緊張を強いられました。 単純に右側へ誘導する道が有れば良さそうなものを一度ジャンクションを通過した後に、左へ旋回、更に右へ旋回と訳の判らない接続方法でした。 ところが今回は、新たな誘導路が設置され一発で長崎方面に曲がることが出来、大幅に改善されていました。 きっと我々以外にも、間違える人が沢山いて、苦情が多発したのではないでしょうか。

 さて佐賀大和I.C.を降りて佐賀市内へと向かいました。 佐賀駅の北側は来るたびに景色が変わっているような印象を受けます。 田んぼが次々に無くなり、道路も整備されているようです。
 お寺に着くと、お墓に水を掛けお花とお線香を手向けて、娘が無事に生まれ元気に育っていることを祖父母に報告しました。

光照寺
 

念願の鯉の洗い

光照寺 - → R207, 203 → 滝見屋

 お墓参りを済ませ、精進落としと言う訳でもありませんが、次の目的である『鯉の洗い』を食べに小城清水へと向かいます。 10年前に比べ麓の方に鯉料理の店が増えたような気がします。 いつも通りに一番上の駐車場に車を止めると、おなじみの滝見屋に向かいました。 店の方に二階に案内されると黙っていても『鯉の洗い』と『鯉こく』が出てきます。 というよりも、それ以外にはメニューがないと云った方が正しいかも知れません。 飲み物も勧められましたが、車で来ている旨を伝えるとあっさりと引き下がってくれました。

 久しぶりの鯉の洗いです、時々他所でも鯉の洗いを食べる機会がありますが、ここの洗い程美味しいと感じた事は有りません。 刺身の厚みなのか、温度なのか、酢味噌なのか判りませんが、こっしゅ(唐辛子をすり潰したもの)が案外ポイントなのかも知れません。 また、付け合わせのキャベツが独特です。 関東なら刺身のつまとして大根の千切りが出てくるのが相場だと思いますが、ここは大皿の上に金網を置き、その上に千切りのキャベツ、鯉の洗い、砕いた氷という組み合わせで出てきます。
 もう一品が『鯉こく』です。 ようは鯉のあらの味噌汁なんですが、これがまたなんとも言えず美味です。 洗いの方は流石にやめておきましたが、鯉こくの方は娘にも食べさせました。

滝見屋
鯉の洗い
鯉こく

叔父の家へ

滝見屋 - → R203, 207 → 佐賀市内

 鯉を堪能した後、佐賀市内に戻り叔父の家におじゃましました。 元々、祖父母が住んでいた所で今は代替わりをして、叔父夫婦が住んでいます。 突然の訪問にもかかわらず、歓迎して頂き、思わず長居をしてしまいました。

嬉野へ向かって

佐賀市内 - → R264, 263 → 佐賀大和I.C. → 長崎自動車道 → 嬉野I.C. → 和多家別荘

 予定より遅くなってしまい、一日目に祐徳稲荷神社まで廻る予定は断念し、神社は明日お参りすることにして、真っ直ぐにホテルに向かいました。 嬉野までは意外と近く、佐賀大和から小一時間で着いてしまいました。

和多屋別荘

 和多屋別荘はかなり大規模なホテルです。 ランクによって幾つかのブロックに分かれています。 我々は最も安いコースでしたので、タワー館に案内されました。 安いだけあって室内の管理状況は今ひとつです。 壁紙は剥がれかかっているし、部屋にある浴槽には染みが残っているし、蛇口には緑青が浮いていました。

 我々の部屋は大浴場から最も離れており、ホテル内を5分程歩いた所に有りました。 云って見ればホテルの端から端へ移動する雰囲気です。 驚いたことに、大浴場には三助さんが居て、浴場内の整理を行っていました。 三助さんを見るのは初めてです。
 料理は別室(個室)で戴きました。 部屋の清潔さとはうって変わって、食事は大変美味しく頂きました。 娘が興奮して、個室から抜け出してしまうのには往生しましたが。

祐徳稲荷神社

和多屋別荘 - → 祐徳稲荷神社

 宿に泊まるといつも感じる事ですが、宿泊前は仲居さん等が出迎えてくれて荷物も部屋まで運んでくれますが、翌朝はそのようなサービスは一切ありません。 お土産等を購入して荷物が増えている場合もあるのに、なんか納得出来ません。
 さて、和多屋別荘を後に祐徳稲荷に向かいました。 「神社は午前中にお参りしろ」と言われていますが、確かに午前中のお参りは清清しいものがあります。

 祐徳稲荷は想像以上に立派な神社でした。本殿が櫓を組んだ上に立てられており、なかなか圧巻です。 神社の入り口に神社の配置図を示す案内板がタイルで出来ていました。 土地柄を感じ、なかなか興味深い物がありました。
 娘は楼門前にある池の鯉に餌をやってご満悦でした。

祐徳稲荷神社
 貞享四年(1687)肥前鹿島藩主鍋島直朝公の室花山院萬子媛の勧請せられし稲荷神社にして衣食住の守護神として国民の間に信仰極めて篤く日本三大稲荷の一つに数えられ商売繁昌家運繁栄大漁満足、交通安全等世辞百般の祈願が絶えず参拝者陸続として、年間数百万に達し御本殿、御神楽殿、楼門等総漆塗極彩色の宏壮華麗な偉容は鎮西日光と称せられ観光ルートの上にも一異彩を放って居る。

 神社の入口にある酒屋で右の写真のような可愛い石造りの狐を見つけました。 娘を並べて記念撮影をしようとしたのですが、怖がって撮れませんでした。
石造りの狐

櫛田宮

祐徳稲荷神社 - → R207, R34 → 櫛田宮

祐徳稲荷が高速道路から少し離れているので、有明海沿いに一般道を走り、佐賀市内に戻りました。 次の目的地は櫛田宮です。 娘は寝てしまったので、車の中に残して家内と二人で参拝しました。 町の中にある神社だからでしょうか、いつもの森閑とした雰囲気ではなく、開けた感じの印象を持ちました。
 ちょうどお宮参りの家族がいて、御祓いを受けていました。

櫛田宮
  大昔当地方に荒神があって人を害したが、景行天皇が櫛田宮を創建されてから人民は幸福になったので神幸郡と名づけた。 今から千九百年前のことである。 鎌倉時代弘安四年蒙古襲来の時、本宮の神剣を博多櫛田神社に奉還して異賊退散を祈り、霊験あたらかなものがあったので厄よけ開運の神と崇敬されるようになった。

ひやむぎを仕込みに

櫛田宮 - → 井上製麺

 櫛田宮でのお参りをすませるとひやむぎを仕込みに井上製麺に向かいます。 米どころの佐賀県にも関わらず、そうめん、ひやむぎと云った小麦製の麺類が有名です。 親父の実家が佐賀だったこともあり、昔からよく神埼そうめんのお世話になっていました。

 長崎自動車道の高架を潜り狭い道を上がっていくと、井上製麺に着きました。 店の中にはそうめん、ひやむぎを始め、うどんやそば、ラーメンなど各種の麺類が置かれています。 吉野ヶ里遺跡のそばとあって、古代米を練りこんだ古代そうめんなども有りました。 我々はそうめん、ひやむぎ、うどんを夫々10把ずつ仕入れて、次の目的にに向かう事にしました。
 井上製麺では「百年庵」というお店も併設され、食事をする事も可能ですが、今回は博多でとろろを頂く予定にしていますので、次回以降のお楽しみとしました。

井上製麺

福岡空港を眺めながら

井上製麺 - → 東背振I.C. → 長崎、九州自動車道、都市高速道路 → 千代I.C. → 筥崎宮

 太宰府JCTから都市高速にのり筥崎宮を目指します。 流石、都市高速だけあって急カーブが続きます。 福岡空港の横を通過する時は、飛行機が飛んだの降りただの車の中は大興奮状態でした。 千代I.C.で降りると3号線を走り、筥崎宮の大鳥居の眺めつつ駐車場に車を止めました。

筥崎とろろはどこだ

筥崎宮 - → 筥崎とろろ

 場所を十分に確認しなかったのが敗因でした。 駐車場に車を入れた後、てっきり3号線沿いだと勘違いして、筥崎宮の参道を海に向かって歩き、更に3号線沿いを博多方面に向かって歩きます。 ところが一向にそれらしき店は有りません。 店に電話すると、そこから10分程南に行ったところで病院の近くだと教えられました。 15分程歩き、店を探したのですがまだ見つかりません。 そこで再度電話をすると、そこから斜め前の場所に店はありました。 結局、店を探し回って小一時間歩き回った事になります。
 ところが店は一杯で、直ぐには食事にありつけませんでした。 店の接客態度もいまいちです。 かといって別の店を探す元気もありませんでしたので、仕方なく待つことにしました。 15〜20分位待ったでしょうか。 ようやく、店の奥に案内されて食事にありつく事が出来ました。
 店の態度とは違い、とろろご飯の味は満足の行くものでした。 牛タン定食と鶏そぼろ定食?を頼みましたが、牛タンの味は今ひとつで、鶏そぼろにとろろをかけた方がはるかに美味しかったです。

筥崎とろろ

筥崎宮

筥崎とろろ - → 筥崎宮

 店の前の道を北東に5分位歩いた所が、一の鳥居でした。 結局、ぐるりと一周した事になります。
 残念ながら筥崎宮は改修工事中で見る事は出来ませんでしたが、境内にある「湧出石」というものに娘を逆さ釣りにして触らせたりとそれなりに楽しみながら参拝を済ませました。

筥崎宮
 宇佐神宮を本宗とし、鶴岡・石清水とともに三大八幡宮として知られる。 主祭神の応神天皇は、古来、八幡大神・八幡大菩薩として崇敬を集めていた。
 伝説によれば、三韓出兵から帰国した神功皇后が宇美(現在の粕屋郡宇美町の宇美八幡宮)にて応神天皇を御出産後、その御胞衣を筥に納めてこの地に埋め、「しるしの松」を植えた場所に由来するという。
 縁起では、創建は延喜二十一年(921)、八幡神の神託を受けて、穂波郡大分(現在の嘉穂郡筑穂町)の八幡宮から同地に遷座されたと伝える。 創建にあたっては、醍醐天皇から「敵国調伏」の宸翰を賜ったといわれ、2度にわたる元寇をきっかけに、その神威は朝野に知れわたるようになった。 以後、西国における鎮護国家の社として崇敬を集め、現在にいたっている。

香椎宮

筥崎宮 - → 香椎宮

 香椎宮はなんとなくこじんまりした印象の神社でした。 何かお祭りでもあったのでしょうか。 我々がお参りする頃には、ちょうど撤収が終わりかけの頃でした。

香椎宮
 当地は、仲哀天皇が熊襲討伐に赴いたときの行宮、橿日宮に由来し、創建はこの地で崩じた天皇の神霊を神功皇后が祀ったことに始まるという。
 のち、聖武天皇の御世に神功皇后の宮が造営され、香椎廟と称されるようになった。廟とは祖霊の御霊屋といった意味で、当初は一般の神社とは異なる性格づけだったことがうかがわれる。古来、朝廷の崇敬は篤く、天皇の代替わりのさいなど勅使の奉幣をうけるなど、宇佐神宮と並び九州随一の社格を誇った。
 祭神の神宮皇后は、天皇なきあと、みずから三韓出兵を指揮した伝説により崇められるいぽう、八幡神として神格化される応神天皇の母として、安産の神としても崇敬されている。

トイザラスでお買い物

香椎宮 - → イオン香椎浜ショッピングセンター

 香椎宮から都市高速の香椎浜I.C.を目指して走っていると海岸沿いに大きなショッピングモールが見えます。中にはトイザラスも入っているようです。 時間的に余裕があり、ちょっと寄り道して帰る事にしました。

あとは帰るだけ

イオン香椎浜ショッピングセンター - → 香椎浜I.C. → 都市高速道路 → 福岡I.C. → 九州、中国、山陽自動車道 → 玖珂I.C. → 自宅

 九州は意外と神社が多く、また集中しているのでお参りをするのは非常に楽です。 若干、下調べ不足で大汗をかいた部分も有りましたが、全体的には楽しく旅行をする事が出来ました。 中国地方西部は回り切った感があるので、今後は九州まで足を伸ばした旅行が増えるかも知れません。


訪問場所のご案内

名称
内容
住所
電話番号
備考
滝見屋 鯉料理 佐賀県小城市小城町松尾2222 0952-72-3895  
和多屋別荘 旅館 佐賀県藤津郡嬉野町大字下宿乙738 0954-42-0210  
井上製麺 製麺 佐賀県神埼郡神埼町大字的1779 0952-52-2625  
筥崎とろろ 食事 福岡県福岡市東区馬出5-12-9 092-651-2153  



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