◇釈尊初転法輪会・新年祝祷会 正月三箇日過ぎの最初の日曜日 午後1時より
1月8日は、お釈迦様が鹿野苑(現、サールナート)で初めて仏法の教えをお説きになられた御聖日にあたります。例年、要伝寺では、年の始めにあたり、釈尊初転法輪会の法要と新年互礼の祝祷会を予定しております。奮って御参加ください。尚、準備の都合上、御出席の方はあらかじめ電話(03-3873-5414)にて御連絡ください。
◇春彼岸会法要 3月 春分の日 午後1時より
春分の日を挟んで前後3日間(計7日間)は、春のお彼岸です。彼岸の一週間は、私たちが迷いの世界であるこの世(此岸)から迷いのない安らかな世界(彼岸)へ渡るために、六波羅蜜(六度)の行を通じて自分の心を耕肥する仏道実践の期間でした。要伝寺では、お彼岸の中日(春分の日)に、春季彼岸法要を行い、皆様のお志になられる御先祖の御供養を致します。
◇彼岸会住職法語◇
平成25年3月23日春季彼岸会「心を耕す仏道実践週間〜六波羅蜜〜」
平成25年9月26日秋季彼岸会「六波羅蜜の実践(第1回)布施」
平成26年3月21日春季彼岸会「六波羅蜜の実践(第2回)持戒」
平成26年9月23日秋季彼岸会「六波羅蜜の実践(第3回)忍辱」
平成27年3月21日春季彼岸会「六波羅蜜の実践(第4回)精進」
平成27年9月23日秋季彼岸会「六波羅蜜の実践(第5回)禅定」
平成28年3月20日春季彼岸会「六波羅蜜の実践(第6回)智慧」
平成28年9月22日秋季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第1回)観世音菩薩」
平成29年3月20日春季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第2回)薬王菩薩」
平成29年9月23日秋季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第3回)薬上菩薩」
平成30年3月21日春季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第4回)浄行菩薩」
平成31年3月21日春季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第5回)妙音菩薩」
令和元年9月23日秋季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第6回)普賢菩薩」
令和5年3月21日春季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第7回)常不軽菩薩」
令和5年9月23日秋季彼岸会「菩薩〜六波羅蜜の実践者〜(第8回)上行菩薩」
令和6年3月20日春季彼岸会「要傳寺410年の歩み」
令和7年3月20日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第1回)摩訶薩■王子」
令和7年9月23日秋季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第2回)雪山童子」
令和8年3月■日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第3回)尸毘王」
令和8年9月■日秋季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第4回)楽法梵士」
令和9年3月■日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第5回)愛法梵士」
令和9年9月■日秋季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第6回)尚闍梨仙人」
令和10年3月■日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第7回)忍辱仙人」
令和10年9月■日秋季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第8回)儒童菩薩」
令和11年3月■日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第9回)能施太子」
令和11年9月■日秋季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第10回)須陀摩王」
令和12年3月■日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第11回)須頭檀王」
令和12年9月■日秋季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第12回)仙豫国王」
令和13年3月■日春季彼岸会「釈尊本生譚にみる菩薩道実践(第13回)有徳王」
◇お会式住職講話「日蓮聖人の伝記と秘話」全10回◇
(1)日蓮は旃陀羅が子なり〜日蓮聖人の生きた時代〜 (平成27年)
(2)我日本の柱とならむ〜清澄の来光と宗旨建立〜 (平成28年)
(3)牛馬巷に倒れ、骸骨路に満てり〜立正安国の勘文〜 (平成29年)
(4)法華経の故に流罪に及びぬ〜草庵襲撃と伊豆流罪〜(令和元年)
(5)射る矢は降る雨のごとし、討つ太刀は稲妻のごとし〜小松原の刃難〜 (令和7年)
(6)今度頚を法華経に奉りて〜日蓮暗殺〜 (令和8年)
(7)魂魄佐渡の国にいたりて〜厳冬の流刑地〜 (令和9年)
(8)この山には妙法の五字を唱へずと云ふことなし〜棲神の霊山〜 (令和10年)
(9)いづくにて死に候ふとも〜臨滅度時の鐘〜 (令和11年)
(10)四恩を知って知恩報恩をいたすべし〜報恩の生涯をふりかえる〜 (令和12年)
◇お会式式住職講話「日蓮聖人 10の魅力」全2回◇
(1)日蓮聖人 10の魅力(乾)〜「情」の側面から〜(令和13年)
(2)日蓮聖人 10の魅力(坤)〜「知」の側面から〜(令和14年)
◇釈尊成道会 12月8日
12月8日は、お釈迦様が伽耶(現、ブッダガヤー)で悟りをお開きになられた御聖日です。要伝寺では、毎年この時期に、釈尊成道会法要と年末大掃除ならびに望年会(忘年会)を予定しております(日時などは不定期)。奮って御参加ください。尚、準備の都合上、御出席の方はあらかじめ電話(03-3873-5414)にて御連絡ください。
◇年末年始開運厄除祈願法要 12月25日〜1月3日(除12月30日)
年末年始に墓参・登詣なさる檀信徒に向けて、各家個別の「年末年始開運厄除(かいうんやくよけ)祈願法要」を営みます。 ご希望の際は、希望日の一週間ほど前までに、お電話(03-3873-5414)にて日時等をご相談ください。時間帯は、12月30日を除く期間中、いずれも午前9時から午後3時、各家15分程度(各回30分間隔)。なお、お申し込みは先着順となります。
ご家族・ご一族の善勢皆来・悪勢退散、除病延寿・息災延命、家内安全・身体健全、社運隆昌・商売繁盛また受験生の学徳増進・心願成就をご祈念申し上げます。所願成就の「年末年始開運厄除祈願法要」、是非、ご参集ください。
◇墓地参拝の皆様へ(お願い)◇
平素より、当山墓地にお参りをいただき、ありがとうございます。当山では、墓地の清掃・管理に日々努めておりますが、近年、カラス等がお供物(くもつ)を荒し、墓域や境内を汚す事案が発生しております。お参りがすみましたら、墓前のお供えは、お持ち帰りくださいますよう、お願い申し上げます。
◇永代供養墓と合葬墓のご案内◇
当山には、永代供養墓ならびに合葬墓(久遠観音廟)をご用意しております。
永代供養墓ならびに合葬墓(久遠観音廟)は、いずれも寺の檀徒及びその縁故者または墓地の継承者に代わり、墓地経営主体となる寺が、永代にわたって墓地の管理・供養を請け負うものです。
前者は、現在のお墓とご先祖の埋骨をそのままに残すかたちの供養の方法となります。ご本家の跡取りがなく、墓地が無縁になった後も、ご先祖が生きた証としてお墓を残したいというご希望に添うかたちになります。
後者は、当山にご縁のある檀信徒で、墓地は設けないが法華経の道場である当山への埋骨を希望される方、あるいはご本家の跡取りがいないなどの理由で、墓地が無縁になることを心配され、当山の墓域にあるご先祖の墓地を撤去して合葬への改葬を希望なさる方のためのお墓となります。合葬墓(久遠観音廟)への埋骨の方法は、原則として散骨のかたちとなります。
いずれの場合も、しかるべき契約書を取り交わし、当該墓地の管理・供養及び墓地清掃・環境整備等に使用するための供養料(永代供養料または合葬墓供養料)をお納めいただきます。
将来の事を案じられている方は、遠慮なく要傳寺まで御相談ください。
◇定期契約型納骨墓のご案内◇
近年は、お墓に多くの費用をかけることができない、転勤が多くどこにお墓を買うか悩んでいる、新規に墓地を造立するまでの間の一時的な遺骨の預かり先を探している、お墓の将来的な継承者がいない、身寄りはないが知人・友人が墓参できる個人墓が欲しい、家の近くでお墓参りをしたいなど、お墓に対するニーズも多様化しております。
当山では、こうした多様なニーズにお応えするために、予め期間を定めてご遺骨をお預かりする定期契約型の納骨墓を始めます。いずれの場合も、個人様でご利用の場合は、収骨器ごとお納めできますが、おふたり様以上でのご利用の場合はカロート内への散骨形式となります。
故人様のご遺骨を手許に置いたままにされているご遺族の中には、しばらくは最愛の人を手放したくないという思いの方もいらっしゃいます。一方で、預けたくとも預け先が定まらないという方には、当山の納骨墓は、ご検討いただけるご提案になろうかと存じます。納骨墓の最大の利点は、ご遺族・近親者以外に故人様を偲びたい方々(ご遠戚・ご友人・お仕事の関係者等)が、お寺の開門(営業)時間帯であれば、いつでもお墓参りができるということにあります。ご自宅でご対応されるご負担はございません。
なお、契約期限が満了した後は、ご遺骨は当該納骨墓に1年間留置ののち集合墓(合葬墓)へ改葬いたしますので、定期契約型の納骨墓を契約される際に、石材店に支払いが発生する改葬費等もお納めいただききます(合葬墓への改葬前に改めて再契約して期限を延長することも可能)。近年、納骨堂のみを運営している法人の経営不振等で納骨堂が閉鎖されるなどの様々な問題によって「遺骨の引き取り」等の事案が発生していますが、寺院型宗教法人の納骨墓は、寺院や統括宗教法人(当山の場合は「宗教法人日蓮宗」)が存続する限りその心配はございません。
また、本事業は宗教法人の公益性を担保するため、当該墓のご使用は、当山の檀徒であることが条件となります。当山の檀徒の定義については、下記「要傳寺檀信徒規定」をご参照下さい。非檀徒の場合には、当山の檀徒として入檀いただきますが、難しい話ではありませんので、ご利用をご希望の際は寺までご相談ください。
◇生前戒名の勧め◇
当山では、予修授戒式(よしゅうじゅかいしき)といって、生前に受戒の儀式を行って、法華経の信者になった証としての戒名をお授けしております。
ご自身の納得したご戒名を授かったという安心感と同時に、仏道を求める道心もまた芽生えるものです。
◇古いお塔婆について(お願い)◇
風雨にさらされ朽ちたお塔婆は、シロアリやスズメバチなどの繁殖につながります。建立から3年を過ぎたお塔婆は、当山にて「焚き上げ供養」いたしますので、各家・各自でご確認をお願いしております。
ご自身での撤去が困難な場合は、ご無理をせず寺務所までご用命ください。
尚、墓地入口に「焚き上げ供養卒塔婆収納かご」を常設してありますので、必要に応じてご利用ください。
行動生態学・進化生物学者の長谷川眞理子氏と社会心理学者の山岸俊男氏の対談形式で編集された本書は、いじめと引きこもり、差別と偏見、グローバリズムと雇用など日本の現代社会が抱える様々な課題を最新の進化学・社会心理学・脳科学などを駆使して分析する書。
本書の目次は下記の通り。
第1章 「心がけ」「お説教」では社会は変わらない
第2章 サバンナが産み出した「心」
第3章 「協力する脳」の秘密
第4章 「空気」と「いじめ」を研究する
第5章 なぜヒトは差別するのか
第6章 日本人は変われるのか
第7章 きずなと思いやりが日本をダメにする
以下は本文からの抜粋・取意引用(含、ホームページ作者注)。
資料(史料)の扱い方、概説書・研究書・学術論文の読み方、研究論文の書き方など、歴史学研究に欠かせないワザと工夫を指南する書。
歴史学研究の対象となる分野は、人文科学・社会科学・自然科学・形式化学などといった狭い分野・領域に限定されるものではなく、たとえば政治、経済、文化・芸術、社会、心理、法律、哲学、化学、物理、生物、医学、土木、工学、数学、自然、機械、産業、農業、牧畜、考古、体育、天文、海洋、気象、宇宙、環境、核エネルギーなど多岐に亘り、むしろそれらを融合させるべき学問体系であるという立場から、「総合の学問」である歴史学を学ぶことが、最終的には「人間とは何か?」「自分とは何か?」という問いかけにたどり着くものであると主張する。
また、歴史学とは歴史を対象にする「科学」であり、「科学」である以上、「科学的方法」に基づいた学術的態度が求められると言及。「科学的方法」とは、「物事を調査・整理し、新たな知見を得て、その正しさを立証していくプロセス」で、人文社会科学の場合は、対象を観察する→考察する→考察した結果を表現する、というプロセスをとる。このプロセスが独りよがりにならず、他者も理解・合意できるようにするために、@論理整合性、A事実立脚性、B客観性が要求されると指摘(67頁以降)。
いま、@からBの内容を具体的に示せば以下の通りとなる。
@論理整合性
人文社会科学では、「文献」「資料」が基となる。その文献や資料を扱う原則が「文献批判」であり、これこそが、人文社会科学が「科学」である一つの要因となっている。正しく文献批判を行い、資料の論理性と整合性をはかることで、他者に対する説得性と合理性をもたせることができる。玉石混淆の文献を検証せずに用いると、文献間の整合性が図れず、論理が破綻する。そのようなことでは、説得力がない。
A事実立脚性
人文社会科学では、自己の主張が文献や資料に基づいた事実に立脚していなければならない。
B主観的客観性
人文社会科学では、文献・資料に基づいた認識や解釈は、ともにそれらを語る側の主観が常に入り込まざるをえない。したがって所詮は、語る者の独りよがりにすぎないという批判がなされることもある。しかしながら、歴史認識は「現在」を生きる人間の「過去」へのアプローチであり、繰り返し問いかけ、読み直すものである。つまり、その時々の「現在」を生きる人間の「特定の主観的関心」からしか接近できない。このように、人文社会科学における「客観性」とは、語る側の「主観」を必然的に含みこんだものであり、これを「主観的客観性」と呼ぶ。
かつて、人文社会科学は、自然科学・応用科学に対して「役に立たない」と評価されたことがある。筆者は、これに対して、吉見俊哉氏の主張(『「文系学部廃止」の衝撃』)を引いて反論。「役に立つ」とは二つの次元があり、一つは目的がすでに設定されていてそれを実現するための方法を見つける「目的遂行型」、二つめは、価値や目的自体を作り出す「価値創造型」であり、前者は理系の得意分野であるが、目的や価値軸そのものが変化したときに役に立たなくなる可能性がある。一方で後者は、「価値の軸を多元的に捉える視座」をもった「知」であり、主に文系の得意分野であるとし、更に加えて以下のように主張する。
子供に伝えたいブッダの言葉を集め、平易に紹介した書。2500年の時を経て、ブッダの教えが、子供たちの優しさと思いやりの心、ただしく強い心を育てる。
「もし悪いことをしてしまったら、その何倍もいいことをしよう」「ほかの人との競争よりも自分に勝つことが大事」「いまやれることを一所懸命がんばろう」「乱暴な言葉は使わない、自分にもいやな言葉がかえってくるから」「楽しいことはみんなで分け合っても減らないよ」「怒らないことで怒る人に勝とう、嘘をつかないことで嘘をつく人に勝とう」「やられたからって仕返しすると、ずっとしかえしの繰り返しだ」「勝ち負けは、いっしょうけんめいやった人が勝ち」「本当に賢い人は、けなされたり、ほめられたりしても落ち着いている」「だれかをだましたり、だれかを見下したりするのは、いちばんやってはいけないこと」…などなど、『ダンマパダ(法句経)』などに基づいたブッダの言葉には、人生を滋味豊かに幸せに生きるための知恵が詰まっている。
「わるいことってなに?」「大切なことってなに?」「ありがたい」「おかげさま」など語句解説のコラムも充実。
「しあわせとは何か」「自分とは何か」「人間とは何か」「いのちとは何か」「おとなとは何か」「こころとは何か」「家族とは何か」「ルールとは何か」「やさしさとは何か」などなど、子どもたちばかりでなく、我々大人も知っているようで上手く説明できない様々な「ふしぎ」について、効果的なイラストを駆使してわかりやすく説明する。本質的かつ普遍的な心の問いに答えるスタイルは、『ブッダがせんせい』にも通じる内容となっている。
監修した文部科学省教科調査官の村山哲哉氏は、答えは決してひとつではないかも知れないが、親子で話し合える契機として欲しいと提案する。
人工知能(AI)プログラミングの研究者だった著者が、脳科学の分野から男女の性差を語る。脳の性差、女性脳・男性脳の取扱説明書、夫婦という道のり、孔子の人生訓と脳年齢など、脳の構造を知り尽くした感性分析の第一人者によって、性や年代で異なる脳の特性に基づく、日常に寄り添った男女脳論が展開される。
以下、本書から心に残る至言の一部を取意引用。なお、ホームページ作者の論文「譬喩にみる日蓮聖人の家族観―夫婦に関する説示を中心に―」(2004年)も併せて参照されたし。
いじめ、不登校、自殺、性の悩みなど、多感な時期の青少年の受け止め方や心のケアについて心理学的アプローチで迫う書。青少年の問題行動を10種に分類し、危険信号(SOS)を分析・整理、問題行動の原因を心理学的に解明し、学校や家庭での早期発見・早期対応・早期指導の具体策を提示する。教育従事者・保護者の研修会や教育相談のテキストとしても利用価値あり。
特に、著者は、「自殺」の問題について、自殺者の背後に10人の未遂者が、その背後に100人の念慮者がいると指摘し、いわゆる「自殺防止のカウンセリング」を提唱する。年齢を問わず自殺願望のある者から相談を受けた際には、何も助言せずに、忍耐強く話を聴くこと、そして相手の発言を明確化し、共感的理解を持こと、孤独にさせないことが肝心であるとする。こちらの意見を述べたり、「こうしたらどうですか」とかの助言・提案などはタブーで、相手に誤解があると思っても、「あなたは間違っています」などという言葉は、もってのほかとのこと。カウンセラーは「心の便器」に徹する必要性を力説する。
図解を豊富に用いて、ブッダの生涯と思想、初期教団の形成、インド・中国・日本の三国仏教の歴史などを概説。わかりやすさでは、他の仏教専門書の追随を許さない名著。
同シリーズは現在は絶版となっているが、同社の「歴史がおもしろい」シリーズとして普及版が再版され、『図解ブッダの教え』(2010年)としてリニューアルされている。なお、ほかにも『図解 日本史』『図解 世界史』『図解 世界の宗教』がある。
「生きるってなに?」「なぜ、生きるの?」この素朴な疑問ほど、人間にとって尊いテーマはない。人として生まれたことが、どれほど素晴らしいことかなのかを、ブッダの様々なメッセージを通して若者に訴える。
松下電器産業(現パナソニック)グループ創業者の松下幸之助氏といえば、企業理念に基づく社員教育を徹底した人物として知られる。「人育ての名人」が語る、子供が伸びる知恵とは…。やさしい言葉で奥深い教育論が語られる好著。
無気力、忍耐力欠如に始まり、生活習慣病、低体温、鬱(うつ)、アレルギー疾患から癌(ガン)に至るまで、その原因の大半は日本人の食生活にあることを指摘、科学的・実証的に日本人に適した「食」の在り方を提言する書。
地球各地に生息圏を拡げた人類は、その土地や気候風土に適した食生活を確立してきた。寒帯地方で生活する人々は、体を温め、引き締める「陽性」の食品(肉類・魚類)を摂取し、生肉・生血を飲食することでビタミン・ミネラルなどの栄養を壊さない状態で体に取り込むことができた。季節豊かな温帯地方で生活する人々は、「中庸」の食品(穀類・玄米)を食事の中心に据え、野菜類・海草類・豆類を副菜に添えるなど、陰性・陽性の食品もバランスよく摂取してきた。熱帯地方で生活する人々は、体を冷やして緩める「陰性」の食品(果物・コーヒー・砂糖・麺類など)を好んで摂取してきたのである。著者は、ここに、日本人に適した食生活のヒントがあるという。
特に、日本人の30〜40代のガン患者の食生活を子供時代にまでさかのぼって追跡調査した結果、朝食が「陰性食」中心の傾向にあることがわかったことを挙げ、ガンにかかりやすい体質のひとつに体温が35度に下がるような低体温があることを指摘する。これは体温を下げる「陰性」の食生活から誘発されるという。日本人にとっては、寝起きにとる朝食には、一日の体温を正常に戻す働きのある米飯、体内の毒素を取り除くカリウムを多く含む野菜類と一緒に調理された大豆蛋白の味噌汁、腸の長い日本人に適した植物性由来の乳酸菌の代表格として知られる漬物など、自然治癒力や免疫力を高める食材の取り合わせがよいとする。
最新の脳科学にもとづき、人間の地頭力を向上させる基本的構造を解説。
「地頭力」とは、物事を筋道立てて考えることのできる能力のこと。近年では、ビジネスマンの必須のスキルとしても着目されている。
「地頭力」は、遺伝よりも環境によって左右され、その働きは、鍛錬すれば一生涯持続することを力説。反抗しているわけではないが指示に従えない、課題や活動を順序立てて行えない、落ち着きがない、極端に無口である、順番を待てない…などなど小1プロブレムを解決する糸口も地頭力にあると説く。
伝統的精神文化が現代日本の教育を健全化するとの見地から、日本のあるべき教育の姿を提唱。人権・平等・自由を偏重する、今日の人間中心主義の日本の教育に警鐘を鳴らす。
刺激的な標題がつけられた本書は、ユーラシア大陸の東西の文化交流の中で、仏教がイエスに与えた影響を詳細に分析した研究書。原イエスにみられる異端思想(ローマ・カトリック教会からみての異端思想)の影響は、あるいは『ダンマパダ(法句経)』に説かれるような仏教思想に起因するものではないかと主張。
本書の特筆すべき点は、著者の恣意的な資料の扱い方に対する反論や著者が紹介しなかった反証をあげて「イエス仏教徒説」を批評する論文が、本書のかなり多くの頁を割いて併せて掲載されていることである。
タイトルの「化城」とは、法華経の化城喩品に由来するもので、もともとは仏陀が衆生を悟りに導くために用意した幻の城の意。本書は、戦前の昭和史をこの「化城」に譬え、満州事変、上海事変、五・一五事件、二・二六事件に始まる昭和初期の軍部独裁や関連する様々な事象に対して、石原莞爾や北一輝らの日蓮主義者がどのように関知したかを中心に、国際諜報団事件(スパイ・ゾルゲ事件)で刑死する尾崎秀実(おざき
ほつみ、1901-1944)をモデルとした架空ジャーナリスト「改作」の視点から描いた歴史小説。
著者の寺内大吉(1921-2008)は、浄土宗宗務総長、東京芝増上寺第87代法主を歴任した浄土宗僧侶で、直木賞作家。本名は成田有恒。主著に『仏教入門』『念佛ひじり三国志』『沢庵と崇伝』などがある。
本書下巻の「あとがきにかえて」(下巻301頁)の中で、著者は、大学生時代に、満洲建国会議の写真を見せられた時、国旗もスローガンも掲げていない会場に、ひときわ目立つ「南無妙法蓮華経」の垂れ幕が下げられていたことに衝撃を受けた体験を述べている。翌年、日本山妙法寺の僧侶の虐殺事件となった上海事変が起こり、やがて五・一五事件から二・二六事件へと至る日本ファシズムの形成過程で、随所に顔を覗かせる日蓮主義者たちの存在を知るに及び、それは著者の中で重大な関心事になっていったという。
小説で扱う主な事件は、満州事変(1931年9月)、上海事変(1932年1月)、五・一五事件(1932年5月)、二・二六事件(1936年2月)、死のう団事件(1937年2月)、ゾルゲ事件(1941年9月〜1942年4月)などであり、登場人物は、満州事変の石原莞爾(いしはら かんじ:1889-1949)、血盟団の井上日召(いのうえ にっしょう:1886-1967)、二・二六事件の北一輝(きた いっき:1883-1937)と西田税(にしだ みつぎ:1901-1937)、国柱会の田中智学(たなか ちがく:1861-1939)、相沢事件(1935年8月)の相沢三郎(あいざわ さぶろう:1889-1936)、神兵隊事件(1933年7月)の前田虎雄(まえだ とらお:1892−1953)、新興仏教青年同盟の妹尾義郎(せのお ぎろう:1889-1961)、死のう団事件の江川桜堂(えがわ おうどう:1905-1938)らである。作中には、宮沢賢治(みやざわ けんじ:1896-1933)も登場する。
昭和11年(1936)の二・二六事件で、北一輝・西田税が反乱将校と共に処刑されると、新聞記者として日蓮主義を追及してきた主人公の改作は日米開戦の直前にスパイ容疑で逮捕・投獄。獄中で良寛の『法華転』を読み、日蓮や法華経の研究に没頭しながら、太平洋戦争終戦の前年、昭和19年(1944)に処刑される…というのが本作あらすじである(なお、寺内は、前掲「あとがきにかえて」の中で、実在の尾崎秀実も晩年コラムニストから日蓮主義へと転身していたことが尾崎の遺した獄中資料から伺えるとしている)。
本作の底流に流れる「日蓮主義」については、大谷栄一著『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館、2001年)、同『日蓮主義とはなんだったのか―近代日本の思想水脈』(講談社、2019年)を参照されたい。
前述の通り、主人公のジャーナリスト改作は、ソ連赤軍参謀本部の諜報員リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge:1895-1944)やマックス・クリスティアンゼン・クラウゼン(Max Christiansen-Clausen:1899-1979)とともに捉えられ、巣鴨拘置所で刑死する尾崎秀実をモデルとして描かれるが、同じくゾルゲ諜報団(ラムゼイ機関)の主要メンバーとして来日したジャーナリストに、ブランコ・ド・ヴケリッチ(Branko Vukelic:1904-1945)がいた。ヴケリッチは、祖国ユーゴスラヴィアの新聞『ポリティカ』やフランス・アヴァス通信社(現在のAFP通信の前身)のジャーナリストとして、日本の紹介記事と写真を送る〈表〉の仕事をする一方、〈裏〉ではジャーナリストの職性を活かした写真撮影と収集した情報の分析を任務とした諜報活動を行っている。日独との二正面戦争を避けるべく対日工作に暗躍したゾルゲ、ヴケリッチ、クラウゼン、尾崎らの活動によって日本は南進政策へと転じ、結果、ソ連は独ソ線に注力できるようになった一方、日本は対米開戦へと突き進むこととなるのである。真珠湾攻撃前の1941年10月18日、ヴケリッチは「ゾルゲ事件」に連坐して逮捕され、終戦の年の1945年1月13日に網走刑務所で獄死する。
ゾルゲ事件前年の1940年1月26日にヴケリッチの妻となった山崎淑子(やまさき よしこ:1915-2006)の編著『ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙』(未知谷、2005年)は、拘留されていたヴケリッチと淑子がやりとりした247通の往復書簡を収録したものである。
2003年公開の日本映画『スパイ・ゾルゲ』では、イアン・グレンがゾルゲを、本木雅弘が尾崎秀実を、ウォルフギャング・セッシュマイヤーがクラウゼンを、アーミン・マレヴスキーがヴケリッチを、小雪が山崎淑子をそれぞれ演じている。 (文責:高森大乗)
copyright©2016 Yodenji Vihara all rights reserved.