日蓮宗 法住山 要傳寺

日蓮宗 法住山 要傳寺(宗教法人 要伝寺)は、山梨県身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗寺院です。
当ホームページでは、要傳寺の歴史、法華経や日蓮宗の教義、法人の活動報告・事業計画、住職の近況報告などを情報発信します。
Yodenji is a Buddhist temple of the Nichiren sect,belongs to the Grand Head Temple Minobu Kuonji.
History in this temple, a doctrine of our sect and a report of the activity of this temple and chief priest are sent at this website.


■日蓮宗公式ウェブサイト■

お知らせ Information知らせ

 8月は、旧盆の時期にあたります。盂蘭盆の行事は、7月に執り行われるのが本来のかたちですが、日本では農閑期の8月に故郷に帰省し、ご先祖のお墓参りをする旧盆の習わしが定着しました。
 その昔、釈尊の弟子(十大弟子)のひとりに目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がおりました。目連尊者は、神通力に長けていたので、あるとき、その神通力をもって、死んだ自分の母親が、どこの世界に生まれ変わったかを覗き見た結果、亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを見いだします。目連尊者は母を救うべく、自らの神通力をもって、母に飲食(おんじき)を与えようとしますが、たちまち紅蓮の炎となって母の身を包み、その苦しみをかえって増してしまいました。そこで目連尊者は、母の救済法を釈尊に問います。すると釈尊は、母ひとりを救うだけでなく、多くの僧を集めて彼ら修行者に飲食物を供養し、皆で祈るべきことを教示され、雨季の終わる7月15日という日を選んで、これを実行し、ついに母を成仏させることができたといわれます。これがお盆の由来です。

 ▼TopicZ 日蓮遺文にみる北条義時の時代
    〜NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をもっと面白く〜(ネタバレ注意)

 源頼朝の歿後、合議制で政(まつりごと)を動かした北条義時ら13人衆のパワーゲームを描く、三谷幸喜作の予測不能エンターテインメント「鎌倉殿の13人」。
 長寛元年(1163)から元仁元年(1224)までを生きた義時。その生涯に起こった日本の歴史上の出来事を、その後の時代を生きた日蓮聖人(1222〜1282)はどのように捉えていたのでしょうか。ここでは、真蹟が認められている日蓮遺文中の記述を年表形式に仕立て紹介します。大河ドラマの放送に合わせて、是非、日蓮聖人の遺文も手にとってお読み下さい。
 北条義時の時代は、日蓮聖人が生きた時代の半世紀ほど前になります。当時の記録としては、源頼朝から宗尊親王までの6代に亘る将軍記『吾妻鏡』(1180年〜1266年までの記録)や、九条兼実の日記『玉葉』(1164年〜1203年までの記述)、鎌倉中期成立とされる軍記物『承久記』のほか『平家物語』『保元物語』『平治物語』『源平盛衰記』『源平闘諍録』『水鏡』『愚管抄』『明月記』などがなどが知られますが、鎌倉幕府の史書として位置づけられている『吾妻鏡』ですら、将軍家側ではなく北条得宗家側の記述によるものであり、編纂当時に残る記録・伝承などに基づく部分も多いため、そこに何からの脚色がなされている可能性は否めません。
 それに対して、日蓮聖人の遺文中の記述は、出来事からさほど遠くない時代(約半世紀以内)における聖人の知識・認識として評価されるものであり、そこに登場する人物も、後に神格化・伝説化して物語として描かれていくようになった人物像ではないことが理解できます。
 例えば、「鎌倉殿の13人」の作中で俳優菅田将暉が演じる源義経を例に挙げれば、義経のイメージを固定化させた文献として、南北朝時代から室町時代初期成立とされる『義経記』(ぎけいき)などが知られますが、義経伝説として文学作品等に描かれる五條大橋での武蔵坊弁慶との出会い、源平合戦のクライマックスを描く鵯越の逆落とし、壇ノ浦の八艘飛びなどについては、日蓮聖人は語りません。聖人当時には、こうした伝説はまだ成立していなかったことを暗示していると思われます。
 一方で、大橋太郎の故事のように、遺文中に記述があり、鎌倉光則寺など宗門に伝説が伝わる出来事について、幕府側の記録がないという事例もあります。ちなみに、幕府側や鎌倉仏教界側の記録には、日蓮聖人に関するひとつの記述も、今日まで管見の限り確認できていません。歴史から抹消されているのでしょうか。
 歴史の「事実」はひとつですが、「真実」はそこに関わる人たちによって創られることを、様々な文献・資料を比較・検討することによって私たちは学ぶことができます。
 ここに紹介する年表は、立正大学仏教学会発行『大崎学報』154号(1998年3月)所載の拙稿「日蓮聖人の歴史叙述に関する編年的考察−日本史を中心に−」に依るものです。年表の原本はこちらからダウンロードできます。
 なお、下記に抜粋した「北条義時関係年表遺文対照一覧」は、和暦(西暦)、歴史的事項、立正大学日蓮教学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』(身延山久遠寺、2000年)出典頁の順で記載しました。※印は、真蹟遺文中にみられない歴史事項となります。
 日蓮遺文の現代語訳版については、比較的新しい文献として、渡邊寶陽他編『日蓮聖人全集』全7巻(春秋社、1992〜1996年)があり、下記の出典頁と『日蓮聖人全集』等との対照を可能とする総覧が、高森大乗編『昭和定本日蓮聖人遺文諸本対照総覧』(山喜房仏書林、1998年)となります。日蓮宗教師の場合は、『日蓮宗新電子聖典』から『日蓮聖人全集』を参照できますので、ご活用ください。
 日蓮遺文にみる北条義時については、川添昭二稿「日蓮と北条氏得宗−北条義時・泰時・時頼−」『日蓮教学教団史論叢』(平楽寺書店、2003年)に詳しく研究されています。
 因みに、本作品の登場人物全体相関図は、こちらのNHK公式サイトから参照いただけます。

【北条義時関係年表遺文対照一覧】
仁安2年(1167) 平清盛、太政大臣となる。平氏政権樹立。…1223、1329、1708、1774頁
仁安2年(1167) 明雲、天台座主となる。…889、1328、1329、1742頁
治承元年(1177) 平重盛、内大臣となる。…1708頁
治承元年(1177) 平重盛、父清盛の後白河法皇幽閉計画を諫止。…1403頁
治承元年(1177) 延暦寺の明雲、加賀守の藤原師高と対立し、師高の父の西光に訴えられて、伊豆へ流罪。途中、大津にて延暦寺山徒が奪還し、西光の平家討伐の計画が発覚したため、赦免となる。…1303、1742頁
治承元年(1177) 後白河法皇の近臣たちにより鹿ケ谷の陰謀おこる。俊寛、平清盛政権の転覆を企てたため、藤原成親・成経・平康頼らとともに鬼界島へ流罪。…1771頁
治承3年(1179) 平重盛、歿す。…1403頁
治承3年(1179) ※平清盛、後白河法皇を幽閉(平氏政権の樹立)。…※不説
治承3年(1179) 明雲、再び天台座主となる。…1742頁
治承4年(1180) 高倉天皇と建礼門院の子、安徳天皇、3歳にて即位。…881、889頁
治承4年(1180) ※平氏打倒のため源頼政・以仁王・源頼朝・源義仲ら各地で挙兵(源平争乱勃発)。…※不説
治承4年(1180) 平清盛、延暦寺・園城寺を襲撃。平重衡、東大寺・興福寺を焼き討ち(12月)。…454、500、854、891、954、1063、1342、1774頁
養和元年(1181) 平清盛、熱病にて狂死する。…891、976、1775頁
寿永2年(1183) 平氏、源氏調伏のため延暦寺に起請を送り、延暦寺を氏寺、日吉社を氏神とせんとするが拒否される(7月)。…883、1304、1388、(1679)、1742頁
寿永2年(1183) 明雲、法住寺合戦において源義仲の襲撃にあい、落命す(11月19日)。…1303、1304、1329、1388、(1679)、1742頁
寿永2年(1183) この頃、田口成良、源氏と結託し平家打倒の一翼を担う。…1393頁
寿永3年(1184) 源頼朝、伊勢外宮に安房国東条御厨を寄進。…868頁
文治元年(1185) 源範頼・義経、壇ノ浦にて平家を滅ぼす。建礼門院の母平時子、孫の安徳天皇と心中し、平知盛も自ら海中に没する(3月24日)。…454、881、892、1030、1388、1393、(1679)、1775、1811(?)、1840頁
文治元年(1185) 源義朝を殺した長田忠致を仇とする源頼朝は、忠致が平家との戦いに戦功があったため、平家打倒を待って殺害した。…1393頁
文治元年(1185) 平重衡、源頼朝によって鎌倉に招かれ待遇されるが、南都七大寺の要求により奈良に送られ、木津川のあたりで斬られる(3月)。…1775頁
文治元年(1185) 長門壇ノ浦の戦いで捕虜となった平宗盛が京都へ護送される途中、近江国篠原にて斬殺される(6月2日)。…583、1342、1403、1775、1827頁
文治元年(1185) ※この頃、源頼朝、諸国に守護・地頭を設置(鎌倉幕府成立)。…※不説
文治元年(1185) 後鳥羽天皇即位。…881頁
文治2年(1186) 大原問答(大原談義)において、天台座主の顕真が源空の教えに帰す。…889、1032頁
文治5年(1189) 奥州の藤原泰衡、源頼朝に背いた源義経をかくまうが、幕府の圧迫に耐えかねて、衣川にて源義経・藤原忠衡を攻め殺す(4月)。その後、源頼朝により奥州藤原氏は亡ぼされる。…774、1342、1506頁
文治5年(1189) ※源頼朝、右近衛大将に任ぜられる。…※不説
建久元年(1190) 源頼朝、箱根・伊豆山両権現に詣でる(1月)。この前後に大橋太郎(九州の御家人か)、源頼朝の勘気をこうむり、鎌倉由比ヶ浜の土牢に監禁される(伝未詳)。…1171〜1176頁
建久3年(1192) ※源頼朝、征夷大将軍に任命される。…※不説
建久9年(1198) 源空『選択本願念仏集』を著す。…89、214、325、907、1031、1047、1462頁
建久9年(1198) ※源頼朝歿す。…※不説
建久9年(1198) 土御門天皇、五歳で即位。…881頁
建久9年(1198) ※後鳥羽上皇の院政はじまる。警護に西面の武士をおく。…※不説
建仁3年(1203) ※比企能員の変。…※不説
建仁3年(1203) ※北条時政(北条政子・義時の父)、2代将軍源頼家(源頼朝と北条政子の長男・万寿)を幽閉し、源実朝(頼朝と政子の二男・千幡)を3代将軍とする。…※不説
建仁年間(1201〜1203) 源空・大日、念仏・禅を興行す。各地に阿弥陀堂が建立される。…423、607、992、1006、1244頁
元久2年(1205) 畠山重忠、平賀朝雅(源頼朝の猶子)より謀反を企てたという疑いをかけられ北条時政と対立、北条義時の大軍を武蔵国二股川で迎え撃つが敗死する(畠山重忠の乱)。…1511頁
建永2年(1207) 念仏停止により、源空、還俗させられ土佐へ流罪。…1032頁
承元4年(1210) 順徳天皇即位。…881頁
建保元年(1213) 和田義盛、三浦義村の裏切りで北条義時に一族を亡ぼされる(和田合戦)。…926、972頁
建保元年(1213) ※北条義時が政権をにぎり、執権となる(執権政治)。…※不説
承久元年(1219) 源実朝、源頼家の遺児の公暁(頼家の二男または三男・善哉)によって暗殺され、源氏の正嫡終焉す。…1506頁
承久3年(1221) 後鳥羽上皇、真言宗に命じ幕府調伏のための十五壇秘法を行わせる(4月19日)。…681、883、889、979、1045、1089、1090、1236、1304、1388、(1679)、1842、1886、1887頁
承久3年(1221) 仁和寺の道助、関東調伏のため愛染明王法・守護経法を修す(5月2日、6月8日)。…884、1304頁
承久3年(1221) 承久の乱、勃発(5月14日)。後鳥羽上皇、北条義時追討の命令を発し、討幕の兵をあげる。…219、683、1045、1304、1878頁 
承久3年(1221) 伊賀光季、後鳥羽上皇の倒幕計画に反対したため公家方の攻撃を受け、高辻京極の家にて屠腹焚死す(5月15日)。…1886頁
承久3年(1221) 鎌倉にて騒動おこるといわれる(5月19・20日)。…1886頁
承久3年(1221) 北条泰時(頼時)・時房(時連)を大将とする東海道軍・東山道軍・北陸道軍が編成され、京都へ向かう(5月21日)。…683、1886頁
承久3年(1221) 美濃に派遣された藤原秀康・三浦胤義らの上皇軍、大津にて幕府軍に一掃される(6月5日)。…683頁
承久3年(1221) 宇治川の合戦(6月13日)。上皇軍、防御線を突破される(6月14日)。幕府軍、京都を占領(6月15日)。…683、1886頁
承久3年(1221) 承久の乱終結。後鳥羽上皇、隠岐に、土御門上皇、阿波に、順徳上皇、佐渡に配流。また仲恭天皇廃位(7月11日)。…219、685、881、882、972、976、979、981、1045、1068、1090、1223、1236、1329、1388、1467、(1679)、1842、1848、1879、1888頁
承久3年(1221) 仁和寺道助の侍童、勢多迦丸、斬首される(7月11日)。…981、1236、1304頁
元仁元年(1224) 念仏禁止の勅宣・御教書発令。…219頁

 ▼TopicY NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」登場人物と日蓮聖人の周辺

 第61作目となるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(令和4年放送)。平安末から鎌倉前期を舞台に鎌倉幕府誕生の過程で繰り広げられる権力闘争と、その勝者で北条得宗家の祖となった北条義時を主人公に描く本作には、同じ鎌倉時代を生きた日蓮聖人の門弟とその周辺人物の関係者たちが出演しています。主な人物を以下に紹介します。
 なお登場人物の系譜や家系には諸説あるため、紹介する続柄は断定するものではないことを付記しておきます。
 因みに、本作品の登場人物全体相関図は、こちらのNHK公式サイトから参照いただけます。
 また、こちらにも関連記事を掲載しましたので、ご覧下さい。

(1)北条義時(ほうじょう よしとき/1163〜1224) 演者・小栗旬
 本作の主人公。鎌倉幕府第2代執権。日蓮聖人が『立正安国論』を上奏した第5代執権北条時頼(1227〜1263)の曾祖父、第8代執権北条時宗(1251〜1284)の高祖父にあたる。安房国東条郷より天照大神の伊勢神宮に御厨を寄進し、鎌倉に八幡大菩薩を奉る鶴岡八幡宮を造営して幕府を開いた源頼朝と、これを扶けた北条義時とを、日蓮聖人は高く評価している。これは、天照・八幡の百王守護に背いて南都北嶺の寺々を焼いた平清盛や、邪法の祈祷によって滅亡した平家一門に対する評価と実に対照的である。特に、承久の乱では、邪法に頼って義時を調伏せんとした上皇軍を義時が敗った事実を取り上げて、承久の乱は、王と臣の世法の上の争いではなく、邪法としからざるものとの仏法上の争いであると捉えている。日蓮聖人は、義時以降の北条氏を「国主」と是認したので、以降、執権を国家諫暁の対象とした。

(2)伊東祐親(いとう すけちか/〜1182) 演者・浅野和之
 平安時代末の武将であり、伊豆国伊東の豪族。工藤氏6代目、伊東氏の祖でもある工藤祐隆(伊東家次)の孫、河津氏の祖、北条義時の祖父。平家に仕え、その威光を後ろ盾に頭角を現す。伯父の伊東佑次の子工藤祐経は従兄にあたる。安元2年(1176)年、工藤祐経の襲撃を受け、嫡男の河津祐泰を誅されるが、その仇を討った佑成(曽我十郎)・時致(曽我五カ)の物語は『曽我物語』として語り継がれている。

(3)工藤祐経(くどう すけつね/1147〜1193) 演者・坪倉由幸
 伊東家の嫡男であったが、後見人であった伊東祐親の裏切りに合い、伊東の地を追われる。日蓮聖人の高弟「六老僧」の筆頭弁阿闍梨日昭(1221〜1323)からは祖父にあたり、日昭の父は印東祐昭(いんとう すけあき)、母が工藤祐経の長女であると伝えられる。また、工藤祐経の孫伊東祐光(すけみつ/生没年未詳)は、伊豆国伊東の地頭として、伊豆流罪に処された日蓮聖人の身柄を預かった。一説に工藤家の一族には、小松原法難で殉教した工藤吉隆(1233〜1264)がいたと推測されているが確証はない。因みに、日昭の姉と池上康光の間に生まれたのが池上宗仲・宗長兄弟で、また妹の妙朗と印東(平賀)有国の間に日朗、妙朗と平賀忠治の間に日像がおり、いずれも日昭からは甥にあたることになる。

(4)比企能員(ひき よしかず/〜1203) 演者・佐藤二朗
 武蔵の有力武士で、源頼朝の乳母である比企尼の養子。頼朝の側近となるが、のちに北条氏と対立する。日蓮信者の妙本(生没年未詳)の夫でもあり、ふたりの間に比企大学三郎能本(よしもと/〜1286)が生まれている。能員・妙本の息女若狭局(のちの讃岐局)は源頼家の側室となり、のちの鎌倉幕府第2代征夷大将軍一幡(いちまん)を生んだが、この一幡を巡って後に将軍職の継承問題が起り、比企氏と北条氏との権力政争となる。その結果、建仁3年(1203)、能員は北条時政に謀殺され、その一門も北条氏によって一幡と共に滅ぼされた。若狭局も一幡の後を追って自死したという。能員の遺子比企能本は、日蓮聖人の鎌倉弘通の時に帰依し、父母の追善のため文応元年(1260)に法華堂(のちの比企谷妙本寺)を建てた。

(5)安達盛長(あだち もりなが/1135〜1200) 演者・野添義弘
 鎌倉幕府の御家人、安達氏の祖で、源頼朝の流人時代からの側近である。その孫にあたる安達泰盛(やすもり/1231〜1285)は、第8代執権北条時宗の妻の父で、のちの北条貞時の外祖父にあたる(大河ドラマ「北条時宗」では柳葉敏郎が演じる)。泰盛は、書を通じて親交のあった日蓮信者の大学三郎(比企能本)とともに、龍口法難にあたり得宗被官の平頼綱によって捕らえられた日蓮聖人の窮地を救うべく助命運動を行ったとされる。聖人歿後には平頼綱と敵対し、弘安8年(1285)の霜月騒動でその一族は滅ぼされるが、永仁2年(1294)、孫の北条貞時が仇討ちを果たし、頼綱一族も滅ぼされた。これらの内乱騒動が幕府崩壊を加速させることとなる。

(6)千葉常胤(ちば つねたね/1118〜1201) 演者・岡本信人
 下総国(千葉県)の雄族で、鎌倉幕府草創期の有力御家人。千葉氏第3代当主。源平合戦には見事な勲功をたて、下総国の守護職に補せられた。また武蔵、上総、伊賀(三重県)、肥前(長崎)などに地頭職を与えられ、一族が全国的に広がっていく基をなした。日蓮聖人が房総で布教活動を展開したのは、千葉氏第8代当主の千葉頼胤(よりたね/〜1274)の時代である。日蓮聖人の大檀越富木常忍(とき じょうにん/1216〜1299)は、この頼胤の被官として重きをなした人物で、守護の周囲に多くの信者を創出するなど、重要な役割を果した。九州大学の川添昭二氏によれば、日蓮聖人は、富木氏を通じて、九州千葉氏から幕府の対蒙古政策の進展や、文永・弘安の役の速報を収集していた可能性が高いという(川添昭二著『日蓮とその時代』〈山喜房仏書林・1999年〉、同『日蓮と鎌倉文化』〈平楽寺書店・2002年〉、同『中世・近世博多史論』〈海鳥社・2008年〉ほか往見)。

(7)後鳥羽上皇(ごとばじょうこう/1180〜1239) 演者・尾上松也
 高倉天皇の第四皇子。後白河天皇の孫で、安徳天皇の異母弟に当たる。文武両道で、『新古今和歌集』の編纂でも知られる。鎌倉時代の承久3年(1221)に、鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが、上皇軍は幕府軍に敗れ、後鳥羽上皇は隠岐、土御門上皇は阿波、順徳上皇は佐渡へ配流、仲恭天皇は廃位となった(承久の乱)。後鳥羽上皇は、延応元年(1239)に隠岐で崩御するが、一説に、この後鳥羽上皇の側室亀菊(かめぎく)の子が、日蓮聖人であったとする説(皇胤説・皇統説)が唱えられている。日蓮聖人の出自を巡っては諸説あるが、廣野観順氏によれば、承久の乱で隠岐に配流された後鳥羽上皇は、我が子を身籠もった亀菊を、幕府の刺客から逃すために隠岐を離れさせており、その翌年の承久4年(貞応元年)に日蓮聖人が誕生していることを指摘する(廣野観順著『法剣数珠丸考及聖祖皇統説への一勘検』〈ニチレン出版・2000年〉往見)。立正大学の伊藤瑞叡氏によれば、その後、幼少の薬王丸(のちの日蓮聖人)は、安房国小湊の西蓮寺という天台宗寺院の近くで、雪(ゆき)あるいは雪女(ゆきめ)と名乗る乳母(めのと)に養育された(法華仏教文化総合研究会編『日蓮聖人の御出自に関する三つの仮説』〈『法華学報』別冊特集1号・1994年〉、同『日蓮聖人と弟子檀那もう一つの伝承説』〈『法華学報』別冊特集2号・1995年〉ほか往見)。同寺は、幼少の聖人が道善房とともに12年間過ごした霊跡に指定されており、現在も同寺の境内に、雪女の供養のために建てられた「妙宗信女塔」という宝篋印塔(ほうきょういんとう)が伝わる(「薬王丸御乳母妙宗信女塔」の刻字あり)。同寺の所伝では、聖人は乳母の雪が歿した2ヶ月後、天福元年(1233)5月、12歳の時、同寺住持道善房に導かれ、清澄寺へと入山したといい、これが「十二入山」の真実であったという。ちなみに、後鳥羽院の形見として日蓮聖人に譲られたのが、兵庫県尼崎本興寺蔵の重文「数珠丸(太刀 銘恒次)」であったと伝えられる。また、日蓮聖人の大檀越富木常忍の父土岐光行は、後鳥羽院の宮中出仕者、母は源実朝(千幡)の側近と伝えられるが、その本領地は、後鳥羽院が配流先された隠岐(島根県)の近く因幡国(鳥取県)法美郡富城で、兄の土岐光定は隠岐守であるとも言われるなど、偶然にしては後鳥羽院と日蓮聖人の接点は多い。

(7)名越朝時(なごえ ともとき/1193〜1245) 演者・???
 名越北条氏の祖。北条義時の嫡男であったが、義時側室の阿波局が産んだ庶長子の北条泰時が3代執権になると、朝時は嫡流を外されて、祖父北条時政の屋敷であった名越邸を与えらた。この名越北条朝時の妻が日蓮聖人の信者となり、のちに龍口法難にて退転した「名越の尼」であると考えられている(橋俊隆著『日蓮聖人の歩みと教え』全5部〈円山妙覚寺御遺文勉強会・2010〜2015年〉ほか往見)。また朝時の嫡男が、名越光時で、光時は5代執権北条時頼を廃しようと画策したため、所領を没収され、伊豆江間郷へ配流となった。光時の子は、江間太郎親時、江間次郎盛時と、以後、江間(江馬)氏を称している。この名越光時や江間(江馬)氏らに執事として親子代々仕えたのが、四条頼員と四条頼基である。特に四条頼基は、鎌倉桑ヶ谷で施療所を営んでいたとされる名医で、鎌倉における有力檀越として日蓮聖人を外護したことで知られる。

 ▼行学道場「御遺文で学ぶ日蓮聖人の人物と教え」講演動画配信

 去る令和3年10月から全6回に亘るリレー方式オンライン講演会として開催されている、全国日蓮宗青年会行学道場「御遺文で学ぶ日蓮聖人の人物と教え」。当山住職も、初回と最終回の講演を担当しております。
 この度、第1回の講演記録が、下記のサイトよりご視聴いただけますので、ご案内申し上げます。
 なお、第1回(令和3年10月28日)講演「日蓮聖人遺文概説〜御遺文の読み方〜」では、日蓮聖人の書かれた著述・書状等の全体像の概論と、その読み方・扱い方の留意点について解説します。また、第6回(令和4年3月2日)講演「日蓮聖人の人物像〜その魅力に迫る〜」では、最新の脳科学(脳機能論)に基づいて日蓮聖人の思想と行動を分析し、聖人の魅力を10の側面から探求します。

   記
(1)第1回「日蓮聖人遺文概説〜御遺文の読み方〜」
  講座録画(youtube限定公開)
  講座録音(音声のみ)
  講演配付資料
  講演スライド画像(PDF)

(2)第6回「日蓮聖人の人物像〜その魅力に迫る〜」
  講座録画(youtube限定公開)
  講座録音(音声のみ)
  講演スライド画像(PDF)

 ▼講演×講談×高座説教「一晩de祖師伝 語り紡ぐ日蓮聖人のご生涯」動画配信

 去る令和3年2月15日に全国日蓮宗青年会主催により宗祖降誕800年特別企画としてオンライン開催された《講演×講談×高座説教》「一晩de祖師伝 語り紡ぐ日蓮聖人のご生涯」。
 本企画では、当山住職も、「絵伝でたどる日蓮聖人のご生涯」と題して講演を行い、当山檀信徒有志の御聴講をいただいて、多くの反響を頂戴しました。
 当日の収録動画は、こちら(https://youtu.be/xQv96JJg00I)にて公開配信されておりますので、是非ご視聴ください。

 ▼【重要】感染症流行への対応について(令和4年1月21日)

要傳寺檀信徒各位
 新型コロナウイルス(SARS-CoV2)の感染拡大にともない、ご体調を崩されている皆様ならびに行動自粛を余儀なくされている皆様には、謹んでお見舞いを申し上げます。
 さて、いまだ感染症流行が沈静化しない現下の状況に鑑み、当山では当面の間、下記の通り取り決めますので、ここにお知らせいたします。
 各家それぞれにご事情が異なるでしょうから、具体的な事柄は寺までお問い合わせいただければ、個別にご相談に応じたく存じます。
 何卒よろしくお願い申し上げます。           住職

   記
(1)お葬式について
 通夜・葬儀の営為の方法や規模などは、いずれも喪主(祭祀主催者)様のご意向を尊重します。会場としての要傳寺の利用、住職への導師依頼なども、普段通りご希望に応じます。ただし、会場の都合上、人数制限はご葬家・参列者も含め最大10名様までといたします。各方面へのご通知は極力お控えいただき、感染症拡大防止に呉々もご配慮ください。
 また、寺を会場としての通夜・葬儀後の会食(通夜振る舞い・忌中払い)につきましては、密閉・密集・密接の危険性が高まるため、原則としてお控え下さい。  場合によっては、近親者のみにて火葬場でのご火葬(直葬)を済ませた後、日を改めてご埋葬の際に寺にて葬儀式(骨葬)を営むかたちも可能です。
 なお、一類・二類感染症など一部の感染症で死亡診断が下されたご遺体は、原則として死亡後24時間以内に火葬所にて直葬となり、その際の立会人につきましても制限される場合があります。詳細は役所・保健所等の指示に従ってください。

(2)ご法事について
 年回のご法事の営為方法・規模などは、いずれも施主(祭祀主催者)様のご意向を尊重します。ただし、会場の都合上、人数制限は10名様までと致します。本堂・控え室とも密閉・密集・密接の環境になりがちですので、人数を制限するなど、感染症拡大の防止には呉々もご配慮ください。
 当山でも、法事と法事の間隔を開けるなどの時間帯の調整、塩素系消毒液の散布、消毒用アルコールの準備なとの衛生環境保全に取り組んでおります。
 場合によっては、感染症拡大が収束または終息をみてからご法事を営む、あるいはご法事を見送って卒塔婆のみをご供養されるという選択肢もございます。ご法事を取りやめられる場合は、お申し付けいただければ、墓花・線香のご供養、卒塔婆の建立などを寺にて承ります。
 なお、ご法事後の会食につきましては、密閉・密集・密接の危険性が高まるため、原則としてお控え下さい。

(3)年中行事について
 春彼岸・盂蘭盆・秋彼岸などの要傳寺の年中行事のご案内は、例年の通り1ヶ月前までに往復葉書にてお送りいたします。
 期間中の墓参につきましては、午前9時から午後5時の間、通常通り可能ですが、感染症拡大の防止には呉々もご配慮ください。墓参がピークとなる時間帯は、午前10時台から午後1時台になります。密接・密集を避ける際のご参考になさってください。
 なお、各行事の法要(彼岸は春分・秋分の日、盂蘭盆は7月17日、会式は10月8日)に関しては、2週間前までに感染症拡大収束の目処が立たない場合は、中止にする場合もございます。その際は、法要出席でご返事をいただいた皆様に葉書にてお知らせいたします。

(4)お墓参りについて
 墓参につきましては、年間を通して午前9時から午後5時の間の開門時間中は、通常通り可能ですが、感染症拡大の防止には呉々もご配慮ください。
 諸般のご事情で墓参が叶わない場合は、お申し付けいただければ、墓花・線香のご供養、卒塔婆の建立なども、寺にて承ります。

*なお、今後、事態が変容することも考えられます。その際の行動自粛・集会制限等の原則は、国や地方自治体の要請・指示に従ってください。

 ▼TopicX NHK大河ドラマ「青天を衝け」と川路聖謨

 記念すべき第60作目となった大河ドラマ「青天を衝け」(令和3年放送)。
 人類史上無類の繊細かつ豊潤な文化を熟成させた江戸時代が終焉を迎え、欧米列強に対抗するための欧化に涙ぐましい努力を重ねながら国力をつけて、堂々たる「近代」国家へと生まれ変わった日本。しかし、忘れてはいけないのは、かくして制度は一新したものの、明治時代を築いた精神は封建時代に確立した武士道そのものだったことです。名実ともに武士の自覚をもった真正のエリートたちによって明治維新は断行されました。それは、決して江戸時代以前の価値観や精神性を否定するものではなかったのです。
 幕末から新時代の荒波を生き抜いた渋沢栄一の生涯を描く本作には、高森聖一こと当山第38世要中院日妙上人の祖父と伝えられる川路聖謨(かわじとしあきら)も登場します。川路聖謨(1801〜68)は、豊後国(大分県)日田の生まれ。佐渡奉行、普請奉行、奈良奉行、勘定奉行、外国奉行などを歴任した江戸時代の幕臣で、嘉永6年(1853)にはロシア使節プチャーチンの来航に際し、長崎で交渉にあたり、翌年伊豆下田で日露和親条約を結びました。川路は日本が不利な立場にならないよう、交渉では毅然とした態度をとったと伝えられます。その比類なき外交手腕や、誠実で情愛深く、機知に富んだ魅力的な人柄は、しばしば時代小説に描かれています。
 川路は引退後、中風(ちゅうぶ)による下半身不随や弟の井上清直の死去など不幸が続きました。戊申戦争の際、勝海舟と西郷隆盛の会談で江戸無血開城が定まったことを知らなかった川路は、肢体不随の身にて倒幕軍に捕らえられれば幕府側の交渉が不利になることを危惧し、慶應4年(1868)、自邸にて割腹の上、ピストル自殺しました。今日、東京上野池之端の日蓮宗大正寺にその墓所があります。
 高森家の所伝では、当山38世の要中院日妙(高森聖一)上人の父で、佐野妙顕寺40世・堀切妙源寺35世にあたる輪中院日澄(高森玄碩)上人は、川路聖謨の庶子(あるいは養子か)と伝えられます。現在知られている川路家の系図にはその名は見えませんが、その昔、武士が自害した際には、供養のため一族から僧侶を出さなければならないという慣習があったと言われ、このため系図には記されなかったのかも知れません。詳細は、当山護持会発行の『法住』40号をご高覧ください
 なお、ご参考までに川路聖謨関連の文献・資料類の一部を下記にご紹介します。川路聖謨については、史料・学術書に始まり、小説・手塚漫画に至るまで幅広い分野で取り上げられておりますが、とりわけ吉川弘文館人物叢書の『川路聖謨』をお薦めします。

  記
【史料・資料等】
藤井貞文・川田貞夫校注『長崎日記・下田日記』 (平凡社『東洋文庫』124、1968年)
川田貞夫校注『島根のすさみ―佐渡奉行在勤日記』 (平凡社『東洋文庫』226、1973年)
川田貞夫校注『東洋金鴻―英国留学生への通信』 (平凡社『東洋文庫』343、1978年)
山田三川著『想古録1 近世人物逸話集』 (平凡社『東洋文庫』632、1998年)
山田三川著『想古録2 近世人物逸話集』 (平凡社『東洋文庫』634、1998年)
大口勇次郎監修『勘定奉行・川路聖謨関係史料』全6巻(ゆまに書房『江戸幕府勘定所未刊史料集』、2015年)
【伝記・小説・創作等】
手塚治虫作『陽だまりの樹』全8巻(小学館『小学館文庫』、1995年)
吉村昭著『落日の宴 勘定奉行川路聖謨』上下巻 (講談社、1996年)
川田貞夫著『川路聖謨』 (吉川弘文館『人物叢書』214、1997年)
佐藤雅美著『立身出世―官僚川路聖謨の生涯』(文藝春秋、1997年)
佐藤雅美著『官僚川路聖謨の生涯』(文春文庫、2000年)
氏家幹人著『江戸奇人伝―旗本・川路家の人びと』 (平凡社『平凡社新書』88、2001年)
渋谿いそみ著『川路聖謨と異国船時代』(国書刊行会、2001年)
植木静山著『ロシアから来た黒船―幕末の北方領土交渉』(扶桑社、2005年)
木國雄著『この国のために─川路聖謨』全2巻(鳥影社、2013年)
川路寛堂編『川路聖謨之生涯(復刻版)』(吉川弘文館、2014年)
出久根達郎著『桜奉行 幕末奈良を再生した男 川路聖謨』(養徳社、2016年)
匂坂ゆり著『川路聖謨とプチャーチン 今蘚える幕末の日露外交史』(桜美林大学北東アジア総合研究所、2016年)

 ▼TopicW 要傳寺檀徒の系譜(2)〜NHK大河ドラマ「麒麟がくる」に寄せて〜

 令和最初の大河ドラマとして放送封切りとなった「麒麟がくる」(令和2年放送)、その主人公の明智光秀と当山の土岐家の関係について紹介します。
 平成24(2016)年11月21日に放送されたTBSテレビ「7時にあいましょう〜真田・秀吉・西郷…偉人の末裔ご対面SP」は、タレントでナレーターなども務めるクリス・ペプラーさんが、当山檀徒の土岐家の出自で、同家が明智光秀(1528?-1582)の子孫にあたることを実証する番組でした。一説に、明智家は「本能寺の変」ののち、子孫を守るため、姓を明智家本家の「土岐」に改めたと伝えられます。
 要伝寺の過去帳には、万治3年(1659)3月19日歿の土岐八良左ヱ門頼成の記録を初見として、昭和26年(1951)歿の第11代(旧墓標によれば第9代か)まで土岐姓を名乗る家系が続いていたことが知られます。頼成は、土岐頼勝の孫、頼直の二男にあたる人物で、『断家譜』巻1「土岐」の系図によれば、谷中の長耀山感応寺にて葬送されたことが記録されています。感応寺は、日蓮系教団のうちの不受不施派に属する寺院であったため禁制宗門として江戸幕府から弾圧を受け、元禄11年(1698)に天台宗に改宗し、現在の護国山天王寺となりました。因みに、要伝寺もかつては小湊誕生寺を本山とする不受不施派の寺院でした。
 要伝寺の過去帳には、続いて寛文6年(1666)10月14日歿の土岐頼勝(頼次の二男)、貞享2年(1685)歿の頼直(頼勝の長男)の記録がみえ、『断家譜』(前掲書)によれば、両者ともに駒篭(駒込)養源寺にて葬送されたと記されます。養源寺も土岐一族の菩提寺のひとつにあたります。この寛文6年に歿した土岐頼勝(要伝寺の土岐家過去帳の最初に記載のある土岐頼成の祖父)こそが、土岐頼次(美濃国守護大名の土岐頼藝の二男)の嫡男で、その実父が明智光秀ではないかと推理されています。
 当山の過去帳には続いて、頼永(頼清の長男)、頼清(頼直の長男)、頼恭(頼清の三男)、頼行(頼清の四男)の順に記録がみえ、いずれも『断家譜』の記載と合致しています。過去帳に俗名が確認できる範囲で世代順で列記すれば、頼勝の代以降、頼直・頼清・頼成・頼永・頼恭・頼行と代々要伝寺にて供養されてきたことが読み取れます。このほかにも俗名未詳の多くの土岐一族が過去帳には記載されおり、その中には『断家譜』の土岐家系図に連なる人物も含まれると思います。
 『断家譜』では頼行以後の記載はありませんが、頼行以降も「子孫存続」と付記され、当山には、その後も土岐家は絶家とならずに存続し、戦後まで土岐姓を名乗る一族が墓地を管理していました。
 明智憲三郎氏の研究(本能寺の変「明智憲三郎的世界 天下布文!」)では、要伝寺にて供養されている土岐頼勝こそが明智光秀の実子であり、かつて土岐家の家臣で織田家に仕えていた美濃国の稲葉一鉄(良通)という人物の助けを得て、土岐頼次の養子として預けられたと推理しています。   (平成31年4月8日)

 ▼TopicV 要傳寺檀徒の系譜(1)〜うなぎの名店・大和屋〜

 池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』にも登場する、上野山下(やました)仏店(ほとけだな)の「大和屋」。
 当山檀徒の先祖で、江戸時代の元禄期(1688〜1704)から幕末までの間に上野山下町の地で鰻の蒲焼き所を商っていた「大和屋」の実態について、『雑誌うえの』第719号(上野のれん会、平成31年3月発行)に「うなぎの名店・大和屋」(上野寛永寺長臈 浦井正明氏稿)と題する記事が紹介されました。本稿の発表にあたっては、当家の現当主の許可をいただき、当山から筆者に情報を提供しました。
 要伝寺に現存する当家墓地の墓標には、延享2年(1745)に埋葬された人物の法号(ただし一文字だけの略記)を初見としますが、寺の過去帳には対応する記録がなく、墓の竿石銘から谷中安立寺14世・上野徳大寺18世・中山法華経寺96世・京都本圀寺37世・京都本法寺43世を歴任した本妙院日要(〜1837)によって供養されたであろうことが推察されます。
 要伝寺の過去帳(年別過去帳)で確認が取れるのは、15世玄寿院日近(〜1800)代の明和5年(1768)年以降のことになり、記録では、当主は代々「大和屋利右衛門」を名乗っていたことが読み取れます。
 大和屋の存在は、江戸のミシュランガイドと言われる『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』などの文献史料では知られていましたが、江戸食文化研究の分野でも詳細がわからず、当山の記録が、新たな歴史の1ページに書き加えられることになりました。上方の鰻文化が江戸に伝わった最初期の記録としても、貴重なものとなります。
 ちなみに、『江戸名所図会』の「上野山下」の場面にも、啓運寺の近くに「うなぎや」の文字が見えます。これが大和屋を指し示すか否かは定かではありませんが、浦井氏談では、仏店(ほとけだな)の地名がこのあたりに該当するそうですので、興味深い史料と言えるでしょう。   (平成31年3月1日)

《補記》浦井正明氏は、令和2年3月に東叡山寛永寺に晋山し、第32世貫首に就任されました。

 ▼TopicU 国柱会館の所在地を示す新資料

 明治17年(1884)に田中智学によって創められた国柱会は、坪内逍遥・高山樗牛・姉崎正治・植中直斎・北原白秋・宮沢賢治・石原莞爾・牧口常三郎・武見太郎らに影響を与えたことで知られる、純正日蓮主義を標榜し活動した在家仏教教団です。現在、東京都江戸川区にある国柱会は、大正5年(1916)に帝都活動の道場として東京に国柱会館を創建します。実は、国柱会館は、当山(要傳寺)と言問通りを挟んだ向かい側に所在していたことが知られているのですが、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失したこともあってか、その正確な位置については詳らかでない部分がありました。
 このたび、新たな史料が確認されましたので、ご報告いたします。
 史料の1点目は、昭和10年(1935)版の『地籍簿』(『復刻版 東京地籍図』台東区編、不二出版、2011年)で、これには、国柱会の出版部局にあたる「株式会社 天業民報社」の名がみえ、その住所が「下谷区上桜木町1」(正しくは「下谷区上野桜木町1」)であることが読み取れます。
 2点目は、同じ昭和10年11月作図になる『下谷区火災保険地図』で、その「下谷区32」には、「天業民報社」の建物の構造を輪郭で示した図面が確認されます。国柱会本部提供の写真数点と照らし合わせても、1000人収容できたと伝える講堂を擁した複雑な構造の建物の様子や広い前庭が見て取れます。この「天業民報社」と記載のある建物が、まさに初期の「国柱会館」にあたります。
 次に、史料の3点目、写真集『台東区』(DECO『昭和の東京』2、2013)には、凌雲橋(新坂)の下から鶯谷駅を見上げるかたちで昭和43年(1968)に撮影された写真が掲載されており、左側路地の入り口に門柱らしき構造物が確認できます。『下谷区火災保険地図』にみえる昭和10年頃の天業民報社の施設には、この門を正門として出入りするような構造も読み取れるのです。写真が撮影された半年前に、国柱会は、現在の江戸川区一之江の本部に活動の拠点を移したことになっているのですが、東京大空襲で焼けた昭和20年以降の当地での国柱会館の施設の状況については残念ながら定かではありません。昭和27年(1952)の『火災保険地図』には施設の名称は確認できません。
 また、『全面航空地図 全住宅案内地図帳』(1966年)には「田桂会」の表記で図に落とされた建物がありますが、これが国柱会を指し示すか否か明確でないこと、施設の規模が小すぎること、立地場所が不自然なことなどが気にかかります。果たして、昭和40年代当時の様子を示す資料となるのでしょうか。このほか、小沢俊郎編『賢治地理』(学芸書林、1975年)所載の奥田弘氏の論文「宮沢賢治の東京における足跡」にも「国柱会館」の大まかな位置関係を示した地図が挿入されていますが、この度の新発見史料ほど厳密な記録は、管見の限り確認できません。
 なお、戦後の国柱会館の実態に関して、当山檀徒で昭和初期創業の鶯谷萬屋酒店の長恒男氏談によれば、戦後も同地に新たに建築された施設があったとのこと。
 今回の発見について、文献・史料の画像は著作権の関係で、本サイトには転載できませんが、台東区立中央図書館にすべて所蔵されておりますので、実際に手にとって閲覧が可能です。
 この度の調査に当たっては、上野寛永寺長臈 浦井正明氏、宗教法人国柱会賽主 田中壮谷氏、同理事 森山真治氏、根岸子規庵元館長 奥村雅夫氏、台東区立中央図書館郷土資料調査室専門員 平野惠氏、鶯谷萬屋酒店 長恒男氏の御教示をいただきましたことを付記しておきます。   (平成30年11月29日)

 《補記》浦井正明氏は、令和2年3月に東叡山寛永寺に晋山し、第32世貫首に就任されました。

 ▼TopicT 富岡製糸所長 速水堅曹について〜NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に寄せて〜

 幕末の動乱を生きた吉田松陰の妹 文(ふみ)と松下村塾に集う若き志士たちの物語を描いたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」(平成27年放送)。
 ドラマ舞台のひとつとなった富岡製糸場(富岡製糸所)には、当山第39世蓮中院日宏(高森宏之)上人内室 泰子刀自の曾祖父にあたる速水堅曹(1839-1913)が第3代・第5代所長(場長)を務めました。速水は、日本各地から集まった工女たちの労働環境の整備に尽瘁し、工女が仕事のかたわら読み書きや算術などを学ぶための夜学を開きます。国の模範工場で技術と知識を身につけた工女たちは、それぞれの国に製糸技術を持ち帰り、指導者となって地域の絹産業の発展に貢献しました。
 速水堅曹と高森家の関係についての詳細は、当山発行の『法住』39号(平成28年1月号)の記事「富岡製糸所長 速水堅曹について」(富岡製糸場世界遺産伝道師 速水美智子氏寄稿)を往見ください。



地域情報 Local Information 「メトロの中のレトロ」台東区

 要傳寺のある台東区では、四季折々の伝統行事が毎年開催され、賑やかで豊かな下町文化の風情を楽しむことができます。要傳寺にお越しの際は、是非「メトロの中のレトロ 台東区」の魅力もご堪能くたざい。
 
なお、いずれの行事・催事も、日程等に変更が生じる場合がございますので、最新の情報はそれぞれご案内の公式サイトから入手してください。
■台東区の地域情報■
■要伝寺近隣グルメ情報■

 ▼地域行事と交通規制のお知らせ

 要傳寺界隈の地域行事を中心に紹介します。
 各催事に関しては、開催時期によって、要傳寺周辺の交通にも少なからず影響が出ることが予想されます。
 墓参などで当山にお越しの際は、お時間に余裕を持っていただくか、公共輸送機関等をご利用ください。

@東京マラソン(毎年3月第1日曜日)
 警視庁交通規制情報
A小野照崎神社大祭(毎年5月中旬)
 小野照崎神社HP
B元三島神社大祭(毎年5月中旬)
 東京都神社庁HP
C三社祭(毎年5月中旬)
 浅草神社HP
D入谷朝顔まつり(毎年7月6日〜8日)
 入谷朝顔実行委員会HP
 警視庁交通規制情報
E江戸趣味納涼大会 うえの夏まつり(毎年7月中旬〜8月中旬)
 上野観光連盟HP
F隅田川花火大会(毎年7月最終土曜日)
 隅田川花火大会実行委員会HP
Gかっぱ橋道具まつり(毎年10月上旬)
 かっぱ橋商店街振興組合HP
H酉の市(毎年11月酉の日)
 鷲神社HP


 *いずれも最新の情報につきましては、各主催者の公式ホームページを御確認ください。



 ▼下谷仏教会 花まつり(毎年4月初旬)

 上野恩賜公園で開催される花まつりは、要伝寺も加盟する下谷仏教会主催の年中行事です。
 上野公園内の清水観音堂下を出発して、仏旗を先頭に楽僧・尺八・稚児・導師・式衆・稚児・御詠歌講・仏旗の順で進列する「お稚児さん行列」が公園内を練り歩きます。大仏パゴタでは、お釈迦様の誕生仏に甘茶を灌(そぞ)ぐ灌頂(灌仏)を行い、お釈迦様の誕生を祝福すると同時に、未来にはばたくお稚児さんへの祝福を祈念します。
 桜の時期に重なると、国内のみならず海外からも大勢の観光客が随喜参列される、とても賑やかで華やかな春の行事です。
 要伝寺檀信徒でお稚児さんご希望の節は、寺までお申し込みください。

【基本情報】
名称/下谷仏教会 花まつり
開催日/毎年4月初旬 12:30稚児行列お練り、13:00法要
開催地/上野恩賜公園大仏山パゴダ(雨天:不忍池弁天堂)
主催/下谷仏教会
共催/上野観光連盟
アクセス/要伝寺から徒歩20分、上野駅(JR・地下鉄)から徒歩3分
※ なお、お稚児さんご希望の場合は、3月20日までにお申し出ください。稚児1名あたり8,000円(本人・付添各1名の弁当代、稚児衣装代・化粧代・記念品代を含む)の参加費がかかります。

*下谷仏教会は、台東区内の旧下谷区地域に所在する超宗派の仏教寺院で構成された団体で、要伝寺は第6部に加盟しております。第6部の構成寺院は、根岸・金杉地区の千手院・大空庵・永称寺・西蔵院・円光寺・安楽寺・西念寺・世尊寺・薬師寺・要伝寺で、各寺が輪番にて下谷仏教会年番理事を務め、4月の花まつり、7月の流灯会に出仕しています。

 ▼下谷仏教会 流灯会(毎年7月17日)

 上野不忍池で開催される 流灯会(とうろう流し)は、要伝寺も加盟する下谷仏教会主催の年中行事です。毎年7月17日に、上野観光連盟主催「うえの夏まつり」の一環として、不忍池のボート池において催されます。
 要伝寺の檀信徒で、ご先祖や有無両縁の諸精霊へのご供養をご希望の節は、前日までに当山宛てお申し込みください。開催当日のお申し込みにつきましては、不忍池弁天堂にて午後5時より受け付けております。

【基本情報】
名称/下谷仏教会流灯会(りゅうとうえ)
開催期間/毎年7月17日 午後7時〜午後8時
開催地/不忍池弁天堂・ボート池
灯籠供養料/1基1,000円
主催/下谷仏教会、共催/台東区戦没者遺族会・上野観光連盟
   下谷仏教会の加盟寺院については、お寺マップ(http://oteramap.com/)をご参照ください
共催/上野観光連盟
アクセス/要伝寺から徒歩20分、上野駅(JR・地下鉄・京成線)から徒歩5〜10分
※ 雨天・強風など荒天時には、流灯(とうろう流し)は中止し、法要(僧侶による読経・供養)のみ弁天堂内にて執り行う場合があります。

*下谷仏教会は、台東区内の旧下谷区地域に所在する超宗派の仏教寺院で構成された団体で、要伝寺は第6部に加盟しております。第6部の構成寺院は、根岸・金杉地区の千手院・大空庵・永称寺・西蔵院・円光寺・安楽寺・西念寺・世尊寺・薬師寺・要伝寺で、各寺が輪番にて下谷仏教会年番理事を務め、4月の花まつり、7月の流灯会に出仕しています。





近況報告 Recent Report

令和4(2022)年6月11日
住職は、東京都私立中学高等学校父母の会第4支部役員、同30日、東京都私立中学高等学校父母の会中央連合会評議員にそれぞれ就任。
令和4(2022)年5月28日
住職は、公益社団法人全国幼児教育研究協会理事に就任。
令和4(2022)年5月5日
住職は、日蓮宗東京都北部布教師会幹事に就任。
令和4(2022)年3月2日
 当山住職は、令和3年度全国日蓮宗青年会行学道場「御遺文で学ぶ日蓮聖人の人物と教え」(リレー方式第6回・最終回)において、「日蓮聖人の人物像〜その魅力に迫る〜」と題してオンライン講演。
令和4(2022)年3月1日
 この度、当山所有の鰐口1口が、令和3年度台東区区民文化財台帳に「台東区有形文化財(工芸品)」として登載されました。
 本鰐口は、その銘文から安政3年(1856)、西村和泉守(にしむらいずみのかみ)の制作になることが読み取れ、当山第25世日随上人(〜1856)の代に奉納されました(ただし当山の歴代譜では智祐院日随上人は第27世)。西村和泉守は江戸を代表する鋳物師で、本鰐口は第9代西村政時の作例と推定されます。
 法量は面径31.8cm・胴厚13.3cm、銅製鋳造で、中央の撞座(つきざ)には表裏ともに単弁十六葉蓮華文(たんべんじゅうろくようれんげもん)が、表面の銘帯(めいたい)は題目講中による奉納銘が陰刻されています。
 本鰐口は、近世後期の江戸を代表する鋳物師の活動や鋳造技術を知る上で重要な作品であること、また江戸時代の資料を失っている当山の実態や根岸の歴史を伝える貴重な資料であることなどが、文化財台帳登載の理由となりました。
令和3(2021)年11月9日
 当山住職は、令和3年度日蓮宗東北教区教学研修会(日蓮宗勧学院)にて「日蓮聖人の葬送について」と題しオンライン講演。
令和3(2021)年10月28日
 当山住職は、令和3年度全国日蓮宗青年会行学道場「御遺文で学ぶ日蓮聖人の人物と教え」(リレー方式第1回)において、「日蓮聖人遺文概説〜御遺文の読み方〜」と題してオンライン講演。
令和3(2021)年10月13日
 当山住職も編集に協力し、宗祖降誕800年慶讃記念として製作された『日蓮宗 新・電子聖典』USBメモリ版(電子版)が、このたび日蓮宗宗務院より発行されました。
 本媒体は、立教開宗700年慶讃事業の一環で製作された『日蓮宗電子聖典』CD-ROM版の第2版として、『昭和定本日蓮聖人遺文』『日蓮宗事典』『日蓮聖人全集(春秋社)』を改訂し、新たに『真読妙法蓮華并開結』および『新編日蓮宗年表』『近代日蓮宗年表』『日蓮宗年表』の年表類を実装、附録として『日蓮宗宗定法要式』『日蓮聖人・日蓮教団史研究図書文献目録』を搭載したものとなります。
 データは今後も随時更新され、日蓮宗教師は、日蓮宗教師用サイトにアクセスすれば、最新のデータを閲覧・利用できます。是非、ご活用下さい。
令和3(2021)年2月16日
 宗祖日蓮聖人降誕800年を記念し、この度、要傳寺護持会より、『要傳寺檀信徒必携并勤行要典』第2版を発行いたしました。判型を初版本(平成28年発行)のA6版からB6版に拡大し、内容も大幅に改訂増補した本書は、当山の檀信徒向けの小冊子として、仏教の基礎知識、日蓮宗の教義、檀信徒としての心得、寺からのお願い、諸事業のご案内をはじめ、普段のお勤めや法要で拝読するお経文(総ルビ・解説・現代語訳付き)などを収載しております。
 判型はB6縦判128o×182o、総頁数100頁、両面表紙で、檀信徒必携は横組み・左開き、勤行要典は縦組み・右開きとなります。旧版になかった目次も新設しました。
 令和4年1月発行の『法住』第45号に同封し、檀信徒各家につき一冊お送り致しますと同時に、当山の本堂に常備して、皆様にご利用いただけるように致します。
 日々の信行に是非ご活用ください。
令和3(2021)年2月15日
 住職は、全国日蓮宗青年会主催・日青塾共催の講演×講談×高座説教「一晩de祖師伝 語り紡ぐ日蓮聖人のご生涯」にて、「絵伝でたどる日蓮聖人のご生涯」と題して講演。
令和2(2020)年12月12日
 TBSテレビ「日立世界ふしぎ発見!〜日本のお城スペシャル」の放送の中で、築城の名手と呼ばれた戦国武将明智光秀の子孫とされるタレントのクリス・ペプラー氏が福知山城を巡り、番組中に同氏の先祖が眠る要伝寺の旧土岐家墓所の映像を紹介。
令和2(2020)年11月24日
 住職は、法華コモンズ仏教学林法華仏教講座第2回(新宿区常円寺・オンライン開催)において「日蓮遺文の賢王と愚王―印度・西域篇―」と題して講演。
令和2(2020)年10月19日
 住職は、日蓮宗埼玉県布教師会布教布教講習会(埼佛会館)において「日蓮聖人の教えを今にどう伝えるか」と題して講演。
令和2(2020)年10月8日
 住職は、東京都台東区教育委員会委員を委嘱(第3期)されました。
令和元(2019)年12月10日
 住職は、日蓮宗社会教導師に任命されました。去る平成十五年五月に就任した日蓮宗専任布教師の活動と併せ、宗教教育の社会化を進め、社会教化事業および社会教化活動に従事いたします。
平成30(2018)年8月28日
 このたび、『法住』創刊号から最新号までの既刊号(バックナンバー)すべてのデジタルデータ化(PDF化)が整い、データを記録したDVD「法住アーカイブ」を作成しました。護持会会員でご希望の方には無料にてお分けいたしますので、当山までご一報ください。
 なお、閲覧には、DVD-ROMが読み込める機器(パソコンなど)ならびに閲覧ソフト(PDFファイル閲覧ソフトなど)が必要となります。
 また、「山門掲示」の「寺報『法住』について」内に、既刊号の総目次のリンクを貼りましたので、こちらも併せてご活用ください。総目次は、Microsoft社の表計算ソフトExcelで作成してあります。互換性のある表計算ソフト等でご利用可能です。
平成29(2017)年12月15日
 渡邊寶陽・関戸堯海・高森大乗共編著『全篇解説日蓮聖人遺文』(校正出版社)発刊。
 日蓮聖人の著作・書状などのうち、真蹟が残されている文書を中心に解題・解説を行った本書は、『立正安国論』など代表的な著作のみならず、信者にあてた書簡に至るまでを収載し、それらを繙くことで、日蓮聖人の実像に迫ろうとするものです。
平成28(2016)年11月21日
 10月25日、TBSテレビ「7時にあいましょう〜真田・秀吉・西郷…偉人の末裔ご対面SP」(2016年11月21日放送)に取材協力。


■その他の近況報告■


更新履歴 Update LOG

令和4(2022)年5月28日
「トップページ」「住職動静」更新。
令和4(2022)年3月3日
「トップページ」の「おしらせ」「近況報告」、ならびに「要傳寺誌」の「鰐口」の情報更新。
令和4(2022)年2月8日
「トップページ」の「NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』登場人物と日蓮聖人の周辺」に後鳥羽上皇・名越朝時を新加。「住職動静」更新。
令和3(2021)年12月8日
「トップページ」「住職動静」「参考文献」更新。「塔婆申込書」を改訂。山門掲示にMicrosoft Excelのマクロ機能を活用した万年暦(無限カレンダー)を掲載しました。B1のセル(西暦年)とD1のセル(月)を変更すると、自動的に当該年月のカレンダーの日付に置き換わります。祭日・六曜は反映されませんが、年間予定表としてご活用ください。
令和3(2021)年10月13日
「トップページ」更新。「山門掲示」(寺報『法住』について)『法住』総目次を更新。
令和3(2021)年5月12日
「宗義大綱」の「日蓮宗法要式」ページに『妙法蓮華経要品折本用附録』を掲載。「住職動静」更新。
平成30(2018)年4月13日
山門掲示」内の「推薦図書」に松本徹三著『AIが神になる日〜シンギュラリティーが人類を救う』(SB Creative、2017年)を新加。
平成29(2017)年12月31日
「トップページ」の「お知らせ」「地域情報」「フォトモーション」を更新。「山門掲示」内の「推薦図書」に長谷川眞理子・山岸俊男対談『きずなと思いやりが日本をダメにする〜最新進化学が解き明かす「心と社会」』(集英社、2016年)を新加。

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