金沢三十四観音札所



 観音菩薩は各時代を通じて最もひろく信仰された仏で観音という
呼び名は法華経の中に「人々が一心にその名を唱えるとその音声
を聴いて救いに現れる」とあることに由来しています。
 観音菩薩が三十三に姿を変えて人々を救うとされることから西国
三十三カ所を巡ることが生まれ坂東三十三ヵ所と秩父三十四ヵ所
を加え、百というきりの良い数になりこれが「百観音」札所と呼
ばれるようになりました。
 初めて札所巡りをしたのは平安時代の花山天皇といわれますが、
鎌倉・室町時代に「百観音」が成立し、江戸時代になると札所巡
りは一層盛んになり各地に三十三ヵ所が形成され、一般庶民も信
仰の旅に出かけるようになり、霊場は賑わいました。金沢でも三
三十四ヵ所がつくられ金沢の人々が近くで札所めぐりが出来るよ
うになりました。

 金沢札所の成立は、札所十四番の千光寺に「宝暦五乙亥天」の文
字を刻む石碑が現存していることなどから享保年間(1716〜
35)頃には成立したものと考えられています。
 江戸時代、天下の絶景といわれた金沢八景の観光をかねて多くの
人々が、ご詠歌とともに巡礼の旅をつづけたことでしょう。


 金沢札所三十四ヶ所

   第一番  海岸寺  (廃寺)現在・県立金沢文庫

   第二番  慈眼寺  (廃寺)現在・称名寺

   第三番  大宝院       現在・称名寺  

   第四番  永泉寺   (廃寺)現在・薬王寺

   第五番  円通庵  (廃寺)現在・天然寺

   第六番  能見堂  (廃寺)現在・龍華寺

   第七番  花蔵院  現在・龍華寺

   第八番  善応寺  現在・染王寺

   第九番  室木庵  (廃寺)現在・天然寺

   第十番  太寧寺

  第十一番 金龍院 

  第十二番 泥牛庵

  第十三番 嶺松寺  (廃寺)現在・太寧寺

  第十四番 千光寺

  第十五番 常福寺  (廃寺)現在・宝樹院

  第十六番 東光寺    現在・東光禅寺

  第十七番 本留寺  (廃寺)現在・禅林寺

  第十八番 般若寺      現在・満蔵院

  第十九番 正法院

  第二十番 氷取沢  (廃寺)現在・宝勝寺

第二十一番阿弥陀寺  

第二十二番金山寺  (廃寺)現在・来光寺

第二十三番村松山  (廃寺)現在・安養寺

第二十四番万蔵寺  (廃寺)現在・徳恩寺

第二十五番正福寺  (廃寺)現在・光明寺

第二十六番正覚寺

第二十七番福聚院

第二十八番如意輪堂 (廃寺)現在・東樹院

第二十九番泉蔵院   (廃寺)現在・篁修寺

第三十番東禅寺

第三十一番東禅寺(多福院)       現在・林香寺

第三十二番慶珊寺 

第三十三番 第三十四番 持明院   

                

                          次  へ 

                       トップページへ




                                             参考資料 金沢三十四観音霊場めぐり(金沢札所三十四か所を歩く会)
                                                      金沢三十四ヶ所札所の観音を尋ねて(吉原 勉)
                                                      観音信仰(神奈川県立金沢文庫)
                                                      観音さま入門(大法輪選書)
                                                      金沢の寺社(金沢区役所)