第十三番 金剛山 嶺松寺(廃寺) 〜案内図はこちら〜
(現在 海蔵山 太寧寺 金沢区片吹町61−5)
おもしろや むつらのはまに かよひきて ことやしらぶる みねのまつかぜ 嶺松寺は今はなく、そこにあった札所の観音は太寧寺にあります。 「カヤの名木」で知られる六浦の上行寺の西側、コンビニエンスストア セブンイレブンの横の道を入った突き当りの山裾がその故地とされて います。 新編武蔵風土記稿には 嶺松寺 境内瀬戸明神領内、六浦にあり、禅宗臨済派鎌倉建長寺末、金剛山と号す、 本堂三間四方、本尊正観音座像長一尺許、此辺札所第十三番なり、瀬戸明 神の神職千葉司の先祖豊前某が開基と云、開山は詳ならず、或云僧月窓元 暁なりと、此僧は貞治元年十月二日寂す と書かれてあり、嶺松寺は金沢札所第十三番、本尊は正観音であっ たことがわかります。(座像は誤記で立像が正しいと言われています) 開山は貞治元年(1362)頃の創建で、建立したのは北条顕時夫人 (千葉泰胤の女)で文和2年(1353)にはじめて瀬戸神社神主とな った千葉胤義(嶺松院殿)以後、千葉家累代「の菩提寺でした。 |
明治維新後千葉氏は退転し、廃仏毀釈によりは廃寺となりました が、桓武天皇を祖とする平良文の流れをくむ千葉氏歴代の墓所は、 そのまま残っており、上行寺西側山裾の故地には長い間放置されて いた多数の石塔群も今は整然と並び、その中には嶺松院殿と刻まれ たものや同じ瀬戸神社の神主だった千葉(平)胤道夫婦の墓なども 残っています。 またこの辺りは「殿ヶ谷戸」とか「堀の内」と呼ばれており、千葉 氏の邸もここにあったと考えられています。 嶺松寺の観音様は明治維新後の廃寺になったとき、同じ臨済宗建長 寺派の太寧寺に移されたものとみられています。太寧寺で発見され た版木からもこのことが窺われます。顕時夫人の叔母にあたる千田 姫(泰胤の妹)も北条時頼の妻となっており、また千葉胤貞の猶子 「日祐」は上行寺開山の上人であるなど、北条氏と千葉氏が六浦の 港で強く結ばれていたことがわかります。 このような歴史的背景から千葉氏が北条氏の篤い崇敬を受けた瀬戸 神社の神職を務めたものと考えられています。 徳川幕府時代の瀬戸神社は百石の朱印地を領していたといわれ、嶺 松寺はその朱印地の小名六浦にあったといえます。 |