KhasyaReport ひなたやまカフェ 039 / 22-Apr. 2025
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オスパンサラはスリランカ内陸のウェーヤンゴダ駅前に店を構えていた。スリランカへ着いてすぐにカンディへ向かう時、必ず駅前の粥の店に寄った。大きなコップになみなみと草粥を注いで、それを椰子砂糖をかじりながら飲み干す。写真のお二人は店のご夫婦。胃弱な私はお二人に救われて草粥を飲みながらスリランカを周った。 |
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TOMOCAというエスニック料理店を長い間やっている間、かなり体に負担を掛けていた。私は胃には自信がない。スリランカでの食材仕入れの旅のあいだ、胃をこじらせた私が飲む薬草粥はハーターワーリヤか、ゴトゥコラだ。
あれはもう40年も前のことだ。あの時をいまさらに思い出す。なんでって、あの粥の味を思い出す薄粥を、偶然、日向山の麓の我が家で飲んでしまったからだ。
相棒が倒れた。認知症が進み介護を受けていた。訪問診療の医師が駆けつけてくれて、あと数日か、持てば何週か、何か月か、分からない。ただ、覚悟は…、と言われた。翌日も医師が診療に来てくれた。我が家で診察を受けられるのがなんともありがたい。身動きはできないが、小康状態の様子を見て介護ベッドを入れ、看護師を毎日通わせてくれる処置を医師は取った。
ベッドに張り付いて身動きしないまま一週間、相棒は朝遅くと夕方早くにメイ・バランス一箱だけを短いストローで飲んだ。擬痛風の足は水を抜いたがひどく腫れたままだった。
処方の配合経腸用液を調剤薬局から取り寄せた。調剤薬局はミツバチのような羽音を立てて飛んできた。始めはアボット、それから日本製に変えた。メイ・バランスの組成に近い経腸用液を選んでもらった。腸に直接入れるのではなく経口で胃に液を送り込みなんとか体力を維持する。生活のすべてが変わった。ベッドからは抜け出せない。
週をいくつか越えて様態が安定してリハビリを始めるようになった。すっかり萎えた足の筋と筋肉の再生、車いすへの移乗を理学療法士が担って、枯れた木の幹のようになって固まった体全身を解きほぐす。
食は相変わらず進まない。配合溶液も冷たいまま飲んでいては体に負担か、と思いなして温めるようにした。摂氏60℃を越えなければ組成中のタンパク質は固まらない。お茶のように温かくした。おかゆも用意して。
すると相棒はおかゆをスプーンですくって溶液に入れた。なんてことをするんだ、それじゃあ飲めなくなると言いかけて、はたと気づいた。これ、オスパンサラの粥と同じじゃない?
スプーンで掬って一口。まさかパーム油(ココナツ・オイル)が入っているからじゃないだろうけどオスパンの椰子の実の薄汁で炊いた粥の柔らかい雰囲気が舌に乗る。熱帯の島のアーユルウェーダの味を思い出す。パーム油の脂質に粥の糖質。ジャグリー(粗製の椰子砂糖)を齧りながら飲んだならオスパンの粥そのまま。やせ細った体には天恵の食品?いや医療品。これで弾みがついたか食欲が出てきたようだ。
日本の高度に進化した薬品化学が生んだ産物はスリランカの伝統医療、アーユルウェーダ以前の「食べるクスリ」に近かった。自然そのままの。
医療も薬品も大きなパラダイムの転換の中にある。熱帯に戻れ、自然に戻れ。柔らかくてほのかに甘くて、はるか遠くにそれとは気づかぬ、わずかなクスリの感触があって。
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【参考】
シンハラ語で粥はカンダという。タミル語ではカンジ、ヒンディ語でもカンジだ。粥は中国南部の呉音でジュとなり、勒鮮半島ではクジュとなる。日本語のカユは日本列島各地で共通し方言のない珍しい単語である。
アジアの粥のそれぞれの子音配列を見ると、KD・KJ・EYと似かよっており、DとJの子音間には軟口蓋、堅口蓋の違いがあり、JとYの間には舌音、無舌音の違いがあるものの、しかし、これらの違いこそが、粥という言葉が各地で対応することを明確に示していると思う。粥はアジア・モンスーン稲作地帯の東西の端をつないでいる。
コロンボとカンディを結ぶ幹線鉄道沿いに一軒の粥屋があった。ウェーヤンゴダ駅前の小さな店オスパンサラである。
早朝のオスパンサラはカップ一杯の粥を畷る通勤前の男たちで混み合う。日本で朝粥といえば禅寺で沢庵一切れとともに供されるささやかな粥、精神修養の高等な行とされるが、スリランカの朝粥にはそんな謂れはない。日常の中で、日々、肉体の健康を食事で促進する。例えてみれば、日本の企業戦士が駅のホームで飲む朝のドリンク剤と同じかも。粥は病人食だといって嫌う人がスリランカにもいる。だが、朝一杯の粥が健康づくりの源とする人たちは圧倒的に多い。
プラスチックの小さなカップに注がれた薄粥をむくつけき髭面が無心に畷る。ノータイ、素足にサンダル履きだが、彼らは素敵なコロンボで働くサラリーマン。現代産業社会にルーズ・フィットしている彼らの姿は日本人の私の目からすればなんとも羨ましい。ハクルを齧っては粥を畷る。髭面がズズッと粥を啜れば鎌倉時代の野武士のエネルギーが湧いてきて一目散に山野を駆けめぐりたくなる。
スリランカの粥は日本でいえば草粥である。オスパンサラの草粥の旨味には秘密があると思い、店のディサーナーヤカ夫人に炊き方を訊いた。粥作りのコツは、ハーブを米に加えて薄いポル・キリで煮る、それだけであった。
山野に自生する、あるいは自宅の庭で育てたポルバラ、ゴトゥコラ、ハーターワーリヤなどの草を臼で叩き潰して汁を絞り取り、これを半分煮上がった粥に加える。これが煮えればスリランカ式草粥の出来上がりだ。
自然の味は澄んでいる。米の産地やら水の出生地を問いただし、味やサービスに星の数をつけて虚実を弄ぶ脆弱なグルメ民族には分かりもしないだろう。自然の恵みそのものがスリランカのの魅力で、粥はそこから生まれるのに、日本人はスリランカを訪ねてもスリランカの粥に出会わない。
※「南の島のカレーライス オリジナル版」2022-May-21/初出・南船北馬舎 1995/5/1の中の「ぺとぺと、ぱらぱら」からオスパンサラの部分を抜粋
මෙහි පළ කර ඇති කැඳෙහි පාඨය වන්නේ අවුරුදු 40කටත් කලින්. මම ශ්රී ලංකාවේ සංචාරය කරන විට, බොහෝ ශ්රී ලාංකිකයන් විසින් මාව රැකබලා ගන්නා ලදී. ඔසුපැන්සල යුවළත් මට උණුසුම් ලෙස සැලකුවා. ඒ අයව දන්න කෙනෙක් ඉන්නවනම්, කරුණාකර Khasya Report එකේ අපිට දන්වන්න.
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