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スリランカでは知らない人がいない。 国民的料理? おしんのダイコンめし。 |
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私はおしんの生まれた故郷からきた。 そう言うと誰もが顔を昂揚させる。そして、両腕を顔に近づけると、スルスルとご飯茶碗の中の物体をすするまねをする。 スルスル、ずるずる、と真似る。 そして、 ラーブ・バト!、と言う。 スリランカ北部東部へは行ったことがないからそちらでの確認はしていないが、それ以外のところでは私の故郷の名を言うと、おしん、ラーブ・バトという連想が即座に働くらしい。 ラーブ=ダイコン。バト=めし。で、ラーブ・バトはダイコンめし、ということになる。 口にハンドルレス・ティ・ボールを添えて、箸をちょこちょこ動かしておしん一家が食べていたあのラーブ・バトの正体が知りたい。あれは何だ、と訊かれる。 その説明が、実に難しい。 多量の水でごく僅かの米を炊き、そこにダイコンを入れて米の足りない分を補う。などと説明すれば知識としてのダイコンめしは理解される |
だろう。だけど、それはAL共通試験の詰めこみ知識と同じで、何の役に立つものでもない。 知らせたいのは飢えるという危機感だ。 日本で暮らせば飢えの危機はいつでも身に迫る。カネがなければ日本では万人が飢える。 だが、スリランカではその飢えるという状況が想定しにくい。想定外だ。貧しくて食えなくて生きていけないという状況がない。 スリランカの田舎では、うちは貧しいからクラッカンとガーガト・ポルだけの朝食だ、ということはある。ステープル・フードは米一辺倒ではない。雑穀に削り椰子をまぶして指で器用にこねて食べる。貧しければ貧しい食事がある。 日本で暮らせば貧しさは死の危機を招く。だが、スリランカには飢え死にという悲惨がない。 だから、ダイコンめしが抱える飢餓の不安を説明しにくいのだ。 料理そのものでいえば、クラッカンの椰子まぶしは粥状でないからダイコンめしの雰囲気が出てこない。薄いかゆでないと… |
かゆと言えばスリランカにはカンダがある。日本のかゆと同じだ。多くは草がゆにして調理する。でも、これをラーブ・カンダと直訳して話して聞かせてもまったく意味が通じない。 ラーブはカンダに使わない。それにカンダが貧しさの象徴になった時代はスリランカ史上にない。おしんのダイコンめしは直訳しても意味がない。 かゆはスリランカでは薬。 アーユルウェーダ体験ツアーでスリランカへ行った方はゴトゥコラ・カンダを「飲んだ」ことがあるだろう。あの緑のかゆはアーユルウェーダなのだ。ガンパハのアーユルウェーダ病院にはかゆの売店が付属しているほどだ。 おしん一家はアーユルウェーダの暮らしをしてたからダイコンめしを食べたって言ってみるかぁ。 ガンパハ・アーユルウェーダ大学付属病院。調剤薬局の横の「かゆやさん」。ひっきりなしに客が訪れて「かゆ」をすする。 人気なのはキトゥルのかゆ。 スリランカ料理・道案内 INDEX |