月のすきま(2001年3月)
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2001/03/05(月) 23:05:51  ヒカルと古事記

 

宇多田の新曲を仕事中のカーラジオで聴いてなぜだか古事記のことを思い感極まっちまった。よくよく感じてみたらみんな近代的閉塞じゃねえか。売れないことがなぜ悪い。無関係でいることの凶暴さ。春だというのに自由な呼気吐気できない。もっと客観的にみる訓練を。生活の実用をやるにつけ言葉のメタメタ度合いが減ってきちまった。いちどおれのなかの絡み枝を全部抜き取り、さっぱり剪定して身軽になって、もう一度芽吹くことを期待しよう。受身であること。古事記を読もう。


2001/03/06(火) 06:45:25  夜明けの「ぬ」

 

 夜明けに起きて、今日の段取りが頭を巡る。便所で下血の量を確認し、珈琲を点て、窓が白むのを眺める。やうやうあけゆくやまぎわ。やっぱ風景には山がなければの。それでも自転車で崖っぷちを走ればかすかに富士が見えることがある。驚くほどの大きさだ。
 さてそろそろ「ぬ」を起こさねばの。


2001/03/06(火) 21:27:13  教授と仕事

 

 議員の藪の中に侵入者防止のフェンスを作ることになっているのだが、時間になってもフェンス屋がこない。雑木林の下で待っていると来たのは教授だった。教授と基礎ブロックを運ぶ。法面の藪を掻き分けて20kgほどのブロックを17個。腕が痛くなった。半袖になってやった。半袖は今年はじめてだ。教授が連れてきた手元は、前歯が上下抜けていたが、実に謙虚ないい顔をしたオヤジだった。


2001/03/07(水) 22:55:41  御伽草子の風景

 

 夕方から北風に変わった。自転車をえっちらおっちら立ちこぎして帰る。

 夕刊に「社員過労死・会社社長を書類送検」とあった。
 だいたい建築業関係で労基法がしっかり守られているところなんてあるのか。
 もう何年も国民の祝日なんてのを休んだことなどない。

 きのうのテレビで、襟裳の昆布を甦らせるために植樹した漁師の50年の姿を紹介していた。とてもじゃない時間だ。けれど一歩一歩這いつくばってでも進めば砂漠は森になっている。色が変わる。

 朝の畑で老農婦が手を叩いて鳥を追っていた。御伽草子をみるようだった。


2001/03/08(木) 18:51:56  「ぬ」のくつろぎ

 

 今日は3種類の公共工事の書類作りと役所打ち合わせ。気がかりがいくつか解消したのでホッとした。明日は芝張り。今度の日曜は休めないことが決まった。ま、ひとつひとつこなしてゆくしかねえべ。

 そういえば、きのう1級技能士のカードが来た。いぶし銀の、なかなかハッタリ効きそうなカードだ。

 木曜日はコンビニ立ち読みの日。バガボンド、殺し屋1、カバチタレ、海猿、部長島耕作、がお気に入りだ。他にヒート、あずみ、も追っている。サイコ、ベルセルク、はもうかすれてきた。

 久々に早く帰ったら「ぬ」がクッキー焼いて紅茶を飲んでくつろいでいた。うまかった。

 

 

2001/03/09(金) 21:43:35  満月

 

 身体のあちこちが軋んできたので極楽へゆく。100円の会費を払って会員になりチケットを買えば毎回450円でとろける。たまには他人の裸を眺めるのも悪くない。

 きのう財務大臣が「日本の経済は破局に近い」と発言して「お」と思った。破局は面白い。割を食うのはいつも貧乏人だが。
 みんな大人のふりして本当はリセットするのが怖いのだ。

 自慢じゃないがバブルの頃はいつ果てるともない鬱で生きている感じがしなかった。みんな死ぬことを忘れたんじゃないかと思った。だから死にたくなったのだ。

 大海人皇子が傷を癒した釜風呂から出ると満月だった。満月をちらっと見てメメントモリ。

 今朝は雪が積もっていたな。運んだ野芝にも雪があった。いちにちせっせと芝を運んだ。

 

 
2001/03/10(土) 21:35:15  中世の花粉症
 

 

半日芝運び。半日アパートの坪庭作り。

 庭作りは面白い。木も土も建物もみんな生きるように。

 今朝は「ぬ」を休ませてやろうとひとりで納豆食べていたら、耳をくるくる回転させて起きてきた。写真にとった。

 鼻がずっとぐづついている。植木屋が花粉症かよ。

 明日休みになった。「中世の風景」読んじまお。

 

 
2001/03/11(日) 21:50:21  おまえらはどうよ。
 

 

少し微熱。風邪薬飲む。
 南の部屋で昼寝。硝子戸の内はぽかぽかだ。

 「ヤザワはシアワセになりたかった。おまえらはどうよ」
 矢沢永吉の言葉。
 「自転車に乗って鹿児島までゆきたい」
 忌野清志郎の言葉。

 現場日記「昼寝」、カイエ「群れること」書いた。

 今日は「ぬ」も半日伏せっていた。イチゴを買ってきて食べさせた。

 「中世の風景」面白い。
 時代のイメージなんてものはほとんど作られたものだ。自分の暮らしを潜らせれば分かってくる。大言壮語には気をつけませり。

 

 
2001/03/12(月) 22:32:51  GUAN!からの言葉
 

 

「もしも孤独が可能なら生きることはどんなに楽だろうか」

「生の形式は内容によって裏切られる」

 GUAN!からの言葉。
 やっとGUAN!の言葉が腑に落ちるようになった。

 こころが、こころを要素分解再構成できないのは、自己同一性の問題なのではなく、こころは単独ではありえないからなのだ。感じ、考える主体が、実は単独の「私」ではないとき、近代以降の思考の形式とはなんなのだろう。

 今日は粉雪舞うなか芝を張り、木柵を補修し、写真に押さえ、自治会長の機嫌を取り、役所と連絡し、明日の段取りし、材料承認願いのファイルを作って、自転車に乗って帰った。

 夜、雨雪。

 

 
2001/03/13(火) 19:58:11  風も強かった。
 

 

きょうはいつにもましてハードだった。なんだかへたり込んだ。風も強かった。


「もしも孤独が可能なら生きることはどんなに楽だろうか」
 孤独だと言っている私は誰なのか。
 気づいてみる。

「生の形式は内容により裏切られる」
 私の死は私には不可能である。
 生死の形式は私には無関係だ。
 この「私」を「自己」と言い換えると禅語録がぼろぼろ出てきそうだ。

 けれど自己を抱いて生臭い坊主のてかてかアタマはごめんだ。

 「毎日どやらこやら餌拾ってる」
 「苦しんで死ねればいいんだ」
 陋巷に窮して死んだ小山俊一の言葉。 
 生の形式をこんなに裏切った言葉はないだろう。

 
 

 

2001/03/14(水) 22:54:45  つまらん
 

 

 朝から工事の段取りにあたまを悩ます。
 役所へいけば書類の整合性だけに汲汲とさせられる。
 形式よりも内容だろうが。
 他人の金で相撲を取る奴はつまらん。
 それを見物してる奴もつまらん。
 無自覚な奴がいっちょんつまらん。
 つまらんつまらんと言っているオレもつまらん。
 そんな一日。


 プロポリス飲みだして一週間になるが、なんだかな…。
 相変わらずの下血。

 

 
2001/03/15(木) 22:22:17  日はそのためにある
 

 

 夕方、犬を散歩するバアさんがバリケードを越えて現場の奥まで入ってきた。植え込み作業する職人に何事か話しているなと思ったら、突然大声で「責任者を呼べ」と叫びだした。ただならぬ様子なのでわけを聴くと、そこの男が自分を泥棒扱いしたという。どういうことなのかといったらこういうことだ。植え込んでいるジンチョウゲを一本欲しいとバアさんがいった。本数が決まっていて、後でその検査があるからダメだと若い職人がいった。もう一人の年配の職人が軽口で「抜かないでよ」といった。それで泥棒扱いしたと吼えたらしい。60代、歯が汚く目が澱んでいる。責任者として謝りにゆくと「市民の税金で仕事もらってるくせに」「こんな工事にいつまでかかっているんだ」「役所に通報するからな」「鉄かぶと脱いで謝れ」と絶叫する。「こんな工事にいつまでかかっているんだ」でキレた。役所のミスで工期が大幅に短縮された中でなんとかやりくりして仕上げている。気がたっていた。「受けてたとうじゃねえか。おう。役所でもなんでも通報しろよ。仕事中に現場に入ってくんじゃねえ」ババアは何事か捨てゼリフいいながら犬を連れて去っていった。

 はやくこころ遊ばせる気持ちになりたい。こころ遊ばせる。言葉がふくらむ。日はそのためにある。おれはすぐにまなじりを決する。


 

 

2001/03/16(金) 21:55:52  タンカタタンカ!

 

 

 きのうのババアも遠巻きに犬を連れてバリケード内に入らないし、天気もまあまあだったし、今日はおだやかに日が過ぎたかな、とふとスコップの手を休め、夕日に映える梅やネコヤナギの黄緑の花など眺めていると、会社の女専務が携帯口でぎゃあぎゃあ叫んできた。なにごとかと思ったらこういうことだ。下請けの職人を5時の定時で帰した。なんで暗くなるまで使わないのか、と。なんでと言われたって5時が定時だし、そこの下請けは残業代がもらえないというし、今日はよくやってくれた、区切りもいいから帰したのだ。暗くなるまでドウダン植え、会社帰って先方の出方を待つと、また切り出してきたので、タンカタタンカ! おう分かった。明日からもうこない。辞めさせてもらう。それから延々延々8時まで。社長も女専務の旦那の営業部長も他の社員全員交えてうんぬんかんぬん。現場なめてやしないか。少しのコスト削減より、ひとをどう活かしていい仕事するかが手腕じゃないか。30分や40分下請けこきつかってコスト削減たあ、いい度胸だ。こんな会社こちらから願い下げだ。明日から来ない。とたんに女専務顔を歪めて、いやあなたの仕事が増えて大変だと思って言ったのよ、旦那の営業部長も、監督としてもっと成長してもらいたいと思って言ってるんであって…、そうよずっと見守っているのよ…。おまえらごとくに成長うんぬんいわれたくない。だいたいてめえらのコスト削減はてめえらの取り分には及んでないじゃないか。

 社長はこんなときにも無能でピント外れたことしか言わない。

 いまの仕事は好きだ。
 だが、誇りを失ってまでこの生活を維持する必要はない。リスクは大きくても独立起業すればいいのだ。かんたんな形式だ。後は内容を伴わせればいい。

 こころ遊ばせること。こころ遊ばせること。

 けれどおれもまだまだだ。興奮するとパンチが的確に入らない。もっと全体を見渡してずしりと重いボデイブローを。

 女専務からはとりあえずの謝罪を取り付けた。信用ならない(この三年間ずっとそうだった)が、年度末の工事(3つ)を放り出すのは後味悪い。とりあえずこの仕事は終わらせる。あとは相手の出方を待つ。

 

 
2001/03/17(土) 21:32:05  いじめてやりたいなあ
 


 きのうの記述はおのれのキャパシティを思い知らされるな。出来事ではなく記述がだ。あんな痩せた言葉じゃだめだ。日のすきまじゃなく日のおもての垂れ流し。言葉は第三領域だ。もう20年前から言っている。言葉は「個と場」だ。そしてそのどちらでもない。同時にスパイラルしている受動態だ。
 疲れた言葉に詩は必要だ。言葉が言葉を欲する。ほんとうに詩が必要なのは言葉なのだ。それはおれがおれであることの根拠でもある。おれの根拠。いじめてやりたいなあ。

 雨の中、芝張りと目土かけ。明日日曜日はマンションの植栽。

 「ぬ」は新しいパソコン入れるんだと興奮している。
 「るーとら5人兄弟」「にき」「ねき」「ぬ」…それぞれの人格が入り混じって唄をうたっている。よしよし。頭なでて育てている。

 

 

2001/03/18(日) 23:01:52  みそらのひばり

 


 四六時中アタマの中で喋っている奴がいる。
 もちろんオレなのだが、本当は他の誰かと考えた方がいいんじゃないか。
 
 午前中雨。マンション植栽。どろどろになる。
 昼頃から初夏の日差し。半袖でサザンカ植える。

 ヒバリが揚がった。
 ヒバリの声を空の真ん中に聴いて「いいなあ」と思っている奴が本当のオレなんじゃないか。

 四六時中アタマの中でケンカしているのは他人なんだ。

 うらうらに照れる春日に雲雀あがり…

 この家持はオレなんだ。
 そう思うと腑に落ちるものがある。

 

 

2001/03/19(月) 22:55:24  花見にこような

 

 

 爆音。重量。ディーゼルの焦げた臭い。
 旧式のローラーをかけて整地する。身体を倒して方向を変え、レバーチェンジで前進後退。満開の梅と猫柳の下。桜のつぼみのふくらんだ下。
 汗をかいたシャツの替えを妻に届けてもらう。現場は自宅から自転車で10分のところ。
 緑地のベンチで妻と弁当を食べる。お茶を分け合う。

 これからのこと。これまでのこと。

 工事終わったら花見にこような。

 

 

2001/03/20(火) 22:48:05  くれよん。

 


 今日中に現場仕上げるはずがダメだった。あと一人工足りなかった。
 というか「ご長寿早押しクイズ」のようなじいさんが来て参った。
 この下請けは植木屋なのに鋏をもたない。草刈はうまい。植栽はまあまあだが、結束ができない。スピードない。50mのフェンスつくりに1ヶ月もかかって施主に「いいかげんにしろ」と言われたらしい。前職は電気屋、畳屋、運転手、ヤクザ、老若男女、色々いるがどこか職人になりきれない。作業員としてその日を暮らし楽しんでいる。いいかもな。そんなのも。けれどおれは仕事に妥協はしたくない。だから今日中に仕上げてくれよん。

 初夏の陽気。木々がいっそう芽吹きだした。
 色合いが違う。まいねん毎年微妙に柔らかい新しい色。

 

 

2001/03/21(水) 23:44:27  もぐら

 

 

 現場の完了写真を撮りに行ったのだが、きれいに張った芝の、あっちにぽこぽこ、こっちにもこもこ、見事なもぐらの御行の跡だ。
 梅の花には大量の花蜂。小さな戦闘機みたいにうなっている。
 そんなこんなで昨日までのきりきりまいが嘘のような現場なのだが、戦争はまだ終わらない。写真整理、書類整理で10時半まで残業。へろへろして帰る。

 もぐら。
 いまごろどんな穴を掘っている。
 それとも子どもの夢と溶け込んで眠ってしまったか。
 

 

 

2001/03/23(金) 22:03:56  気が知れない。

 


 きのうは久々に午前様。工事書類整理。マンション班は夜中の11時半まで植栽やってた。
 なんてこったい。マンション工事はいつもこうだ。突貫工事もいいところ。入る奴の気が知れない。
 風呂上りに体重量ったら70kgを割っていた。70を切ったのは20年ぶり。身体が軽い。 
 マンションでもアパートでも高い家賃やローンを払って節約生活するのは馬鹿げている。土地は田舎に余っているんだから、いいかげん目を覚ましたほうがいい。都会や会社に依存するから不自由になる。田舎で世界を相手にした方が合理的だ。もうそんな時代だ。
 ミール無事落下したらしい。一度宇宙から地球を見てみたいもんだ。

 

 

2001/03/24(土) 22:44:09  ねえべよ。

 


 極楽のサウナのテレビはNHKの「いのちの重さを実感できますか」だった。裸のあぶらぎったオヤジがだらだら汗流しながら涙する少女に見入ってた。
 妻の情報によると、女湯のサウナは「爆笑NG集」で、銀色のビニールのようなものを身体中に巻きつけたオバサンが、女子アナの生中継中に犬が交尾してしまったハプニングを「ぐふぐふ」笑って見ていたらしい。
 久々の極楽。夜風もずいぶんあたたかくなった。

 今日もいちにち工事写真整理。ふたつ分が終わっていま三つ目。明日は休み。

 風呂帰りコンビニでマンガ立ち読み。ベルセルクは説明過剰。せっかくのキャラがみな寝てしまった。歪みが親のせいなら、いつまでたっても歪みは歪みのままだ。自己条件を包み返すこと。そこからしか個の自由もはじまりも、ねえべよ。

 広島で大きな地震があったらしい。

 

 
2001/03/25(日) 22:00:29  おれはおれだよ
 


 鼻水出すぎて鼻の奥が痛い。
 駅前のデパートの本屋で吉本の「幸福論」と池田晶子の「リマーク」を座り読み。最近の本屋はちゃんと椅子を用意してくれている。
 吉本は近年非常に率直に語るようになった。語れるようになったと言うべきか。年老いるということが、円熟でも悟達でもなく、ただ単純に率直に無残に自然の一部になるということであれば、それは悪くないリアルなのかもしれない。だがリアルにはリアルの奥と振幅があって、じゃ音楽や美術はどうなんだといいたくもなる。一瞬に永遠を感じるのが若さなら、永遠を一瞬に封じ込める老人の色気というものもあっていい。吉本は時代の定規たろうとするところがある。それが彼の言う「徹底性」なのかもしれない。物凄い力技だが、「おれはおれだよ」といいたくなる。そのことの理由はもちろん自分で考えなければならない。
 池田晶子の断想「リマーク」は数ページで読むのをやめた。吉本爺さんの方がはるかに豊かに感じた。「存在」という奴は思考する対象ではなく、実践する対象、というか「日々のなか」であって、肝心なのは自己条件や限定の現場から普遍までの道程の全行程である。その「全行程」が存在なのだ。宇宙の深奥より地上のこの日常生活の中にこそ存在の神秘は現れる。神秘という言葉を使えば、なんだかんだとここにメモライズしているオレたちの方が大神秘に決まっている。オレにはオレの客観性がまったく分からない。

 

 
2001/03/26(月) 22:33:33  へろへろ
 


 疲れたこやつにウイスキィぶちこんでメモライズ。

 課長検査無事終わる。きのうからの雨で不陸が目立ち雑巾でバケツに水をすくった。3時からマンションの結束手伝い。7時まで。ヒイラギモクセイの布掛け。手の甲に無数の引っかき傷。風呂上りにオロナイン塗りこむ。

 山にコブシがきれいだ。庭にはモクレン。白い鳥。

 音にはいまひとつだが、色にはまだ感応する。おれにとって自然とは「色」のことだ。不思議な官能がある。

 存在は色っぽいもんだとへろへろのアタマで想う。なぜなら気づいた時にはすでにつながっちまっているから。それ以外は観念だろう。客観というのはホントは色っぽいもんじゃなかろかと、ヘロヘロ

 

 

2001/03/27(火) 21:18:15  ぱ・まる

 


 明日の休みを取るため一日加速した。家に帰ってもスピードが収まらない。

 明日は診断書を書いてもらって保健所と市役所に持ってゆく。どちらも年度末の更新。

 潰瘍性大腸炎という病気になって10数年になる。治療法が確定していない為、国の特定疾患に指定され、申請すれば治療費が無料になる。保健所はその申請を年度ごとに更新しなければならない。また自治体には難病患者に一定額の見舞金を支給するところがある。ここの市は月一回以上の通院をすれば1万円の見舞金をくれる。その申請が半年に一度ある。半年だから6万円だ。年12万。これでずいぶん食いつないだ。
 この病気は飼い馴らすが道で、完治することはないから、上手に付き合ってゆくしかない。下血があるだけで、現在のところ日常生活には困らないから、放任している。クスリも肝機能がいかれるだけだから、よほど悪い時以外飲まない。それでなんとかやってきている。

 病気といえば二十歳のころ肺結核に罹り、半年療養所に隔離入院させられたことがある。そのころはこんな肉体労働やるなど夢に思わなかった。100m歩けばもう息切れしていたのだ。
 両肺に穴があいてその痕が影となってレントゲンに写っていたが、不思議なことに植木屋はじめて幾年か後にはすっかり消えていた。
 病気はあまり気に病まないほうがいい。どこか悪くてちょうどいいくらいに思った方がいい。バブルと同じで「絶好調」を基準にすると、なにもかにもが不足に思えてくる。

 大学の診療所から呼び出しを受けたとき、もうダメなんだろうと覚悟して歩いた。街の樹や空の色が、あんまり美しいので驚いた。宝石のような時間だった。あんな時だって悪くはないのだ。
 

 
2001/03/28(水) 23:10:24  瞳孔開いたままで
 

 

 内科で無事診断書書いて貰った後、眼科へも行った。秋の検診の眼底検査で「脈絡膜色素斑」というのがあるから精検しろとの通知があったからだ。長い待時間の後、瞳孔を開く目薬さしてフラッシュポラロイド撮影した。「色素斑」というのは検診医の造語で、実際は右目の脈絡膜に影のように色素の暗いところがあるだけだった。どうりで医学事典に載っていないわけだ。この日は経過を見るということで放置された。
 放置されたはいいが、瞳孔開いたままで晴れた日の下を歩くのは苦行だった。極力目を細めて歩いたが、視野が狭いので色んなものにぶつかった。そのままマンガ喫茶に逃げ込んで、夜になるのを待った。「海猿」読んで泣いたりした。
 右目は子供のころの高熱が原因で弱視になり、以来ほとんど見えない。斜視もあるので、モノはいつも二重に見える。実像の横に虚像のようなものがぼんやり見える。思春期の頃はそれで悩んだ。気にすれば気になる。気にしなければそれは「幅」だ。

 新しいパソコンが来た。メモリ128MB+64MBのデフォルトなのに、欲張って「ぬ」は256MBのメモリを付け足そうとした。起動しない。「ぬ」はパソコンを壊してしまったと泣いていた。なんのことはない。メモリをきちんと差し込んでいなかったのだ。
 尊敬のまなざしでオレを見る「ぬ」。
 いたわりのまなざしで「ぬ」を見るオレ。

 

 
2001/03/29(木) 21:25:55  松吉は
 


 ・・・・・・もう寝ました

 

 (ぬ)

 

 
2001/03/30(金) 21:30:55  くたばれオヤジ経済
 



 昨日は8時過ぎには寝てしまった。

 午前と午後でふたつの竣工検査。
 花冷えの雨の中、検査官と桜と梅と桃の花の話をして無事終了。
 なかなか味のある検査官だった。
 
 今日は残務整理。
 夜は打ち上げ。焼肉屋。
 上カルビがあんなに旨いとは知らなかった。

 仕事がらみで飲み食いするより、女房と旨いもの食ったほうがよっぽどいい。
 お互い友達が少ないから、仕事以外はたいていふたりでいる。
 例外は立ち読みのとき。

 明日からの週末は久しぶりの連休。
 青山ブックセンターにでも行って、思いっきりアートしてこよう。

 タイトルは、週刊プレイボーイから。
 

 

 
2001/03/31(土) 23:24:30  クローンの桜
 

 

 雪。一日中。

 朝から家の中に閉じこもった。
 カラーボックス2段分たまった新聞を丁寧に読んだ。ケツが痛くなった。

 新聞に特に印象に残る言葉なし。
 高橋源一郎の「官能小説家」はネタばれしてきた。
 吉本隆明と松本大洋のコラムが少し面白かった。 

 ぼたん雪。畑の向こうの椿の花弁が血のように落ちている。その向こうにコブシの大木。桜。桃。

 このあたりは農家集落で、このアパートも農家が副業で建てたものだ。首都近郊の畑作地帯。ニンジン、キャベツ、トウモロコシ、コマツナなどを作っている。人口が増えたのに細い農道や集落道しか通ってないから、クルマがすれ違えず、小競り合いが起きている。風が吹くと畑土が飛んで、洗濯物を台無しにする。それでも静かで見晴らしがよく、日がな一日閉じこもるにはいいところだ。

 「ぬ」は植物のお勉強。
  図鑑を前にいちにち「ぬ〜」とか「ほ〜」とか言って感心している。
 ソメイヨシノの開花が地域によってほぼ一定なのは、遺伝形質を同一にするクローン植物のためであるらしい。

 

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