「核かくしかじか」

「核かくしかじか」は『被団協』新聞に2004年5月まで掲載されたコラムで、沢田昭二名古屋大学名誉教授の執筆によるものです。ここでは1998年4月号からのものをご紹介します。



核兵器廃絶の実効せまる(2004.5月) 「被団協」新聞5月 
 4月26日からニューヨークで、来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けての第3回準備会が開かれています。2000年の再検討会議で米など核保有国を含めて「核兵器廃絶の明確な約束」が合意されました。今回の準備会では、来年の再検討会議でこの約束を確実に推進・実行する計画の準備ができるかどうかが焦点になります。ブッシュ政権は「明確な約束」に完全に背を向けて、「使いやすい」小型核兵器や、地下貫通核兵器の開発・研究をすすめています。これは、相手から武力攻撃を受けていなくても、核兵器使用も含めて先制攻撃をするという、国連憲章や平和のルールをまったく無視した危険な「先制攻撃戦略」の一環です。イラク戦争はその最初の実行でした。小泉首相は、この危険な「戦略」を理解するといってイラクに自衛隊を派兵しました。日本は米追従を止め、被爆国としてアメリカに「核兵器廃絶の明確な約束」の実行を迫らなければなりません。被爆六十周年に行われるNPT再検討会議を成功させて、核兵器廃絶に向けた大きなうねりを創り出しましょう。
                 
イラクに必要なのは医療復興(2004.3月) 「被団協」新聞3月
 いま名古屋大学付属病院でイラクの白血病の子どもが治療を受けています。それとともにイラクの2人の若い医師が白血病治療の訓練を受けています。 広島・長崎の原爆体験からすると、放射線による遺伝子の障害の確率的影響は、まず流産や死産など遺伝的障害を受けた子どもの出産に現れます。数年後、子どもから白血病が多発するようになります。甲状腺障害も起こります。10年以上経つと、各種のガンが多発します。
 現在のイラクの放射線被害は、1991年の湾岸戦争で米軍が戦車の装甲板を貫通させるために劣化ウラン弾を大量に使い、そのときまき散らされた酸化ウランの微粒子が体内に入ったためと考えられます。 今度のイラク戦争では、宮殿の壁を貫通させるために大量の劣化ウラン弾が使われました。人口密集地で使われたので、これから放射線障害がさらに多発すると危惧されます。イラクで必要なのは自衛隊ではなく、緊急の医療復興です。            

50周年を迎える3・1ビキニデー(2004.2月) 「被団協」新聞2月
 今年3月1日は、アメリカの水爆実験が起こしたビキニ事件50周年になります。事件当時、私は広島大学の学生でした。専門の物理学が、原爆の1千倍の破壊力、人類絶滅を現実の可能性にする水爆をつくりだしたと、大きな衝撃を受けました。「広島で物理学を学ぶ学生として手をこまねいてはおれない」とクラスで討論し、他大学の学生にも呼びかけて原水爆禁止学生協議会を結成しました。原水爆や放射線の恐ろしさを知ってもらおうと、みんなで原水爆展のパネルを作り上げ、8月6日、真夏の日差しの照りつける平和公園で多数の市民に見てもらいました。これが、私の原水爆禁止運動の出発点でした。後で、この取り組みは全国的な原水爆禁止運動の一端であったことがわかりました。日本中、津々浦々で草の根の運動が展開されていたのです。そうした状況のなかで、原爆症で苦しみ、差別と放置で虐げられていた被爆者も、自分たちの存在意義を見出し、「ふたたび広島と長崎を繰り返してはならない」と立ち上がることができたのだと思います。      

人類を救う集団訴訟の勝利(2004.1月) 「被団協」新聞1月 
 集団訴訟が進み、原爆症認定審査が被爆実態とかけ離れている理由は、放射線影響研究所(放影研)が、放射性降下物を体内に取り込んだ内部被ばくの影響を無視したためとわかってきました。放射線の影響を調べるには、被爆者の放射線障害の発症率から本当の非被爆者集団の発症率を差し引かなければなりません。ところが、米の方針を引き継いだ放影研では、DS86の推定線量を使い、爆心地から2.5kmまたは2.7km以遠の被爆者を「非被爆者」としています。この「非被爆者」は、実際には平均してDS86の推定線量の50倍〜100倍の放射性降下物による内部被ばくの影響を受けています。放影研の調査では、結果として内部被ばくの影響が差し引かれています。このように、米は放射線被害を過小評価して核兵器を使い続けるために、ことさら内部被ばくの影響を無視してきました。集団訴訟が核兵器をなくし、放射線被害をなくす人類の課題に深くつながってきました。             

イラクの復興は国連指導で(2003.12月) 「被団協」新聞12月
 イラクでは米英軍だけでなくイタリア、ポーランド軍にも攻撃が行われ、連日多数の死傷者が出て、米英軍の占領政策は完全に行き詰まっています。一般市民を標的にしたテロは許せませんが、無法な占領軍に対する攻撃は抵抗運動(レジスタンス)の様相を帯びてきました。米軍は空爆を再開し、ブッシュ大統領の「戦闘終結宣言」は完全に覆りました。民間人の犠牲が再び増加して、反米感情はいっそう高まっています。
 イラクの事態を解決する道は、無法な占領を止めてイラクから撤退し、国連主導の復興と主権回復、人道支援に一日も早く切り替える以外にないのは明白です。それでも、小泉首相は、「ここでひるめば、テロとの戦いに屈することになる」と繰り返して、ブッシュ政権の圧力の下で自衛隊派遣に固執しています。「復興」が名目でも自衛隊が占領軍に参加するのは、明白な憲法違反です。その上、火に油を注いでイラクの事態をいっそう悪化させるでしょう。

                 
見直さざるを得ない内部被ばく(2003.11月) 「被団協」新聞11月
 チェルノブイリ原発事故などの調査・研究に基づく「欧州放射線リスク委員会2003年勧告(03年勧告)」は、これまで世界的に利用されてきた国際放射線防護委員会(ICRP)の基準では、低線量被ばくの影響を大きく見誤ると指摘しています。核実験や原発事故で放出された放射線によるがんの増加で1945年から89年までに死亡した人数を、ICRPの基準で計算すると、117万3600人ですが、「03年勧告」では50倍以上の6160万人になります。
 ICRPの基準は、広島・長崎の被爆者を調査してきた放射線影響研究所(放影研)のデータに基づいています。この放影研は、原爆の爆発後1分以内の初期放射線による体外からの被ばくの影響だけを調べ、放射性降下物など残留放射性物質を体内に取り込んだ内部被ばくを無視しています。「03年勧告」は、放射性微粒子吸収による内部被ばくの重要性を強調しており、この内部被ばくの問題は、遠距離被爆者や入市被爆者の放射線障害や劣化ウラン弾の問題に直結しています。
                
臨界前核実験で新しい核兵器開発(2003.10月) 「被団協」新聞10月
 米は9月19日、20回目の臨界前(未臨界)核実験を行いました。臨界以上のプルトニウムの固まりの周りで火薬を爆発させプルトニウムを圧縮すると、核分裂の連鎖反応が起こり核爆発します。長崎原爆がこれです。臨界前核実験では、圧縮しても核爆発しないようにプルトニウムの量を少なくしてあります。しかし、核爆発直前のプルトニウムの圧縮状態のデータが得られるので、れっきとした核実験です。米は、貯蔵している核兵器の安全と信頼性を維持するためだと言いますが、本当のねらいは、広島原爆の3分の1(5キロトン)以下の威力の小型核兵器や、威力を調節できる地下貫通核兵器を開発するためのデータ収集です。臨界前核実験は、昨年9月にロスアラモス国立研究所、今回はローレンス・リバモア国立研究所が実施。「自国の核兵器の完全な廃絶を達成するという明確な約束」にもかかわらず、ブッシュ政権は「使いやすい」核兵器の開発体制を強化しています。
                 
エノラ・ゲイの全面復元と展示(2003.9月) 「被団協」新聞9月
 原爆投下50周年の1995年に、広島に原爆を投下したB29エノラ・ゲイの展示をめぐって大きな論争が起こりました。展示を準備した歴史学者を含む委員会は、アメリカ国民に原爆投下の意味を考えてもらうために、エノラ・ゲイと合わせて原爆被害の写真展も計画し、広島・長崎の原爆被害の写真もとり揃えました。しかし、上院、下院の議員や在郷軍人会の圧力で原爆写真展は実現しませんでした。2000年にワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館を訪問したときには、エノラ・ゲイの展示がありませんでした。それはワシントン郊外に博物館の別館をつくり、これまでアメリカがつくってきた航空機や宇宙船と合わせて、同機の機体全部を展示する準備のためでした。このほど完成した博物館のエノラ・ゲイの展示は、アメリカの子どもたちに「原爆投下は正しかった。アメリカの核兵器が世界平和を守っている」と教え込むために利用されようとしています。

放射線の体内被曝(2003.8月) 「被団協」新聞8月
 原爆放射線の被曝には、からだの外から放射線を浴びる「体外被曝」と、呼吸や飲食を通して放射性物質を取り込み、からだの内から放射線を浴びる「体内被曝」があります。
 原爆が爆発して1分以内に放射された初期放射線は、主に体外被曝です。
 一方、爆発後は放射能をもった「黒い雨」や「黒いすす」、目に見えない微粒子が「放射性降下物」として降りました。爆心地から1km以内では原爆の初期放射線の影響で地上の物質が「誘導放射性物質」に変わりました。これらの放射線を「残留放射線」と呼び、体内に取り込まれることが多く、「体内被曝」の影響が深刻になります。遠距離被爆者は、放射性降下物の微粒子を、爆心近くに入った入市被爆者は誘導放射性物質の微粒子を、体内に取り込んで、脱毛などの急性放射線症状を発症しました。
 原爆症認定が被爆実態とかけ離れているのは、こうした「体内被曝」を無視しているからです。

無法な占領に加わる「イラク支援法案」(2003.7月) 「被団協」新聞7月
 イラク占領を続けている米英兵が何者かに襲撃される事件があいつぎ、イラク市民も巻き添えになっています。米英がイラク攻撃の口実にした大量破壊兵器は今なお発見できず、「証拠」としたものが捏造だったことが明るみに出るなど、世界中を欺いて戦争を始めたことが大問題になっています。大義のない占領はイラク国民の反発を強め、パレスチナ以上に深刻な事態を招くでしょう。治安の回復はアメリカやかいらい政権ではなく、イラク人自身の政府でなければ実現しません。
 小泉政権は、無法なアメリカの戦争に国民を強制的に協力させる「有事法制」をつくりました。さらに国会会期を延長して、「イラク支援法」をつくろうとしています。イラク国民を支援するのではなく、占領に手を貸すために自衛隊を派遣するものです。イラク戦争の犯罪性をさらに追及して、「イラク支援法」は廃案にし、そして憲法違反の「有事法制」は廃棄しなければなりません。

核兵器と生物・化学兵器は同列ではない(2003.6月)  「被団協」新聞6月
 アメリカが、生物兵器と化学兵器を核兵器と同列の「大量破壊兵器」とするのは、核兵器の非人道性をおおい隠し、これからも「使いやすい核兵器」を作る狙いがあるからだ。生物・化学兵器は残虐で無差別に多くの人を殺す兵器で、もちろん保有も使用も許せない。しかし、生物兵器を公衆衛生の貧弱な人口密集地で使うと影響は大きいが、予防接種や隔離の対応が早いところでは影響は限定される。化学兵器は防護された軍隊には役立たない。これに対し核兵器は、防ぎようがなく、瞬間的に、生物・化学兵器をはるかに上回る大量殺戮と破壊をもたらす。そればかりか、核兵器は計り知れない範囲の人々に放射線による「死の刻印」を刻み込み、その影響は未来まで続く。
 アメリカは、イラクが化学兵器を使ったら核兵器で報復すると脅していたが、いまなおイラクが生物・化学兵器を持っていた証拠は見つかっていない。生物・化学兵器を核兵器と同列にして、核兵器の残虐性をあいまいにすることは許されない。

劣化ウランをまたも大量使用(2003.5月)  「被団協」新聞5月
 今度のイラク戦争で、米軍は湾岸戦争に続いて、貫通能力を強めるため、劣化ウランを先端部に詰めた弾丸やミサイルを使いました。ウランは放射性に加えて化学的毒性も強い金属です。湾岸戦争後、イラク住民や戦争に参加した米軍兵士の間で、異常に高い割合で白血病が発生し、奇形児が生まれています。
 劣化ウランを詰めた先端部に接すると1時間に約50回の胸部レントゲン撮影と同じ量の放射線を浴びます。先端部を置いてある戦車内の兵士や不発弾の先端部を拾った子どもが被曝します。
 また、戦車の装甲板を貫通する時に生ずる高熱でウランは燃焼して酸化ウランの微粒子になり、大気中に飛散して遠方まで運ばれます。この微粒子が、飲食や呼吸で体内に摂り込まれ、体内のどこかに付着すると、何ヵ月も何年もそこに留まって周辺組織に集中して相当量の放射線被曝を与えます。その結果、白血病その他のガンや遺伝的障害を引き起こします。これは原爆放射線に起因する体内被曝と同じです。
 
世界の世論で戦争ストップを(2003.4月)  「被団協」新聞4月  
 アメリカは国連安保理での武力容認決議もないまま、ついにイラク戦争を始めました。この攻撃は、大量破壊兵器の問題を査察で解決する道を断ち切って、侵略されてもいないのに先制攻撃によって主権国家の政権打倒をめざしています。その結果、多数の非戦闘員が犠牲になっています。イラク攻撃は、国際法と国連憲章を何重にも踏みにじる戦争犯罪で、21世紀最悪の暴挙の一つとして歴史に記録されるでしょう。
 ブッシュ政権は、大量破壊兵器に準じるバンカーバスターやMOABなどを使って攻撃すれば、簡単にフセイン政権を倒せると読んでいたようです。しかし、空前の戦争反対の世界世論は、安保理に武力攻撃を認めさせず、アメリカが「地下貫通核兵器」などを使おうとする手を押さえています。ブッシュ政権の世界支配戦略の読みは狂いはじめています。無法な戦争は直ちにストップすべきです。
 
「未確認」は「ない」とは違う(2003.3月)  「被団協」新聞3月
 札幌の安井原爆訴訟の争点は、前立腺ガンが原爆放射線の影響によって「増加した」かどうかです。放射線被曝の影響を研究する疫学調査では、比較対照として放射線を浴びなかった人たちの集団の選び方が問題になります。放射線影響研究所の調査では、残留放射線や放射性降下物の影響を無視して、遮蔽効果のあった被爆者を選んでいます。これには疑問が残ります。被曝によって前立腺ガンの発症が「増加した」確率は72パーセント、「増加しなかった」確率は28パーセントとなっています。国側の証人は、「増加しなかった」確率が28パーセントあるので、まだ「増加した」ことは確認できないと述べました。「確認できない」ことを国は「影響がなかった」ことにすり替えて認定申請を却下するのです。認定申請の審議では、残留放射線や放射性降下物による体内被曝の影響も「確認が難しい」ので、「なかった」ことにしています。
 国は被爆者を切り捨てる行政を続けています。
 
戦争を起こさせない平和の声(2003.2月)  「被団協」新聞2月
 ブッシュ大統領が昨年は「戦争の年になる」と演説して、イラク攻撃の準備をし、いま大軍がイラクを包囲して「時間切れが近づいている」と脅し続けています。日本政府はイージス艦を派遣しました。
 イラク攻撃の目的が石油権益のためのフセイン政権打倒だとすると、地下貫通核兵器による地下施設攻撃の可能性が高まります。
 しかし、世界中でイラク問題の解決は平和的手段でという声が高まっています。1月18日には、日本から始まって、ヨーロッパ、アメリカと「平和の波」が地球を回って、ブッシュ政権のお膝元ワシントンでは、数十万人が全米各地から集まり、「石油のために血を流すな」「戦争は子どもを殺す」などのプラカードが連邦議事堂前広場を埋め尽くしました。平和の声でイラク戦争をストップさせれば、ブッシュ政権の核攻撃を含む先制攻撃戦略を止めさせ、核兵器も戦争もない世界に向かって弾みがつくでしょう。

先制核使用戦略を打ち出したアメリカ(2003.1月) 「被団協」新聞1月
 昨年12月、ブッシュ政権は大量破壊兵器とたたかうためと称して、先制核使用を含む国家戦略を打ち出した。この戦略の起源は広島・長崎の原爆投下にある。当時原爆開発に関わった科学者たちが「もし合衆国が人類に対するこの無差別破壊兵器の最初の使用者となるならば、合衆国は世界中の世論の支持を失う」と勧告したのを無視して、広島・長崎への原爆投下が強行されたのだ。これが、ソ連とたたかうためのアメリカの国家戦略の始まりとなった。

 以来アメリカは、敵対するものを核脅迫で屈服させ、核軍拡競争で肥大化した軍産複合体と石油産業などの多国籍企業の権益を優先させる国家戦略を推し進めてきた。このようなアメリカの横暴きわまりない世界戦略を許すわけにはゆかない。いま被爆者が取り組んでいる集団訴訟運動は、原爆被害を世界に知らせ、横暴な先制核使用戦略を糾弾する運動に大きく貢献するに違いない。
 
矛盾を拡大する「原因確率」(2002.12月)  「被団協」新聞12月
 原爆放射線によるガンなどの晩発性障害は、多数の発症例を集めて統計をとることで、放射線の影響であることを疫学的に示すことができます。しかし、認定申請した個々人に対する影響を立証することは不可能です。それなのに現在の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」には、被爆者の晩発性障害が放射線の影響であることの証明を被爆者に求めるという欠陥が含まれています。これまでの原爆裁判では、こうした法律の欠陥を補って実態に即した判決をしてきました。ところが厚生労働省は、被爆者の障害の原因が原爆放射線である割合を表わす「原因確率」を導入し、この確率を小さく算出して機械的に認定審査を行なっています。こうしたやり方は、法律の欠陥をいっそう拡大するものです。「原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう」にという法律の趣旨に沿うならば、「原因確率」を廃止し、個々の被爆者の障害の実態をふまえた認定審査をすべきです。

 
北朝鮮の核開発(2002.11月)  「被団協」新聞11月
 北朝鮮が「拉致問題」につづいて「核開発」をしていることを認めた。1994年に、北朝鮮が原子炉で原爆用のプルトニウムを製造していることが問題になり、米朝間の緊張が高まった。このときは、カーター元大統領が北朝鮮を訪問し、原爆用プルトニウムの製造に不向きな軽水炉をアメリカの援助でつくる枠組みが合意されて、核開発問題は一段落した。今度は、北朝鮮が原爆用濃縮ウランの製造を認めたという。北朝鮮が核兵器を保有することになれば、東アジアの平和にマイナスであるばかりか、北朝鮮自身の安全保障や国民経済にもマイナスである。「悪の枢軸」と呼んで北朝鮮との話し合いを拒否し、先制核攻撃の対象にしてきた米ブッシュ政権を、話し合いに引き出す狙いだとの分析もあるが、かえって事態を悪化させた。日朝交渉で「拉致問題」「核開発」と合わせて北朝鮮を含む東アジアの非核化・安全保障について積極的に働きかけ、アメリカに対しても北朝鮮に先制核攻撃をしない約束を迫ることが、被爆国である日本政府の役割であろう。
 
原因確率の矛盾(2002.10月)  「被団協」新聞10月
 原爆症認定申請の審査に「原因確率」が使われています。「原因確率」とは、申請した障害の原因が原爆放射線の被曝であった確率を統計的に求めたものです。「原因確率」が10%以下の場合、ほとんど認定申請が却下されています。「原因確率」の求め方にも多くの問題がありますが、そもそも「原因確率」という統計的な物差しを個々の被爆者に用いることが問題です。
 「原因確率」が10%の人100人が申請して全員却下されたとすると、そのうち10人は原爆放射線によって障害が起こったのに申請が却下されることになります。統計的な意味しか持たない「原因確率」を、個別審査に使うことの矛盾です。
 認定審査に際しては、被爆前後の健康状態がどう変化したか、その後50年あまりをどのような健康状態で過ごしたかなど、十分に個別審査をすることが重要になります。
 

地下貫通核爆発で放射能の火砕流(2002.9月) 「被団協」新聞9月
 アメリカはフセイン政権を倒すためイラク攻撃を準備し、地下貫通核爆弾B61―11を使う危険性が高まっています。
 B61―11はせいぜい2〜3メートル地下にもぐるだけなので、フセイン大統領のいる地下深い施設を破壊しようとすれば、爆発力最大の300キロトン(広島原爆の20倍)のものを使うことも考えられます。
 このB61―11が地表近くで核爆発すれば、直径300メートルのクレーターを作り、大量の土や岩石を放射性にします。この放射性物質は、プルトニウムの核分裂で生じた放射性物質と核分裂しなかったプルトニウムとともに高温高圧の「火の玉」を作ります。そうなると、何千度という高温で、しかも強烈な放射能を含んだ火砕流になって四方八方に広がり、周辺住民を急襲します。さらに黒い煤や砂塵が広い地域を覆って、多くの人々が放射線被害で苦しみ殺されるでしょう。広島・長崎とは様相の違う「この世の地獄」が生まれます。
 

核態勢見直し報告の恐ろしい発想(2002.7月) 「被団協」新聞7月
 アメリカ議会に提出された「核態勢見直し報告」を読んで、核兵器使用政策に驚きと怒りを感じました。報告では、地下施設を通常兵器で破壊してもすぐに修復されるので、残留放射能で汚染して長期間近づけないようにできる核兵器の方が効果的だとしています。また、地下貫通にすれば、小さい爆発力の核兵器ですむので不必要な破壊をせず、放射性降下物も少なくできると言っています。これはごまかしです。爆発力を小さくしても放射線の量はそれほど減りません。さらに広島・長崎原爆のような空中爆発と違って、地中の核爆発では、桁違いに大量の土や岩石などを放射性物質に変えます。これらが気体になって核爆発で生じる核分裂生成物とともに、地上に噴出します。強烈な放射性の黒い煤や砂塵が広い地域を覆って、多くの人々が放射線被害で苦しみ殺されるでしょう。どんな理屈をつけても核兵器使用は許せません。

ニュージーランドにて(2002.6月) 「被団協」新聞6月
 5月1日ニュージーランドで、伊藤長崎市長と一緒にクラーク首相に会った。伊藤市長の日米安保条約のために非核政策には限界があるとの説明に対し、クラーク首相は「ニュージーランドは米・豪との軍事同盟ANZUSに加盟していますが、非核の証明がない艦船や航空機は領域に入れない非核地帯法をつくりました。また、新アジェンダ連合で核兵器廃絶に取り組んでいます」と答えた。翌日クラーク首相を訪問する小泉首相に、新アジェンダ連合に日本も加わるよう誘ってほしいと依頼したところ、クラーク首相は親指を立ててOKの合図を送ってくれた。
 ニュージーランドの非核地帯法は、非核神戸方式を国のレベルに発展させたものである。今国会で審議中の有事法案が成立すると、首相が米軍に協力するよう自治体を強制できる。そうなれば非核神戸港にもアメリカの核艦船が入港する事態になる。ニュージーランド原爆展と原爆証言の一行は、ホテルを出た小泉首相に対し、怒りを込めて「有事法制をやめよ」と訴えた。
 
イスラエルの核保有とアメリカの二重基準(2002.5月) 「被団協」新聞5月
 1986年にイスラエルの核技術者バヌヌ博士は、英国のサンデータイムズ紙を通じ、自分の働いていたディモナ核施設で極秘に核兵器製造計画が進行している証拠を示しました。そのため彼はイスラエル政府に逮捕され、反逆罪・国家機密の暴露の罪を科せられて、いまも独房に閉じ込められたままです。この告発で、イスラエルがかなりの数の核兵器を保有していることは公然の秘密となっています。アメリカは、核兵器独占を企画し、それを破ろうとする国に制裁を加える政策をとってきました。ところが、核兵器不拡散条約(NPT)にすら加盟していないイスラエルの核保有は不問に付したまま。これと対称的に、イラク、北朝鮮などを「悪の枢軸国」と名指し、大量破壊兵器をつくる可能性があるとして、地下施設に対する地下貫通型の核兵器を含めた武力行使を準備しています。こうした二重基準と武力行使優先では、いつまでたっても公平で平和な世界は実現しません。

米の「核態勢見直し」Nuclear Posture Review は核攻撃計画(2002.4月) 「被団協」新聞4月
 今年1月にアメリカ議会に提出された「核態勢見直し報告(NPR)」の中身が、その後、3月9日の米紙ロサンゼルス・タイムズのスクープなどによって、さらに詳しく明らかになってきました。これによると、ブッシュ政権が本気で核兵器の使用を計画していることがわかります。
 NPRは、@核兵器を通常兵器とミックスした攻撃体系、A能動的・受動的防衛、B新たな脅威に即応する基盤――という「新しい核戦力の三本柱」の具体化として、「即時」「潜在的」「予期できない」の三つの非常事態における核攻撃の準備が必要だと主張。即時の非常事態には、イラクと北朝鮮による攻撃と台湾の地位をめぐる軍事対決が含まれています。さらに中国は、同国の核兵器と通常兵器の近代化により即時または潜在的な非常事態になりうるとし、ロシアは、米ロ関係が悪化した場合に予期しない非常事態が起こるかもしれない、としています。
 NPRは、今後20年間の核兵器計画の中で、現有核弾頭の刷新と寿命延長を図るとともに、新型核兵器の開発の必要性を強調。「現在ある唯一の地中貫通核兵器B61―11重力爆弾は、地中貫通能力に限界があり、破壊力が調整できないので不必要な核破壊を伴う弱点があるので使いにくい。通常兵器では地下施設を長い間物理的に破壊しておくには有効でない」として、地下施設の深さや大きさに応じて破壊力を調整できる精密な新型核兵器を開発し、全世界で1400ヵ所以上の地下深くにある堅固な施設を臨機応変に核攻撃できるようにすべきだとしています。これは、核爆発の放射能汚染によって地下施設を半永久的に使用不能にするという恐ろしい計画です。
 こうした「使える」核兵器を開発するために、NPRは各地の核兵器の開発・製造施設の強化と、次世代の核兵器設計技術者を育てる「先進弾頭概念チーム」を再確立し、地下核実験を再開できる準備をすべきだとしています。
 このような危険きわまりない核攻撃計画を含んだアメリカの戦争に協力するため国民を強制的に動員する小泉首相の「有事法制」は、どうしても阻止しなければなりません。

新型核弾頭開発が明白に(2002.3月) 「被団協」新聞3月
 核弾頭を作っている米エネルギー省の議会証言で、秘密だった「核態勢の見直し(NPR)報告」の内容がわかりました。「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の調印をし、「核兵器廃絶の明確な約束」をしたことをまったく無視して、NPRは新型核弾頭と改良型核弾頭の開発をめざしていることを証言は示しています。
 これまでくり返してきた臨界前核実験の主な目的が、新型と改良型の核弾頭の開発であったことも証言によって明白になりました。そして現在、臨界前核実験とコンピューターで開発してきた新型核弾頭がほぼ完成し、実際に設計通りの爆発力を発揮するかどうかを実験で確かめる段階に達し、2年以内にCTBTに違反する地下核実験を行なおうというわけです。証言の背後には、実験再開を望む核兵器研究の科学者や技術者の圧力も感じられます。

地下核実験のもくろみ(2002.2月) 「被団協」新聞2月
 アメリカは地下核実験の再開を準備しています。これはアメリカ自身も調印した、核爆発をともなう核実験をすべて禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)を反故にするもので、核兵器の廃絶に向かう国際的潮流への逆流です。
 ブッシュ政権が議会に非公開で報告した「核戦略の総合的見直し」計画には、今後2年以内に地下核実験を再開可能にする必要性が述べられているようです。ブッシュ政権は、戦略核兵器の一部を削減・非核化するだけで、取り外した核弾頭は予備として貯蔵し、2020年以降もほとんどの現有戦略核兵器を保持しようとしています。その上、ミサイル防衛計画の推進を強行しています。さらに、「ならずもの国家」と認定した国やテロにたいして「使いやすい」地下貫通型核爆弾など、小型核兵器の本格的開発に踏み切る構えです。臨界前核実験をくり返してきたアメリカは、これでは不十分と、地下核実験の再開をたくらんでいます。

アメリカのABM条約脱退(2002.1月) 「被団協」新聞1月
 アメリカはABM条約からの脱退をロシアなどに通告しました。ABMは、相手が発射した大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)を迎え撃つミサイルです。1970年代初め、米ソはABMをお互いに制限して、ソ連はモスクワ周辺、アメリカはICBMの発射基地を中心とした半径150kmの範囲にそれぞれ1カ所、100基以内のABMだけに制限して、それ以上は配備しないことを条約で取り決めていました。ブッシュ政権は、ミサイル防衛計画(MD)を強行するのにABM条約は邪魔になると、一方的に脱退を通告したのです。MDは再び核軍拡競争につながるとしてロシアや中国、さらに米国内でも批判されていました。MDは、ミサイル攻撃から国民を防衛すると説明されていますが、本当の狙いは宇宙を軍事化して、アメリカが気に入らなければ「ならずもの」のレッテルを貼り、地球のどこでも直ちにアメリカの宇宙軍が攻撃できるようにする怖い計画です。被団協声明

 クラスター爆弾と燃料気化爆弾(2001.12月) 「被団協」新聞12月
 アメリカはアフガニスタンの空爆でタリバンだけを狙ったピンポイント攻撃だと言いながら、非人道的な兵器であるクラスター爆弾や燃料気化爆弾を投下しています。クラスター爆弾は、空中で200個の子爆弾に分かれ、その子爆弾が破裂して中に詰めた破片が周囲に飛び散って、半径数百メートルの範囲の人間を殺傷します。筒状の子爆弾の不発弾の色は救援物資と同じ黄色なので、子どもたちが間違えて犠牲になった例も出ています。燃料気化爆弾は、重量6.8トンで、爆発すると直径550mの範囲の人を吹き飛ばしたり焼き殺したりします。燃焼によって一気に酸欠状態をつくるので、防空壕に隠れていても窒息死させられます。気化爆弾は放射線は出しませんが、やはり非人道的兵器です。11月21日にアメリカは、3回目を投下しました。
 こうした一般市民をも無差別に犠牲にする大量殺人兵器の使用は、核兵器使用を正当化する考えにつながります。

核兵器を持ち続けることの危険(2001.11月) 「被団協」新聞11月
 アメリカのブッシュ政権は、昨年行なった「核兵器を廃絶する明確な約束」を無視し、小型核兵器の開発とミサイル防衛計画を推進しています。そればかりか、今回の報復戦争で国防総省は、地下貫通型核爆弾の使用も検討しているようです。
 一方、テロ組織のアルカイダが核兵器開発をしている、パキスタンで核科学者を連れ去ったと報じられています。入手した小型原爆を車に積んで自爆するテロ攻撃も現実の脅威となってきました。核兵器の実験・製造・貯蔵・配備・使用のすべてを禁止する条約を成立させ、ウラン・プルトニウムなどの核分裂性物質を厳重に国際管理する体制を一刻も早くつくらなくてはなりません。
 核兵器開発やミサイル防衛計画のような巨額の浪費をやめ、難民救済やテロの温床といわれる貧困の解消に資金をまわす方が、はるかに現実的な安全保障です。平和憲法を持つ日本政府はこうした方向で世界をリードしてほしいものです。

同時多発テロに思う(2001.10月) 「被団協」新聞10月
 アメリカで起こった同時多発テロに大きな衝撃を受けました。無差別な殺人を引き起こすテロは、人類に対する犯罪であり、武力によらない世界を実現する道を遠ざけるものとして憤りをおぼえます。
 ところで、アメリカの物理学者が、二つの世界貿易センタービルを破壊したエネルギーは、火薬200トンの爆発、広島・長崎原爆の約100の1に相当すると計算したそうです。ビルの破壊エネルギーは、ジェット燃料の火災と、火災になった階よりも上階のビルの重さによる重力エネルギーで、多数の人がビルに集中していたために5,000人を超える人が犠牲になりました。原爆は核エネルギーなので、単に破壊エネルギーが100倍というだけではなく、放射線もともなって想像を絶する「この世の地獄」を作り出しました。武力報復でテロをエスカレートさせることはやめ、ふたたび「この世の地獄」を作り出さないよう願います。

長崎原爆の「黒い灰」(2001.9月) 「被団協」新聞9月
 被爆地域の拡大を求めて実施された長崎市とその周辺地域の調査結果をまとめた『聞いてください! 私たちの心のいたで―原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書』を長崎市役所で入手した。この証言調査は、未指定地域の被爆者の精神的・心理的影響に重点を置いており、これを受けた厚生労働省の検討会は「放射線の影響は考えられない」とした。

 長崎市の東方、爆心地の浦上地域から見て東南から北東にかけて約12Kmの範囲の証言は、「西方の長崎市上空のきのこ雲が、やがて西の空一面に広がり、東の方に流れてきて、真昼なのに黒い灰が太陽をおおって夕闇のように薄暗くなってきた」「太陽はいぶしたガラスを通して見る真っ赤な火の玉のようで、今にも落ちてきそうだった」と共通して述べている。こうした証言は、強い放射能をおびた原爆の火の玉のなごりの「黒い灰」が、南北30数Kmに広がったきのこ雲の下層部と地表の間を満たしたまま東に移動し、人びとに体外および体内被曝をもたらした可能性を示している。

若手研究者のミサイル防衛反対声明(2001.8月) 「被団協」新聞8月
 世界の科学者が集まって核兵器廃絶など様々な問題を議論するパグウォッシュ会議の日本若手グループが7月16日、「米国政府のミサイル防衛構想に関する声明」を発表しました。この声明は、「ミサイル防衛によって補強された米国の核抑止力に基づく『安全保障』は、世界をいっそう不安定化させ、ようやく現実味を帯び始めた核兵器廃絶を不可能にする」として、ミサイル防衛構想に明確な反対を表明しています。さらにこの声明は、「ミサイル防衛構想に日本政府は『理解』を示し、その一翼を担う戦術ミサイル防衛(TMD)に関する日米共同技術研究に着手している」ことを指摘して、日本の科学者・技術者・市民が、この共同技術研究に反対し、それに一切協力しないことを訴えています。若手研究者の間で、こうした問題への取り組みが始まったことに大きく励まされます。

核兵器廃絶を疑問視する教科書(2001.7月) 「被団協」新聞7月
 「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校社会科の「歴史」と「公民」の教科書を見た。両方の教科書とも、「国のために忠義を尽くしなさい」というお説教にあふれている。「歴史」の教科書には「非常時には国のために尽くす姿勢、近代国家としての心得を説いた教え」として、解説つきで教育勅語が掲載されている。「公民」の教科書には、「核兵器廃絶という理想を考える」という1ページのコラムを設けている。そこでは「もし核兵器廃絶が表面的に合意されたとしたら」、「核兵器廃絶の禁を破るものが世界を支配するかもしれない」という見方を紹介して、中学生たちを混乱させ、核兵器廃絶は空論に終わる理想に過ぎないという印象を与えようとしている。両方の教科書とも、世論が大きな役割を発揮する人類社会になったという認識に欠けている。このような20世紀の遺物のような「新しい教科書」を21世紀の子どもたちに渡してはならない。

核軍拡競争を再燃させる米の「ミサイル防衛」計画(2001.6月) 「被団協」新聞6月
 昨年、アメリカを含む核兵器保有国は「核兵器を廃絶する」と約束しました。ところが、アメリカのブッシュ大統領は、核ミサイル攻撃からアメリカ本土を防衛する国土ミサイル防衛計画(NMD)と、海外に前進配備した米軍をミサイル攻撃から防衛する戦域ミサイル防衛計画(TMD)を一つにまとめて、弾道ミサイル防衛計画(BMD)を推進しようとしています。アメリカが核攻撃されないためには、BMDなどよりも、核兵器のない世界を実現する方がはるかに現実的です。BMDを推進する本当の狙いは、アメリカの軍事産業に税金をつぎ込むこと、中国などの核ミサイルを無力にし、アメリカだけが核兵器で優位に立つことです。中国は、核攻撃能力を持っているアメリカの第7艦隊と10万人の兵力で包囲されたままなので、対抗して核ミサイルを増強するでしょう。こうなれば再び核軍拡競争が始まります。

原爆被害を確率で切り捨てる危険性(2001.5月) 「被団協」新聞5月
 4月中旬に開かれた厚生労働省の疾病・障害認定審査会の原子爆弾医療分科会において、今後は被爆者の医療給付認定の目安に「寄与リスク」を用いることになったそうである。「寄与リスク」とは、放射線を浴びたために、ガンなどの障害が、放射線を浴びない場合に比べて増加した危険確率である。そのとき配布されたデータを見ると、すべてのガンが、低線量でも放射線量に比例して発症しており、一定以下の放射線量では障害は起こらないという「しきい値論」の誤りが一層明白になっている。
 懸念されるのは、「寄与リスク」が何パーセント以下では放射線の影響はない≠ニみなすなど、「寄与リスク」の高低を認定却下の尺度に使い、実際に放射線の影響でガンになった被爆者が切り捨てられる危険性である。被爆者に晩発的障害が現れたら、直ちに原爆症の認定をすべきである。

ブッシュ政権の片棒担ぎはごめん(2001.4月) 「被団協」新聞2001.4月
 アメリカ政府も含めて核兵器の廃絶の明確な約束をしたにもかかわらず、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准に反対した共和党の米大統領が生まれて、この先どうなるだろうと心配していた。案の定、タカ派と呼ばれる人たちがそろってブッシュ政権の閣僚になった。国務長官は、湾岸戦争当時の統合参謀本部議長で、「ならずもの国家」論を作成したパウエル氏、国防長官は、全米ミサイル防衛計画(NMD)推進論者のラムズフェルド氏、国務副長官は、自衛隊にアメリカの武力干渉の片棒を担がせるために集団的自衛権を認めよと要求するアーミテージ氏という具合である。一方、日本の「死に体」の首相は、アメリカからたくさんの宿題をもらって帰ってきた。このようにアメリカの核の傘の下で、言いなりになり続けると、日本国憲法はますます空洞化されかねない。

「黒い灰」の存在(2001.3月)  「被団協」新聞3月
 京都原爆訴訟の高安さんの手記ではじめて「黒い灰」のことを知った。高安さんは「かんかん照りの空が突然暗くなり、黒い灰のようなものが降ってきた。灰は燃やした藁を手でもんで細かくして空からまいたような真黒な灰であった」と書いている。原爆のきのこ雲が上昇して冷えると、水分が核分裂生成物や核分裂しなかったウラン粉末「核」にして水滴ができる。水滴は成長・合体して、放射能を帯びた「黒い雨」になる。広島では「黒い雨」は主に、北東から北、北西、西、南西方向に降り、南東方向は一部を除いて降っていない。これは主に風向きから説明されていた。ところで、きのこ雲の南東側は、水滴ができても、午前の太陽に照らされて、「核」になった放射性物質を残して水分は蒸発し、太陽光線をさえぎるほどの「黒い灰」の雲になり、これが「放射性降下物」になったと考えられる。広島市の南東部にいた高安さんたちは裸だったので「黒い灰」で上半身が薄黒くなるほど汚されて強い放射能を浴びることになったのだろう。

またも劣化ウラン弾(2001.2月) 「被団協」新聞2月
 NATO軍はユーゴ空爆で約3万1千発、ボスニア紛争でも1万1千発の劣化ウラン弾を使った。そのために被曝に起因するとみられる白血病が多発している。わずか0.7パーセント含まれるウラン235を天然ウランから取り出すと、残りはウラン238の割合が増加する。これが劣化ウランである。ウランは比重が大きいのでこれを爆弾や砲弾の先端部分に取り付けると、戦車の鉄板や地中への貫通力が強まる。貫通するときの高熱で劣化ウランのかなりの部分が火花の微粒子となって、あたりに飛び散る。こうした塵を吸い込んだり、汚染された物質を体内に取り込むと、たとえ微量でも、重金属特有のウランの毒性による障害とウランの放射能による体内被曝の二重の影響を受け続ける。こうした危険性は早くから指摘され、米本国では使用制限されているにもかかわらず、米軍は海外で使用を続けてきた。さらに地下貫通核爆弾B61―11にも劣化ウランが使われている。

核兵器廃絶の約束に反する臨界前核実験(2001.1月)「被団協」新聞1月
 アメリカのエネルギー省は昨年末の12月14日、通算13回目の臨界前核実験を行なった。この実験では、火薬を爆発させてプルトニウムを圧縮しても核分裂の連鎖反応の臨界に達せず、核爆発をしないので、包括的な核実験禁止条約に違反しないという。そして、「貯蔵核兵器の安全性や信頼性を維持するため」と実験の狙いを説明している。ところが、アメリカの調査機関による分析では、これまで見つかった核弾頭の2,400の欠陥は、核弾頭の部品の問題や老化によるものばかりで、臨界前核実験による高温・高密度のプルトニウムの振舞いの研究に結びつくものではなかった。このことは、臨界前核実験の本当の狙いが、核爆発をともなう実験なしで新しい核兵器を開発・設計するためであることを明確に示している。臨界前核実験の続行は、昨年末の国連ミレニアム総会で核兵器廃絶を約束したことと矛盾するのは明らかだ。

核兵器づくりを自慢する科学者(2000.12月) 「被団協」新聞12月
 ロス・アラモス国立研究所のヤンガー博士が、研究所の科学者を集めて「なぜ核兵器が重要か―ロス・アラモスの展望」と題して演説しているビデオを、『核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ』の国際分科会「核爆発のない核実験」で見た。ヤンガー博士は、この研究所がアメリカの核兵器の大部分に関わってきたことを力説した後で、「核兵器を永遠に保持しようとすると、核兵器の老化が問題だ。しかし、実験なしで10年程度で新旧の入れ替えができる」「ロス・アラモスは、この国の究極的防衛と全地球上の同盟国への核の傘を提供している。われわれはこの惑星の自由を防衛しいているのだ」と述べた。アメリカ政府が「明確な核兵器廃絶の約束」をしたからには、臨界前核実験など、新しい核兵器をつくる研究を直ちに中止し、研究の方向転換をすべきである。ロス・アラモスの科学者たちに、被爆の実相を知らせる必要性をビデオを見ながら痛感した。

戦争を消滅させるために−パグウォッシュ会議の報告−(2000.11月)「被団協」新聞11月
 核兵器廃絶や世界の問題を科学者が集まって話し合う第50回パグウォッシュ会議が英国のケンブリッジで開かれ、日本から6人が参加した。

 この会議の開催を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955)の一節「私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?」を受け、会議全体のテーマを「戦争の原因を消滅させるために」として、「人間の性格と戦争」「政治的・経済的問題」「宗教と民族」「貧困」「環境問題」「科学の誤用」の6つの研究テーマごとに分かれて議論した。
 私の参加した作業グループ「人間の性格と戦争」では、第二次世界大戦から最近の民族紛争までの様々な戦争や紛争を分析した。その結果、組織された戦争をするのは人間だけであるので、戦争は人間性によることは確かであるが、人間に攻撃性があるからといって戦争が避けがたいことにはならないことを科学的に論証した。
 攻撃的でない人も、生活苦や徴兵制を利用して軍隊に組織し、軍事訓練や軍事教育をして戦争にかり出される。指導者が宗教や民族の対立をあおる。紛争地域でも武器がたやすく入手できる。最近のNATO軍のユーゴ空爆のように軍事同盟によって同盟国を戦争に動員する。こうしたことは、軍隊、軍事教育、軍産学複合体、軍事同盟などの戦争のための制度やシステムの存在が根底にある。戦争を消滅させるためには、国連憲章の戦争を犯罪とみなす精神をさらに徹底させ、戦争につながる国家の行為をさらに強く制約すべきであるという結論となった。これはまさに日本国憲法第9条の精神で、私はこの条文が英語で書かれている「9条バッジ」をこの作業グループの人たちに配った。
 8月3日から8日までの会期中に広島原爆記念日が含まれたので、6日の午後に、前パグウォッシュ会議会長のロートブラットさんが司会して「戦争の原因を消滅させるために」というテーマの大衆集会を開いた。最初に原爆犠牲者に黙祷をささげ、次いで私が被爆体験と合わせて、21世紀を目前にした核兵器廃絶の情勢の変化について報告を行なった。その日の夜はケンブリッジの中央を流れるケム川で、広島と同じように、参加者が核兵器廃絶と平和を願う思いを筆でしたためて灯篭流しをした。
 この会議の成果をまとめたパグウォッシュ会議評議会声明では、「核不拡散条約再検討会議で、5つの主要な核保有国が初めて自国核兵器の完全廃絶を達成するという明確な誓約」をしたということを評価した。しかし、こうした誓約の実行が、何ヵ月も何年も引き延ばされると、国家によるか、テロリストによるか、いずれにしても破局的な大量破壊兵器が使われる危険性が強まるだけであるとの警告を発した。

新たな核軍拡をよぶNMDとTMD(2000.10月) 「被団協」新聞10月号
 アメリカは、NMD(全米ミサイル防衛)計画やTMD(戦域ミサイル防衛)計画を推進しようとしています。NMDやTMDは、アメリカが先に核攻撃したとき、攻撃された国が、米本土や海外の米軍基地めがけて報復するミサイルを発射しても、これを、迎撃ミサイルで打ち落とせば、絶対的に優位な先制核攻撃態勢がつくれるという構想です。NMDやTMDは莫大な費用をかけても技術的に完成はほとんど不可能であると専門家は指摘しています。仮にNMDやTMDがいくつかのミサイルを打ち落とせても、相手側は、おとりを使ったり、打ち落とされなかった残りで報復攻撃できるように核弾頭の数を増やそうとします。そうなると新たな核軍拡競争の引き金になり、NATO加盟国や核保有国の中からもNMDとTMD計画に強い反発が起こっています。今年7月におこなわれた三回目のNMDの実験は専門家の予想通り失敗し、米国内からも強い批判を浴びて、クリントン政権は、NMD開発の決定を大統領選挙後に先送りせざるをえなくなりました。

 こうした状況でも、日本政府は、この宇宙を軍事化するTMDの日米共同開発計画を推進する方針を変えようとしていません。

低レベル放射線の「しきい値」問題(2000.9月)  「被団協」新聞9月号

 急性放射線症では、個人差はありますが、これ以下の放射線量では症状が見られないという「しきい値」が考えられています。他方、白血病やガンなどの放射線による晩発性の疾病には「しきい値」はないというのが、国際放射線防護委員会の立場です。しかし、晩発性放射線症にも「しきい値」があるという反論もあり、「しきい値」の有無をめぐる論争が続いていました。厚生省は、「しきい値」論の立場に立ち、「しきい値」を機械的に適用して認定申請を却下してきました。このほど、放射線影響研究所の研究者が、広島・長崎の被爆者五万人の調査結果を論文にまとめて発表しました。過小評価していたDS86の広島の遠距離の中性子線量を修正すると、「しきい値」はなくなり、高レベルから低レベルまで、浴びた放射線量に比例してガンが発生しているという結果が得られたのです。厚生省が認定申請却下に使ってきた「しきい値」論の根拠は崩れました。

機械的な認定を批判した最高裁判決(2000.8月) 「被団協」新聞 8月号

 松谷英子さんは最高裁で最終的な勝利を勝ち取りました。判決は、松谷さんの障害が放射線による直接的影響と治癒の遅延の両方によることを「高度の蓋然性」をもって認めました。DS86の放射線量推定値と閾(しきい)値理論では、爆心地から2kmを超えて起こっている脱毛などの急性放射線症状を説明できません。判決は、厚生省のいうように「脱毛の大半を栄養状態又は心因的なもの等、放射線以外の原因によるものと断ずることには、ちゅうちょを覚えざるを得ない」と述べて、DS86と閾値理論を機械的尺度として認定審査に適用することを戒めています。爆心地から2kmを超えた地域では、DS86が無視している残留放射線による体内被曝が放射線被害の主な原因と考えられます。今度の判決で、「4kmを超える場合も、早期入市者で11%に脱毛が生じた」と述べていることは注目に値します。それは、入市被爆者の認定に道を開く可能性を持つからです。

拒否された究極的核兵器廃絶(2000.7月)  「被団協」新聞 7月号
 5月20日に終わった核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議で、日本の外務省は核保有国と核兵器廃絶を求める国々との仲介役をする方針だった。この再検討会議で、核保有国は核兵器廃絶を全面完全軍縮に結びつけ、「究極的」課題に棚上げして、実質的には永遠の未来に先延ばししようとした。スウェーデンなど新アジェンダ連合諸国は期限を切った核兵器廃絶の実現を迫り、核保有国と激しくぶつかりあった。その仲介役はノルウェーやドイツなどになり、アメリカべったりの日本は仲介役に選ばれなかった。交渉は結局、核廃絶の期限は設定できなかったが、「究極的」という文言は最終文書から削除され、核保有国は核兵器の廃絶を誓約せざるをえなくなった。こうして、日本政府が国連総会に核保有国への助け船として毎年提案していた「究極的核兵器廃絶」のまやかしは、完全に拒否され、日本政府は仲介役をも果たすことができなかった。

二人目の臨界事故犠牲者(2000.6月) 「被団協」新聞 6月号
 昨年の東海村JCOの臨界事故で被曝した篠原さんが、現代医学の最先端の治療にもかかわらず、事故から211日目の4月27日についに亡くなった。昨年12月に亡くなった大内さんに続いて犠牲者は2人になった。
 原爆被爆者が浴びた放射線は、ガンマ線と中性子線であり、それに黒い雨などの放射性降下物や誘導放射能の影響も受けた。臨界事故で2人が浴びた放射線は主に中性子線で、原爆と臨界事故による被曝について単純な比較はできない。しかし、原爆の爆発後1分以内に浴びた初期放射線だけを考えた場合、中性子線の人体に対する影響がガンマ線より10倍強いとすると、篠原さんはヒロシマの爆心地から約1,100メートル、大内さんは約850メートルの地点において遮蔽物なしで放射線を浴びたことに相当する。2人の犠牲から、飛躍的に発展した現代医学でも、放射線によって体の奥深くの細胞まで破壊された生命を救うことが困難であることを思い知らされた。

「核密約」と「核の傘」(2000.5月) 「被団協」新聞 5月号
 国会の不破―小渕/森の党首討論で核密約が議論されています。日本は「核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を国是としています。その一方、日本政府はアメリカの「核の傘」に入る立場です。

 日米安保条約改訂と沖縄返還に際して、「核の傘」が有効に働くためには、いつでも核兵器を使用できることが必要であるとの理由で、アメリカは日本への核持ち込みを要求しました。当然、これは非核三原則と矛盾します。そこで、核兵器を積んだ軍艦や飛行機が日本の米軍基地に出入りしいても、これは「通過・寄港」であって「持ち込み」ではないことにしました。これが核密約です。アメリカでは公文書館で公表されています。横須賀や佐世保などの母港や日本各地の空軍基地に、核兵器を積んでいつでも出入りできるというのは、どうみても「核持ち込み」です。いつまで、あからさまな嘘をついて国民をだましつづけるつもりなのでしょう。

 3・1ビキニデーではげまされたこと(2000.4月)  「被団協」新聞4月号
 46周年目の3・1ビキニデーの「ビキニ被災の全容解明をめざす研究交流集会」でいろいろ学んだ。なかでも山本義彦静岡大学教授(経済史)のお話に強い感銘を受けた。「1950年代の初め、日本は朝鮮戦争の米軍特需で経済復興をし、これに味をしめた当時の財界首脳は、日本の再軍備による産業の軍事化で経済成長をさせるプランを描いていた。これはアメリカの要求にも合致していた。まだ国民の間に十分定着しているとは言えなかった日本国憲法の平和主義や民主主義の基本理念を骨抜きにする動きも強まった。ところがビキニ事件をきっかけに、日本で初めて草の根からの国民的な原水爆禁止運動が起こった。運動を通じて憲法の平和と民主主義の理念が国民的なものとして広がった。もしもこの運動がなかったら、日本国憲法はとっくに改悪されていただろう」

 核兵器廃絶の運動は大きくはげまされた。
 

科学者の苦悩(2000.3月)
 昨年放映された「原爆、科学者の罪と罰」を見た。
 まず相対性理論をほとんど1人で築き上げ、この千年で最高の頭脳といわれるアインシュタインが登場した。彼はナチスが原爆を製造するかも知れないと恐れて、アメリカ大統領に原爆の製造を勧告する手紙に署名したことを、自分の一生の最大の過ちとして、死の直前まで核兵器廃絶を訴えた。
 次に登場したのは、原爆の完成まで指導的な役割を果たし、「原爆の父」といわれるオッペンハイマーだった。彼は、広島・長崎の原爆による惨状を聞いて、「物理学者は罪を知った。私が愚かだったからだ。私の手は血まみれです」と悔やんだ。
 彼は、原子核を構成する強い力を説明した「中間子論」の湯川秀樹をアメリカに招待した。湯川はアインシュタインに会い、人類の平和と科学者の社会的責任について語り合った。湯川は、核兵器は「絶対悪」であるとして、核兵器のない世界、戦争もない世界を実現するために一生を捧げた。こうした教訓を21世紀に生かさなくてはならない。

核実験被災者に国の援護措置を(2000.2月)
 1955年3月1日、アメリカのビキニ水爆実験で被災した第五福竜丸の乗組員全員が、半致死量の4シーベルト前後の放射線をあびた。被災後230日目に久保山愛吉さんが死亡し、その後、現在までに23人の乗組員のうち11人が肝臓ガンや肝硬変で亡くなっている。
 現在生存している乗組員のほとんどは、被曝後の輸血が原因でC型肝炎におかされ、不安な日々を送っている。その一人、石塚博さんもC型肝炎で現在治療のため通院しているが、最初の治療でいったん治癒して退院したとして、船員保険の適用が打ち切られた。石塚さんは当面の援護措置として「船員保険療養給付再適用」を静岡県に申請したが、船員保険を管轄している厚生省は、被曝とは関係ないと適用を認めてくれない。やがてビキニ被災46周年を迎えるが、被爆者とともに核実験の被災者にもあたたかい援護措置をとるように政治を変えなければならない。

日本政府は核廃絶決議に賛成を(2000.1月)
 昨年、スウェーデンなど8カ国で発足した核兵器廃絶を課題(アジェンダ)とする「新アジェンダ連合」は、今年は40数カ国に広がり、昨年に続いて「核兵器のない世界へ―新たなる課題の必要」決議案を国連総会に提案した。これは12月1日の国連総会で賛成111、反対13、棄権39の圧倒的多数で採択された。
 日本政府は、新アジェンダ連合諸国からこの決議案の共同提案国になり、被爆国としてイニシャチブを発揮してほしいと要請されていたにもかかわらず、昨年通りこの決議に棄権。その代わりとして、核兵器廃絶の課題を無期限の未来に延ばし、核保有国も賛成する「究極的核兵器廃絶」決議を提案した。
 非核三原則を国是とし、核兵器の撤廃に貢献する意思をもつなら、日本政府が新アジェンダ連合の決議に賛成できない理由はない。日本政府が核兵器廃絶決議に賛成すれば、核保有国の孤立は深まり、核兵器も戦争もない21世紀に向かって大きな展望が開けるであろう。

「安全神話」から抜け出せない原子力行政(1999.12月)
 
東海村JCO核燃料工場の臨界事故から2ヵ月が過ぎた。事故後の経過は、このような事故が起こった緊急時の対策がまったくできていなかったことを示している。例えば工場にもその周辺にも中性子測定装置がないために的確な状況把握ができなかったことがあげられる。また、事故後ファックスで工場から通報を受けた科学技術庁が「臨界事故は起こるはずがない」と「安全神話」にとらわれていたために対応が遅れたことも明らかになった。工場周辺住民への避難指示は事故から5時間半、屋内待避勧告が10時間も遅れたのはそのためだった。
 こうした事故の後も、科学技術庁や通産省はプルトニウムを混合したMOX燃料を既存の原子力発電所で使うプルサーマル計画を推進しようとしている。プルトニウムは従来の濃縮ウラン燃料よりもさらに核分裂の連鎖反応の制御がむずかしく、臨界事故も起こりやすい。プルトニウムにこだわる原子力行政は「安全神話」からまだ抜け出せずにいる。

東海村の臨界事故をどうみるか(1999.11月)
  ワイド版

低線量放射線の影響研究が重要段階に(1999.10月)
 去る9月1日から3日まで広島で、日本放射線影響学会の大会が開かれ、私も参加しました。学会の総会では、「低線量の放射線が人体に与える影響の研究が重要な段階に到達しているので、最重点課題として学会をあげて集中してとりくもう」という、大会としては異例の決議が満場一致で採択されました。裁決に先立って、低線量の放射線をあびた広島・長崎の被爆者にたいする影響の研究もきわめて重要であるという指摘がありました。また、私も報告した「線量評価システムDS86の問題点と新たな線量評価システム構築の基礎」というワーク・ショップでは「DS86の遠距離における中性子線量評価について、広島では実測値と一致しないことが明白になった。長崎については、現在の段階では一致、不一致の結論はまだ出せず、いま続けられている測定結果をまたねばならない」というまとめが行なわれました。真実を明らかにしようとする科学者の真剣な努力が続いています。

 箱に詰った書類から見えた未来への展望(1999.9月)
 
退職したとき、段ボール箱に詰めて積み上げていた書類を、引っ越しを機に夏中かかって整理した。整理しているとさまざまな取り組みの名残りが次々に現れ、思い切って処分しきれない。
 60年代には、原子力潜水艦寄港反対やベトナム支援の運動。核抑止論を批判した75年のパグウォッシュ京都シンポジウム。80年代には、戦略防衛構想(SDI)反対の日本の物理学者、愛知の科学者、日米物理学者共同の署名。90年代になると国際司法裁判所に提出する日本政府陳述書に「核兵器の使用と威嚇は国際法に反すると明言せよ」という科学者の運動など。それに、60年代から今日まで続く原水爆禁止東海科学者シンポジウムの記録。
 こうしてみていると、広島・長崎の被爆の実相を踏まえた日本の原水爆禁止運動の積み重ねが浮かび上がり、核兵器のない世界実現への展望も見えてくる。

 先制核攻撃の危険を強めるB2爆撃機(1999.8月)
 アメリカの第509爆撃航空団は、この1、2年でB2爆撃機で編成されて装いを新たにした戦略核戦力です。この航空団は、こともあろうに、記章に広島と長崎の二つの原爆のきのこ雲をあしらい、かつて所属していたエノラ・ゲイとボックス・カーの原爆投下を誇りにしています。
 このB2爆撃航空団は、これまで模擬爆弾を使って、新しく開発された地下貫通核爆弾B61―11の投下訓練をネバダやアラスカでくり返していました。ユーゴ空爆が始まると、実戦演習の絶好のチャンス到来とばかり、B2爆撃機はアメリカ本土から大西洋を横断してユーゴの目標を攻撃しました。そして、中国大使館を「誤爆」したのは、このB2爆撃機でした。
 B2爆撃航空団の出現によって、核兵器が使われる危険性はいっそう増大しています。

弟の死に思う― 被爆線量基準の非合理(1999.7月)
 
国民学校6年生のとき、広島の爆心地から1,400m離れた学校で被爆した弟が、ガンとたたかって5月に死んだ。2階の広い窓の教室にいた弟は、火傷こそしなかったものの、相当量の放射線をあびたと思われる。倒壊した校舎とともにたたき潰され、30数箇所の傷を負った。  弟は母の郷里の医者に通って治療を受けたが、膿んだ傷口はなかなかふさがらなかった。後になってわかったことだが、これは放射線が治癒能力を奪ったためであった。弟と私の被爆距離は同じだが、私は自宅の1階、弟はあまり遮蔽効果のない開放的な2階の教室であった。また、私は「黒い雨」に遇っていないが、弟は「黒い雨」にも遇っている。  弟の生涯を偲びながら、被爆距離だけで被爆者のあびた放射線量を認定する厚生省原爆医療審議会の基準の非合理を痛感している。

犠牲はいつも一般国民にふりかかる(1999.5月)
 20世紀の戦争犠牲者は1億人近くに達した。この反省から、国連憲章は、国際紛争は武力ではなく平和的手段で解決しようと決めた。わが国は戦争を放棄した。人類は広島と長崎以後、核兵器を使った戦争を防いだ。核戦争が起こっていたら、犠牲者は世界人口に匹敵したであろう。  連日、NATO軍のユーゴスラビアに対する攻撃が続き、またも米軍が劣化ウラン弾を使用したという報道もある。民間人も避難民も多数が犠牲になっている。  直ちに軍事攻撃を中止し、基本的人権の徹底、すなわち違った民族的背景や宗教を持つ人たちが一緒に生活し、市民として同等に扱われる条件を創り出すことこそ追求すべきだろう。  NATOのようなアメリカを中心とする軍事行動に、日本を組み込もうとするガイドライン法案の危険性は明白である。

聴覚を奪った原爆の衝撃波(1999.4月)
 
「ピカドン」が落とされたとき私は眠っていたので、「ピカ」も「ドン」も知りません。潰れた家の中からようやく抜け出し、こげ茶色の暗闇の中に立ったとき、何も聞こえてきませんでした。暗闇が晴れて、遠くが見えるようになったとき、見渡す限りぺしゃんこになった広島は「死の静寂」でした。私がはじめて聞いた「音」は、必死で私の名を呼ぶ母の声でした。  しかし、広島全体が阿鼻叫喚の中にあって「死の静寂」はどう考えても不自然です。私の家のすぐそばにあった逓信病院の蜂谷道彦院長の「ヒロシマ日記」を読み返していて、はたと気づきました。原爆の強烈な衝撃波による急激な圧力変化によって私の耳の機能が一時的に奪われていたとすると、私の体験が合理的に理解できます。家の下敷きになったまま焼き殺された母が私の聴覚を取り戻してくれたことになります。

人類破滅につながる未臨界核実験(1999.3月)
 2月9日、アメリカは6度目の未臨界核実験を強行しました。わずか170gのプルトニウムを3つに分けて火薬の爆発で圧縮し、高温・高密度になったプルトニウムの物理的振る舞いを調べる実験でした。目的は、この結果を用いて、コンピューター内で数値による核爆発実験を行ない、新しく設計した核兵器をテストすることです。ロシアでも未臨界核実験をくり返しています。こうして新しい核兵器を設計するコンピューター・プログラムが完成しつつあります。この設計プログラムが盗まれると、インターネットなどを通じて設計技術は瞬く間に世界中に広がり、プルトニウムさえ手に入れば簡単に核兵器が作れるようになります。そうなると、やがて核保有国が増え、テロ集団も含めて、いたるところに核兵器がある物騒な地球になるでしょう。

核戦略を後押しする周辺事態法(1999.2月)
 
いま国会で「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」にそって、アメリカとの軍事協力を具体化する「周辺事態法案」が審議されています。  「周辺事態法案」は、自衛隊だけでなく、空港、港湾、病院などの施設や人員も、アメリカの戦争に協力させようとするものです。そうなると、昨年12月、アメリカとイギリスが一方的にイラクに対する軍事攻撃を行なったような、国際法と国連憲章に反する戦争に日本が加担することになります。これは、国際紛争を平和的に解決しようという世界の潮流に逆行し、日本国憲法にてらしても許されないことです。  国会は、アメリカの無法な世界戦略を後押しする「周辺事態法案」を廃案にし、アメリカに国連決議に従って核兵器廃絶条約の交渉に応じるよう要求してほしいものです。

京都原爆裁判(1999.1月)
 
「被告(厚生大臣)が原告(Kさん)に対し昭和60年11月28日付けで行った原子爆弾被爆者医療認定却下処分を取り消す」。京都地裁でのKさんの勝利判決の瞬間です。  この判決の最大の特徴は、これまで厚生省が秘密にしていた医療審議会の認定審査がきわめてずさんであったことを、厳しく批判したことです。問題のあるT65DやDS86の推定放射線量と閾値理論を機械的に適用して、数分の審議で放射線の影響は否定できると判定し、申請を却下したことは違法であるとしました。また、DS86では無視されている放射性降下物の「黒い灰」や救護作業の際にうけた残留放射線による体内被爆の影響も認めました。画期的な説得力ある判決内容で、Kさん、弁護団の方々ともども喜びを分かち合いました。

原爆放射線量研究会(1998.12月)
 
11月20日、原爆放射線量研究会が開かれ私も参加しました。  厚生省が被爆者の認定申請の審査基準にしてきたDS86の広島・長崎原爆の放射線推定線量は、実際の放射線量の測定結果とは一致しません。研究会では、この不一致の原因がなにかが議論の中心になり、色々な考え方が出されました。しかし、DS86の推定値がなぜ爆心地から1kmをこえると過小評価になるのか、まだこれといった説明は得られていないのが実情です。  長崎では、1kmをこえる地点での測定データが不足しているので、この距離での測定が計画されています。集まった科学者たちは、今この研究をやり遂げなくては原爆放射線の問題は永遠に闇に包まれてしまう、科学的に明らかにすることは人類に対する責任だと、がんばっています。

パグウォッシュ会議に参加して思う(1998.11月)
 9月末から10月はじめメキシコで開かれたパグウォッシュ会議に参加した。開催地メキシコも、来年の会議開催地南アフリカ連邦も、インド・パキスタンの核実験直後の6月9日、「8カ国外相の核兵器廃絶宣言」に加わって、核兵器のない21世紀への展望を今世紀中に作る具体的ステップを提案した。これら8カ国政府は、核兵器廃絶をめざす「新協議連合」を開会中の国連総会で提唱して活躍している。そのためか、この8カ国からの参加者はパグウォッシュ会議でも活発な発言をした。それにひきかえ、核保有五カ国からの参加者は心なしか元気がない。自国の政府が核兵器廃絶条約の交渉に応じようとせず、核兵器の永続保有の姿勢をとりつづけているからだろうか。それにつけても日本政府に非核の政策をとらせたいものである。

東アジアの緊張を高めるTMD(1998.10月)
 
日米の外務・軍事担当四閣僚は、米国がすすめている戦域ミサイル防衛(TMD)構想の技術研究を日米共同で着手することに合意した。東アジアのTMDは、日本、中国を含んだ東アジアを一つの戦域と考え、この地域に前進配備している米軍が戦争相手国からミサイル攻撃を受けたとき、これを迎撃ミサイルによって途中で打ち落とすシステムである。かつてのSDI(戦略防衛構想)の小型版だ。
 このようなTMDの技術開発は、ミサイルの性能を格段に向上させることにほかならず。この地域のミサイル開発競争に拍車をかけるだけである。北朝鮮の人工衛星発射は国際法無視の危険な行為であるが、これを口実にして、日本がTMDに加わるのは東アジアの緊張緩和促進に逆行する。すでに中国はこのTMDへの日本参入に警戒を強めている。

中性子線の伝搬(1998.9月)
 
広島原爆の中性子線量の実測値を解析していて、中性子の伝搬が地上の状況で違うことに気がつきました。DS86の評価は、爆心から1km以内では実測値より大きすぎ、1kmを越えると、逆に実測値よりどんどん小さくなって、2km以遠では桁違いの過小評価になります。唯一の例外が、爆心から約1.4kmにある横川橋の、水面から15mのアーチ頂上の鉄から採取したコバルト60のデータで、これだけがDS86と例外的にほぼ一致しています。横川橋と爆心地を結ぶと、その間は大部分が広い太田川の水面です。その他の1kmを越える実測値は、家屋が密集した地域の建造物から採取した資料から得られています。こうした事実は、地上付近の中性子線の伝搬は、地面や地表付近の水分量によって大きく左右されることを示しています。

「被爆国の核政策を前向きに」(1998.8月)
 
インドとパキスタンの核実験直後の6月9日、国連で核兵器廃絶のイニシャチブをとってきたアイルランド、ブラジル、スウェーデンなど八カ国の外相がストックホルムに集まり、アピールを発表しました。このアピールでは、「未来永遠に、核兵器保有が合法であるとみなされる国際社会は不道徳であり、人類はこのまま第三の千年(2001年から始める千年)を迎えてはならない」と、核不拡散条約体制を批判するとともに、核兵器廃絶への具体的プログラムを打ち出しています。そして、5つの核保有国と、核兵器開発能力を持っているインド、パキスタン、イスラエルが、直ちに核兵器廃絶の誓約をするよう要求しています。残念なことに、当時の小渕外相は、アメリカの核の傘から抜け出せず、この会議への参加要請を断りました。

科学者の社会的責任(1998.7月)
 世界の科学者が集まって核兵器をはじめ世界のさまざまな問題を議論するパグウォッシュ会議で、科学者の社会的責任が例年議論されてきました。その中で、「科学者は、国の政策や利益だけに従って行動するのではなく、人類全体のこと、地球の未来を考えて行動しなくてはならない。例えば、自分の国がこっそり核兵器を作ろうとするのを知ったとき、科学者はそれを国際社会に告発しなくてはならない。そこで核兵器廃絶条約には、条約の違反を告発した科学者が、自分の国の法律で処罰されないことを保証する条項が必要である」ということが議論されています。もし、インドやパキスタンの科学者や技術者が核爆弾の製作を拒否していたら、インドやパキスタンの核実験はできなかったでしょう。科学者の人類社会にたいする責任がますます重くなっています。

新たな核軍拡競争をあおるインドの核実験(1998.6月)
 歴代インド政府は非同盟諸国の先頭に立って、一部の核大国の核兵器独占を批判し、時間を限った核兵器禁止条約の実現を主張していました。ところが、今年成立したバジパイ政権になって方針転換し、わずか4ヵ月の準備で1キロトン以下の「使いやすい」小型核兵器からメガトン級の水爆まで、大小様々な5発の核爆発実験を強行しました。インドの核兵器保有は、核兵器のない21世紀を実現しようという世界世論に逆行し、新しい核軍拡競争をあおる許しがたい蛮行です。核兵器製造のノウハウが広がり、プルトニウムなどの核分裂物質が手に入れば容易に核兵器が作れるようになった今日、核兵器不拡散条約(NPT)では核兵器の拡散は防げません。核兵器を禁止しないまま核分裂物質を規制しても実効性はあやしく、核兵器そのものを全面禁止する条約の実現こそ早急に必要です。

核兵器使用を容認する日本政府(1998.5月)
 今年の1月から3月にかけて、イラクの大量破壊兵器の査察をめぐり、アメリカは核攻撃を含む一方的な武力行使を実行しようとした。一方、湾岸諸国などはイラク攻撃のための基地利用を拒否した。ところが、日本は空母インディペンデンスの出撃を容認するなどアメリカの武力行使を支援している。また、国連の安保理事会では、イギリスと共同してアメリカを助け、アメリカが勝手に武力攻撃できる「白紙委任状」の提案をした。これに対し、平和的手段で解決せよという国際世論が大きく起こり、国連事務総長がフセイン大統領と話し合って、結局イラクに査察を承認させた。このところ、アメリカのごう慢さとともに、日米安保条約と日米防衛協力のための新ガイドラインのもとで、核兵器の使用を認めるなど日本政府のアメリカ追従ぶりが目立っている。

インドの核兵器導入宣言(1998.4月)
 インドは1974年に地下核爆発実験を行ないましたが、これまでは期限を切った核兵器廃絶を主張し、核兵器不拡散条約(NPT)と包括的核実験禁止条約(CTBT)は核保有国の既得権を認める不平等条約だとして、条約調印を拒否してきました。しかし、その背後にはインドの核武装の選択肢を残しておくという政策がありました。そのインドで、人民党主導の政権が発足し「核兵器を導入する選択肢を行使する」、核武装の方針を打ち出しました。インドが核武装すると、核保有能力を持つ隣国のパキスタンも対抗して核武装に踏み切ります。インドの核兵器導入は、21世紀に核兵器のない世界を実現する方向に逆行する暴挙です。また、このことは、アメリカ主導のNPT+CTBT体制ではない、核兵器廃絶条約の実現がますます急務になったことを示しています。

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