Farr45 Wind Sailor 
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最初から分かっていたことだが、このフネのデッキはケブラーの上に貼ってあるグラスファイバーが大部分で剥離していた。Farr40も同様だったが、この為、製造元のキャロルマリンは倒産したらしい。

2009年4月、懸案だったデッキの補修のために英虞湾の筒井ボートにフネを回航した。
回航メンバーは筒井さん、足立さんなど4名。夜中に新西を出港して紀伊水道で日の出を迎える。
潮岬も快調にクリアしてその日は勝浦で一泊した。筒井さんの知人の案内で、自称勝浦一のプライベート温泉に浸かった。風呂上りには1個850円のアワビの造りを堪能した。

筒井隆介は、82年の第2回J/24全日本で優勝した"J of J"(庄崎艇長)のバウマンだった。このチームは通算2回、ワールドに出場している。
私が始めて隆介と出会ったのは西宮で行われた第3回全日本のときだった。
隆介とは89年に学生援護会のアンV(X-119)で、ノースセールの三船さんの指揮の下、グアム→博多のレースに出た。結果はクルーザークラス優勝だった。それもともかく、そのレースで隆介はスタート時とフィニッシュ時のヘルムをとり、その余は8人分×3食×2週間の食事の殆どを賄ってくれた。
外洋レース中のヨットの中で食事を作るということは、誰にでもできることではないと思った。
彼はグアムと日本との間を7回ぐらいヨットで行き来したらしい。グアム、ロタ、テニアン、サイパン、アナタハン、パガン、アグリハン、硫黄島、小笠原諸島などの島々に立ち寄ったり遠望したという。
彼の造船所で一杯やりながら、今は無人島になっているパガンに上陸して、ヤシガニのバーベキューをしようなどと、話がはずんだこともあった。遥かなるパガン島よ。。
マリアナ諸島に行くにはカタマランが良いというのが彼の持論だった。理由は、カタマランならタガーボードを上げればリーフに入っていけるし、砂浜に乗り上げることもできるし、お互いに喧嘩をすれば別々のフネで寝起きができるというのである。
私は瞬間風速50mの前線に出会ったことがあるので、結局フネはモノハルのFarr45になったが、隆介とはそんな本気とも冗談ともつかないような話があったので、このフネの修理や改造は筒井ボートにまかせると、最初から決めていた。

ところがフネを英虞湾に回航した直後、その隆介は09年5月に大手術を受けることになってしまった。
ヨットは英虞湾の奥深くに係留して筒井さんの回復を願ったが、その予後には容易ならぬものがあり、結局、デッキの修理はフネを西宮に戻してやることにした。09年7月に入り、足立さんと2人でフネを英虞湾から新西へ回航した。帰路も勝浦で1個850円のアワビで一杯やるつもりが、彼が「このまま行きましょう」と言うので、勝浦には寄らず、カップヌードルを食べ、潮岬で日没を迎えるオーバーナイトの回航となった。
日中は曇天、日暮から雨、特に私のワッチは雨、雨で、夜中に手足がふやけてしまった。
暗闇の加太の瀬でタグボートに曳かれたハシケに気づくのが遅れ、ちょっと危うく、曳航ワイヤーを避けた。
不覚にも明け方の関空沖で燃料が切れてエンジンストップ。北東の風の中、西宮を目指してタッキングを繰り返すハメになった。
神戸沖で漁船に囲まれてフネがワイルドタック。私は爆睡中だったのに、足立さんにたたき起こされた。「漁船の前、切れたんちやうの〜?」
新西には、でかいディンギーの如くセーリングで着岸。約180海里を25時間で走った。疲れた〜。やっぱりアワビ喰いたかった〜。

09年7月19日に須磨で行われた神戸祭りレースに出た。Mumm30「いちもくさん」のメンバーでこのフネに初めて乗った、デビュー戦だった。軽風だったので大きなミスもなく走り、1時間弱のレースで2着に約10分の差をつけ、修正2位だった。


このフネのデッキはバルサコアにケブラーのサンドイッチ構造だが、表面にはFRPが薄く一層だけ貼ってある。そのFRPの層とケブラーの層との相性が悪いらしく、デッキのかなりの部分でFRPが剥離して、間に水が溜まっている箇所もあった。
7月下旬、内山さんにお願いしていよいよ懸案のデッキの大修理に取りかかった。足立さんと私が内山さんを手伝うということで、作業を開始した。まずは剥離しているFRP層をバリバリ剥いだ。スクレーパーの刃先が入るところは全て剥いだ。3人がかり×1日でほぼ終わったが、気の重い作業だった。

それと、このフネのメインシートトラベラーには3トン近い力がかかるはず。で、過去にこのフネはメントラが2回、ジブシートトラベラーも1回デッキから浮き上がったことがあるとのこと。それなりの補強はしてあったが、雨の日はこれらの取り付けボルトから水滴が落ちていた。
今回はこれらのトラベラーも全てはずし、トラベラーに沿って上からケブラーの層も四角にカットした。ケブラーの蓋を開けたとき、「おお〜」。。。
バルサコアが汁気たっぷりに腐り、まるでシーチキンの缶詰を開けたみたいだった。腐ったバルサは指で簡単にほじくり出せた。
(J/24セーラーもご用心を)。
腐ったバルサは取り除き、乾燥させ、内山さんにお願いして発泡性のエポキシパテを詰め、上からFRPマットをかぶせて補強した。メイントラベラーはデッキの裏側もバルクヘッドと連結するようにL字型にFRPを積層して補強した。
FRP層を剥いだ部分もエポキシパテで補修し、あとはひたすら磨いた。
磨きは、バイブレーションサンダーでは全く非力なので、1.2KWの出力のベルトサンダーを購入した。これを足に2台履くと、そのまま走っていけそうなぐらい強力だった。
なので私はすぐ疲れた。1日4時間も作業するともうヘトヘト。磨いたらまたパテを塗ってまた磨くを3回以上やった。最後に内山さんにデッキの全面塗装と滑り止め塗装をしてもらった。
かくして、暑い一夏が過ぎた。作業は海上係留のままでやったので、かなりの粉塵が周りのフネに飛んだようです。どうもすみませんでした。
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