男はなぜ暴力をふるうのか

―進化から見たレイプ・殺人・戦争―

マイケル・P・ギグリエリ (松浦俊輔 訳、朝日新聞社、2002)

 

『男の凶暴性はどこからきたか』(表を参照)とほぼ同じテーマ。しかしこちらは一貫して進化論的視点から追究しています。第一部では、霊長類のオスの暴力は進化上の戦略として選択された、つまりそれはオスの「本能」だという結論。このことが人間の社会におけるレイプ、殺人、戦争にどこまで当てはまるかを論じたのが第二部。結論は、戦争においてはある種の限界があるものの、人間の男の暴力もやはり「本能」。300ページ(訳書で)を費やして徹底的に論証を尽くすその熱意に、ただただ脱帽です。

そして、第三部ではそれに対する対策が提示されます。著者はゲームの理論を援用しながら、殺人やレイプなどの犯罪に対しては応報刑を実効あるものにすること、またテロや戦争などに対しては武力を背景とした断固たる態度をとることが必要だとしています。読者が第二部までの議論を基本的に承認したとしても、この提言や死刑廃止反対論などに対してはさまざまな意見があるでしょう。訳者(松浦俊輔氏)も解説の中で若干の疑問を呈しています。

しかし、少なくとも「凶悪な暴力を行っても『割に合わない』ばかりでなく、辛い刑が待つだけだという状況を、協力して作り出すこと」という主張は、著者がアメリカ人であり、アメリカは先進国の中で異常に犯罪発生率が高い国であることを考慮すれば、説得力があるといえます。なぜなら、アメリカの多くの州が死刑制度を持っているにもかかわらず、実際には「殺人者の1000人に一人」しか処刑されず、「すべての凶悪犯罪の4分の3が前科ある者によって」行われ、「これらの犯罪者のうち3分の1は、各人が(平均して)年間187件起こす犯罪のうちのいくつかで執行猶予中の身だった」という、驚くべき現実があるからです。

さらに、「アメリカの刑務所に入っても、不便でこそあれ処罰を受けていることにはならない。」「十分な食事をとり、照明のある部屋(監房)に住み、上下水道完備で、ルームメイトがいて、運動施設、ラジオ、カラーテレビもある。誰とでも話ができ、電話もできる」。たしかにこれでは「服役中に苦痛を感じない――つまり自分の犯罪行為と苦痛が結びつかない――ので、刑を受けても、釈放後の凶悪犯の行動は変化しない」でしょうし、「ただ刑務所に戻りたいがために残酷に無差別殺人を犯した元受刑者も多い」というのも、もっともです(以上の引用は339ページ以降)。

死刑制度の是非を考える際にも、こういった現実を無視してはなりません。日本はアメリカと同じではないでしょうが、犯罪者(容疑者ではなく)の「人権」を守るというときに、刑罰は何のためにあるのかということを、よく考える必要があります。

ただ、著者の議論にも、ちょっと引っかかるところがあります。殺人にはいくつかの種類がある。最も恐ろしいのは無差別大量殺人と、連続殺人。そして強盗殺人とレイプ殺人。これらは基本的に、見ず知らずの他人を殺す場合です。それに対して、実際の殺人事件の多くは恨み、嫉妬、憎悪などの感情的対立や経済的な利害対立が原因で、つまり加害者と被害者は顔見知りです。著者によると、殺人それ自体が目的である(ように見える)無差別殺人と大量殺人はアメリカの殺人事件全体の1%(おそらく犯人の多くは重度の精神障害者でしょう)。一方、顔見知りに対する殺人犯が同様の殺人を何度も犯すとは、ふつうは考えられません。とすると、「すべての凶悪犯罪の4分の3が前科ある者によって」行われるというとき、そのほとんどは強盗殺人やレイプ殺人のたぐいだと思われます。「厳罰主義」という、著者の犯罪防止策の提案は、これらの性格の異なる殺人を、結局はひとまとめにして考えられているところが、疑問なのです。そして、凶悪な殺人は厳罰主義によって減らせるとは思えません。この問題は、『脳が殺す』のテーマとも関係します。

 

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