死刑の大国アメリカ

宮本倫好 (亜紀書房、1998)

 

よく言われるように、今日、先進国の中で死刑が行われているのは米国と日本だけです。正確に言うと、死刑制度はあるが実際には何年も死刑が行われていない、という国も先進国の中にいくつかあります。また、米国は州ごとに制度が異なり、死刑制度を廃止している州と実際に何年も行われていない州は北部に集中しています。本書は米国における死刑制度をめぐる様々な意見や司法判断を、論争の原因となったいくつかの事件とともに紹介していて、大変参考になります。

主な賛成論と反対論を整理すると、およそ以下の通り。

●死刑制度賛成の理由

  1. 社会的正義の実現として当然
  2. 被害者遺族の心情を考えれば当然
  3. 犯罪抑止に有効
  4. 再犯防止に有効
  5. 刑務所収容者の増加はコスト高

●死刑制度反対の理由

  1. 憲法が禁じている「残酷で異常な刑罰」に当たる
  2. 冤罪とわかっても取り返しがつかない
  3. (有能な弁護士を雇えないなど)社会的弱者にとって不利
  4. 応報を望むのは加害者と道徳的に同レベルであり、恥ずかしいこと
  5. 犯罪が多いのは社会構造に根本原因があり、死刑では解決にならない
  6. 刑罰の目的は応報ではない。加害者の更生を重視するべき

著者の立場・見解は必ずしも明確ではありませんが、賛成論に対してはそれぞれに批判的見解が紹介されている(さらに反論も挙げているが)一方、反対論に対してはそれが少ないので、おそらく死刑制度に対しては少なくとも懐疑的なのでしょう。

しかし、死刑制度反対論に対しても、次のような批判が可能です。

1. に対して:残酷さの客観的基準はない。憲法が禁じなければよいのか。
2. に対して:冤罪でなければ死刑にしてよいのか。
3. に対して:弱者でなければ死刑にしてよいのか。公正な裁判なら死刑でもよいのか。
4. に対して:個人の信条としては立派だが、それを他人に押しつける権利は誰にもない。

結局、賛成論も反対論も今一つ決め手に欠け、議論は平行線のように思われます。

賛成論と反対論の対立の根本にあるのは、刑罰の目的や正当性をどう考えるかではないでしょうか。現代刑法理論では、古典学派の応報刑論と、近代学派の目的刑論・教育刑論が対立しているようです。先進国の刑法は両者の折衷で、個々の刑罰規定がどちらの考え方に基づいているとはいいにくいのですが、死刑だけは明確に応報刑ですから(殺してしまっては、教育できない)、その正当性をめぐって鋭く対立するのでしょう。

いずれにしても、米国の多くの州で死刑制度が存続し、しかも議論が多いのは、この国に重大犯罪があまりに多く、検挙率があまりに低いからですが、重大犯罪がはるかに少ない日本にも死刑制度があるのは不思議です。

私自身は、どちらかといえば死刑制度に反対です。近代社会は「目には目を」式の単純な応報刑を否定してきたはずで、相手に重傷を負わせた犯罪者でも、肉体的刑罰を受けることはありません。死刑はこのような原則に反するもので、権力による殺人です。特殊な場合を除き、少なくとも一般人による一般的な犯罪に対する死刑制度は、克服されるべきものだと考えます。

なお、死刑制度については、「現代思想」第32巻第3号「特集:死刑制度を考える」(2004年3月、青土社)が参考になります。

 

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