1月の大野山から人遠尾根(正面)と高松山(中央やや右)、左は西ヶ尾人遠尾根から高松山
丹沢前衛とされる高松山は、バス通りから車道を上がれば割と楽に登れるが、それでも舗装道の上に見上げる山肌の傾斜は急で、1,000mに満たない標高のわりには奥深いと思わせる。檜岳山塊から眺め下ろしても、大きくわだかまる姿は一筋縄ではいかない雰囲気を感じさせる。
尺里峠経由で登り、シダンゴ山から縦走し、少しはわかった気でいたが、気になるのは西麓の人遠(ひととお)集落近くから始まる人遠尾根だった。まだヤブが被らない季節に歩きに行ってみると、長々とした車道歩きのあとに、これまた長々とした静かな尾根登り、出た先の稜線は西ヶ尾との鞍部で山頂はまだ先と歩きごたえのあるコースで、「丹沢前衛」のお手軽な印象を修正する必要を感じたのだった。


この日は御殿場線山北駅から周回するつもりで計画した。駅を出て、大野山登山口方面へと商店街を抜けて行く。バスも走る通りに突き当たり、これを渡って正面に続く道に入ると、すぐに左右に分かれる。右の山側のを選んでみたら行き止まりになりそうだったので、戻って左のを行く。皆瀬川に向かって下り出すあたりで、萩原地蔵堂というお堂に出くわす。正面軒下にある横木(頭貫)とその両端(木鼻)が目を惹く。頭貫上には華美に至らない装飾が施され、木鼻は黒獅子と白象の木彫となっている。いつの時代のものかは不明だが、味のある彫刻で愉しい。お堂そのものは新旧の折衷になってしまっているが、軒下は見る価値があった。
萩原地蔵堂
萩原地蔵堂
道なりに斜面を下って川沿いに出て、車道を上流に歩いて行く。東名高速道の壮大な三連橋を頭上に仰ぎつつ山あいにはいっても、しばらくは人間の居住空間の延長だったが、ゴミ焼却炉施設のあたりまで来ると、そういう施設が建てられるだけあってか、川の流れもずいぶんと自然さが目立つようになる。対岸には小さいものながら滝もかかり、河原をよく見れば増水したときの名残らしきがそこここに見受けられる。細い狭戸のようななかを抜けて行く急流も目に入る。
川底が浅そうで流れも優しげなところなら歩いて渡れるのではと思いもするが、ときおり現れる砂防ダムとも堰とも言いかねる場所では全水量が一気に落ちて侮れない轟音を周囲に響かせている。台風後など相当に迫力ある眺めになるのだろう(そういうときは来てはいけないが)。二車線道路が続くが車の姿は殆どない。聞こえるのは水の音ばかり、ときおり鳥の声が響く。
皆瀬川
皆瀬川
徐々に谷間も深まり、山肌の傾斜も急になってくる。見上げる流れの先、上空に丸いピークが浮かぶ。あれが高松山だとしたらかなり遠いなと思って地図に当たると、ブッツェ平だった。高松山は右手の山腹の彼方、頂上はまるで見えない。なぜか猪を飼っている施設を過ぎると人遠橋という小振りの橋に着く。左手奥の山中には集落があるらしく、遠くから犬の吠え声が聞こえてくる。時間外れのハイカーの匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。


橋を渡った先に本日辿る尾根が落ちてきている。登山道入り口を示す標識などなく、登山詳細地図のガイドに従い登り口の鉄製階段を上って尾根に取り付く。のっけから急登が始まるが、今の今までが平坦な舗装道歩きだったので気が引き締まってよい。一時間半近くの車道歩きはほどよい準備運動になったようで、心肺能力にはそれほど負担にはならない。周囲は自然林で気分がよく、ぐいぐいと高度を上げて、わりと早く山頂に着くのではないかとさえ思わせられる(実際にはそんなことはなかったが)。
出だしは雑木林
出だしは雑木林
半時ほどで急登は終わり、同時に周囲は植林の森となる。踏み跡は明瞭になったのはよいが、それも登っているうちで、尾根が広がって斜度が緩んでくると徐々に怪しくなってくる。広いコブの頭に出て曲がるところなど、どこに向かえばよいのか慎重に方向を決めなくてはならない。そういう場所が二度ばかりあった。木々の上に姿を見せる次のコブや高松山本峰を確かめ、地図に当たって居場所を確認し、進む方向を探る。標識は皆無の登路だが目印の荷造り紐が下がってはいる。ただしときおり妥当でないところに付けられているので、要所では地図を見る必要があった。
防火帯のように切り拓かれた場所があると思えば、間伐の木材がそこここに敷き詰められた林もあり、倒木が連続する道筋もあった。なかなかどうして前衛の山とかいって舐めてはいけない。選ぶ道のりによっては困難度はだいぶ違う。
ブッツェ平を仰ぐ
ブッツェ平を仰ぐ
高度を稼ぐにつれ、左手、木々の合間から隣の稜線が窺えてきた。ブッツェ平から大野山に続くもので、こちらの尾根も静かだが、あちらもだいぶ静かなものだろう。見渡していると、彼方の尾根の上に妙に三角錐の山も窺えた。遠見山らしい。背後に背負っているのは畦ヶ丸に御正体山のようだ。それぞれの麓には人間の生活空間があるが、ここからでは一切目に入らない。往古の山深さを感じさせる眺めで、本日は自分だけの山、久しぶりにそんな気分に浸れる山歩きなのだった。
ひっそりした尾根
ひっそりした尾根
右手の高みに高松山、正面に西ヶ尾を窺うようになると、明るい尾根に合流する。花じょろ道と呼ばれる古道の西半分で、合流点は南北の眺めがよい。目に飛び込んでくる北方の眺望は、両側から重なるように落ちる尾根の上空彼方に、ほんの少しだけ妙高山に似た姿で伊勢沢の頭が浮かぶ。その左背後にわずか顔を出しているのは石棚山だろうか。見渡す限り日を受けた南面に新緑が輝かしい。
振り返れば木々が伐られて富士山方面の眺めが広がる。霊峰は逆光に霞んで形がわかる程度だったが、すぐ近くに平らな頂を広げる大野山、その右奥に番ヶ平から不老山に続く山塊、さらに奥には湯船山や甲相国境尾根の山々が浮かんでいる。牧場施設と高圧線鉄塔は見えるものの、こちらも山ばかりが並んで人里が遠く感じる。いわゆる前衛の山でこの感触は嬉しい。得した気分になる。
花じょろ道との合流点にて
花じょろ道との合流点にて
すばらしい眺望で、しかも静かなので、ここで腰を下ろしてお茶休憩しようかと思ったが、やはり高松山に敬意を表すべきだろうと、大休止は山頂で取ることにした。展望地を背後にすると山腹を行くようになり、西ヶ尾との撓みに出る。植林帯となった稜線を右に登って行くと、頂稜となり、ビリ堂への径を右に分ければお馴染みの開けた山頂だった。
草原の広がる山頂からの眺めは、本日が初めてではないものの、新鮮だった。正面に広がる箱根連山は悠々とした裾野を広げて「箱根に山など無い」とか言う人には言わせておけばよいと思わせる。右奥彼方に浮かぶ愛鷹連峰が越前岳と位牌岳を結ぶ稜線で弧を描き、箱根の山稜の大きなスカイラインと相似形になっている。こういう規模での造形はやはり自然ならではであり、改めて感嘆させられるのだった。
山頂から箱根連山、愛鷹連峰(右奥)
山頂から箱根連山、愛鷹連峰(右奥)
夕方近いとはいえ日の長くなる季節のおかげで慌てて下る焦慮感もなく、ベンチに腰掛けて湯を湧かす。眼前に広がる山々に視線を漂わせ、眼下に広がる松田市街地、そのなかを縫う酒匂川の流れを見やりながら、温かい飲み物をつくって飲んだ。


当初はビリ堂経由で下ろうかと思っていたものの、登りでくたびれたので尺里峠に下り、車道を辿ることにした。日の光に赤味が加わりつつあったが日没まではまだ間があるので、高松分校跡にも寄ることにした。人影絶えた山道から変わった車道を辿り、山上集落のなかを抜けていく。
3年ぶりに訪れた分校跡は、3年前には目にできた校庭の遊具が、すべて撤去されていた。滑り台、ブランコ、シーソー、鉄棒、さらには色とりどりに塗られた馬飛び用のタイヤまで無くなっている。校舎だけが変わらず建っているものの、だいぶ学校らしさが薄れてきてしまっていた。この校舎も使われなければ朽ち果てるだけだろう。各地でのように、アトリエなり工房なり水耕栽培の施設なり、なんらかの形で活用されればと思うのだった。
高松分校跡
高松分校跡、遊具が撤去されてしまっていた
若干の感傷に浸っているうち、気づけば夕方6時を回っていた。集落のなかにいるとはいえここはまだだいぶ高い。日が沈みきるまでに麓に下りようと急ぎ足で下り始める。見晴らしのよい坂道では夕焼けに染まりだした空に富士山や箱根の金時山が望めたものの、里に出たころには家々の明かりが目に付くようになっており、山北駅に着いた時にはすっかり日が沈んでいた。
夜になって風は冷たくなったものの、5月目前とはいえ暑い一日だった。駅裏の日帰り入浴施設に寄ってから御殿場線に乗った。
2016/4/30

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