大野山の犬クビリ付近から高松山(右)と西ヶ尾

高松山(丹沢)

古くから西丹沢前衛でハイキングコースとして有名なのは大野山不老山に高松山だという。不老山はともかく大野山や高松山はどうも車道歩きが長そうで、山歩きと考えると足が向かないでいたが、「単なるウォーキング(少々高度を稼ぐ)」と不遜にも思えば行く気になりもする。ひとつずつ、まず大野山に登り、不老山を経て、残るは高松山となった。季節はちょうど春になったところ、登り始めの里の風情、山間に分け入った先にあるという分校の佇まいも興味をそそり、では行ってみるかと腰を上げる。
気分はすっかりのんびり散策なので、コース選定もまるで奇を衒わず、どのガイドにも載っているルートを辿るものとした。つまり御殿場線沿線の車道から尺里(ひさり)峠に上がって山頂を目指し、ビリ堂という奇妙な名前の場所を経由して下るというものである。最寄り駅である山北駅から登山口までバスはあるが、距離が短いので当てにせず歩くことにした。


出かけたのは土曜日だが、週末は疲れが溜まっていてなかなか早く行動を起こせない。なので歩き出しの駅に着いたのは13:30過ぎという、4時間くらいは歩く計画にしてはずいぶんな遅さだった。駅を出て右へ、高松山登山口へと歩いていく途中にも、下りてきたパーティーと何度もすれ違う。途中に肉屋が店を開けており、カレーコロッケとハムカツが美味そうだったので山上で食べようと一枚ずつ買い求めた。気分はまさに”ちょっとそこまでの散策”である。
今年は暖かくなるのが早いとのことでこのあたりでも桜が満開になっている。写真を撮りながら行くと時間がかかる。30分くらいで行き着くところを一時間ほどかかってバス停に着く。ただでさえ出発が遅いのにこれでよいのかと一抹の不安もなくもないが、曇り空とはいえ咲き誇る花々はいとも易々とひとの袖を引っ張り足を止めさせるのだった。
ハナモモ?
ハナモモかな
ハナモモ これもハナモモかな
バス通りから眺める尺里川畔の桜
バス通りから眺める尺里川畔の桜
バス停から川沿いに上がっていく。里は農地やら川べりやらあちこちが菜の花で溢れていて文字通りの桃源郷だった。見上げる山の斜面にまで黄色い島々が広がっていて明るいことこの上ない。畑では今年度の作付けなのか、黙々と働くひとの姿があった。長閑なことこの上なく、被写体を探し、構図をあれこれ考えていると、余計に歩みは遅くなる。
尺里(ひさり)の里なかを流れる尺里川
尺里の里の奥を流れる尺里川
下ってくる予定の道筋を左に分けると家並みは絶え、山中に続く舗装路が続くだけとなる。右手に流れを見下ろす緩やかな斜度に安穏としていると、ジグザグを切って斜面を上がるようになり、やはりここは山だと気づかされる。平坦な舗装路で足を出すのが容易とはいえ登りは登りだ。汗もかく。
道ばたや傍らの斜面には里で見た数に負けない種類の花が咲いている。撮影なのか休憩なのか判然としない理由で何度も立ち止まりながら行くうち、いつのまにか登り口の里は谷間のだいぶ下に見えるようになっている。その上空彼方に丸いコブが二つ三つ、柔和な姿を見せている。金時山矢倉岳あたりらしい。
キブシ
キブシ

金時山(左奥)、矢倉岳(中央)、かな。
シャガ ヤマブキ
シャガ ヤマブキ
車道はときおり車が通る。車で上がって高松山を往復、という人たちかもしれない。車上にあると路傍の地表近くにある花は見ることはもちろん咲いていることさえわからないだろう。車道すぐ脇に落ちる小振りの滝にもブレーキを踏むことはない。しかし自分の足で登ってきた身には、小さいながらも風情のあるもので、立ち止まって眺めるによい。もう少し近ければ、夏など汗ばんだ顔を洗うのに心地よいことだろう。
舗装道が続くせいか、菜の花が再び見られるようになった。ヤマブキやシャガまで咲いている。山の春が呼び寄せるのか、元から人気度が高いのか、わりと多くのパーティーと擦れ違った。同じくのんびりしているのか、3時を過ぎる山中で出会うのは高年の団体ばかりだ。一方で、元気がありあまっているのか、車道を駆け下りてくる夫婦らしきかたたちもいた。自分は変わらず花の写真を撮りながらゆっくり上がっていく。高度を上げていくと桜並木の一角があった。陽春の花がほんの少し下で咲いているというのに、この桜は二分咲きというところだった。
キケマン
キケマン(黄華鬘)
シロバナノヘビイチゴ
シロバナノヘビイチゴ
 
レンギョウ
レンギョウ
斜度が緩むと、高松分校との分岐に出た。すでに時刻は遅いのだが、郷愁を感じさせるという木造校舎を眺めずに高松山を去れば後悔すること必至だったので、躊躇せず片道10分の寄り道を選ぶ。車こそ通るものの屋根一つ見えなかった車道歩きが続いていたので、平坦地があるとはいえ随分な標高のそこここに家が見えてきたのには正直言って奇異な感じがした。車があまり普及していなかった時代はどうしていたのだろうと思う。


唐突に広い空き地が視野に入る。もっとこじんまりした、それこそ町中の幼稚園のような規模のものを無意識に予想していたので、初めは校庭だとはわからなかった。奥にかわいい校舎が静かに眠っている。これが高松分校・・・だった。残念ながらもう目覚めることはないらしい。傍らの標識が、この分校は廃校になったことを教えていた。
帰宅後に調べてみると、わずか数年前(2010年3月)に廃校になってしまったようである。この分校は小学校3年生までが通うことになっていたらしいが、3年生二人だけの在校生の子供らが本校に行く年になっても新しく入ってくる新入生がいなかったため、その歴史に幕を下ろすことになったのだという。校舎の傍らにはハクモクレンが花盛りだったが、もう平日の昼休みにこの木の下に集う子供らはいない。大野山に登る途中にあったわりと大きな小学校も廃校になっていた。かつて日本の山中どこにでもあっただろう賑やかな日々は、今ではどこに残っているのだろうと思う。
近寄ってみると校舎は二教室からなり、ガラス窓越しに眺めてみたが、なかにはなにもなかった。がらんとした空間があるだけだった。窓から離れ、校庭を眺めるベンチに腰掛けて、麓で買った揚げ物の包みを開けた。すでに冷えてしまっていたが、カレーコロッケが美味かった。子供のころ、シューマイがごちそうのように思えて、好きでよく食べたことなど思い出した。

高松分校跡地にて
再び分岐に戻り、あいかわらず続く舗装道を峠に向かって登っていく。目的地の尺里峠は標識には第六天とあってとまどう。そもそも第六天とはなんだろうか。織田信長が第六天魔王と名乗ったことを思い出すと、ろくな地名ではない気もする(あとで調べてみると仏敵のことだった。比叡山や恵林寺を焼き払った信長については納得だ)。すぐ左に高松山へを示す標識が目に入り、舗装道が分岐していく。いったん入りかけて、いやまだ峠は先だと引き返す。
麦茶のペットボトルをくわえて何処に行く? 
再び集落が途切れると、あたりに甘い芳香が漂いだした。白い花を付けた幹の黒い木々が立ち並んでいる。梅の花だった。山の上とはいえまだ梅が香るとは、少なくとも一ヶ月くらいの季節がこの山に凝縮されているらしい。
いまだ芳香豊かだったウメ
車道が越える峠に着くと、やたらよく吼える犬が一匹、鎖にも繋がれずに徘徊していた。左手の尾根に向かってようやく山道が始まっている。短い階段道を登ってみると、「他化自在天」の名のある仏像が立っていた。これも後から調べるに、この天がすなわち第六天、「他人の楽しみを自由に自らのものとすることができる」者だという。隣の石碑には「災障消除」「諸縁吉祥」と刻まれていることから、ここでは良いように解釈されているらしい。(第六天とされるピークは、峠から高松山とは反対側にある。今回は立ち寄らなかった。)
桜平から高松集落方面を俯瞰する
桜平から高松集落方面を俯瞰する
サンシュユが輝く
サンシュユが輝く
ミツマタが灯る
ミツマタが灯る
峠からの稜線はおおむね穏やかなものだった。そこここに立つ標柱からすると、辿っている尾根道は虫沢古道という古くからのものらしい。眺望は悪くなく、次々と現れる富士見平、桜平、真弓平と名付けられた切り開きからは、寄り道した高松集落を初め、大井松田あたりの平地が眼下に広がっていた。ひと登りして再び穏やかな道のりとなると、輝かしい光を人声の絶えた山道に降らせる木々がある。近寄ってみるとサンシュユの花だった。暗い植林の森のなかでは淡いクリーム色の花が無数に浮かびもする。夕暮れ近くのミツマタは神秘的ですらあった。


山頂直下は急坂だった。時刻の遅さがさすがに気になりだし、樹林のなかをいくらしい巻き道は避け、早々に山頂に着きそうな直登のルートを採る。土砂で半分くらいは埋もれていた階段道を辿ると、広く開けた草原の山頂に出た。すでに夕方5時半近く、周囲の木々は夕日で金茶に染まっていた。人影はまったくない。疲れているのに腰も下ろさずふらふらと歩き回り、周囲を見渡す。見下ろせば尾根が沈む先で町並みに薄闇が漂い、見上げてみれば雨雲が丹沢方面から延び広がって黒い天蓋となりつつあった。
先ほどから雲間から覗いていた日も陰となり、山頂草原も木々も暗転した。ちょっと急いだ方がよさそうだ。それでもベンチに腰掛け、ザックから飲料を取り出して猛然と飲み、すぐに立ち上がった。
山頂から麓を見下ろす
山頂から麓を見下ろす
予定通りビリ堂経由の登山道を下りに選んだ。一時間かからずに舗装道に出るはずで、それまでは空に残る残光が足下を照らすだろう、という見込みだった。そんな状況だから寄り道している暇はないのだが、本格的に下り出す前に八丁峠だったか何かへの分岐があり、いわば高松山西峰を越えていくらしかったので、となりの大野山でも目にできないかと入り込んでみたりするのだった。山頂中心部までびっしりと植林されている状況では何も目に入らず、あきらめて元来た道を引き返した。
おそろしく抉れて凄惨とすら言える涸れ沢の脇を急降下していく。道のりが穏やかになってしばらくでビリ堂に着く。尾根途中の石仏が二体立つ小平地で、驚いたことに水道の蛇口まであって立派に水が出る。いったいどうなっているのだろう。妙な名前は麓から見て最後(ビリ)にある観音堂だったから、なのだそうだ。本当にそうであるならかなり庶民的な名前が残ったということなのだろう。
ビリ堂の石仏
ビリ堂の石仏 
ビリ堂までも少々長く感じたのは、日の陰る速さと競争になってしまったからだろう。ビリ堂から先がさらに気分上、長かった。晴れてさえいればなんということはないだろうが、急激に暗くなる空を見上げつつ、猫の目を持った気で路面を眺めながら足早に下っていった。植林の木々の合間に入るとわずかに残る空の明るさがさえぎられてほんとうに足下が覚束ない。昔からのハイキングコースでよく踏まれているのがありがたかった。
左手の木々が開ける場所からは町のそこここに明かりが灯っているのが見える。下る先で何かが鳴いている。少々開けた右手斜面で派手な音がして、夕闇に白く丸いものが四、五ほど跳ねて下っていく。鹿の尻の色だ。再び左手が開けると、もはや東名高速が光の帯になっていた。いつもはうるさいとしか思えない高速道だが、本日に関しては照明灯を初めとする明かりが曇天に反射して足下を照らす明かりになっていた。
夕闇の松田方面を俯瞰する
夜間照明が灯り出す頃、まだ高みにいる
やっと舗装道に出たときは夕陽の残照も消える直前だった。雨まで降り出していた。


舗装道は農道で、かたわらに作業小屋がいくつも窺えたが、何の用途なのかは暗くてわからなかった(あとからミカン小屋と知った)。なにかの花の香りが漂う。斜面に菜の花らしきがたくさん咲いているのだが、これまた暗くてわからなかった。さすがにもう少し早く下らなければと反省しつつ、明かり灯る里に下っていった。
2013/02/24

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