ブッツェ平東方866m峰付近より遠見山(中央)・大杉山(右端)の稜線、左奥に世附権現山。遠見山左下の盛り上がりは大ノ山、大ノ山と遠見山との間に戸沢ノ頭、大ノ山から左に流れる尾根末端のコブが525m峰。 遠見山・大杉山
3月下旬、9時半ごろに松田駅から乗り込んだ西丹沢行きバスは、季節柄なのか時刻がすでに遅いのか、わりと空いていた。玄倉で降りたのが自分一人だったのもそのせいかもしれない。沢を登るにはまだ寒く、ユーシンまで脚を伸ばすには時刻が遅く、今日は日曜日なので山中泊計画するにはふさわしくない。地元の人らしき以外ではバードウォッチャーが3人いただけだった。
本日は丹沢湖北東部に立ち上がる遠見山・大杉山の稜線を歩く予定だ。北西部に立ち上がる世附権現山に比べて見劣りするのか取り付きにくいのか、一般的なコースはないようだが、歩きやすさはともかく見た目はじつのところ悪くない。伊勢沢ノ頭やブッツェ平東方の稜線からは小粋にピークをもたげる遠見山と、その北に悠々と延びる大杉山への稜線がじつに優美で、一度は歩いておきたいと思わせる。1,000mに満たない標高のため夏になれば下草が繁茂して難儀しそうなので、暑くなる前に出向いてみたのだった。


丹沢湖を反時計回りで回り込んで登山口とされる今日沢に着く。沢名を冠した橋を渡ったところが登山口だ。沢底にはミツマタのそこそこ大きな木が花をつけていて、出だしは穏やかそうな演出だ。ところがどこが登り口なのかまるでわからない。沢の右岸に林道めいたものが延びているので入ってみたが、左手に立ち上がる斜面はどこをとっても急で、しかも尾根が急傾斜なので入れば入るほどたどり着くべき地点は高くなる。赤テープがそこここにあるが、ほんとうにここを登ったのかと思える場所ばかりで入る気にならない。
今日沢落ち口に咲くミツマタ
今日沢の丹沢湖落ち口に咲くミツマタ
しかたないので落ち口近くの斜面を登り出す。最初こそ足でのみ上がっていくが、すぐさま文字通り這い上がるようになる。掴むべき木の幹が遠く、足元を見れば滑り落ちると沢底にまっしぐらだ。早々に登りだしたことを後悔するような斜面で、安易に引き返せない以上登り切るしかない。ようやく両足のみで立てるようになって振り返ると、登ってきた斜面は切り立っているせいで見えなくなっていた。
足だけで登れるとはいうものの随分と急な傾斜が続く。歩く人が少ないためうっすらとついている踏み跡は直登するものばかりで、高度は稼げるが疲労もかさむ。周囲のそこここに散らばるミツマタが気を紛らわせてくれる。丹沢湖対岸のブッツェ平とその左奥、伊勢沢ノ頭がせり出すように見えてくるのも新鮮だ。やっと傾斜が緩むとミツマタの群落が広がる平坦地で、湖側に張り出した岬のようになっており、眺望もよく一息つくによい場所だった。丹沢湖側はあいかわらず急斜面で、もし往路を戻るのであれば下りのエスケープルートはどこになるのだろうと心配になるほどだ。地図を見るとどこもかしこも丹沢湖畔は急で、いざというときを考えると正直言って不安にもなるのだった。
525m峰への登りで振り返る伊勢沢ノ頭(左端)、ブッツェ平(右端)
525m峰への登りで振り返る伊勢沢ノ頭(左端)、ブッツェ平(右端)
平坦地のすぐ上が525mピークで、鹿柵の扉があり、入っていくべきか迷うところだった。実際には入らず、柵を右に見て尾根をいったん下っていく。その次のピークを越え、ヤセ尾根の鞍部に出る。左側は急な斜面で、尾根の真ん中に太い木が生えていて迂回する時など右手の鹿柵側には出られないので斜面側に出なくてはならず、少なからず緊張させられる。右手下にはまだ登りだしたところの橋が見える。杉の花が赤い。谷の向こうには伊勢沢ノ頭が仰げ、玄倉の集落が望める。
鹿柵が終わり、振り返ってみると525m峰の斜面はミツマタでクリーム色に染まっている。湖に近いところではあちこちに生えているようだ。相変わらず橋が見えて、あまり登っていない気がして少々がっかりだ。再び上りに転じると、急傾斜の直登が続く。背の高い木はまばらで、左手には富士山が遠望され、振り返れば大野山がほぼ同じ高さだ。いったん肩のような場所に出て、少々開けて平坦なので腰を下ろす気になり、軽く食事休憩とする。進行方向頭上左手に三角形の姿で仰ぐのは戸沢の頭らしい。ようやく登り口の橋が見えない場所までやってきたが、遠見山はまだ先だ。
大ノ山の肩から見上げる戸沢ノ頭
大ノ山の肩から見上げる戸沢ノ頭
倒木が多く踏み跡を見失いがちな急登を、ササヤブを分けつつ登って723mの大ノ山に出た。遠見山から戸沢ノ頭へと南東に落ちる尾根がいったん大きく盛り上がって広々とした山頂部を形成している山だが、その全てが植林に覆われてしまっているので長居をする場所ではなく、立ち止まることなくゆるやかな尾根筋を戸沢ノ頭に向かう。右手奥には初めて北側の山並みが遠望できる。雑木林のなかを登っていくと、奇妙に明るい戸沢ノ頭に着く。見渡す周囲の木々が白っぽいのが明るさの秘密だろう。眺めはないのだが居心地がよいところで、すぐ上が目指す遠見山でなければここで休憩しても佳いと思える。
植林に覆われた遠見山山頂
植林に覆われた遠見山山頂
朝から何度目になるのかもうわからない急登をこなして、ようやく遠見山に着いた。やっと着いたというのに植林に覆われて眺めはない。むしろ戸沢ノ頭との鞍部から登る途中の踊り場で、木々の葉が落ちている間は、梢越しにだが広い眺めが得られた。大野山からの稜線がブッツェ平に延び、玄倉川の上を檜岳山稜から鍋割山、丹沢主稜と繋げて蛭ガ岳まで延々と続く。何度かに分けてこの稜線を歩いてはいるが、改めて全体を概観すると華やかだったり地味だが少々困難だったりと表情豊かなことに改めて思い至る。
眺めはないがやはり山頂は有り難みというか、達成感をくれる。数ある他の山同様にすぐ立ち去るには惜しいところだ。すでに2時でこの先順調に下れるか心配ではあったが、苦労して登ってきた褒美を自分にあげなくては気の毒というものだ。というわけで例によって湯を沸かしコーヒーを淹れる。山頂だからか風があり、風防の貧弱なガスバーナーはなかなか湯が沸かない。しかし後からも前からも、誰も来る気配はない。遠見山は位置的によい展望台になりえる山なので、山頂が開けていて登りにあまり苦労しなければ、もっと登られていることだろうと思う。
隣の大杉山へは、植林に覆われた広い尾根をわずか半時ほどで到着する。山頂部はあいかわらず植林帯のなかにあり、最高点らしきはほんの少し膨らんだだけの場所で、まるで山頂らしくない。一帯が雑木林ならばそぞろ歩きが愉しそうな平坦さなのだがと残念に思いつつ、明るさに惹かれてさらに北へと稜線を進むと、林が開け、正面に屹立する峻厳な山が仰げる。何かと思えば檜洞丸だった。こんなに近く見えるとは予想外で、文字通りの展望台だった。大杉山まで足を延ばした甲斐があったというものである。
大杉山山頂北方から檜洞丸方面を望む
大杉山山頂北方から檜洞丸方面を望む
さて山を下ることにする。下り口は大杉山最高点から西に派生する尾根の頭からなのだが、稜線からの開始点はほんの少し張り出しただけなのでよく見ないとただの急斜面を下り出すことになりかねない。赤テープを参考に、細かなジグザグを切る微かな踏み跡を追って下っていく。斜度が緩むにつれ足下が安定し、踏み跡も明瞭になる。一部、随分と昔に設置されたらしい丸太階段も現れて、おそらくは麓にある中川温泉からの散策路だったのではと思えもする。きっと檜洞丸を眺めに登った人がいたのだろう。
大杉山山頂部からの急激な下り始め
大杉山山頂部からの急激な下り始め
崩れやすい土壌の急斜面にはロープも張ってあり、辿る人がまったくいないわけではないことがわかる。植林帯の広い尾根に差し掛かり、踏み跡が不明瞭になった先を河内川の谷間に向かって行くと、中川温泉の建物が見下ろされた。急崖の縁をたどり、しっかりとしたジグザグの道を下るようになる。温泉街の裏手に這い出ると、そこは駐車場の入口近くで、錆びたドラム缶が3本ほど並ぶだけ、登山口であることを示すものはなにもなかった。


日帰り入浴が可能な宿はいくつかあったが、バス時刻のほうが気になって停留所に急ぎ、着いてみるとあと10分で来る。まだ日は高いが温泉は諦めて、西丹沢からの登山者を乗せたバスに乗り込んだ。松田駅に出てもまだ明るく、ひさしぶりに日が沈む前に帰りの電車に乗ることができたのだった。
2014/03/23

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