不老山(丹沢)大野山から眺める不老山(右奥の三角形)、左奥に霞むのは三国山

先日、山頂一帯が草原の大野山に登り、冬晴れの四方を見渡す機会があった。印象的なのは、富士山以上に、丹沢の眺めだった。神奈川県東部の住人としては大山を左端に表尾根が広がる光景を見慣れているので、主稜から甲武国境尾根へと稜線が長々と続く様子は、これも丹沢かと思う新鮮さだった。
前衛の山々にも魅力的な山影を見せるものが多かった。谷筋ひとつ隔てて大きく盛り上がる不老山もそのうちの一つで、鬱蒼とした姿に惹かれ、2月中旬という寒さ極まる時期をものともせず、河内川畔から登るコースを歩きに行った。


当初は御殿場線谷峨駅から本日の登山口である棚沢キャンプ場前まで歩いていこうと思っていたが、駅に着いてみるとちょうどバスが来るところなので無理せず乗っていくことにした(土日は2時間に1本の割合)。谷間を行く途中で下車して登るべき川向こうを見ると、立ち上がって左右に延びる山腹の傾斜は急で、電光型の登山道が続くことが容易に想像できる。川は吊り橋で渡った。これが歩行者専用のじつによく揺れるもので、かなり怖い。車用のしっかりしたのがあるのでそちらを歩いた方がよかったかもしれないが、車一台分ちょうどの幅しかなく、車が来たらそれもそれで怖い。
橋の先にある農地の合間を指導標に沿って歩いていくと山道入り口に到着する。予想どおり斜面をジグザグに上がっていく。しかも斜度がなかなか変わらないので上がっても上がっても振り返れば樹林越しに川が見下ろされる。隣の尾根を窺っても一直線に川岸へと落ちており、傾斜が緩み出す部分はまだまだ見上げる先にある。嬉しいのは振り返るたびに対岸の大野山の山頂草原部がよく見えてくることだ。ぜいぜい言いながら登る身に眺望の楽しみを与えてくれる。
ようやく斜度が緩む。振り返れば大野山が全身を見せる。
ようやく斜度が緩む。振り返れば大野山が全身を見せる。
斜度が緩むと山腹を行くようになる。地図で見るとほぼ平坦な道筋のように思え、じっさい大して上り下りはない道筋になっているのだが、予想したより長く歩く。途中、幅3〜4メートル、深さも同じくらいの、深く抉れた岩盤の涸れ沢を渡るポイントがあった。いまでは手すり付きのしっかりした橋があって安全に渡れるが、以前は多少ながら岩場の上り下りだったはずで、雪が付いたころなど難儀したものと思う。
周囲にやや平坦な地面が広がるようになると番ヶ平から不老山に続く稜線に出る。北西方側が急傾斜のため梢越しだが眺めが得られるところで、菰釣山から鉄砲木の頭・三国山に続く甲武国境稜線が黒々と連なるのがわかる。国境稜線の上から丹沢の様子を窺うかのように顔を出しているのは御正体山で、そんなことをしているのはこれ一つなので、奇妙というか、不気味な雰囲気だ。大海原から海坊主が出たらきっとこんな感じなのだろう。
番ヶ平分岐付近から望む御正体山(左)と菰釣山。
番ヶ平分岐付近から望む御正体山(左)と菰釣山。
番ヶ平山頂手前。稜線まで植林されている。
番ヶ平山頂手前。稜線まで植林されている。
いま出た稜線を右手へ向かえば番ヶ平というピークに到達する。細い道形が伸びているが、大きな標識が立っていてこの先行き止まりみたいなことが書いてあり意欲をそぐ。とはいえせっかくなので番ヶ平山頂がどうなっているか見ておこうと踏み込んでみる。雪のない路面は歩くたびに霜柱が音を立てて崩れる。少なくともこの日は自分に先行して番ヶ平に向かった人はいないようだ。ガイドマップを見ると緩やかに高まって最高点と思えたが、実際にはひな壇のような三段構成になっていて、しかも行き着いた山頂は笹が茂って腰も下ろせずという状態だった。ただ、誰も来ないだろう静かな場所であることは間違いないので、番ヶ平山頂手前の日の当たる通路脇でお茶休憩とした。冬とはいえ賑やかそうな丹沢にあって、静かに暖かいものが飲めるのは嬉しい。


分岐に戻ってからの不老山方面へはよい道が続き、快適に歩いて行く。未舗装林道に出たら目の前に高まるのに登っていくのがルートだが、すぐには登らず寄り道して林道左手へわずか行くと、足下遙かまで土砂崩れが起きている場所がある(補強もなにもないので縁に立つのは文字通り危険)。しかしここからの眺めはすばらしく、箱根、大野山、高松山とその奥に広がる相模灘まで一望にできる。丸くわだかまる大野山の眺めがとくによい。
林道脇の崩壊地上から大野山と高松山(左奥)を望む。右奥遙かに相模灘。
林道脇の崩壊地上から大野山と高松山(左奥)を望む。右奥遙かに相模灘。
林道から急登で登り着く最初のコブでは"火の用心"の幟がはためいていた。行路左手には鹿除けの網柵が続くが、地滑りで崩れていたり、理由は定かでないが倒れていたりであまり役に立っていないようだ。柵の彼方には右に越前岳、左に位牌岳のピークをもたげる愛鷹山が浮かんでいる。惜しむらくはほぼ逆光で細部がわからないが、そのシルエットは美しい。また歩きに行きたくなる山影だ。
コブを三つ越えるといったん大きく下り、やっと本峰の登りにかかる(あと15分と案内がある)。登り着けば山頂かと思ったらまだ肩で、もうひとつ軽く登ってやっと山頂に着いた。開けてはいるが眺望はない。振り返れば箱根の山々が冬枯れした枝越しに窺えるが、葉が茂ればそれも見えなくなるだろう。すでに15時近くなので人もいない。あるのは休憩用のテーブル一基だけ、荷を下ろして脇のベンチに横になる。空が広い。絹雲が音もなく流れていく。自分としてはひさしぶりに少し長く歩いたが、想像したよりは展望があって、静かでもあり、よい山だった。
山頂にて。梢越しに箱根の山々が浮かぶ。
山頂にて。梢越しに箱根の山々が浮かぶ。
山頂からほんのわずかで着く南峰は富士山が大きく眺められる。ここは神奈川県と静岡県の県境にあたり、神奈川側では見ていないので静岡の専売特許なのか、道標のてっぺんに箱根の金時山でも見た10センチほどの金太郎像が立っている。丹沢湖方面に続く世附峠への道を右に見送り、左へ、駿河小山駅に向かうよく踏まれた道筋に入る。すぐ先で再び分岐があり、右へ、金時公園なる場所に向かうものに入る。
箱根の金時山を遠望、左奥に神山
箱根の金時山を遠望、左奥に神山
送電線鉄塔群の上に浮かぶ富士山
送電線鉄塔群の上に浮かぶ富士山
快適な山道は長くは続かず、林道に出る。ここからは長い。しかしところどころ眺めはよい。山裾の展望が開けると、傾いた日の光を受ける富士山を背景にたくさんの高圧線鉄塔が輝いている。「銀河鉄道の夜」の三角標のようだ。ひょっとしたら原発からの電気の通り道なのかもしれないが、茫漠とした山野を強調する様は悪くない。ヒン、ヒン、と甲高く響くジョウビタキの声がよく似合う。見上げてみれば、葉の落ちた枝先に一羽、孤高の姿があった。歩きながらしばらく仰ぎ見ていたが、飛び立つことなく鳴き続けていた。
2013/02/17

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue