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西暦 | 事項 | 出典 |
---|---|---|
-221 | 秦の始皇帝が中国を統一 | 史記 |
-210 | 徐福が始皇帝の命により三神山をめざす | 史記 |
-207 | 秦が滅亡 | 史記 |
-202 | 前漢(劉邦)が中国を統一 | 史記 |
-108 | 漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼし朝鮮4郡を設置 | 史記 |
8 | 前漢が滅び、新おこる | 漢書 |
14 | 倭人が兵船百余隻で新羅の海辺に侵入 | 三国史記 |
25 | 光武帝が後漢建国 | 後漢書 |
57 | 漢の光武帝が倭に金印(漢委奴国王)を贈る | 後漢書 |
59 | 新羅が倭国と友好関係を結び修交する | 三国史記 |
73 | 倭人が新羅の木出島を侵す | 三国史記 |
107 | 倭国王師升ら後漢に朝貢 | 後漢書 |
121 | 倭人が新羅の東の辺境を攻める | 三国史記 |
123 | 新羅が倭国と講和する | 三国史記 |
158 | 倭人が新羅に交際のために訪れる | 三国史記 |
170 | この頃、倭国大乱 | 後漢書 |
173 | 新羅に倭の女王卑弥呼の使者が訪れる | 三国史記 |
184 | 黄巾の乱おこる | 後漢書 |
193 | 倭人千余人が飢えて、新羅に食を求め来る | 三国史記 |
204 | 公孫氏が帯方郡を設置する | 後漢書 |
220 | 後漢滅亡、魏がおこる | 三国志 |
221 | 蜀がおこる | 三国志 |
222 | 呉がおこる | 三国志 |
232 | 倭人が新羅の金城を包囲 | 三国史記 |
232 | 倭兵が新羅の東辺を攻める | 三国史記 |
234 | 蜀の諸葛孔明が五丈原の陣中で病没す | 三国志 |
238 | 魏が公孫政権を滅ぼし、朝鮮半島を支配領域とする | 三国志 |
239 | 卑弥呼が魏の明帝より金印(親魏倭王)を贈られる | 三国志 |
240 | 魏が帯方郡の建忠校尉・梯儁らを倭国に派遣 | 三国志 |
243 | 卑弥呼が魏に使いを派遣 | 三国志 |
247 | 魏が塞曹掾史・張政を倭国に派遣 | 三国志 |
263 | 蜀が滅びる。 | 三国志 |
265 | 西晋が魏を滅ぼす | 晋書 |
266 | 倭国が西晋に使節団を派遣、張政帰国 | 晋書 |
269 | 神功皇后が崩御 | 日本書紀 |
280 | 西晋、呉を倒して中国全土を統一 | 晋書 |
285 | 陳寿により「三国志」が完成する | 晋書 |
287 | 倭人が新羅の一礼部を襲う | 三国史記 |
292 | 倭兵が新羅の沙道城を攻め落とす | 三国史記 |
294 | 倭兵が新羅の長峯城に攻めて来る | 三国史記 |
300 | 倭国と新羅が使者を派遣し合う | 三国史記 |
312 | 倭国王が皇子のため求婚、新羅王は臣下の娘を送る | 三国史記 |
313 | 高句麗が楽浪郡を中国より奪取 | 三国史記 |
314 | 高句麗が帯方郡を中国より奪取 | 三国史記 |
317 | 五胡が華北に侵入、西晋滅ぶ。五胡十六国時代 | 晋書 |
344 | 倭国が新羅に使者を送り婚姻を請うが新羅王は断る | 三国史記 |
345 | 倭王が新羅に書を送り国交を断つ | 三国史記 |
346 | 倭兵が新羅の金城を包囲し攻撃 | 三国史記 |
364 | 倭人の進軍を不意討ち、倭人は敗れて逃走 | 三国史記 |
364 | 百済が倭と通交を求める | 日本書紀 |
366 | 倭国が使者を百済に派遣する | 日本書紀 |
369 | 高句麗が南進し百済を攻撃する | 三国史記 |
371 | 百済が高句麗を攻撃し、高句麗王を戦死させる。 | 三国史記 |
372 | 百済王が倭に七枝刀を贈る | 日本書紀 |
391 | 倭が海を渡り百済・新羅を破り臣民とする | 広開土王碑 |
392 | 新羅が高句麗に人質を送る | 三国史記 |
392 | 高句麗が百済を攻撃する | 三国史記 |
393 | 倭人が新羅の金城を包囲 | 三国史記 |
396 | 高句麗の好太王が百済を攻め、百済北部を奪う | 広開土王碑 |
397 | 百済王が王子(直支)を倭国に人質として送る | 三国史記 |
399 | 百済が倭と連合して新羅に侵入する | 広開土王碑 |
400 | 高句麗が新羅の救援に大軍を派遣、倭軍退却 | 広開土王碑 |
402 | 新羅が奈勿王の王子(未斯欣)を人質として倭に送る | 三国史記 |
404 | 倭が帯方地方に侵入、高句麗軍と戦い敗退 | 広開土王碑 |
405 | 倭兵が新羅の明活城を攻める | 三国史記 |
405 | 百済王が没し、王子(直支)が倭国から帰り王位につく | 三国史記 |
407 | 倭人が新羅の東辺を侵し、南辺も攻める | 三国史記 |
413 | 倭国と高句麗が東晋に貢物を献上する | 晋書 |
418 | 倭国への新羅の人質(未斯欣)が逃げ帰る | 三国史記 |
420 | 東晋が倒れ宋が興る | 宋書 |
421 | 倭王讃が宋に使いを出し宋朝成立に賀意を表す | 宋書 |
425 | 倭王讃が宋に司馬曹達を派遣し、方物を献上する | 宋書 |
427 | 高句麗が平壌に遷都 | 三国史記 |
428 | 倭国が百済に使者を送る。随行者五十名 | 三国史記 |
429 | 百済の王が姫を倭国に貢進する | 三国史記 |
430 | 倭王讃が宋に遣使して、方物を献上する | 宋書 |
431 | 倭兵が明活城を包囲するが、功なくして退く | 三国史記 |
439 | 北魏、華北を統一 | 北魏書 |
440 | 倭人が新羅の南の辺境に侵入、東の辺境も攻める | 三国史記 |
443 | 倭王珍が宋に朝貢、安東将軍倭国王とされる | 宋書 |
444 | 倭兵が新羅の金城を包囲するが、食料が尽きて帰る | 三国史記 |
451 | 倭王済、宋より六国諸軍事を加授 | 宋書 |
456 | 大泊瀬幼武(雄略天皇)が即位 | 日本書紀 |
459 | 倭人が新羅の東辺襲い、月城を囲むが追撃し破る | 三国史記 |
460 | 倭国が宋に遣使して、方物を献上する | 宋書 |
461 | 百済の王が弟の昆支君を倭国に遣わす | 日本書紀 |
462 | 倭王の世子、興が宋に奉献、安東将軍倭国王とされる | 宋書 |
462 | 倭人が新羅の活開城を襲い、一千人を捕えて連れ去る | 三国史記 |
463 | 倭人が新羅の歃良城を攻めるが勝てずに去る | 三国史記 |
473 | 百済が北魏に高句麗征討の援助を請う | 北魏書 |
474 | 高句麗が百済を攻撃、百済は新羅に援助を求める | 三国史記 |
475 | 百済が高句麗に王都漢城を奪われ都を熊津に遷す | 三国史記 |
476 | 倭人が新羅の東辺を攻める | 三国史記 |
477 | 倭人が兵をあげて新羅に侵入するが功なく帰る | 三国史記 |
478 | 倭王武、遣宋使を送る安東大将軍とされる | 宋書 |
479 | 宋滅び、斉建国 | 南斉書 |
479 | 倭王武、南斉の皇帝より、鎮東大将軍とされる | 南斉書 |
479 | 百済の王が没し、東城王(昆支君の子)が即位 | 日本書記 |
479 | 加羅の国王が斉に入貢し、加羅国王に任命される | 南斉書 |
480 | 白髪武公国押幼日本根子(清寧天皇)が即位 | 日本書紀 |
485 | 弘計(顕宗天皇)が即位 | 日本書紀 |
486 | 倭人が新羅の辺境を攻める | 三国史記 |
487 | 帯山城をめぐり百済と攻防、倭国軍が敗れる | 日本書紀 |
488 | 億計(仁賢天皇)が即位 | 日本書紀 |
498 | 小泊瀬稚鷦鷯(武烈天皇)が即位 | 日本書紀 |
500 | 倭人が新羅の長峯鎮を攻め陥した | 三国史記 |
502 | 斉滅び、梁建国 | 梁書 |
502 | 倭王武、梁の皇帝より、征東将軍とされる | 梁書 |
507 | 男大迹(継体天皇)が樟葉宮(枚方市)で即位 | 日本書紀 |
511 | 男大迹王(継体)が山背の筒城(京都府綴喜郡)に遷都 | 日本書紀 |
512 | 百済(武寧王)の要請により、伽耶四県を割譲する | 日本書紀 |
520 | 新羅の法興王が律令を公布 | 三国史記 |
526 | 男大迹王(継体)が磐余(桜井市)の玉穂に遷都 | 日本書紀 |
527 | 磐井の乱 | 日本書紀 |
527 | 新羅が仏教を施行 | 三国史記 |
532 | 金官加耶国が新羅に帰服 | 三国史記 |
534 | 安閑(勾大兄)天皇が勾金橋(橿原市)に遷都 | 日本書紀 |
536 | 新羅が建元 | 三国史記 |
536 | 宣化天皇が檜隈(明日香村)の廬入野に遷都 | 日本書紀 |
536 | 邦津に官家を置く | 日本書紀 |
536 | 物部麁鹿火が薨去 | 日本書紀 |
537 | 大伴金村の子の磐が筑紫の政を執る | 日本書紀 |
537 | 大伴金村の子の狭手彦が任那を鎮め、百済を救う | 日本書紀 |
538 | 百済が都を熊津から泗泚に遷都 | 三国史記 |
538 | 仏教公伝 | 法王帝説 |
540 | 欽明天皇が磯城嶋金刺宮(桜井市)に遷都 | 日本書紀 |
540 | 大伴金村が任那割譲問題の責で失脚 | 日本書紀 |
541 | 百済が新羅に和睦を求め、和睦が成立 | 三国史記 |
548 | 高句麗が百済を攻撃、新羅の援助で高句麗を撃退 | 三国史記 |
550 | 百済が高句麗と交戦、その間に新羅が両国に侵出 | 三国史記 |
551 | 百済・新羅・任那が高句麗と交戦、百済が漢城を回復 | 三国史記 |
552 | 百済が漢城と平壌を放棄、新羅が漢城を占領 | 日本書紀 |
552 | 百済が救援軍を要請 | 日本書紀 |
552 | 百済から仏像と経論が贈られた(仏教公伝) | 日本書紀 |
553 | 新羅が百済の占領地を奪い、新州を置いた | 三国史記 |
553 | 百済が救援軍を乞う | 日本書紀 |
554 | 百済が救援軍を乞う、救援軍を派遣する | 日本書紀 |
554 | 倭・百済・任那軍が新羅と戦い、百済の聖明王が戦死 | 三国史記 |
557 | 梁滅び、陳建国 | 陳書 |
562 | 新羅が任那(大加羅国)を滅ぼす | 三国史記 |
572 | 敏達天皇が即位し、百済大井宮を造る | 日本書紀 |
583 | 百済から召還した日羅が殺害された | 日本書紀 |
585 | 用明天皇が即位し、磐余(桜井市)に池辺双槻宮を造る | 日本書紀 |
587 | 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼした(丁未の乱) | 日本書紀 |
587 | 崇峻天皇が即位し、倉梯宮(桜井市)を造る | 日本書紀 |
589 | 隋が中国統一 | 隋書 |
592 | 蘇我馬子が東漢直駒に崇峻天皇を殺害させる | 日本書紀 |
592 | 推古天皇が豊浦宮(明日香村)で即位 | 日本書紀 |
593 | 聖徳太子が摂政となる | 日本書紀 |
600 | 倭王の阿毎多利思北孤が遣隋使を送る | 隋書 |
601 | 聖徳太子が斑鳩宮(斑鳩町)を造る | 日本書紀 |
603 | 聖徳太子の同母弟来目皇子が筑紫で病没した | 日本書紀 |
603 | 冠位十二階を制定する | 日本書紀 |
603 | 飛鳥小墾田宮(明日香村)を造る | 日本書紀 |
604 | 憲法十七条の制定 | 日本書紀 |
605 | 高句麗の大興王が黄金三百両を奉った | 日本書紀 |
607 | 法隆寺建立 | 日本書紀 |
607 | 遣隋使、小野妹子を派遣 | 日本書紀 |
607 | 倭王の阿毎多利思北孤が再び遣隋使を送る | 隋書 |
608 | 隋が使者、裴世清を倭国に派遣 | 隋書 |
610 | 高句麗の王が僧曇徴・法定らを奉った | 日本書紀 |
612 | 隋が高句麗遠征を行うが、敗れる | 隋書 |
618 | 唐が建国 | 旧唐書 |
621 | 聖徳太子と蘇我馬子が天皇記・国記・本記を記録 | 日本書紀 |
622 | 聖徳太子が没した | 日本書紀 |
625 | 高句麗の王が僧恵灌を奉ったので僧正に任じた | 日本書紀 |
626 | 蘇我馬子が没した | 日本書紀 |
628 | 推古天皇崩御 | 日本書紀 |
629 | 舒明天皇が即位 | 日本書紀 |
630 | 犬上君三田耜・薬師恵日を唐に遣わす(第一次遣唐使) | 日本書紀 |
630 | 飛鳥岡本宮(明日香村)に遷る | 日本書紀 |
631 | 百済王子豊璋、人質として来る | 日本書紀 |
632 | 高表仁が日本に来使 | 日本書紀 |
642 | 皇極天皇が即位 | 日本書紀 |
642 | 百済義慈王が弟王子の子の翹岐(ぎょうぎ)を島流し | 日本書紀 |
642 | 12月、天皇は飛鳥小墾田宮に遷る | 日本書紀 |
643 | 4月、百済王の子の翹岐弟王子が筑紫に着いた | 日本書紀 |
643 | 4月、天皇は飛鳥板蓋宮に遷る | 日本書紀 |
643 | 11月、蘇我入鹿が山背大兄王一族を滅ぼす | 日本書紀 |
645 | 唐が高句麗遠征を開始 | 旧唐書 |
645 | 中大兄皇子・中臣鎌足ら蘇我入鹿を殺す(乙巳の変) | 日本書紀 |
645 | 皇極天皇譲位、孝徳天皇が即位 | 日本書紀 |
645 | 初めて年号を建てて大化とする | 日本書紀 |
646 | 大化の改新の詔を発布 | 日本書紀 |
647 | 新羅が金春秋(武烈王)を遣わし、人質として留まる | 日本書紀 |
647 | 唐が第三次高句麗遠征を行う | 旧唐書 |
648 | 唐が第四次高句麗遠征を行う | 旧唐書 |
648 | 新羅の金春秋が唐に行き、百済への出兵を要請 | 三国史記 |
649 | 新羅が金多遂を遣わし人質とした、従者37名 | 日本書紀 |
650 | 白雉と改元する | 日本書紀 |
653 | 第二次遣唐使を派遣 | 日本書紀 |
654 | 第三次遣唐使を派遣 | 日本書紀 |
655 | 斉明天皇が即位(皇極天皇重祚) | 日本書紀 |
659 | 第三次遣唐使(伊吉連博徳)を派遣 | 日本書紀 |
660 | 7月、唐・新羅連合軍が百済を滅ぼす | 旧唐書 |
660 | 10月、百済王子豊璋を百済に送還 | 日本書紀 |
661 | 5月、遣唐使(伊吉連博徳)が帰国 | 日本書紀 |
661 | 7月、斉明天皇が朝倉橘広庭宮(朝倉市)に崩御 | 日本書紀 |
662 | 3月、唐・新羅連合軍が高句麗を攻撃、高句麗が援軍要請 | 日本書紀 |
663 | 6月、百済王豊璋が鬼室福信を殺害する | 日本書紀 |
663 | 8月、白村江の戦い | 日本書紀 |
664 | 2月、中大兄皇子(天智天皇)が甲子の改革令を宣布 | 日本書紀 |
664 | 5月、唐の百済鎮将劉仁願が郭務宗らを派遣 | 日本書紀 |
664 | 対馬・壱岐・筑紫に防人・烽を置き、筑紫に水城を築く | 日本書紀 |
665 | 8月、長門国と筑紫国の大野と椽に城を造る | 日本書紀 |
665 | 9月、唐が使者を派遣、劉徳高・郭務宗ら254人 | 日本書紀 |
665 | 12月、小錦守君大岩らを唐に派遣 | 日本書紀 |
667 | 3月、中大兄皇子(天智天皇)が飛鳥から大津に遷都 | 日本書紀 |
667 | 11月、唐の百済鎮将劉仁願が司馬法聡を派遣 | 日本書紀 |
667 | 11月、高安城・屋島城・金田城を築く | 日本書紀 |
668 | 1月、中大兄皇子が即位、天智天皇となる | 日本書紀 |
668 | 9月、新羅が沙㖨級飡金東厳を派遣 | 日本書紀 |
668 | 唐・新羅連合軍が高句麗を滅ぼす | 旧唐書 |
668 | 沙門道行が草薙剣を盗んで逃げた。 | 日本書紀 |
669 | 唐が郭務宗ら二千余人を派遣 | 日本書紀 |
669 | 10月、中臣(藤原)鎌足が没した | 日本書紀 |
669 | 冬、畿内の田税を高安城に集めた。斑鳩寺で出火。 | 日本書紀 |
670 | 2月、庚午年籍(こうごねんじゃく)が作成された。 | 日本書紀 |
670 | 2月、長門に一城、筑紫に二城を築いた | 日本書紀 |
670 | 4月、法隆寺で出火、一舎も残らず焼失 | 日本書紀 |
670 | 新羅が唐と対立する(羅唐戦争) | 三国史記 |
670 | 唐に遣使、高句麗平定を賀す。国号を日本と改めた。 | 新唐書 |
670 | 12月、倭国が国号を日本と改めた | 三国史記 |
671 | 1月、唐の百済鎮将劉仁願が李守真を派遣 | 日本書紀 |
671 | 10月、東宮(大海人皇子)吉野に入る | 日本書紀 |
671 | 11月、唐が郭務宗ら二千余人を派遣、筑紫君薩野馬ら送還 | 日本書紀 |
671 | 12月、天智天皇が近江宮で崩御 | 日本書紀 |
672 | 壬申の乱が起こる | 日本書紀 |
673 | 大海人皇子が飛鳥浄御原宮で即位し天武天皇となる | 日本書紀 |
676 | 新羅が朝鮮半島を統一 | 三国史記 |
678 | 筑紫国で大地震が発生 | 日本書紀 |
681 | 天武天皇が律令制定を命ずる詔が発令 | 日本書紀 |
686 | 天武天皇が没す。 | 日本書紀 |
688 | 新羅の使節を筑紫館(つくしのむろつみ)で饗応した | 日本書紀 |
690 | 持統天皇が即位する。 | 日本書紀 |
690 | 筑紫国軍丁、大伴部博麻の授賞が行われる | 日本書紀 |
694 | 都を飛鳥から藤原京に移す | 日本書紀 |
695 | 伊吉連博徳を遣新羅使に任命 | 日本書紀 |
696 | 高市皇子が没す。43歳 | 日本書紀 |
697 | 持統天皇が退位し、文武天皇が即位する。 | 日本書紀 |
698 | 筑前国宗形と出雲国意宇の両郡の郡司連任を許す | 続日本紀 |
698 | 日本国から使臣が来たので、新羅王は引見した | 三国史記 |
698 | 大野城、基肄城、鞠智城を修理する | 続日本紀 |
698 | 渤海国が建国 | 新唐書 |
699 | 役の行者小角を伊豆島に配流 | 続日本紀 |
701 | 大宝律令が制定される | 続日本紀 |
703 | 遣唐使を送る 栗田真人 | 続日本紀 |
703 | 日本国から使臣が来た。総勢二百四名 | 三国史記 |
710 | 都を平城京に移す | 続日本紀 |
713 | 諸国に「風土記」編纂を命じる | 続日本紀 |
720 | 日本書紀ができる | 続日本紀 |
720 | 大伴旅人、隼人を征す | 続日本紀 |
722 | 日本の賊の路を遮断した | 三国史記 |
729 | 長屋王の変 | 続日本紀 |
730 | 諸国の防人を停止 | 続日本紀 |
731 | 日本国の兵船三百隻が海を越えて東辺を襲う | 三国史記 |
740 | 藤原広嗣が大宰府で反乱を起こす | 続日本紀 |
742 | 日本の国使が来たが、受け付けなかった | 三国史記 |
745 | 僧玄昉を筑紫に左遷、太宰府に観世音寺を造らせる | 続日本紀 |
749 | 宇佐八幡大神が託宣して京に向かう | 続日本紀 |
752 | 東大寺の大仏開眼供養がおこなわれる | 続日本紀 |
753 | 日本国使が来たが、高慢無礼と判断し、王の接見なし | 三国史記 |
766 | 太宰府が防人の復活を要請する | 続日本紀 |
768 | 怡土城が完成する | 続日本紀 |
769 | 宇佐八幡宮神託事件、和気清麻呂大隈に配流 | 続日本紀 |
770 | 称徳天皇没、道鏡、下野薬師寺に左遷 | 続日本紀 |
794 | 平安京遷都 | 日本後紀 |