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研究紹介 3


紹介したい資料(一部未収集のものがあります)

題名 明るい高み、暗い谷
  Lichte Höhen - Dunkles Tal. Das Leben der Johanna Spyri.

著者:
Wartburg, Marianne von マリアンネ・ヴァルトブルク(1930-)
出版:
Egelsbach FOUQUÉ LITERATURVERLAG  発行:2000/03  157頁

説明 リンク
ヨハンナ・スピリの生涯を扱った
小説
川島論文より引用)主にJ・ヴィンクラーの伝記研究に依拠して晩年のシュピーリの姿を描き、自らが創作した児童文学作品の明るい世界とは裏腹の、暗い内面を抱えた女性として印象づけている。
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・ヨハンナ・スピリの生涯を扱った小説。主にヴィンクラーの伝記研究を資料として使っている
・著者はチューリヒ在住の作家で、心理学者として学校教育に携わった経歴あり。(L)


題名 イカロスの翼の女 (蝋の翼を持った女性・・高く飛び太陽に近づきすぎて蝋の翼が溶けて落下 )
  Die Wachsflügelfrau. Geschichte der Emily Kempin-Spyri.
  (英題)Flying With Wings of Wax: The Story of Emily Kempin-Spyri

著者:
Hasler, Eveline エヴェリン・ハスラー(1933-)
出版:
Zürich / Frauenfeld : Nagel & Kimche 発行:1991  
(ペーパーバック版)出版:
München : dtv 発行:1995  261頁

説明 リンク リンク英訳版 参考論文 
小説。作者のハスラーは日本でも数冊の絵本が紹介されている。
川島論文より引用)作家シュピーリの夫の姪にあたるエミリー・ケンピン=シュピーリ(1853-1901)の波乱の生涯を扱ったもの。彼女は1887年にドイツ語圏で初めて大学で法律を修めた女性であり、一時期アメリカに渡って女子教育の分野で先駆的業績を上げたが、女性弁護士の就業に門戸を閉ざす社会との軋轢に苦しみ、最後はスイスの精神病院で早逝している。それは奇しくも、ヨハンナ・シュピーリが没したのと同年のことであった。
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・ケンピンは「ヨーロッパ初の女性法律家」となった人物。この小説は、彼女の業績が国際的に再評価されるきっかけを作った。(L)


題名 ヨハンナ・シュピーリとコンラード・フェルディナンド・マイヤーの往復書簡集
   
Johanna Spyri und Conrad Ferdinand Meyer. Briefwechsel 1877-1897.

著者:
Zeller, Hans und Rosmarie (Hrsg.) 
出版:
Kilchberg : Romano 
発行:1977 135頁

説明
資料集
川島論文より引用)シュピーリと同時代スイスの作家コンラート・フェルディナント・マイヤー(1825-98)との往復書簡集。
付録として、シュピーリの母宛およびマイヤーの姉妹宛の手紙を収録。
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・スイスを代表する小説家マイヤーとの交流を記録した資料集。付録として、マイヤーの姉妹宛および母宛の手紙を収録
・数少ない貴重な一次資料の出版であり、シュピーリ像が大きく転換するきっかけを作った。(L)


題名 家庭年代史 Hauschronik

著者:
Heusser-Schweizer, Meta メタ・ホイサー
出版:
Kilchberg 発行:1980 

説明
参考書
川島論文より引用)シュピーリの母で詩人のメタ・ホイサー(1797-1876)の手になる。
ホイサーの作品としては、詩集『隠れた女の歌』(
Lieder einer Verborgenenが1858年にライプツィヒのHoltze社から刊行されている。その増補版である『詩集』(Gedichte, 1863)および『第二詩集』(Gedichte. 2. Sammlung, 1867)も同社から。
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・女性詩人でヨハンナ・シュピーリの母メタ・ホイサーが書き残した手記。『ハイジ』作者の生育環境の一端を知ることができる。(L)


題名 スイス・フランス語圏へのハイジのデビュー
  Les débuts de Heidi en Suisse romande. Camille Vidar.

著者:
Stockar, Denise von ドニーズ・フォン・シュトッカー
掲載:Lesarten 107-116頁

説明
川島論文より引用)『ハイジ』のフランス語への翻訳は非常に早く、原作第一部の出版の二年後、1882年のことである。
最初の仏訳者であるカミーユ・ヴィダール(1854-1930)はシュピーリ本人とも直接に親交があり、後に女性解放運動に身を投じた人物である。この二人の接点を紹介している。
ただし、ヴィダールの訳は現在ではあまり普及していない。


題名 ハイジの変容  Heidis Metamorphosen.

著者:
Francillon, Roger ロジェ・フランション
掲載:Halter 237-251頁

説明
川島論文より引用)スイスのフランス語圏に位置する都市ローザンヌの翻訳家シャルル・トリッテン(1908-48)の一連の『ハイジ』翻訳および続編(全5冊)は、主人公のその後のみならず子や孫の世代までを描き出し、一種の大河小説の様相を帯びている。同作はファシズムと世界大戦の時代における「精神的国土防衛」(Geistige Landesverteidigung)の流れの一環に位置づけられ、その内容にはスイス人の愛国心を強化する意図や、家族の大切さなど伝統的な価値観を称揚する傾向が目立つ。そういった点を批判的に論じている。



トリッテン作品を上記の観点からとらえた先行研究としては、下記がある。
Mooser, Anne-Lise:
“Heidi” et son adaptation française ou l’aliènation d’une libertè.
In: Modernit
è et nostalgie. La nature utopique dans la littèrature enfantine suisse. Zürich 1992, S.27-35;

Kamber, Isabel:
Französische Fortsezung von J. Spyris “Heidi“-Romanen.
In: M
üller,Heidy Margrit:Dichterische Freiheit und pädagogische Utopie. Studien zur schweizerischen Jugendliteratur.
Bern 1998, S.131-157.

題名 トリッテン訳「ハイジ」における、比較と変更点
   
“Heidi“. Übersetzt und verändert von Charles Tritten.

著者:
Abgottspon, Elisabeth エリーザベト・アプゴッツポーン
掲載:Halter 221-235頁

説明
川島論文より引用)トリッテンのフランス語訳文と原作との詳細な文体比較を行っている。その比較を通じて、この訳者が原作の言葉遣いを単純化している点や、ハイジをより消極的に、ペーターをより積極的に描くなど、登場人物の性格を因襲的な性役割に沿わせようとする方向が浮き彫りにされる。


題名 フランスにおけるハイジ――失敗した出会い
  Heidi en France. Un rendez-vous manqué.

著者:
Niéres-Chevrel, Isabelle イザベル・ニール=シュヴレル
掲載:Lesarten 117-137頁

説明
川島論文より引用)トリッテン作品を含むフランス語圏の翻案・改作の歴史を、原作の姿を著しく歪めるものとして批判的に概観する。



題名 スイスの山から来た小さな少女――英訳されたハイジ
  The little Swiss girl from mountains. Heidi in englischen Uebersetzungen.

著者:
O’Sullivan, Emer エマー・オサリバン
掲載:Lesarten 139-162頁

説明
川島論文より引用)英語圏での受容に関してイギリスとアメリカの翻訳史を対比させながら紹介する。英国においては固有名詞を英語化するなど、原作を自文化へと同化させようとする傾向が見られたのに対し、米国では全体としてエキゾチシズムを強調する傾向が強かったと総括できるという。


題名 ハイジの新たな故郷――19世紀後半のアメリカ児童文学における子ども像
  Heidis neue Heimat. Kinderfiguren in der amerikanischen Kinderliteratur des späten 19 Jahrhundert.

著者:
Stähli, Monique モニク・シュテーリ
掲載:Halter 253-261頁


題名 ハイジ、アメリカへ行く Heidi goes to America .

著者:
Hearn, Michaelマイケル・ハーン
掲載:Lesarten 163-181頁

説明
川島論文より引用)
互いに類似した観点からアメリカでの受容史を考察する。『若草物語』(1868/69)や『トム・ソーヤー』(1876)などが描かれた1865年〜1914年の時期は、アメリカ児童文学史上の黄金時代である。そこで『ハイジ』が1884年の翻訳以来、すみやかに人気を獲得した背景には、当時アメリカでもやはり似たような「孤児」のモチーフが流行していたことがあったようだ。
 ハーンは、合衆国の文芸批評の分野においてシュピーリ文学がごく冷遇されてきた経緯に触れ、その一因をアメリカの研究者たちの英米中心主義に求めている。

題名 ハイジの罪と罰――アルプスの少女のロシアでの運命について
  Heidis Schuld und Sühne. Über das Schicksal des Mädchens aus den Bergen in Russland.

著者:
Michail Schischkin ミハイル・シーシキン
掲載:
Neue Zürcher Zeitung Nr. 155 『新チューリヒ新聞』2001年7月7日号に掲載

説明
川島論文より引用)ロシアにおける『ハイジ』受容の問題を軸に、ソ連時代の外国児童文学をめぐる状況を回想した異色のエッセイである。『ハイジ』はソヴィエト政権下ではブルジョワ芸術として長らく発禁本として扱われ、現在も一般に知名度を獲得するには程遠い。だが革命前には、すでに翻訳が存在していたという。


題名 かわいいハイジ 日本でのハイジの受容  “Cute Heidi“. Zur Rezeption von Heidi in Japan.

著者:
Domenig, Aya アヤ・ドーメニッヒ
掲載:Halter 149-165頁

説明
川島論文より引用)特にサブカルチャーの分野における日本の「ハイジ」受容を分析したもので、日本文化論としても読みごたえがある。著者は「かわいい」をキーワードに据え、日本における高畑作品の人気をジェンダー論的に分析した上で、いがらしゆみこ(1950-)の少女マンガ版(1998)にも言及している。


題名 日本におけるハイジ  Heidi in Japan.

著者:板東悠美子
掲載:Lesarten 183-187頁

説明
川島論文より引用)日本での欧米文学翻訳史の中に『ハイジ』受容を位置づける。野上弥生子の初訳(1920)とそれに続く訳『楓物語』(1925)が主に扱われている。[講演形式のまま収録]


題名 TVシリーズ『アルプスの少女ハイジ』ができるまで
  Making of the TV Series “Heidi, the Girl of the Alps”.

著者:高畑勲
掲載:Lesarten 189-204頁 

説明
川島論文より引用)
自らが監督したアニメ番組の制作経緯について語ったもの。原作からの変更点の意図などが説明されている。 [講演形式のまま収録]

(tshp)パンダコパンダと比較したカラーの4頁が含まれている。この論集での唯一のカラー印刷部分。


題名 ハイジ――あるメディア的成功の本質と変遷
  Heidi. Wesen und Wandel eines medialen Erfolges.

著者:
Leimgruber, Walter ヴァルター・ライムグルーバー
掲載:Halter 167-185頁

説明
川島論文より引用)原作第一部が1880年に刊行されて以来の出版事情や各国語への翻訳、舞台化・映像化、商品化の経緯などを概観したものである。原作の主要なテーマや人物像が、各メディアにおいてどのように変奏されていったかについても若干の考察がなされている。
(シュピーリの生前・死後の作品出版事情については、J・ヴィランによる伝記研究の第9章で、数値データを交えて詳述されている。Villain (1997), S.258-303.)


題名 スイス50年代の『ハイジ』映画化 Die “Heidi“-Filme der fünfziger Jahre.

著者:
Tomkowiak, Ingrid イングリット・トムコヴィアク
掲載:Halter 263-275頁 後に改訂版として採録Lesarten 205-222頁

説明
川島論文より引用)スイス映画『ハイジ』(1952)および『ハイジとペーター』(1954/55)を扱う。この二本は、現在では必ずしも芸術的評価こそ高くないものの、戦後の混迷期にスイスの理想像を国内外へ向けて宣伝する上で、看過しがたい役割を果たしたという。


題名 ヨハンナ・シュピーリの「ハイジの修業時代と遍歴時代」 すべての人のための一冊の本
   
Johanna Spyris "Heidis Lehr-und Wanderjahre".Ein Buch für jung und alt.

著者:Braeuer,Ramona ロマーナ・ブロイアー
掲載:Deutschunterricht45 発行:1992 305-310頁

説明
川島論文より引用)原作小説を用いて(ラジオ劇の制作など)相互作用的な授業を行うことを提案している。 原作の小説『ハイジ』を教育の場において教材として使用する効能は早くから議論されていた。


題名 ジールフェルトのハイジ  Heidi im Sihlfeld.

著者:
Amuat, Renate レナーテ・アムアート
掲載:Halter 141-147頁

説明
川島論文より引用)上記の映像化作品などを資料に用いてチューリヒのジールフェルト校で行った、「ハイジ」に関する特別授業(小学一年生対象)の体験記である。


題名 Herzfigur und Markenzeichen.
    Zur Heidisierung im Schweizer Tourismus der Gegenwart.

著者:
Gyr, Ueli ユーリ・ギュール
掲載:Halter 187-199頁

説明
川島論文より引用)1997年に観光開発地域として指定されたスイス東部の「ハイジランド」の話題を中心に、ハイジ像にまつわるイメージを観光産業の振興のために動員する企業戦略と、それにともなう多種多様な商品化の状況を追っている。
この問題については、Villain (1997), S.201ffおよびHackl (2004), S.82ffでも簡潔に扱われている。


研究紹介 4 (日本国内論文)へ

研究書 紹介 3

 川島論文を最初に読んで、まっさきに思ったのは・・・「あのトリッテン」の続編・・「それからのハイジ」と「ハイジのこどもたち」のまだ後に、「おばあさんハイジ」なる第5作目があった! ということです。ミーハーで申し訳ない。

 その後、「おばあさんハイジ」を入手したり、川島様とメールのやり取りをして内容を調べてもらっているうちに、フランス版と英語版のトリッテン作品の内容が大きく違うことがわかってきました。

 トリッテン自身もナゾの多い人物で、フランス語版では「著者」としての名前が出たり出なかったり、変名が使われているなどの問題もあります。
 これは研究テーマとして面白くなってまいりました。

 その他にもフランス独自の続編がトリッテン系統以外にもいくつかあるらしく、ハイジ続篇群の多さでは、フランスが世界一なのではないかと思える状況もわかってきました。

 日本でのハイジの受け入れ方は絶対に面白いし、英語圏、スペイン、ロシアの状況も興味深いですが、フランスがもっと面白いことをしているらしいのです。

 この状況は、新たに一項をもうけて紹介していきたいです。


2006/1/15