最期の時まで

1992年10月の砂津〜黒崎駅前廃止以来、「歯が抜けた」ようになり、私の足も遠のいてしまった。しかし、最後に残った黒崎駅前〜折尾の廃止を前に、2000年5月・8月・10月と立て続けに、昔日の思いを胸に久々に「北九州線」を訪れた。日中は、18分ヘッドという信じられない「長閑路線」になってしまったが、冷房化された600形が精一杯の力走をしていた。本数は減ったがラッシュ時は勿論、昼間の利用客もかなりあり、JRの新駅開設のみでは、廃止後はかなりの不便を地域住民に強いるな、と感じた。

陣の原〜折尾東口にて。初夏の日差しに新塗装が眩しい。

陣の原〜折尾東口にて。鹿児島本線と並んで金山川を渡る。左上に見える学校は、何と私の妻が通っていた中学である。ちょうど、1979年前後だ!(゚o゚)。まさしく・・・大ニアミスである(ーー;)。

折尾東口にて。手前の線路はJR。北九州線も、この辺りまでくると郊外電車の雰囲気が漂う。門司付近と比べると急傾斜地は少ない。

同じく、折尾東口の踏切にて。

日中は閑散とした折尾東口停留所。

折尾行きの電車が停まる折尾東口。数人の乗客に混じって、そろそろ「鉄」の姿が目立ってきた頃。

以上、2000−5−3撮影

陣の原にて、上下列車の離合。庶民的な店が目立つ。

折尾名物の煉瓦アーチ橋を渡る。道は狭いが、落ち着いた街だ。教会から流れる賛美歌の歌声が、耳に残っている。筑豊線の客車列車と共に、遠い記憶の彼方に去ってゆく・・・。

以上、2000−10−8撮影

キャノンEOS1V−HS  タムロン28-105ミリF2.8,EF300ミリF2.8L,70-200ミリF2.8L  E100VS,RAP、RDPV

「惜別西鉄北九州線」

斜光線の下で    鉄の街を支えて−3「黒崎駅前」     鉄の街を支えて−2「八幡界隈」

鉄の街を支えて1-戸畑幸町     折尾今昔   炭鉱色の街     特集4a熊西